「こちらが持久草になります。江東丸も後日、呉から届けて頂けるそうです」
「おおっ! ありがとう! 本当に助かったよ」

 水鏡のところで待つ何進の治療をするため、必要とされる薬の材料は三つ。
 そのうちの一つが手に入り、もう一つも手に入る算段が付き、一刀は心から喜んだ。
 諸葛亮の手を握り、手を上下に振って身体で喜びを表現する一刀。はわわ、と目を回す諸葛亮。
 だが、まだ一つ材料が足りない。持久草、江東丸、そして後一つが――

「ですが、南蛮象之臍之胡麻だけがどうしても手に入りませんでした。申し訳ありません」
「そっか……。でも、仕方無いよな」

 喜びから一転、残念そうに肩を落とす一刀。
 だが、二つを集めて貰えただけでも、一刀にしてみれば随分と助かることだった。
 下手をすれば、持久草を求めて泰山に、江東丸を求めて揚州に、と大陸中を旅する羽目になっていたかもしれないのだ。
 それを回避できただけでも、商会を頼って本当によかったと一刀は思う。

 後は南蛮に生息するとされる南蛮象から、臍之胡麻を採取すればいいだけ。
 目的が一つなら、行動も定まりやすい。

「よし、それじゃあ南蛮に行って臍之胡麻を取ってくるか!」
「そのことですけど、南蛮象というのが、どう言う生き物かすらわかっていないのでは……」
「ああ、多分それなら大丈夫だと思う」

 象くらい一目見れば見分けがつくはず、と一刀は言葉を続けた。
 こっちの人達は象を見た事がある人の方が少ないのかも知れないが、一刀の世界では動物園に行けば必ずと言っていいほどいる有名な生き物だ。
 南蛮という場所がどういうところかは想像がつかないが、行けばなんとかなるだろうと一刀は考えていた。

「あと、もうひとつ問題が……」
「問題?」
「はい。南蛮に向かうには益州を南に抜ける必要があるのですが、今あそこは周囲から孤立している状態なんです」

 益州は大陸の南西に位置し、十三州のなかでも特に広大な土地を持った場所だ。
 だが、その土地の殆どを高い山々に囲まれた僻地。益州に入るには『蜀の桟道』と呼ばれる難所を通る必要があり、出入り出来るルートも限られているため、他州からの侵入が難しい場所でもあった。

 一方、農業や林業が盛んで恵み豊かな土地とあって、他州に頼らざるとも自活していけるだけの条件が揃っていた。
 そのため交易は盛んと言えず、行商人の出入りも少ないために、外からは余り中の情報が入って来ない。現在の太守『劉璋(りゅうしょう)』が後を継いでからは、よりその傾向が顕著になり、民を顧みない悪政を敷いているという噂以外は、何一つ情報が入ってこない不気味さが目立っていた。
 それに先日諸侯に発せられた朝廷からの問い掛けにも、一切の返答がない始末。
 交易ルートから外れているため、商会にも思うように情報が入って来ず、その対応に太老達もどうしたものかと頭を悩ませていた。

 正直、安全な旅になるとは思えない。
 今の益州に向かうということは、覚悟が必要な旅となる。諸葛亮はそこを心配していた。
 せめて、商会との間に交易がはじまれば、何かしらの情報が入ってくる可能性もあるが、今の段階ではこれ以上の事は何も言えない。それに洛陽を追われた宦官や官吏が、益州に入ったという話も上がってきていた。
 天の御遣いを快く思わず、朝廷に弓引く輩だ。今後の不穏分子にしかならない。
 益州に兵をあげれば片付く問題と思われるが、あの騒ぎの後だ。
 内政を疎かにするわけにはいかず、今すぐにどうこう出来るという段階にはなかった。

 しかし一刀には時間がない。

 商会のお陰で材料集めに掛かる時間を短縮できたとはいっても、あれから三ヶ月。
 早く最後の材料を手に入れないことには、折角薬が手に入っても手後れになる可能性だってある。
 危険とわかっていても向かわざるを得ないだけの理由が一刀にはあった。

「そこで、ご相談があるのですが」
「相談?」
「はい。一刀さんの報酬のことです」






異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第99話『運命の選択』
作者 193






 ――益州の平定。
 恐らくは大陸を一つに纏める上で、もっとも厄介な障害になるのがそれだ。
 北は涼州の馬騰と曹操の二大勢力が抑え、南には呉の孫権が控えている。
 その何れもが、天の御遣いに協力することを約束しており、邪魔となるのは益州とそこに群がる反対勢力だけだった。
 当然これをどうにかしなくてはならない。しかしそこに力を割くだけの時間と労力がない。
 ただでさえ、黄巾の乱に反董卓連合と大きな(いくさ)が相次ぎ、資金も物資も不足している状況下のなか、中央と繋がりの深かった宦官や官吏を多く処分したことで、政治や経済にもちょっとした混乱が起きていた。
 今は内政に目を向けなければいけない時期だ。ここで判断を誤れば人心は乱れてしまう。
 これまでがこれまでだっただけに、民が天の御遣いに掛ける期待は大きい。
 そのことがよくわかっているからこそ、優先順位を間違えるわけにはいかなかった。

