【Side:マリア】

 お兄様が商会の医務室に向かわれたという話を屋敷で聞いた。
 また、ご加減を悪くされたのでは、と不安になり急いで商会本部へと向かう。
 頭に過ぎるのは、やはり仕事の再開を許すべきでは無かった。私がもっと確りしていれば、という今更悔やんでも仕方の無い事ばかり。

「お兄様、どうかご無事で……」
「おはようございます、マリア様。今日はどうかされ――」

 入り口で従業員達に挨拶されるが、焦る私の耳には届いていなかった。
 何とも言えない胸騒ぎを抑えきれず、私は脇目も振らず、地下一階の医務室へと向かう。
 商会の医療設備は機密情報などの関係もあって、全て地下に集約されている。情報部や警備部で使われている端末も同様だ。

「ここですわ――」

 目的の医務室の扉を見つけ、ノックしようとしたところで私の手が停止した。

「――ロウくん。服を脱いで」
「――でも」
「――心して、私に全て委ねて」

 商会の医務室の中から聞こえて来る怪しげな会話。それは間違い無く、お兄様とお姉様の声だった。
 服を脱いでとか、私に全てを委ねてとか、お姉様の声のようだがどういう?

(ま、まさか!?)

 私の脳裏に浮かんだのは半裸のお兄様を相手に、お医者さんプレイを強要する水穂お姉様の姿。
 まさか、そんなと首を横に振りつつも、中から聞こえて来る怪しげな声にその不安は膨らむばかり。

(ああっ! と、とにかくお二人をお止めしないと!)

 思考回路がショート寸前に達した私は、ゴクッと生唾を飲み、一気に扉を押し開けた。





異世界の伝道師 第177話『うっかり姫と天然メイド』
作者 193






「お兄様、お姉様、何をされてるんですか!?」
『え?』

 私はお兄様の貞操の危機を察知して、慌てて部屋に飛び込んだ。
 ポカンとした表情で、私の方を見るお兄様とお姉様。
 上着を脱いで上半身裸になったお兄様と、聴診器のような物を片手にお兄様の肌に触れているお姉様。
 やはり、お二人であの伝説の『お医者さんプレイ』を――

「何って、健康診断をしてもらってるんだけど?」
「この間、太老くんが倒れたから念のために検査をしてるんだけど……。マリアちゃんこそ、どうしてここに?」

 あれ? 私、また何か勘違いを?

「あはは……えっと、お兄様がここにいらっしゃると聞いて」

 お兄様の元を訪れたら『医務室に行かれた』と屋敷の侍従に話を聞いたのが半刻ほど前。

 ――病状が悪化されたのでは?

 と心配になって慌てて駆けつけたのだが、どうにもそういった話では無かったようだ。それもあのような勘違いを……。
 また、私の早合点だったらしい。顔を真っ赤にして俯く。穴があったら入りたい気分だった。

「特に問題無いみたいね。身体は健康その物よ」
「だから、心配無いって言ったじゃないですか……」
「それでも念のためよ。太老くんは放って置くと、やり過ぎなくらい無茶するから……」
「いや、これでも自重しているくらいなんですけど。水穂さんだって他人(ヒト)の事を言えな――いえ、なんでもありません」

 余計な事を口走りそうになって、お姉様に睨まれるお兄様。私も、お兄様のようになりかけていたかと思うとゾッとした。
 お姉様は人柄や実力的にも申し分無く、とても信頼できる方なのだが機嫌を損ねると大変な事になる。
 お姉様の機嫌を損ねた侍従は『冥土の試練』に送られるという話だ。マリエルと並び称されるほど、メイド隊の間では有名な話だった。
 以前にお痛が過ぎたお母様がマリエルに連れられて行き、翌日から悪ふざけを一切せず周囲の話も真面目に聞いて一生懸命仕事をこなすという、お母様とは思えないような行動の一部始終を私は目の当たりにした。
 あのお母様の困った性格ですら矯正してしまうという、マリエルと水穂お姉様のお仕置き。想像するだけでも、背筋が凍り付く。

「あれ? そういえば、お姉様」
「うん? どうかしたの?」
「ミツキさんやユライト先生に使っていた医療機器は使われないのですか?」

 ミツキさんやユライト先生を診るのに使われていた、あちらの世界から持ってきたという機械。
 それではなく、随分とアナログな方法でお兄様の身体を診察されているのを見て不思議に思った。
 お姉様であれば、相手がお兄様なら余計に詳しく、とことんやる方が自然な気がしたからだ。
 手を抜かれていると言う訳では無さそうだし、一体どう言う事か? と首を傾げる。

「ああ、あれではダメなのよ。太老くんは」
「ダメ?」

 ダメという言葉に更に首を傾げる私。ダメとは、どういう事だろうか?

