朝日に照らされ、宙を舞った砂埃がキラキラと光を放つ。敵城の正面では、袁紹軍と黄巾党本隊の衝突が始まっていた。
 城内の兵は数を減らし、袁紹軍が奮闘してくれているお陰で敵の注意は完全に正面へと向いている。今が絶好の機会と言えた。

「局長。凪と沙和の先行部隊の配置、完了したで」
「よし、それじゃあ行くか」

 真桜の報告を受け、俺は一人、前に出て崖際に立つ。こちらの準備も整った。後は予定通り、作戦を実行に移すだけだ。
 って、お前達、なんで俺が前に出たら後に下がるんだ?
 俺と距離を取る真桜達の行動を訝しみながらも、俺は取り敢えず作戦開始の合図を送る事にした。

「この作戦の成否に、大勢の命が懸かっている。俺達は正規の軍人ではない。しかし、この国に生きる者として、平和を脅かす連中の暴挙を許す訳にはいかない! 平穏は望むだけではやって来ない。ならば、どうするか?」

 ここ一ヶ月、こういう機会がきっとあるだろうと思って、睡眠時間を削ってまで考えた内容だ。

「お前達の働きが大陸の未来を築く。友人、恋人、家族、自分が一番護りたい大切なモノを思い浮かべろ! ここに居る者は皆、志を同じくする者だ! 真に望むモノは自らの意思、自らの力で勝ち取れ! そこに俺達が望む、真の平穏がある!」

 華琳のように上手く言えたかは分からないが、思いの丈を全て部隊の皆にぶつけた。
 そう、この瞬間から始まるんだ。俺は誰のためでもない。自分のために、平穏を勝ち取るために力を振るう。

「連中に思い知らせてやれ! 俺達の怒りを、想いの強さを! 作戦を開始す――」

 ――決まった
 そう思ったのだが、しかし最後まで言い切る事が出来なかった。それは、何故か?
 何の前触れもなく、突然崩れ落ちる崖。崩れた地面と一緒に真っ逆さまに落ちていく俺。
 このままでは真っ逆さまだ。慌てて、崖に捕まろうと岩壁目掛けて手を突き出すが――

「総員退避!」

 真桜の声が聞こえた。巻き込まれるのを恐れて、全員を下がらせたらしい。俺を見捨てて……。
 いや、判断は正しいんだけどね。その的確すぎる判断力が、何だか妙に悲しかった。
 俺の突きだした腕が突き刺さった岩壁がピキピキと嫌な音を立て、次の瞬間、ドゴンと盛大な音を立てて崩れ去った。
 そのまま、再び崩れた岩と土と一緒に地面に真っ逆さまに落ちていく俺。

「た、太老、落ちちゃったよ!?」
「ああ、局長なら大丈夫や。しかし、見事な囮っぷりやな。さすがは局長」

 シャオと真桜のそんなやり取りが聞こえたとか、聞こえなかったとか。

 こうして、俺達の戦いは始まった。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第27話『夜明けの攻防』
作者 193






【Side:華琳】

 誰が先に動くか予想していたのだが、ある意味で予想通りの展開となった。

「痺れを切らしたか、功を焦ったのでしょう」
「麗羽じゃ仕方が無いわね」

 予想通りの展開に、呆れた様子でそう口にする桂花。ちなみに麗羽(れいは)というのは袁紹(えんしょう)の真名の事だ。
 不本意ながら私と麗羽は幼馴染みで、彼女の性格は熟知していた。その馬鹿さ加減もだ。
 小さい頃から、彼女は何かというと私を敵視していた。有り体にいえばそりが合わない。犬猿の仲と言っても過言ではない。
 財力と兵力、それに家柄は申し分ないのだが、自尊心の塊のような人物で本人の器量と能力が全くと言って良いほど釣り合っていない。
 忍耐力が無く、欲深く、目先の事にしか興味が無い。英雄と呼ぶには程遠い愚か者だった。

 規模から考えても、兵糧が一番豊富なのは袁紹軍である事は間違い無い。しかし、その軍が一番に動いたのは麗羽の性格が原因だ。
 その副官である文醜(ぶんしゅう)顔良(がんりょう)。その二人の内、文醜という将は袁紹と同じく考え足らずの猪武者という話だ。顔良はともかく、彼女に麗羽を止められるとは思えない。
 恐らくは周囲に居る者達も、我慢が足らず癇癪を起こした麗羽を止められなかったのだと私は推察していた。

