翌日、本当に何事もなかったかのごとく進む隊商を見て俺は少し怖くなった。
いや、てらちんが俺に気付かなかった事も不思議といえば不思議だ。
だが幸い、こんな事を相談できる者を俺は一人(?)だけ知っている。
そうは言っても、人前では話せないし、また後方の護衛をしながら、人がいない時間帯を待って話し始める。
「結局あいつらどうなったんだ?」
(記憶封印の類だな、後で気がついても夢か何かだと思うだろう)
「てことは、やはりレイオスは連れて行かれたという事か」
(そうなるな)
「しかし、てらちん一体どうして……」
(奴はどうやら精霊の王に選ばれた、精霊の勇者のようだな)
「精霊の勇者?」
(ああ、呼んだのもそれだろう。精霊のバランスが崩れる時、精霊の勇者が現れるというのが妖精族の伝承にある)
「それはまた、てらちんにはおあつらえ向きな……」
(だから奴は恐らく上位の精霊魔法を複数所持しているはずだ)
「その上、勇者のレイオスと互角の剣術か……」
(元々強かったのもあるんだろうが、精霊の加護を受けている分、能力は元の世界でいた頃より数段あがっているだろう)
何と言っていいやら、さすがてらちんと言うべきか、他の男の運を吸い取っているんじゃないかとすら思う。
今回の犠牲者は勇者レイオス、彼もかなりの力と運があったが、てらちんには及ばなかったという事だろうか?
この上、婚約者がてらちんに惚れたりしたらレイオスはぼろぼろだな……。
しかし、分かった事もある。
フィリア司教と勇者レイオスは両想いだったという事。
婚約を蹴って会いに来たくらいだ、恐らく連れて逃げるくらいするつもりだったのだろう。
司教ともなれば還俗しない限り結婚も出来ないのだから。
恩義がある以上2人には幸せになってほしいところではあるが……。
その障害がてらちんと、新生ハーレムメンバー……あの場には2人だけだったが。
(そうそう、言い忘れていたが、記憶を消したのは最後まで隠れていた3人目だ。
流石に我の魔力を突き破って記憶を封印する事は出来なかったが、そうでなければお前も危なかっただろう)
「その事は相手に気づかれなかったか?」
(抜かりはない、記憶を失った時の魔力反応を偽装しておいた)
「それで、その3人目はどんな奴だったんだ?」
(んむ、一言で言えば上級魔族だな、貴族といってもいい)
「美人だったか?」
(あの2人と似たようなものだったと思うが?)
「なるほどな……どうやったのかは知らないが、惚れさせたわけか」
(そ奴の能力は凄まじいな)
「……正直係り合いになりたくないよ」
とはいえ、元の世界に帰るための手段を知っている可能性もあるし、そうでなくても、まず全員の居所を知らないと迂闊に帰れない。
俺のほうの条件は達成していいのかどうか分からないという点もあるのだが。
後、関係ないがてらちんが助けるのは美少女か美女だけだ、選んで助けているつもりは本人にはないらしいが、
美少女や美女のピンチに丁度居合わせる能力があるのかもしれない……。
「どちらにせよ、問題なのはてらちんは俺に気付かなかったのか?」
(気付いていたようには見えないな。どちらかといえば、女たちがお前を近づけさせないようにしていた事が少し気になるが)
「ラドヴェイドの魔力が漏れてたとか?」
(それもないだろう、我の魔力は未だ微量でしかない、そのうえお前という殻の中で小さくなっている。
魔法でも使わない限り魔力の種類は判別できないはずだ)
「そうなのか……」
(だが我と同じように、精霊王もまたお前達が別々の勢力に呼ばれたと言う事を語っている可能性はあるな)
「なるほど、そうなると……」
てらちんは、直接的にではないにしろ敵対する可能性が出てきたわけだ。
何せこちらは魔王復活をもくろんでいる、形だけとはいえ魔王側の存在だ。
もし、知らせられているなら俺は敵、洗脳されているとか考えられていてもおかしくない。
なるほど、反応しなかったわけが分かってきた。
精霊の勇者というのが、魔王と敵対するのかどうかは分からないが、このまますんなりと接触するわけにはいかないらしい。
「ただでさえ、いろいろ頭が痛い事が多いってのに……」
(運命だと思って諦めろ)
「お前が言うな」
(それに、目の前の仕事とてまだ終わったわけではないのだろう? 気配を感じないか?)
