踏み出した足に感じたのは、カサリと草の潰れる音だった。
目を開ける。
閉じた覚えはなかったが、それでも、目蓋を上げるのと似たような感覚を認識する。
「わあ──────」
目に飛び込んできた緑に、思わず感嘆の声を上げる。
鮮やかな緑だ。
最近はとんと見なかった色である。
周囲は見渡す限り、濃い緑に覆われていて、天を仰ぐと反り立った木々の隙間から木漏れ日が降りかかってくる。
眩しさに目を細める。
「すう────」
息を肺いっぱいにすう。
「ああー・・・・・・・・・・・・」
青々とした匂いに頭がくらくらする。
しかし決して気分が悪いわけではない。
「いーにほい」
うっとりとした笑顔でこぼす。
「ん?」
手を大きく広げてもう一度深呼吸しようとした時に、自分が両手に何かを握っていることに気付いた。
オートバイだ。そのハンドル。
いつも自分が使っている。
主に逃げるときやにげる時に。
車体には、日本刀のような形状をしたサーベルが鞘に入った状態で括りつけてある。
とはいっても、すぐに外せるようにはなっているが。
そして、背中にずしりとした重み。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
見なくてもわかる。
自分の一番の相棒。
慣れ親しんだ感触。
丸太を背負ったような重みはそのまま信頼に。
これで戦ってきたのだ。今まで。
「そうだ。わたしは────」
意識を切り替える。
周囲を先ほどとは違う目で見渡す。
怪しい気配はない。
といっても、それほどそんなあやふやなものに敏感なわけでもない。
油断はできない。
とはいえ。
「はあ〜。やっぱりすごいなー」
やっぱり見惚れる。
見渡す限りの緑。
まばらに混じる、名前も知らない小さな花はアクセントに。
「ええと、つまりは、ええと──」
言いよどむ。
言葉に迷う。
思い出す。
「そう、もり、森よね。森。うん。森だ」
ひとりもりもり言ってみる。
あの鎖で覆われた“崩れゆく世界”に“フォール”してしまってからは、まったく見なかったので、言い表す言葉を忘れてしまっていた。
“崩れゆく世界”には、せいぜい枯れ果ててぼろぼろになった倒れ木しかなかったのだ。
おかげで暖をとるのにはそれほど困らなかったが。
「それにしても、いったいなんなのよ?」
腰に手を当てて、不満顔でひとりごちる。
「星が降ってきたと思ったら、いきなり変な世界に“フォール”させられてさ、しかもなんか襲われるし。そいでどうにか頑張ろうって前向きなったところでまた変な空間に呼ばれて、あまつさえ、あ、あんな、キ、キモチワルイモノ見せられるし・・・・・・」
脳裏に甦ってきた、此の世のものとは思えない動作を繰り返していた軟体動物に寒気を感じて、両手で身体を抱きしめる。
「・・・・・・そ、それでまた戦えなんてさ」
あの場にいた全員と。
20人近くはいただろうか。
「でも」
包帯ネコの言っていたことを考える。
曰く、勝てば願いをかなえてやるという。
「ランプの魔精かってーの」
三つじゃなくて一つだけど。
それでも胡散臭さが三分の一になったりはしない。
一つ目の願いを二つ目で取り消すことができないだけ倍増だ。
それでも。
「願いかあ」
願いごと。
お願いしたいことはある。
それこそ流れ星に頼るほどに。
3回どころか10回くらい唱える準備はできている。
『易』の字を見たら、ふらふら〜と足を向けてしまうことは必至だ。
壺も勧められたら買ってしまうかもしれない。
お香は好きじゃないから買わないとは思う。
