「・・・・・・・・・・・・」
「か、怪物だ!」
宇宙の中。
人を模した造型の機械の固まりが爆散し、一つの命がまた無限へと還る。
「・・・・・・・・・・・・」
「くっ、来るなっ!」
恐怖のあまり動きを停めてしまった敵機動兵器、積尸気に一瞬で肉薄し、すれ違いざまにカノン砲を接射する。
断末魔じみた貪欲な炎が背後から照らすのは、ともすれば背景に紛れてしまいそうな、幽鬼じみた黒い影。
しかし、鳥肌をも立たせるその圧倒的で確かな存在感は、見る者を失神させるほどだった。
呪いの花の名をその身に冠した、黒く鈍重そうな機動兵器。
その実裏腹に、かつて呼ばれた幽霊ロボットの名前の通り、異常な移動スピードで敵の攻撃を避け、寄せ付けずに撃破する。
「うわあああああああああああぁぁぁ!」
怨念が形になったかのようなその姿に、理性を失ったものが一人、統率を無視して、無策に突っ込んでくる。
「お、おおおおおおおおおおおおおお!」
それに触発されたのか、いい加減限界にきていたのか、他の者も手に持つライフルを乱射しながら特攻してくる。
八方から迫り来る敵に、黒き機動兵器は打って出るようなことはせず、ただ時空歪曲フィールドを貫通しやすい実弾兵器による攻撃の直撃を避けるために、体を少しばかり動かすだけだ。
自身を中心にして球状に展開された、光情報を逃がさないがために暗色の時空歪曲フィールド。
振動数の多い重力波を強力に展開することによって周囲の空間を歪めて盾とする、通称ディストーションフィールドにかすらせるような形で、ライフルの弾丸を弾く。
動きに合わせて、尻尾のようなテールバインダーが、誘うように揺れるのが特徴的だ。
しかし、それにも限りがある。
がむしゃらに、ろくな狙いもつけずに乱射しているとはいえ、距離が詰まれば命中する弾丸の数も増える。
それに、これを好機と見たのか、さらに数機の敵機動兵器が押し寄せてくる。
それでも、黒き機動兵器はこれといった動きを見せることなく、数の多くなった弾丸を捌き続ける。
やがて、完全に接近され、周囲を取り囲まれる。
「死ねえええええええええ!!」
いくつもの銃口が、たった一機の亡霊に向けられる。
逃れる場所も、術もない。
ここで初めて、黒き機動兵器を操る、鎧とバイザーで身を黒に染めた男は動きを見せた。
「────フッ」
ほんの少し、口角を鋭利に持ち上げて、嗤う。
無様を嗤うように。
訪れる未来を嗤うように。
あるいは自虐的に。
そして告げる。
詠うように。
「ジャンプ」
それは魔法の言葉。
この一言のために何人が犠牲になったか。
まさしく呪われた言葉。
つまりは呪文。
追い詰められていたはずの黒き機動兵器は、青い粒子を残して闇に溶けた。
光学迷彩ではない。
一種の瞬間移動。
しかし、正確に言うなら瞬間ではない。
時間軸から外れずに時の流れを逆行するため、逡巡ほどの時間がかかる。
そして文字通り、敵が逡巡する間にそれはもう始まっていて、すでに終わっていた。
積尸気に乗るパイロットたちが亡霊の姿を探す。
だが、堤燈も鈴も持たない彼らでは見つけることは出来ない。
ただ待ち構えるしかない。
ここで立場は逆転した。
動きを止めて、隙間をなくすように、互いの機体を密着させて、円になろうとする。
それは怯えからの行動。
本能ともいえる。
恐怖は心を圧迫し、空っぽにする。
「──────」
果たして、それはすぐ近くに現れた。
円の中心に。
消える直前に居た場所と同じ場所に、再び青き粒子とともに姿を現した。
空間軸から離れることが出来るとはいえ、移動しなくてはならないということはない。
瞬間移動ではないからこその奇襲。
正面からの、虚を突いた移動。
ただし、先ほどと違い、構えている。
腰を可能な限り捻り、今にも足蹴りを繰り出すかのような構え。
だが、黒き機動兵器に脚部はない。
重い体を速く動かす為のスラスターユニットになっている。
よって武器となるのはマニピュレーターともなるテールバインダーだ。
各部スラスターをいっせいに、最大出力で、ただしその場から動くことなく吹かす。
それだけで、テールバインダーは敵の装甲を容易く切り裂いてしまった。
黒き機動兵器を中心に、膨らんだホオズキのような爆発が起こる。
死者を導く堤燈の数は、合計十二個。
これはそのまま失われた命の数でもある。
「──────」
爆発をかき消すように、堤燈を突き破って黒き機動兵器は更なる獲物を求めて疾駆する。
もとより、真空状態で大きな炎があがるはずもなく、命のはかなさを象徴するかのように、すぐに消えてしまう。
死神のような黒き機動兵器が目指すのは、当初の目的でもあった敵の旗艦。
部隊の中心。
これを墜とせば、数の上での不利はなくなる。
それは当然、敵も解っているのだろう。
極彩色の、アニメのスーパーロボットじみた機動兵器が立ちはだかる。
装甲の厚いジンタイプである。
強力な武装が少ない黒の機動兵器では御しがたい敵だ。
それでも、突撃するスピードを緩めることはなく、むしろ逆に速めるほどだった。
カノン砲を連射する。
厚いディストーションフィールドに弾かれるが、構うことなく、ただ同じ場所に連射する。
これはフィールドの出力を下げるためだけでなく、強力な重力波砲、グラビティブラストを撃たせない為の攻撃でもある。
