【Side:太老】

「詠ちゃん。そろそろ機嫌を直して欲しいんだけど……」
「別に怒ってないわよ。ボクとの約束を忘れてたからって、根に持ってないから」

 いや、その態度は明らかに根に持ってるだろう。ううっ、視線が痛い。チクチクする。
 今回のは完全に俺が悪い。林檎に説教されて落ち込んでいたとか、他に色々と気がかりなことがあったからというのは言い訳にしかならない。詠との約束があったことを忘れてたのは事実だしな……。

「……でも、助かったわ。ありがとう」
「礼を言われるほどのことはしてないと思うけどな。そもそも華琳のところで実施してる方法とかは、こっちにも伝わってるだろう?」
「そんなことない、参考になったわ。知識としては知っていても、実際に当事者の意見を聞けるのと、そうでないのとでは理解に差がでるわ」
「そういうもんか」
「そういうものよ。それに本来は試行錯誤していくものなんだろうけど、今はそんな時間も惜しい。失敗は許されないからね。成功例が目の前にあって、その知識と技術を持っている奴がここにいる。なら、それを利用しない手はないでしょ?」

 ごもっとも。凄く分かり易い説明だった。
 詠のやり方は徹底した合理主義。利用出来るものはなんでも利用する。封建的な考え方の人が多いこの世界では珍しく、ある意味で華琳とよく似た考え方をしていた。
 悪く言えば、ケチ臭い。人使いが荒いってことなんだが、二人に共通して言えることは俺に遠慮が無いって点だ。とはいえ、結果的に人々のためになっているのなら文句は言えない。
 実際、俺に仕事を押しつけるだけでなく、本人達も人の何倍も仕事を抱えてやっているわけだしな。

「でも、天の知識は本当に凄いのね。商会の件で理解していたつもりだったけど、農業一つとっても、これだけの差があるんだから……正直、驚いたわ」

 一先ず、開墾予定地の視察は無事に終えた。
 最終的には二年で現在の約十倍にあたる面積の土地を耕すということで、かなり大きな国家プロジェクトとなっている。
 食糧難の問題はどうにか解決の見通しが立ったが、今後もあのようなことがないとは限らない。最低限、民を養えるだけの衣食住の確保だけは、他に頼らずともなんとかやっていけるよう、早急に済ませて置きたいというのが詠の考えだ。そして、それには俺も同意している。
 少なくとも華琳のところだけが潤っていれば解決するという問題ではない。大陸全体の将来を見通し、この国の荒廃した現状を打破するためにも衰退傾向にある農業、工業、商業と順に解決していく必要があった。
 商会の支部を各地に設立することになった背景には、そうした理由がある。街の発展に必要不可欠となる技術と知識を伝えていくためだ。

「積み重ねてきた歴史の長さが違うしな。知識と技術ってのは、そのまま歴史の重みでもあるよ。千年もすれば、ちょっとは追いつくと思うけど」
「千年か……やっぱり、あんたの故郷って……」
「ん?」
「……いえ、なんでもないわ」

 貨幣経済の浸透や交易により物の巡りはよくなってきているとはいっても、北や南では未だに物々交換が主流の地域が存在するのが現状だ。中央から離れるほど経済の格差は酷くなる。そうした現状をどうにかしたいと考えていた。
 俺がこの世界に持ち込んだ知識と技術があるとは言っても、彼等にとってそのほとんどは理解の及ばないオーバーテクノロジーの塊だ。簡単な技術や経済の仕組みなど応用の利く知識はあっても、受け皿となる下地がない現実はどうしようもない。現在の地球水準の文明に追いつくには最低でも数百年から千年の時間は必要だった。

「天の国の人って皆そうなの?」
「ん、何が?」
「強さとか、知識とか、はっきり言って無茶苦茶じゃない?」
「んー、林檎さんはどうかしらないけど、俺はまだ一般的だと思うぞ?」

 育った環境は特殊だったと思うが、俺自身は至って普通の人間だ。
 農業に関する知識のほとんどは田舎暮らしが長かったからだ。農作業も手伝ってたしな。その経験が生きているだけだった。
 実際、俺より凄い人なんて、あっちの世界にはたくさんいる。体力や身体能力は多少人間離れしている気がしなくもないが、このくらいなら驚くほど凄いってわけでもない。
 空を飛んだり、手からビームを撃てるわけじゃないしな。ほら、まだ人間だろう?

「太老で一般的……どんな化け物の巣窟なのよ」

 何か、小声でブツブツと呟く詠。
 なんか悪口を言われてる気がするんだが、気の所為か?

