俺は、今日も今日とて職業安定所に通う。
正直まだ足が治っていないので、まともな仕事は無理だという自覚はあるが、
それでも仕事を探していれば今後の参考にもなる。
行く途中でフェイトと会う、話の内容はあまりなかったが、それなりに気分がはれたようだったので安心だ。
帰りにお菓子屋を見つける。
金持ちというわけではないが、幸い俺は火星育ち、英語通訳はこなせるので翻訳の内職で少しは稼いでいる。
もちろん、通訳のバイトは収入が不安定だから、小遣い稼ぎにしかならないのだが。
まあ、そんな事より、学校から帰ってくるラピスやすずかにちょっとお土産でもと思い立ち寄った。
しかし、そこには既にラピスもすずかも来ているようだった。
「いらっしゃいませ、翠屋にようこそ!」
「いらっしゃいませ!」
元気のいい声で挨拶をされる、バイトの中華っぽい服を着た子とすずか達と一緒にテーブルを囲んでいる娘だ。
よく見れば、奥の方には忍もいる、恋人と仲良く仕事をしているらしい。
なるほど、ここが忍のバイト先か、おおよその理由は察した。
「あらら、居候がここにくるとは思わなかったわ」
「これは失敗したな、土産でも買って帰るかと思ったんだが」
「あ、アキトさん!」
「アキト!」
すずかとラピスも俺に気づいたようだ。
駆け寄って、車椅子を押してくれる。
「おー、その人がすずかの家の居候ね、私はアリサ・バニングス、すずかの友達よ。
でもあれね、普通の服装じゃない。てっきり、黒マント全身タイツかと思ってたのに」
「ちょ、初対面の人に失礼だよ、前に服は買ったって言ってたよ?
って、あっ、ごめんなさい、挨拶してませんでした。
私、高町なのはっていいます」
ちょっとなれなれしい感じで俺に挨拶をする金髪碧眼の少女アリサに対し、
明らかに日本人の少女なのはは礼儀正しく挨拶する。
二人ともすずかから話は聞いていた。
元気でやりすぎることもあるけど基本的に人がいいアリサと、
礼儀正しくて、ちょっとおませで、正義感と責任感が強い少女なのは、
すずかから聞かされている人物評はそんな感じだった。
「紹介ありがとう、俺はテンカワ・アキトだ、よろしくな」
「はい」
「へえ、以外に礼儀正しいじゃない、ってそうだ。貴方ラピスの兄なんですって? あんまり似てないわね」
「……」
俺はすずかを眼で追う、すずかはちょっとばつが悪そうな顔をしている。
確かに、俺とラピスは家族のようなものだが……。
血縁はないから、似ているはずもない。
「私はアキトの(もごっ!?)」
「あはは、ラピスちゃんったら、お兄さんのこと呼び捨てにしちゃダメだよ!」
「へー、本当かしらね?」
「もう、アリサちゃん、あんまり聞くのは悪いよ」
「あっ、うんごめん。ちょっと調子に乗ってたかも」
会って数分でこれだ、アリサという子は本当に遠慮がないな……。
だが子供らしいともいえる。
逆になのはという子は俺を心配してくれているようだが、少し大人ぶっているようにも見える。
どちらもいい子のようだが、対照的な二人だなとも思った。
しかし、なのはという子、恐らくフェイトと戦っていた子だろう。
証拠に、はやてやフェイトから出ていたのと同じ光が出ている。
正確には他の人たちからもかすかに見え隠れすることがあるが、まとっているように見えるのは今のところ3人だけだ。
これらが見えるのは演算ユニットのおかげなんだろうが、これがどういう意味を持つのかははっきりとしていない。
「こら、私の可愛い妹達にちょっかい出すんじゃないわよ!」
「いや、別にちょっかいを掛けたつもりはないが……」
「お姉ちゃん、そんなこと言ったらなのはちゃん達も困っちゃうよ」
「んー、まあいいわ、今回は許してあげる。それで何を頼むの?」
「メニューを見せてくれ」
「はいアキト」
「すまんなラピス」
俺はラピスから手渡されたメニューを見る、基本的にはケーキショップのようだが、菓子類は揃っているように見える。
洋菓子店というのが正しいのだろうか、しかし喫茶店風にちょっとした軽食もできるようになっているようだった。
俺は料理人としては半端者だったし、パティシエの領域は専門外だが、やはり食に関しては興味があった。
幸いここ数日で味覚はほぼ回復した、食べてみるのもいいかもしれない。
「では、ガトーショコラとホットを」
「はい了解、ってガトーショコラは今追加で作っているところなの、時間かかるけどいい?」
「特に急いではいないさ」
「はいはい、桃子さーん」
「はーい、もうちょっと待ってね♪」