「……そうだな」
周囲には、確かに人の気配が漂い始めていた。
本当に気を読む能力は便利この上ない、殺気や闘気を発していればすぐにわかる。
しかし、実力が伴っていないため俺の危険度が下がるわけでもないんだが……。
俺は首を振っててらちんの事を思考から追い出し、警戒を告げにティアミス達を呼ぼうとした。
しかし、既に警戒態勢に入っていたティアミス達にさっさと来いと呼ばれる。
「後方の警戒は傭兵のほうが変わってくれたわ。
でも、いつの間にか街道の両側に盗賊団が伏せていたようなの」
「誰からの情報だ?」
「チャンドラーさんよ。彼が魔法で結界を張ってくれていたから発見できたらしいわ」
チャンドラーさん意外にやり手だったんだな。
しかし、てらちん達はそのさらに一枚も二枚も上手という事になるのだから、こちらとしては痛い話でもある。
最も今はそんな事を言っていてもはじまらない、盗賊団とやらに対する作戦を聞かなければ。
「それで、俺達はどこを守ればいいんだ?」
「私達の守る場所は、前方3番目の馬車よ」
「了解した」
街道はさほど広いわけではないため、馬車は一台づつしか進めない。
結果として俺達はそれぞれの車両を守り、遊撃隊が敵を叩くという作戦を使わざるを得ない。
もっとも、馬車は6台ある、30人では一つに4人以下にしなければ遊撃部隊を準備できない。
俺達は、新米だという事もあり全員一緒の場所を守るようにできた。
後は遊撃隊を信じて撃退を繰り返すしかないな。
「ウアガとシンヤは左右について、一番攻撃されやすい場所だからお願いね。
私は荷台にあがって前から、同じくニオラドは荷台の後方をお願い」
「了解した」
「わかった」
「うーむぅ、ワシは戦闘はできんのじゃが……」
「あの煙でもなんでも使いなさいよっ!」
「いや、あれは敵味方関係なく効くわけじゃから、風向きがよほど良くないと襲撃相手に向けられん」
「じゃあ、砂でもかけてひるませて! その間にシンヤかウアガにフォローに回ってもらうから!」
「仕方ないのう……」
ニオラドの心配も分からなくはない、こちらは分散して防衛しなければならないが、相手は襲撃場所に人間を集中する事が出来る。
もう少し発見が早ければ逆襲撃という手もあったんだろうが、今の状況ではそれも許されない。
左右からはさまれている以上馬車を急がせて突破するか、防衛でやり過ごすしかない。
もちろん、突破の準備もしているが、襲撃者より先んじる事は難しいだろう。
幸いというべきか、俺達は新米という事もあってさほど重要度の高くない馬車に回されている。
後方には重要な馬車が集中しているため、傭兵達に防衛させ、遊撃部隊も基本は後方にいる。
それにしても、盗賊団の襲撃……確か山狩りがあったはずなのに、それも商隊の帰り道に合わせるように。
意図的なものを感じるな……。
「ただでさえ頭がパンクしそうなのに、まだ何かあるってわけか」
まったく、ソレガンの奴一体何を運ばせたんだ?
邪魔をしてきているのは、ソレガンの対抗勢力じゃないのか?
そんな事を考えると止まらなくなる。
しかし、気配の動きは襲撃が間近である事を知らせている。
俺は、配置につくと、馬車に歩調を合わせつつ、襲撃に備えた。
とはいえ、案の定襲撃者のほとんどは後方の馬車に向かって攻撃を開始する。
ざっと見て40人以上、数の上では不利なのは明らかだ。
それを見て、俺は応援に行くべきかどうか少し考えたが、前方に待ち伏せしている20人前後の盗賊団を気配から察した。
「前方! 襲撃に備えろ!!」
そう言っているうちにも、その盗賊達は最前列の馬車に襲いかかり、そのまま第二、そして俺達のいる第三の馬車へと向かってくる。
なるほど、二段構えという奴か……。
情勢はほぼ倍近い盗賊に対して、商人たちを庇いながら戦うという最悪に近い構成となってしまった。
「くそっ!」
俺は一人目の盗賊と切り結ぶ、幸い相手のほうは素人に毛が生えた程度にすぎない。
俺もあまり人の事は言えないが、気配を察する能力のおかげで攻撃がどこからどのタイミングで来るのかおおよそ分かる。
その差によって決着は一瞬でついた、俺は相手の斧をかいくぐり、その脇をショートソードで切り裂く。
動脈を傷つけられた盗賊から、どばっと血が飛び俺の体を濡らす。
すえた臭いが鼻につくが、今は気にしていられない、多分死んではいないだろうとは思うが……。
