風が流れた。
葉が揺れ、ざわめく。
そこそこの背を持つ下草は騒ぐことはないが、互いの体をぶつけ、ささやき合う。
ザアアアアアアアァァァァァァ──── 緑が波に揺れる。
しかし、凪いだ風が運んできたのは音だけではなかった。
流れの中。
鼻から実体のない気泡を吸い込む。
「・・・・・・くせえな」
感じたのは確かな異臭。
矢状面より吹き付けてくる風を睨みつけ、向かいに逆らい、匂いの元を手繰り寄せるように追う。
草を踏みつけるのは、つっかけたサンダル。
すらりとした足はジーパンが、上半身は長袖の上に半袖を重ね着し、耳には円盤のようなピアスがあった。
額の、白毫のようなほくろが天然のアクセントとなっている。
いかにもな、カジュアルな格好をした女。
その体躯もまるでモデルのようにスタイルがよく、世の男性が放っておけなさそうな素質を持っている。
しかし手を出すことはないだろう。
なぜなら、その挙動はどこか男性じみており、一言で表すなら野暮ったい雰囲気をもっている。
長く伸ばした髪もポニーテールにというよりは、気が付いたらなんだか伸びていたので切るのももったいないから括っておいた。とでもいわんばかりだ。
さらにその目はまるで獲物を求めるようにきつく冷淡で、とてもおいそれと近づける気質ではない。
「ふんっ」
眉をひそめ、鼻を鳴らして前方を睨む。
しかし足取りは緩めず、そのまま歩く。
見えてきたのは赤。
赤い頭巾をかぶった少女だ。
何の冗談か犬を連れており、周囲には色とりどりの蝶々も侍らせている。
少女の顔には満面の笑みが張り付いている。
睨むように歩いてくる長身の女が見えているにもかかわらず、表情筋が痙攣しそうなほど動かさず、ある意味無表情と言ってもいい仮面の笑顔。
そしてお互いに、手を伸ばせば届くといったところで、ようやく止まる。
「テメー、ホントに人間か? 歪みすぎだぜ」
「んー。そういうあなたも、なんだかずいぶんと匂いが染み付いてるみたいだけど?」
挑発でもなく、ただ感想を述べる。
先に動いたのは赤ずきんだった。
「まあでも、消化器官は揃ってるんでしょう? はい、どうぞ」
バスケットから取り出したものを一方的に握らせる。
鮮やかな赤色。
触れるだけで濡れそうな光沢。
不完全な球体であるそれは、禁断とされるのも頷けるほどの出来栄えだった。
平たく言えばリンゴだ。
迷わず齧りたくなるような。
シュウウウゥゥゥゥゥ── ただし、ヘタは導火線となっているが。
赤ずきんはすでに後ろに転がって、頭をガードしている。
ドッオオオオオオオオオオオンッ!! 爆発。
黒が混じった炎がいくつもの球となって群れを作る。
煙は幕となって視界を覆う。
殺傷能力は十分。
死は免れ得ない。
しかし、
「慣れてんだよっ!!」
卵の殻を破るように、髪を尾にして引きながら、長身の女が炎の球を突き破り、突撃してくる。
特に負傷した様子はない。
「チィッ!」
赤ずきんはぶりっ子の仮面を引っ込め、凶悪に双眸を吊り上がらせて思いっきり舌打ちをする。
「赤いちゃんちゃんこ、もう一枚どうだよ!?」
「遠慮しとくよっ!!」
無手の長身が、左手で右手首を掴み、何らかの構えを見せる。
対する赤ずきんは、秘密がいっぱいのバスケットに手をまさぐりいれ、待ち構える。
両者がぶつかりあう、その瞬間──
────■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──── 背筋を悪寒がすり抜けた。
ぞっと、全身の毛が逆立つ。
本能に訴えかかる恐怖。
本能が訴えかける脅威。
全身の細胞が、危険だと告げる。
全体の空間が、異物だと告げる。
その直撃を受けた二人は、それでもにやりと笑い、気配の方向を見やる。
「この感じ、すごい大物そう・・・・・・賞金首!?」
「血の匂い、それも大量だな」
長身の女は舌なめずりをし、
赤ずきんにいたっては、目を$マークにして輝かせている。
両者とも、恐怖などを感じる器官は麻痺しているらしい。
そしてそのまま、死の気配の発生源へと走り出した。
狂ったように赫い光を吐き散らす満月の下。
