【Side:太老】

「働きたくないでござる」
「お兄さん、バカ言ってないで手を動かしてください。華琳様を呼びますよ〜」
「うぐ……っ!」

 既に尻に敷かれていた。華琳の名前をだすなんて狡い。皇帝(ひきこもり)になっても仕事は減らないし。寧ろ、書類仕事が増えた。
 あの騒動を発端に、俺は揚羽だけでなく各国の首脳、王族と婚約することになった。
 変わらぬ平穏を願い、統一の証として国に天の血を入れる。まずは王族からというのが名目だ。
 証人は宴に参加していた民達。これでは言い訳も出来ない。
 正直、華琳達に嵌められた感は否めないが――

「はあ……なんでこんなことに」
「お兄さんが優柔不断で、はっきりしないからだと思いますよー」
「ぐっ……いや、でもな。幾らなんでも政略結婚ってのは……」
「やれやれ……相変わらずの鈍さですね。脳みそ詰まってますか?」

 風の毒舌は相変わらずだ。酷い言われようだった。

「皇族にとって結婚は義務です。ただ、好きでもない相手と結婚するのに、あそこまで手の込んだことはしませんよー。お兄さんも華琳様達の気持ち、そろそろ気付いてるんじゃないですか?」
「それは……」

 幾ら俺が鈍くても、あれだけ真っ直ぐな気持ちを向けられれば少しは気が付く。華琳達が俺に好意を寄せてくれていることはわかっていた。
 ただ、好意を向けられても、どう向き合って良いのかわからない。それが正直な感想だ。
 俺自身が華琳達のことをどう思っているのか、自分自身のことなのに俺にはまだ答えがだせなかった。

(そういうこと、真剣に考えたことなかったしな……)

 俺も男だ。女性に好意を寄せられて、いい気がしない訳じゃ無い。モテ期到来と普通であれば喜びたいところだ。だが、相手は一癖も二癖もある女性達。俺の彼女達への気持ちもそうだが、一歩を踏み出せない理由にそこがあった。
 前世の記憶があるとは言っても、記憶があるから経験豊富と言う訳ではない。寧ろ、俺はこの手の経験が乏しい。悲しい話だが、今までモテたことなど一度もなかった。色恋沙汰でこんなに悩み、自覚したのは今までなかったように思える。
 内海は鬼姫との結婚で百年悩んだという話だが、今のままでは百年経っても答えなんてだせそうになかった。

「焦ることはないと思いますよ。どちらにせよ、平和になった後の話ですからー」
「……なんでもお見通しって感じだな」

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、風の言葉はいつも的を射ていた。
 実際、俺のことを一番理解しているのは風かもしれない。

「でも、逃げられると思わないでくださいねー」
「……参考までに逃げたらどうなると思う?」
「地の果てまで追われると思います。多麻ちゃんも協力者なんで、天界に逃げても無駄かと」

 主人を売り飛ばす多麻(メイド)。そこにどんな裏取引があったのかはわからない。
 ただ、碌でもないことなのは間違いなかった。

 ――覇王(曹孟徳)からは逃げられない。

 そんな言葉が頭を過ぎり、俺は机に突っ伏した。

【Side out】





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第135話『裏切りの裏側』
作者 193






 益州の首都――成都。
 街に賑わいはなく、そこは以前の洛陽のように陰気と絶望に支配されていた。
 カラカラと枯れ草が舞い、人気の少ない道を白い服を着た集団が闊歩する。
 そんな光景を水晶に映し、玉座から眺める道士がいた。

「ようやく舞台が整いましたね。すべて私の計画通り」
「そう言って、何度失敗したと思ってる。今度こそ、大丈夫なんだろうな?」

 余裕の笑みを浮かべる干吉を見て、左慈が不安と憤りを感じるのは無理もない。
 洛陽で太老に返り討ちに遭った二人は大怪我を負い、太平要術に蓄えた妖力の大半を失うという失態を犯した。
 永遠の時を生き、延々と繰り返される世界で、常に彼等は世界の終わりを見続けてきた。
 星の箱庭のシステムによって生み出された管理者である彼等は、死ぬこともなければ消えることも無い。自由などなく、目的のためには死ぬことすら許されない牢獄。そんな嫌っていた世界の理に二人は命を助けられた。
 それは左慈にとって許しがたい苦痛だ。その結果を招いた太老にも深い怒りを覚えていた。

「では、どうしますか? 正面から戦いを挑んで、また玉砕しますか? 正木太老と正面から争うのは得策ではない。あなたも、それは嫌と言うほど理解したはずです。左慈」
「……くっ!」

