傭兵のような、白いロボットに不覚にも愛機であるブラックサレナを撃墜されたテンカワ・アキトは、どうにかボソンジャンプで脱出し────そして更なる危機にさらされていた。
テンカワ・アキトは火星人である。しかしDNAや根本的なところは普通の地球人である。
いうならば、火星に住んでいる地球人ということだけである。
妖怪・手長足長ではないし、タコのような足も持っていない。
彼の運命を決定的に変えることになった2度目の出来事、通称『蜥蜴戦争』でも、もちろんその相手はトカゲなどではなく、木星に住んでいた地球人だった。
何が言いたいのかというと、つまりテンカワ・アキトは人間外と戦ったことがないのである。
自分が学んだの木連式柔は全て人間を相手にすることが前提の武術である。
見たところ、今現在戦っている相手の姿形は人間と大差ないようなので、骨格や筋肉の付き方などももしかしたら人間のそれと似通っているかもしれない。
だが、一呼吸で、一足飛びで、こちらの視界よりも高く跳躍できるような相手を、テンカワ・アキトは人間とは認めたくなかった。
しかも相手は、どうしたって筋肉量や骨格的に男の自分よりも劣っているはずの女性である。
まあたしかに、体重は自分よりも軽いかもしれないが。
と、言いたいところだが、相手は妊娠でもしているのか、腹部が不自然に膨らんでいる。
やはりどうしても理屈では説明できそうにない。
「チェストオォォッッ!」
空中に足場などあるはずがないのに、なぜか明らかに自由落下のそれよりも速いスピードでこちらに蹴りをかましてくる女性。
さて。
以上の説明のうちに、外見以外の人間的特長はあっただろうか?
ない。
皆無だ。
大きく後ろに飛び退いたというのに、それでも迫ってくる蹴り足に冷汗を流しながらも、どうにかかわす。
そして、いまだ空中にあって身動きが取れない相手へと────
ガシィッ!「ッ!」
空中からさらに繰り出された回転蹴りを腕で防ぐ。
当然ながら、空中で体勢を入れ替えなければできない芸当だ。
そしてやはり無論、人間技ではない。
重心を下半身に移し、なんとか弾き飛ばす。
予想以上の衝撃に軽く痺れている左腕を振りながら、こともなげに地面に着地した相手を見る。
女。
背の低い女だった。
自分も決して背が高いとはいえないが、それにしてもこちらの胸くらいまでしかないだろう。
しかもやけに高いヒールを履いてそれである。
いやというか、そんなものを履きながらもあれだけの動きをするというのは脅威である。
そして、上着を腕を通さずに肩に引っ掛けて着用している。
やはりこれも動きやすいとは思えない。
と。
女がおもむらに懐からタバコを取り出し、口にくわえて火をつける。
くわえたまま、赤い軌跡を上下に振りながら話しかけてくる。
「へえ、今のを避けるなんてね。やるじゃない」
言葉とは裏腹の、無表情である。
路傍の石ころを見るような目である。
「妊娠した体で、それだけ動けることが信じられないんだが・・・・・・」
「大丈夫よ。まだ6ヶ月」
「絶対安静だろ!?」
少なくとも多くても、走ったり跳ねたりしてはいけない時期であろう。
どうせ聞く耳など持っていないと思って指摘するが、意外にも女は、
「そうね」
「?」
「やっぱり変態の相手は変態に任せようかしら」
「誰が変態だ!?」
「あんたのその格好が全てを代弁してると思うけど」
「くっ」
言葉に詰まる。
たしかに今の自分は全身黒尽くしである。
そしてやはり女は懐からおもむろに、しかし予兆もなく何かを取り出す。
チリーーン
小さな鈴だった。
いや、鈴というよりベルか。
透明感のある音が空間に染み渡っていき────
「はあっはっはっはっはっはっはっはっ!」
上空から笑い声が降ってきた。
前方の女に意識を残しつつも上を見やると、はるかな上空からなにかが文字通り降ってきている。
黒い何かだ。
コウモリのようにも見える。
地球の引力にしたがって落ちてきたそれはちょうど自分と女の中間に、
ゴガギンッ!! すさまじい音を立てながら突き刺さった。
人のように見えるそれは、実に綺麗に頭頂部から刺さっている。
どうしたって、どう見たって死んでいるだろう。
しかし女は突き刺さった男を無視して、なにもない背後の空間へと裏拳を放つ。
バシイッ! 炸裂音が響きわたった。
女の裏拳は、いつのまにか背後にいた男が受け止めていた。
地面に突き刺さっている男とよく似た、執事服を着ている。
いやというよりも、体格や身長からしてまったく同じに見える。
視線を転ずれば、地面に突き刺さっていた男は、これもいつのまにか、よく似た人形にすりかわっていた。
(忍者か?)
