風を切る音、甲高い鉄の弾ける音が戦場に響く。
 桃源で理想を誓い合った姉妹。主君を同じくした二人が、互いの命を懸け戦っていた。

「どうして、どうしてなのだ!? 愛紗!」

 嘗ては姉と慕っていた女性に向け、悲しみと怒り、不安と恐れ、感情の入り交じった声で呼びかける張飛。そんな張飛の声が聞こえていないのか、少しも動揺した様子もなく、関羽は青龍偃月刀を張飛に向かって振り下ろす。

 ――ガキン!

 弾ける鉄の音。関羽の渾身の一撃を受け、鈴々の手に痺れが走った。
 実力は伯仲していた。互いに武を磨き、高めあってきた二人の力は、ほぼ互角と言っていい。
 力と経験では関羽に一日の長があるが、才と動きの速さでは張飛の方が上回っていた。

「やややややっ! くっ、なんで当たらないのだ!?」

 だが、自身より素早い張飛の動きを、関羽は長年の勘と経験で的確に捉える。無駄のない動き、流れるような動作。そして力強い太刀筋。干吉に意思を奪われ、操られていると言っても、その強さに陰りは見えない。
 主君を傍らで支え続け、その矛となり盾となり力を振るってきた一騎当千の武人の姿がそこにあった。

「桃香様! 今のうちにお下がりください!」
「でも、鈴々ちゃんと愛紗ちゃんが――」
「ここにいては危険です!」

 張飛が時間を稼いでいる間に、劉備を逃がそうと考える諸葛亮。嘗ては仲間だったとはいえ、道士に操られている今の関羽は敵だ。
 状況から考えて、このタイミングで関羽が現れたのは、劉備の命を狙った刺客である可能性が高い。ここで劉備が討たれるようなことがあれば、黄蓋が砦に残った意味すら無くなる。

「ごめん、朱里ちゃん! それでも私は――」

 戦略的に考えれば、ここは張飛に任せて撤退するのが最善の策なのだろう。

「桃香様っ!」

 諸葛亮の手を振り解き、飛び出す劉備。
 そう、普通であれば戦いは部下に任せ、安全なところに逃げるべきだ。
 しかし劉備には、それが出来なかった。

 ――仲間を信じたい。

 劉備の理想の原点は、助け合う想い、人を信じる心にある。
 操られているとは言っても、関羽は仲間。血は繋がっていないとは言っても、志を同じくした義妹だ。
 本当の家族のように、姉妹のように大切に想っている二人が、自分のために剣を交えている。
 そうした現実を前に、見て見ぬ振りが出来る劉備ではなかった。

「やめて! 二人とも!」
「お姉ちゃん――」

 二人の間に割って入るように飛び出す劉備。突然のことに驚き、張飛の動きが僅かに鈍った。
 その隙を逃す関羽ではない。
 戦いに割って入った劉備もろとも張飛目掛け、矛を横凪に振るう関羽。
 次の瞬間――

「ぐっ――がっ!」

 劉備を庇い、小さな張飛の身体が宙を舞った。

「鈴々ちゃん!?」

 地面に身体を打ち付け、転がるように倒れ込む張飛。
 直ぐ様、劉備は張飛の元に走り出す。

「……酷い」

 倒れた張飛を抱き起こし、その状態を確認した劉備の顔が青くなる。
 咄嗟に武器で防御したようで致命傷には至っていないが、頭や腹部からは血が滲み、力無く垂れ下がった右腕は骨が折れていた。
 即座に死に至るような大怪我ではないにしても、動けるような状態ではない。

(私が飛び出したから鈴々ちゃんが……)

 劉備は自分の取った軽率な行動を、今になって後悔していた。

 なら、諸葛亮の言うように逃げればよかったのか?

