【Side:朱里】

「朱里、どうだった?」
「はい。愛紗さんの推測通りで間違い無いと思います」
「やはり、そうか……」

 愛紗さんから話を聞いた時にはまさかと思ったけど、それも現実に本人を前にすると信じざるを得なくなってしまった。
 北郷一刀――彼は間違い無く天の御遣い、太老さんと同じ世界の方だ。

「私達が『天』と飛ぶ世界の住人。太老さんの他にも天の御遣いが居るなんて……」

 でも、太老さんという前例がある以上、それが何よりの証拠となる。

「……管輅の占いでは人数までは記されていなかった」

 ――天を切り裂いて、東方より飛来する一筋の流星。その流星は天の御遣いを乗せ、乱世を鎮静す

 それが愛紗さんの言っている管輅の占いだ。最初はエセ占い師の戯れ言と思われていたが、太老さんがこうして現れた事で状況は一変した。

 ――もし、愛紗さんの言うように流星に乗って現れた御遣いが一人では無かったとしたら?

 太老さんの他にも、天から来た人間が居たとしても不思議ではないという事になる。
 そして、陽光が反射しキラキラと輝く煌びやかな白い衣装を身に纏い、この世界の人達とは根本的に考え方が違うのだと思わせる独特の雰囲気を持つ青年が私達の前に現れた。
 極普通のどこにでもいる青年のように見えて、グッと引き込まれる存在感。挙動の一つ一つに隙が無く、言葉の節々に教養の欠片を臭わせていた。
 水鏡先生の話をだされた時には驚かされたが、ただの旅人であるはずがない。それらの特徴は私が太老さんに抱いた印象とほぼ一致する。
 その事からも『北郷一刀』と名乗る彼が、太老さんと同郷の人間である事は確かだった。

「愛紗さんはそれを知って、どうされるつもりなのですか?」

 愛紗さんは他の誰にでも無く、桃香様にも伝える前に私に『彼を見て欲しい』と話を振ってきた。
 彼が天の人間あれば、同じく天から来た太老さんにお伝えするところではあるが、ここに太老さんは残念ながら居ない。
 私達はその太老さんを朝廷から助け出すために、義勇軍を編成している最中だ。
 愛紗さんの考え、私の推測が間違っていなければ、それは――

「あの方に、私達の理想の御旗になって頂こうと考えている」

 ――やはり、と私は思った

 鈴々ちゃんは特に気にしていない様子だが、愛紗さんは太老さんを余り好ましく思っていない。
 いや、人としては尊敬できる人物だと認めてはいるのだが、その考え方とやり方に賛同できないでいた。

 愛紗さんと鈴々ちゃんが商会の試験に落ち、自警団ではなく警備隊に回されてから随分と経つが、その時の事が未だに納得できないでいるようだ。
 私は実際にその場に居た訳ではない。
 試験を受けた本人では無いのでなんとも言えないが、愛紗さんは一人の武人として商会の合理主義的なやり方に不満を抱いているのは確かだ。
 あれが良い、これが悪いという話ではない。太老さんや曹操さんに信じる物があるように、愛紗さんにも愛紗さんの信じる物、考え方がある。
 彼女の性格と実直さを考えると、良くも悪くも結果を重視する商会のやり方に嫌悪感を抱くのは無理からぬ話だった。

「その事を桃香様には……?」
「まだ、話していない。いや、不忠と罵られようが今のところ話すつもりはない」
「愛紗さんは……本当にそれでいいんですか?」

 苦い表情を浮かべ、どこか覚悟を臭わせる愛紗さんの言葉。

「あの方は優しい御方だ。理想のためとはいえ、何も事情を知らない者を利用しようというのだ。絶対にお許しにはなるまい」
「でも、黙っていれば余計に桃香様を苦しめる事になりますよ?」
「分かっている。しかし太老殿を謀り、裏切るような真似が桃香様に出来るとは思えない。それに……」

 桃香様はここでの生活に慣れ、桃園で誓い合った理想を忘れ掛けている、と愛紗さんは付け加えた。
 似ているようで交わらない、私達と曹操さんの理想。それは分かっていた事だ。
 ただ、愛紗さんの言うように、桃香様の理想がブレているというのは確かだった。その事には誰よりも桃香様ご自身が気付いている。