「それでは予定通り、袁紹軍には盾になってもらいましょう。それで、こちらの兵の負担も減ります」
「ええ、そうね……」

 雛里も可愛い顔をして考える事がえげつない。最初に袁紹軍を陽動に使うと言いだしたのは雛里だった。
 より確実に策を成功させるのであれば、出来るだけ多くの雑兵を他の諸侯に相手してもらう方が確実だ。
 特に袁紹軍は兵数だけであれば諸侯の中でも群を抜いている。しかも麗羽のあの性格だ。盾や囮役にするのに、これほど適した人物はいない。
 太平要術の書の洗脳が解けない最悪の場合を想定しても、こちらの兵の損失を最小限に抑えられる一番良い案だと雛里は進言した。
 その非情さから顧みても、軍略に関しては桂花や、劉備のところの諸葛亮をも上回る鬼才かもしれない。
 桂花達が劣ると言う訳では無いが、どうして太老のところにばかり有益な人材が大勢集まるのか、世の不公平さを感じずにはいられなかった。

 はっきり言って、私の目から見ても太老の勢力は異常だ。覇道を唱える私ですら、太老と戦いたいとも争いたいとも思わない。
 財力と器量、武と知にも優れ、更には人材にまで恵まれている上に民からの信頼も厚い、と欠点らしい欠点も見当たらない。
 しかも兵力に関しても足りない部分は、私のところの精兵を上回る練度と実力を誇る少数精鋭の部隊と、天の知識と技術と優位性を活かし十分過ぎるほど補ってみせている。
 常識では考えられない十倍以上の兵力差を物ともせず、味方に一人の死者を出す事もなく勝利すると言った、現実では考えられないような無茶を平然とした顔で実現するような男だ。
 あの男のする事は、型破りでは済まされない非常識振りだった。

(……太老がその気になれば、本気で天下を狙えるのよね)

 しかし本人にその気はない。信念と理想は持ち合わせているが、それを自ら天下を治める事で実現するつもりはないようだ。
 その実、協力的に見えて、どこまでも力を貸してくれると言う訳では無い。
 まるで、全てを見透かされているかのような、力を試されているような錯覚を覚えるから不思議だ。
 いや、実際にそうなのかも知れない。
 ある程度のところまでは協力してくれるが、出来る限り私達自身に解決させようとする意思が見える。

(天の御遣いか……)

 天の御遣い――太老を体現するのに、これほど相応しい呼び名はない。
 その事を考えれば、太老が私のところに来たのも必然だったのだと考えさせられる。
 現実的な考え方をすれば、無理にでも太老の持つ天の知識と技術を取り入れ、商会を傘下に加えるべきなのかも知れないが、私の誇りがそれを邪魔して実行に移す事が出来ないでいた。
 先にも言ったとおり、太老は天下を狙える器だ。正直言って全く底が知れない。私に見せた力以外にも、幾つもの秘密を隠しているはずだ。
 だが、私は曹孟徳だ。それでは、太老が天下を取るのと一緒。私は他人から与えられた天下に興味はない。だからこそ、太老の行動を容認している部分があった。
 恐らくは、私がそのような選択と行動を取るであろう事を、太老は最初から計算に入れていたに違いない。本当に食えない男だ。

 それに出来る事なら、太老を敵に回したくはない。それが本音だ。
 こちらから関係を拗らせるような真似さえしなければ、太老は条件付きではあるが協力的だ。
 ならば、今はそれで良いと私は考えていた。無理をしてまで、虎口に飛び込む必要は無い。
 少なくとも太老と本気で対峙した場合、勝ち負けを別にしてこちらもタダでは済まない。
 その時点で、私の覇業をどちらにせよ潰える事になるだろう。そんな確信めいた予感が私の中にはあった。

(それに、太老の力が真価を発揮するのは戦いの中じゃない)

 確かに太老と商会の戦力は有益な物だ。しかし、太老の真価はその天の知識と技術にあると私は考えている。
 民にとって必要なのは食糧であり、家であり、安心して暮らせる国だ。
 そのために必要な物を用意し、そうして得た富を、国や民へと還元し続けているのが正木商会だ。
 民の心を、国を豊かにするための知識と技術。寧ろ、平和になってから一番必要になるのが天の知識≠セと考えていた。

(私の中に変化が訪れたのも恐らくは……)

