「ふーん、明日菜ちゃんは自分より年下の男の子をいぢめるんだ…」
神楽坂明日菜は、背後から聞こえたその声に、ビシリと表情を固めて硬直した。
一緒に登校して来たこのかではない、第三者の存在。
自分に対して声をかけた、その相手の正体に気付いたからだ。
隣のクラス、2−Bに所属する高町なのは。
特別親しい訳ではないが、良くサポタージュするあまり学生として正しくは無いその行動、
またそれとは裏腹の老練された雰囲気から、とても印象に残っていた女生徒だった。
特に明日菜は彼女の事が苦手だった。
何もかも見透かされている様な、そんな印象を受けてしまうからだ。
もちろん、明日菜が苦手意識を抱く原因は、そうした印象だけでは無かった。
明日菜の中の(野性的な)ナニかが告げて来るのだ。
彼女には決して逆らってはいけないと。
「い、いやだな、なのはさん。
こ、これはいぢめてるんじゃなくて、ちょっとした、躾…でもなくて、
そう、スキンシップ!スキンシップなのよ!」
「へぇ、そうなんだ」
ぶんぶんと腕、というか掴んだ頭ごと少年を振り回し、言い訳しながら振り返る明日菜。
言葉の上では納得したように答えたなのはは笑顔だったが、明日菜は心の内の冷や汗が止まらなかった。
耳にする限りのなのはの情報では、クラスメイトの古菲のように武闘派ではないはずなのだが、
その笑顔の奥からにじみ出る威圧感に、今の明日菜は完全に飲み込まれていたのだ。
が、なのはがその笑みから放出していた圧力を不意に霧散させる。
ほっと一息吐く明日菜は、少年の頭を掴んで持ち上げたままな事を思い出し、
とりあえず地面に降ろし、掴んでいた少年の頭から手を放した。
片手で掴み上げられ振り回された事がよほど痛かったのか、
少々涙を滲ませ、うーひどいです、とこぼす少年。
少年の様子に流石にバツが悪かったのか、明日菜は誤魔化すように口を開く。
「と、とにかく「さてと、時間もギリギリだし、私は先に行くね。
明日菜ちゃんもあんまりのんびりしていると遅刻するよ?じゃあね」
少年にくってかかろうとした所でなのはが割り込み、
言い捨てるような態度で明日菜とこのかに背を向けた。
その様子に何処となく違和感を感じた明日菜ではあったが、
プレッシャーからの開放感がより先に立ち、この件について深く考える事は放棄した。
もちろん、そうせざるを得ない理由もあった。
明日菜の後見人かつ好意を寄せている人物であるタカミチが、
まだ涙で目をにじませる少年へ、気さくに声をかけたからだ。
両者が知り合いであった事に、軽いパニックに陥る明日菜。
その頭からは、先ほどなのはが見せた不審な態度の事など残っている筈も無い。
そしてこの後に、少年ことネギ=スプリングフィールドが、
憧れのタカミチに代わり自分のクラスの担任教師となる事など、
神ならぬ身の明日菜には知りようも無い出来事だった。
その日の放課後。ネギ=スプリングフィールドの受け持ちと成った3−Aの女生徒が一人。
視界が利かないほどに積み上げた本を両手に抱え、おっかなびっくりに階段を下っていた。
不意にその女生徒、宮崎がのどかが不意に足を滑らせ、その身体を中空へと投げ出す。
その近辺に居たのどか以外の三人の内で、最初に行動を起こしたのは、
のどかの様子に注意を払っていたネギ=スプリングフィールドだった。
手にしていた杖の封印を緩めると同時に魔法を展開し、落下するのどかへの干渉を開始。
彼女の身体の落下速度を大きく落とすのと同時に、
自身身体能力を強化し、その実年齢には見合わぬ速度でのどかの元へと駆け寄った。
そして背中から地面に落ちようとするのどかの身体を、両手で受け止め様と飛び込んだ所で、
横合いからぶち込まれた桃色の奔流に呑まれ、数mは地面をゴロゴロと転がるはめに。
転がされたネギはショックで気絶したのか地面で伸びてしまう。
他方ののどかは、その襟首を狐の様な大型の動物(普通の狐は2m迄育たない)に咥えられ、
余人の予想に反して地面に落ちる事は無かった。
当然ながら、特に大きな怪我を負った様子も見られない。
くーちゃんと呼ばれるその大狐?に勢い良く振り回された所為か、目を回してはいたが。
ネギが杖の封印を解く所から、一連の様子を見ていたのは明日菜だったが、
何にどう反応して良いか混乱し立ち尽くしてしまった。
「えっと、宮崎さんだったかな?大丈夫?」
そう言って、目を回し地面に座り込んだのどかに手を差し伸べたのは、
その場にいたもう一人のなのはだった。
かけられた声に反応したのどかだったが、
すぐに立つ事が出来ず、ふらついた様子で生返事をするのがやっとだった。
「ゴメンね、ちょっと予定外の事が起きたから、乱暴な助け方しか出来なくて」
「あ、ありがとうございまふ」
そう続けるなのはに、まだ目を回したままののどかがそう答える。
座り込んだ所為で汚れてしまったスカートの土を払いながら、なのははのどかを助け起こす。
「え?な、なのはさん?
