『12月 15日
黒髪 蒼 』
寒さが増し始めて、洞窟から出るのが億劫になっている蒼はたき火の近くでうずくまっている、出来るだけエネルギーを消費しないようにするためだ。
「寒いな……」
ここ二、三日吹雪が続いている、積雪はさほどでもないが荒れ狂う突風のせいで蒼は洞窟の中から出れない状況だった。
ちょうど四日目の夜に焚き木も食糧も底つきかけていた、この吹雪の中でそれらを集めるのは危険だが、どうしたものかと蒼は狩りで獲った獣の皮を纏いながらため息をついた。
体力的に今、行くのがベストだがこれで何も収穫が無ければ凍死、あるいは餓死、自然界は実に冷酷であったが、蒼にとってそれは日常であり常識のひとつに過ぎない。
答えは二つにひとつ、蒼は獣で作ったマントのようなものを身にまとい、残りの焚き木を火の中に放り込んだ、枕元に置いてあるサバイバルナイフを腰に装備し背中には大きめの竹で編んである背負いかごを肩に通すと、吹雪が吹き荒れる外へと歩き始めた。
風が鞭のように蒼の手や顔と言った露出部を襲う、呼吸をするたびに凍るような空気が肺を襲い、身体の内部からも熱が持ってかれていく。
少し積もった雪がキュッキュと音を立て靴底とは反対の模様を描いている、どうせこの足跡も三分もしないうちに雪に消えてしまうだろうと内心、鼻で笑いながら落ちている枝などを雪の中から探し出し背中のかごの中に放り入れた。
残りは食糧、蒼はため息をつき、目を閉じ三秒ほどしてから瞼をそっと開ける。
「こっちか……」
蒼は静かに方角を変え一歩を前に進めた。
静寂に包まれた森はかすかな雪の積もる音と蒼の呼吸音が良く聞き取れるほどだった。ある地点まで歩くと蒼は腰のサバイバルナイフを革製の鞘から抜き出すと右手に持ち直し、左腕で口を覆い呼吸の音をできるだけ遮る。身を低く小さくし、ゆっくりと物音を立てずに少しずつ進んで行く。
数メートル先に見えたのは茶色い毛皮に角の生えた哺乳類、シカの群れのテリトリーに蒼は来ていた。
群れに居る小鹿に狙いをつけ、ナイフの刃の部分を手に持つと大きく振りかぶりナイフを投げつける。
ヒュッと音を立て直進するナイフは小鹿の喉元を直撃し鮮血をまき散らしその場に倒れる。血の匂いでシカの群れは一斉に走り出して瞬く間にどこかに消えてしまった。
「っよし!」
捕らえた小鹿の首に刺さったナイフをそっと引き抜くと栓を抜いたように血液が噴き出した。
小鹿の後ろ脚を持ち上げ血を完全に抜くと首にかけそのまま近くの川へと歩いて行った。小鹿と言っても体重は30キロを超えている、ここら辺の地域は生物が巨大化する傾向があるため大人のシカは1トンを超えるものもいる。
川に着くとシカをおろし、かごをおろしマントを脱ぎ、サバイバルナイフを取り出し、シカの腹部にナイフを差し込み縦にナイフを滑らせた。
血は抜いてあるためか大した量は無く、新鮮な内臓が綺麗な色をしている。慣れた手つきでシカの内臓を取り出すと、川に放り投げ、両手を合わせ合掌した。
「命をいただきます」
シカの内臓を蒼は食べたことがあるが、運悪く寄生虫に当たり、激しい腹痛に悩まされたことがあった以来、内臓は食べないようにしている。
シカの皮を剥ぎ取り、肉もブロック状に切り分けると、剥いだ皮に包みこみ背負いかごの中に入れた。
血の付いた手を川の凍えるような水で洗い流すとマントを着て、かごを背負った。
「さて行くか――」
振り返ると、川の岸に人影のような姿あった。
慌てて、そこに行くと一人の女性がずぶ濡れで倒れていた。容姿は暗がりで良く見えなかったが呼吸をしていることからすぐに命に関わる状態ではなかった。
蒼はその人抱きかかえると走って自分の住む洞窟へ向かった。女性はまだ体に微妙に体温があり軽度の凍傷で済むだろう。
洞窟に到着すると火は消えており寒い、風がないおかげか外にいるよりはいくらかよかった。
女性を獣の皮の上に仰向けに寝かせるとジャンパーのチャックをおろし、その下にある何枚か重ね着しているシャツのボタンを外し全て脱がせる、透き通るような白い肌が露わになり、その下につけているフロントホッグのブラジャーを苦戦しながら外すと、魅力的な艶めかしい胸が揺れていた。