次の襲撃者が俺がその事を確認する暇を奪ってしまった。
既に最前列の馬車は制圧されたようで、あまった人数が前方から迫っている。
そのうえ、俺達としても戦えるのは三人だけというありさまであったし、このままではじり貧だ。
出来るだけ、素早く敵を倒さねばならない。
盗賊達に完全に囲まれてしまえばこの隊商は終わる。
倍の数的有利をひっくり返すには、よほどの事がなければ不可能だ。
戦いながら少しそう言う事を気にしているあたり俺もまだ少しは余裕があったのかもしれない。
「せりゃぁぁぁ!!」
「ふんっ」
俺は、余裕を持って正面の敵から振り下ろされる剣を回避し、
その間に横合いに回り込んでいた別の敵が槍を繰り出す前に正面の敵に対して間合いをつめる。
そして、俺は攻撃を下半身にずらし、相手の太ももを傷つける。
太ももも場所次第では動脈が通っている、だから、それを傷つけてそのまま振り返る。
そこには、背後から狙おうとしていた槍使いがいた。
俺は、その槍を体を沈めて回避しつつ突っ込む。
「デぇぇぇぇっl!!」
「ごぁっ!?」
肩口を怪我したが、手首にざっくりと剣を突き刺してやった。
正直、やっている自分でもよくこんな事が出来るなと自分の惨忍さに嫌になる。
しかし、元々数で不利なのだ、相手も盗賊、大怪我するくらいは覚悟してほしい。
最もそんな事を考えていられたのもそれまで、肩口の傷がジンジンと痛みだし、剣を握っているのもつらくなる。
「シンヤ! 一度下がってニオラドの治療を受けなさい!」
「わかった」
荷台の上で奮闘するティアミスには悪いが、こんな状態では戦えない。
意外に深く肩口を傷つけていたらしく、今にも剣を取りおとしそうなのだ。
俺が荷台の後方に行くと既に薬の準備をしていたニオラドは、消毒、湿布薬、丸薬の順で処方してくれた。
それでも落ち着くまで数分はまともに動けなかったが。
その間に、ニオラドは少しだけニヤリと笑ってから話をした。
「最初はお主がここまで頑張るやつじゃとは思っておらんかったのだがの」
「状況が巻き込まれたものだって事はわかってるけど、それでも、認めてくれる人がいるなら頑張ろうとは思ってね」
「つまり、誰にも認められなければ何もするつもりはないということかの?」
「否定はしない、ずっとそうして生きてきたんだから」
「ふむ、きっかけはなんだの?」
「……さあ、なんだったかな……」
本当は聞くまでもない、この世界に来た事だ。
最もそれを言うのは未だにはばかられるが。
そんな事を思っているうちにも、この馬車に向けて数人が押し寄せてくる。
俺は、まだ違和感が残る肩を押して再度防衛に出ることにした。
「肩にあまり負担をかけるなよ! 治りが遅くなるぞ」
「この状況じゃそうもいっていられないさ。余裕があったら気を付ける!」
誤魔化しになっていないような事を言って誤魔化しながら、俺は担当の場所にやってきた二人の男を見る。
いや、一人は男ではなかった、ごつい体格の上、顔も男と見まがうごつい顔なので気がつかなかったが、胸もかなり大きい。
つまり、筋骨隆々なうえ、ほりも深いごつい赤毛の女盗賊と、普通の男の盗賊の2人なのだ。
「大物は向こうだっていうのに、いつまで手間取ってんだい!」
「しかし、姐御……」
「どう見ても初心者パーティだろうに、適当にぶっちらばして、向こうの加勢にいくんだよ!」
どうやら、やはり囲んで一気につぶす作戦だったらしい。
しかし、待ちかまえていたという事は事前にルートが知れていたという事。
これはかなりまずいんじゃないだろうか。
いや、それよりも今は目の前に事だ……、俺の前に2人、そしてウアガのほうに3人、ティアミスにも2人とりついている。
更には前の馬車から略奪を終えたと思われる5人ほどが近づいていた。
俺は、ごつい女盗賊に向かっていくことにした。
この女が幹部である可能性が高いからだ。
倒す事が出来れば相手をひるませられる。
段々とこう言った荒事に対する抵抗感がなくなってくる事に不安を感じるものの、今はほかにどうしようもない。
「へぇ、アタシとやろうってのかい?」
「お前、幹部なんだろ?」
「ああ、今の会話で分かっちまったかい。いやま、見た目でも丸わかりか」
「そう言う事だ」
「面白い事言うね、つまり、アタシを倒せばこいつらを混乱させられるってわけだ」
「否定するつもりはない」