「あー、なんていうかな? 俺ってあの手の機械との相性が悪いんだ」

 歯切れの悪いお兄様の物言いを少し不思議に思いながらも、お姉様の診察に間違いは無いだろうと、その場は納得する事にした。
 表向きの物でさえ、今やハヴォニワの医療技術はシュリフォンの薬剤と並び称されるほどの水準に達している。
 全ては水穂お姉様主導の下、メイド隊に設立された医療部の活躍があってこそだ。
 そのお姉様が仰るのであれば、間違いはないはずだ。ただそれでも、やはり疑問は残っていた。

(お兄様の過去に関係があるのでしょうか? お姉様しか知らないお兄様の過去に……)

 ある程度、お二人の世界の話は窺っているが、まだ色々と話して頂いていない事が沢山ある。
 お二人は私と同じ皇族の出身という話だし、海賊討伐をされていたという話からも軍の機密に関係する事であれば話せない事もあるだろうと、お姉様が話せると判断した範囲でしか事情を伺っていなかったからだ。
 そこに私達が知らないお兄様の秘密があるのかもしれない、と私は考えた。
 そんな時だった。ううん、と思考に耽っているところに、不意打ちのようにお兄様から質問が投げ掛けられる。

「ところでマリア。さっき、なんで慌ててたんだ?」
「あれは、お姉様がお兄様を相手にお医者さんごっこをしてると思っ……はっ!?」

 お兄様に質問されて、咄嗟の事で馬鹿正直に答えてしまった。
 慌てて両手で口を塞ぐが既に遅い。椅子から静かに立ち上がり、ユラリと揺れ動く水穂お姉様のお姿。

「丁度良かったわ。マリアちゃんも健康診断をしておきましょう」
「え? 私は別に……」
「最近、公務が忙しくて疲れ気味だと聞いているし、栄養剤も一つ打っておきましょうか?」
「え、ええ!? お姉様、それは!」
「大丈夫。ちょっとチクッとするだけだから――お注射しましょうね」

 極太の大きな注射器を片手に、光悦な表情を浮かべて迫ってくるお姉様。

「お兄様、助け――」

 慌てて助けを求めるが、既にそこにはお兄様の姿はなかった。

【Side out】





【Side:太老】

 マリアの悲鳴が聞こえたような気がするが、あの水穂さんを相手に立ち向かえるほど俺は蛮勇ではない。
 口は災いの元、と先日、再確認したところだ。マリアも不用意な事を口にするから……。
 それに誤解の無いように言って置くと、そんなつもりで訊いた訳じゃ無かったんだ。純粋な興味本位だった。
 すまん。不甲斐ない兄で許してくれ。今度、パフェでも奢ってやるからな、と心の中で懺悔した。

「そういえば最近、ユライトさんを見かけて無い気がするんだけど?」
「ユライト様ですか? 水穂様の言い付けで、ユキネ様と一緒に山籠もりをされているはずですが?」

 お帰りは明日になるはずですよ、と何でもないように答えるマリエル。
 いや、そこに少しは疑問を持とうよ、とか色々とツッコミどころ満載だが藪蛇になりそうだったのでやめた。
 それにマリエルの事だから、天然という可能性もある。
 きっと水穂に『治療に必要』と言われたら、湯治に出掛けたくらいの考えでいるのかもしれない。
 だが、そんなに甘い話などあるはずがない。水穂が『山籠もり』と言ったら、それは文字通り『柾木家流の山籠もり』を意味する。

「ユライト様に何か御用ですか?」
「いや、ちょっと気になっただけだから気にしないで……」
「そうですか?」

 山籠もりか……。
 思い出されるのは勝仁指導の下、幼い頃より行われてきた虐待……地獄とも呼べる柾木家での修行の日々。今になって思うが、よく生きていたなと自分で関心するくらいだ。
 剣士も一緒にするようになってからは随分と楽をさせてもらったが、横着しているのがバレると魎呼を交えた地獄の特訓が待ってるんだよな。
 いやはや、本当に懐かしい。二度と体験などしたくは無いが……。