すると、じわじわと体を削られるような感触にたまりかねたのか、別の手段で反撃をしてくる。
腕が体から外れ、ロケットエンジンの炎を後ろから吹かしながら黒き機動兵器に向かって突撃する。
ロケットパンチ。
しかし、この攻撃は脅威ではない。
「・・・・・・・・・・・・」
存外かなりの速度で迫ってくる丸太のような二本の腕の間を、予定調和のようにすり抜けながら、腕を失ったことと、発射の反動でバランスを崩したジンタイプに体当たりをかます。
同じ極同士の磁石を近付けたときのような抵抗感は、フィールドとフィールドが干渉しあっている時独特のものだ。
性能の面で見ると、黒き機動兵器のフィールド出力はジンタイプに劣る。
だが今は、カノン砲によって攻撃し続けた今は黒き機動兵器のほうが勝っている。
それも、カノン砲を撃ちつづけた場所と同じ箇所にアタックをかけている。
突撃の速度も合わさって、大破とまではいかないまでも、中破するジンタイプ。
だが、これだけで十分である。
突撃の勢いのまま、こんどこそ旗艦に向かって、先ほどジンタイプにしたことと同じ攻撃をする。
しかし、戦艦のフィールドは機動兵器と比べ物にならないほど堅い。
機動兵器一機で打ち破ろうとするものではない。
事実、カノン砲の数発はフィールドをすり抜けるものの、それだけに留まっている。
時間をかければ確かに墜とせるだろう。
しかし、敵のほうが数が多いのだ。
奇襲によって混乱していた敵も徐々に統率を取り戻し、たった一機の敵に群がってくる。
昆虫型の小型無人兵器、バッタによって撹乱されていた他の部隊も集まってくる。
ミサイルで、レールガンで、光学兵器で、ライフルで、黒き機動兵器が旗艦から離れるように攻撃する。
「うおおおおおおおおおお!」
「覚悟おおぉぉ!」
「これでええええええ!」
「いいかげんにっ!!」
それでもなかなか旗艦から離れてくれないため、せっかく集まった機動兵器たちも思ったような攻撃が出来ず、知らず知らず密集してしまう。
その瞬間。
「────ジャンプ」
再びの呪文。
燐粉のような青き粒子を残して、姿を虚ろに隠す。
攻撃の手が止む。
その恐ろしさをよく知るために恐怖に駆られながら、レーダーを血眼になって確認する。
艦のクルーはボソンジャンプの特徴であるボース粒子の反応を。
ボソンジャンプの前では、ディストーションフィールドも役には立たない。
パイロットたちは旗艦の周囲に集まり、守りを固める。
しかし、全く現れる気配はない。
この戦場にいる全員が顔に疑問符を顕す。
逃げたのか?
誰ともなく、そのような憶測が飛び交い始める。
次の瞬間。
「ぼ、ボース粒子増大! 戦艦クラスです!」
戦艦クラスという言葉に、全員が驚愕する。
空間が割れる。
少し離れたところで虚空より現れるのは、黒い機動兵器と対なすかのような純白色の戦艦。
円形の重力ブレードに二門のグラビティブラスト、それに相転移砲を備えたその特異な形状は、まるで砲撃用軍事衛星のようでもある。
そして、この場における白き戦艦──ユーチャリスYの役割はまさにそれだった。
姿を現しながら、相転移砲を起動させる。
狙いは前方の敵部隊すべて。
目には映らぬその砲撃が、密集しすぎた敵を飲み込む。
餓鬼のように貪欲な砲撃。
宇宙の始まりはここにある。
生命体の新参者であるニンゲンには想像もつかない瞬間。
真空の相転移によるエネルギー密度の急激な変化によって負の圧力が生まれる。
空間が膨張する。
原初の始まりのデモストレーションとも言えるその膨大なエネルギーは、戦場にいた敵を全て消し去ってしまった。
後には何も残らない。
かろうじてあった爆発の余韻も消え果ててしまった。
「・・・・・・・・・・・・」
太古から変わらずにある静寂に戻った宇宙空間内、白き戦艦は登場したときと同じように佇んでいた。
そのユーチャリスのハンガーの内、掻き消えた黒き機動兵器はあった。
コックピット内部には誰もいない。
それはユーチャリス内部にも言えた。
それほど大きくない戦艦といえど、戦艦は戦艦。
相応のクルーがいるはずだが、まったく人気はない。
いや、一人いた。
ブリッジに黒衣を纏った男が一人。
それ以外の色はない。
今はもう、この男一人だ。
戦闘が終わったというのに、男の張り詰めるような雰囲気は変わらなかった。
いや、正確に言うなら、張り詰めたような糸である。
今にも切れそうな、危うい雰囲気。
それでも、鋭さはあった。
全てを切り裂く牙のような、野性的な鋭さ。
ただ立っているだけでも、男が相当腕の立つ達人だということは判る。
それもそのはず。
イメージフィードバックシステムを採用した機動兵器に乗っているため、乗り手にもかなりの戦闘センスが問われるのだ。
必然、強き機動兵器には強き人間が乗っている。
「無人機ではなく、有人機を出さざるを得ないほどの戦力か・・・・・・」
ポツリと呟く。
「残党の残党も残りわずか」
確認でもなく、自分に言い聞かせる風でもなく、言葉を零す。
黒いバイザーに隠れて、その表情は見えない。
ただ、欠落だけが見えた。
決して埋まることのない欠落。
そこに感情はない。
「俺ももう、必要ないか」
この言葉だけは自嘲めいてはいたが。
「ダッシュ、帰るぞ」
