白装束五万と林檎の戦いを高台から見下ろしている一団の姿があった。

「あそこに太老が居る」
「ほんまか? てか、よう見えるな……。この距離で」

 太老の姿を発見し、戦場を指差す恋。さすがの霞も恋のように、この距離で顔まで判別するのは難しかった。

「うわ……えげつない。強いとは思とったけど、まさかここまでとは……」
「違う。戦ってるのは林檎」
「姉さんが? て、なんやあの光!?」

 真っ赤な光が戦場を包み、白装束の軍勢薙ぎ払う。その非常識な光景を前に、霞は額から汗を溢す。
 立木林檎――恋と霞の二人もよく知る天から来た御遣いの一人。太老の話も、元を辿れば彼女からもたらされた情報だった。
 とはいえ、林檎の実力を知っていたつもりの霞ですら、目の前で繰り広げられている戦いには驚かずにはいられない。
 凡そ理解の範疇を超えた圧倒的な戦い。人間の限界を超えた鬼神の如き力を振るう林檎の姿に戦慄さえ覚えていた。

「助けはいらん……やろな」
「寧ろ、邪魔になる」

 霞の質問に淡々と答える恋。助けに向かおうと言う考えは、全く二人の頭には浮かばなかった。
 五万対一。普通であれば勝ち目の無い絶望的な戦いだが、どう見てもやられているのは五万の軍勢の方だ。

「太老は何をしとるんや?」
「後の方で戦いを観察してる」
「高みの見物、言う訳か……」

 林檎が高く太老の事を評価していた事は霞も知っていた。
 林檎の本当の主であり、それ以上の実力を隠していると思われる天の御遣い――正木太老。
 以前に自分と戦って欲しいとお願いをした霞だったが、流石に目の前のこの光景を見せられた後では考えを改めざるを得ない。
 根っからの武人であり、強い相手との戦いを好む霞ではあったが、それでも相手が人外の力を持つバケモノとなると話は別だ。

 ――林檎でこれなら、本気を出した太老はどれほどのものなのか?

 好奇心はあるが、実際にそんな相手と戦って勝ち目があると考えるほど、霞は自惚れてはいない。

「前言撤回した方がよさそうやな……。美味い酒と御馳走で勘弁してやるか」

 という言葉も半分は負け惜しみ。実際には、林檎の凄まじさを目の当たりにして、命が惜しくなったというのが真実だった。
 例え模擬戦でも、本気の林檎が相手では生き残れるかどうかも怪しい。その上、太老はそれ以上の実力を隠している可能性が高い。
 実際、太老と戦ってみたいと考えたのは単なる好奇心からだ。
 好奇心で勝ち目の無い勝負を挑み、命を懸けようとまでは、さすがの霞も思えなかった。

「――恋殿!」

 すると、その時だ。随分と慌てた様子で、音々音が二人の元に走ってきた。
 ここが何処かを調べるために、兵士を連れて周囲の散策に向かっていた音々音。 

「大変です! 高台の裏手に袁紹軍が――」

 恋と霞、二人の元に届けられた報告は、目を回して気を失っている袁紹軍の話だった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第86話『……の毛穴』
作者 193






 一方その頃、幽州で自称『白馬将軍』で名を馳せる人物『公孫賛』が、洛陽に一番乗りを果たしていた。
 散り散りとなり事実上の崩壊を喫した連合軍の中で唯一、彼女の隊だけは殆ど無傷の状態だった。
 影が薄かった事が幸いしたのか、特に酷い目にも遭わなかった公孫賛。虎の穴のトラップにすら忘れられる存在感の薄さ。
 これを幸運と見るか不幸と見るかは本人次第ではあるが、黒い穴に吸い込まれた後、気付けば洛陽の正面に身を放り出されていたのだ。

 だが、敵の本拠地の正面に突然放り出された公孫賛は当然の事ながら慌てた。
 味方の姿は無く、公孫賛の隊はお世辞にも大軍とは呼べない粗末なもの。しかも義勇兵が半分以上の割合を占める精強とは呼びがたい寄せ集めの隊だ。
 自分でも連合の中で最弱の部類に入る事を自覚していた彼女。自身の力量もあって、勿論、活躍出来るなど微塵も思ってはいなかった。
 今回、連合に参加する事を決めたのも、お世話になっている商会の代表である太老が、不当な理由で洛陽に連れて行かれたと言う話を耳にしたからだ。

 こう見えて義理に厚いのが、彼女が誇れる長所の一つだ。
 確かに親友と思っている人物に存在を忘れられるほど影は薄いが、個性豊かな他の諸侯の中では珍しく常識人だ。

 ――金はない。力もない。才能もない

 と三拍子揃った凡人の中の凡人というくらい目立たない彼女だが、恩を忘れたり仇で返すような人物ではない。
 商会のお陰で幽州の民は飢える事なく、公孫賛も嫌な頭を下げて袁紹に借金をする事も無くて済んだ。
 この時世に安価で大量の食料や物資を供給してくれた商会には、公孫賛も多大な感謝を抱いていた。
 だからこそ、まだ直接顔を合わせた事は無いが、友人であり恩人でもある太老を助けようと連合に参加する事を決めたのだ。

