結界消去を阻むように、突如として屋上に木霊した第三者の声。
声の主の姿は、視線を巡らせるまでもなく見つかった。
給水塔の上。
圧倒的な存在感を持って、青き衣を身に纏った男、ランサーが粗暴な笑みで見下ろしていた。
口元は吊り上げられ、凛たちに向けられる瞳には獰猛な獣じみた光を宿している。
「コレ、貴方の仕業?」
凛は、怜悧な瞳をランサーに向け、平坦な声で聞く。
対するランサーは始めは飄々と、最後は殺気を滲ませて言葉を返す。
「いいや。小細工を弄するのは魔術師の役割だ。オレ達はただ命じられたまま戦うのみ。なあ、そうだろ。そこの兄さんよ?」
「―――――――――――――!」
凛は、思わず息を呑む。
ランサーには、霊体化したアーチャーが見えている。
「・・・・・・そう、サーヴァント。で、コレがアナタ企みじゃないとしたら・・・・・・・・・アナタは何が目的でここに居るのかしら?」
「そういうアンタこそ、もう検討はついてるんだろ?だったら、つまらん駆け引きはなしにしようや」
なんという事のない、飄々とした声。
それなのに、凛には背筋が凍るほどに冷たく、吐き気がするほど恐ろしく感じられた。
「そうね。じゃあ―――――お言葉に甘えさせてもらうわ!」
「っなに!?」
凛の言葉と同時に、ランサーへ複数の飛来物が殺到する。
ランサーはその手に二メートルはあろうかという真紅の槍を出現させ飛来物を弾くが、その隙に凛は次の行動へと移っていた。
「は、っ―――――――――――――!」
本来マスターの役割は多岐に渡るが、この状況下で凛が取るべき選択肢は一つしかない。
「
Es ist gros,
Es ist klein・・・・・・・・・・・・!!」
凛は左腕の魔術刻印を走らせ、一小節で魔術を組み上げる。
身体の軽量化と重力調整。
この一瞬のみの効果だが、それでも十分。羽根と化した体は軽々と跳び上がり――――――――
凛は、迷うことなくフェンスを跳び越え、屋上から落下した。
一見気が狂ったのかと錯覚しそうになるが、勿論そうではない。
相手が何であろうと、狭い屋上で戦う場合アーチャーはともかく凛が戦闘の邪魔になる。ならば広い戦場に移動するのが何よりも先決。
つまり凛に空へ逃れる術が無い以上は、地上へ活路を見出す以外道はなかったのである。
「っ――――――!」
凛の体を風圧と重圧が襲う。
(これじゃ遅い、あいつに追いつかれる・・・なら!)
「
vox Gott Es Atlas―――――――!」
凛が新たに施したのは、重力制御。
それにより落下速度を加速させ、着地までの時間を短縮する。
が、それはつまり着地時の衝撃も比例して増すことを意味していた。普通の魔術師なら自爆で終わるところだが、凛は聖杯戦争に参加するマスターである。マスターには、その相棒たるサーヴァントが存在する。
「アーチャー、着地任せた!!」
『・・・・・・・・・・・・』
(ク・・・やれやれ、大胆というか何と言うか)
アーチャーは一瞬だけ実体化し凛を支える。
その顔には微かな笑み浮かんでいるように見えた。
「――――――、は――――――!」
着地の衝撃をアーチャーに殺させた凛は、地面に足がつくと同時に走り出す。
このまま逃げ切れると考えている訳ではない。
凛とアーチャーの長所を生かせる、遮蔽物のない広い場所に移動することが目的だ。
「はっ、は―――――――!」
屋上から校庭まで、七秒かからずに走り抜ける。
距離にして百メートル以上。常人には到達しえず、残像しか見えない速度。
だがしかし、そんなものは――――――
「っは、意外といい脚だな。速いじゃねえか、お嬢ちゃん」
――――――サーヴァント相手には、何の意味もありはしなかった。
「アーチャー!」
凛が後ろに引くと同時に、前に出たアーチャーが実体化する。
そのアーチャーの手には、白と黒、二振りの短剣が握られていた。
ランサーは目を細め、口元を不気味に歪める。
「――――――っは、いいねぇ、そうこなくっちゃ。話が早いヤツは嫌いじゃあない」
鋭い風切り音と共に、男の腕が振るわれる。
その手に現れたのは、屋上でアーチャーの矢を弾いた紅い魔槍。
「ランサーのサーヴァント・・・」
「如何にも。そっちのヤロウはセイバー・・・って感じじゃねえな。何者だ、テメエ」
ランサーは、先程までの気軽さなど微塵も感じさせずアーチャーを睨む。
殺気を撒き散らすランサーに対して、アーチャーはあくまで無言。
両者の間合いは五メートル弱。
二メートルもの槍を持つランサーからすれば、残りの三メートルなど無いも同じだ。
「・・・・・・ふん。真っ当な一騎打ちをするタイプじゃねえな、テメエは。って事はアーチャーか」
嘲る声にもアーチャーは動じない。
何の反応も示さないアーチャーに対して、ランサーは苛立っているかと思えば、意外にも表情に変化は無い。
互いに優れた戦士、英雄なのだ。やるべき事は心得ている。
心を乱さず、相手の隙を窺うのは戦いの常道だ。
「・・・・・・いいぜ。好みじゃねえが、出会ったからにはやるだけだ。そら、