彼の胸中の疑問などには答えずに、執事服を着た銀髪の男は、まったくの無傷、無表情のまま呟いた。
「なぜです」
「変態ゴミクズを始末するのに理由が必要?」
「はっはっは。これは手厳しい。ドロシー様」
どうやら、女はドロシーという名前のようだ。
それがわかったところでどうしようもないが、人間外っぽいのがもう一人増えたのは純粋に旗色が悪い。
相手の実力が未知数な以上、迂闊に手も出せない。
ボソンジャンプによる奇襲も、先ほどの男の身のこなしを見ていれば、成功するかどうかは微妙なところだ。
「して、ドロシーお嬢様。ごようはなんでありましょうか」
今更ながらにわざとらしく一礼して、ドロシーとやらにかしこまる銀髪執事。
ドロシーはそちらの方を見向きもしない。
「キース」
ドロシーはこちらを向いたまま、キース──男の名前だろう──を呼ぶ。
「ああいう変態は、あんたの領分だったわよね」
・・・・・・・・・・・・なぜ、初対面の人間にああまで言われなければならないのか。
そもそも自分は何でこんな目にあっているのか。
まあ、だいたい黒幕には見当がついているが。
「お言葉を返すようですが、ドロシー様。わたくしはマギー家の執事です」
「正確には執事見習だけどね。しかもマギー家の財産使い込みしてるし」
だめだろう。そんな執事。見習いでも。
「マギー家の執事たるもの、わたしはいつだってお嬢様方の幸せを最優先に考えて行動しております。現に先ほどまでもコンスタンス様が仕事が多すぎて休む暇がないとおっしゃれば、既に飼育員を6名ほど楽にしたことがあるリラックスの達人、ブサキモ可愛いアオミドロニセムラサキマダラユオウフウミホワイトタイガーをプレゼントいたしました」
何色なんだ?
そしてそれは楽に≠フ意味が違う。
「そしてボニー様が出番が少ないとお嘆きになれば、僭越ながらわたしが船長を務めることになっている新造船・座礁頓挫丸においての華、すなわち人柱の役を強制的に推薦実行させたり」
「あの馬鹿な妹たちがそれくらいでどうにかなるとは思えないけど、あんた、本当に執事なの?」
「もちろんでございます。ドロシーお嬢様」
胸を張って断言するこの執事の神経は、下手なケーブルよりも太いだろう。
「じゃあ、あれからも守ってくれるわよね?」
と、ドロシーが指をこちらに向ける。
二人の漫才に若干抜けてしまった気をかき戻しながら、構えを取る。
が、どうも様子がおかしい。
ドロシーの指とその視線は、こころなしか自分よりも後ろに向けられているのでは。
嫌な予感────いやもう嫌な確信を覚えながら、すべりの悪い首をゆっくりと後ろに向ける。
「ドロシー様。わたしが危険な目にあうと、婚約者であるファイアーダストが悲しむのです」
「わたしは喜ばしいから行ってきなさい」
どんな名前の婚約者だ!?