戦いは凄惨の一言に尽き、
一言で表すには先に言葉が尽きる戦いだ。
一方的ではない虐殺。
数ではなく回数の殺戮。
訴える万感には、万言を重ねても届かず。
言葉は遠いばかりだ。
だから人と人は決してわかりあえない。
理解しえない。
繋がらない。
投げかけた飛ばした言葉の紙飛行機が、相手にたどり着く頃にはとうに相手は死んでいる。
断絶されている。
連ねた言葉はその本質にかすりもしない。
「ちっ。銀か。厄介だな・・・・・・」
ゆえに。
この言葉にも意味はない。
体のリズムを整えるための間取りみたいなものである。
背後から撃ち出された銀弾を、適当に拾った樹の棒でバランスを取りながらかわす。
敵は自分と同じ『主人』の吸血鬼。
いやだがしかし、やはり吸血鬼とヴァンパイアは異なるらしい。
ヴァンパイアであるところのアーカードは、自身の人型を崩し、血の壁となって自分を取り囲んでいる。
魎月も『変化』の力を駆使すればやってやれないことはないが、膨大な『血の力』を使うことになるだろう。
効率的であるとは思えない。
アーカードは血の壁の随所から自在に腕を生やし、手にした黒と白の大口径の銃で撃ってくる。
ただの銃弾ならばまったく問題はないのだが、いかんせん使用されている弾丸が銀で鋳造されているのである。
吸血鬼にとって弱点は伝承に記されるとおりだ。
すなわち、
『日光』
『十字架』
『水』
そして『銀』。
致命的なのは日光だが、次に厄介なのは銀だ。
銀によって『祝福』された傷は吸血鬼の再生能力をもってしても決して癒えない。
銀が触れた傷口を抉り取らなければならないのだ。
その間は力の源である血が垂れ流しとなってしまう。
祝える状況ではない。
逆を言えば、銀弾が当たっても即座に抉り出せばいいのだが、銃の連射速度を考えると、一瞬でも隙を見せれば蜂の巣になってしまうことは必須だ。
そしてどうやら、血の壁から生やせるのは腕だけではないらしい。
「おっと・・・・・・」
跳びかかってきた黒い狼を棒ではたき落とす。
アーカードもやはり伝承どおり、狼を生み出せるらしい。
こちらが出した狼は早々に飲み込まれてしまった。
血の壁のその内側に、狼の壁がまたぐるりと自分を取り囲んでいる。
狼自体はたいしたことはない。
狼の牙による攻撃ぐらいなら、致命傷でない限りすぐに『再生』する。
傷痕も残らない。残っていない。支障にはなっていない。
しかし、避けたり攻撃を食らって体勢を崩したところをすかさず銀弾で狙い撃ちされるのは痛い。
狼が今度は多数同時に飛び掛ってきた。
一匹目は体を捻って避け、二匹目は棒でいなし、三匹目は殴って逸らす。
その影に四匹目がいた。
かわせるタイミングではない。
しかし、方法はある。
体を『霧』化させる。
迫る狼の顎は『霧』を噛むに終わった。
『霧』となったまま少し離れたところに移動し、体を実体化させる。
実体化するときが、最も隙が多い。
それはアーカードもわかっているのだろう。
狼ではなく銀の弾幕が襲い掛かってきた。
こちらだって、わかっている。
だから最小の『血の力』だけを使って、霧の一部を小さな多数の『蝙蝠』として『変化』させて自分の体の前に壁として実体化させる。
蝙蝠の断末魔を聞きながら無事に足を地面につけ、また狼の相手をする。
すべてをこうして『霧』になってやり過ごせればいいのだが、『血の力』の消耗が激しすぎる。
何度もそうは使えない。
雄叫びをあげて勢いよく走り寄ってきた狼の醜い貌を目に入れながら、棒を構えなおす。
「!」
突然、狼の頭蓋が破裂した。
アーカードが狼ごと自分を撃ち抜いたのだと解ったのは、体に走った痛みを自覚してからだ。
「・・・・・・くっ」
当たったのは腕だ。
棒を持ったほう。
好機と見たのか、更なる隙を作るために、あるいは喉笛を噛み切るためにか、先よりも一回り大きい狼が襲い掛かって来る。
「・・・・・・・・・・・・っ!」
気合を吐く。
大きく開いた狼の顎に、持った棒を突っ込ませる。
自身のスピードと、こちらの踏み込みの分だけ棒は肉と固い骨を砕きながら貫通し、空間に縫いとめる。