 私が、太老の影響を受けているのは疑いようがない。太老に対する恋愛感情以外にも、確実に太老の思想の影響を私は受けていた。
 覇業を諦めた訳ではない。今でも、一つの強い意志に導かれた優れた王の名の下、大陸は統一されるべきだという考えを忘れてはいない。
 劉備の言うように、皆で仲良く手を取り合って協力し合えば良い国にしていける、と言うのは理想論だ。
 確かにその考え自体は正しい、尊い物だと思う。だがそれは、今のような時代でなければ、という条件が付く。

 残念ながら劉備の言うように、皆で手を取り合えばどうにかなる段階をこの国は過ぎ去ってしまった。
 既に手遅れと言える状態にまで疲弊したこの国を、そんな甘い考えで建て直せるとは私は思っていない。それほど理想的には、人の心も、この国も出来てはいないのだ。
 それを裏付けるように、今この国が置かれている現状が物語っている。本来、国の事、民の事を第一に考え、国を治めるべき朝廷ですら、誰もが自分の都合ばかりを優先し、民の事どころか自分の事しか考えていない。
 跋扈する匪賊の群れ。飢えと病に苦しむ人々。この現実を知りながら、何一つ具体的な対策を講じて来なかったのが今の朝廷だ。
 黄巾の乱――これ自体も起こるべくして起こった人災だと言える。

 だからこそ、私は強い王が必要だと考えた。
 大陸を強い意志の下、一つに纏め上げる事が出来る圧倒的な力を持つ指導者の存在が――

 それが私が覇道を唱え、覇業を志すようになった大きな理由。しかし、私の中で確かに何かが変わってきていた。
 それは心から認められる相手。その理想の在り方、英雄として、王としての資質を認められる相手に出会えたからだ。
 正木太老――私にとって理想とも言うべき王の存在を、太老の中に垣間見た事から全ては始まったのかもしれない。

 彼を伴侶に迎えようとしたのも、打算的な考えだけではない。
 太老ならば私の横に並び立ち、一緒に大陸の未来をより良い方向へと導いてくれると考えたからだ。
 しかし、それも――

「華琳様。そろそろ、私達も……」
「……ええ」

 桂花の言葉に私は静かに頷いて返す。
 ほんの数秒、目を瞑り覚悟を決めると、スッと静かに息を吸い込んだ。

「皆の者、聞け! 獲物を前に待たされ、耐え忍ぶ時は終わった!」

 馬上から、後に控える兵達に向かって空高く響き渡るように、大きな声で号令を発する。

「相手は武を活かす術を知らず、力無き者から奪い、殺す事しか出来ぬならず者どもだ! 数ばかりの烏合の衆を、精強からなる我等が恐れる理由は何一つ無い! 今こそ、その強さを示す時だ!」

 私の号令に従い、兵達が動き出す。この戦いを終わらせるために――

「各員、奮励努力せよ!」

 この乱が、戦いが終われば、全てが始まる。動き出す。
 漢王朝はその統治能力の無さを浮き彫りにし、群雄割拠の時代へと世界は移り変わりを見せていく事だろう。
 理想の在り方。そして、この国の未来。私の覇業は今、この瞬間から始まろうとしていた。

【Side out】





【Side:明命】

 ここに連れて来られて二日目。どうにも、ここの連中は様子がおかしい。
 生気の宿っていない虚ろな目をしていて、まるで人形のように静かだ。
 話に聞いていたのとは随分と違う敵の姿に、私は言い知れぬ不気味さを感じ取っていた。

 ――小蓮様はご無事だろうか?

 本隊との合流の手土産として連中は私を捕らえ、この倉へと押し込んだ。
 私は庶人の出だ。だが、子供の頃にその才を呉の方に認められ、武を磨き、いつの日か呉に尽くすために、と育てられてきた。
 私を必要としてくれる方々に全てを捧げ、尽くす事。それが私、周幼平の役目だと理解している。
 それなのに、雪蓮様から直々に小蓮様の護衛を仰せつかったというのに、この体たらくだ。自分の未熟さが恨めしかった。
 私が確りと小蓮様をお止めしていれば、このような事にはならなかったし、こうして捕らえられる事も小蓮様を危険な目に遭わせ、一人にする事もなかった。全ては私の責任だ。