知らず、俯きかけていた顔を上げて、事実上ユーチャリスを動かしている高性能AI“オモイカネ・ダッシュ”に呼びかける。
主人のコマンドに応じ、すぐさまボソンジャンプの準備が始まる。
『フィールド展開』
『ジャンプアウト先 ネルガル月ドック』
『座標固定完了』
『イメージ伝達クリア』
『ミッションコンプリート』
次々と展開されるウインドウを、バイザー越しに眺め、
『どうぞ!』
AIからのお茶目なウインドウが表示されると同時に、あの呪われた文句を口にする。
「ジャンプ」
魔法はすぐさま現実に影響し、白亜の戦艦は跡形もなく消え去った。
青き粒子も残さずに。
──阿蘇山山頂──
多くの岩が蓋をするように積まれ、その間からは白い蒸気が立ち昇り、辺りには鼻をつまみたくなるような硫黄の臭いが漂っている。
そこには、取っ組み合いをしている二体の巨大なロボットがいた。
一体は鬼のような角を生やした、鋭い目つきの青いロボット。
もう一体は、青いロボットよりも大きくずんぐりとしていて、鈍重そうではあるが、そのぶん力強そうな白いロボット。
押されているのは明らかに、青いロボットだった。
ボラーーーーーーーー 白いロボットが咆哮とともに繰り出したチョップが、青いロボットの角を二本とも叩き折ってしまう。
あまりの力に跪いてしまったところを、白いロボットが力まかせに、まるで大根を引っこ抜くかのような動作でひっくり返す。
ズダーーン! 大きな音を響かせて、仰向けに倒れてしまった青いロボットの上にのしかかり、今度は足を一本、バキッと引き抜いてしまう。
馬力の差は圧倒的だった。
それを解っているのか、青いロボットも抵抗することなく、顔を踏みつけられたままにしてある。
やはり鬼のようなその顔には、悟りきったかのような表情が浮かんでいた。
「よくもプルートウをやったな! ぼくが相手だっ! こいっ!」
そこに、もう一体のロボットが飛んできた。
それは人間の子供サイズのロボットだった。
特徴的な髪形をしており、黒いパンツだけを履いている。
歳相応とも言える愛くるしい顔をしているが、今は子供らしからぬ真剣みを帯びていた。
「ウッウッウッウッウッ」 それを見た白いロボットは、思考が単純なのか、すぐさま狙いをその小さなロボットへと移し、手を伸ばす。
小さなロボットは足からのジェット噴射ですばやく自身を捕まえようとする手をかわし、顔に向かって体当たりをする。
グワン! 鈍い音が鳴るが、ダメージを与えられた様子はなく、青いロボットを踏みつける足も揺るぐことはない。
それでもなんとか青いロボットを助けようとする小さなロボットに、足の下から声をかける。
「アトム。じゃまをするな。こいつはおれの相手だ。おれの名誉にかけても、おれひとりでケリをつけさせてくれ」
とても戦えるとは思えない状態でありながら、助けを拒むような頼みをする青いロボットの考えに至ったのか、小さいロボットが悲痛な顔をして叫ぶ。
「だめだ、だめだ、プルートウ! きみは自爆するつもりなんだろう。ぼくが、きみのかわりにやっつけてやる」
そのとき、注意が逸れてしまったのか、あっさりと白いロボットに掴まってしまう。
ボラーーーーー「あっ、いけないっ」
しかし、小さな体ながらかなりの馬力があるのか、指を無理やり引きちぎって脱出すると、その勢いのまま突撃し、腹に大きな風穴を開けてしまう。
ズバッ!! 小さなロボットはそのまま空へと飛び上がり、致命傷を負わせた白いロボットを見下ろす。
次の瞬間、
ボガン! 大爆発が起こった。
ズズズズズ〜〜ンン 噴火したかのように火柱がのぼり、炎の混じった黒い煙が立ち込める。
「やった!」
叩きつけるような突風と、それとともに飛んでくる岩片に堪えながら、小さなロボットが思わず言う。
しかし、
「プ・・・プ・・・プルートウ。わしの・・・・・・大事な・・・プルートウ・・・」
アジア系の国のものと思われる民族衣装を着た男が、泣きながら呟く。
爆発の後には何も残っていなかった。
白いロボットも、青い鬼のようなロボットも。
人の手が加えられていないような、木々が天蓋となり、日がなくても成長できる下草がうっそうと生い茂る森の中。
しかし注意深く見れば、人が隠れるように、痕跡を隠しながら通っていることがわかる。
そんな場所で、獅子のレリーフが施された銀の留め具で固定された深赤のマントを羽織った赤毛の女──ミズーは、屈強な男と対峙していた。
筋肉質な体を簡素な、というよりも、どこかの民家から盗んできたものをずっと着ていたため擦り切れてしまったような服で隠している。
ハーフフィンガーグローブを嵌めた男の手には、両刃の剣が握られている。
軍人が使うような、飾り気の無く、人を殺傷することのみに重きをおいた剣。
自前で用意するには、かなり値が張ることだろう。
だが、この男は軍人ではないだろう。
軍人ならば自分の顔を手配書で見たことがあるはず。
そうであれば、
黒衣のいない今、たとえ餓死する寸前でも仕掛けてはこないだろう。
残る選択肢としては、精霊を狩ることを生業とするハンターが挙げられる。
高価な軍刀を買うことができるほどの収入のある、腕のいいハンター。
しかし、帝都が崩壊した今ではもう一つの選択肢がある。
(軍人を殺して奪い取ったか、ね)