「へ? 私が益州の太守に?」
「『呉』は新たらしく興される太老の国≠ノ従うことを約束している。西涼の連合も同じ。そして北部六州を統合して作られる私の国『魏』も、そこは同じよ。そこに益州……蜀の地をくわえることで、天の御遣いを頂点とした連合国が完成するわ」
「えっと……でも、私がそんな大役を本当に任されてもいいのかな?」

 曹操が他の諸侯や劉協、そして太老と相談をして決めた今後の方針がこれだった。
 今のこの国は正木太老――天の御遣いという柱があって、はじめて今の状態を維持できている。
 ならば、今必要なのは太老の威光を高め、その影響力を周囲に強く認識させることだ。
 そのためにも諸侯の連携が必要不可欠となる。だからこそ、ここで後々禍根を残すかもしれない問題は全て払拭しておく必要があった。

 やっと袁術の支配から解放された呉の人々を上の理屈で押さえつければ、また要らぬ反発を招く結果となる。
 西涼もそうだ。西涼の民が主と仰ぐのは天子のみ。馬騰が天の御遣いに協力しているのも、彼女の存在があってこそ。皇帝の扱い方次第では、西涼の連合が敵に回ることも十分にありえる。もっとも劉協のあの様子からすれば、それはまずないだろうが、連合の盟主である馬騰だけが納得すればそれでよしという問題でもない。
 新時代に向けて協力する意志があるという確固たる証が必要だった。そのための連合国の提案だ。
 もっとも反発を少なく歪みのないカタチで大陸を纏めるには、この方法が一番だと曹操は考えた。
 それに経緯は違ってしまったが、自分の国を持つという曹操の夢もこれで叶う。
 天の御遣いを盟主とする連合国。
 それがこの国が新しく向かう理想の終着点であり、はじまりでもあった。

「これは好機よ。これを逃せば二度と訪れない最後の機会」
「でも、私は……反董卓連合の時も余り役に立たなかったし……」

 信頼は実績の積み重ねだ。それほどの大役を任せてもらえるほどの実績が劉備にはない。
 そのことは劉備自身が一番良くわかっていた。
 話を受けるのは簡単だ。ただ頷けばいい。しかし、その信頼に答えられる証明がない。
 ここに曹操と劉備の違いがあった。

 曹操はそこにチャンスがあれば、どんなことをしても物にしようと行動を起こす。
 しかし劉備は王になりたかったわけではない。自分の国が持ちたかったわけではない。
 ただ皆で笑って過ごせる、そんな世界を作りたかった。皆の笑顔が見たかっただけだ。
 今更、国をやると言われても、劉備にはどうすればいいのかわからない。
 太老の下に集まる人々。曹操が治める街を見て、彼女はここに居る人々の幸せそうな笑顔を知ってしまった。
 自分が頑張らなくても、剣を持って戦わなくても、この国は良い未来に向かっている。
 自分が理想とした笑顔が。人々の幸せがここにあるのだと。

「あなたは本当にそれでいいの? 桃香」
「……華琳さん?」
「今回の件、反董卓連合の時にあなたが私に言った言葉。それがなければ、今こうしていることはなかったかもしれない」

 ――みんなが笑顔で幸せなら、それが一番良いこと
 ――天の御遣いが平和の象徴なら、みんなで協力してこの国をよくして行けばいい

 劉備が曹操に提案した言葉だ。
 以前の曹操なら、何をバカなと笑って聞き流していたかもしれない。
 しかし太老という存在があって、これはただの夢物語ではなく現実となった。
 確かに劉備はお人好しだ。優しすぎる。甘すぎる。王には向いていないのかもしれない。
 だけど、そんな彼女だからこそ、この答えに行き着くことが出来たとも言えた。

 一番太老のことをよくわかって、自分が一番太老に近いところにいると思っていた曹操。
 でも本当に太老のことを理解して、一番近い考え方を持っていたのは劉備なのかもしれない、と劉備の話を聞いた時、曹操は思った。
 もし太老が自分のところにではなく、最初に劉備と出会っていれば?
 そんな仮定が曹操の頭を過ぎる。

