【Side:小喬】

「お姉ちゃん、本当にやるの?」
「うん、このままじゃ私達、本当にお荷物だよ。冥琳様との約束を果たせなくていいの?」

 それを言われると辛かった。冥琳様との約束。それはあたし達姉妹にとって、とても重い言葉だ。
 姉の大喬は雪蓮様の専属従者として、そしてあたしは冥琳様の専属従者として大切に育てられてきた。
 いや、従者……と言うよりは、あたし達にとって雪蓮様と冥琳様は家族や恋人のように近しい存在だ。
 そんなお二人が望まれていること、それはあたし達自身の願いと言ってもいい。呉のためにも、あたし達に課せられた使命は重大だった。

「……雪蓮様の件は、ちゃんとしたわ」

 雪蓮様の行動を報告書にまとめ、冥琳様にお知らせするというものだ。
 これに関しては概ね役目を全うしたと思っている。お姉ちゃんも雪蓮様の恋人と目されているのに、こういうところに関しては一切の容赦がなかった。
 雪蓮様がツケで飲んだ酒や料理の請求書など、これまでの雪蓮様の行動を記した報告書と一緒に呉に送って数日、明命が小蓮様の護衛の任を解かれ、嫌がる雪蓮様を無理矢理連れて帰るといった珍騒動があった。
 いつものことではあるが、雪蓮様の行動が冥琳様の逆鱗に触れたらしい。
 ツケの金額にしても、冥琳様の三年分の給金に相当するほどの額だったらしく、あたし達に送られてきた手紙にも、『また天の御遣いに大きな借りが出来てしまった』と愚痴めいた厳しい言葉が綴られていた。
 そこから繋がるのが、あたし達の二つ目の目的だ。

「でも、太老様の役には立ててない。逆に太老様には気を遣わせてばかりでしょ……」

 お姉ちゃんの言うように、雪蓮様の監視はどちらかというとついで本命はこっちの方だった。
 呉の宝石と謳われるあたし達姉妹を預けることで、天の御遣いへの忠義を示すというのが本来の目的。悪く言えば、あたし達は人質の役割も兼ねていた。
 しかしそれでも足りないほどの恩を、呉は受けていると冥琳様はお考えのようだ。
 明命や小蓮様が命を救われ、飢饉に置いては物資や食糧を支援し民を飢えから救い、更には反董卓連合の裏で暗躍していたあたし達の計略を見抜き、呉の再興にまで手を貸してもらったとあっては生半可なことでは恩を返せない。だから、冥琳様はあたし達にその役目を命じられた。
 あたし達姉妹が置かれている立場、政治的な意味は理解しているつもりだ。お姉ちゃんの言っていることは、何一つ間違っていない。

「この機会を逃したら次はいつになるかわからないんだよ?」
「それはそうだけど……」
「小蓮様の従者としてこの旅についてきた目的、忘れてないよね?」
「うっ、それは……でも、夜這いだなんて。お姉ちゃんはいいの?」
「私は嫌じゃ無いよ。太老様は優しいし、雪蓮様が認められた方だから」

 そこはあたしも認めていた。冥琳様と雪蓮様が認めた男だ。納得は出来なくても理解は出来る。
 確かに太老は優しい。なんだかんだで、あたし達にも気を遣ってくれているのがよくわかる。
 小蓮様と一緒に学校に行くのを勧めてくれたのも、あそこでの生活に早く馴染めるようにと配慮してくれたのだとわかっていた。
 そして、そんな太老の優しさに、お姉ちゃんも惹かれている一人であることは一緒にいればよくわかる。

「それに雪蓮様は『呉に天の血を入れるために励みなさい』って皆に発破を掛けてたよ?」
「うっ……」

 確かにこれだけの恩に報いるには、そのくらいのことをしないとダメなのかもしれない。
 再興を始めたばかりの呉が、今差し出せるものは少ない。でも、受けた恩には相応の謝儀を示さなければ、呉の……あたし達の主の器量が疑われることになる。
 しかし、ようやく取り戻した国を差し出す、それは呉の人々の気持ちを考えれば出来ることではない。
 だとすれば雪蓮様が口にされたように、天の御遣いに付き従う意思を示すことが、あたし達に出来る唯一の謝儀なのは間違いなかった。

