【Side:一刀】

 水鏡さんのところでお世話になり始めて一年が経過した。この世界に来て一年と三ヶ月ほどと言ったところだろうか?
 あれから一年余り、水鏡さんのスパルタ教育を受けた甲斐もあって、それなりに生きていく上で必要な知識を身に付ける事が出来た。
 さすがに水鏡さんや、先にここを旅立ったという諸葛亮や鳳統には劣るが、それでも何も分からずこの世界に迷い込んだ頃と比べれば比べるまでもない差だ。

 子供と比べるのはどうかと思うが、水鏡塾に通う生徒の中でも一、二を争うほどの秀才と言われるまでに成長した。
 いや、俺の年齢を考えると小学生くらいの子供達に負けるというのはそれはそれで恥ずかしい事なのだが、実際のところ一年前の俺なら下から数えた方が早いくらい無知極まり無かったのだから言い訳が出来ない。計算は問題無かったのだが、文字の読み書きが出来なかったのが一番痛かった。
 最初の二ヶ月ほどでなんとか読み書きが出来るまでに成長できたのは、間違い無く水鏡さんの教えのお陰だ。

 後は、水鏡さんの教え方が良かったというのも理由にあるが、元々あちらの世界で学生をやっていた事も大きな助けとなっていた。
 多くの書物を読み、長い時間を掛けて学んできた水鏡さんに敵うはずもないが、俺には元の世界の知識というアドバンテージがある。
 これがなかったら、僅か八ヶ月でここまで成長する事は出来なかっただろう。こんな事なら、もっとあちらの世界で真面目に勉強しておけばよかった、と内心後悔しているくらいだった。

 話は少し脱線したが、そんなこんなで俺はというと思いの外、上手くやっている。こちらでの生活にも随分と馴染んできた。
 水鏡さんと勉強して、貂蝉と鍛錬や狩りをして、子供達と畑を耕して、最初は駄目だと思っていた事でも始めてみれば意外と環境に順応するものだ。
 というのも、そうしなければ食べていけない生きていけないのだからやるしかない。
 義務教育なんて物がなければ、庇護してくれる親も居ない。未成年だからという理由で黙っていれば御飯が出て来るなんて甘い現実は、この世界には存在しなかった。
 子供ですら、野良仕事に駆り出される。若い働き盛りの男は徴兵され、老人や女子供が働く以外に食べていく道が無いからだ。
 僅かに残った男達も狩りや漁に出たりと忙しく、必然的に野良仕事で足りない手は子供達で補う事になる。如何に今までの自分が恵まれた生活を送っていたのか分かる厳しい現実ばかりだった。

 そしてそれが今、俺が立たされている世界の現実だ。
 話に聞いて、本で読んで知っていたのとは訳が違う。戦争など対岸の火事くらいに思っていた出来事が、この国では目の前の現実として起ころうとしていた。
 噂として流れてきた、いつの間にか終わっていた黄巾の乱も、俺が知る歴史通りに事が進めばそれだけで終わるはずもない。
 ほっとしたのも束の間。これからこの国は、もっと大きな荒波に呑まれていくはずだ。
 俺の知る歴史、そして学べば学ぶほどに見えてくるこの国の置かれている現状が、否応なく俺に厳しい現実を突きつけてくる。

「――はあッ!」
「うふん。まだ踏み込みが甘いわよん」
「うわっ!」

 朝、夜とずっと日課となっている鍛錬。今日も朝から貂蝉に稽古を付けてもらっていた。
 知識や体力のほどはこの世界に来た頃と比べるまでも無いが、肝心の実力のほどはそう簡単に身につくはずもなく、今も貂蝉に軽くあしらわれるほどその差はハッキリとしていた。

「ハアハア……。やっぱり凄いな貂蝉は……」
「ご主人様こそ、頑張ってると思うわ。一年前とは比べ物にならないくらい強くなってる。それは私が保証するわよん」
「そうかな? あんまり実感がないんだけど……」

 実際、貂蝉には一太刀も入れられた(ためし)が無い。それどころか、相も変わらず軽くあしらわれる始末だ。
 身体能力もそうだが、経験や技術、あらゆる面で貂蝉は俺と格が違っていた。
 貂蝉の凄さは知っていたつもりでも、戦えば戦うほどにその凄さを思い知らされる。
 全く追いついている気がしない。それどころか、その距離は遠のく一方に感じられるばかりだった。