常ならばありえないことだ。
いや。以前ならば、か。
軍人を殺して武器を奪い取ることが、ではなく、軍人を殺しておいてまだ生きているということがだ。
大陸で最大級の勢力を持ち、強力な有形精霊を所有し、
さらにはあらゆる司法を越えた処刑権限を持つ、帝直属の特殊暗殺部隊にして、最強の念糸能力者部隊、“黒衣”を有する帝都イシィカルリシア・ハイエンド。
今から考えると、よく自滅しなかったと感心してしまう強大さだ。
逆らう気など起こらないだろう。
特に、足音も吐息の音も声すらなく人を殺す黒衣は、めったに帝都から出ないとはいえ、その名前だけで人々に恐怖をもたらす存在だった。
存在だった。
これも過去形である。
なぜなら、たった一体の精霊によって帝都は崩壊し、その精霊によって帝都を守護する黒衣も全員殺されたからだ。
殺人精霊。
イムァシアの狂った刀鍛冶らが鍛えあげた、一振りの剣。
この世のどこかにある空白より、間隙より来たるという絶対殺人武器。
それは赤く燃えた空の下で完成した。
最も力を持つ国が唐突に、何の前触れもなく崩壊するとどうなるか。
始まりは混乱だった。
次は混沌だった。
国と同じく最も力のあった帝都金券はただの紙くずと化し、帝国は経済砂漠に吹き荒れた。
またそれだけでなく、帝都が硝化したことで、その広がりと発生する精霊に悩まさせられることになった。
頭を押さえつけられていた辺境は、次々と独立を宣言し、多くの小国が雨後のように乱立しだした。
帝都の次に力を持っている文化の中心地、アスカラナンがこの混沌を治めるべく乗り出しているが、雄強な軍隊を抱えているわけでもないので、鎮静にはもうしばらく時間がかかるだろう。
変化には痛みが伴う。
大きな変化ならばなおさら。
例えば、目の前の男のような。
通常このような、アスカラナンの近くに盗賊の類はいない。
ろくに構えも取れていない姿勢で、ミズーは目の前にいる男を睨みつけた。
よく斬れそうな軍刀を片手に、余裕げにこちらを見ている男。
当然だ。
ミズーも剣は持っているものの、鞘から抜けていない。
ミズーが抜刀するより早く、斬り込める自信は無論あるのだろう。
しかし、それだけで気を抜くというのは考えづらい。
もう一つ、余裕の根拠があるはず。
そして、それにはもうすでに見当がついていた。
だから、打ち崩す。
「ずいぶんと余裕ね」
言葉少なに話しかける。
「そりゃあ、そうだ。オレだって素人じゃねえんだから。この状況がオレにとってどれだけ有利かわかってるからな」
返事は風に擦れあう葉音に隠れてしまうような声で行われた。
男が会話をするかどうかは賭けではなかった。
むしろ、確信に近かった。
相手もじっくりと狙いをつける時間は欲しいだろうから。
「そうね。わたしにもわかるわ。でもね──」
話ながら、重心を前に傾ける。
それを察したのだろう。
男が何かの合図を放とうとする。
その動作に割り込ませるように言葉を挟む。
「矢は飛んでこないと思うわ」
男が目に見えて動揺する。
後ろから密かに狙わせている弓兵の存在を言い当てられたことと、言われた内容との両方が原因だろう。
しかし、男の様子を見届ける前に、既にミズーは駆け出していた。
ブーツのつま先で、名も知れない花の黄色い花弁が散る。
走りながら、鞘を剣帯から手早く外す。
男との距離はおよそ5メートル強。
剣を抜刀して構えるには足りないが、抜いてある剣を構えなおすには十分な距離だ。
予想よりも速く、少ない動作で、間合いに入ってきたミズーに剣を振り下ろす。
そのタイミングに合わせて、ミズーは、鞘に収まったままの剣を差し出した。
ガッ! 突き抜けるような衝撃が肘まで走り、思わず歯噛みするが、それは男も同じだった。
「ちっ、抜けねえ!」
皮製の鞘に深く埋まった剣はそうそう容易く抜けるものではない。
「ふっ」
ミズーは気合を一つ吐き、男の無防備な腹へと強烈な蹴りを放った。
「ぎゃっ!」
水っぽい悲鳴を零れさせながら、男は後ろへ転がっていった。
そして皮肉なことに、その拍子に食い込んでいた剣が鞘から抜けた。
吹き飛ばされながらも剣を放さなかったのはさすがというべきだろう。
もちろん、誤って自分に刺してしまう危険性もあったが。
ミズーは追いかけるようなことをしなかった。
蹴りつけたときに、男が服の下に皮製の布を巻きつけているのが分かったからだ。
有利な状況にもかかわらず後ろから弓で仕留めようとしたり、万が一反撃されたときに備えて布を巻いておくなどをするといった用心深い男が、まだ隠し球を抱え込んでいるかもしれないからだ。
それに、追撃のための手はもう打ってある。
いや、結び付けておいた、と言ったほうが正確かもしれない。
男の太い腕に、銀色の糸が結びついていた。
念の通り道。
念糸。
男も自分の腕に絡みつくその糸に気付いたのだろう。
目を丸くして糸を見る。
ただし、ミスーが予想した顔色とは違っていた。
男は一転して、目付きをいままで以上に鋭くさせると、射抜くようなその目でミズーを睨みつけた。
その視線が形になったかのように、腕に巻きついているものと同じ銀色の糸が一直線に飛んでくる。
(念糸!? ハンターなの!?)
しかし驚愕するよりも早く、ミズーは念糸に意思を注ぎ込んだ。
(燃えろ!)