弓をだせよアーチャー。これでも礼は弁えているからな、それぐらいは待ってやる」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
アーチャーは答えない。
倒すべき敵に語ることなど何もないというように、その口は固く閉ざされている。
・・・いや、それは少し違うのかもしれない。
今この場で皮肉や挑発以外、何も語る気がないのは確かなのだろうが、アーチャーの真の意図は別にある。
そう、アーチャーはただ待っている。
「・・・・・・アーチャー」
――――――マスターからの命令を。
「手助けはしないわ。貴方の力、ここで見せて」
「―――――――ク」
それは笑いか、それとも単なる吐息か。
赤い騎士は凛の言葉に応えるように、凛と同じように口元を吊り上げて、赤色の弾丸となって地を駆けた。
「――――――バカが!」
一直線に突貫するアーチャーだったが、迎え撃つは真紅の槍。
高速で突進するアーチャーが風ならば、ランサーの神速の槍は風をも穿つ。
「――――――グッ」
迫り来る紅い閃光を間一髪で受け流し、アーチャーは足を止めざるを得なかった。
接近できたのは精々が二歩程度だろうか。
長柄武器の基本戦術の要は、常に相手の間合いの外から攻撃し攻め込ませない事にある。
つまり槍という武器の特性上、槍使いは向かってくる敵を迎撃するだけでいい。
自らが距離を詰めるより、踏み込んでくる外敵を狙い済まして貫く方が容易なのだから。間合いの外からの
迎撃は剣士にとってこの上なく厄介なものだ。
だというのに、ランサーは自ら距離を詰め、アーチャーに前進すら許さなかった。
「舐めるなよ、弓兵風情が接近戦を挑むか!!」
猛るランサーの声と共に繰り出される刺突は全てが必殺。
咽喉、眉間、肩、心臓、間隙無く放たれる刺突は絶えることなく執拗にアーチャーを襲う。
突きの弱点である戻りの隙さえないその攻撃は、神業と言って差し支えないだろう。
だが、アーチャーとて英霊とまで成った者。
「――――――フッ!」
無数の点を双剣で弾き、いなして前進を試みる。
剣士が槍兵に勝つ為には槍の間合いの内側、剣が届く距離にまで接近する必要がある。
それがランサーほどの使い手が相手となると容易ではないが、アーチャーは着実に距離を詰める。ランサーはアーチャーをただの弓兵と侮っていた為か、僅かながらも接近を許してしまっていた。
徐々に徐々に。けれど確実に縮まっていく距離。
このまま懐に飛び込むことが出来れば、アーチャーにも勝機はあると思われた。
が、唐突に赤い外套は停止する。
「――――――ぬっ!」
先刻よりも速度を増した刺突。
一合、二合と打ち合うごとに速くなるその刺突は、最早常人には軌跡すら見えまい。
「――――――チィッ!」
何とか凌ぎつつも、アーチャーは後退を余儀なくされる。
神速の槍の豪雨を辛うじて受け流すが、技量はランサーの方が上。とてもではないが、アーチャーが捌ききれるものではない。
本来なら、ランサーに真っ向から白兵戦で敵う者があるとすれば、それはセイバーかバーサーカーくらいのものだ。だが、赤い騎士はアーチャーであり、弓兵であり、魔術師である。
そう、ランサーが言った通りアーチャーとは弓兵を意味している。槍の間合いの更に外、遠距離からの狙撃こそが弓兵の真骨頂。
アーチャーが勝つ為には、弓兵として戦うしか道は無い。より具体的にいうならば、宝具の真名開放をもってしか状況を覆す術は無いだろう。
両者の間には、それ程の絶対的な差があった。少なくとも接近戦においては、アーチャーに勝ち目は無い。
それ故、これは当然の結果といえた。
「――――――ヅッ!!」
遂に左手の短剣が弾かれ、右手一本での防戦となる。
すると、より劣勢になることは当然だが、それに加えてランサーはここぞとばかりに攻め立てる。
苛烈さを増した槍の暴風の前には、然しものアーチャーも右手一本だけで耐え切ることは出来なかった。
一際高い剣戟の後、右手の短剣も弾き飛ばされる。
「――――――間抜け」
罵倒するランサーに躊躇はない。
アーチャーを追い詰めんと踏み込んでいた足が止まり、無刀となったアーチャーと視線がぶつかる。
一瞬で勝敗を決するつもりか、がっしりと地面に根を下ろし構えるランサー。
瞬間、紅い光が大気を貫いた。
一息のうちに放たれたランサーの槍は、正に閃光。
視認さえ許さない神速を上回る超神速。
狙いは三点――――――眉間、咽喉、心臓、すべてが急所。
それは、文字通りの必殺。
だが。
視る事さえ出来ぬ閃光を、一対の光が弾き返す。
「―――――――何!?」
ランサーの攻勢が止む。
アーチャーの両手には、再び双剣が握られていた。
先程の双剣と全く同じ、鉈を思わせる中華風の黒白の剣。
ランサーは一瞬目を見張るも、直後には獰猛な笑みを浮かべていた。
「ハ、いいぜ。そうでなきゃ面白くない。望みどおり、何度でも弾き飛ばしてやるよ」
そうして、青赤の戦いは更に加熱し、より苛烈になっていく。
それを、"破綻した舞台"を俯瞰する、二つの視線に気付かずに。