「ふん」
そのまま棒ごと狼を振り回し、銀弾への盾とする。
大口径さながらの重い衝撃に揺れる狼の喉元に食らい付き、血を啜り上げる。
もはや美味いとも思えない血を吸い上げながら、棒を持ったのとは逆の手で、腕にめり込んだ銀弾を抉り取る。
「くだらないな」
その身に込められた血を吸い尽くされた狼を払い捨てながら、魎月は吐き捨てた。
そして改めて自分を囲う炎のように揺らめく血の壁をぐるりと見渡し、ある一点に向かって、振りかぶった棒を渾身の力で投擲した。
ボウガンで撃ち出されたかのような速度で空間を裂き、しかしボウガンの矢よりもはるかに太く、破壊力のある樹の棒はささくれだった先端を狼の血でぬめらせながら血の壁を粉砕するように貫────く前に、近くから生えた手に握られた二丁の銃で木っ端微塵にされてしまった。
魎月はそれに特に落胆するでもなく、自然体に戻る。
「異国の『主人』だというから、どんなものかと思えば・・・・・・こんな小技を弄するしか能がないのか?」
ぞっとするほど、熱のない無感情な声だった。
ただし、この場にこの程度で産毛を逆立てるような軟弱者は居ない。
「これはこれは失礼した。たしかに、どうも安全策をとってしまったようだ。私らしくもない。帰る場所があるというのも考え物だな」
声とともに。
魎月を取り囲んでいた狼が溶け、血に戻り、周囲の血の壁と同化していく。
血の壁から腕が生えた場所からは、壁の血を取り込みながらアーカードが姿を現していた。
「それにしても恐れ入ったな。あの状態からどうして私の心臓の位置がわかったのだ?」
砕け散った木片を踏みながら、アーカードが問う。
経験が無かったことなのだろう。
口元の笑みが薄らいでいた。
「べつに、大したことじゃない。ただ、『血の力』が一際濃いところを『感知』しただけだ」
「・・・・・・ふむ、なるほど。どうやら吸血鬼には、漠然としか感じられない気配を読む能力が独立して確立されているようだな」
「能力の違いといえば────他にも違いはあるのか?」
「どういう意味だ、それは?」
話の内容に興味を持ったのか、アーカードが食いつく。
話し始めた魎月はなぜかどうでもよさそうではあったが。
「先ほども言ったように、東と西の違いは大きい。だが吸血鬼とヴァンパイアの双方に似通った部分は多い。こういうのを難しい言葉では原型というらしいんが。となると、異なる部分にこそ文化圏の違いが現れるのではないのかと思っただけだよ」
「東と西か。飛行機には乗ったことはあるが、アジア圏には行ったことがないな、そういえば。プロテスタントやカトリックといった宗教にこだわる者が少ないからな」
「・・・・・・待て、今、飛行機と言ったか?」
「ああ。言ったが、それがどうかしたか?」
今までになく目つきを鋭くさせる魎月に、アーカードは針のとっかかり先がわからず聞き返す。
「水を、流水の上を越えることは平気なのか、ヴァンパイアは?」
吸血鬼は流れる水の上を渡ると『血の力』が激減する。
理由はわからないが、『血の力』とは吸血鬼が他者から血液を吸い出して自らの体に流れ込ませ、文字通り血肉と変えたもののことだ。
つまりは流れるもの。
そのあたりが関係していそうなのだが、どのみち弱点であることには変わりない。
流れていない水でも、すこしでも肌につけばただれてしまう。
吸血鬼にとって、『水』とはそれほどに恐ろしいものなのだ。
それなのに飛行機に乗るとは。海を越えないとしても、川を何本越えるかわかったものではない。
「ああ。そういうことか。いいや。もちろん並みのヴァンパイアは吸血鬼と同じく海を越えることは不可能だ。だが私も真祖ということもあり伊達に長くは生きてはいないしな。克服したさ」
魎月の言わんとするところが伝わったのか、アーカードは笑いながら、余裕ありげに答える。
魎月は顎に手を当てて、少し考えて。
「克服できるのか・・・・・・。なるほど、ご都合主義というヤツか」
結論が出たようだ。
東と西の違いの。
「その結びつけには今度はこちらが引っかかりを覚えるのだが・・・・・・まあいい。納得はしたのか?」
