1994年 初夏 日本帝国煌武院家
月詠真那は緊張していた。この春に斯衛養成所を出たばかりの従姉妹の真耶とともに、これから仕えることになる煌武院家の方との初めての対面。
月詠家とは譜代武家の中でも家格の高い家柄でありながら、長年煌武院家の御側役を務めてきた。それはひとえに月詠家の人間の持つ高潔な精神、そしてその武勇に起因する。それは誇りであり、誉れであった。
当然真那も、己の持つ月詠の名に恥じぬように研鑽を積み、斯衛養成所を優秀な成績で卒業した。そして今日という日を迎えるに至る。己が生涯の主として刀を捧げるお方。そのご尊顔を拝する日。否が応でも緊張が高まった。
隣に座る真耶も同じように緊張している様だ。
2人で揃って頭を伏して、主君が現れるのを待つ。苦痛ではない、むしろ心地よい緊張感が身と心を引き締める。
待つことしばし、
「これより、煌武院悠陽様がいらっしゃいます。失礼の無いように」
侍女が告げると共に、襖がすっと横に滑り、そこからその少女は現れた。
目を向けるなど不敬。なれどわかった。その身に纏う空気が、そして一瞬にして広間を掌握した貫禄、間違いない、このお方こそ私がお仕えするべきお方。
真耶が思わず感極まっていると、すっ、と入室した少女、煌武院悠陽が上座に座る気配があった。
「悠陽様、こちらがこの度無事任官を果たし、煌武院家に仕えることになりました、月詠真那、月詠真耶です。両名とも、階級は斯衛軍の少尉となっておりますが、平時は煌武院家の御側役となっております」
侍女のよどみのない言葉に、無言で頷く悠陽。
「面を上げてください」
聞くもののを思わず虜にしそうな声が、真那、真耶の鼓膜を震わせる。
初めてその顔、その姿を目にした瞬間、真那の背筋に衝撃が走った。わずか13とは思えないほどの英気、見るもの引きつけてやまない王者の風格。すべてが真那の理想を超えていた。これほどのお方にお仕えできる、真那の心は歓喜に満ちあふれていた。だが、それを表に出すような無様な真似はしない。胸の内の歓喜を押し込み、不遜にならない程度に悠陽の姿を見つめる。
「2人とも、無事の任官を誠に嬉しく思います。煌武院家はそなたら月詠家を始めとする多くの武家の支えにより今日まで栄えてきました。これからはそなたたちの力も煌武院家に、そしてこの悠陽に貸してください」
「「はっ!」」
なんという有難い言葉だろう。このお方に必要とされている。そう考えるだけで、真那の身は歓喜に包まれた。
「しばし2人と3人で話をしたい、他のものは席を外してもらえますか」
「はっ」
悠陽の言葉を受け、待機していた侍女たちが部屋を出て行く。
いったい何だろう?3人だけの秘密の話?
真那の胸がざわつく。
「2人のうちどちらかには、少々酷なお願いをすることになります。それに当たって、ただいまからあるお方をお呼びします。2人とも決して騒がないように」
「それって、おれが騒がれるような人物ってことか、ゆーひ?」
「「!?」」
真那と真耶が愕然と背後を振り向いた。そこには今まで無かったはずの青年の姿があった。着ている服は灰色を基調とした忍びが纏うような隠密行動に適したもの。
纏う雰囲気は軽い。先ほどまで部屋を満たしていた荘厳な空気すら、この男にとっては何ともないらしい。
「そのようなことはありません、隆也様。ただ、あなた様はいろいろと規格外なもので。ほら、現に2人が驚いて身動きがとれないではありませんか」
「ふっ、それはなゆーひよ。おれのダンディぶりに腰を抜かしているからだ。いや、もしかしたら、おれに一目惚れしたその衝撃で身動きがとれないのかもしれんぞ」
「ふふふ、またそのようなお戯れを」
呑気に会話を交わしている悠陽からは、先ほどのような覇気ともとれる圧倒的な存在感が無くなっていた。代わりにあるのは年相応の子供が浮かべる表情。
「き、貴様、悠陽様に無礼であるぞ!」
「不審者め、気安く悠陽様にお声をかけるな!」
はっと我を取り戻した真那と真耶が、不審者、隆也に対して身構える。
その様子を目を細めながら観察している隆也。
「ふむ、どうやら、こっちの真那という娘がふさわしいようだな」
「え?」
突然自分の名を呼ばれて真那の心に動揺が走る。そしてあろうことか、その言葉を聞いた悠陽がとんでもないことを言い出した。
「そうですか。隆也様が仰るのなら問題はないでしょう。それでは、月詠真那でしたね」
「は!」
なんだろう、いやな予感しかしない。それは隆也と呼ばれた男のニマニマした顔からうかがい知れる。
「そなたに頼みがあります。時が来るまで、これから言う人物の御側役を務めて欲しいのです」
「!?」
悪い予感が的中した。今自分は何を言われた?お役ご免?いや違う、そうではない。煌武院家の御側役を誉れとする月詠の人間を、別の家の人間の御側役につけようというのだ。
従来ならば考えられないことだ。それだけ月詠の名には重さがある。煌武院あるところに月詠ありと詠われるほどの濃密な主従関係。
