車椅子に乗って月村家へとまた戻る。
そうしていると、やはり心苦しくもある。
ラピスやすずか、ノエルや忍、いろいろな人に世話になりながら俺は何も返すことができない。
それどころか、俺の持つ演算ユニットが危険を呼び込む可能性すらあった。
しかし、俺はその事を誰にも伝えていない。
ラピスにさえも……。
月村家に戻ると猫達が出迎えてくる。
すずかが大の猫好きであるためか、前からなのかは知らないが、この屋敷では猫を沢山飼っていたらしい。
貰われたり、寿命だったりで、かなり数は減ったらしいがそれでも5匹今も住んでいるようだ。
「ジェラールにバルタザールただいま。ウィニッチはそこの影ね、恥ずかしがりやなんだから。
フェイムとパニーラは……お出かけ中かな?」
「良くそんなことがわかるな?」
「長い間一緒にいるとなんとなくわかるんです」
「しかし、猫か……久しぶりに見た気がするな」
「私、はじめて……」
そうかラピスは基本的に動物と会うような環境にはいなかった、
それでも犬は月基地でも飼われていることがあったせいもあり、時折見かけていたが猫はまだない。
基本的に宇宙では猫をネズミ捕りとして使うことが難しいため、愛玩用としてしか使えない。
そして、月は地球と違って物資はかつかつなのだ、ペットに食わせる飯はない。
しかし、犬も番犬としては用なしだがは家畜を飼う際には役にたつ。
そのため、それなりに普及しているようだった。
そんなわけもあって基本的に外に出ないラピスは猫を始めて見ることになる。
「あっ、そうなんですか。では触ってみます?」
そういってすずかは猫を差し出すが、ラピスは俺の後ろに隠れて猫を伺っている。
猫はすずかに抱き上げられてもあまり動きを見せない、少しうざったいような感じだが、それだけだ。
だが、ラピスの前に差し出されたとたんフギャ! と警戒の声をあげた。
「ラピス、あまり警戒するな。猫は警戒されていると感じると自分も警戒する」
「……そうなの?」
「ええ、だからもっと気軽に触れてあげてください。うちの猫は人懐こいですから大丈夫です」
「うん、わかった」
それでも、まだ少し警戒しているようだが、ラピスはそっと猫に触れる。
猫は少し嫌そうな顔をするが黙って触れさせた、そのことに気を良くしたラピスが大胆に猫に触れる。
すずかは面白がって猫をラピスに渡した、ラピスは一応抱きかかえたもののどうしていいのかわからず困っている。
そうこうしているうちに猫は抱かれることに飽きたのか、ラピスからささっと飛び降りて走っていってしまった。
「逃げられた……」
「あははは、猫は気まぐれだから。またさわらせてくれるよ」
「もふもふ、気持ちいい」
「うん、そうだね。猫はもふもふだよ♪」
すずかは共感できたことが嬉しかったのか、笑顔でラピスにうなずく。
ラピスもどこか嬉しそうにはにかんでいた。
俺は、そんな二人を見ながら表情を緩めている。
ふとその姿を見るものが他にもいることに気づいた、玄関口でノエルが凝固したように動きを止めていた。
「お迎えのようだぞ? そろそろ屋敷に入ったほうがいいんじゃないか?」
「はい、じゃあラピスちゃんアキトさんは私が押してくね」
「……(コクリ)」
ラピスが素直に従ったところを見ると、すずかとの仲が深まったようだ。
俺としてもこれは嬉しいことだ。
できればこの調子で馴染んでいってくれると嬉しいと思う。
そうして夕食を済まし、部屋に戻ってからしばらくのこと。
忍がまた俺の部屋に尋ねてきた。
「どおも、今日はすずかと出かけたんだって?」
「ああ、図書館に案内してもらった」
「なんというか、真面目ねー。せめてすずかの遊びに付き合ってあげる寛容さを持ちなさいよ」
「今の俺では難しいな、手足が自由に動くようになれば付き合うが」
「面白みのない答えね」
「元々面白みのない男なんでな、それで? イヤミを言いに来たわけじゃないんだろう?」
「まったく……まあいいわ、ラピスちゃんのことだけど。このままにするの?」
「というと?」
「学校よ、学校」
「通わせてやりたいのは山々なんだがな。戸籍がない以上それは……」
「なんだ、ちゃんと考えてるじゃない。なら、私に任せてみない?」