「着いたわよ。今日はここで一泊するわ」

 詠と二人でやってきたのは洛陽の北西。視察地のすぐ近くにある村だった。
 人口や規模から考えると、本当に小さな集落だ。旅人が泊まれるような宿もない。今日はここの長老の屋敷にお世話になるそうだ。
 今から帰ると夜の街道を行く事になる。洛陽に着く頃には日が昇っている。以前に比べれば治安がよくなってきたとはいっても、やはり夜道は危険だ。ここで一泊して明日の朝、洛陽に帰るというのは妥当な案だった。
 もう少し早く終わっていれば、無理をして帰ることも出来ただろうが、俺が約束を忘れて遅れてしまったためにそれも不可能になった。
 そう考えると、申し訳無い気持ちで一杯になる。

「しかし、なんというか暗いところだな」
「黄巾の乱以降、今はどこもこんなもんよ」

 俺が最初、風や稟、張三姉妹と商会を始めた時も似たようなことがあった。
 拠点とした街の近隣の集落。そこで生活する人達の現状は酷く、ここと同じように毎日を生きることで精一杯といった感じで、生きる喜びも楽しさも知らない人達ばかりだった。

「急成長の弊害ね。商人は人の流れのある方へ足を向けるから、こうした小さな村は経済の流れに取り残されていくことになる。ここはまだ都に近いから出稼ぎとかで生計を立てて、比較的マシな生活をしている方だけど、辺境の村なんかは未だに自給自足、物々交換が主流よ。特にこの村みたいに特産品の乏しい村は、余計に格差が酷くなる一方ね」
「ああ、それでここを開墾予定地に選んだのか」
「べ、別に……そういうわけじゃ……。偶々、条件に適した土地が近くにあっただけよ」

 大きな街には物が溢れ、人々の活気の声に満ちているが、こうした小さな村にまで政治の目が行き届いていないのが現実だ。詠は事情を考慮して、この辺りに農業の奨励をしようと考えたのだろう。なんだかんだで、しっかりと民の事を気に掛けているということだ。
 そうならそうと最初から相談してくれればいいのに、相変わらず素直じゃなかった。
 よし、それなら俺も一肌脱いでやるか。こんなのを見たら、放って置くわけにもいかないしな。

「詠ちゃんは、先に長老さんの家で待っててくれ」
「何よ? どこに行く気?」
「食材を集めてくる。一刻ほどで戻るから」
「……食材?」





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第118話『詠の本音』
作者 193






 ドサドサドサと、大きなカゴ一杯に集めてきた食材の山を机の上に放り出す。
 鈴々や季衣の胃袋にも対応出来る量だ。これだけあれば、何をするにも困ることはない。

「とってきたぞ、食材」
「……まさか、本当に集めてくるなんて」

 山育ちということもあって、昔は狩りや山菜採りなどよくやっていた。昔取った杵柄という奴だ。
 ここ最近は机に向かっている時間の方が長くて、自力で食材を集める機会なんてなかったしな。随分と久し振りだったので気合いを入れてみた。その成果が、机の上に大量に置かれた食材の山だ。

「どうすんのよ。こんなに一杯」
「折角だから、村の人にも食べてもらおうと思ってさ」
「はあ……今から宴会でもする気?」
「そのつもりだけど?」

 これだけ大量に集めてきた理由は簡単だ。村の人にも料理を振る舞おうかと考えていた。
 メシなんて一人で食べても美味しくない。宴会ってのは大勢でやった方が楽しいしな。ここ最近は色々とあってご無沙汰だったが、向こうではこうやって酒や料理を持ち合ってバカ騒ぎをよくやったものだ。

「……ボク達がここに何しにきてるか、わかってるわよね?」
「当然。だから、サプライズパーティーを開くんだよ」
「さぷ……何?」

 ――元気のない時の特効薬は何か?

 そんなのは簡単だ。食って、飲んで、騒ぐ。これが樹雷式だ。
 腹が減っていたら元気も出ない。明日を頑張ろうって気持ちにならない。先を見据えた政策は確かに必要だ。でも、それなら今は?
 合理的な考え、現実的なやり方は確かに必要だ。でも、それだけではダメなことだってある。

 ――なら、どうすればいいのか?

