コードギアス もう一つの軌跡
また一日が始まった。
昨日と同じ時間に、同じ場所で目が覚める。目が覚めるといつもと同じ天井が間近に見えた。眠っていたのが二段ベッドの上だったからだ。ゆっくり体を起こすと寝息の音で自分しか起きていないのが分かった。
ベッドの上で背筋を伸ばす。一緒に伸ばしていた手が天井に触れたので、腕を縮めながらもゆっくりと背筋を伸ばす。下で眠っているルームメイトを起こさないように下に降りて洗面所に向い、顔を洗う。
鏡に映るのは毎日鏡で見る自分の顔。右目だけが何故か赤い、生気のない目だった。
ブリタニア帝国士官候補生訓練所。それがこの場所の正式な名称だ。一般には軍人学校と呼ばれる場所では今日も士官候補生たちが声を張り上げて肉体を鍛えたり、KMF(ナイトメアフレーム)と呼ばれるブリタニアが開発した人型の機体に乗り込んで訓練を行っている。
「次、ライ・クルトスタンとリック・ハルゲニア!」
教官ががなり声で指示を出すと、銀髪の少年はブリタニアでも最新鋭の機体、サザーランドに乗り込む。
彼の名前は教官に呼ばれたとおり、ライ・クルトスタン。彼はサザーランドに滑るように乗り込んだ。
「おい、こんな試合が認められんのかよ?」
そう言ったのはライと入れ替わりで訓練用のナイトメアから降りた士官候補生だ。他の候補生たちがいる場所に戻って来た彼は言葉を続ける。
「これってあの二人の私闘だろ? ここのNO.1とNO.2 リックが勝手にライの事敵視してるだけじゃねぇか」
「でもまぁ仕方ねぇんじゃねぇか? ここの教官って貴族階級出身のプライドの塊みたいな人だし、リックの家は辺境伯だしな。どうせ圧力に負けたってとこだろ? それにいいじゃねぇか、あの無愛想な白髪野郎の鼻を明かせるかもしんねぇんだしな」
問いかけた士官候補生に別の候補生は嫌な笑みを浮かべた。何かを期待した笑みと言えば聞こえはいいが、明らかにそれは悪意が混じったものだった。
「それもそうだな。あのナンバーズの鼻を明かしてくれんなら俺も文句ねーよ」
ナイトメアから降りてきた候補生も同じように嫌な笑みを浮かべた。
乗り込んだサザーランドの中で、ライは機体の武装をチェックする。銃弾の数にもスタントンファの展開にも問題はない。
確認を済ませた所で外を映しているモニターに目を向ける。
対戦相手はリック・ハルゲニア。いつもライのことを敵視してくるプライドの高い、貴族の典型のような男だ。すでにサザーランドの手にはライフルを持ち、いつでも発射せんと言わんばかりの構えだ。
ライはそれに対して、特に何かを考える様子もなく試合開始の合図を待つ。
「両者、準備はいいか!?」
教官の声が内部のスピーカーから聞こえてくる。
「イエス・マイロード」
ライは抑揚のない声でそれに応えた。
「よし!! では試合開始だ!!」
ライは銀色の髪を揺らしながら、士官学校の中を歩く。
「……おい、ライだ」
「ったく、爵位もないくせに調子に乗りやがって……。聞いたか?今日の模擬戦でとうとうリックを負かしたらしいぜ」
「嘘だろ!? リックって言えばここでもナイトメアでは一、二を争う腕前だろ!?」
「これであいつもますます調子に乗っちまう……。ったく、イレブンとのハーフのくせによぉ……」
ライの姿を見た候補生がコソコソとそんなことを話す。
(いつもの事だ)
そこに大きな差などある訳もない。
廊下を抜けて、教官たちのいる棟へと向かう。ナイトメアでの模擬戦の後、教官に呼び出しを喰らった。理由は知らないが、この軍人学校では教官の命は絶対だ。
二階に掛かる棟と棟を繋ぐ渡り廊下に差し掛かった。そこでライは後ろから声をかけられた。
「よぉ、リックに勝ったんだってなぁ」
声が聞こえた方へ振り向く。そこには三人の候補生がニヤニヤと笑みを浮かべながら立っていた。