「相手の強さを感じ取れるのも実力の内よん。心配しなくてもご主人様は強くなってるわ」
「だといいんだけど……」

 まあ、貂蝉以外に比べる相手がいないんじゃ確かめようがない。今は少しでも実力を付ける事が先だ。
 合格と太鼓判を押された訳ではないが、それでも最近ではそこそこ水鏡さんに認められるようになった。
 少しずつ、本当に一歩ずつではあるが成長しているのは確かだ。これなら、ここを旅立つ日もそれほど遠く無いかもしれない。
 まずは貂蝉に一発入れるのを、水鏡さんに合格と認めてもらえるのを目標に頑張るだけだ。

「それじゃあ、そろそろ戻るか。昼食の準備を手伝わないといけないし」

 そう言って、私塾に戻ろうとした時だった。
 ――ガサッ
 森の奥、茂みの方から何者かの気配を感じ取り、俺は腰に下げた得物に手をかけた。
 訓練用の刃引きされた剣ではあるが、何も無いよりはマシだ。山賊か、もしくは熊か猪か。何れにしても何かがいる℃魔ヘ間違いない。

「……猫耳?」

 警戒していた最中、茂みからひょこっと顔をだしたのは人間サイズの大きな猫耳だった。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第45話『動乱の兆し』
作者 193






【Side:太老】

「何進が殺された?」
「はい。都に出入りしていた商人からの情報です。恐らくは間違いないかと」

 ある程度予想していた事とはいえ、稟の報告に正直驚かされた。
 霊帝が崩御したという情報が入って三ヶ月。宮廷での権力争いの話は聞いていたが、今度は何進まで殺されるとは……。

(ここまでは歴史通りか。という事は、やっぱり反董卓連合が結成されるのか?)

 こちらの世界に飛ばされてきて、もう一年以上が経過している。黄巾の乱から凡そ九ヶ月だ。
 この世界は実際の歴史とは大きく外れている。そのため時期などは正確に把握しきれていないが、よくよく考えてみるとこれも歴史の修正力というべきか、黄巾の乱は張三姉妹がいなくても起こってしまった。
 実際の歴史とは大きく外れているが、主要なイベントはこれからも起こる可能性は十分にあるという事だ。
 それに背後に動いていると思われる男、あの干吉の存在も気になる。
 この世界の管理者が背後で暗躍している可能性も十分に考えられるため、更なる警戒が必要だった。

(左慈も、やはりいるのかな?)

 紫苑の件も、まだ完全に片付いたとは言い難い状況だ。
 楽成の街を始めとした冀州全土に採算度外視で商人を出入りさせ内部の情報を集めさせているが、それもまだ大きな成果は出ていない。
 しかしまあ、情報収集が目的の一つではあるが、紫苑の街の住人を密かに支援する事が今回の目的なので、それは果たせているので情報に関してはそれほど期待はしていなかった。
 幽州の公孫賛との交易も始まり、彼女にも商人を冀州に入れる件で色々とお世話になっている。多少なりとも袁紹の目を誤魔化せているのは、彼女の協力があるからだ。

「で、今度は誰が出て来たんだ?」
董卓(とうたく)という人物らしいのですが、それ以上の事は何も……。現在、内情を探らせていますが、どこまで情報を引き出せるものか」
「董卓ね……」

 稟の話によると、やはり張譲を筆頭とした十常侍は董卓の配下に殺されたという話だった。
 実際に董卓がそんな事をしたかどうか確かめようが無いが、それが中央で広まっている噂だ。
 事情を知らない者にとっては、ただの噂といえど確かめようが無いのであれば、それが事実と受け入れるしかない。

(董卓か……確か、小さな女の子だったよな)

 ここが『恋姫†無双』の世界なら、あの董卓で間違いないだろう。深窓の令嬢という言葉が似合う、物静かな少女だ。
 こんな時代だ。権力争いの渦中に身を投じた以上、何があったとしても言い訳にしかならないが、それだけに不憫な子ではある。
 俺の知っている董卓であれば、とても権力を欲しているような人物とは思えないし、何か裏に事情があると考えた方が合点がいく。
 何とか助けてやりたいが、このままだと反董卓連合が結成されるのは時間の問題だ。
 董卓に中央の主権を握られたまま、プライドの高い袁紹が黙っているとは考え難い。それに乗じて名声と実益を得て、朝廷の中枢に食い込もうと考える諸侯も必ずでてくるはずだ。
 少なくともこれが終われば、朝廷の権威は地に落ちる。全てが終わった時、諸侯を抑えられるだけの力は朝廷に残されていないはずだ。
 これまでのように互いを牽制し合うだけに踏みとどまっていた諸侯も動き出す。そうなれば、仮初めの平和は終わりを告げる。名実共に群雄割拠の時代が幕を開ける訳だ。
 正直、戦争が始まるかと思うと憂鬱な気持ちの方が大きいが、避けては通れない道だという事は理解していた。