というかあいつが、えっと、今、一体何をしたのよ、何を!?」
そこでようやく思考が回り始めた明日菜が、
白を基調とした杖のようなものを握っているなのはに駆け寄り、何が起きたのかと問い詰める。
とはいえ上手く頭の中を整理できている訳ではなさそうで、
頭の中の混乱をそのままに、問い掛けを口にしただけだった。
「あーコレ?大学部で開発中の空気砲のモニターをしてるの。
打ち出す空気はホントは目に見えないんだけど、
解りやすいように、桃色の光も一緒に打ち出すように設定してあるの。
上手い具合に撃てば今みたいな事も出来るんだよ。
ウチの大学部って無駄にすごいよね?」
手にした杖のようなものを明日菜に見せながら、至って普通に答えるなのは。
時折傍迷惑な暴走を起こす大学部の事は明日菜も知っており、
今回のソレもそういった類のものなのかと納得しかけた。
が、その時脳裏を過ぎったのは杖を構えたネギの姿。
「で、でも、あいつは?あいつもそうなの?あの杖で変な事してたし……」
「んーアイツって誰かな?
子供先生なら宮崎さんを助けようと走り出したけど、
転んじゃってそこで伸びてるよね?」
明日菜ににっこりと笑みを浮かべて答えるなのは。
「で、でも、さっき」
「子供先生は転んじゃって、あそこで伸びてるよね?」
「……」
食い下がろうとする明日菜に、笑みを浮かべたままで答えるなのは。
笑顔から感じる朝以上の威圧感に、明日菜はそれ以上口にする言葉を持てない。
そのなのはの笑みからにじみ出るプレッシャーは、
笑みを向けられていないのどかですら、場を支配する空気に息苦しさを感じるほどだった。
「そう言えば、超ちゃんから聞いたんだけど……。
A組は今から子供先生の歓迎会をやるんだよね?
二人とも準備とかしなくて良いの?」
そんななのはが口にしたのは、話題を逸らす為というのが丸解りの台詞だったが、
二人は虚を付かれた様にはっとした表情を見せる。
「あーそうだった。私、その為の買出しに行ったんだ」
「そ、そう言えば、そうでした」
なのはからのプレッシャーもあいまって、その話題転換に乗る事にした二人。
のどかは階段を踏み外した際に、周囲にばら撒いてしまった本を集め、
明日菜は伸びてしまったネギを前ににため息を吐くと、自分よりも幾分か小さな彼をその背に背負った。
色々と思うところはあるのだろうが、ネギをそのままに放っておけない辺りに彼女の人の良さが伺える。
バイバイと手を振るなのはをその場に残し、
のどかは図書館へ、明日菜は歓迎会が開かれる自分の教室へと向かって行く。
そうしてなのはが二人を見送った処で、なのはの背後から一人の男性教諭が彼女に声をかけた。
「高町君、一応はお礼を言った方が良いのかな?
結果的にネギ君の使った魔法が、うやむやになった事については」
「……」
ポケットに右手を突っ込み咥えタバコのまま語りかけたのは、
なのはともそれなりの面識があったタカミチだった。
苛立ちを隠せないタカミチの声にも関らず、なのはは彼の方を振り向きもせず、
投げかけられたその問いかけには、ただ、ただ沈黙を持って答えていた。
「だが、やり方は少し考えてもらいたい。
ああいった粗暴な方法で、万が一の事がネギ君に起こったならば、
ボクらもそれなりの対応をせざるを得ない」
「……」
剣呑な雰囲気をその身に纏い、半眼でなのはを見つめるタカミチ。
だがその怒気を伴うプレッシャーにも関らず、なのは言葉を返そうとしなかった。
無視を決め込んだなのはの態度に、些か眉を上げるタカミチ。
「タカミチ、そう私の友を責め立てないでもらいたいな」
タカミチが言葉を続ける前に、二人の間に割って入った少女が居た。
否、実年齢からすれば彼女を少女と呼ぶのもおこがましいのだが。
実齢は600歳にも及びながら見た目だけは少女である彼女、
そうなのはの親しい友人でも在るエヴァンジェリンが、
ややもすると一触即発となりそうな両者を宥めようとしていた。
なのはの側に立つ大狐のくーの毛並みに、手を伸ばしながらではあったが。
自分の言葉に眉を寄せたタカミチに、更に意地の悪い笑みを浮かべて見せると、
エヴァンジェリンは、魔法的な見地から先ほど何が起こっていたかを説明し始める。
「あの時、あの場に展開された魔法は二つ。
ボーヤが宮崎にかけた重力軽減の為のものと、
コイツがその落下地点に仕込んだ結界による重力制御のもの。
あのまま、ボーヤが地面の結界に突っ込んだのなら、割と愉快な事になっていただろうよ」
