【Side:ユライト】

 そこはまさに人智の及ばない獣が跋扈する魔窟だった。

「こらっ! あなた達、その方は太老様のお客様ですよ!?」

 正木卿の屋敷へと案内された私を出迎えてくれたのは、白と黒の二匹の獣だった。
 犬のような姿をしてはいるが、その大きさは犬などと生易しい物では無い。
 生物とも機械とも分からない見た目で、成人男性の軽く三倍ほどはあろうかという巨体。人間など軽く引き裂いてしまえそうな鋭い牙と爪を持ち合わせた魔獣。
 正直、『食べられる』と思い、足がすくんで動けなかった。
 しかし圧倒的な存在感を放つその二匹の魔獣を、『お座り!』と言って屈服させ叱りつけるマリエル。そこには強者と弱者、主人と使い魔の力関係が確かに成立していた。

「申し訳ありません。うちの子達が……」
「い、いえ……頼もしい番犬を飼っていらっしゃるようで……」
侍従(あのこ)達には、よーく言い付けて置きます。ペットの世話と躾はちゃんとしておくように注意してあったのですが」
「ペ、ペットですか?」
「はい。ペットですが?」

 ペットと言うには余りに迫力ある目の前の二匹を見て、その言葉に動揺を禁じ得なかった。
 だがマリエルだけでなく、周囲に控えている侍従達も特に驚いた様子はない。
 この屋敷では、このような魔獣が平然と飼われているのが普通なのだろうか?

「マリア様!? また、私に内緒で――しかも、外泊までされるなんて聞いていません」
「ユ、ユキネ!?」
「……マリア。ユキネさんに言ってなかったのか?」
「え、えっと……単に言い忘れていただけですわ。今回はマリエルも一緒でしたし」

 先程まで鍛錬でもしていたのか、木剣を右手に持ったマリア様の従者が屋敷の前で出迎えてくれた。
 私が聖地に教師として赴任した年、卒業を果たしたユキネ・メアという名の少女だ。
 一年ほどの付き合いだったが、武芸、座学ともに将来を有望視されるほど優秀な生徒だった事を覚えている。
 幼くしてハヴォニワのマリア姫の護衛機師に任命され、『アイスドール』の二つ名で教師や生徒達の間で有名だった聖機師の女性だ。
 それよりも気になるのは――

「ユキネさん。この庭の惨状を説明して欲しいんだけど?」
「うっ……コノヱが鍛錬に付き合って欲しいって言ったから遂……」
「まさか、二人でこれをやったのか? もう少し手加減して欲しいんだけど……コノヱさんは?」
「さっきまでここに居たのだけど、警備部の仕事があるとか言って……」
「……逃げたか。ユキネさん、庭の修繕は責任持って頼むね」
「……はい」

 屋敷の庭に、爆弾でも投下された後のように荒れ果てた一角があった。
 ずっと気になっていたのだが、正木卿とユキネさんの会話の流れから察するにこれをやったのは彼女のようだ。
 二人の話にでた『コノヱ』と言うのは、恐らくは私が赴任する前の年に学院を卒業したという『剣神』の事で間違い無いだろう。
 恐るべき近接戦闘能力を持つ女性聖機師という話で、学院在籍時代は剣に置いては敵無しの無類の強さを誇っていたという話がある。
 今、話題となっている『ハヴォニワの三連星』や、目の前に居る『アイスドール』と同じくハヴォニワを代表する聖機師の一人だ。

「タチコマ。コノヱさんに後で俺の執務室に顔を出すように伝えて置いて。工場の調査報告も聞きたいし」
「了解デス。アッ、タロウ様、タロウ様。首都土産ノ天然オイル、アリガトウゴザイマシタ!」

 思わず、目を見開いて驚く出来事がまた一つ。突然、何も無かった場所から姿を現すタチコマが三体。
 しかも、市販されているタチコマよりもずっと人間らしく話すその様は、とてもではないがただの機械には見えない。
 ここのタチコマが特殊なのか、本来のタチコマはこういう物なのか、私には全く判断が付かなかった。