 その答えはわからない。逃げたからと言って、張飛が助かったという保証はどこにもない。
 あのまま戦いが続いていれば関羽か張飛、何れかが死んでいた可能性は高い。

(恐い……逃げだしたい。でも……)

 青龍偃月刀を構え、虚ろな目をした関羽が一歩、また一歩と劉備に迫る。
 自身に向けられる強い殺意。ここで死ぬかも知れないという恐怖。
 身体が小刻みに震え、逃げ出したい気持ちに駆られながらも、劉備はその場を動こうとしなかった。

「お姉ちゃん……に、逃げるのだ」

 微かに残った力を振り絞り、劉備に逃げるように促す張飛。
 しかし劉備は逃げない。いや、動けなかった。
 まだ死にたくない。恐怖はある。だが、それ以上に傷ついた張飛を置いてはいけない。

「ごめんね、鈴々ちゃん……」

 優しさは美徳であり、彼女の欠点でもある。
 自分の甘さが招いた種。その結果が、今のこの状況を作ったことは明白。

 ――想いだけでは誰も救えない。

 黄蓋の言うとおりだった。
 なら、どうするべきだったのか?
 今になってそのことを考えるが、すべてが遅すぎた。

「……ごめんね、愛紗ちゃん」

 頭上に振り下ろされる無情な刃。
 鈍く輝くその光を、劉備は瞬き一つせず見詰めていた。





異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第137話『原点』
作者 193






「くっ……大丈夫か?」
「……え?」

 劉備の前に立ち、手にした一本の剣で関羽の攻撃を受け止めている青年の姿があった。
 北郷一刀――天の御遣い代理、反董卓連合で頭角を現し、世間では『両刀』の名で知られる青年だ。
 そして、この登場に一番驚いたのは助けられた劉備自身だった。

「……どうして、ここに?」
「助けにきたに決まってるだろう……って、うおっ! とにかく早く逃げてくれ!」

 関羽の攻撃を、器用に剣で受け流す一刀。しかし、その動きは精練されたものとはいえず、どこか頼り無いものだった。
 とはいえ、防御と回避に徹すれば勝てないまでも時間を稼ぐくらいは出来る自信が、今の一刀にはあった。

「貂蝉との鍛錬に比べれば、このくらい――」

 貂蝉との鍛錬の日々を思い出す一刀。気絶すれば、よくて人工呼吸。最悪、貞操の危機という最低な環境で戦い方を学び、成都での戦いに敗れてからも、馬超や華雄といった武将の手解きを受け、生き残るために剣術の腕を磨き続けてきた。
 この世界にきて、もう二年だ。
 防戦一方とはいえ、それなりに戦えるようになっていても不思議ではない。

「ふむ、なかなかやるな」
「がんばれ、北郷! そこだ、いけ!」
「見てないで少しは手伝え! ってか、マジで助けてくれ!」

 とはいえ、そこは元一般人。多少強くなったところで一騎当千の武人に敵うはずもない。
 一刀に泣きつかれて、やれやれと言った様子で重い腰を上げる華雄と馬超。

「一騎打ちに横槍を入れるのは好きじゃないんだけど……まあ、仕方ないか!」
「うむ。ここで北郷を殺されると報酬にも響くからな!」

 報酬の方が大事と言われると、なんだか微妙な気持ちになる一刀だった。
 しかし、それはそれ。素直に二人の指示に従い、その場を任せて自分は桃香達と一緒に後に退く。
 それなりに力を付けたと自信を持っている一刀ではあるが、自分の力はよく理解しているつもりだ。
 関羽と何合か打ち合えただけでも奇跡のような力の差があるのだ。
 馬超と華雄と共闘したところで、二人の邪魔にしかならないことはよくわかっていた。