一般人が目にしたら、ボーヤのあまりの変わり様に間違いなく引くぐらいのな、
とさらに続けて不敵な笑みを見せるエヴァンジェリン。
旧知である老練たる魔法使いエヴァンジェリンにそうまで言われ、
魔法に精通しているとは言えないタカミチとしては、これ以上のなのはへの追求は出来なかった。
「解った、ボクはエヴァの言う事は信じるよ。
ただし、さっきのボクの言葉も本心だ。それは忘れないで欲しい」
いささかバツが悪くなったという事もあるのだろう、
タカミチはなのはにそう云い残し、振り返る事無くその場を後にする。
エヴァはニヤニヤとその背を見送りながら、なのはに声をかける。
「貸し1つだな」
「解った。じゃあエヴァちゃんの呪いを解く事で返すよ」
ニヤついたエヴァンジェリンの発言に返されたのは、
レイジングハートを向けながらのなのはの言葉。
以前、なのははエヴァンジェリンにかけられた呪いの調査をしており、
その解除方も、一応は見つけてあるからこその言葉だった。
当時の調査結果を告げたなのはの言葉は、次のようなものだった。
『あのね、エヴァちゃんにかけられた呪いは、
エヴァちゃんを基点とした特殊効果付きの結界を張っている様なモノなの。
複雑でかつ強引に作られたみたいで、随分と頑強な仕上がりになってて、
エヴァちゃんが言うとおり通常の方法の解呪も凄く難しそうなの。
あ、でもね、私の手持ちの魔法を使えば、
呪いというか、その結界を取り除く事は不可能じゃないの。
そう、チャージタイムと引き換えに威力向上を追求した結果、
単純砲撃魔法にして結界破壊効果を備えたスターライトブレイカープラスなら。
続けて3本…ううん、ここは確実に行って5本ぐらいエヴァちゃんに直撃させれば、
エヴァちゃんにかかってる呪いは、丸ごと粉砕できると思うの。
当然、防御魔法なんかで防いだら意味が無いし、ちゃんと直撃させないとダメだよ。
もっとも生半可な防御魔法なんて、余裕で貫通する威力はあるけどね』
じゃあ、早速やってみようか?と更に続けたなのはの提言を、
そんな高町式解呪方は御免こうむる、とエヴァンジェリンはあっさりと断っていた。
不死であるはずのエヴァンジェリンの600年の経験が、その危険性を告げて来たからだ。
かれこれ何世紀ぶりかに感じた直感からくる危機感を、
その時のエヴァンジェリンは素直に信じる事にしたのだ。
「おい、なのは。高町式以外の解呪方を見つけたんだろうな?」
「……大丈夫……だよ?ちゃんと非殺傷設定に出来るから」
その時の会話を思い返しながら、確認するエヴァンジェリン。
即座に返されたなのはの答えには、エヴァンジェリンの問いを肯定する要素が無く、
調査をした当時と変わらず、砲撃魔法で呪いを吹き飛ばすつもりなのがありありと解る。
「なら断る、というか、お前。
私をダシにして、実戦では使いづらい砲撃魔法を撃ちたいだけじゃないのか?」
「そ、そんな事無いの。ちゃ、ちゃんとエヴァちゃんの事を思っての事なの。
久しぶりに全力全開で砲撃を撃ちたいとかじゃないの。信じて欲しいの」
半眼で見つめ返すエヴァンジェリンの視線と言葉。
目を逸らしながら答えるなのはの態度は、誰の目から見てもあからさま過ぎだった。
((……マスター(主)、……自重))
そうレイジングハートとくーの心の声が重なるのも当たり前の事かもしれない。
「はぁ、まあいい。
呪いに関しては、お前に頼らない方法を探す事にするさ。
幸い、アテが無い訳じゃ無いからな」
砲撃が要らないと言われ少しショックを受けるなのは。
さも悪巧みをしてますとばかりに、クククと笑い声を洩らすエヴァンジェリン。
そんなエヴァンジェリンから、くーが少し距離をとったのは当然の態度でもあった。
ある意味、自身の主の普段の行動で慣れているので、ドン引きというわけでも無かった。
それが救いかどうかわからないが。
「マスターそろそろお時間です」
私の砲撃の素晴らしさをエヴァちゃんにお話ししないと、
という決意をなのはが口にするよりも先に、茶々丸がエヴァンジェリンに声をかける。
「ん、そうか。ではな、なのは、くー、またな」
なのはが再び口を開くよりも先に云い残し、
先ほど去ったタカミチとは逆方向に歩き出すエヴァンジェリン。
そして茶々丸もなのは達に一礼し、その後を追うように歩き出す。
後には、安堵する様子のくーと、お話しするタイミングを失ったなのはがその場に残される。
その日の晩の麻帆良の地に、何時もよりも激しい砲撃が降り注いだのは言うまでもない事だった。