「いっそ、直接乗り込んでみるか?」
「太老様……。危険な真似はお控えください。先日、命を狙われたばかりというのをお忘れですか?」
「いや、あれは……」
「言い訳は結構です。絶対に許しませんからね。勝手な行動はお控えください」

 あの後、青州から帰った俺を待っていたのは、予想していた通り稟の説教だった。
 しかも風にも色々と紫苑の件で言われる始末で、ここ三ヶ月街の外に出してもらえないばかりか、こうして肩身の狭い思いを強いられていた。
 稟に怒られるのは仕方が無い。技術開発局の件は勿論だが、紫苑の件に関しては勝手な行動を取ったという自覚はある。
 それ故に強く反論できないのだが……さて、どうしたものか? 一先ず正確な情報を集めるのが先だが、華琳にそれとなく相談してみるか?
 彼女なら、反董卓連合が結成されれば間違い無く参加するはずだ。袁紹との関係は良好とはいえないが、袁紹とて華琳だけを除け者には出来ないだろう。
 洛陽を本気で攻略するつもりであれば、少しでも多くの兵、そして精強な軍の協力が欲しいはずだ。
 そうでなければ、連合など組まずにとっとと一人で攻めているはず。それが出来ないのも、そのくらいの戦力差は計れる人物が袁紹の近くにいるという証拠だ。

 問題は華琳が素直に俺の話を聞いてくれるかだが、恐らくは現段階では難しいだろう。
 根拠のない話に耳を傾ける彼女とは思えないし、俺も董卓の件に関しては原作知識を元にしたもので絶対という自信が無い。
 曖昧な情報を頼りに無条件で力を貸してくれるような彼女ではない。董卓を助けるにしても、彼女を納得させるだけの材料が必要だ。

「やっぱり情報収集が必要不可欠か……」
「ですから、それはお待ちください。太老様が直接行かれる必要はどこにもありません」

 商会の力と稟の話を信じていない訳ではないが、そう簡単にボロをだすような相手なら苦労は無いだろう。
 多分、董卓の後には誰かがいる。本来、どうにかするべきは表舞台に出て来ようとせず、少女を盾に悪政を敷いている奴の方だ。
 政治が綺麗事だけで無いのは知っているつもりだが、どうにもそう言う奴が俺は気に食わない。
 最初から責任を放棄して、危なくなったらそれを誰かに押しつけて逃げようとする輩に碌な奴は居ないと考えているからだ。

「そういえば、洛陽との交易はどうなってる?」
「冀州ほどではありませんが、好ましい状況ではありませんね」
「はあ……。俺、連中には嫌われてるみたいだからな……」
「先が読めない彼等が愚かなだけです。太老様は何も悪くありません」

 俺も稟の言うように自分が悪いとは思っていないが、連中にとって俺が目の上のタンコブだという事に変わりはない。
 そうでなければ、紫苑を使って暗殺なんて強硬策に出るはずもない。あれも、結局のところ誰が首謀者なのか分からず仕舞いだった。
 黒髪の男に暗殺を依頼した人物は中央の宦官の一人という事までは突き止めたが、それも事件の後、行方を眩まして足取りが掴めない始末。恐らくは口封じに殺されたのだと思われる。
 しかも、今回の権力争いで張譲や十常侍を始めとした宦官の多くは処分されてしまった。こうなってしまっては首謀者を突き止める事は更に難しい。
 暗殺なんて正直どうでもいいのだが、幼女を悲しませた罰だけは取らせないと気が済まなかった。それが果たせないと思うと、それだけが正直心残りだ。

「――ごしゅじんさま」
「璃々ちゃん? どうした? こんなところまで」
「んっとね。もうすぐ、ごはんだからってお母さんが……」

 カチャ、と扉が開く音と共に璃々が俺の書斎に入ってきた。どうやら夕飯に誘いにきてくれたようだ。
 あれから璃々と紫苑は、商会の敷地内に建てられた屋敷で共に生活をしていた。
 紫苑もこちらでの生活には随分と慣れたようで、今では稟も商会の一員として認めるほど頑張ってくれている。
 毎日のように積み重なっていた書類の山も、最近では下が育ってきた事もあるが紫苑が加わってくれたお陰で随分とマシになった。