「身の程ってやつを教えてやるよ。ありがたく享受しなっ!」
「姐御ッ助太刀しますぜッ!」
「やめな、わざわざアタシをご指名なんだ。それともアタシが負けるってのかい?」
「いっ、いえ……」
最初隣で意気込んでいた男はごつい女に人にらみされてしぼんでしまった。
力関係が如実に表れている。
ある意味正解だったわけだが、さて、それだけの自信があるという事は強いってことだよな。
俺に勝ち目があるのか微妙なところだ……。
しかも、後から来る援軍の事を考えれば短期決戦でなければならない。
シビアすぎる現実に涙が出そうだった。
しかし、嘆いていても始まらない、俺はショートソードを片手で構え、もう片方の手に持つ木の盾を前に突き出す。
これで防げると思っているわけじゃない、衝撃の緩和程度は出来るだろうが。
それよりも、視覚効果という話を昔聞いたことがあったのを思い出した。
俺は盾を突き出したまま、じりじりと前に進んでいく。
それに対してごつい女盗賊は、大ぶりの鞭を取り出した。
これはまずいかもしれない、鞭のリーチは剣どころか槍よりも長い。
しかも、あの鞭の先端にはスパイクを仕込んだ小さな鉄球がついていた。
それを2本取り出しぶんぶんと振り回し始める。
気がついた時には遅かった、まず鉄球は盾にぶつかると刺さり、その瞬間女は怪力で引きもどしてしまう。
飛ばされた盾に気が行っているその時、もう一つの鉄球が俺の脇腹に食い込んだ。
「グハァッ!?」
「口ほどにもない坊やだねぇ。まさかそれで終わりなんて言わないわよね?」
「ぐっ……」
俺は気合いをこめて立ち上がる。
しかし、これは本当にまずい、今までは殺気が来たらその方向ないしその動きそのものに注意していればよかった。
だが今回は、殺気は正面から来ているが、鞭は多方向から攻撃を仕掛けてくるので、殺気を回避すればいいという訳にはいかない。
ヒュンンヒュンと音を立てて迫る鞭は俺の膝に、背中に、胸に、顔に、傷のあった肩までもスパイクを叩き込む。
「そらそらっ! 反撃しないと死ぬよっ!」
「ゲハッ!?」
「さすが姉御……容赦ねぇ……」
俺は殺気が読める事で自分が強くなったと錯覚していた事を知る。
実際は殺気以外にも筋肉の動きや風の流れ、音すらも相手の動きを読むためには必要とする。
だが、剣や槍といった直接的な武器の場合さほど気にしなくても殺気のほうから攻撃してくるのは間違いない。
しかし、鞭や鎖、ブーメランのように、攻撃の方向が変化するものや、銃やトラップのように殺気がなくても攻撃出来るものもある。
そのことを失念していた俺はなんと甘かったのか、鞭の動きに回避もままならずまるでサンドバックのように打たれ、切り刻まれる。
逃げ出したい、この時ほどそう思った事はなかった、今までは恥ずかしいとか、責任がとかそういう理由だったが、
純粋に死の恐怖から逃げ出したいと思ったのは初めてかもしれない。
俺の体には鞭のスパイクによる傷が何十となく刻まれていて、
俺が死んでいないのは単に、このごつい女盗賊が殺すことよりも俺をなぶる事を優先しているにすぎない。
逃げようにも膝も足そのものもかなりの傷を負っていて歩く事も難しい。
しかも、倒れようとすると倒れる方向に打撃を受けるので倒れる事もままならない。
いくら鞭が強いといっても、きちんと剣術を学んだ人間ならこうはならなかっただろう。
しかし、俺は即席剣術にすぎず、殆ど殺気を呼んで反撃するという形で剣をふるっていた。
それらの事をまるで走馬灯のように思い出し始めた頃、俺の頭に聞き覚えのある声が響いた。
(このまま大人しく死ぬのか?)
直接響いてくるのは魔王ラドヴェイドの声……。
俺は当然思った、死ぬのは怖い、死にたくない。
いや、もうこんな痛い思いはしたくない。
(ならば、一つだけ生き残る方法がある)
なんだ?
今の俺ならきっと何だってする。
殺されないためなら……。
(ならば、その者たちを殺す事も出来るか?)
殺す……?
殺す……コロス……。
今俺を殺そうとしている奴らを……殺す……。
(そうだ)
俺は頭の中でまさに葛藤が起こっているのが分かった。
殺されるのは嫌だ、痛い思いをするのもごめんだ。
だが、殺す……モンスターでもない人間を、この俺が……。
殺す事は出来るかもしれない、しかし、してしまったらもう普通じゃいられないんじゃないか?