などと突っ込みながら、潔く現実を認める。
そこには、
銀色の巨人が立っていた。
「俺が思うにな、あの嬢ちゃん、バトルジャンキーなんじゃねえか?」
「うるさいっ」
耳元で好き勝手なことを口からぽんぽん生まれさせる人精霊を払いのけながら、
いや、払いのける暇もないので、振った腕がたまたまそういう結果に行き着いただけなのだが。
ともかくフリウ、フリウ・ハリスコーは追い詰められていた。
相手は見たこともない格好をした女だ。
赤い革製の服の下に、材質の違う青い服を着ている。
フリウは、別に自分が都会っ子だとは思わないが(むしろ辺境の生まれである)、それでもあんな服装は見たことがない。
とはいえ、服装のことは別にどうでもいい。
本当の問題は、その女が手に持っているよく切れそうなナイフだ。
「くっ」
念糸を飛ばして、女と自分の間にある手ごろな樹に結び付けて、捻じる。
水分を多量に含んだ樹は不気味な音を立てながら倒れていく。
それを、
「ええっ!?」
女はこともなげに手にしたナイフで両断し、活路を文字通り切り開いて追ってくる。
その目に宿るのは、愉悦。
ぬらりと光ったその瞳の光沢は、今まで会ったどの瞳とも違う。
あの赤毛の殺し屋のものとも別だ。
本能的な恐怖を抱き、また前を向いて背後のナイフから走って逃げる。
「ところで小娘、なんか必死になってあの嬢ちゃんのナイフから逃げてるみたいだが、もしかしたらあれ、当たっても斬れんかもしれんぞ」
「あたしの体はあんな太い樹よりは柔らかいんだけど!?」
「いやもしかしたら、あの樹には元々切れ目があったりしてだな。そうやって自らのみすぼらしい力を誇示するのが好きだろ、人間は」
「あたしがたまたま選んだあの一本に!?」
「ううむ。それならこの辺の樹に元から全部切れ込みを入れてたんじゃねえのか」
「どれだけ暇人なの!?」
「いや、俺らの仲間だったらやってそうなんだがな。なにしろ暇だから。まあ俺たちの力じゃ硝化した樹に傷なんてつけられないんだがな。しかし力があったとしてもやっぱり生まれ育った土地に傷なんてつけられないと思わねえかい? まあ思うだけで所詮気の迷いなんだが」
今度ははっきりと、人精霊──スィリーの言葉を無視する。
走りながら喋るのは予想よりも疲れる。
(手加減・・・・・・されてる)
そんなことはわかっていた。
お世辞にも、自分には体力があるとはいえないし。体術の心得があるわけではない。
元黒衣候補生だったとはいえ、同年代の女の子にあっさりと負けてしまうほどだ。
そんな自分が、あんなナイフを持った、明らかに強いとわかるほどの女性を相手にして、上手く立ち回れることは奇跡としか言いようがない。
しかし奇跡は起こらない。
だとしたら、それは手加減されていることになる。
(だとしても、なんで?)
手加減をされるようないわれは、心当たりがない。
いや、
走りながら左目を撫でるように触る。
眼帯があるので、実際に触ったのはその布地だが、それでも左目はそこにある。
(誘われてる?)
漠然と浮かんだ考えを振り払う。
誘われようと、勝てるわけがない。
相手が本気を出す前に逃げ切らなくては。
念糸を二本、それぞれ前方の樹に一本ずつ結び付けて捻じ切る。
互いにもたれかかるように倒れていく樹の下をすり抜けるようにして走り抜ける。
そして横の樹にも念糸を飛ばして、もう一本壁を作る。
重い音を背中で聞きながら、そこで左に折れて、また全力で走る。
(これで見失ってくれると、いいんだけど・・・・・・)
そして前方に、人影が見えた。
「────っ」
息を呑む。
立ち止まる。
「あー。こりゃあれだな。いかに道を分かとうとも、いずれ必ず交差するという教訓みたいなもんだろう。俺の仲間にも自分の影が四六時中自分に付きまとってくるとか言って、人と話すときも食べるときも何するときもずうぅっと飛び回ってるヤツとかいたな。最終的に無抵抗飛行路から出てこなくなっちまったから、今はどうしてるのかトンと分からんが」
「そんなのとこの状況をいっしょにしてほしくないんだけど・・・・・・」