 璃々はというと、日中は学校に通って他の子供達と一緒に勉強を頑張っているようだ。
 成績の方を以前に見せてもらったが、この歳で文字の読み書きや簡単な計算が出来るというのは凄い事だと思う。これと言うのも、紫苑の教育の賜物だろう。
 最近では友達も沢山できて、元気にちょこまかと遊び回っているという報告も聞いているし、新しい生活に無事馴染んでいるようで安心していた。
 まだ遊んでいたい、母親に甘えたい盛りの子供だ。学校に行くように促したのも大人に囲まれているよりは、同年代の友達と一緒に勉強したり遊んでいた方が璃々のためになると考えての事だ。
 璃々の様子を見るに、今のところその目論見は上手くいっていると考えていいだろう。
 それに日中は学校に行ってくれている方が紫苑も助かるだろうし、璃々も友達と一緒の方が寂しくないはずだ。

「もう、そんな時間か。それじゃあ、この辺りで今日は片付けるか」
「はい」

 稟と二人で簡単に机の周りの書簡を片付けていく。仕事が減ったといっても、今までが多すぎただけの話で今もその量は結構な物だ。
 俺と稟が書簡を片付いている姿を見て、自分もと手伝おうとしてくれる璃々がまた可愛らしかった。

「璃々ちゃん。今日の晩ご飯は何かな?」
「んとねー、はんばーぐって流琉お姉ちゃんは言ってたよ」
「おっ、それじゃあ、璃々ちゃんの好物だ」
「うん!」

 流琉も璃々の事は妹が出来たようで可愛いみたいで、紫苑が来てからは交代で食事の当番をしてくれていた。
 ここ最近、子供向けメニューのレパートリーが増えたような気がするのは、決して気の所為ではないはずだ。

「ん? どうかした?」
「いえ、そうしていると本当の親子のようだな、と思いまして」
「親子か。まあ、璃々ちゃんなら本当の娘でも全然構わないかな。あれ? そうすると紫苑が奥さんって事になるのか?」
「太老様と紫苑さんが夫婦……という事は夜は当然……ブハッ!」
「ちょっと待て! 何を想像した!?」

 ちょっとした冗談のつもりだったのに、稟の琴線に触れてしまったようだ。
 鼻血を噴き出して床に倒れ込む稟。最近では回数が減ってきたと安心していたのだが、俺の考えは果てしなく甘かったみたいだ。

「ごしゅじんさまが、璃々のお父さん……」
「璃々ちゃん?」
「璃々、ごしゅじんさまがお父さんがいい!」

 そして本気にした純真無垢な子供が一人。
 いや、まあ確かにそう呼ばれること自体は嫌ではないのだが、実際どうかというと他人に聞かれると色々と拙い気がする。
 俺が経験によって培ってきた女難レーダーが、音を立てて警戒音を知らせていた。

「お父さんって……呼んじゃダメ?」

 なんて幼女に純真無垢な瞳でお強請りされて、ダメなんて言える奴がいたらここに出て来てみろ!
 いや、なんで突然キレてるんだって? 普通に考えてみてくれ、これでダメなんて言えると思うか?
 明らかに死亡フラグと分かっていても、命を賭して踏み出さなくてはならない大切な瞬間というのがある。
 その大切な瞬間が今だと、俺は覚悟を決めた。

「璃々ちゃんがそう呼びたいなら、俺は構わないよ。今日から璃々ちゃん、いや璃々のお父さんは俺だ」

 そう言って俺は璃々に微笑みかける。

「やったーっ! ごしゅじんさま、璃々のお父さんだ!」

 何だか後で物凄く大変な事になりそうな気がするが、この笑顔が見られるならそのくらいの苦労は安いものだ。
 俺はそのため(幼女のため)であれば、どんな苦労も厭わない覚悟があった。

 運命と言う名の大きな歯車は音を立て、俺が望む望まないに拘わらず今も動き続けている。
 どんな物語が待ち受けているとしても、俺がやるべき事は何も変わらない。
 俺が護りたいと思う日常をこれからも俺は護り続ける。平穏と言う名の、掛け替えの無い理想を目指して――

「お父さん? 稟お姉ちゃん、ウンウンうなってるよ」
「うわっ! 稟、気を確り保て!」
「お花畑が……ああ、亡くなったお祖母様が手を振って……」
「そっちに行くな! 帰ってこられなくなるぞ!? 衛生兵――っ!」

 璃々に注意されて気付く。
 血まみれの惨状なら、平穏な日常の中にも転がっている事を忘れていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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