男性が見たら釘付けになるが、蒼はこの女性がさっきまで真冬の中川にいて、凍傷寸前あることから、熱を持っていく濡れた服なら、脱がせた方が症状を抑えられると思っていた。
ベルトを外し、腰のあたりに手を滑り込ませ一気にパンツとズボンを脱がせる、何も着ていない女性に獣の皮を被せ防寒対策を施した。
火打石を手に取り枯葉の上で角を叩き合わせて引火させる、この枯葉は松脂の細かい粉が振りかけられていて、引火性が高い。
10秒もせず火がつくつと細い枝から少しずつ火を強める。
かなり太め木を放り込み、燃えたのを確認すると蒼は女性の方を見た。あかりができたことで顔が鮮明に見えた。
ブロンドのロングの髪をポニーテールに束ね、くっきりとした顎のライン、顔のパーツ個々が端正な作りになっている特に右目の下に泣き黒子があり、蒼の印象に残った。
この女性の手を触ると案の定かなり冷たい、蒼はため息をつき上着を脱ぐと女性を抱きかかえた。
隣で燃えている火ではこの女性を温めるには少し辛いものがあり、他に温めるものも無かったために蒼は上半身の服を脱ぎ、引き締まった体で女性を抱きしめる。
蒼は人を助けるためにやっており、それ以外の感情は全くなかった。
「寝るか……」
天井にはさっきとった肉がたき火の煙でいぶされており、明日には燻製が完成したてるだろう。
蒼は瞳を閉じ、静かに寝息を立てた。
『五時間後』
「イヤァ!!」
蒼は強烈なビンタによって目が覚めた。ぐっすり眠っていた蒼は突然ビンタされるとはおもっておらず一瞬なにが起こったか理解できなかった。
「あ、あなた!! 何をしたか分かってるんですか!?」
蒼は無理やり起こされた脳の回路を巡らせ昨日の出来事を思い出した。
「あ、思ったより元気そうだったな。よかった、よかった、昨日は体が氷みたいに冷たかったからな、服はそこにあるから」
暢気に女性の服の場所に視線を送り、蒼は立ち上がり、置いておいた自分の上着に体を通した。
「話を逸らさないでください、たしかにあの時、私は川に落ちましたけど、それとあなたに裸にされたのとなんの――」
「濡れた服のままでいると気化熱で余計に熱が奪われる服を着ない方がマシだ、あんたを抱いて寝たのは出来るだけ体温を下げないようにするためだよ」
蒼は残り火に枝を投げ込み火の勢いを上げる。
「じゃあ、私を裸にさせたことに正当性があるという事ね……申し訳ございません」
「まぁ、ビンタされたときはびっくりしたよ、オレは
黒髪 蒼、この森で暮らしている」
蒼はブロンド髪の女性に自己紹介する。
「私はアエラ・ウイスタリアよ、対バイオテロ組織“フロント&フロンティア”生物兵器対策課エージェントよ」
背筋を伸ばし右手を胸に当てた。すでに服は着ており髪の毛も整えられていた。
「アエラか、わかったところでどうしてこの時期にここら辺に?」
「違います、襲われたのです……」
アエラの表情が暗くなる。
「襲われたって……一体何に?」
蒼は昨日獲って燻製風味にした肉を焼きながら聞いた。
「生物兵器、タナトスに……」
「せいぶつへいきってなんだ?」
蒼は焼けた肉を口に運びながらアエラを見た。
「あなた、何も知らないんですか、世界情勢を!?」
「オレは物心ついた時からずっとここで暮らしていた。母さんもいたけど死んじゃったからな……」
「そうでしたか、嫌なことを思い出させてしまって」
「生きとし生ける者、全てに平等に訪れるのが死だ、寂しいけどこれが摂理だからな」
蒼は焼けた肉をアエラに渡し、静かに言った。
「そうですか……」
「話が逸れたな、それでその生物兵器ってのに襲われたんだな」
「ええ、そうでしゅ」
口の中に肉を詰め込んだアエラが頷く。
「これからどうするんだ?」
「とりあえず、本部に連絡したいのですが、携帯は水没して壊れてしまって……」
「ここからじゃあ、近くの村まで丸一日はかかるし、道も分からないだろ、ここら辺は地図があっても迷うようなところだからな」
「案内料はいくら払えば?」
「おいおい、まさか今日行く気じゃないよな?」
「勿論、今日中には本部へ――」
「ふざけるな、外は夜だし雪がまだ吹き荒れてんだ、天候が回復するまで外に一歩も出るな、死ぬぞ?」