 干吉に言われるまでもなく、太老の理不尽なまでの強さは左慈も嫌というほど理解していた。
 まともに戦って勝てる相手ではない。だが計画のためには、どうにかしないとならない相手だ。
 しかし利用しようにも、成功した例が無い。まるですべてを予見しているかのように、太老に対する工作はすべて失敗に終わっていた。
 何をしても失敗というカタチで返ってくる以上、打つ手はない。元々、干吉ほど計略に長けているわけではない左慈には、有効な案が思い浮かばない。
 それこそ、干吉の言うように残された手は正面から戦いを挑み、玉砕する以外になかった。

「だが、どうするつもりだ? 人形どもを使って成都を乗っ取り、再び洛陽と同じことを繰り返したところで前回の二の舞だ」
「確かに。それに英傑達が彼に付き従っている以上、戦略的にも勝ち目は薄いでしょうね」
「どういうことだ? それではまるで負けることを前提にしているような……」

 左慈は怪訝な表情を浮かべる。
 まるで負けることを前提としているような干吉の発言に、酷い違和感を覚えた。
 だが、それこそが干吉の狙いでもあった。最初から勝てない勝負。なら――

「勝ち負けなど意味はありません。私達の目的には――」

 そう言って、不敵に笑う干吉。
 重要なのは勝敗ではなく太平要術に蓄えられた妖力だ。太老に拘る必要は無い。少なくとも今は――。
 強欲な人間達を利用することで益州を手中に収め、劉備軍を退けた時点で彼の策は既に完成していた。

「では、次の手を打つとしましょうか。関羽、命令です」
「……はい」

 長い漆黒の髪の美女。
 今や干吉の人形と化し、虚ろな目をした関羽の姿がそこにあった。

「劉備を――殺しなさい」


   ◆


 益州軍に敗れ、国境にまで後退した劉備軍は呉の救援部隊と合流。警戒を続けながら、準備が整うのを待っていた。
 現在、呉の先遣部隊と合流した劉備軍の兵力は二万ほど。対して益州軍の兵力は十五万。とてもではないが、勝ち目のある戦いとは言えない。
 諸葛亮と周瑜の考えた内部工作が上手く行っていれば、この兵力でも十分に成都を落とせるはずだったがそれも失敗に終わり、待ち伏せていた益州軍の前に劉備軍は大敗する結果に終わった。
 作戦が読まれていた。いや、すべて筒抜けだったとしか思えない読みの鋭さ。
 どちらにせよ、兵の半数を失い、大敗した事実は変わらなかった。それに――

「違う! 愛紗ちゃんは裏切ってなんて――」
「ですが、兵の間に不信感が募っているのは事実です……。残念ですが愛紗さんは」

 諸葛亮から聞かされた話は、劉備にとって受け入れ難いモノだった。
 関羽が敵に寝返ったことで部隊は混乱し、被害が広がったことは事実。それに作戦の内容が予測され待ち伏せされていたことで、内通者がいたのではないかという疑惑が、関羽の裏切りを濃厚なモノとしていた。
 これまで経験したことのないような大きな負け(いくさ)を経験し、更には信頼していた味方の裏切りが重なり、兵達の士気にも大きな影響が出ている。このままでは益州の解放どころの話ではない。戦いを前にして負けは確定したようなものだ。

(撤退すべきかもしれない。でも……)

 諸葛亮はどうするべきかを悩んでいた。
 呉の部隊と合流したが、それでも数の上で益州軍に敵わない。幸いにも物資は十分にあるが、兵の損耗率や士気の低さから考えるに、長期戦をするほどの余裕はない。
 諸侯の援軍が到着するのが早いか、勢いに乗った益州軍が攻めてくるのが早いか、そこが勝負の分かれ道だ。
 だが、ここでなんの戦果も上げずに撤退すれば、もう劉備に後はない。益州の領主になるどころか、最悪、戦争の被害を招いた責任を取らせられるかもしれない。少なくとも応援が到着するまでの間、戦線を維持する必要があった。だが、別に問題もある。

「桃香様! どちらへ!?」
「愛紗ちゃんを助けに行く! 愛紗ちゃんは裏切ってなんかいない! それを証明するの!」

 解放軍の指揮を執る劉備が冷静さを欠いていることが一番の問題だった。
 せめて、ここに一刀がいれば、まだ少しは違った結果になっていたかもしれない。
 だが、彼も撤退の際に行方知れずになり、その消息は掴めていなかった。