「何の用だ。僕は教官に呼ばれている、用もなしに呼び止めるな」
「おおっと、嫌われたもんだなぁ。ま、でもな。用がない訳でもねぇんだよ」
男がそう言うと渡り廊下の反対側からも三人の男たちが現れる。それぞれが笑みを更に深く顔に刻み付けて。
「お前いい加減にしろよ? 爵位もねぇ、純粋なブリタニア人でもねぇ。ナンバーズ崩れの田舎野郎がいい気になってんじゃねぇよ」
「僕は自分のやるべき事をやっているだけだ。君たちに恨まれる筋合いはない」
ライは表情も変えずに言い放つ。
「けっ! さすがはNo.1士官候補生様ってか……? てめぇのそういう所が俺たちは気にくわねぇんだよ! 汚らわしいイレブンが済ましやがってよ! てめぇら、こいつを二度と減らず口を叩けねぇ体にしてやれ!!」
ライを囲んだ男たちが一斉に襲い掛かる。ライもそれを確認すると体を斜めに構える。次の瞬間、肉と肉、骨と骨がぶつかる音が渡り廊下に響いた。
ライは教官室の扉を軽くノックする。
「失礼します」
そう言って扉を開く。その先には教官と見知らぬ豪華な軍服を着た恰幅のいい男が立っていた。
「来たか、ライ士官候補生。こちらの方が面会を求めている。挨拶しろ」
教官は手で恰幅のいい男を紹介するように言う。
参上しました」
ライは敬礼をして、挨拶を終える。恰幅のいい男は満足そうに頷きながら
「ふむ、儂は第三皇子クロヴィス殿下直属の将、バトレーである。今回はここに優秀な士官候補生がいると聞いてやってきたのだが……、」
バトレーは手に持った紙の束を見ながら、
「君はどうやら申し分のない能力を持っているようだ。すぐに実戦で活躍できる程の、な」
「光栄です」
「そこでだ、君には今すぐにクロヴィス殿下が総督を務めるエリア11に赴任してもらおうと思う。これは命令だ、君に拒否権はない」
ライはバトレーの言葉に少し目を見開いた。
「私が……、軍人に?」
「うむ、先程も言った通り君に拒否権はない。出発は今日の15時、それまでに準備を済ませてまたここへ来てくれ」
「はっ……、承知しました。それではこれより準備に取り掛かるので、失礼します」
ライはそう言って部屋から出て行った。
「お宅の候補生を頂いて申し訳ないですな」
バトレーが教官に向ってそう言う。それに対し教官は笑みを浮かべながら、
「いえいえ、あのようなナンバーズの血を引く問題児を引き取ってくれることはこちらとしてもありがたい事ですからなぁ。ですがクロヴィス殿下直属軍に入隊とは、それはそれで問題ではないのですかな?」
「ふむ、平気だ。あやつは我らが体のいいモルモットとなってもらう。それよりも手続きは任せるぞ」
「はっ! それでは書類作成に掛かりましょう。理由は何と?」
教官は覗うようにバトレーに尋ねる。バトレーは表情も変えずに言う。
「……不運な事故死、ということにしておけばいいだろう」
ライは自室に戻るとすぐに準備を始めた。荷物は少ない、30分もすればすぐに荷物はまとめられるだろう。
「この部屋ともお別れか」
この場所は自分の記憶の中では一番長い時間を過ごした場所だ。いい思い出など一つもないが、自分にとっては一番記憶の中ではっきりと思い出せる場所となっている。
「一年前に記憶を無くしてから、ずっとここにいた訳か……。まさか行き先が拾ってくれた両親に出会った場所になるとはな」
そう。ライは一年前に記憶を無くしている。自分の中で一番古い記憶といえば、真っ暗な雲が覆う空だ。雨粒が激しく体に打ち付け、衰弱しきった体はピクリとも動いてなどくれなかった。
「向こうへ行ったら両親に手紙を書こう。これでようやく両親の恩に報いることができそうだ」
両親には感謝している。あの日、エリア11と呼ばれるあの場所で両親が拾ってくれなかったら、今頃この命はなかっただろう。