奥のほうから声がする、恐らく桃子というのがここのパティシエなのだろう。
そうしている間にも、俺はラピス達のテーブルに横づけされるような格好で移動していた。
「ここはなのはちゃんの家なんですよ」
「ほう」
「お母さんが作るシュークリームは絶品なの!」
「それは失敗したな。シュークリームを頼むべきだったか」
「そんなことないわ、他のお菓子もおいしいわよ」
「ええ、桃子さんのお菓子はみんなおいしいです」
「(こくり)」
子供たちはお菓子の話題で盛り上がっている、とりあえず参加している俺だが正直ついていけているか怪しい。
しかし、これだけ賑やかなおしゃべりを聞くと少しナデシコを思い出す。
そんな事を考えているうちにも話題はどんどん移っていったようだった。
「なのはちゃん、将来は店を継ぐって言ってましたけど……」
「うん、最近は少し迷ってるんだよ……」
「なのはちゃんならきっといいパティシエさんになれますのに」
「ううん、そんなことないよ、私何もとりえないもん」
「取り柄がないか……小学生の気にする話題じゃないな」
「え?」
「取り柄なんていうのは、そのうち開花するものだ。
成人してそれでもとりえがないなら悩めばいいが。まだ悩むには早過ぎる」
「でも、アリサちゃんもすずかちゃんももう進路決めてるし」
「……はっきりいってそれは早すぎる気がするが……」
「私はああいった会社だから親族は会社に入る必要があるっていうだけよ」
「私も機械いじりが好きだから……」
「だが、あまり早く将来を決めても途中何があるか分からないんだ、
将来何になりたいかは兎も角、心に余裕を残しておくのは悪くない」
「あ、なるほど」
「そうですね」
「……うん、そうだね!」
なのはという少女は俺の言葉を聞くと素直に関心しているようだった。
俺の話は単にうまくいかなかった自分の人生に対する評価のようなものだったのだが。
思い込みは敗れたときに立て直しが難しい、常にそういう警戒はするべきなのだろう。
「行き倒れの割にはまともなこと言うじゃない」
「実体験の結果さ」
「まあいいわ、はい、ホット」
「どうも」
憎まれ口とともに忍がコーヒーをテーブルに置く。
俺はゆっくりと少し口をつける。
「ん? これはモカか……香りの強さからすると浅煎りか?」
「ええ、特別に知り合いからわけてもらっているイエメン産の最高級品よ」
「モカ・マタリということか、本格的だな」
「そりゃね、桃子さんのお菓子に合うものじゃないと」
モカは基本的に甘味の強いコーヒーとされる。
苦味も少なく、酸味が豊かだ。
また、豆の鮮度が高い時期は浅煎りで飲むのがいい。
更に甘みと酸味が強く出る、またフルーティな香りがするとも言う。
俺はコーヒーの香りの嗅ぎ分けができるほどじゃないのでそこまではわからないが。
つまり俺のようにブラックで飲んでもそれほど苦味は感じない。
中でもモカ・マタリはコーヒーの女王と言われている。
ストレートコーヒーの中ではかなり菓子と合う部類になるだろう。
「でも、詳しいのね」
「一応料理人を目指した事はある。浅く広くだがそこそこに知識はあるつもりだ」
「それは凄いわー。私なんてコーヒー銘柄は忍ちゃんに任せっきりだもの」
「いえ、その……」
「忍は料理はできないものな」
「ちょっ! 恭也!」
「まあ、未来に期待してるよ」
「ぐむむむむ!!」
「あらあら、仲がいいわね。私もお父さんとって。そうそう、ガトーショコラができましたよ」
「これはどうも」
ガトーショコラは基本的に卵、メレンゲ、グラニュー糖、生クリーム等に薄力粉とココアを加えて焼き上げたものだ。
途中でバターやチョコを加えることで甘味を作り出し、焼き上がりに粉砂糖を振りかけている。
もちろん、細かな作り方を言えばこんな手順ではないが、省かせてもらう。
兎も角、ケーキの中では生地の作り方にのみ重点を置いたタイプのものである。
生地の出来がケーキの出来と言っても過言ではない、だから桃子というパティシエの実力は測りやすいだろう。
そして、俺はテーブルに置かれたガトーショコラを口に運ぶ。
これは……、生地のふわふわ感が違う、ぺーキングパウダーを多めに入れてあるのか。
しかし、チョコレートのしっとり感も……。
「かなり濃厚な味わいだな」
「それはそうかもしれませんね。
日本風にアレンジされていますけどカカオ分55%のチョコを使ったものですから」
「チョコの成分だっがか……そういう違いもあるんだな」
「はい、重くなりやすいので日本ではカカオ分の低いものが多いんですけど。