「ぐあああああ!」
着ている服か、その下の布に引火したのだろう。
炎を上げる腕を抱えて男は地面を転げまわった。
剣はとうに手から離れている。
ミズーはようやく鞘から抜刀しながら、男の元へと歩いていった。
引火したとはいえ、念糸による炎はもともと長続きするものでもない。
男が服を脱いで、必死に地面にこすりつけた甲斐あってか、炎はもう消えていた。
それでも、腕は真っ赤に腫れあがっており、見るからに痛々しい様だった。
医者に診てもらわなければ、今後使えなくなるであろう腕を胸に抱きかかえている男の鼻先に、ミズーは剣の切っ先を突きつけた。
「ルールを決めましょう。わたしはあなたを殺さない。その代わりに、あたなたちはこれからわたしたちに手を出さないこと」
男に聞こえているかどうかは判らなかったが、要は戦意を奪うほどの恐怖を植えつけることができればいい。
「いいわね」
有無を言わさず言葉を投げつける。
男は聞こえていたのか、2、3度首が外れるのではないかというほど上下に動かし、ほうほうの体で走り去っていった。
天を支える木々にぶつかり、よろめきながら枝を揺らして、まだ青い葉を落としていく。
「元ハンターか・・・・・・」
硝化の森で無限に発生する精霊を狩ることを職業とするハンター。
その精霊を買い取っていた帝都はもうない。
アスカラナンも精霊を取引していないわけではないが、こちらは調度品としての面が強い。
結果、落ちぶれたハンターは盗賊の類に身を窶すことになってしまった。
「・・・・・・・・・・・・」
罪悪感がないわけではない。
ただ同情心はわかなかった。
今の自分にはやるべきことがある。
「いえ、ちがうわね。やりたいことがある、ね」
苦笑しながら呟き、手に持ったままだった剣を鞘に収める。
男が逃げていった方向を透かすように眺める。
男を逃がすことにデメリットがないわけではなかった。
少し前のミズーなら、迷いなく殺していただろう。
それでも間違った判断を下したとは思わなかった。
(自分の剣は、他人を殺すためのものではないと知ったから)
アスカラナンへと向かう旅を再開するためにジュディア──隠れていた弓兵を倒してくれた旅の相棒だ──と合流しようと、振り返る。
(──────?)
そこで違和感に気付く。
敵の気配はもうない。
先ほどの男が戻ってきたということもない。
気配はなかった。
なさすぎた。
ジュディアのものさえない。
弓兵による攻撃がなかった以上、ジュディアがやられてしまったというのは考えられない。
もとより、あのような相手に遅れをとるような彼女ではない。
「ジュディア?」
呼びかけるが、返事はない。
走り出しそうになって、ふと、頭をよぎったものがあった。
言葉にする。
「アイネスト?」
確認したわけではないものの、とうに死んだいけ好かない男の名前を呼びかける。
タネのない手品のような、奇妙な魔法、マギの使い手である彼ならばありえそうな気がしたからだ。
しかしやはり────
(いえ、ありえないわね)
今度は言葉に出さずに否定する。
マギは奇跡のような技であるが、奇跡は人が認識するからこそ奇跡でありうるのである。
彼らは傍観者であるが故に、彼らマグスを認識することをやめた自分には干渉できないはずだ。
(それなら────)
もう一度、ミズーは鞘から剣を引き抜いた。
ただし、今度は必殺の殺意を込めて。
「アマワなの!?」
応えはなかった。
ただ、その問いを発したときには既に、彼女はその場にいなかった。
「さあて、それではみなさん」
呼びかけの声を聞いて、意識が覚醒する。
奇妙な感覚だった。
目を開ける。
しかし、その直前まで自分が目を閉じていたかどうかは判らなかった。
閉じていないならば、開けてはいない。それは開いていたのだ。
わからない。
わからないことを言っている自覚はある。
それでも、自分には目を閉じた記憶がないのだ。
いつのまにか眠っていたような心地。
ただ、自分は立っている。
バランス感覚には自信があるが、支えも無しに立ち寝できる程とは思えない。
まるで、先ほどの声を聞いて初めて、自分がこの空間に存在することを思い出したような。
もしくは、声を聞いた瞬間にこの空間に出現したような。
フイルムが唐突に切り替わったような印象だ。
白昼夢にでも出くわしたような気分でもある。
事実、視界もはっきりしない。
ちがう。
ぼんやりと、意識の下で否定する。
視界がぼやけているのではない。
この空間がぼやけているのだ。
この空間が、というよりもこの空間を構成するもの全てが、いまだ自分がここに存在していることを自覚していないような。
すべての情報が曖昧だ。
最も速い光情報すら、自分の存在に自信を持てていない。
ふと、自分が目覚めてから息をしていないことに気付いた。
してから初めて、苦しさを意識する。
息をしようとして、吸うべきか、吐くべきかを迷う。
自分は最後にどちらを行ったのだろう?
「──────ふ」
結局、吐息は失笑として漏れた。
すると、呼気に触れた空間が明瞭になった。
存在が確たるものになったと言えばいいのか。
それでも息の届く範囲など高が知れている。
目を閉じる。
思考に沈む。
深く、
深く、
自分の中へ。
いつかと同じ感覚。
伽藍の
洞。
ただ、今回は、最初から自分ひとりだ。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
自分?
自分とは誰だ?
(私は────)
違う。
(わたしは────)
ちがう!