ふと、ライは窓の外を見る。空にはあの日と同じように真っ黒な雲が見え始めていた。
時刻は15時。ライは指定された時間にまとめた荷物を持って教官室の前にやってきていた。中に入るためにドアをノックしようとする。と、不意に別の方向から声がかかった。
「ライ君、時間通りだな」
声の方向に体を向けるとバトレーがゆっくりとこちらへ歩いて来る所だった。
「将軍、ライ・クルトスタン。只今参上しました」
「ふむ、よろしい。では、これからエリア11に向うために空港へ向かう。ついて来い」
「はっ!」
ライは敬礼すると、すでに背を向け歩き始めていたバトレーを追う。
向かったのは近くにある空港だった。海外への便も出ているためかそれなりに大きい。
ライは出国の手続きを済ませるとすぐにバトレーに連れられ、航空機に乗り込む。
「将軍」
「何だ?」
ライは機内で指示された席に荷物を置いてバトレーに話しかける。
「私はエリア11では何をすればいいのでしょうか? そろそろ教えていただけませんか?」
ライは今まで気になっていたことを口にした。それに対しバトレーは笑みを抑えきれないといった調子で、
「研究体だよ、ライ君。コードR被検体の君の役目は、な!」
「むぐっ!?」
バトレーがそう言い放った瞬間、ライは背後から何者かに口を塞がれた。その口元には布が押し付けられている。
(くっ……! 睡眠薬か? ……くそっ、意識……が……)
そのままライの意識は深い闇に落ちていく。最後にライが見たのは、まるでモルモットでも見るようなバトレーの顔だった。
目を開けると辺りは暗闇に支配されていた。たまに揺れたり、エンジン音が聞こえるということはまだ飛行機の機内らしい。しかも多くのコンテナが積まれているという事はどうやら貨物室にでも放り込まれたらしい。
「くそ! やはり拘束服は着せられているか」
自分の体を見てみると先程までと着ている服が違う。白で統一された衣服に手足を拘束して動けないようにするためのベルトがいくつも付けられた服だ。
「ほう。もう目が覚めたか、被検体R2‐001(ダブルオーワン)」
しばらく拘束を解こうと必死になっていると、客室の方であろう扉が開き、バトレーとその部下らしき男たちが現れた。
「バトレー!! 僕に何をさせるつもりだ!? コードRとは何だ!? 何のために僕を捕まえる!?」
「ふん、口の利き方も知らぬイレブンの猿が! おい! こやつに猿轡を噛ませろ!」
バトレーが従えていた男の一人に指示すると、ライの口に無理矢理猿轡が噛まされた。
「ぐ、むう!」
「ふん! どうあがこうが貴様はもう我らの手の内だ! まったく、いきなりエリア11の研究所から消えた貴様がブリタニア本国の士官学校にいたとはな。手間をかけさせてくれる!」
バトレーはそう言うとまた近くにいた男に何か指示を出した。指示を出された男はすぐさま布に液体を染み込ませ、ライの顔に押し付けようとこちらへ歩いて来る。
「貴様はクロヴィス殿下の研究には欠かせん存在だ。貴様の存在意義は既にそれだけなのだ!」
バトレーが入ってきたドアの方へ消えていく。そしてライの口元には再び布が当てられた。
次に気が付くと椅子に座っていた。拘束に使われるベルトは椅子に絡ませるように閉めてあり、床に椅子がボルトで固定されているため椅子を引きずっての移動すらできそうにない。
周囲を見渡すとそこは金属で囲まれた暗い部屋だ。眠っている間に目は暗闇に慣れていたため、うっすらと部屋にある物の輪郭は掴むことができる。
(うっ……。まだ頭がぼんやりする……。まだ薬が残っているということか。まだ飛行機から降ろされて時間は経ってないな……)
そのまま部屋を見渡してみる。部屋にはほとんど物はなかった。あるとすれば何が入っているか分からない箱だろう。
(ん……?)
