「なんで、あんなことを言ったんだ?」
「勘違いしてくれてるなら、それを利用した方が早いと思ったの。お兄ちゃんの場合、誤解を解くのも大変でしょう?」

 エリカの疑問に答えたのは太老ではなく桜花だった。太老がカンピオーネであると肯定したのだ。
 誤解を解くにせよ、そのためには異世界からきたことを証明しなくてはならない。
 どちらかというと、そちらの方が面倒臭い。厄介なことになるのは確実だ。
 なら、誤解をさせておいた方が楽でいいとの桜花の判断だった。

「それに、その方が情報を集めやすいだろうし」

 それに太老の性格から考えて、このまま力を隠しきれるものではない。
 初日であの騒ぎだ。これからも面倒事に関わることは、ほぼ確定と言っていい。
 それならカンピオーネの権威と名声を思いっきり利用してやろうと桜花は考えていた。

「でもなあ……そんな嘘、いつかはバレるんじゃないか?」
「意外とバレないんじゃないかな? その辺り、どう思う?」

 突然、話を振られ、首を傾げるアテナ。

「妾に聞いておるのか?」
「あなたから見て、お兄ちゃんは神殺しに見える?」
「……正直に言えば、わからぬ。我らは神殺しや同胞であれば、それがどんな姿をしておろうと一目で看破することが出来る。しかし太老からは何も感じぬ」
「感じない?」
「只人でないことはわかる。しかし、それ以上のことは何もわからぬ。ただ……妾は太老に対し、神殺しとは違った興味を抱いている」

 アテナの要領を得ない発言に、桜花はなんとも言えない複雑な表情を浮かべる。聞き方によっては告白とも取れる回答だ。
 某三姉妹の神様や皇家の樹など、太老は人外のものに懐かれる傾向がある。アテナも、それに近い状態なのかもしれないと桜花は考えた。
 それに知りたかった答えは聞けた。アテナにもわからないのであれば、カンピオーネの件は幾らでも誤魔化しようはある。
 アテナは智慧の女神であり、蛇の神格を持つ女神だ。魔女や巫女の霊視の力も元を辿れば蛇――大地母神にまつわる力だ。
 神に見通せないものを、人間に見通せるはずもない。ようするに、ボロをださなければバレる心配はないということだった。
 大体バレたところで誰も『異世界』や『宇宙人』なんて言葉を信じないだろう。まだカンピオーネと偽っている方が、この世界では現実的だ。

「あなたもだ、平田桜花。妾は、あなたにも興味を抱いている」
「え? 私にそっちの気はないんだけど……」

 限りなくぺったんこに近い薄い胸を両手で隠し、本気で身の心配する桜花。
 母親や女官達に『可愛い』と散々弄くり回され、必死に逃げ回った苦い記憶が彼女の頭を過ぎっていた。
 今でも、たまにそういうことがあるのだ。
 だから風呂に入る時は一人か、太老以外とは極力入らないないように気を付けているほどだった。

「あなたも不思議な人間だ。神殺しの気配は感じぬ。しかし、妾を貶めるほどの力を隠しているな?」
「へえ……鋭い。さすがは智慧の女神様」

 小さな見た目で侮られることはあっても、一目で実力を見抜かれたことはほとんどない。
 なのに、アテナは桜花が力を隠していることをあっさりと言い当てた。
 やはり彼女はこんな姿をしていても、皇家の樹と同じ高次元生命体なのだと桜花は感心する。

「敵対する気はないんだよね?」
「妾にその気はない。どうしてもやるというのなら全力で応戦するが?」
「やめておくわ。面倒なことはしない主義なの」

 最強の闇の女神を前にしているというのに桜花は一歩も退かない。
 桜花は勝てるとも勝てないとも言わなかった。ただ面倒と言っただけだ。
 それはアテナが警戒するように、神を倒せるほどの切り札を隠し持っている(あかし)でもあった。

「頼むから喧嘩なんてしないでくれよ」

 それは、どちらに向けた言葉なのか? それを知るのは太老だけだった。





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第9話『挨拶と返礼』
作者 193






 太老達が拠点としている高級マンション。その十階2LDKの部屋に、エリカとその部下のアリアンナは住んでいた。
 アリアンナ・ハヤマ・アリアルディ。その名前からも察しがつくとおり祖父が日本人だという彼女の髪は艶やか黒のセミロングで、イタリア人と言うよりは日本人の女性に近い小柄で幼い顔立ちをしていた。
 実際、名前を聞かなければ、その流暢な日本語から誰もが彼女を日本人と勘違いするはずだ。
 歳は十九歳。『赤銅黒十字』に所属する魔術師見習いで、ここ日本にはエリカの身の回りの世話をするためにやってきたと言うだけあって、標準装備は常にメイド服と言う気合いの入れようだ。
 料理の腕は一流。掃除や洗濯と家事も万全にこなし、働き者で気配り上手。秘書としての能力もエリカが認めるほどで、メイドとして非常に優秀な能力を持っていた。
 しかし、残念ながら魔術の才はまったくなかった。
 その所為か、今ではすっかりエリカのお世話係となっている。