 生来争い事を好まない優しい気性をお持ちの桃香様だ。太老さん率いる商会に助けられ、曹操さんの治政の下で不自由なく過ごせている庶人を目の前にして、現実の伴わない自分の理想が本当に正しい事なのか、迷っておられるのは間違い無い。相手が曹操さんだけであれば、そこまでブレる事は無かったのかもしれないが、あの太老様を間近で見ていればそれも仕方の無い事と言える。
 曹操さんが為政者として民の上に立って政を行う王者とすれば、太老さんは民の側に立って彼等の視点で政を補佐する人徳者だ。
 璃々ちゃんの件もそうだ。迷わず『子供は国の宝』と仰れる太老様からは、桃香様に近しい物を感じた。
 商会の掲げる理念は私達や曹操さんが目指す理想の究極と言えるもので、太老さんの力もあってそれは夢や幻想などではなく具体的に現実味のある話へと変わっていた。

(迷っておられるのは確か。でも、きっと桃香様は……)

 今回、義勇軍を編成し剣を手に起ったのは、『太老さんを助けたい』という庶人の気持ちを代行したに過ぎない。
 独立の好機とはいえ、桃香様自身に深い思惑などあるはずも無かった。
 あの方の想いと考えはどこまでいっても民のため、と純粋で真っ直ぐな物だからだ。

 それは商会に来てからも変わりはない。桃香様が学校に通う傍ら、積極的に商会の行っている慈善活動に参加されているのを私は知っている。
 あの方に打算的な思惑や考えがあったのであれば、私はきっと桃香様を傍で支えようとは思わなかったはずだ。
 桃香様の理想に賛同したのも、その理想を口にしたのが桃香様であったからだ。
 決して才や能力に秀でた方では無い。だけど桃香様の持つ優しさ、あの方の人柄に私は惚れ込んだからこそ、家臣になる道を選んだ。
 完璧である必要は無い。悩み、苦しみ、弱音を見せてくれる桃香様だからこそ、私は桃香様を主にと決めたのだ。

「分かりました。それが桃香様のためになるのであれば、私も協力を惜しむつもりはありません。でも、その前に私の話を聞いて頂けますか?」
「……朱里?」

 愛紗さんの気持ちも分かる。分かるからこそ、知って置いて欲しかった。
 私の考えを、そして桃香様が本当は何を望んでいるかを――

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第51話『己が為すべき事』
作者 193






【Side:一刀】

「よっ!」

 ――カコンッ、と軽快なリズムで(まき)割りをこなしていく。俺の後には大量の(まき)の束が山積みになっていた。
 最初は全然ダメだったけど、水鏡さんのところでお世話になるようになってから、ずっと俺の仕事の一つだったので今では慣れたものだ。

「もう、こんなにやってくれたんですね。すみません、お客様にそんな真似をさせてしまって」
「一宿一飯の恩もあるし、このくらいはしないと罰が当たるよ」

 実際には一宿一飯の恩どころではない。劉備さんを始め、ここの人達には頭が上がらない。
 泊めてもらって、解毒剤の材料まで探してもらって、さすがにお世話に成りっ放しというのも気が引けるというモノだ。
 こうして薪割りを買ってでたのも、少しでも恩返しが出来ないかと考えての事だった。

「それじゃあ、先に汗を流してきてもらえますか? その後、夕食にします」
「あ、はい。えっと……」
「典韋です。劉備さんのお客様で、北郷さんでしたよね?」
「はい。暫くお世話になります」

 典韋と名乗った少女は幼い見た目からは想像も付かないが、商会の厨房で働く料理人達を取り仕切る責任者なのだそうだ。
 昼間に御馳走になった食事も、彼女が作った物だと聞いて正直驚かされた。

 ――所謂、美少女料理人という奴かな? いや、中華なら鉄人か?