いつの間に先回りしたのか、数メートル離れたところにいる例の女を焦点に定める。
「なんだ、拍子抜けだな。使わないのか、その左目は。なんか封じてるんだろう?」
言われて、挑発に乗って、というわけではないが、左目を覆う眼帯に触れる。
「なんだ。それを使うのか? よしまってろ、いま視界から消えるから。別に逃げるわけじゃないぞ。ただ死に場所は自分で決めたいからな。気がついたら鼻息荒いブッサイクな犬の腹の中だったとかはイヤじゃないか?」
「使うと決めたわけじゃないよ」
でも、手段は一つでも多く残しておいた方がいい。
そそくさと逃げようとするスィリーを、一応呼び止めておいてから、女を睨む。
意思に力を込めるのは一瞬。
意思が形となって、念糸となって女に向かうのは一瞬よりも短い。
その一瞬よりも早く。
「無駄だ。もう線は見えている」
ナイフが振られて、念糸が断ち切られた。
「う、うそっ!?」
信じられない思いで、切られた念糸を見る。
念糸はすぐぬ霧散してしまったが、それは別に問題ではない。
念糸とは、意志の力で紡がれた、念の通り道だ。
人によって様々な効果をもたらすが、念糸自体は物理的な作用をもたらさない。
つまりそれは、物理的な作用を受けることもないということである。
ナイフで切るなど、できるはずもない。
(これは、まずいかも・・・・・・)
相手はどうやら、自分の予想よりも得体の知れない相手らしい。
(使うしかないの?)
眼帯の上から左目を触る。
使うことに抵抗はない。
といえばもちろん嘘にはなるが、それでもその程度の抵抗など、御さねばならないだろう。自分は精霊使いなのだから。
問題は、使ってしまったとして相手を殺さずに済むかということだ。
「ねえ、スィリー」
「うん、なんだ小娘? とうとう俺の力を認めるのか? 相手の力を認めるというのはそれすなわち自分の力を知るということらしいぞ。まあつまりは知識だけではどうにもならんという教訓なんだが」
「あの女の人になんかできる?」
「俺は俺の力をよく知っている」
「あっそう」
聞くまでもなかった。
分かりきっていたことだった。
覚悟を決めなくてはならない。
「スィリー、精霊使うから離れといて」
「小娘、俺を使うのか? よしなにをして欲しい? 忠告なら何度でもしてやるぞ。なにしろ最小流通貨幣だからな。一番安上がりだ」
「あんたのことじゃないわよ」
うるさい人精霊を押しのけて、その手で左目の眼帯をむしりとる。
目を覆う布がなくなっても、視界は片目分だけだ。
当然だ。
この白い目には、瞳孔も虹彩もないのだから。
産まれたときからの変わらぬ、もう慣れきった視界。
しかし、この白い目──水晶眼にも血管や神経は通っている。
なぜなら、
「通るならばその道」
左側の暗い視界に、
光が一筋走った。
「開くならばその扉。
吼えるならばその口。作法に記され、望むなら王よ。
俄かにある伝説の一端にその指を、慨然なくその意思を。もう鍵は無し」
唱えるのは精霊を捕らえている念糸のサークルを解き放つための開門式。
その言葉自体に意味はない。
だが、唱えるごとに視界が広がっていく。
水晶眼は、天然にできた最高級の水晶檻だ。
余りに強すぎるその力故に、水晶眼を宿した子供が生まれると同時に、なんらかの精霊がその目の中に取り込まれる。
その精霊は二度と出てはこれない。
しかし、その封じた精霊が余りに強すぎた場合、開門式を唱えることによって、
すなわち閉じたサークルを開くことによって、その精霊の影が顕現することがある。
力をともなった、純粋な暴力としての影。
そしてフリウの水晶眼に捕らえられた精霊は────
「開門よ、成れ」
視界が、左目を含んだ視界が、完全に開いた。
それと同時に、女の背後に音もなく巨人が立った。
「──っ」
女が振り向いてナイフを振るうのと、鎧のような外殻を持った銀色の精霊が地面を足で踏みしめるは同時だった。
吹き飛ばされたのは女のほうだった。
生じた衝撃波で、土砂とともに女が吹き飛んでいく。
それを左目で追うようなことはせず、右目だけで姿を捜す。