「オレは、両儀式だ」
自分の名を、静かに宣明する。
それでも、力の篭もった宣明だ。
言葉が世界に触れる。
自分の存在をこの空間に認めさせたことを感じる。
すると突然、ざらりとした着物の肌触りと、その上に羽織った滑らかなジャケットの首筋に触れる感覚が生まれる。
閉じていた目を見開く。
見えた世界は闡明としていた。
しかしまだ、夢の中にいるような気分は抜けなかった。
違和感の正体に気付く。
線がないのだ。
『モノの死』を顕す『死の線』。
それが一本も見えない。
普段特に気になるものでもないが、やはり無いと奇妙な感じがする。
少なくとも、自分がこうなってからは、初めてのことだ。
眼に映る、その線の無い世界は、またやはり奇妙な空間だった。
薄ぼんやりと、光源の判らない、青い光に照らされた闇の空間。
広さも深さも分からない闇の空間の底から、幾本もの柱が伸びている。
円柱状の柱だ。
ただし、その柱は見えない天上を支えているということはなく、途中でぷっつりと途切れている。
自分はその内の一本の丸い足場の上に立っている。
そして他の足場の上にも人影があった。
どの柱の上にもある。
ただ、ぜんぶが同じ影ではなく、10メートルを越す巨大なものから、子供サイズのものまである。
ちなみに、どの影にも線は見えない。
「さてさて。本日は──まあ、昨日でも明日でも明後日でもいいのですが、ともかく、この全異世界超越者最強決定戦へ強制的にご参加いただき、真に真に真しやかにありがとうございました」
周囲を見回していると、また、あの声が聞こえてきた。
高くも低くもない、男のような女のような声。
ただ真剣味がないことだけはわかる。
ふと、自分の中に生まれるものがあった。
(──────?)
その正体をつかめないままでも、かまわず声は続く。
「まあまあ、色々と七色ぐらいは訊きたいことがありますでしょうが、ひとまずは──」
「そのまえに」
自分勝手に、ともすれば独り言とも受け取られかねない、流れるような語りを堰きとめるものがいた。
門を下ろしたのは、式の近くの足場の上に立つ黒い影だ。
声からして男。若い男だ。
全員が黒いシルエット姿なので、その男本来の姿ではもちろんないだろうが、ほっそりとした体格と、それに張り付くような服──学ランだろうか?──のせいで、影法師のようになっていた。
その男が言う。
「せめて姿を見せて喋ってくれないか。そうでないと、聖書片手に祈りを唱えるしかないだろう?」
キザったらしい言い回しに眉をひそめる。
好きになれないタイプだ。
「ああ、これはこれは失礼を。慣れぬことでうっかり失念しておりました」
姿の見えない声が言い終わると同時、闇の一部分が、スポットライトを当てられたかのように明るくなる。
そこに人影があった。
気付くと、その光の中の人影を囲むように円柱が立っている。
最初から円柱がそのように配置されていたかはわからない。
初めから円を描くような並びだったかもしれないし、そうでないかもしれない。
ともかく今は、円を描くように並んだ幾本もの柱に囲まれるように、その人影があった。
光に慣れてくると、人影の容貌が明らかになってきた。
否。
人ではない。
人型ではあるが、そうではない。
──ひもだった。
ひもでできた人形。
子供サイズのそれがひょろひょろと風もないのに揺れている。
ちなみに、これにも線は見えない。
「知覚できる姿をとるのは初めてなので、いまいち勝手が分かりませんが、まあ暫定的にこのようなものでいいでしょう」
声は先ほど聞こえていたものと同じだった。
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」
意味がよくわからない。
眉間を押さえる。
しわが寄っていた。
「・・・・・・まさか、ヒュキオエラ王子じゃねえだろうな?」
別の黒い影の一人が冷たい沈黙を破る。
破りきれていなかったが。
ともかく、その者もまた男だった。
先の男よりは落ち着きの感じられる声の持ち主。
ただなんとなく、他の者と同じ黒い影の姿でありながら、なぜだかその真っ黒クロスケがしっくりくる。
「ふううむ。お気に召さないならこういうのはどうでしょう?」
口のないひも人形がどこからか声を出すと同時、空間が暗転する。
そして言い終わるころには、また薄い明かりが点っていた。
舞台の中心に照らし出されたもの。今度は────
「・・・・・・ネギだ」
どの影がわからないが、女性が呟く。
妙に高い声だ。
それはともかく、女性の言うとおり、それはネギだった。
雪のように白い根と茎の先に、青々とした葉が伸びている。その先端には坊主頭のような白い花が咲いている。
人の形すら取っていない。
「そ、そんな・・・・・・・・・・・・」
先ほどの女性が信じられない物を見たというように声を洩らす。
今度はどの影が喋っているのかが判った。
式が立つ足場より、中央の舞台を挟んでほぼ正反対に位置する足場の上に立つ影だ。
その女性も大まかなシルエットしか知れないが、長いというよりも巨大と飾るしかないツインテールは印象的だった。
その女性はどうやら声音以上に動揺しているのか、頭を抱えていた。
続けて言葉をしぼり出す。
「なんてことを・・・・・・ネギに花は邪道なんですよ! 何でそんなことが判らないんですか!? それにそのネギ、根と茎の部分が残ってるじゃないですか! 根から上1センチの茎までは食用じゃないんですよ! その上の白い部分から青いところが葉っぱで、食用なんです!」
「「「・・・・・・・・・・・・」」」
とりあえず、この少女のネギに対する想いは十分に伝わった。
先ほどとは毛色の違う、ただ重さだけは同じ沈黙がのしかかる。
決してコロせないものだから始末が悪い。
「ふうむ。よくわかりませんが、白ネギなのがいけなかったんでしょうか」
そこは問題ではないと思うが、どちらの理由でも問題視すべきだろう。
そもそも、そういう問題ではない。
「ではこういうのは」
また暗転。
そして点灯。
次は────
「「「ひっ」」」
その姿を見た者──女性だと思われる──が身を縮こまらせ、数歩引き下がる。
自分も息くらいは呑んだかもしれない。
「・・・・・・なんと面妖な」
「妖怪か?」
また違う男が呻くように言う。
それは、なんというか、軟体だった。
液体のようだが、そうでもなく、また固体でもない。
「アメーバか」
誰かがその正体を言う。
────そう。
それは既存の生物に当てはめるならアメーバだった。
それも昔の映画に出てきそうな、巨大なヤツである。
半透明で、不気味な質感を持つそれが、粘着質な音を立てながら人間の形態を取ろうとしては、べちゃりと崩れていく。
ズグググ。と持ち上がって、頭部や腕を生やすが、ボチャッと糸が切れたかのように貼りつく、というのをただひたすら繰り返している。
ヒトのなりそこないが、必死に人間の摸倣をする。
胸が急に重くなってきた。