「今のうちに避難しよう。あの二人なら大丈夫だから」
「え、はい……」

 突然のことに戸惑いながらも、大人しく一刀の指示に従う劉備。
 色々と聞きたいことはあったが、それ以上に張飛の怪我が気になった。
 それに――

「……一刀さんは、どうしてここに?」
「さっきも言ったけど、助けに」

 何かおかしなことを言ったかと首を傾げる一刀。しかし劉備が怒るのには理由があった。

「でも、あんな危ない真似をして……死んでいたかもしれないんですよ?」
「あれは……咄嗟のことで考えるよりも先に身体が動いてたからなんとも……」

 間に合ったから良いものの、劉備を庇って関羽に斬り殺されていた可能性だってある。それほどに一刀のしたことは危険な行為だった。
 張飛に続いて一刀まで自分を庇ってそんなことになったら、劉備は今以上に自分を許せなくなる。自分のために、誰かに傷ついて欲しく無い。だから、そんな危ない真似を出来ればして欲しくなかった。

「よくわからないけど、難しく考える必要なんてないんじゃないか? 俺は桃香達を助けたいから助けた。あの時はあれが最善だと思ったから飛び出した。仲間を助けるのに理屈とか関係ないと思うし……」

 一刀の言葉に、雷をその身に受けたかのような衝撃を劉備は覚えた。
 昔の劉備であれば今の一刀のように、目の前で困っている人がいたら考えるよりも先に身体が動いていたはずだ。
 しかし、責任と重圧。周囲から掛けられる過度の期待。そして突きつけられた現実。
 戦いに身を置くようになり、劉備は理想を求めるうちに最初に誓ったあの想いを忘れ掛けていた。

(そうだ。私は……)

 桃源で誓い合った姉妹の約束を劉備は思い出す。
 あの頃は、たった三人だった。でも、強い絆で結ばれた三人だった。
 一人では出来ないことでも、三人ならきっとやり遂げられる。あの頃は、そう信じていた。

「何を悩んでるのかしらないけど、一人で溜め込んでないで話してみたらどうだ? そのための仲間だろう?」

 人であれば、悩みがあるのは当たり前だ。一人で出来ることには限界がある。だから、そのために仲間がいる。相談する相手が、心配してくれる大切な仲間がいることを、劉備は一刀の言葉で気付かされた。
 もっと早くに相談していれば、こんなことにならなかったのかもしれない。関羽のことも、もっと皆で話し合うなど出来ることはあったはずだ。

「私、私は……愛紗ちゃんと仲直りしたい。愛紗ちゃんに戻ってきて欲しい! だから、一刀さんお願い……力を貸して。助けて――」

 ポロポロと溢れ落ちる涙。今、口にしたことが劉備の本音だった。
 溜め込んでいたものをすべて吐き出すかのように、一刀に助けを乞う劉備。
 そんな二人のやり取りを横に、関羽達の戦いも終わりを迎えようとしていた。

「くっ! これは――」
「嘘だろ!?」

 青龍偃月刀を回転させ、竜巻のように巻き上げられた土埃に視界を遮られる華雄と馬超。
 明らかに常人離れした力に戦慄する二人だったが、土埃の晴れた場所には既に関羽の姿はなかった。





【Side:一刀】

 不幸中の幸いか、それとも狙ってそうしたのか?
 鈴々の怪我は大怪我に違いないが、見た目ほどに大したことはなかった。
 兵士達も怪我を負ったものは多数いたが、どれも急所は避けられており、幸いにも死亡したものは一人もいない。そのことから、操られていることは確実だろうが、もしかするとまだ意識が残っているのかもしれないという結論に達した。
 もっとも敵であることに違いは無い。今回はなんとか追い返すことが出来たが、次も上手くいくとは限らない以上、油断は出来ない。

(出来ることなら、なんとかしてやりたいけど……)

 桃香のためにも、出来ることなら愛紗のことはなんとかしてやりたい。
 それに俺も、愛紗を死なせる真似は出来ることならしたくなかった。

(でも、あの力を見た後だと、馬超達に手加減してくれとも言えないしな……)