断言はできないが。
幸い、崩れゆく世界にそんな気の利いたものはなかったが。
「やっぱり、元の世界に帰りたいよね・・・・・・」
また友達と、友人と、親友と笑いあいたい。
一緒にカラオケ行って、買い食いしたりして遊びたい。
小うるさいお母さんにも、愛想のない父さんの顔も見たい。
部活へ出て、ちっとも上達しないベースのことで嫌味を言われるのもいい。
テストに四苦八苦するのでもいい。
ボーイフレンドもまだいないのに。
「こちとら花も恥らう女子コーセーだってーの」
頑丈なブーツで地面を蹴る。
ドッゴオオオオオォォォォォォォーーーーンッ!!!「ええっ!?」
すさまじい爆音が響きわたった。
蹴りつけた地面から、
ではもちろんなく、森の奥からである。
びっくりして思わず、わき腹の大きな傷痕を押さえる。
悪いクセだとはわかっているが、なかなかなおらないものだ。
「なっ、なに!?」
ここからは見えないが、何かがぶつかりあう音と、木々が倒れる音とが耳に入ってくる。
「も、もう戦闘が始まってるの!?」
バイクのハンドルを手に、迷う。
てのひらが汗ばむのを感じる。
一刻も早くここから離れるべきだとは思う。
それでも、相手のことは知っておきたい。
いずれ戦う相手なのだから。
音から察するに、
「ずいぶん激しく戦ってる? これならこそ〜と行けば気付かれないか、な?」
迷う。
迷う。
大いに迷う。
「逃げた先にすごいのがいたらイヤだしなー」
包帯ネコが言うには無人島であるこの島がどれほど大きいかは知らないが、このバトルロイヤルに参加している人数を考えれば、十分にありうる可能性である。
おとがいに手を当ててさらに迷う。
うーんと迷う。
うんうん迷う。
うーむむ迷う。
迷いに迷って。
「ぃよし!」
気合をひとつ。
ハンドルをぎゅっと握りなおす。
そして、
音を立てないようにオートバイを手で押しながら、激音響く方向へと足早に歩いていった。
結局、音の発生点は森の奥ではなかった。
森を抜けたところにある、白い砂浜が広がる海岸だった。
塩によって枯れてしまった木がところどころで膝をついていることで、なだらかに伸びる海岸線が若干殺風景に見えてしまっている。
それでも、あの殺気立った殺風景な“崩れゆく世界”には遠く及ばないが。
とはいえ、殺気立っているという点ではこの海岸も負けていないかもしれない。
巨人がいた。
正しく言うなら巨大なロボットだ。
黒い素体に白亜の鎧を身に着けたようないでたちである。
しかし、騎士というような印象ではなく、なぜだか傭兵という言葉がしっくりくる。
鎧のような形状とは裏腹にほっそりとしたそのボディには、裾がふたまたに裂け広がった白いコートのようなものを羽織っている。
顔から胴体の黒い部分にかけては、赤い線が幾何学的に張り巡らされ、奇怪に彩っている。
その頭部には、紫色のたてがみのような、もしくはセブンのアイスラッガーをよりギザギザにして、後部を引き延ばしたようなものが、長い髪の毛のごとく足元まで垂れ下がっている。
ただそれだけが異様に太い腕には、拘束具らしい、トゲのついた腕輪が嵌められている。
そして右腕には、切断するというよりも、圧砕するのにつかわれそうな巨大な剣が握られている。
踏み出された巨大な足が、海水を白く攪拌する。
その左足に体重を乗せ、手にした紫の光刃の大剣を巨人が悠々と振り抜く。
光の軌跡に標的はいない。
そこより十数メートル離れた上空に、その姿はあった。
陽の光を受けてもなお暗黒のボディ。
