「くそっ! あの正木太老という男――どこまで邪魔をすれば気が済むんだ!」

 ――ガシャン、とテーブルの上の花瓶を払い落とし、怒りで歪んだ鬼のような表情で、窓に映った自分の顔を睨み付ける男性。
 シトレイユ皇国の宰相ババルン・メストの嫡子、名をダグマイア・メストと言う。
 彼は今、聖地での修行を一時中断し、急遽シトレイユ皇国へと帰国するため船の中にいた。
 帰国の理由はただ一つ、正木太老がシトレイユ皇国に商会の視察でやって来ているという話を聞いたからだ。
 彼が、ここまで太老に怒りを感じている背景には、ある理由があった。

「あんなぽっとでの男に、この俺が劣るだと? そんな事があるはずがない! あってはいけないんだ!」

 太老と自分を比較し、劣等感をこれほどに感じている理由。そこには一人の少女が関係していた。
 キャイア・フラン――ラシャラの護衛機師を務める少女のことだ。
 ダグマイアと彼女は、古くから家同士の付き合いがある幼馴染だった。
 男性聖機師と女性聖機師、決して自分達の望み通りに結ばれることのない運命にある二人だが、幼馴染といえど男と女、互いに気にはなる程度には意識し合っていても不思議ではない。
 しかし、ダグマイアにはキャイアを受け入れられない理由が他にもあった。

 彼は強い女性が嫌いだった。いや、強い女性というものに対し、酷いコンプレックスを持っていたと言ってもいい。
 だからこそ、優秀と持て囃される自分よりも、更に優秀な聖機師であるキャイアの実力に、彼は嫉妬を抱いていた。
 キャイアのことが嫌いな訳じゃない。しかし、聖機師であるという誇りと異常なまでの拘りが、そんな彼の目を盲目にしていた。
 男性聖機師は過剰に保護され、どれだけ優秀であっても活躍の場が与えられることはない。
 その現状を快く思っていない彼からしてしみれば、自分よりも優秀な聖機師である幼馴染の少女に守られているという現実は、何よりも受け入れ難いものだったに違いない。

『正木太老様って、とても凄い方にあったの』

 そんなダグマイアに、ハヴォニワでの太老との出会いを嬉しそうに話すキャイア。
 本人に悪気はなかったのだが、それはダグマイアにとって最悪の禁句だった。
 今までは、それでも聖機師でないということで、その優越感から太老に大きな劣等感を抱くことはなかったダグマイアだったが、太老が聖機師であるということ、それもハヴォニワ随一、いや大陸一とも噂されるほどの優秀な聖機師であるということが知れ、その事実がダグマイアに強い嫉妬と劣等感を抱かせる原因となっていた。
 更にはメスト家の重要な手駒の一つであった大商会が倒産し、大きな資金源の一つを失う結果となってしまった。
 そして、それを仕向けたのも正木太老だと知り、ダグマイアの怒りは頂点に達していた。

「絶対に認めない。このダグマイア・メストは――正木太老、お前の存在を決して認めないぞ!」

 表向きはシトレイユ皇国での公務のために一時帰国ということになっているが、実際にはダグマイアの私怨によるところが大きかった。
 祖国で待つ太老に向かって、ダグマイアは怒りから理性を忘れ、獣のように咆哮する。
 それが、愚かな選択だとは気付かず、相手の噂や、その実力を聞き知っていながらも、尚も太老の存在を認めることは出来ないでいた。





異世界の伝道師 第81話『シトレイユの影』
作者 193






【Side:ラシャラ】

 少々、困ったことになった。商会に戻ったはいいが、このことを太老に話さねばならぬと思うと少し気が重い。
 こちらから頼んでおきながら、よもや太老に要らぬ負担を強いることになってしまうとは。

『晩餐会を催したいじゃと?』
『ええ、噂の人物を是非に見てみたいと言う者も少なくありません。それに彼には商会の件でも、シトレイユは多大な恩義がございます。
 第一、マリア姫がご同行されていると聞き及んでいます。それで何もなし、と言う訳にはいきますまい』

 父皇と太老の謁見の調整を進める中、突然、そんな事を言い出した貴族達の狙いは分かっていた。
 大商会の倒産によって、その関係が明らかになって処分を受けた貴族。また、処分を免れた貴族の中にも、その煽りを受けて痛手を被った者も少なくない。太老のことを快く思っていないことは聞かずとも分かる。