 そんなどうでもいい事を考えながら、典韋さんや厨房の皆さんに挨拶を済ませた俺は、着替えを持って教えてもらった浴場へと向かった。

「うわっ……これか」

 お風呂……と言うより、まるで銭湯だ。
 商会の敷地の一角にある大きな建物。それが丸々一つ大きな銭湯になっていた。
 入り口に掛けられた紺色の暖簾(のれん)には『男湯』と『女湯』の文字が……。ここ中国だよな? と思わず首を傾げてしまう。
 男湯の暖簾を潜り、中に足を踏み入れるとそこには番台があって、

「兄さん、見ん顔やな。はじめてか?」
「え、はい」
「なら、これとほい、これもな」
「石鹸とタオル?」
「なんや、知っとるなら話は早いな。シャンプーとリンスは別料金やから、必要なら用意するけど?」

 関西弁を話す女性の番台さんにお金を手渡して、シャンプーとリンスを追加で購入した。
 石鹸は初回に限り無料、入浴料は最初から徴収していないそうだ。
 しかも、このシャンプーとリンス。この時代の日用品の相場と照らし合わせても、かなり格安だ。
 これ、採算がちゃんと取れてるんだろうか? ここの維持費だけでも、相当の出費だと思うんだが……。

(タオルといい、この時代の中国にシャンプーとリンスって……)

 手拭いではなく『タオル』でちゃんと話が通じたのも驚きだった。
 水鏡さんのところでは通じなかったカタカナ語も、ここではちゃんと意味が通じているようだ。
 手渡されたタオルも吸水性の良い、ちゃんとしたボディタオルとバスタオルの二つ。使い終わったら回収ボックスに入れて、ここでまとめて洗濯してくれるようだ。
 さすがに、ここまで徹底していると言葉が出ない。正木太老って人、本当に何者なんだ?
 もう、段々と同じ人間かどうかも疑わしくなってきたんだが……。幾らなんでも多才過ぎるだろう。

「……ここは本当に古代の中国か? 俺、実は日本に帰ってきてるんじゃ……」

 と本気で疑問を持ってしまう馴染んだ風景。しかも、銭湯と甘く見ていたその風呂は……予想外の岩風呂だった。
 種類も豊富で電気風呂やジャグジー、果てにはサウナまで完備してあるし、どこのスーパー銭湯だよ……。

「ふう……生き返るな。こんなに広い風呂にゆっくり浸かるのなんて、随分と久し振りだ」

 水鏡さんのところにもお風呂はあったけど、ここまで広くは無かった。いや、こんなのと比べる方がおかしいんだけど。
 こんな時代だ。ちゃんと湯船に浸かれるだけでも、恵まれている贅沢な事だ。大抵はお湯で濡らした手拭いで身体を拭くだけか、川で水浴びついでに汗を洗い流して終わりだ。
 ここのような大勢で入る大きな風呂は珍しい。というより温泉街ならまだしも、一度に五十人から百人くらい利用できる開放されたこんな大きな共同浴場はここしかない。さながら『大浴場』と言ったところだ。

「もう、何が出て来ても驚かないぞ……」

 驚くのにも疲れてきた。
 大型のロボットでも登場しない限り、大砲やスクリュー船とか近代的な代物が出て来ても、きっと俺は驚かない。
 まあ、さすがにロボットは無いだろう。ロボットは――

 商会で働く人だけでなく、街の人や旅人も自由に利用できるらしく、夕方という事もあって少し混み合っていた。
 この銭湯も『天の御遣い』の案で造られた物らしく、街の人達の話からも感謝の気持ちが伝わってくる。
 実際、悪い話など聞かない。心から皆に慕われている人だという事が分かる。話を聞けば聞くほど、完璧超人にしか思えない凄い人だ。

「正木太老か。良い人っぽいし、話だけでも聞いてくれると助かるんだけどな」

 今、この街には居ないという話だし、会えたら尋ねたい事が山ほどある。それに、出来れば相談に乗って欲しい事もあった。
 こちらでの生活にはそれなりに愛着があるが、やはり元の世界に帰りたいと思わない訳ではない。
 あちらには残してきた家族も居るし、友達も居る。そうした人達を忘れられるか、といえば嘘になる。
 充実した毎日だったとは決して言えないけど、簡単に捨てられるほど俺が過ごしてきた十数年という歳月は軽い物では無かった。
 帰れないにしても、自分がこの世界に飛ばされてきた事情くらいは知りたい。何も分からないまま、流されるだけの人生というのは嫌だった。