「まったく騒がしいの。少しは落ち着かんか」
「――黄蓋さん!? ……そこをどいてください」
「御主がその調子では、勝てる(いくさ)も勝てなくなるぞ」

 部屋の入り口に、大きな胸をした褐色の美人が立っていた。――黄蓋(こうがい)だ。
 呉から援軍としてやってきた黄蓋に道を阻まれ、その存在感に気圧される劉備。
 しかし彼女にも引けない理由があった。

「でも、私は――」
「仲間を信じたい。助けたいか?」
「――っ!」

 黄蓋に思っていたことを先に言われ、ビクリと身体を震わせる劉備。

「信じているのなら、何を焦っておる? それとも恐いのか? 仲間を失うことが」

 何も言い返せなかった。
 関羽を、一刀を――仲間を失うのが恐い。いや、ここで仲間を見捨ててしまえば、これまでの自分を否定することになる。
 理屈ではわかっている。しかし感情では納得が行かない。
 これまで頑なに信じてきた理想を否定されることが、彼女は恐かった。

「仲間を大切にすることが悪いことだとは言わぬ。だが、御主はもう少し冷静になるべきだ」

 はじめての大きな敗北。そうして知った現実。
 曹操が以前、言っていた言葉が劉備の頭を過ぎる。

「想いだけでは誰も救えぬ」

 力が欲しい。皆を守れる大きな力が――。
 悔しさ、悲しさ、情けなさ。黄蓋の言葉に、劉備の目から涙がこぼれ落ちた。


   ◆


「……黄蓋さん。ありがとうございました」
「気にするな。これも年長者の務めだ」

 諸葛亮が礼を言うと、カッカッと笑い声を上げる黄蓋。先々代、孫堅の時代から三代に渡って孫家に仕え、呉を支えてきた宿将。
 劉備の下には若く才覚に溢れた者が多くいるが、その一方で経験が不足している。それに劉備のあの性格だ。仲間を失い、負けを経験すれば、どういう行動に出るかは大体予想が付く。そのため周瑜が気を利かせ、いざという時のために待機させていたのが彼女だった。

「感謝なら、酒とつまみが良いな。商会の補給物資に例の缶詰というのがあったであろう?」
「はい。後で、そちらの陣地に届けさせてもらいます」
「よろしく頼む。しかし、御主も大変だのう。損な役ばかりを押しつけられて」
「い、いえ……それでも私は、桃香様を信じていますから」

 諸葛亮のその言葉に嘘はなかった。
 劉備の理想に賛同し、彼女のことを信じていなければ、ここまでのことはしない。
 主君が間違っているのなら、それを正すのが臣下の務め。
 それに劉備なら、きっと乗り越えてくれると彼女は信じていた。

「ふむ。性格は全然似ておらんように見えるが、どこも同じということか」
「え……?」
「こちらの話だ。何、心配せずとも儂がついておる。いざとなれば、援軍が到着するまでの時間くらいは稼いでみせよう」
「あの……どうして、そこまでしてくださるんですか?」

 呉とは協力関係を結んでいる。
 とはいえ、黄蓋が何故そこまでしてくれるのか、諸葛亮は疑問を感じていた。
 確かに敵を同じくする仲間ではあるが、今回のことは劉備達が招いた失策。上からの命令とはいえ、劉備に義理立てする理由は彼女にはない。少なくとも、劉備と黄蓋の間にはなんの接点もないはずだった。

「簡単なことだ。御遣い殿には借りもある。それに、あの曹操と天の御遣いが認めた将来有望な若者をこんなところで失うのは惜しい。そう思っただけだ」

 劉備が黄蓋のことをよく知らないように、黄蓋もまた劉備のことをそれほど知っているわけではない。だが、劉備に益州の解放を命じた太老や曹操のことは、それなりに黄蓋も知っているつもりだ。
 そして、これまでのことに感謝もしているし、一人の武人として太老のことを彼女は信頼していた。
 そんななか、周瑜に劉備を支えてくれと頼まれれば、するべきことは決まっている。
 その信頼に応えることが、自分のするべきことだと黄蓋は心に決めていた。

「黄蓋さん、ありがとうございます」
「礼を言うのは少し早い気もするが……」
「伝令! ご報告します!」

 その時だった。
 砦の一室。部屋に転がり込んできた一人の兵士。その息は荒く、慌てて走ってきた様子が窺える。

「成都に動きあり、益州軍がこちらに向けて侵攻を開始しました!」





 ……TO BE CONTINUED



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