 あの時、愛紗が最後に見せた力は明らかに人間の限界を超えていた。
 馬超や華雄でも、あの愛紗が相手では荷が重すぎる。多麻がいればなんとかなるかもしれないが、それも今となっては無い物ねだりだ。
 どうしたものか? やはりここは太老に頼るのが、最善の策のような気がする。

「一刀さん。危ないところを助けて頂いて、ありがとうございました」

 ようやく落ち着きを取り戻し、そう言って俺に頭を下げる桃香。
 仲間なのだから、困っていれば助けるのは当然だ。
 そんなつもりではなかったのだが、感謝は素直に受け取っておくことにした。

「ご主人様の前に出会っていたら、一刀さんのことを好きになっていたかもしれません」

 それは意外な言葉だった。

「愛紗ちゃんが一刀さんに惹かれる理由、少しわかった気がします」
「へ……?」
「気付いてなかったんですか? 愛紗ちゃん、よく一刀さんのことばかり話してましたから、てっきりそうじゃないかと思ってたんですけど?」

 桃香の話は要約すると、『助けてくれてありがとう。良いお友達でいましょうね』と言うことだ。まあ、そこは予想通りなので問題ないのだが、問題は愛紗の話だった。
 愛紗が俺のことを気に掛けてくれていたなんて初耳だ。俺の前ではそんな素振りなんて微塵も見せたことはなかった。
 いや、待て、騙されるな。桃香は天然だ。勘違いということも十分にありえる。
 でも、勘違いじゃなかったら? あのおっぱいが俺の物に――違う! 俺は何を考えている!

「あの……一刀さん、どうしたんでしょうか?」
「放っておけ。いつものことだ」
「そうそう、北郷は時々こうなるんだよ。発作みたいなもんか?」
「うむ。この間は袁術を膝に乗せて、『俺はろりこんじゃない』って頭を抱えていたな」
「ろりこんってなんですか?」

 愛紗の件はどうにかしたいが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
 一先ず、変な方向に話が飛びそうだったので、話を引き戻すことにした。

「まずは情報交換をしよう。これからのことを相談したいし。あと、馬超と華雄! 余計なことを桃香に吹き込むな!」

 部隊を反転させ進路を国境砦へと取り、その間に俺達は互いの持つ情報を交換することにした。

「それじゃあ、黄蓋さん達は……」
「ああ、大丈夫だと思う。あっちも、そろそろ片付いてる頃じゃないかな?」

 俺の話に納得した様子で頷く桃香達。今頃、国境砦には俺達より頼もしい援軍が駆けつけている頃だ。
 準備を整えながら今後の対策を練っていたのだが、成都での動きを察知して急いできた甲斐があった。

「よかった……」

 ほっと胸を撫で下ろす桃香。余程、心配だったのだろう。
 もう一つ安心させるために、あのあと俺達の身に起こったことや、袁術達が協力してくれていることなども話して聞かせた。

「そうですか、袁術さん達が……」

 今回の作戦は、袁術や南蛮の協力なくして成功はなかった。桃香達の救援と同時に、兵の出払った成都に制圧作戦を仕掛けることになっていたからだ。
 桃香達が見事、囮の役目を果たしてくれなかったら、この作戦は上手くいかなかった。
 俺達は行方不明になっていたので、身を隠して力を蓄えるのには都合がよかったからだ。

「北郷さん。その作戦を考えたのって、まさか……」
「ああ、うん。雛里ちゃんだよ」

 俺の話で、朱里ちゃんも気付いたようだ。正面から戦って勝てない以上、策を講じるしかない。
 そう、この作戦にはあのホウ統……雛里ちゃんが大きく貢献していた。

「それじゃあ、私達を助けにきてくれた部隊というのも……」
「ああ、そっちは別。桃香もよく知ってると思うけど――」
「え……?」

 砦が近付くにつれ、聴こえて来る音色と歌声。そして――

『ほわぁっ! ほわぁ、ほわあああっ!』

 男達の叫び声が聞こえた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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