「ああ。おかげさまで。しかし、となると日光とかも克服したのか?」
「そうだ。日の光の中を大手を振って歩いているさ」
「羨ましいな。僕は最近になってようやく太陽の暖かさや眩しさを知って、いろいろと思うところがあったりもしたんだが・・・・・・。そうか。悲しいな。あれを知ってなお、戦い続けるしか道がないというのは」
太陽よりも格段に落ち着いた光を散らす赫い月を見上げながら、魎月は悲しそうにこぼす。
アーカードもつられるように月を見上げる。
満月はぬらりと、その巨大な一つ目で見返してきていた。
目を細める必要はない。
まぶしくないからだ。
「私たちの存在理由は、東も西も関係なく同じというわけか」
「・・・・・・・・・・・・」
すなわち、戦い。
闘いではない。
戦争の戦≠ナある。
そして今は、戦いの真最中である。
吸血鬼は、戦い以外のことはできないと言っても過言ではないほどに、血に飢えている。
飢えてしまっている。
喉を襲う渇きだけでなく。
自身も血を流し、乾いた地面を不浄に潤し、最後には相手の血を根こそぎ啜り上げるという戦いに飢えてしまっているのである。
寝ても覚めても。
冷めることはない。
恋人と逢瀬を通わせているときのように。
会わないときは一日千秋だ。
飢えて飢えて。
乾いて乾いて。
錠付きの鉄箱の奥底に仕舞い込み、人間のふりをしてみても、いつのまにか外に出てきている。
静かに、燠火のように、絶えることなく燃え続けている。
そしてそれはすぐに≪炎≫となる。
燃やして焦がして燃え広がって、自分が燃え尽きるまで止まらない。
周囲を根こそぎ焼き払ってしまう。
自分で止めることは出来ない。
自分が止まるしかない。
吸血鬼としての、化生としての本能である。
人と似た体を持ちながら、人とは違う。
その差異にこそ化生は生まれる。
産まれる。断末魔のような声を上げて。
化生は人の中には混じれない。
黒い毛皮に粉をまぶして羊の群れに入り込んだところで、我慢できずに自分から粉を振り落として襲い掛かってしまう。
そういうものだ。
克服できるものではない。
吸血鬼とて生物だ。
克服できないものだってある。
他にも。
そう。
「だが、いくら弱点を克服していったからって・・・・・・・・・・・・」
「ッッ!」
魎月が無感動で見つめる先。
ガシャリと黒と白の銃が地に落ちる。
アーカードがその笑みを潜め、空いた手で胸を抑える。
「ガッ、ハッ・・・・・・ァアッ!!!」
「────心臓を食い破られたら、死ぬだろう?」
血反吐を撒き散らし、シャツを赤く濡らしながら、アーカードが背を丸めて苦しむ。
膝を地面につけることはどうにか避けたようだ。
だがおびただしい量の血を流すその容態を見れば、いつ倒れてもおかしくない。
魎月はゆっくりと、警戒を緩めずにアーカードに近づいていく。
「お前だけが特別なのか知らないが、さすがに一固体として確立された存在だけあって、ヴァンパイアというものは吸血鬼よりも強いよう種族のだな」
ごぽりと、アーカードの左胸のあたりが不自然に膨らむ。
なにかが埋まっているかのように。
「言動を見ているとお前は生まれつき強かったようだし。自分より強い相手と戦ったことなんて数えるほどしか・・・・・・もしかしたら無いんじゃないか?」
左胸に埋まっている何かは蠢き、食い破って外に出ようとしているかのようだ。
アーカードの手の下で暴れつづけている。
「お前は強すぎるんだ。力に頼りすぎている。殺し方は知っていても、生き延び方を知らなさすぎるんだよ、若造」
ついにアーカードの左胸に埋まっていたもの──狼が皮を食い破ってその鼻面を覗かせた。
アーカードは自分の胸から生えるその狼の出ている部分を震える手で掴んで、引き抜き、握り潰す。
「・・・・・・・・・・・・なる・・・・・・ほど、ご教授痛み入ったよ・・・・・・。だが、いつのまにこんなものを・・・・・・?」
「おしゃべりが好きなのもいただけないな。だがいちおう言っておくと、最初にお前の狼が食いちぎった僕の狼。あれは死んでなかったんだよ」