「ようこそ、洛陽の街へ!」
「…………え?」

 ずっと皆に忘れられていた彼女が、どうしてこんな場所にいるのか?
 しかも予想に反して大きな抵抗はなく、逆に温かく洛陽に迎えられた公孫賛は困惑した表情を浮かべていた。
 無理も無い。彼女も活躍できるとまでは考えていなくても、それなりの覚悟でこの戦いに参加したのだ。
 だと言うのに、実際に目にした洛陽の様子は話に聞いていた内容とは全く違う。
 門は解放され、しかも軍を率いてやってきたというのに温かく正面から迎えられる始末。
 これには、さすがの彼女も首を傾げずにはいられなかった。

「あんた達も張三姉妹の舞台を観に来たんだろ?」
「え、私達は……」
『張三姉妹!?』

 違うと言おうとしたところで、公孫賛の部隊の兵士達が住人の話に食いついた。
 張三姉妹の名は今や大陸中に知れ渡っている。下手をすれば知名度の点では、天の御遣いよりも彼女達の方が上かも知れないほどだ。
 今やメジャー街道まっしぐらの彼女達と影の薄い公孫賛では、地方のローカル番組と夕方の全国放送に出演している芸能人ほどの差がある。
 当然、幽州からきた兵達も張三姉妹――通称『数え役萬☆姉妹(シスターズ)』の名は知っていた。
 家族のため、恋人のため、と戦う理由はそれぞれだが、自分のためというのも戦う目的としては立派な理由だ。
 実のところ、兵達の中には太老と一緒に連れて行かれたという張三姉妹の事を心配して、志願した者達も少なくなかった。

「私は幽州の公孫賛という者だが……」
「こうそんさん? いや、知らないな。アンタ達、幽州からきたのか。そりゃあ、遠路はるばる大変だったな」

 分かっていた事とはいえ、現実を突きつけられて肩を落とす公孫賛。
 名を明かせば分かって貰えるというのは甘い考えだった。


   ◆


「うわああぁぁ――っ!」

 ドスンという音と共に地上に落下する一つの影。西涼の馬超だ。
 用を足そうと周囲に誰も居ない事を確認して草原で腰を落とした馬超だったが、その瞬間、空中に出来た黒い穴に吸い込まれてしまった。
 結果、兵達とも離れ離れになり、一人だけこの荒野に放り出されたと言う訳だ。

「いてて……。一体何がどうなって……」

 あの高さから地面に投げ出されて『痛い』の一言で済む辺りは、彼女も普通の人間では無い。
 故郷に残してきた妹に、『筋肉バカ』と称される頑丈さは伊達ではなかった。

「うわっ!」

 周囲の様子にようやく気付き、慌てて飛び起きる馬超。その表情は驚愕に染まる。
 それも当然、彼女の周りには動かなくなった白装束達が無残な姿をさらしていた。
 そう、馬超が放り出されたのは干吉が放り出されたのと同じ場所。ほんの少しタイミングが違っただけの話だ。
 白装束の軍団と林檎が戦いを繰り広げている戦場の真っ只中だった。

「コイツ等、なんなんだ!? それにここって……」

 その時だった。
 馬超は本日何度目になるか分からない驚きと、今までに感じた事の無いほど圧倒的な寒気に襲われる。
 言葉に言い表す事も出来ないほどのプレッシャーが、馬超の手足を凍り付かせた。
 西涼随一の槍の名手と自他共に認めるほどの武人である馬超が、手足を奮わせ恐れを感じていたのだ。

「ああぁぁ……」

 遂に我慢の限界を超え、股から足元にかけてポタポタと溢れる黄金の雫。
 次から次に起こる全く理解の追いつかない出来事を前に、言葉にならない声を上げる馬超。
 彼女の視線の先では、小さな太陽が眩い光を放っていた。





【Side:太老】

 取り敢えず、状況を簡潔にまとめたいと思う。一言で現すなら現状はこうだ。

「地獄絵図だな」

 林檎さんチート過ぎます。やり過ぎです。そんなありきたりな言葉しか思いつかない。
 ピクリとも動かなくなった白服達の屍の山が、先程まで戦場だった場所に散乱していた。というか、幾ら何でもやり過ぎだ。
 俺がやった事と言えば最初に一発お見舞いしただけで、このなんとも言い難い状況を作り出したのは紛れもなく林檎だ。
 穴ぼこだらけの地面。クレーターくらいならまだ言い訳も付くが、底が見えないほどに裂けた地面をどう説明しろと?
 元の風景など見る影も無い。地形が変わってしまっていた。