そのまま部屋の中に視線を巡らしていくと自分の隣に大きな輪郭を捉えた。
(……人か?)
影はどうやら人の様だ。僕と同じように椅子に座らされているらしい。
思考を巡らせていると、唐突に部屋の明かりが点く。続いて部屋に唯一ある扉が開いた。
「やぁ、お目覚めかな? ライ。いや、今は被検体001(ダブルオーワン)か」
「ぐっ…、むぅっ!」
部屋にバトレーが入ってきた。口には猿轡を噛まされたままだで何か話そうとしても、吐き出す息は言葉になってくれない。
「貴様には早速研究のモルモットになってもらおうか。連れていけぃ!」
バトレーについてきた白衣の男たちが椅子に絡めていたベルトをほどいていく。
(今しかチャンスはないか!!)
腕の拘束が解かれた瞬間、左腕の拘束を解いていた男の首に手刀を叩き込む。男は小さく呻き声を上げた後床に倒れた。
「き、貴様!」
右腕の拘束を解いた男が懐に手を差し込む。武器を取り出そうとしているのだろうが研究者風の男はこういった事態に慣れていないのだろう、動きが緩慢だ。先程の男と同じように首に手刀を叩き込んで気絶させる。
「くっ…! 警備室、応答せよ! 被検体001が抵抗を始めた、すぐに増援を寄越せぇ!」
バトレーは無線で詰めている武装員に連絡を取っている。その間に足の拘束を引きちぎるように解く。
「うっ…! 貴様、動くな!」
バトレーが銃をこちらに向けてくる。けれどその時には既に僕はバトレーの懐に潜り込んでいる。
「はっ…!」
バトレーが発砲する前に腹に一発叩き込む。勢いのついた拳は一撃でバトレーを昏倒させた。
(くっ…! 早く逃げないとマズイな……、ん?)
男の一人が落とした者であろう銃を拾おうとした時、それが目に入った。
「女の……子?」
そう。僕の視線の先には長い緑色の髪をした少女がいたのだ。恐らく先程暗闇の中で目にした影の正体だろう。彼女は僕と同じ白い拘束服に身を包んでいた。
(見捨てる訳には……いかないな)
僕は少女に近づき、拘束を解こうとする。けれど……。
(足音が近い!? マズイ、このままでは……!)
少女の拘束を解こうとしていた手が止まる。助けるべきか、否か……。
(そんなもの……、考えるまでもない!)
僕は止めていた手を再び動かす。もちろん少女の拘束を解くために。
「動くな! 下手に動かなければ発砲はしない! 両手を頭の後ろで組み、こちらを向け!」
「くっ…!」
少女の拘束を解き終わってすぐに武装員が部屋の入口までやってきていた。彼らの発する空気や音から既に銃口は僕に向けられているだろう。
(これでは……抵抗することもできない! だが…っ!)
男たちが一歩、こちらへと踏み出すのが気配で分かる。このままでは確実に捕まってしまう。
(一体どうすれば! 女の子を一人抱えて武装員を巻くことはできない! だからといって見捨てる訳には……!)
逃げ場はない。守りながら逃げ切れる可能性もない。反撃して勝つことも不可能だろう。
(……来るな…)
男たちの足音が背後まで迫ってくる。
(……来るな…っ!!)
男の手が肩にかかる。体の中が熱くなる。得体のしれない熱が、体の中で溜まっていく。
「来るなっ!! 僕に関わらないでくれっ!」
その瞬間、僕の体の中を得体のしれない力が駆け巡った。頭がズキズキと痛み始める。
「がっ…!」
右目に痛みが走り、僕は思わず目を押さえた。
「分かった。我々は君に干渉しない」
男がそう言ったと思うと複数の足音が廊下に移り、やがて消えた。
(何…だ…? でも、今なら……!)
僕はふらつく足を無理矢理動かし、廊下を駆ける。助けようとした少女を連れて行くことすら、その時には忘れていた。
太字の文