アーカードの『血の力』が確かに弱まっているのを確認しながら、魎月はさらに近づく。
「『血』とは昔の考え方で言えば生命そのものだ。文献に残っているような、吸血鬼が発生し始めた頃の文明ではそう思うのも仕方ないだろう。お前も人とともに暮らしたことがあるなら献血用のパックから血を得ていたこともあるんじゃないか。そのときに感じなかったのか? 得られる力が少ないことに」
「・・・・・・・・・・・・たしかに、覚えはあるな」
「『生命』を奪うには、自由に操るには、その奪う相手を殺すか、それに近い形で屈服させなければならない。血を吸うということはその相手の生命を奪うということになるのだからな。だが献血用のパックではその条件は満たせない。それと同じだよ。狼が齧り取った程度の血肉では、人間ならいざ知らず、僕の────ましてや殺されてもいない僕の血肉を取り込んだところで、その『血』は僕のものだ」
「・・・・・・そうやって、私の中に・・・・・・自分の血を溜めていき、心臓近くで狼に変化させたというわけか・・・・・・」
「そうだ」
がしりと、魎月がアーカードの頭を掴んで持ち上げ、その青白い首をさらけ出させる。
「そしてその余裕ぶりを見ていればまだなにか策があるようだが。心臓を潰しても灰になる様子もないし・・・・・・。だがすべての血を吸い取ってやれば、灰になるだろう」
「・・・・・・・・・・・・ククク・・・・・・ハアッハッハッハガフゥッ・・・・・・」
「────?」
血を撒き散らしながら突然笑い出したアーカードに魎月もさすがに戸惑い、周囲に狼などを潜ませているのかと『感知』で探ってみる。
が、特に大きな反応は無い。
「たしかにおまえの言う通りだよ・・・・・・。さすがの私も・・・・・・この傷の再生には時間がかかる・・・・・・。手出しは出来ない。・・・・・・・・・・・・大人しく全存在を吸い尽くされるしかない。しかし────」
にやりと。
アーカードはその口を下品に歪める。
「私は最初に言ったはずだぞ。耳が遠くなったのか、それとももう忘れたのかご老体」
アーカードの笑みがよりいっそう深くなる。
そのとき、魎月の背筋に今まで感じたことも無いような種類の怖気が走った。
『感知』にはなんの反応も無い。
それなのに。
確かな、濃密な、鬼の気配。
「化物を殺すのは、いつだって人間なのだ、と」
ずん!! 魎月がなんらかの動きを見せるよりも早く、速くに、心臓がある部分をを刀が後ろから貫いた。
「あん? 強そうだからそうかなと思ったんだが・・・・・・四十八の妖怪の仲間じゃねえのか」
刺さったときと同じ速度で、刀が引き抜かれる。
刀を持っているのは一人の少女だ。
長身の。長い髪を後ろで適当に括っている。
魎月の口から血が一筋垂れ、
「コふっ──────」
血を吐いて倒れる。
アーカードはその前に、力の抜けた魎月の腕から抜け出し、距離をとった。
いまだに苦しそうではあったが。
それでも口元には笑みが浮かんでいる。
「ねー。ちょっとー。いきなりの乱入はさすがのあたしでもどうかと思うんだけど・・・・・・」
長身の少女の後ろから、赤ずきんをかぶった女の子が走り寄ってきた。
大型犬と中型犬の間のような体躯の犬を引き連れての登場である。
「うっせーなあ、赤ずきん。瞳$マークにしてわき目も振らずに爆走してたくせに」
「えぇー。そんなことないよー・・・・・・・・・・・・。っていうか赤ずきんじゃそっちの血色悪い不気味男と服の特徴かぶるから、ちゃんとバレッタって呼んでくんない?」
「お前なんかぶりっ子で十分なんだよ」
「ケンカ売ってるのぉ〜? ねえ、ねえ?」
漫才のような言い合いを繰りながら、アーカードに近づく二人。
アーカードはある程度回復したのか、背を丸めずに立って、気のない拍手さえしてみせた。
「見事な手並みだな。種族としての力はヴァンパイアより劣るとはいえ、戦闘経験豊富な吸血鬼を一撃で屠るとは。ただの人間とは思えない」
目を細め、改めて長身の少女の格好を観察する。
どこにでもいそうな、今時の少女である。