下腹部が冷たくなってくる。
「き、気持ち悪い・・・・・・」
誰かが全員の意思を表明する。
本音だ。
「これもだめですか。それならちょっと趣向を変えてみましょう」
三度の暗転で、醜いものが見えなくなる。
そして、また薄明かりが視界を復帰させる。
「「「────ふひぃぃ」」」
舞台の上にあるそれの姿を見て、襲いくる生理的嫌悪感に恐々としていたものたちが、あからさまに安堵の息をつく。
それはネコだった。
燕尾服を身にまとい、シルクハットをかぶっている。
猫の種類は有名どころしか知らないが、それでも、そのネコが既存に当てはまるモノではないと判る。
まず、そのネコは服の下に包帯を巻いていた。
グルグルと、もとの毛並みが見えないほどに、顔にまで巻かれている。
白き拘束から逃れた左の耳で、ようやく虎ネコと判るくらいだ。
白い包帯と黒の服がなんともミスマッチである。
もはや当然のように、これまでと同じで線は見えなかった。
大きな瞳と、ナッツのような形の黒い鼻が、その顔が被り物ではないことを証明している。
細く、銀色にも見えるヒゲを動かしながら、ネコが絵本に出てきそうな大きな口を開く。
「ふむふむ。反応は上々のようで。それでは仕切り直しといたしまして、この度はこの、全異世界超越者最強決定戦に拒否権なくご参加いただき、大変それとなく感謝いたします」
「それとなくって・・・・・・」
誰かが呆れたように言う。
そして他の誰かは、
「拒否権なくっていうのは後で問いただすとして、なんだ、その、全異世界超越者なんたらってのは?」
心底、疑わしげに問う。
「ああ。まずはこちらの話を聞いて貰いたいのですが、まあいいでしょう。全異世界超越者最強決定戦とはその名のとおり、とりあえず強い者同士戦わせて、誰が一番強いのか、すなわち最強であるか確かめてみようというものですよ」
ネコが答えるが、あまりにもそのままな答えだ。
質問主は、それ以上の収穫は得られないと判断したのか口をつぐむ。
しかし、ペンは剣よりも強い。
災いの元を受け継いだ別の者が問う。
「それじゃ、異世界ってのは?」
「それも名前どおり、異なる世界ということですよ。まあ中には平行世界の者も混じっているでしょうが、普通は交わることのない者たちを集めてみました」
「信じるとでも?」
「突拍子もない話だと思われるでしょうが、事実なもので。それに、嘘だとしてもどうせここからは出られませんし」
「「「は?」」」
さらりと、聞き逃せないことを言われた。
「出られないって、どういうこと?」
また別の女性が、怒りをたたえた声音で静かに詳細を求める。
「そのままでございますよ。ここにはここのルールがあるのですから。おっと、そんなことをしても無駄ですよ。この空間はあらゆる事象から切り離されているのですから」
一つの黒い影に向かって言う。
何かをしたようには見えなかったが、この空間から脱出しようとしたのだろう。
その影もまた、黒いその姿がとてもよく似合っていた。
まるで普段から同じような色合いの服を着ているかのようだ。
「さて、とりあえずルールの説明をしましょう。ひとまずお聞きください」
手を顔の前まで上げて、人差し指を立てる。
沈殿した澱を掻き乱すように。
蝶のとまり木のように。
舞を預けるには、あまりに
気怠げなそれ。
「まず一つ目、えーと。私、俺、僕、わし、わたくし? まあどれでもいいですが、ともかく許可なしにこの空間からは逃れられません」
朗々と、空間を声で侵す。
譜面を詠みあげるように。
産む旋律は単色の虹橋か。
ただ無言で周囲をとり、目を回すように回転する。
一拍置いて、誰の声も上がらないことを確認して続ける。
「二つ目、許可をもらうには、ここにいる全員と戦って、勝ち残ってください。そして三つ目、勝ち残った者には元の世界に帰れるように計らうだけでなく、願いを一つ叶えて差し上げましょう」
中指、親指と伸ばしていく。
戦え。
勝った者には望みを実現する権利を。
そいつはなんとも──
「魔的だな」
絵本にあるような、単純な約束。
呪いめいた話。
「以上でルールの説明を終わりますが、なにかご質問などありまするでしょうか?」
呪詛のコトダマを吐き出し終え、
形式ばかりの民主を気取る。
一番手を挙げたのは、背の低い影だった。
「あのよ、最強つってもさ、オレの世界には人類最強なんて馬鹿げたヤツがいるんだけど。そっち呼べよ」
人類最強。
なんともふざけた名称である。
しかし、背の低い影の──少年だと思われる──声音にふざけた調子はない。
いたって普通に、なんでもないことのようにフザケた名称を口にしている。
「いえいえ。まあそれも考えたのですが、正直、彼女はまだ扱えきれませんからね。いやはや、この企画自体、友人がやっているのを見て真似てみたのですが、うまくはいきませんなあ」
「・・・・・・ふーん。なるほどねえ。かははっ。傑作だぜ」
答えになっていないようなことを言うネコに、しかし少年は満足したかのように笑う。
「しかしそれでも、一番強いヤツを呼ぶべきではないのか。オレは一度、オレより強いヤツに負けたんだが」
次は巨大な影だった。
10メートルをこすような巨体。
頭部には巨大な角が二本ついている。
「問題ありませんよ。確かにあなたより強い者は多くいるでしょうが、あなたは一度負けたからこそ選ばれたのです。あとは・・・・・・そう、流行ですからね」
これにもやはり曖昧な答え方をする。
「あのお、わたし、まだロールアウト前なんですけど」
「趣味です」
おずおずと声を上げた、左右非対称の長さのツインテールという奇妙な髪形をした少女に、これ以上ないほど単純な答えを返す。
はじめて本音が聞けたかもしれない。
そう思えるほどの明快さだった。
「そ、そうなんですか・・・・・・」
どうしようもない理由に、すごすごと少女が引き下がる。
「あなたはアマワではないのね」
また別の、とはいってもさっき聞いたような声の女が、今度は静かに問いかける。
「ええ。違います。ここは時の流れからも隔絶された錯覚のような場所ですので、未来に存在を約束されたカレといえど干渉できませんので。もちろん時空管理局も」
「・・・・・・そう」
言っていることは理解できないが、ともかく女は納得したようだった。
そして、時空管理局という単語に反応したのか、別の少女が一人身じろぎする。
「・・・・・・・・・・・・なあ」
「はい、なんでしょう?」
次は男だった。
包帯ネコがヒモ人形の姿を取ったときに、真っ先に声を上げた男だ。
「どうもなんか前も似たようなことを体験した覚えがあるんだが・・・・・・お前、キースじゃねえだろうな?」
「もちろんちがいますよ、黒魔術士殿」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
納得できないのか、男が押し黙る。
いや黒魔術師と言ったか。
(燈子と同業のヤツか?)