 決まった答えなんてない。桃香なら迷わず炊き出しなり、今ここの人達のために出来ることをしようと足掻くだろうし、華琳なら詠のように先を見据えた一手を考えるはずだ。
 どっちも必要なことだ。どちらか一つなんて考えること自体おかしな話だ。適材適所、それぞれ出来ること、役割が違うのは当たり前のことだった。
 詠が先を見据えて行動しているのなら、俺に今出来ることは一つしかない。
 それに――

「じゃあ、ちょっと長老さんに掛け合ってくるよ」
「あっ、ちょっと太老!?」

 子供達が腹を空かせている。それだけで理由としては十分だった。

【Side out】





【Side:詠】

 全く、あいつは自覚しているんだろうか? 自分の立場を――。
 天の御遣いは今や、この国にとってなくてはならない存在だ。民にとっては神に等しい信仰の対象ともなっている人物、それが太老だ。
 そんな男が山で食材を集めてきて、村人と一緒にバカ騒ぎなんて……。
 非常識と思える行動。でも、あの男にとってはそれが当たり前。普通のことだった。

「すみません、長老。突然こんな無理を言って」
「構いませぬ。皆も楽しんでおるようですしの」

 長老が視線を向ける先には、村人と一緒に酒と料理を囲んで騒ぐ太老の姿があった。
 この光景だけをみれば、誰もあの男が天の御遣いだとは思わない。でも――

「心優しい御方ですな。我々を元気付けようと、あのように振る舞われて」
「……あれは心から楽しんでいるように見えますけど」
「だから、皆もああして笑っておるのです。最初は緊張しておった者達も、今では自然と笑顔を浮かべておる。こんなに心から笑ったのは何十年ぶりのことか」

 そう言って優しい笑みを浮かべる長老。その表情は、どこか嬉しそうにも見えた。
 いつもそうだ。ボク達の時も、あいつは不思議なほど自然体だった。
 人間離れした能力ばかりに目がいくけど、太老が本当に凄いのはそこじゃない。ボクが感じている立場の壁や常識なんて、太老にとってはあってないようなものだ。
 気付けば輪の中心にいて、いつの間にか、周りの人達にとってなくてはならない存在になっている。それが天からやってきた男の不思議な魅力だった。
 月が心を引かれたのは、きっと太老のそんな部分なんだと思う。きっとボクも……。

(――って、違う! ボクはあんな奴のことなんて!)

 頭をブルブルと左右に振って、よこしまな考えを振り払う。
 月はともかくボクがなんで、あんな奴のことを……ううっ、考えたらイライラしてきた。
 確かに凄い奴だと思うし、月の件では感謝もしてる。でも、それとこれは話が別だ。

(そうよ。太老なんて、ただの変人じゃない)

 鈍いと思ったら妙なところばっかり鋭くて、時々態とやってるんじゃないかと思う節がある。何を考えているのか、よくわからない奴だ。
 そのくせ、気が利くかと思えば誰にでも優しくて女にだらしない。自由と言えば聞こえはいいけど、行動に自覚がなくて周りに心配ばかり掛けている。
 だから、好きになるなんてそんなこと……あるはずない。それなのに――

(月の気持ちにも気付かない鈍感のくせに……)

 ボクが一番願っているのは月の幸せだ。ボクにとって月は、人生のすべてと言っていい。
 あの子には幸せになる権利がある。親友のボクが、月の幸せを願うのは当然のことだ。
 だから――ボクにとって太老は親友の思い人、ただそれだけだ。

 でも、それじゃあ、ボクはなんで機嫌が悪かったんだろう?
 太老が約束を忘れていたから? それとも約束を忘れて他の女と一緒にいたから?
 わからない。こんな気持ちになったのは、ボクも初めてのことだった。

「詠、こんなところで何してるんだ?」
「た、太老!? べ、別にアンタのことを考えてたんじゃないんだからねっ!」
「なんだ……。そのテンプレに沿ったツンデレは?」
「てんぷれ?」

 また天の国の言葉だろうか? 太老の話す言葉は時々意味がわからない。

「料理がなくなっちゃうぞ。しっかり食べないと大きくならないぞ」
「余計なお世話よ! というか、今どこ見て言った!?」
「流琉ほど美味しくは出来ないけど、たまにはこういうのもいいだろう?」
他人(ヒト)の話を聞きなさいよ!」

 ボクの話を無視して、取り分けた料理を差し出す太老。太老が料理をするなんて聞いたことはないけど、今や糧食の定番となっている缶詰などの保存食も太老が考えたものだと言う話を思い出した。
 商会の食品開発局が一般に公開している料理は、そのほとんどが天の知識を基にした物だという話だ。だとすれば、料理の腕前はともかく知識だけは一流の料理人に引けを取らないということになる。
 農業から工業に携わる知識と技術。更には政治や商売に精通する能力。そして料理まで……天の国では何をやってたんだろうか? ここまで多才な男も珍しい。本人は一般的だと言っていたけど、どう考えたって普通じゃなかった。

「し、仕方無いわね。そこまで言うなら、特別に食べてあげてもいいわよ」

 震える手を押さえながらボクは一口、その料理を口にした。

「美味しい……」
「だろ? 食材が新鮮だからな。たくさんあるから遠慮しないで食べな」

 思ったより、ずっと美味しかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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