少し格好がラフすぎるが、そういうファッションであるといわれたら納得するかもしれない。
美人だからである。
ただし、その雰囲気は険しいが。
ニトログリセリンのようである。
「おや? そう言えば、先ほどの刀はどうしたんだ? 無手のようだが」
「はっ」
アーカードの問いを、少女は鼻で捨てる。
アーカードも気にした様子は無い。
「さて、それで。お前たちもなにか願いがあるのかな?」
今度は少女を二人とも視界に入れながら、再びアーカードが問う。
少女はまたも吐き捨てる。
「あのクソ猫の話か・・・・・・。くだらねえ。自分の願いぐらい自分で叶えるさ」
「う〜ん。そうねえぇ。あたしもお金があるにこしたことはないんだけど。そりゃ貰えるんならいくらでも貰いたいけど・・・・・・。でもやっぱり、こう、銃を突きつけてうばいとるっていうのが、ねー」
「ねー。じゃねえよ、このぶりっ子」
「・・・・・・・・・・・・」
無言の笑みでバレッタが少女を睨む。
口も目も笑っているのに、笑っているように見えないというのが恐ろしい。
「では、私とは戦う理由がないということかな?」
アーカードの三度の問い。
その言葉の内容とは裏腹に、その狂笑は戦闘を望んでいるように見えた。
ヴァンパイアの、化物の性。
「いいや。どっちにしろ、
化け物は殺す。全匹殺す。そして・・・・・・あいつもな」
「せっかくの獲物を見過ごすわけにもいかないしねぇー。ねぇ、今すぐ有り金全部置いて降参するって言うんなら見逃してあげるかもしれないよー」
「勝手なこといってんじゃねえよ、ぶりっ子」
謎すぎるバスケットの中に手を入れるバレッタと、またも左手で右腕を押さえるという妙な構えを見せる長身の少女。
対するアーカードは武器を持っていない。
落とした銃は少し離れたところにある。
取りに行くには遠い。
もっとも。
ヴァンパイアの握力をもってすれば、人間の肉体など紙切れのようなものであろうが。
だからこそ。
アーカードは笑う。
それでも挑んでくる人間の愚かしさと無謀さと。
そして。
負け続けていても、生き続けようとする人間の姿勢を歓迎するように。
それは魎月に指摘されたとおり、今の自分には欠けているものだからなのか。
そのようなことは自分では分かりづらい事だ。
他人から見たほうがわかりやすいことだってある。
それに自分はまだ若造だということらしいし。
まだまだ、この人生を楽しむとしよう。
「面白いな、お前たちは。人の身でありながらそこまで歪んで存在していられる者は、そうはいないぞ」
人間は弱い生き物だ。
少し触るだけですぐに壊れてしまう。
所詮はただの肉袋だ。
そんな二人は、ヴァンパイアである自分に牙を剥く目前の二人は、なにを自分に見せてくれるのだろうか。
「そして。ただの人間であるお前達に、なにができる?」
人の身の分際で。
期待を込めて、吐き捨てる。
瞬間。
鬼が見えた。
「────!!」
左肩から右脇腹にかけて、血が吹き出る。
確かに初手は様子を見ようと後手の姿勢をとっていた。
だが、それにしても疾い。
目にも止まらぬ速さでアーカードの体を袈裟懸けに斬り、走りぬけた長身の少女は、それこそ鬼のような形相で振り返る。
「舐めるなよ──」
ぎしりと歯が軋む。
「オレを誰だと思っていやがる」
左手には右腕の肘から先の部分が握られている。
本来右腕がある部分には。
つまり右腕の肘から先には、一振りの刀が埋め込んであった。
年代物らしい。ただしかなりの名刀と感じさせる、妖刀めいた威圧感を放つ刀だ。
「オレは醍醐百鬼丸。貴様ら化け物を間引く者ぞ!!」
百鬼丸。
父の出世欲のために、産まれる前より地獄堂の四十八の妖怪に身体の四十八箇所を奪われ、その異形と禍々しさから親にも捨てられた。
医者である樹海に拾われ、成長し、体の足りない部分を様々な工夫が施された義肢で補い、両手両足に仕込んだ刀を共とし体を取り返す旅に出た。
何度も冬を過ごし、春も過ごした。
出会いと別れも。
何匹もの妖怪を殺し。ついに残るは右手、左足、右目の三箇所だけとなったが、かつての旅の道連れ、相棒によって殺された青年=B