 父皇も浅はかな貴族達の考え、その事態に頭を痛めていたが、幾ら国皇と言えど、議会の決定を無視して話を進める訳にはいかない。
 ましてや、太老は今やハヴォニワの大貴族。天の御遣いと持て囃される重鎮の一人。国賓待遇で迎えることは、当然の処置だと主張する貴族達の言葉にも一理あった。
 彼等を裏で操っているのは間違いない。この国の宰相――ババルン・メスト。議会を動かせるだけの力を持っているのは、父皇を除いてこの国には奴しかおらぬ。

「やはり、太老を迎えるには時期尚早じゃったか……もう少し国の中を固めておればこんな事には……」

 今のシトレイユは二大派閥で大きく割れてしまっている。ババルン・メスト率いる宰相派と、父皇や我を支持する皇族派の二つに。
 以前は宰相派の方が優勢であったが、太老のお陰で我の国内での影響力も強まり、彼等の重要な資金源の一つであった大商会が潰れたことで、この力関係は大きく傾きかけていた。
 現状を見る限り、表向きは宰相派と皇族派の力関係は五分と五分。じゃが、半年、一年先を見据えた場合、手駒の一角を突き崩され、今も衰退の一途を余儀なくされている宰相派の力が、減退することは間違いない。
 そうなれば、自らの保身のために皇族派に傾く者も少なくはないだろう。
 ババルンが議会に対し、強い権威を振りかざせなくなるのも時間の問題と言う事じゃ。
 当然、そのことは奴等も分かっておるはずじゃ。だから、今回の話を持ち出してきた、と我は推測する。

(何を企んでおる……太老を一目見たいというだけで、このようなことを言い出したとは思えぬ)

 何かを企んでいることは間違いない。しかし今更、決まってしまったものを取り消すことなど出来ぬ。
 太老が断れば、この話もなかったことになるやも知れぬが、断ったら断ったらで、そのことに難癖をつけてくるのは目に見えておる。
 マリアが一緒に来ていること、太老の国での立場も考え、態と断り辛い理由をつけて誘ってきているに違いない。
 何れにせよ、奴等の思い通りにさせる訳にはいかぬ。十分に注意しておく必要があった。

【Side out】





【Side:太老】

「晩餐会?」

 城で明後日の夜に晩餐会を催すので是非に参加して欲しい、という誘いをラシャラから受けた。
 出来れば謁見だけで済ませたかったのだが、どうにもそう言う訳にはいきそうもない話だ。
 以前にもあった貴族お得意の見栄≠竍建て前≠ニ言う奴だろう。
 今回はマリアも同行しているのだし、国賓として迎えたいという彼等の主張も納得は行く。

(でも、ああいった畏まった席って好きじゃないんだよな)

 しかし、俺の我が侭で、マリアとラシャラに恥を掻かせる訳にもいかないだろう。
 シトレイユ皇にも迷惑を掛けることになりそうだし、ここは話だけでも受けておいた方がよさそうだ。
 適当に相手をして彼等の顔さえ立てておけば、それで満足するだろう。

「いいよ。明後日の夜に晩餐会ね」
「すまぬの……」
「ラシャラちゃんが気にすることじゃないよ」

 そう、悪いのは、そうした建て前ばかりを気にする貴族連中の方だ。
 ラシャラが俺のことを気遣ってくれていることは、よく分かっている。感謝こそすれ、彼女を責める様なことがあるはずもない。
 このくらいで、普段お世話になっている恩返しが少しでも出来るのであれば容易いことだ、と俺は考えていた。



 ラシャラの招待を了承し、晩餐会のパートナーにはマリアに同行してもらうことにした。
 と言うか、この状況ではそれしかないだろう。招待されているのは俺とマリアな訳だし。
 しかし、ここでまた一つ問題が発生した。

「お兄様に、こんな弱点があったなんて……」
「そう言えば……以前にあったマリアの誕生会でも踊っておらなんだな」

 軽く引き受けたはいいが、シトレイユの晩餐会といえば社交ダンスが定番と聞いて、俺は焦った。
 そう、生まれてこの方、前世でも社交ダンスなんて物は一度も踊ったことがない。
 いや、普通はそんな機会に恵まれる方が稀だろう? 地球に居た時は語るまでもなく、樹雷に居た時も、殆ど海賊討伐や書類整理に明け暮れる毎日だったので、そんな畏まった場所に出席したことなど一度もなかった。
 上司の鬼姫からして、元々そう言うのが好きなタイプではなかったし、どちらかというと宴会でバカ騒ぎする方が好きなくらいだった。
 その証拠に、皇家の船の中でも、神樹の酒を片手によくドンチャン騒ぎをしていた。未成年に酒を飲ますな、と水穂によく鬼姫や兼光が叱られていたことが今となっては懐かしい。
 俺の場合、前世の記憶もあるので、精神年齢はとっくに未成年じゃないんだけどな……。