「フフンフン〜フン♪」

 鼻歌を口ずさみながら、手慣れた様子で料理をするアリアンナ。
 生ハムを使ったサラダに白身魚のムニエル。そして手作りパスタとなかなか本格的で凝った手料理の横に、一際目を引く真っ赤なスープがグツグツと音を立てて煮込まれていた。
 彼女の主が目にしたら、何よりも優先して対策を考えるであろう一品。美味いわけでも不味いわけでもない、なんとも形容しがたい味の料理。一見、有能そうに見えるアリアンナを『人は見かけによらない』と言わしめる欠点の一つ。それが、この煮込み料理だった。

「うん、良い匂いがしてきました。エリカ様はまだ調べ物をされているのでしょうか?」

 彼女の主人は帰宅してからずっと部屋に籠り、何やら調べ物に没頭していた。
 決して表に出そうとはしないが、エリカは基本的に勤勉で努力家だ。剣の鍛錬や魔術の勉強もそうだが、必要と思ったことに対しては努力に余念がない。そんな主の姿を陰ながら見守り、支えるのが、アリアンナの密かな楽しみでもあった。
 そのためならメイドであろうと立派な仕事だ。魔術師としては確かに未熟かもしれないが、エリカの役に立てる今の仕事に彼女は誇りを持っていた。
 このスープもそんな疲れているであろうエリカの身体を気遣って用意したもので、人使いの荒い主人を毒殺しようだとか企みがあってのことではない。

「あら? こんな時間にお客様でしょうか?」

 インターフォンが鳴ったことを確認し、アリアンナは料理を中断して玄関へ向かおうとする。
 そんな彼女を引き留めたのは、ずっと部屋に引き籠もって調べ物をしていたエリカの声だった。

「ああ、いいわ。私が出るから、アリアンナはそのまま料理の続きをしてて」

 それはちょっとした気まぐれだった。調べ物に行き詰まって、少し息抜きがしたかっただけ。
 エリカはアリアンナに声を掛け、そのままキッチンを通り過ぎ、玄関脇の廊下に設置してあるインターフォンの受話器を取る。
 ディスプレイ付きのインターフォン。その液晶画面に映し出された顔を見て、エリカは思考を停止した。

『ここの十二階に引っ越してきた者ですが、引っ越しの挨拶にきました』

 画面の向こうには、ほんの数時間前別れたばかりの七人目の王が立っていた。


   ◆


「行き成り押し掛けて、夕食まで御馳走になっちゃって申し訳ないです」
「いえ、エリカ様のお客様ならお持て成しするのは当然です。お気になさらないでください」

 急な来客にも完璧な対応を見せるアリアンナ。まさにメイドの鏡と言った様子だ。
 テーブルの上に並べられた数々の料理に舌鼓を打つ太老。どれもエリカが認めるだけあって、三つ星レストランの味にも劣らない料理ばかりだった。

「よかったらデザートもありますけど、ケーキとアイスどちらがよろしいですか?」
「私はアイスをもらおうかな。あ、出来たらバニラを! イチゴとチョコレートソースも添えてくれると嬉しいかも」
「妾はケーキを所望する。あと紅茶のお代わりを頼む」

 こちらはこちらで我が家のように馴染んでいる幼女が二人。余りに自然な態度に、ここが誰の家かわからないほどだ。
 これも女王の威厳か? その威風堂々とした佇まいは、アテナがアリアンナの主人のようにも見える。
 そんななか、エリカは悪い夢でも見ているような心境を味わっていた。
 まつろわぬ神と魔王が一緒に食卓を囲んでいるのだ。幼い頃から、まつろわぬ神の危険性やカンピオーネの恐ろしさを教え込まれてきたエリカからすれば、悪夢と言って良い光景が目の前に広がっていた。
 とはいえ、あそこで尋ねてきた太老を追い返せる魔術師がいれば会ってみたい。堅牢堅固な要塞だって無条件で門を開放し、白旗を揚げるはずだ。
 何も知らないとはいえ、アリアンナの適応力の高さがエリカは羨ましく思えるほどだった。

「アンナさんって料理が上手いんですね。このレベルの味は家庭じゃ、なかなか出せないですよ」
「ありがとうございます。あっ、よろしかったらスープも如何ですか?」

 いつの間にか『アンナ』の愛称で呼ぶまでに仲良くなっている太老を見て、桜花が少し不機嫌そうな表情を浮かべる。
 そんな光景を微笑ましく思いつつ、エリカがカプチーノに口をつけた――その時だった。
 恐ろしいものがエリカの目に入る。

「――って、アリアンナ! このスープってまさか!」

 テーブルに運ばれてきた真っ赤なカップスープを目にして、エリカを珍しく取り乱す。
 相手が護堂ならまだしも(護堂ならいいのか?)お客様に出すような代物ではない。
 ましてや、相手は『王』だ。そんな粗相をすれば、どうなるか――

「ぐはっ……!」
「お、お兄ちゃん!?」

 エリカが咄嗟に止めようとするも――遅かった。
 バタンと頭から机に突っ伏す太老。それを見て、額に手を当てエリカは天を仰ぐ。「お兄ちゃん、死なないで!」と太老の胸倉を掴み、高速で上半身を揺する桜花。アテナは微動だにせずケーキと紅茶を優雅に味わい、アリアンナはよくわかっていない様子で「え、え?」と狼狽えていた。