その青年が五百年のときを経て現代に
輪廻転生したのが彼女。
醍醐百鬼丸である。
「そういえば、あたし初めてあなたの名前聞いたかも」
もちろんそんなことを知りもしないバレッタにとってはどうでもいいことではあるが。
名前がようやくわかったというレベルである。
「鬼、か。人でありながら、鬼を名乗るのか」
アーカードは変わらずに笑っている。
体が分断されてもおかしくないくらいに深く斬り裂かれたというのに。
笑って笑って笑って笑って笑って笑って。
楽しそうに嗤う。
「愚かしいな。その程度で鬼とは・・・・・・。ならば。本当の鬼を、化物というのを見せてやろう」
狂的に赫い大きな満月を背に、アーカードが両腕を広げる。
逆光で、ただでさえ悪い顔色がさらに幽鬼的に見える。
「化け物は、オレが全部殺してやる・・・・・・っ!!」
百鬼丸は抜いた右腕を放り、足からも刀を覗かせながら、上身を前に傾げて突進の構えを取る。
「若造呼ばわりされたところであるしな・・・・・・。若い頃を思い出して、本気で
殺しあうとするか」
顔の前で。
長い両手の拇指と食指で世界を区切る。
「──────
拘束制御術式第零号・解放」
アーカードが、溶けた。
どろりとその体を崩れさせ、血へと戻る。
アーカードが立っていた地点からは源泉のように際限なく大量の赤黒い血が湧き出しつづけている。
湧き出た血は意思をもつかのように──いや、実際に持っているのだろう──百鬼丸の周りを大きく取り囲む。
油断なく百鬼丸が睨む中。
血の中から何人もの人が現れる。
中世の騎士甲冑を纏った軍勢。
現代装備に身を固めた特殊部隊。
一様に同じ格好をした兵隊。
長大なマスケット銃を持った女性。
白いスーツを着込んだ男。
人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人────
国も人種も様々な人間が打ち上げられたかのように大量に溢れている。
そしてその全員が、背後から追ってくる死から逃れようとするかのように、苦しげに蠢いている。
しかしそれは叶わない。
なぜなら彼らはもうすでに死んでいるからだ。
その体は血の河と半ば同化している。
死者が溢れ返る血の河。
まさしく『死の河』と呼ぶに相応しい光景だった。
どぷりと。
源泉からより濃い血柱が上がり、人の形を作った。
アーカードとよく似た顔つきであるが、髭が生えて彫りが深くなっているなど少し異なる。
衣装も異なっており、黒一色の服装ながらも豪華さを感じさせるところを見れば、一国の王であるような風格すら感じられる。
「これだけの人間を殺して、そのカラダんなかに溜め込んでたってことかよ・・・・・・」
「そのとおりだよ、人間。お前に、私が殺せるかな?」
数百万もの死の軍勢に囲まれ、逃げ場も策も無い百鬼丸は、それでも笑って舌なめずりしながら答えてみせた。
「当然。全部殺してや──」
「ああーーー!!!」
百鬼丸の背後から、甲高い声が上がる。
もちろんバレッタである。
面倒くさくなって一人で逃げようとしていたのか、死の河の一番薄いところにいる。
ちなみに犬は死の河の外で頭を抱えて震えている。
「も、もしかして。ドラキュラじゃないの!?」
「ドラキュラ?」
百鬼丸がオウム返しに聞く。
現代っ子とはいえ精神はほとんど五百年前のままである百鬼丸には縁が薄い単語なのだろう。
ドラキュラとヴァンパイアを同じものだと考えている可能性だってある。
「ヴァンパイアの始まり! 真祖! 大口賞金首!」
「最後の単語で台無しになってんぞ」
「うわーー!! 逃げなくてよかったぁ〜!」
「・・・・・・・・・・・・」
もはやお金のことしか頭にないバレッタを止めることは不可能だった。
百鬼丸も諦めて、アーカードに向き直る。
「悪いが、オレにとってテメエはついでだ。通過点でしかない。さっさと殺させてもらうぜ・・・・・・!」
「お前が化物の強さに届くというなら、やってみせろ」
アーカードの言葉に従わされるように。
死の河が胎動するように震え、脈打ち。
破裂するかのように二人の人間を呑み込んだ。