あくまで、水晶眼の中に捕らえられたままである精霊は、フリウの左目の視線の先から逃げ出すことはできない。
逆をいえば、フリウの視線の先だけに精霊は現れるのである。
「はいう!?」
言葉にならない叫びを上げる。
豪快に飛んだはずの女は、なんと樹の幹に着地して、そのまますごいスピードでこちらに向かって跳んでくる。
今の攻撃(精霊は自分の思い通りには動いてくれないが)で相手を無力化、もしくは向かってくる気力を削ぐつもりだったフリウは動揺して、
ついうっかり、左目を女の方向に向けてしまう。
女は、突如として目の前に現れた精霊に驚くこともなく、ナイフを振りかぶる。
『我はウルトプライド──』
それに対して精霊が、魔神と呼ばれた破壊精霊が名乗りをあげる。
影でしかないはずの破壊精霊の轟きは、しかし空気と臓腑を震撼させた。
『全てを溶かす者!』
予備動作もなく地面にたたきつけた拳は、それだけで周囲の全てを破壊する。
「ちっ。線が見えにくいな」
拡散する破壊の衝撃波からなんとか逃げたらしい女の呟きが耳に入る。
理解はできなかったが。
しかし理解はいらなかった。
女が投げたナイフが破壊精霊をすり抜けたかと思うと、一瞬、ほんの一瞬だけその姿が掻き消える。
「な、なに!?」
もちろん、あくまで影でしかなく、実体を持たない今の破壊精霊にあらゆる攻撃は通用しないが、それだけにいま起こった現象は不可思議だった。
「やっかいだな。実体じゃないのか」
ちらりと、いや、ぎらりと女がこちらを見やる。
「ひっ」
その目に宿った、明確すぎる、剥き出しすぎる殺意に気圧されて、
切り札を出したはずのフリウはまたも逃げ出した。
「ジャンプッ!」
宙に浮いた自分の目前に迫った拳を、テンカワ・アキトはボソンジャンプで回避した。
突然現れた化け物は最悪だった。
これなら先ほどのドロシーとかのほうがまだマシだった。
銀色の化け物は巨体でありながら、思わぬ俊敏さで動く。
見る限り、化け物の直線上にいる少女が何らかの方法で操っているようだが、容易に近づくことはできない。
というか、ボソンジャンプで近づこうとした結果が今の状態だった。
もう一人、森の中から出てきたナイフを持った少女は、怯むことなく化け物に向かっていく。
果敢なのか、無謀なだけか。
どちらでもないように思えた。
少女のナイフが化け物を切り裂くたびに、その姿がかすむのだが、目の錯覚だろうか。
どのみち、化け物に攻撃が通った形跡はないのだが。
例の執事はドロシーに蹴り出されて銀の化け物に向かい、真っ先に宙を舞って地面に突っ伏している。
一見したところ、どこにも怪我を負っているとは思えないのだが、気のせいだろうか?
そしてドロシーは────
ガシィッと、倒れている執事の頭を思い切り踏みつけていた。
ぐりぐりと足を動かしているのは目の錯覚ということにしておこう。
手にはちょうどいいサイズの石を持っている。
執事を踏みつけた足を支点にして、その石を振りかぶり、鞭のように腕がしなり、膨らんだ腹をものともせず、
「ふんっ!」
投げつけた。
プロ野球選手に匹敵するんじゃないかと思えるほどの速度で飛翔したその石は、棒立ちになっていた少女に命中した。
「ぎゃっ!?」
可愛らしくない悲鳴についてはさておいて、衝撃で少女がもんどりうって倒れる。
そしてその拍子に、少女と目があった。
本日何度目かの、嫌な確信。
背後で膨れあがる、濃密な破壊の気配。
確認している時間はない。
身をよじりながら後ろに全力で跳び、
「ジャン────」
呪の言葉を唱える前に、巨大な銀色の拳がその体を打ち据えた。
「う〜〜む。今のは危なかったのぉ」
場にそぐわない、明るい声が聞こえる。
びきりと、額に血管が浮かぶのを自覚する。
銀色の拳は、自分の体に命中する寸前でその動きを止めている。
「まったく。わらわがいなければどうなっていたことか。無能な人間どもは本当に世話が焼ける」
長い金髪。オッドアイ。一部分の成長だけ著しい美幼女。いや、ぎりぎり少女か。