胸中で訝しむが、たいして興味が湧いたわけでもなく、どうでもいいかと切り捨てる。
「まあいい。ともかく俺は忙しいんだ。時間軸からは隔絶されていると言ったが、元の世界に戻ったときはどうなるんだ」
「おや、もう帰るときの心配ですか。気が早いですね」
ネコの言うことも最もだが、黒魔術師の質問も、確かに気になるところだ。
自分は確か、最後にアイスを食べようとしていた気がする。
特段好んで食べる物ではないが、せっかく珍しく食べようという気になったのだ。
溶かすのはもったいない。
ネコは渋ることもなく口を続けた。
「まあいいでしょう。ご安心下さい。この空間に呼ばれる前と同じ状態に戻れますよ」
なるほど。
ご都合主義な感じがするが、便利でもある。
「倒す、の定義はどうなんだ?」
「ああ、そうですね。戦えなくなる、でどうですかね」
なんともあやふやな定義である。
まったくもって、この空間に相応しい。
底辺も
上限も定まってはいない。
瞬きをすれば、そのまま風に消えてしまいそうな楼閣。
「オイコラ」
次に声を発したのは────小さすぎる影。
「クロネコ?」
いや、色はわからないが、とにかくネコであるように思えた。
差別化をはかるために、あえてクロネコとしよう。
小さすぎて、いままで気がつかなかった。
「これ全部ドッキリでしたーなんてことならさっさと今のうちにネタバラシしな。全身蜂の巣で済ましてやるから」
物騒なことを言うクロネコだった。
そもそもなんでクロネコが喋っているのだろう。
いまさらだが。
「いいえ。残念ながらドッキリではありません。これはすべて現実で夢の錯覚なのですよ」
包帯ネコは首を横に振る。
なんとも悲しいことだと言わんばかりの仕草である。
仕草だけだろうが。
「さて、時間はわかりませんが、随分と容量を食ってしまったようなので、そろそろ始めるといたしましょう」
が、一転して両の手を、天を引き摺り下ろすかのように頭上に上げ、高らかに宣言する。
「ルールは最初に上げた三つを侵さないものなら何でもあり。戦場は・・・・・・閉鎖空間にしようかとも思いましたが、ここは健康的に外出して無人島らしき処にいたしましょう」
「ちょっとまってくれ」
「・・・・・・なんですか」
自分に酔っていたところを邪魔されたからか、不機嫌そうに男の声に応える。
「意味がさっぱりわからないんだが・・・・・・なんの絡繰りなんだ、これは?」
絡繰り、とは時代錯誤なことを言う男だった。
それも今までの説明を全て無駄にするようなことを。
しかしネコは納得したように、
「ああ、あなたは最も古い時代から呼び寄せたのでした。理解が追いつかぬのも仕方ないでしょう」
いったいいつの時代の人間なのか。
ネコと男の口振りから、魔術とは無縁の世界なのだろう。
「簡単に言ってしまいますと、ともかく全員倒せばいいのですよ」
────そうだ。
ネコが自分に巻かれた包帯の端を握って引く。
それだけで包帯ははらはらと解けていった。
「それでは、戦闘の準備ができた者からその柱より一歩、足を踏み出してください。なあに、落ちる心配はありません。戦場へとそのまま跳ばされますので。あ。ちなみに、踏み出した時間に関係なく、開始は全員一緒ですからね」
最後のほうのネコの言葉はほとんど消えかけていた。
というのも、ネコの身体が消えかけていたからだ。
いや、ネコではない。
解けていく包帯の下には何もなかった。
空虚なる闇。
燕尾服とシルクハットがばさりと落ちる。
空に浮いた形となった腕は、それでもなお包帯の端を握ったままで、終いにはその腕の包帯も解けて消えていく。
後に残ったのはマンガのような大きな口と、虎柄の左耳だけである。
下品なまでに開かれた口がかすれた声で言う。
「さあ、それでは、偉大でもなんでもありませんが、初めの一歩をどうぞ。そして、“最強”の答えを示してください」
言い終えた途端、左耳がクラッカーのように爆発して、まばゆい光を放つ。
目を焼く光が収まるもを待つこともなく、式は一歩を踏み出した。
足場の中から、奈落の底へむかって。
「────ようは全員殺せばいいんだろう?」
踏み出した足が何かを捉えた。
暗転。