「無理強いはしないわ。人の上に立ちたくない。このままでいい。平穏に生きたいというのなら止めない。でもね、桃香。あなたの理想は、あなたの口にした言葉は、ほんの小さな切っ掛けだったのかもしれない。それでも、その言葉に動かされた人達がいる。あなたが重いと感じているもの。それは、あなた自身が口にした言葉の責任だということを忘れないで」

 劉備の口にする理想は、曹操にとって到底認められるものではなかった。
 だが、その生き方まで、曹操は否定しようとは思わなかった。

 劉備の言葉によって動かされた人達がいる。
 劉備の理想に共感し、立ち上がった人達がいる。
 人は己の意志で自らの生き方を選択する。絶望していた彼等を奮い立たせ、戦いに駆り立てたのは劉備だ。
 そしてそれが間違いだったかどうかを決めるのは劉備ではない。
 自らの意志で武器を取り、選択した彼等自身だ。

 人々に勇気を与えた劉備の行動。それが全て無駄だったと断ずることは出来ない。
 言葉には重みが、行動には責任が伴う。
 そう、彼女は確かに選択を失敗したかもしれないが、まだその責任を果たしていなかった。

(言葉で否定しながら、心のどこかで桃香のことを認めていたのかもしれないわね)

 甘すぎる理想に優しさに、真っ直ぐすぎるバカ正直な性格に――
 自分にはない、出来ない生き方を曹操は劉備に見た。
 それは太老にも感じたこと。そう、どこまでもお人好しなのだ。
 そして、そんなお人好しな性格の持ち主達に、自分が一番感化されていることを曹操は理解していた。
 曹操は考える。
 劉備に向けた感情。それは自分でも気付かないほどの小さな嫉妬だったのかもしれない、と。

 正史に名を残す偉人。劉玄徳、曹孟徳。
 その二人の考えはどこか似通っていて、対象的な在り方をしていた。

「それに太老の傍に居るなら、有利な立場だと思うわよ?」
「え?」

 だからかもしれない。曹操がこんなガラにもないことをしたのは――
 同じ人を好きになった女として、友人として、ライバルとして。
 それが最後の後押しとなった。


   ◆


「やっぱり、太老の提案だったんだな」
「必要なんだろ? そのために南蛮に向かわなくてはいけない」
「それはそうだけど……」

 大きくため息を漏らす一刀。
 諸葛亮からされた相談。それは旅に自分達を同行させて欲しいという話の内容だった。
 益州が平定された暁には、その功績で劉備に蜀の地が与えられることが決まった。
 あの曹操が劉備を推したことには驚かされた太老だったが、それはある意味で必然だったのかもしれないと考えた。
 なんだかんだ言って、あのふたりは互いの事を認め合っているのだ。
 そのついでと言ってはなんだが、反董卓連合で頑張った一刀の報酬の件もある。
 それに彼の立場を明確にする良いチャンスと考え、太老は一気に解決する策を考えた。
 自分の代理として、劉備と共に益州に同行させることをだ。

 天の御遣い(代理)だ。

 具体的には益州が解放された後は、蜀方面の交易を全て一刀に任せ、責任者として働いてもらおうと太老は考えていた。
 その実績次第では、面倒な仕事は全て一刀に丸投げしてしまおうと企んでいたりもするのだが、一刀はそんな太老の思惑など知らない。知っていたら絶対に逃げ出すことがわかっているので、太老も本当のことを一刀に話すつもりは毛頭なかった。
 この辺りの腹黒さは、クソババア譲りと言って問題ない。

「腹を割って話すけど、正直仕事が多すぎてまいってるんだよ」
「だから、俺を扱き使おうと……」
「人聞きが悪いな。ギブアンドテイクと言ってくれ」
「まあ、確かにそっちの方が信用できるけど……」
「報酬は、俺の権限をフルに使った商会の全面バックアップ。一人で危険な旅をすることを考えたら、協力者が多い方が安心だろ? 旅は道連れ世は情けってね」

 言葉はアレだが、確かに一刀にもメリットがある話だった。
 貂蝉とずっと一緒に旅をしていた一刀は、ひとり旅の経験がない。やって出来ないということはないかもしれないが、貂蝉のように優れた武を持っているわけでもなく、一人や二人が相手ならまだしも徒党を組んで野党に襲われれば、そこでお陀仏という可能性もある。
 それに路銀の問題もあった。
 一応商会からの報奨金や給料もあるが、長旅になるとやはり心許ない。危険な旅になるとわかっている以上、準備は念入りにしておきたかった。
 そこで商会のバックアップが受けられるとなれば、これほど助かる話はない。
 太老にも打算はあるのだろうが、これは一刀にとっても、またとない提案だった。
 しかし――

「安心しな。最高の助っ人を付けてやるから」

 その一言が、一番不安な一刀だった。





 ……TO BE CONTINUED



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