「何か方法があるのか?」
「まあね、任せておきなさい」
「それなら、お言葉に甘えるとしよう」
「そうそう、こういうことで遠慮する必要はないわよ」
一つウインクをして、イタズラな微笑みをする忍。
大学生だというんだから二十歳前後のはずだが、そうしてみると十台にも見える。
普段はむしろ落ち着いて見えるが、どちらかというとこの状態が普通のようだな。
やけに嬉しそうに去っていったのは少し不気味だったが……。
翌日、朝起きて自分の体を把握しなおす。
数日続けているおかげで徐々にそのコツがつかめてくる。
だが、ここ二日ほど目覚しい回復はできなかったようだった。
それでも、腕はほぼ自由に動くようになった。
これで、食事や下の世話にはならずに住む……。
情けない話だが、ノエルに下の世話までさせていたのだ俺は……。
尿瓶に尿をするのは正直泣きたくなった……。
大の事は聞かないでほしい……。
っと、ともかく、服なども借りっぱなし、食事も貰っているし、あらゆる物を貰っている格好で仕事もしていない。
この状況は打破しなくてはいけない。
できれば最終的に自活できるようにならないとな。
とはいえ、未だ足は動かない。
車椅子には腕を突っ張って頭を下げ乗り込み、自力で動かす。
どうにか、その程度は可能になった。
「仕事か……体が治ってからと言いたい所だが、いつになるか解らないしな……」
一人言をつぶやく。
こうして纏めないと、ずるずる行ってしまいそうで怖かった。
実際、遺跡演算ユニットを俺は逆に侵食しているのだろうが、また演算ユニットの中にうずもれても不思議ではない。
「おっ、もう起きてたんだ。折角起こしてあげようと思ったのに」
無遠慮に扉を開けて忍が入ってくる。
普段マナーなどもきちんとしているはずだが、何かはしゃいでいるように感じる。
いったいどういうことかと彼女の背後を見ると、
そこには小学校の制服を着たすずかと、それとまったく同じ制服を着たラピスがいた。
つまり……。
「昨日俺に聞いた時点で既に手配を終えていたわけか」
「その通り! まっ、元々そのつもりだったんでしょ? 戸籍も捏造しておいたから大丈夫」
「捏造……」
「私、お金持ちだからね。役所にもそれなりに顔が利くの」
「そういうことを自分で言うか……まあいい、ラピス学校いけるな?」
「……必要なこと?」
「そうだ、これから俺達が生きていくうえでは必要なことだ」
「なら、がんばる」
ラピスは必要最小限に俺に聞いただけだが、何か少し不満があるようでもある。
まあ、突然だったのだろうし、仕方のないことだが。
「でも、車椅子大丈夫?」
「ああ、昨日より大分良くなった。自力で車椅子を動かす程度はどうということもない」
そういって車椅子を腕で動かし、朝食のテーブルへと向かう。
実際一度動くようになってしまえば、ここ数年とはいえ鍛えた体だ、動かすのに苦はなかった。
それでも、ラピスは心配そうに見ているが、すずかがとりなしてくれた。
「ラピスちゃん、学校に行ってこの世界に詳しくなればもっとアキトさんを支えてあげられると思うよ」
「……うん」
「そうと決まれば急いで朝食を済ませなさい。今日は私が学校に連れて行ってあげるから」
「わかった」
ラピスは一度決めると迷うそぶりもなく、朝食を始める。
今は逆にその事が気になっている、学校でもずっとこの調子では孤立してしまう可能性がある。
できれば学園生活を楽しんでほしいのだが……。
「そうだ、ラピスちゃんのクラスをすずかとおんなじにしよっか」
「え?」
「いいの?」
「まーかせなさい、あの学校には結構出資金出してあげてるからね。
私の言う事には逆らえないわよ」
「……」
なんというか、怖い女だ。
恐らくはすずかのためなのだろうが、学園が逆らえないほど出資するということは金額も推して知るべしだ。
まあ、元々家系的に金持ちのようでもあるし、機械工学のパテントが結構入っているようでもあるが……。
俺としては、任せるしかないのが不安なところだ。
朝食を済ませ、すずか、ラピス、忍の三人が学校に行ったので今残っているのはノエルと俺だけになった。