「でも、お兄様なら運動神経もいいですし、きっと直ぐに上達しますわ!」
「うむ、太老ならば問題あるまい! こちらで最高の講師を用意させてもらったぞ!」
「最高の……講師?」

 物凄く嫌な予感がした。以前のマリアとマリエルのザマススタイル≠思い出したからだ。
 ラシャラは言うからには確かに講師としては優秀なのだろうが、過去の経緯から一抹の不安がある。

「ご紹介に預かったマーヤ<Uマス。太老様、どうぞよろしくお願い致するザマス」
「や、やっぱり……」

 定番となった三角眼鏡をかけ、右手に鞭を持った老齢の女性が俺の前に立っていた。
 ザマス口調も最初は違和感の塊だったが、今となっては珍しくも何ともない。
 ある意味で慣れというのは本当に怖いものだ、と自分でも思う。

「マーヤは父皇も絶対の信頼を置く、皇室に仕えてくれている侍従長じゃ。
 我の従者の二人、アンジェラとヴァネッサもマーヤが教育したのじゃぞ!」

 胸を張って自分のことのように自慢するラシャラ。凄い人だと言う事はよく分かった。
 しかし、何と言うか……絵に描いたような厳しそうな人だ。

「では、早速始めるザマス!」

【Side out】





【Side:ラン】

 お宝を目の前に忘れかけていたが、問題は何一つ解決していないんだった。
 アンジェラと分け合った装飾品を手に取りながら、ガックリと机に突っ伏す。

「まさか、酒場が潰れてたなんて……じゃあ、皆はどこにいるんだ?」

 山賊ギルドの息のかかった酒場が潰れているとは思いもしなかった。
 しかも、話を聞いてみると、あたし達の得意先でもあった大商会も潰れてしまったらしい。
 シトレイユの三大商会とまで言われていた、あの大商会が、だ。
 正直、俄かには信じられなかったが、その商会があったと言う場所に、この正木商会のシトレイユ支部が建っている、というのだから信じるしかない。
 太老の実力が凄いことは知っていたけど、まさかこんな離れた国にまで影響を及ぼすほどだとは思いもしなかった。
 色々と、おかしな奴だとは思っていたが、やはり、ただの変な奴ではないらしい。母さんが『関わるな』と釘を刺すはずだ。

「でも、本当にどうしよう……これで仲間と連絡を取る手段がなくなっちまったよ」

 当てにしていた連絡手段は無くなり、大商会も潰れ、シトレイユに潜伏しているはずの仲間との連絡も取れなくなってしまった。
 表立って動き回ることが出来ない以上、これ以上の捜索は困難だろう。
 太老に関わってから、色々と上手くいかないばかりか、思い掛けない出来事に遭遇してばかりだ。

「はあ……今は母さんと仲間の無事を祈って、太老の従者を続けるしかないか」

 太老の従者を辞めたところで、今のあたしに行き場などない。
 ハヴォニワに戻っても山賊を続けることは出来ない。ましてやシトレイユに残ったところで、当てもなく探し回るには、この国は広すぎる。
 しかも、シトレイユの皇族とも付き合いの深い太老から、このまま逃げきれるとはとても思えない。
 当分の間は身を潜め、大人しくしていることが一番無難な選択だ、とあたしは思った。

 それに、太老と一緒にいれば生活に不自由しない、というのは確かだし、闇雲に探すよりも仲間に会える可能性は高いと思う。
 第一、太老には善も悪もない。粛清された貴族や討伐された山賊、今回の大商会をとって見ても、太老の目的の邪魔になる、敵と判断されて潰された者達ばかりだ。
 いざとなれば、そこらの貴族や軍と違い、太老が相手なら交渉の余地がまだある、とあたしは考えていた。
 どの道、太老に目を付けられた時点で、あたし達は終わりだ。これまでのことから、こいつだけは敵に回しては駄目だ、と言う事が嫌と言うほどよく分かった。

(でも、上手く太老に取り入ることが出来れば……)

 太老であれば、シトレイユの大商会などよりも、ずっと強い後ろ盾になることは間違いない。
 山賊家業は続けられないかもしれないが、上手く太老に取り入れれば母さんや仲間は助かるかも知れない。

(頭の悪い貴族連中に使われるのは嫌だけど、太老になら悪い気はしないしね)

 何も、初めから山賊になりたかった者達ばかりではない。
 社会から見放され、はみ出し者となったあたし達でも、太老なら上手く使ってくれる――そんな予感があった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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