「はあ……」

 ため息が漏れる。自分の情けなさ、不甲斐なさに嫌気がさしての事だ。怒りすら通り越して、自分の行いに呆れてすらいた。
 小蓮様の事が気掛かりだ。何とかして脱出を試みたいが武器を奪われ、これだけ頑丈に手足を縛られていては、さすがの私でも抜け出す事は難しい。
 大人しく救出を待とうにも、外は諸侯軍が取り囲んでいて、いつ戦場になっても不思議ではない状況にある。
 倉に火でも放たれたら、それこそ逃げ場などない。最悪の事態を想定し、嫌な予感ばかり頭を過ぎってならない。
 そんな事を考えている時だった。外が騒がしくなってきたのは――

「何が? 戦いが始まった?」
「その通り」
「――!?」

 倉の扉がギギッと言う鈍い音を立て開かれる。薄らと扉から差し込んだ光が、既に夜明けを迎えた事を知らせていた。
 扉の向こうからスッと迫ってくる人影。私の前に立った男は盗賊や山賊とは違い、どこか品のある格好をしていた。
 色白で淡泊な顔立ち、中央の文官などと同じ道服を身に纏い、右手には一冊の書物を携えていた。

「お気づきかと思いますが、外は諸侯の軍勢に取り囲まれています。そこで、あなたの力をお借りしたいと思いましてね」
「……それは出来ません。賊に屈するような真似だけは、例えこの命を奪われたとしても聞き入れる事は適いません」

 そんな真似が出来るはずもなかった。この上、呉の皆を裏切るような真似が私に出来るはずもない。
 しかし、男はそんな私を見て、最初から返事など分かっていたと言った様子で『そうでしょうね』と微笑んで見せた。

「ですが、あなたに拒否権は無いのですよ。私の手に、この太平要術がある限り」

 男が手に持っていた書物が怪しく光を放つ。それは、とても禍々しい気配だった。
 直ぐ様、嫌な気配を感じ取り、その光から目を逸らそうとするも金縛りを受けたかのように身体がピクリとも動かない。
 道術、いや妖術の類か。人形のように虚ろな目をした賊達。直ぐに、その原因を察する事が出来た。
 男が口にした『太平要術』と呼ばれた書。目の前の男が、その書の力を使って彼等の意思を奪い取ったのだと。

(申し訳ありません……小蓮様)

 人の意思を奪う抗えない力。その力の前に私は自分の無力さを感じ、尽くすべき主人に心の中で頭を下げる。
 こんな事になるのであれば、捕虜になどならず舌を噛み切ってでも自害しておくべきだった。
 失敗に続く失敗。その上、怪しげな術で心を奪われ、仲間に武器を向ける愚かな行いを強要されるとは、武人としてこれほどの屈辱はない。

「さあ、私の命に従うのです。我が名は馬元義(ばげんぎ)! あなたの新たな主となる者の名で――!」

 何もかもを諦めかけたその時だった。
 ドゴンッ、と物凄い音がしたかと思うと、屋根を突き抜け何かが降ってきた。目の前の男の丁度、真上を狙ったかのように。
 悲鳴を上げて瓦礫の下敷きになる男。同じくして、倉の周囲でも悲鳴と轟音が鳴り響いていた。

「あー、酷い目に遭った……」

 土埃の中から何でもないかのように起き上がる一人の男。
 倉の屋根をあの勢いで突き破って落ちてきたのだ。
 普通であれば重症の怪我を負っていても不思議では無いと思うのだが、こちらの心配を余所に本人は至って元気そうだった。

「あの……」
「ん? おおっ、偶然とはいえ、ピンポイントだったみたいだな」
「ぴんぽいんと?」
「ようは当たりって事。直ぐに縄を解いてやるからな。お嬢ちゃん、名前は?」
「あ、はい。周泰です。危ないところを助けて頂いて、ありがとうございました」

 私の名前を聞いて、少し驚いた様子の男性。

「君が周泰ちゃんか。出だしは最悪だったけど、運が向いてきたな」
「あの……どうして、私の事を?」

 私の事を知っているような素振りの男性に、私は戸惑いを見せる。
 少なくとも、私は目の前の助けてくれた男性の事を知らない。顔を合わせるどころか、見た事すら無いはずだ。

「俺は正木太老。君のお姫様に頼まれて助けにきた、馬鹿なお人好しさ」

 そう言って、私に向かって微笑む男性の顔が忘れられなかった。
 これが私と『正木太老』と名乗った男性との初めての出会い。

 その後の私の運命を変える出会いだった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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