ノエルは休むことなく仕事を続けている。
それはそうだ、屋敷の広さを考えれば、メイド一人で足りるはずもない。
庭も合わせると、毎日の手入れには4・5人必要だろう。
しかし、ノエルはその仕事をそつなくこなす。
アンドロイドゆえなのか、休息すらとっていないようだった。
それで、ふと気になりノエルに聞いてみた。
「エネルギー補給はどうしているんだ?」
「深夜電力で4時間充電します。20時間の活動が可能となります」
「なるほど、電気で動いているのか」
「はい」
それはつまり、休息と充電が一緒になっているということである。
メンテは忍がするらしい、つまりそれ以外の時間は全て働いているということのようだった。
人間なら過労死は免れないだろう。
「勘違いなされているようですが、私もいつも一人で働いているわけではありません」
「ん、そうなのか?」
「はい、今は少し有給を取っていますが、ファリンといってすずか様の専属メイドです」
「ほう」
「一応、私の妹ということになります」
「それはつまり……」
「はい、でも私とはまったく違う仕様らしく、むしろ感情表現過多に見えますが」
「なるほどな……」
「ところで、仕事をお探しなのですか?」
「そうだな、まだまともにできる仕事はあまりないかもしれないが」
「そうですね、封筒張りや翻訳などといった内職ならば可能でしょうが……ところで特技などはありますか?」
「特技というほどでもないが、料理は勉強していたこともある……もっとも、舌がバカになってやめたがな」
「料理ですか……何件か募集していた所もあったとは思いますが……」
「今はまだ、無理だな」
思わず口に出していた料理の言葉に自分でも驚く。
俺はもう、料理はしないと決めたはずだった。
だが、舌の感覚も少し戻ってきていて、今後次第では完全に回復するだろう。
そうなれば、当然欲も出てくる。
しかし、なんと浅ましいのだ……。
俺はこんなことをしていてもいいのか……。
俺は、決して許されない罪人だというのに……。
だが、首を振って頭を切り替える。
罪の意識はある、しかし、俺には生活基盤を作る必要がある。
ラピスを一人立ちさせるまでは、俺が生活を支えねばならない。
そのためなら何でもする、そうでなければ以前の二の舞になってしまう。
ラーメン屋台を3人で引いていた頃、確かに楽しかったが、ルリちゃんを学校に行かせてやることすらままならなかった。
幸いこの世界での俺は罪科は無く、経歴さえ問わなければ就職も可能である。
結局その上で一番いい方法は料理人ということになる。
もっとも、今すぐは難しいだろう、それでもできることは無いか職安へ行き探してみることにした。
ノエルに職安の場所を聞き、車椅子で向かう、正直少し遠いかもしれないとは思ったが、
何もしないでゴロゴロしているのも性に合わない。
そう勢い込んで出てきたものの、腕で車輪を押すという作業になれていなかったことが災いして、
2kmほど行ったところで腕の筋肉がつった。
しばらくすれば直るだろうが、どこかで休憩しなければいけないだろう。
「ん?」
俺は見晴らしのよさそうな公園で動きを止めて、周囲を見回していたのだが、ベンチで二人の少女がいるのを目に留めた。
二人の少女のうち一人、金髪の少女に見覚えがあったからだ、昨日光の中で戦っていた二人の少女のうち一人。
明らかに、厄介事だと思えた。
しかし、俺はあの悲しげな瞳に見覚えがあった……。
そんなことはどこにでもある話なのだろう、あの目は昔の俺の目と同じ。
両親がいなくなり、孤独に耐えるために周りの全てを拒絶していた頃。
あの頃は寂しいということがどういうことなのかわからなかった。
なぜなら、寂しいと認めることは自分が立っていられなくなるということだから。
寂しいを寂しいと認めず、悲しいを悲しいと認めない、そうすることで幼い俺はどうにか自己を保っていた。
それも中学に入る頃にはどうにか乗り越えたが、そのせいで両親の仇を探したりもした。
幼かった、だが真剣だった……。
そういう共感のようなものが彼女を見ると沸いてくる。
だから、厄介ごとだとわかっていても話しかけずにはおれなかった……。