 再び姿を消して、立ち去っていくタチコマ。遠ざかっていく駆動音が聞こえる事からも、瞬間移動などではなくただ姿を消しているだけのようだ。
 周囲の景色に完全に溶け込み姿を消してしまうなど、正直言って全く原理が分からない。
 教会が管理している先史文明の遺産の中に、亜法で姿を隠す『不可視の外套』と呼ばれる物があったと思うが、あれも原理は解明されていないはずだ。

「ユライトさん、行きましょうか。取り敢えず、客間に案内しますよ」
「え、ええ……お世話に成ります」

 間諜や刺客が侵入したが最後、帰って来られないと噂の正木卿の屋敷。その原因となっている物の一端を垣間見て、その話が紛う事なき真実なのだと私は確信した。
 正直、ここで見た物を誰かに話したところで、絶対に信じて貰えそうにないくらい無茶苦茶な話だ。
 教会が保有する先史文明の技術を用いたとしても、ここまでの物を再現する事など不可能と言っていい。
 これがハヴォニワの技術力なのか、それとも正木商会が異常なだけなのか、どうやってこれほどの技術力を保有するに至ったかが分からない以上、益々敵対したところで勝ち目など無い事を悟った。

【Side out】





異世界の伝道師 第162話『噂の真相、太老の屋敷』
作者 193






【Side:太老】

 ユライトを客室に案内した俺は、コノヱに書斎まで持ってきてもらった襲撃のあった工場の調査報告書に目を通していた。
 さすがはうちの情報部と警備部だ。仕事が早い。

「被害自体は最初にあった通りか。怪我人が無くてよかったよ」
「ですが、タチコマを破壊するほどの人物となると油断は出来ません」

 コノヱの言う通り、確かに油断の成らない相手だ。
 タチコマの戦闘力は決して低いとは言えない。聖機人に比べれば確かに劣るが、タチコマの真髄は白兵戦にある。
 聖機人より遥かに小さな機体と換装が可能な豊富な装備。そして機動力を活かした戦闘方法は、要人警護から対人戦闘に置けるまで無類の戦闘力を発揮する。当然ではあるが、例え剣や銃で武装したとしても生身の人間が敵うはずもない。
 だが、この侵入者は対人戦に特化した警備タイプのタチコマを剣一本≠ナ十二機も破壊した上に、水穂の構築した商会のセキュリティシステムを簡単に潜り抜けて見せた。
 あちらの世界でも、ここまで出来る奴はそうは居ない。最低でも、樹雷の一級闘士クラスの実力者だ。
 それは言ってみれば、フルバージョンに設定されたAランク以上のGS(ガーディアンシステム)を相手に出来るほどの力を有しているという事だった。

 タチコマの戦闘力は大きく見積もっても、GS(ガーディアンシステム)の換算でBランク程度。とてもではないが、それだけの実力者を相手に対応出来るはずもない。
 しかも、相手は二人組。一人だけでも厄介だというのに、樹雷の一級闘士に匹敵する実力者とそれに近い戦闘力を持つ謎の女が居るのだ。
 コノヱのように警戒するなと言う方が無理だった。

「盗まれたデータはタチコマの基本設計に関する物だけか」
「はい。あそこにフェンリルやMEMOL(メモル)に関するデータはありませんから」

 商会の要とも言うべきデータが盗まれなかっただけ、幸いだったと言える。
 それでもワウアンリー監修の物だ。
 機工人の概念が使用されているその設計書は、使いようによってはかなり役立つ物だ。
 相手にそれなりの知識と技術を有する技師が仲間にいれば、機工人モドキくらいは造れるかも知れない。
 最も、所詮は劣化品に過ぎないので、こちらにとっては大きな脅威にはならないが――