    ◆


「王への非礼、心よりお詫びします。出来ることなら寛大な処置を願いたく――」

 死刑宣告を待つ被告人のように、エリカとアリアンナは粛々と王の裁きを待つ。
 普段のエリカなら、こうなる前にアリアンナのスープに気付けたかもしれない。しかし今日は色々と不運が重なり、魔王と神が揃って会食という前代未聞な出来事を前に、正常な思考が出来る状態ではなかったことが災いした。
 何事も完璧を期すエリカとしては珍しい痛恨の失敗だった。

「ああ、うん。大変、独創的な味だったけど……そこまで畏まらなくていいから」
「最近、気が緩んでるお兄ちゃんには良い薬になったと思うよ。街で女の子を拾ってきたり、初対面のメイドさんともすぐに仲良くなるから、きっと罰が当たったんだよ」
「それ、このことと何か関係あるのか?」
「それがわからないようじゃ、お兄ちゃんはまだ反省が足りないと思う」
「……なんか、理不尽なものを感じる」

 どちらかというと、桜花が太老の上半身を激しく揺さぶった方が、スープのダメージより大きかった。
 絶対にあれは私怨が入っていたと太老は思う。桜花の機嫌を何故損ねたのか、そこだけがよくわからないが、昨夜の一件もあって余り強くは言えなかった。
 エリカとアリアンナに「気にしなくていいから」と伝える太老。正直この程度であれば、いつものことと笑って済ませられる話だ。

「王の寛大なご処置に心より感謝します」
「ああ、そう言うのはいいからさ。普通に『太老』って呼び捨てにしてくれていいよ」
「……よろしいのですか?」
「お兄ちゃんが良いって言ってるから、いいんじゃないかな? 私のことも『桜花』でいいよ。これからは、ご近所さんだしね」

 エリカは少し逡巡するが、王の命令ということで納得する。王の言葉は絶対だ。それに無茶な命令ではない。どちらかと言えば、エリカもその方が気分的に楽だった。
 しかし、彼は魔術師が『王』と崇める存在。気さくに言葉を掛けられようが、一介の『騎士』と『王』とでは立場の差は歴然としている。護堂ならいざ知らず、王には敬意を払わなければならない。
 畏まりすぎず、かと言って馴れ馴れしくない絶妙な言葉遣いでエリカは太老の名前を呼ぶ。

「それでは遠慮なく、『太老』と呼ばせて頂きます。それで、上に越して来られたというのは……」
「ああ、ここの最上階に昨日から住むことになってね。昼に挨拶にきたんだけど留守だったみたいだから、この時間ならいるだろうと思って寄らせてもらったんだ」

 今日の昼と言えば、七雄神社で祐理や護堂と会っていた時間だ。アリアンナにも色々と用事を言い付けているため、彼女も何かと忙しい。昼間は二人とも家を空けていることが多いため、その時間に尋ねてきたのだろうとエリカは推察した。
 とはいえ、問題は――

「それは、ご丁寧にありがとうございます」

 無難な返事をするが、エリカの内心は穏やかではなかった。
 神と魔王が一緒に暮らしているマンションなど、世界中探しても他にないと断言できる。知っていれば、誰もこんな危険な場所に近付こうとは思わない。それだけにエリカは迷っていた。
 この場を上手く切り抜ければ、あとは夜逃げ同然で逃げるなりして太老と距離を取ることは簡単だ。しかし逆に考えれば、これはチャンスでもある。
 太老の人となりはそれなりに知ることが出来たが、その素性や能力は一切謎に包まれている。どんな神を殺したのか、どんな権能を持っているのか、何一つわかっていない。
 わかっているのは未知の言語能力を行使し、神速で自由自在に動ける身体能力を持ち、神業的な罠抜けの技術と、神具と思しき武器を所持していることくらいだ。
 ようするに、八人いるカンピオーネの中でも上から数えた方が早いくらい非常識な存在ということ以外は、何もわかっていないに等しかった。

(ここで上手く関係を構築できれば、友好関係とまでは言わなくても無益な争いは避けられるかもしれないわね)

 昨晩の戦いから、出来る限り太老との交戦は避けるべきだとエリカは考えていた。
 戦いは相手の情報を知るところから始まる。現状、太老に関する情報は何一つわかっていないに等しい。そんな状況で再び戦いになれば、護堂に勝ち目はほとんどないだろうとエリカは冷静に力の差を見極めていた。
 幸いにも昨晩の諍いは誤解から始まったものだと和解が成立している。太老もそのことを謝罪し認めていることから、関係を構築するなら今をおいて他にない。
 危険を伴う行為ではあるが――エリカの心は決まった。

「これも何かの縁。お困りのことがあれば、遠慮無くなんでも仰ってください。お力になりますわ」

 優美に微笑み、太老と握手を交わすエリカ。
 しかし、この一言が軽率だったと彼女が気付く日は、そう遠くなかった。





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