蒼は赤い双眸でアエラを睨み付けるに近い表情で見つめた。無造作に切りそろえられた
白い髪が炎の色に反射しオレンジ色の光沢を放っている。
「……ですが!」
「これで最後の警告だ、死ぬぞ?」
蒼は雪の降りしきる静寂の中で雪よりも冷たい声音を吐いた。
豹変した蒼を見て流石にアエラも一歩後ずさった。
「わかりました明日になったら必ずですよ……」
「まぁ、明日止んだらな……」
蒼は獣の皮の布団に座ると肩肘を顎につき、静かに火を眺めた。外の雪は一向にやむ気配がなく、ため息をついた。
アエラは何か会話を見つけようと思考を巡らしていた。
「そういえば、蒼さんはやっぱり歴史上の
黒髪 蒼の子孫か何かですか?」
今か数千年前に世界は巨大都市の中に住んでいて外の世界と確立されていたらしい、そこには今の技術をはるかに超える科学力が存在していた。そして
黒髪 蒼はその世界のバランスを破壊し、そこにあった技術、思想、人が創造した全てを破壊し新たな世界の礎を築いていった、英雄であり、テロリストのことだ。
「オレの家系の男は約15歳を過ぎると
黒髪 蒼って名乗るんだ、だから、何代目の蒼がそれをやったのかもしれない、親父も本名が
黒髪 蒼なんだ、真名はちゃんとあるけど黒髪家以外の住人には滅多なことが無い限り言えない仕来りなんだ、名を明かしていいのは守るべき人ができたとき」
蒼はそう言うと、一息置いて「アエラの言う人の子孫なのか、分からない」と付け足した。
「そうですか……」
沈黙――
なにか会話を続けようと蒼も頭を回転させる。
「アエラはいくつなんだ?」
「17です、飛び級で就職しました」
「奇遇だな、オレと同じ」
蒼はにっこりとほほ笑み、アエラを見た。
「あなた、まだ17だったのですか、意外でした」
「よく言われる、髪と眼のせいだな」
「その髪は、病気ですか?」
「う〜ん、病気といえば病気なんだけど原因不明、まぁ色素障害だと思う」
蒼は白い髪を指でなぞりながら、そう言った。
刹那の沈黙が走り、蒼はたき火の中に木を放り込んだ。
「明日にはここを出れそうだ……準備するか……」
蒼はそう呟き、自分の座っていた、獣の皮をめくると、木製の長方形の蓋のようなものが現れた。
蓋を外すと、穴が掘られており金属の箱がふたつそこに収まっていた。ひとつは小さく光沢を放つ最新式の気密性の高いアタッシュケース、もうひとつは表面が錆びてボロボロだが頑丈そうな細長い、背負えるように両端には皮で出来た紐があるものだった。
「これは一体なんですか?」
アエラが首を傾げる。
「ここへは帰れなくなくなるかもしれないとき、これを持って行けって母さんが言っていた」
ひとつめの金属の箱を開けると漆黒のオープンフィンガーの手袋があった。
「これって……ウソでしょ……」
アエラが驚愕した表情を見せた。
「アリアドネの糸、生物兵器の体毛で衝撃が加わると急激な硬質化が起って衝撃を吸収する、材質、大統領の防弾ベストとかに使われる繊維よ、アリアドネは硬質性に対衝性に優れているの、聞く話だと対物ライフルでも貫けないらしい」
蒼は「ふーん、そうなんだ」と受け流し、早速手袋を両腕にフィットさせる。
「そんなに、頑丈な手袋なのか――ッ!!」
洞窟の壁に拳を打ち付けると、硬く脆い岩壁にひびが入った。
「……なるほど、たしかに頑丈だし拳に負担が少ないな、フィットするし適度に滑り止め効果がある」
蒼は感心して漆黒の手袋を指でなぞる。
「生物兵器にもいろいろいるのよ、兵器ってつくけど、中には生成される副産物が武器になるだけでそれ自体は無害な生き物もいる」
「なるほど、じゃあ、このアリアドネもそういう類のやつなんだな」
「いや、アリアドネは獰猛な生物よ、映像で見たけど、あれは正真正銘の化け物よ」
アエラは苦笑を漏らし、火を覗き込んだ。
「救助を呼んだらまたそんな奴らと戦うのよ……」
アエラは瞳をわずかに濡らし、悲しげな眼でポツリとつぶやいた。
「……今日はもう休め、明日身が持たないぞ?」
「そうね、ありがとう蒼、そういえばもうひとつの箱にはなにが入ってるのですか?」
「あれ、実は開かないんだ」
一話終わり