 しかも最後に林檎が放った一撃で小さな湖ほどの大きさがある大穴が地面に開き、そこに近くを通っていた川の水が流れ込んでいた。
 銀河アカデミーの観光名所の一つ『鷲羽の毛穴』ならぬ『林檎の毛穴』。ちょっとした観光の目玉になりそうだ。
 というか真実が知れれば、恐怖の象徴として語り継がれそうではあるが……。

「さすがは太老様のお作りになったアイテムです」
「……いや、凄いのは林檎さんだから」

 こんな事が可能だったのは林檎だったからだ。他の人間が同じように魔法少女大全を使っても、こんな結果にはならない。
 とにかく、林檎だけは怒らせてはいけないと肝に銘じた。
 俺だって命が惜しい。はっきり言って、本気の林檎に勝てる自信はない。

(てか、人選を誤ったんじゃないのか?)

 恐るべし鬼姫の金庫番。
 俺の捜索メンバーだが、林檎を含めて明らかに人選ミスだと言わざるを得ない。
 鷲羽や鬼姫の事だから、それを承知の上でやっているのかもしれないが、この世界の住人にとってはこれほど迷惑な話はないだろう。

「ううぅ……」

 と、現実逃避をしている間に、焚き火の傍で毛布を被せて寝かせていた女性が目を覚ましたようだ。
 ちゃんと確認したつもりだったのだが、どうやら一般人が紛れていたみたいで、戦いに巻き込まれて気を失っているところを拾ったのだった。
 あの干吉と左慈だと思っていた反応の一つは、彼女だったのかもしれない。幸いにも命に別状は無さそうだし本当に良かった。
 この上、一般人を巻き込んで死なせてしまったとあっては後味が悪すぎる。
 しかし結局見つかったのは彼女だけ。二つあった内の一つが彼女の反応だとすると、もう一人が誰だったのかは分からず終いだ。

「ここは……あっ!」

 自分の格好を見て、慌てて毛布で身体を隠す女性。それもそのはず、彼女は裸だった。
 と言っても俺が裸にした訳じゃ無い。誤解の無いように言って置くが、彼女を脱がせたのは林檎だ。
 クレーターに流れ込んだ水に流されているところを助け、ここまで運んだのはよかったが全身ずぶ濡れだったので悪いとは思ったが服を脱がせてもらった。

「大丈夫か? 服は濡れてたから、悪いけど勝手に脱がせてもらった」
「ぬ、濡れて!?」
「ん? ああ、下着までビショビショだったしな。そのままじゃ、風邪引くだろう?」

 そう言って、焚き火の傍にもっと寄るように言うと、顔を真っ赤にして何故か距離を取る女性。
 いや、そのままじゃ風邪を引くと思って親切で言っただけなのだが――

「あ、勘違いするなよ? 脱がせたのは彼女だからな。俺は見てないから」
「……彼女?」
「立木林檎です。申し訳ありません。戦いに巻き込んでしまったようで」
「たたかい……」

 林檎が頭を下げながらそう言うと、先程の事を思い出したのか? 肩を抱き、身体をブルブルと震わせはじめた。
 余程、恐い目に遭ったようだ。
 まあ、確かにあの林檎を目の当たりにしたのだから、この反応も分からなくない。
 明らかにトラウマになっているな。これは……。

「少女が手を振り下ろして、太陽が降ってきて……」
「ああ、思い出そうとするな。そう、それはきっと夢だ」
「ゆ……め?」
「そう、夢だ。悪い夢をみたと思って、パパッと忘れてしまえ」

 唯一の目撃者である彼女の口さえ封じてしまえば、これを俺達がやったと証明する人間は居なくなる。
 悪いがこれに関しては、俺の平穏のためにも早く忘れて欲しかった。
 幸いにも、魔法少女化した林檎の姿しか見られていないようだし、今なら第三者を装う事も可能だろう。
 そう、俺と林檎がここに来た時には既に片付いていた。天変地異が起こって、敵軍は川にでも流されたって事にしておこう。
 このくらいのハプニングはよくある事だ。庭の池に宇宙船が降ってくる事だってあるくらいだ。それに比べたら、全く不思議な話ではないはずだ。
 そう、全然不思議な話ではないはず……。自分でも無理のある言い訳だとは思うが、他に良さそうな案は無かった。
 さすがにこの惨状を、あの大砲の所為だけにするには無理がありすぎる。まだ自然の力とか言って置いた方が説得力がありそうだ。

「太老様。何かがこちらに近付いてきます」
「え?」

 林檎に言われた方角を確認する。すると、確かに何かがこちらに近付いてきていた。
 じっと目を凝らし、再度確認をして見ると――

「深紅の呂旗……恋か!?」

 どうにかして、と言い訳を考えていた矢先、悪い事は重なるものだ。
 砂塵を巻き上げ近付いてくる大軍の中に、ここに居るはずのない人物の旗があがっていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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