「侵入者の追跡と警備の見直しは優先させてやらせています」
「追跡はいいや。これだけの手練れが目立つ痕跡を残しているとは思えないし、タチコマを圧倒するような奴を相手にさせて、怪我なんかされたら一大事だしね」
「それはそうですが……このままと言う訳には」
「タチコマの設計書が狙いだったなら、そのうち敵さんから正体を明かしてくれるだろうし焦る必要は無いよ」

 そう、タチコマの設計書が目的だったのなら話は簡単だ。
 こちらから無理に追わずとも、その内、犯人の方から証拠となる行動を起こしてくれるはずだ。
 それに相手の情報もよく分からない内から深追いするのは避けた方が良い。

「警備の見直しだけでいいよ。そっちは新しいセキュリティシステムの構築も必要かもな。水穂さんと相談して考えて置くよ」
「……了解しました。よろしくお願いします」

 コノヱにしてみれば、侵入を許し貴重なデータを盗まれたばかりか、みすみす犯人を取り逃してしまったこの状況に納得が行かないのは分かる。
 警備部の責任者として責任を感じているに違いない。

「でも、庭を破壊するのは勘弁な」
「うっ……申し訳ありませんでした」

 だからこそ、訓練に余計に身が入ったのだろうが、破壊活動だけは勘弁して欲しかった。
 釘を刺しておかないと、庭の次は屋敷を破壊されかねない。実際、庭の至る所に出来た小さなクレーターを見て、そう思った。
 ここ最近、益々腕に磨きが掛かって、水穂の訓練を受けているユキネは当然、コノヱも負けず劣らずの実力を身に付けてきている。
 地下都市に根付く第四世代の皇家の樹=w祭』との相性も良いのか、以前に送った樹の指輪から上手く力を引き出せているようだ。

 その甲斐もあって、皇家の樹のバックアップを受けた彼女達は身体能力の面に置いて、この世界の人間の平均を大きく凌駕している。
 ちゃんとした生体強化を受けたミツキほどではないが、この世界の標準的な人間では、まず彼女達の相手にはならない。
 身体能力に定評のあるこの世界のダークエルフでさえ、今の彼女達の動きにはついて来られないはずだ。
 それほどの力を今の二人は身に付けている。それでもあの仮面を付けた侵入者、特に男の方には手も足も出ないと思うが……。

(本当に何者なんだろうな……)

 仮面を付けた謎の二人組。
 その侵入者の正体を考え、俺は首を傾げるばかりだった。

【Side out】





【Side:ミツキ】

『いいわよ』

 首都で留守番をしている水穂様に連絡を取り、聖地学院での教師の件を相談した結果、返ってきた答えは随分とあっさりした物だった。

「そんなにあっさりと決めてよろしいのですか?」
『メリットとデメリットを比較しての判断よ。あなたが聖地で教師をするのは悪い話じゃないと思うわ』
「それは、私にスパイをしろと?」
『有り体に言えばそうね。でも、どちらかと言うと護衛の役割の方が大きいかしら?』

 何となく水穂様に相談すれば、こう言われるのではないかという予感はあった。
 諜報活動よりも護衛を優先しろ、という言葉にも嘘は無いのだろう。
 私が無理に教師として潜り込まなくても、既にそのための行動は起こされているからだ。布石も配置済みだ。
 聖地に設立された商会支部や、現在各国に輸出されているタチコマが良い例だ。彼等もまさか、自分達の情報が筒抜けになっているとは思ってもいないだろう。
 水穂様曰く『情報を制する者は世界を制す』と言うように、段々と各地から膨大な情報が集まりつつあった。

『太老くんは心配していないけど、他の娘達はそうは行かないでしょう? あの娘達はいざと言う時、太老くんの弱点にもなりかねない』
「……分かりました。学院で教師をしながら、マリア様達に注意していればいいんですね?」
『ええ、独立寮の方ならまだしも学舎の方までは、商会の護衛を配置すると言う訳にはいかないものね』