返り血が固まってこびりついたかのような黒さ。
禍々しささえ感じられるその造型。
鞭のような尻尾が生えている。
死神の鎌のようだ。
あるいは悪魔か。
気のせいか、周囲の空間が歪んで見える。
鎧を纏ったロボットと比べると小さく見えるが、それでも人よりははるかに巨大なその身体を宙に舞わせ、空の青さを汚すかのように飛び回っている。
巨人の剣が届かぬ距離。
しかし、剣より発せられた紫色の剣撃波が因果を結びつける。
すなわち、
剣戟によって斬られるということ。
その関係を解消すべく、黒いロボットが身体を捻じり、迫り来る刃を避ける。
そのまま流れるように地上の白いロボットに突進し、手にしたライフルのようなものから砲弾を放つ。
ボボボボボボボボボボボボボボボ!! 何十発も連射されたそれは、一つ残らず顔や胴体など色々な場所に命中し、大きな水しぶきが上がる。
エネルギーの余波でだろうか、水蒸気が鎧のロボットの姿を隠す。
しかし、
──グ・・・・・・オオオオオ・・・・・・オオオオオオ──
唸り声が響きわたる。
蒸気の奥、ちょうど顔があったところの白が渦巻き、濃緑に光る。
光は凝縮し、光球となる。
そして、光が発射された。
ビームか、あるいはレーザーか。
ともかく強力なエネルギー波が空を裂き、黒きロボットへと飛ぶ。
当たると思われたその攻撃はしかし、予測していたかのようにまたしても避けられ、反撃される。
とはいえ今度は白いロボットも大剣を楯として、砲撃を防ぐ。
そして、その攻防でいまだ漂っていた蒸気が消し飛ぶ。
先と今と、砲撃が直撃した白きロボットの姿があらわになる。
「・・・・・・うっわ。キズひとつないじゃない」
隠れた草むらからのぞきながら思わずこぼす。
身に纏った鎧にはどこにも損傷が見られなかった。
いったいどのような材質なのか。
バリアらしきものは特に張られていないように映る。
「すっごいヤバイのがこっちにいたじゃないの。どうやったらあんなの倒せるのよ」
冷汗をかきながら、万が一にも発見されないようより深く隠れる。
とりあえず自分には無理。と他人まかせにしているうちにも、黒と白の激戦は続く。
黒が連射し、無傷の白が反撃としてレーザーを発射したり、剣撃を飛ばしたりする。
黒がそれらの攻撃をかすらせることもなく華麗にかわし、反撃する。
この繰り返しである。
だが、状況は黒いロボットの不利に思えた。
というのも、損傷しているのだ。黒が。
最初に聞こえてきたあの激音。
そのときに不意打ちでも食らったのか、ときどき危なげな動きをする。
──グオオオオオオオオオオ──
白いロボットが再び咆哮する。
そして次の瞬間には、手にしている大剣を思い切り投げつけていた。
回転しながら飛翔してくるその巨大な攻撃はさすがに予想していなかったのか、急加速してかろうじて範囲外に逃れる。
白いロボットは、そのために体勢を大きく崩してしまった黒に、鉤爪のついた手を向けている。
そして、その掌からリング状の弾が発射された。
真ん中がドーナツのようにくり抜かれているものの、幾重にも重ねられ、隙間なく、網のように広がって、避ける術はない。
点ではなく、面による攻撃。
蹂躙するかのように黒に迫る。
黒は何の動きも見せない。
あきらめたのか。
どちらにしろ弾はもう止まらない。
直撃すると思われた瞬間、
黒の姿がかき消えた。
「え・・・・・・?」
疑問の声が洩れる。
透明になったわけではないだろう。
そんなことをしても意味はない。
ワープ?
瞬間移動?
加速装置?