ユリカが遺跡に取り込まれたことによって、その影響を受けた遺跡がユリカから様々な情報を取り出し、構築した擬似人格。
「どうしてあのような三つ巴よりも混乱を極めた状態からさっさと逃げ出さなかったのか。理解に苦しむのう。その頭はなんのために付いておるんじゃ? 実はダチョウの卵に目鼻を書いただけですなどとは言わんよなぁ。いや、だからこそ人には頭痛というのがあるのか。中からダチョウの雛に突っつかれて。いっそ割ってみるかのぉ。なにが出てくるか。なにも出てこんか」
あまりの毒に、息が詰まる。
誰の性格のトレースなのか。
「口を開けば自分の脳みその茹で上がり具合を見せびらかして、他人の話など聞いてはおらんし。キャベツと同じなのはその大きさだけではなく、知能指数もなのかのぉ、その頭は」
「元凶がなにを言う・・・・・・」
やっとのこと息を吐き、ともに言葉を返す。
「元凶? なにを言う。お主がいつまでも強さ≠ネどというくだらんことに拘っておるからだろうが。やれ、俺はまだみんなを守れるほど強くないから帰れないだの、やれ、俺に力がなかったからみんなを守れなかったんだ。合わせる顔がないだの、うだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだいぃっっっっつまでも女々しいことをほざいておるからじゃろうが。仮に責任があるとしても、その所在はあの火星のなんたらとかいう新興宗教者どもじゃ。わらわにはない」
返ってきたのは何倍もの猛毒だった。
頭痛がする。
「いや、しかしだな」
「やかましい! なにが最強じゃ。そんなもん、逃げ回ろうと何をしようと最後まで生き残っておったものが最強に決まっておろうが! そうじゃというのにお主はまるで死に急ぐかのような戦いばかりしおって、このノータリンがっ!」
「の、のーたりんって・・・・・・」
「しゃーらあっぷ! そんなに死にたいのなら、わらわが人形のように死ぬまで飼い殺してやるわっ!」
「そ、それを言いたいがためだけにこれだけのステージを用意したのか・・・・・・」
「まあそうじゃな。強いて言えば暇じゃったし。全知零能にして零知全能なわらわの暇つぶしといったところか。心得よ。おぬしの悩みはその程度のものなのじゃから」
「あの、他の奴らもか?」
周囲の、同じように止まっているやつらを視線で示す。
「うむ。いろんな世界からより集めたのじゃ。なかなか強かったろう?」
「強いというか、明らかに人間外のやつらがいたんだが」
「ううむ。たしかに人間を大きく逸脱した者もおったが、その精神性は人間に寄っておる。よって問題はない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
言い返す気力もない。
「してわかったろう? おぬしの悩みは──くだらんとまでは言わんが、小さすぎる。悩むことは悪いことではないが、悩むだけでは解決せん。行動せねばな」
「しかし俺は────」
「まだ言うかっ!」
ばちこーんと、頭をハリセンではたかれる。
どこから取り出したのか、いや気にするだけ無駄か。
ちなみに俺は、しゃべれるものの身動きは取れない。
「ええいっ。しばらくそのまま固まっておれ! このままベッドルームへ直行させてやるわっ! さあ、ミスマル・ユリカかホシノ・ルリ、どっちがいい!」
「待て、待ってくれ! もう少し心の準備というか」
「やかましいこのヘタレめが! さあ行くぞ! ベッドルームヘ」
「なぜさっきからベッドルームに拘るんだ!?」
「お主ら人間には裸の付き合いというものがあるのじゃろう? わらわにはよくわからんが。む、それを考えるとシャワールームの方がいいのか。よし、ならば時間軸も調節して、ちょうど入浴しておるときにボソンアウトするようにしてやろう」
「やめろ! そもそもそれは男同士での」
「ほいジャンプ」
「なあっ────」
その後のことは、あまり語りたくはない。
ただ、万事解決とまではいかないにしても、一歩前進したことはたしかだ。
温かい一歩だった。
久しぶりに、涙が流れた。
ビンタによって。