「私達に出来ることは少ない。でも、私はこのままじゃ嫌。雪蓮様や冥琳様に言われたからじゃない。自分の意思で、太老様の役に立ちたいと思ったの」
「お姉ちゃん……」

 お姉ちゃんの言うとおりだ。あたし達は太老の役に立つようにと送られてきたのに、実際のところは庇護されているだけで、ほとんど何も役に立っていなかった。
 はっきり言って、仕事で手伝えるようなことは何もない。冥琳様の仕事を手伝っていた経験から少しは役に立てると思ってたのに、そんな経験はここではまったく役に立たなかった。
 それに侍女らしいことをしようとしても、商会にいる間は太老の世話をする人達が多すぎて、あたし達が割って入っていける隙間はない。あくまで、ここではあたし達はお客様に過ぎないのだと実感させられるだけだった。

(大体、太老も悪いのよ……)

 あたし達が商会にきた理由が、わかっていないはずがない。なのに、あの唐変木はあたし達に手をだすどころか、微塵も興味がないと言った様子で子供扱いする始末。
 まあ、確かに雪蓮様や冥琳様に比べれば胸は小さいし、背も低い。でも、これでは女として複雑だ。
 伊達に『江東の二喬』などと呼ばれていない。あたし達の美しさを褒め称え、『月も光を消し、花も恥じらう』とよく例えられたものだ。呉では、かなりの人気を誇っていると自負している。なのに失礼な話だった。
 そういえば、この話を太老にしたら『ろりこん』とかなんとか言ってたわね。……ああ、考えたらイライラしてきた。

「わかった。アイツに、あたしの魅力をわからせてやるわ!」

 このまま何もしないで黙っているなんて、あたしらしくない。
 冥琳様との約束を果たすため、そして女の尊厳のために、あたしは立ち上がった。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第107話『二喬の恩返し』
作者 193






「そーっと……」

 抜き足差し足、月明かりを頼りに太老の部屋にそっと忍び込む。
 暗くてよく見えないけど、布団が膨らんでいた。
 静かに音を立てないように布団の横に立ち、顔を覗き込む。何も知らず、呑気に眠っていた。

「どう、小喬ちゃん?」
「うん、ぐっすり眠ってるみたい」

 もっと用心深い奴だと思ってたのに、意外とあっさり忍び込めた。
 こいつは本当に自分の重要性がわかっているのだろうか?
 部屋の外に護衛一人つけず、罠も仕掛けてないなんて、襲ってくれと言っているようなものだ。
 あたし達に殺気がないから起きないとか? 攻撃を仕掛けたら起きるのだろうか?
 凄いのか、凄くないのか、やっぱりよくわからない男だった。

「不用心な奴ね」
「きっと、凄く疲れてるんだよ」

 確かに、ここ数日はずっと広間に籠もって何かをやっていたみたいだ。
 こうして、あたし達が近付いても気付かないくらいだ。お姉ちゃんの言うように余程疲れてるんだろう。

(そういえば、こいつっていつもそうだったわね……)

 いつも信じられないくらいの量の仕事を、太老がこなしていることはあたしも知っている。今回の旅だって、休暇を利用して来ているという話だった。
 なのに、幽州に着くなり、また仕事だ。観光の一つでもするかと思えば、そうじゃない。
 何を置いても、まずは民のため。太老が一度だって仕事を投げ出したり、弱音を吐いているところをあたしは見たことがない。
 まだ、付き合いはそれほど長くない。でも、いつも呉の皆のために頑張っている冥琳様を見てきたあたしだからよくわかる。
 皆の幸せを願う気持ちや、やっていることは太老も冥琳様と同じなのだと――。