いずれにしろ、消えた姿はどこにも現れない。
「いったいどこに・・・・・・・・・・・・」
呟いた瞬間だった。
圧倒的な質量をともなった何かを感じた。
自分の頭上に。
「へ・・・・・・?」
ゆっくりと顔を上げる。
そこにそれはあった。
黒。
近くで見るとその禍々しさがよりいっそうよく分かる。
肩に赤い紋章のようなものが刻まれているのを発見した。
あまりの近さから感じる死の気配に呼吸を止めてしまう。
地獄にいそうなその黒は美しく、吸い込まれてしまいそうだった。
そうやって魂を奪うのだろう。
──瞬間よ止まれ。お前は美しい。──
胸に浮かんだ言葉。
ファウストを読んだときには理解できなかった言葉。
その言葉が今なら理解できる。
いまだからこそ。
この瞬間が過ぎ去ってしまえばきっとわからなくなる。
ただ、この言葉はわたしが発したものじゃない。
黒いロボットから感じられたものだ。
無機質な黒いロボットは、なぜだか泣きそうに見えた。
過ぎ去ってしまった時間を嘆くように。
瞬間を止める方法を探し続けているかのように。
あるいは──────
グオオオッ!! 黒いロボットが爆発したかのように動く。
突風が吹き荒れ、緑の葉が巣立つ。
「わっ!」
暴れる髪を押さえて、目を細くする。
狭まった視界に、白に突撃する黒の姿が映る。
実際、頭上に留まっていた時間は一秒にも満たないだろう。
証拠に、息を止めていたというのにまったく苦しくない。
黒の軌道は愚直なほどに真っ直ぐで、矢のようだった。
攻撃もまた単純。
勢いに任せて、握った拳で抉るように打つ。穿つ。
ドゴンッ! 拳が白い鎧の胴に突き刺さったように見えた。
──グ・・・・・・オ、オオオオ──
動かぬ口からしぼり出された声は断末魔か。
ゴッドォンッ!! 太い両腕が、外れて地面に突き刺さる。
アタックをかけた黒いロボットも限界がきていたのか、ボロボロとその外装が剥がれ、中からピンク色が覗く。
どうやら鎧を着込んでいたのはこちらもらしい。
緊張が緩む。
一戦を終えた雰囲気が漂う。
が、
──グゥゥオオオオオオオオ──
再びの、今度は紛うことなき雄叫び。
そこからは一瞬だった。
外れたはずの腕が浮き上がったかと思うと、その鉤爪でガッシリと鎧のなくなった黒──今はピンクだが──の肩部分を掴む。
そして、
ドッゴッオオオオオオオオオオオオオンッ!!!! 零距離で、あのリング状の弾を撃たれたのだろう。
黒が鉤爪に肩と腕部分を残して、引きちぎられ、粘性の黒いオイルを撒きながら凄い勢いできりもみに飛んでいく。
いや、飛んでくる。
「えええええええええっ!?」
爆発寸前の爆弾のような状態の黒いロボットが頭上に降ってくる。
「ひっ──」
さらに、白いロボットの無い眼と、ばっちり目が合ったような気がする。
いや、ぜったいにこっちを見た。
次なる標的・・・・・・?
「いやあああ!」
半泣きになりながら、バイクに飛び乗って急発進する。
案の定、追撃してくる音がする。
背後で地面の爆発する音もする。
さっきの黒いロボットが爆発する音も聞こえる。
ぜったいに振り向かないから詳しくはわからないけど、ぜったいに狙われていることだけはわかる。ぜったいだ。
「やっぱりこっちにこなきゃよかった〜!」
後の祭り。
昔の特撮番組のように、爆散する地面を避けてさらに加速して、再び森の中へ。
奇跡的な反射神経で、乱雑に立つ木々をかわしながら奥へ奥へと。
土砂と雑草が顔の高さまで抉られ上がる。
露で濡れた土にタイヤを取られながら、自分でも意味のわからない絶叫を上げながら転がるように走る。
ズウウゥゥウゥウウン 背後で、
木が倒れる音がした。
「た〜す〜け〜て〜!」
本泣きである。
そこに、
「俺が呼ぶ。わしが呼ぶ。僕が呼ぶ。悪を死滅させろとわたしを呼ぶ。エスパー戦隊参上!」
「それって呼ばれもしないのに勝手に来てでしゃばってるだけじゃあきゃああああっ──」
聞こえてきた口上にとっさにつっこみを入れるも、飛来してきた何かに、思い切りよく吹き飛ばされた。