もう二度と普通の生活に戻る事は出来ないんじゃないか……。
いや、戻ってもその中で生きていけないほどに変わってしまうのではないか……。
俺が恐れているのは、自分が再び孤独に戻ってしまうのではないかという恐怖。
自分の命と孤独はどちらも天秤にかけるに値する恐怖だ。
命は当然の事として、孤独はずっとその中にいれば意識しないですむ。
しかし、幸福な時間を過ごしてしまうと再び孤独に沈む怖さも知ってしまう。
正直な話、今まで俺が冒険者なんかを続けてきて死の恐怖を感じても何とか前に進めたのは孤独が怖かったからだ。
だが、今ほど直接的な死の恐怖を味わった事はない。
孤独になるのが嫌ならこのまま死ねばいい、そうすれば仲間として葬ってもらえる。
死ぬのが嫌なら殺せばいい、殺人者となっても生きていけるというのなら。
ラドヴェイドの言っている事は俺にこの2つから選択させようというものなんだ。
俺は痛みと恐怖を味わいながら、朦朧とする意識の中で、それでも……。
答 え を 出 し た。
結論から言えば、ラドヴェイドの行った事は意識の共有というものに近い。
俺はその次の瞬間から、ラドヴェイドそのものだった。
俺は俺に向かってくる音速に迫る速度の鞭をぱっと手でつかむ。
認識速度も、筋肉の限界速度もはるかに超えて、音速の動きを実現していた。
肉体の痛みはある、だがあえてそれは脳内に届く前にカットした。
魔力が十分なら肉体など一瞬で復元出来るのだが。
今は魔王である事が知れるのもまずい、あえて普通の剣士のように戦うのもいいかもしれない。
「ぼっ、ボウヤ……一体どうしたんだい?
急に鞭の先端なんかつかんじまって。これは、アタシのもんだよッ!」
女盗賊が冷や汗を垂らしながらすごんでいる。
三流だな、そんな事をしている暇があるなら逃げれば助かったかもしれぬのに。
「そうか、それは失礼したな醜女(しこめ)」
「今言った言葉……後悔するよ!」
「やってみろ」
俺は一度その鞭の先端を離す。
そして、女盗賊が鞭を引きもどす速度に合わせて接近した。
女盗賊は驚くが次の瞬間には、俺の剣によって真っ二つとなっていた。
「あっ、姐御!! 貴様ぁ!!」
ついでに寄ってきた盗賊の心臓を一突き。
剣術のケの字も知らない輩に剣を使うのがもったいないほどだった。
魔力さえ万全ならば10m以内に近づくだけで粉々になるものを。
続いて、パーティメンバーにかかずらっていた雑魚や、後続の団子虫ども合わせて10人ほどが俺を取り囲む。
「てっ……てめえ何者だ!!」
「よくも姉御を!!」
「やっちまえ!!」
「そろいも揃って、芸のない台詞だな」
「ぬかせ!!」
しかし、こうなると前に考えていた事は逆だった事になるな。
女盗賊が死ねば相手の実力の前に逃げ出すと考えていたわけだが。
殺されて復讐しようとする人間がいるという事は案外慕われていたのかもしれん。
まあ、どの道全員殺すだけだがな。
それ自体はしごく単純な労働だった。
なにせ、こちらはその気になれば音速に近い動きが出来る。
攻撃をいなす必要もない、相手の心臓に確実に剣を突き刺していくだけの簡単な仕事。
あっという間に全てが終わった。
(こんなものかの?)
「……こんな……こ……ん……」
ラドヴェイドの精神と分離した瞬間心のタガが一気に外れた。
今まで封印されていた理性とか、肉体の悲鳴とかいろいろなものが一度に襲ってきた。
何という事だ……俺は……自分の意思で人を殺した。
そう、まぎれもないあれは俺の意思……、ラドヴェイドが混ざっていたとはいえ俺の考えだった。
言い訳ならいくらでもできる、自己欺瞞も100は思いつく、しかし、どれも自分をだましきれるほどではない。
分かっていた、俺は人殺しになったのだと……。
痛みと後悔といろいろな感情が俺を支配して気絶も出来ない。
俺はなんて事をしてしまったのだ、俺は犯罪者となったのか。
初めて人を切り殺した、肉の感触が骨を断つ衝撃が今も手に残っている。
心臓から噴き出した血が今も体を濡らしている……。
凄まじい腐臭、むせかえるような匂いの中で、俺は反吐を吐きながら膝を折った。
これからは、安心して眠る事は無理なのかもしれない……。
傷の手当てのために近寄ってくるニオラドや、心配そうな顔をしているティアミスとウアガを見てそれでも俺は……。
ぼろぼろと涙を流し、蹲って嗚咽し続けた……。