「何がそんなに悲しい?」
「え!?」
少女は大きな黒いリボンで結んだツインテールの髪を揺らし俺に視線を向ける。
隣のオレンジというよりはカキ色に近い髪色をした少女、ツインテールの少女の姉というには少し雰囲気が違う。
その少女は俺を警戒心むき出しで睨み付ける。
「あんた、何者だい?」
「見ての通りの足の不自由な人だ」
「そういう事を聞いてるんじゃないよ!」
柿色の髪の少女は耳元から動物の耳が生えている。
なるほど、やはり普通ではないか……。
今にも飛び掛らんばかりに俺を睨み付けているが、その少女をツインテールの少女が止めた。
「やめて、アルフ……」
「うっ、まあいいけどさ……」
「あの、私、そんなに悲しそうでしたか?」
「ああ」
俺は、またツインテールの少女に向き直る。
彼女の目は今も悲しげにゆれている、それは、10歳程度の少女が負うには大きすぎるもののように思えた。
だからだろうか、気になったのは……だが同時に、そんな少女が普通であるとは思えない。
つまりは、俺は厄介ごとに自分から顔を突っ込んだということになる。
「そう、ですか……私、悲しいって、本当は良くわからないんです」
「たいていの人間は初めての悲しみをもてあまし、泣く、しかし、泣けない人間もいる」
「……それは、どういう人ですか?」
「悲しみ、苦しみの渦中にあって、先に光が見えない者だ」
「え?」
「ずっと続くことにいちいち悲しんではいられない。しかし、心のどこかではそれが悲しいことを知っている」
「……それが、私だというんですか?」
「そうだ」
ツインテールの少女は悩んでいるようだった、俺の言ったことの意味を反芻しているのだろう。
隣のアルフと呼ばれた少女は、俺のことを胡散臭そうな目で見ている。
しかし、ツインテールの少女に言われたせいでうかつに動けなくなっているようだ。
「言われた意味は良くわかりません、でも……私だって」
「気に障ったのならすまない、俺も似たような境遇にあったんでね」
「似たような、ですか?」
「ああ、さっき言った事は過去の自分を例に出した話さ」
「そう、なんですか……」
少女の瞳は揺れる……。
だが、俺に言えることは少ない。
「そういう事の先輩として一つだけアドバイスをしよう」
「えっ、あ……はい」
「自分を構成するものは一つじゃない、それはある意味悲しいことかもしれないが。
だが、覚えておくんだ。お前は一人じゃない」
「え?」
「一番大切な何かがなくなっても、お前のことを見ている人はきっといる。だから……」
「だから……」
「その時には、お前は周りを見ろ。お前の周りにまだ誰かがいるはずだ」
「誰か、ですか?」
「お前の周りにいるものはお前を心配する者達だ。だから、頼れ。自分で線引きをせずにな」
「でも……」
そう、俺にはできなかった……あまりにも大きな罪の意識が俺をさいなんだから……。
当然だ、数万の人間を殺し、いまさら手を取ることもできない。
しかし、彼女はまだ人を殺したことがあるとは思えない。
ならば、まだ道を戻ることができる筈だ……。
「まあ、事情も知らないのにおせっかいだったな」
「いえ……なんだか、気分が晴れました」
「そうか、そう言ってくれると話し掛けた甲斐があるな」
「それで……あの、お名前教えてくれませんか? 私はフェイト、フェイト・テスタロッサといいます」
「テンカワ・アキトだ」
「テンカワ・アキトさん……また、お会いできますか?」
「俺は今仕事探しをしていてな、職業安定所への通り道なんだ」
「そうなんですか?」
「だから、見かけたら声をかけてくれればいい」
「えっ、あ……はい!」
フェイトと名乗った少女は何か少しだけ吹っ切れたように微笑んだ。
俺は彼女に何かアドバイスできたのか、それとも無駄な話の羅列にすぎないのか、それはまだわからない。
ただ、心の平安の足しになればいいと思っていた。
あの年齢の少女があんな悲しさを知っているべきではない、そしてラピスのように心を閉ざしてしまうのも。
どちらも、あってはいけないものだ。
しかし、俺自身は後悔するつもりは無いが、それでも厄介ごとを抱え込んだことだけは間違いなかった……。