だが裏を返せば、煌武院家にとって決して失うことの出来ない、大切な者に対して月詠を派遣することでその者に対する信とする、ということもあるという。
「詳しい事情は今はまだ話すわけには行きません。ですがそなたは気づくでしょう。この私の勝手な願いが何を意味するかを」
真那に拒否権など無かった。だがそれでもなお、聞かずにはおれない。しかしそれは悠陽の先回りした言葉により封じられてしまう。
「よし、それじゃ、おれはここでおいとまするとするか。いやいや、今日は有意義な日だった。なにせサブキャラを見つけることができたんだからな」
自分が任務を言い渡される原因になった人間が後ろでのうのうとのたまっているのを聞いて、思わずきっときつい視線を背後に向けると、そこにはすでに何者の姿も無かった。
気配もなにも。まるで先ほどの人物は幻だったかのように。
「なっ?い、いったい、いまのは?」
呆然とする真那に、悠陽が声を掛ける。
「大丈夫です。隆也様は信頼の出来る人物です。あと、そなたたちには悪いのですが、隆也様のことは内密に願います」
先ほど見せた素の13歳の姿とは見違える覇気を纏った少女が、ゆっくりと告げた。
「「はっ!」」
どこか悪夢を見たような気分の真那と真耶は、呆然と促されるままに返事を返していた。
1994年 初夏 日本帝国御剣邸
「というわけで、これから月詠真那というなかなかいい女が、めーやの御側役としてくるわけだ」
「なるほど、してお師匠から見て、その月詠真那という女性はどのような印象でしたか?」
「うん、ちょいと堅物っぽかったな。もう少し柔軟性を持てれば良いんだろうが、まだまだ若いんだからな。これからに期待ってところだ。ちなみに美人だな。しかもありゃ、ツンデレタイプと見た」
冥夜が打ち込む激しい斬撃を相手に、自分のもつ木刀を軽く交わしながら隆也が答える。
「なるほど、恋敵がまたもや出現したといことですね」
冥夜が小さく呟く。ただでさえ、まりもと夕呼がいるのだ。このままでは完全に手遅れになってしまう。
ここは御剣邸、煌武院家の遠縁にあたる外様の武家の屋敷。つまるところ冥夜の家である。
「いやいや、それにしても、あの絶望感あふれる顔ったら、実に見物だったな」
「お師匠、他者の不幸を喜ぶなど、あまりよい趣味とは思えませぬ」
「悪い悪い、でもまあ、あれは見物だったぞ、と、ほら、また意識が偏っている。常に左右均等に気を張ることを忘れるな」
「はいっ」
隆也の指摘に対して、すぐさま攻め手の修正を行う冥夜。
この光景を他の者が見ればあっけにとられるだろう。
なにせ冥夜の振るう剣の一閃はまさに閃光。とても出はないが女子供が出せる剣速ではない。いな、往年の名剣士であってもこれほどの剣速をだせるものはごくわずかだろう。
そしてそれを、なんてこともなく捌く隆也。2人の稽古の次元は見る者が見れば、腰を抜かしかねないほど高次元なものだった。
そう、今その光景をのぞき見ていた月詠真那のように。
「よし、とりあえず、ここまで。しばらく見ないうちにまた上達したな」
「ありがとうございます、お師匠。ところで、先ほどからこちらを見ている者は?」
「おお、先ほど言っていた月詠真那ちゃんだな」
言って隆也は木刀を冥夜に向けて放り投げると、あまりの異次元の剣技の応酬に腰を抜かし掛けていた真那の側に足を運んだ。
「き、きさまは、たしか隆也」
「お、真那ちゃん、おれの名前を覚えていてくれたのか、うれしいね」
「な、馴れ馴れしく私の名前を呼ぶな!」
「んじゃまーなとか?」
「ふざけているのか、貴様!」
「あの、お取り込み中のところ失礼いたします。お客人。かような場所ではお話もできませぬ。御用向きは母屋でうかがいますので、ご足労願えないでしょうか?」
おずおずと2人のやり取りの間に割ってはいる冥夜。この辺りは、隆也とまりも、夕呼のやり取りを見ているから慣れたものだ。
「あ、これは失礼…!?」
「どうしました、お客人、私の顔になにか?」
真那の目には先日見た煌武院悠陽の顔が写っていた。いや、違う、これは、まさか?
煌武院家には古くから続く家柄ゆえ、幾つかの因習が根付いている。
その一つに「双子は世を別ける忌み子」とされる仕来りがある。
ということは、この目の前にいる少女は。
「お、分かったみたいだな。そう、そういうことなわけだ。まあ、詳しい話は母屋でじいさんから聞くんだな。ちなみにあのじいさん、おれの顔を見ると血管が切れるっていうんで、立ち入り禁止を食らっているんであとはよろしく」
言ってさっそうと姿を消す隆也を呆然と見つめる真那だった。
「ではお客人、参りましょうか」
これが月詠真那が生涯を掛けて剣を捧げたいと願う1人の少女との初めての出会いだった。
ちなみに剣術のレベルであるが、紅蓮醍三郎923、御剣冥夜785、月詠真那548、である。護衛対象よりも自分が弱いことを知った真那はこれから激しい特訓をつむことになるのだが、それはまた別の話。