使い方次第では、濃厚でしっとりとした仕上がりになるんですよ」
高町桃子という女性は確かに一流のパティシエのようだった。
俺は一流の舌なんて持っていないから細かいことまではわからないが、確かに旨い。
甘さも抑えるのではなく、バランスを取ることで感覚的に相殺し、すっきりと食べられるようになっている。
よく甘さを抑えるという話を聞くが、こううまくいっているものは少ないだろう。
「正直かなわないな……」
「あら、そうかしら? テンカワさんでしたっけ、料理なさるんですよね?」
「なぜ?」
「それ、包丁ダコと鍋ダコでしょう? 少し薄くなっているからしばらくはしてないのかもしれないけど」
「よく見ているな」
にっこりと笑う桃子、俺はどう返していいのか分からず戸惑う。
最近は武術や銃撃、戦闘技能ばかり鍛えていたからそのタコが上から重なっていてそれほど目立っていない。
それでもわかったのだから相当の眼力なのだろうな……。
「アキトさん料理なさるんですか?」
「ああ、昔少しやっていたが、半端なままやめてしまった」
「その、差し支えなかったら教えてくださいませんか……」
「すずか!」
忍がぶしつけだと思ったのかとめてくれるが、俺はそれを手で制する。
別にたいしたことじゃない、事実の全てを話せるわけじゃないが。
「一時期味覚が駄目になっていてな、回復したのはつい最近なんだ」
「あっ……ごめんなさい……でも」
「ああ、今はもう大丈夫だ」
「すずかちゃん……」
「すずか……」
二人の友達はすずかが強引過ぎる問いかけをしたことを不思議に思っているようだが。
すずかが俺に望んでいることはわかる。
料理の世界に復帰しないのかという意味だろう。
足が完全に直らなくても、確かに不可能ではない。
しかし、俺が作っていたのはラーメンや中華が中心だ。
もちろん、ホウメイさんに世界中の料理を一通り教えては貰ったが、それだけに知識は広く浅い。
半人前の俺ではたいした料理は作れないだろう、ブランクもある。
だが、それでも……確かに俺は作りたいと思っている。
「もし……雇ってくれる場があるなら俺はまた作ってみたいと思っている」
「だったらウチで働いてみる?」
「えっ……」
「あっ、それがいいよ」
「アキト」
「それともお菓子は作ったことない?」
「いや、あるが……パティシエの免許があるわけじゃない」
「なら大丈夫、味はここのものを覚えてもらわないといけないから、変な癖があるよりいいわよ」
「うんうん、お母さんの味を覚えればどこで店を開いてもきっと繁盛するよ♪」
「なのはちゃん……」
「まったく、なのはは母バカなんだから……」
「えへへ……」
俺は少し困る、なぜなら料理人とパティシエは近いようで遠い存在でもある。
料理をなんでも一応かじってあるとはいえ、元々半人前な俺では務まるのか不安だった。
「アキト」
「アキトさん」
「わかった、どこまでできるか分からないが手伝わせてくれ」
「そう、やってくれるのね♪」
「アキト!」
俺の返事がうれしかったのかみんなが喜んでくれているようだ。
正直初対面の人間も多いのに、なぜこんなに親しげなのか分からないが。
なのはの肩のあたりをうろちょろしているオコジョだかフェレットだかが気になったが今は置いておくことにする。
「ちょっと待ってくれ」
「どうしたの恭也?」
「雇うことは否定しないが、うちは大店舗ってわけじゃない、だが従業員数は正規が4人、臨時が4人の8人態勢だ。
普通のバイトなら既に十分な数を揃えている。雇うならそれなりの腕を見せてもらわないとな」
「多いな……」
「まあ、家族は全員臨時だからな……」
恭也はちょっと遠い目をする。
確かに、儲かっているにしろ個人店舗にしては少し多い、経営が心配になるのは仕方ないかもな。
「わかった、俺はまだ未熟だが何か作るとしよう」
「なら、テーマはタルトにしようか」
「タルト……な、時間がかかるがいいのか?」
なかなか言ってくれる、確かにタルトはケーキの中ではそれほど手間のかかるものではないが。
クッキー生地の作り方を知らなければできない。
お菓子を作った事がない人間には作り方がわからない代物ではある。
まあ、作った事がないわけじゃないが……。
「ああ、今はそれほど忙しい時間帯じゃないし、作り置きもある。母さん、構わないか?」
「ええ、じゃあ私も待ってますからがんばってくださいね」
「わかった」
エプロンをもらって厨房に行く、幸い女性の店員が多いせいか作業卓の位置は低めで車椅子の俺でもどうにか使えそうだ。