「お姉ちゃん……今日はやめにしない?」
「小喬ちゃん?」
「疲れているみたいだし、たまにはゆっくり休ませてあげたいっていうか……」

 そんなことを考えると、責任とか役割とか、女の尊厳とか、どうでもよくなった。
 こんなに無警戒で寝られると、さっきまで意気込んでいた覚悟や想いが霧散していくのを感じる。お姉ちゃんが自分の意思で『太老の力になりたい』と言った気持ちも、今ならわかる気がした。
 恩返しと言いながらも、結局はあたし達のやろうとしていることは自己満足だ。
 でも、太老は違う。こんなあたし達にも太老はいつも優しくしてくれる。あたし達のことを考えてくれている。そう考えると、自分のしようとしていることが、どうしようもなく恥ずかしくなった。

「うん、そうだね」

 本当はお姉ちゃんも、そんなつもりはなかったのかもしれない。その笑顔をみて、そう思った。
 何か、口実が欲しかったのだ。太老のところに行く、口実が……。
 そう考えると、急に恥ずかしくなる。

「小喬ちゃんも太老様のことが大好きなんだね」
「そ、そんなわけないじゃない!」
「でも、顔が赤いよ?」
「こ、この部屋が暑いからよ!」

 ぐっ……お姉ちゃんは時々、凄く鋭いところを突いてくるから怖い。
 好きとかそういうのじゃなくて同情したっていうか、明らかに仕事のしすぎだってわかってるし、休める時にゆっくり休ませてやりたいって思っただけであって、他意はないのよ。
 冥琳様もそうだったから……あたしは太老に、そうはなって欲しくないだけだ。

「小喬ちゃん?」
「……なんでもない。行こう。もう、ここに用はないでしょ」
「うん……」

 冥琳様が無理をされていることを、あたしはよく知っている。冥琳様に口止めされていて、これはお姉ちゃんにも言って無いことだ。
 だから、それをお姉ちゃんには悟られたくなかった。これはあたしと冥琳様ふたりだけの秘密だ。
 本音を言えば、冥琳様にはゆっくり休んで欲しい。でも、あたしはそれを言えない。冥琳様の頑張りを、想いの強さをしっているから――。
 太老もそうだ。あたしが好きになった人は、どこか似ている気がした。

「きゃっ、え、何!?」

 部屋を立ち去ろうとした、その時だ。
 後ろから、何か強い力で引っ張られ、背中から布団に倒れ込んだ。

「痛……もう一体なんなのよ。ふへっ、ちょ、どこ触って……っ!」

 堅く力強い腕で、ギュッと抱きしめられた。

(太老の匂いだ……)

 とろんと身も心も解けていくのを感じる。それは甘い誘惑の匂いだった。
 あたしの中の女が刺激されるのをグッと我慢する。
 恥ずかしい……こんな気持ちになったのは、冥琳様にはじめて触れられた時以来だ。

「大丈夫……。俺が……なんとか……してやる」
「太老……? まさか、起きて……」

 いや、違う。寝言だった。
 でも、太老にそう言われると何故か安心する。そんな自分がいた。
 あたたかい。こんな風に誰かに抱きしめられて眠るのは、随分と久し振りのことだ。

「小喬ちゃんだけずるい……。じゃあ、私はこっちね」
「お姉ちゃん!?」
「太老様の背中、広くて大きい……」

 一つの布団に三人で寝るのは、べったりと寄り添わないと無理なほど狭い。
 でも、不思議と嫌な気はしなかった。

【Side out】





【Side:太老】

「最近こんなのばっかな気がするな……」

 目が覚めたら、大喬と小喬が隣で眠っていた。
 左右から挟み込まれ、ガッチリと身体をホールドされているため、身動きが取れない。なんで大喬と小喬がここにいるのかわからないが、なんとなく自分のことは想像がつく。ここ最近、忙しかったしな。仕事や旅の疲れが溜まっていたのだろう。
 それにここ数日は不眠不休で例の仕掛けの作成に取りかかっていたので、こうして布団で朝日を拝むのは久し振りのことだった。

「気持ちよさそうに眠ってるな」

 仮にも男の布団に潜り混んできて、無警戒にもほどがある。やっぱり、子供だな。
 すやすやと寝息を立てて眠る二人を見ると、起こす気にはなれなかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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