「また(いくさ)か。どうなんのかね? この国は……」
「だが、今回は明らかに官の奴等が悪い。御遣い様は俺達の希望だっていうのに……」
「孟徳様も御遣い様の救出に尽力してくださるって話だし、そこに期待するしか無いだろう」
「お前は義勇軍に参加しないのか? 玄徳様が中心になって召集しているそうじゃないか。自警団からも賛同者が大勢居るって話だけど」
「ああ、そりゃ無理だ。商会の自警団っていえば、精鋭部隊じゃねぇか。無理無理、足手纏いになるだけだって」
「そりゃ、そうだ。でも御遣い様、無事で居て欲しいな……」
「ああ……」

 湯船に浸かって身体を温めていると、そんな会話が聞こえてきた。
 (いくさ)の原因。そう言えば、どんな事情で戦をするのか、全く話を聞いていなかった。
 ちょっと聞き逃す事が出来ない重要な話が聞こえた気がする。話の流れから察するに、天の御遣いの身に何かがあった?
 俺は真相を確かめるべく、男達の会話に割って入った。

「ちょっと、いいかな?」
「なんだ?」
「さっきの話を詳しく聞きたいんだけど……御遣い様がどうのって」
「アンタ、旅の人かい? なら、知らないのも無理は無いか」

 話してみると、話の分かる気さくな人達で色々と事情を訊く事が出来た。
 それに彼等も鬱憤が溜まっていたのだろう。その言葉の節々からも、彼等の憤りが伝わって来るようだった。
 天の御遣いが朝廷に連れて行かれたという話は、どうやら本当の事のようだ。

「色々と聞かせてくれてありがとう。勉強になったよ」
「アンタも御遣い様の噂を聞いてやってきたんだと思うけど、命が惜しかったら下手な事に首を突っ込まない方が身のためだ。尤も、その身形じゃ自警団の訓練に耐えられるかどうかも疑わしいけどな」
「ハハッ……」

 それで合点が行った。
 街のピリピリと張り詰めた雰囲気も、劉備さんが慌ただしくしていた理由も、関羽さんが『(いくさ)』と言った訳も――
 この街の人達を見ていれば分かる。天の御遣いは彼等にとって、とても大切な人だと言う事が――
 だからこそ、みんな命懸けで、その正木太老という人を助けようとしているんだ。

(でも、これだけ派手な事をしていれば、ある意味で当然か)

 間違った世の中で正しい事をしようとすれば、それを快く思わない者達がいるのは当然だ。
 出る杭は打たれると言うけど、恐らくはそうした連中に目を付けられたのだと俺は事情を察した。

「でもまあ、それでもここ以外に俺達に行くところなんて無いんだがね。孟徳様や御遣い様がいなきゃ、こうして風呂に入る事は疎か、その日のメシにさえ不自由する有様だった。家族揃って不自由なく安心して暮らせてるのは、全部あの方達のお陰だ。ほんと、御遣い様と孟徳様は俺達の恩人だよ」

 その話を聞いて、俺はどうするべきなのか、とまた一つ考えさせられた。それは俺が水鏡さんのところで学び、ずっと考えていた事の一つでもある。
 自分に何が出来るか分からない。それでも、今のこの国が間違っているというのは子供でも分かる簡単な事だ。
 水鏡さんが子供達に勉強を教えているのも、全てはこの国の未来を思ってこそだ。
 きっとそれは、ここの人達が感謝している曹孟徳や天の御遣いも同じなのだと思う。自分に出来る事、為すべき事をちゃんと行っている証拠だ。

 ――それなら、俺はどうなんだろう?

 別の世界から来た俺には関係無い、というのはただの誤魔化しだ。
 現に、その正木太老って人は現実から目を背けず、自分に出来る事を頑張っているのが、この商会や街を見れば分かる。
 元の世界に帰るというのは確かに目的と言えるが、夢や目標というのとは少し違う。

(そういや、爺ちゃんがよく言ってたな)

 ――世に生を得るは事を為すにあり

 爺ちゃんがよく言っていた言葉だ。坂本龍馬の座右の銘だったと思うけど、俺の頭にはその言葉が強く印象に残っていた。
 ただの偶然かもしれない。それでも、この世界に来た以上、俺には俺の為すべき事があるのかもしれない。
 その為すべき事がなんなのか分からないけど、それが俺には大切な事のような気がしてならなかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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