問題は厨房の広さが車いすではぎりぎりだということだが、それは仕方ないだろう。
必要な材料を業務用冷蔵庫から出す。
流石に洋菓子の店だけあってフルーツも豊富だ。
俺はざっと材料を決めて作業卓に乗せ、タルト生地を作り始める。
まず、型の下ごしらえをすませて冷やす。
それから、バターを練り、塩をくわえ、砂糖を数回にわけて練りこむ。
卵黄を混ぜ合わせ、薄力粉を加えておおよそ塊になるまで練り続ける。
ビニール袋にいれて麺棒で延ばして冷蔵庫で冷やす。
十数分ほど冷やした生地をほぐしてもう一度引き延ばす。そして型に押し込み薄さを調整する。
おおよそそういう作業を行い生地を作ってから、穴をあけ一時間ほど冷やす。
その間にアーモンドクリームを作り、次にカスタードクリームと生クリームを作る。
出したタルト生地にアーモンドクリームを流しいれて十数分オーブンで焼き、焼いたものにカスタードクリームを塗る。
生クリームをホイップしてフルーツを飾りつければ完成だ。
最後にゼラチンを煮たものを塗りつければツヤが出て見栄えもよくなる。
「完成した」
「へぇ、以外と手際いいわね」
「ブランクが長いというわりにはなかなかだな」
「でも、ちょっと生地の焼きが足りないかもしれないわね」
「アキトの料理……」
「ラピスちゃん、よかったね♪」
「(こくり)」
俺はタルトを切り分けて運ぼうとしたが、盆をとりあげられた。
よく見れば高町なのは、すずかの友達でこの店の子だったな。
「運ぶのは私がします。みんな待ってたんですよ♪」
「ああ……」
よく見れば一人も減っていない、調理には2時間近くかかっているのに。
それだけみんな付き合いがいいということなのだろうな……。
俺の作ったタルトが全員に行きわたり、試食が始まった。
「へぇ、案外おいしいじゃない」
「うんうん、なのはのお母さんほどじゃないけど結構うまいわよ」
「お母さんパティシエなんだから比べたらかわいそうだよ」
「でも、そうね……桃子さんのはもうちょっとサクッとしてたかしら」
「あらあら、でも、これだけできるなら何年かがんばればパティシエになれるとおもいますよ」
「ふむ……本当にできるとはな……」
「おいしい……」
評価はそれほど悪くはないようだ、とはいえ、店主である桃子のものとは比べるべくもないようだが。
だが、それも当然だろう、その店ごとに隠し味などは研究され続けるものだ。
しかし、俺は3年以上のブランクがある……。
その分だけ不利というわけだった。
「で、どうするの恭也?」
「うっ、うむ……」
「合格」
「え?」
「は?」
「店長は私ですもの、合格を決めるのも私ですよね?」
「あっ、いやそうなんだが……」
「恭也が何を心配しているのかは知らないけど、私を信じて、ね?」
「うっ、わかった……」
恭也も嫌々ながら俺が働くことを了承したようだ。
これで、俺のバイト先がきまったようだった。
とはいえ、菓子は料理の中でも別扱いになっているものだ。
やはり、この先の事はまだわからないな……。
その日の夜、俺は妙な夢を見た……。
黒髪の背の高い女が、金髪の娘をいとおしそうにかわいがっている。
金髪の娘は猫を抱えており、何かすずかを彷彿とさせる。
しかし、金髪の娘は元気で明るく純真なそういう子供のようだった。
すずかは元気さという意味ではその子に及んでいない、代わりにその子はわんぱくだったが。
時には母親に迷惑をかけるようなこともしたが、それでも、母と子は幸せそうに暮らしている。
しかし、何故だろう……この幸せは長く続かない感じがした。
理由は、よくわからない、この二人が実の母と子にしてはあまりにも似ていなかったせいかもしれないし。
この夢にいる山猫がなぜか時折瞳を悲しげに揺らしていたせいかもしれない。
そして何より、いるべきはずの父親がいなかったせいかもしれない。
色々と不思議に思うことはあったが、そんな俺の心とは関係なく時間は流れていき、山猫が、娘が次々死んでいった。
母親は狂気に駆られたようだった、自らの娘を取り戻すべくあらゆることを行った。
そのために作り出した娘の偽物は、いい子ではあったが、
どこかおどおどしていて大人しく、明らかに別人であることが疎ましかったらしい。
作り出すことをあきらめ、過去へと行く方法を探り始めた……。
母はだんだんと狂気を大きくしていき、既に死んだ娘以外のものは目に入らないほどに狂っていた。
そこで映像はぷつりと途切れる……。
今の夢は俺の夢だったのだろうか……。
なぜ俺はこんな夢を……。