(ユキネも最近、益々逞しく成長してきたしな……)

 ユキネも水穂との山籠もりを切っ掛けに逞しく成長して、段々と人間離れしてきた。
 水穂にユライトの山籠もりの監督を任せられるくらいだ。その成長振りが窺える。
 ユライトも色々と大変そうだ。今は『強く生きてくれ』としか言えなかった。誰もが一度は通る道だしな。

「ところで、さっきからマリエル達は何してるの?」
「明後日にはここを発ちますから、その前に衣装合わせをと思いまして」

 俺の部屋にマリエルと他五名の侍従達が、何十着と高そうな服の掛かった衣装掛けを運び入れていた。
 衣装合わせ、という言葉を聞いて俺は首を傾げる。それとこの大量の衣装が、どう考えても結びつかなかったからだ。

「あのさ、マリエル」
「はい。なんでしょうか?」
「そこに掛かってる服って……」
「当日、式典で太老様がお召しになる衣装ですが?」

 もしやと思って聞いてみたら、やっぱりと頭を抱えた。
 マリアだと『黄金の衣装』を用意されそうだったので、式典用の衣装はマリエルに全て委ねたのだが……。
 それがまさか、こんな結果を招こうとは――。庶民出のマリエルなら、もう少しまともな思考をしていると思ってたのに大きな誤算だった。
 偶にこういうズレた事を平然としでかすんだよな。マリエルって……。俺がマリエルの事を『天然』と呼ぶ所以がこれだ。

「それ、全部じゃないよね?」
「勿論です。さすがに全部は部屋に入りきらないので、先にこれだけ――」
「……え?」

 何故だか、会話が噛み合っていない気がする。一瞬、何を言われたか分からず思考が停止した。

「いやいやいや! 部屋に入りきらないって!?」
「はい? そうですが?」

 ――それ、全部着る訳じゃないよね?
 と訊いたつもりだったのだが、もっと聞き逃す事が出来ない答えが返ってきた。
 部屋に入りきらない、ってまさか、そういう事なのか? いや、幾らなんでも――

「ご覧になりますか? 広間に運びこんでありますので、そちらで衣装合わせをして頂いても構いませんが」

 その言葉に嫌な予感を感じつつ、マリエルに『案内してくれ』と返事をする。
 マリエルの言葉に半信半疑で後をついていくと、普段余り使われていない宴会場の広間に案内された。

「…………嘘だろ?」

 唖然とした。服のジャングルと化した広間。衣装掛けに丁寧に掛けられ、ズラーッと並んだ衣装の数々に圧倒される。
 ここは服屋か何かか? 商売でも始めるつもりだろうか?
 そう思えるほどの圧倒される衣装の数だ。
 まさかこれが、俺一人≠フために用意された衣装だと誰が思うだろうか?
 毎日着替えても一体何年掛かるんだよ、と的外れな事を考えるほど俺は困惑していた。天然にもほどがあるぞ、マリエル。

「あの……太老様? 何か不手際が……」
「いや、不手際も何も……なんで、こんなに沢山?」
「大切な式典ですし、デザイン画だけでは決めかねますので」

 商会傘下の服飾デザイナーに向けて、俺の式典用衣装の大々的な募集を行ったそうだ。
 すると応募数が約三千という数に上り、集まった衣装の処理に困った商会から先日これらの衣装が纏めて送られてきた、というマリエルの話だった。

「ここにあるのは戴冠式用の衣装になります。別室に婚約式用の衣装もありますので」
「これで全部じゃ無いのか……」

 事情は分かったけど、幾ら何でも数が多すぎるだろう。
 さすがに全部着るのは無理があるぞ。試着だけでも何ヶ月掛かる事か……。

「これ、明後日までに決められるのか?」
「生地の材質や意匠の出来などから候補を絞ってありますので、明後日までには十分間に合うかと」
「ちなみに……候補って、どのくらい?」
「全部で三百着。全体の約十分の一です」

 絞ってそれか、とその数を聞いて、更に頭を抱えたのは言うまでも無かった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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