 それは確かに、教会の面子もある。
 水穂様の仰るように自分達のお膝元、難攻不落の要塞、安全とされる聖地で目立つ警護を行えば、彼等も良い気はしないはずだ。
 マリア様、それにシンシアとグレースの安全を護るように私に命じたのも、政治的な部分を確かに考慮しているのだろうが、水穂様なりに私を気遣ってくださっているのだと感じた。

 聖地学院支部に送られている侍従達は、情報部・警備部から選び抜かれた者達を中心に構成されているため、能力が高く腕が立つ者ばかりだ。
 それに光学迷彩を搭載したタチコマも何体か配置されているので、想定されるあらゆる事態に対応できるように対策は練られている。
 それでも、聖地学院が必ずしも安全とは限らない。太老様のお立場や、私達が注目されている状況を考えれば、何処に敵が潜んでいても不思議ではないくらいだ。

「それと、ユライトくんの件なのですが……」
『教会のスパイである可能性、もしくはババルン卿の差し金か、それを悩んでる?』
「はい。疑いたくはないのですが、万が一、太老様に何かあってからでは遅いと思いまして……」

 教師を引き受けるか否かを一番悩んだ理由はそこにあった。これが罠という可能性も否定は出来ない。
 私を頼ってきてくれた後輩を疑うような真似をしたくはないが、彼が聖地学院の教師であるという事、ババルン卿の弟であるという事が問題だった。
 それに彼は嘘を吐いていない様子だが、恐らくは何かを隠している。それが何かが分からない以上、全面的に信用する事は出来ない。
 私が曖昧にやり過ごし、太老様との繋がりを隠そうとしたのもそのためだ。
 私だけならばまだいいが、それが原因となって太老様に迷惑を掛けるような結果だけは残したくない。

『太老くんは賛成したのでしょう?』
「はい」
『なら監視だけで、今は様子見でいいわ。太老くん相手なら、放って置いても自滅するでしょうし……』
「……水穂様? 自滅って?」

 自滅の意味はよく分からなかったが、水穂様が太老様の事を信頼している様子は窺えた。
 確かに太老様が何の考えも無しに、ユライトくんの提案を受け入れたとは思えない。
 水穂様は何か気付いている様子だし、きっと私には思いも付かないような深い考えがあるのだと考えた。

『後、マリアちゃんとマリエルと相談して、職員の出向の件は決めてもらって構わないわ。人事権はマリエルに一任してあるから』
「分かりました。詳細が決まりましたら、そちらに報告書を提出します」
『お願いね。後、太老くんに余り羽目を外しすぎないように、って伝えて置いてくれる?』
「はい」

 よろしくね、と水穂様が手を振る姿を最後に通信が途切れた。
 太老様の事を話す水穂様の表情は、部下と言うよりは姉が弟を心配するといった様子だ。
 それは、二人の距離の近さを感じさせる瞬間でもあった。
 あれは別の言い方をすれば、『家族』と言うよりは『夫婦』と言った方が正しい雰囲気だ。

「はあ……マリエルも大変ね」

 それと同様に、マリア様達も大変だと思わせられた。婚約で安心していたら、足元をすくわれかねない。
 太老様と水穂様。あの二人の間に入っていくのは大変だ、と私は感じ取っていた。

「まあ、今は参加するつもりはないけど……」

 病気を治すために生体強化を受け、少なくとも千年、二千年くらいでは死ねない身体になった私には太老様や水穂様と同じように長い長い時間がある。そのため、太老様に確かに好意を持っているが、焦りのようなものはなかった。
 それに死んだ夫の事をまだ愛していると言うのもあるが、娘達の幸せの方が私にとっては自分の幸せよりも優先される事だったからだ。
 ただ、今は娘達の幸せを願い傍観する立場にあるが、百年、千年先の事など私には分からない。
 その時に、太老様との道が交わるような事があれば、きっと私は今のような遠慮をせずに積極的にアプローチするという予感めいた確信があった。

「頑張りなさい。恋する乙女達」

 先程の水穂様の表情を思い浮かべて、私は思う。
 相手は強敵だ。でも、出来れば娘達に勝って幸せになって欲しい、と思うのは親心だった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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