「協力は出来ません」

 ヴォバンは「ほう……」と興味深そうに、ひかりを見る。ヴォバンに連れ去られたひかりは、彼が宿泊する高級旅館に囚われていた。
 時刻は夜の八時を少し回ったところ。夕食時だというのに旅館には人の気配がまったくしない。
 注意深く周囲を窺えば、人のカタチをした白い塊のような物が至るところに見える。ヴォバンの権能によって、塩の柱へと姿を変えられた人々だ。
 しかし、ひかりはそんな危機的な状況にあるにも拘らず、毅然とした態度でヴォバンの誘いを断った。太老を誘い出すための餌となることを拒否したのだ。

「だが、少女よ。どうする気だ? 既に囚われの身。どう足掻こうとも、このヴォバンから逃げおおすことなど出来ぬ」
「どうして、私なんですか? お姉ちゃんならわかりますけど、私をどうして……」
「キミは正木太老と懇意にしているのであろう? ならば、あの甘い男のことだ。必ず、ここに来るはずだ」

 ひかりは頭の良い子だ。ヴォバンとの話の食い違いから自分が誰かと間違えられ、ここに連れて来られたことを理解した。

(……お姉ちゃん)

 姉の顔が頭を過ぎった。今頃は凄く心配しているだろう姉のことを思い、ひかりは寂しさと悲しさで胸が一杯になる。
 恵那のメモ用紙をくすね、姉に何も言わず黙って出て来たから、きっと罰が当たったのだ。
 本当は凄く恐い。身体は恐怖で震え、思うように動かない。でも、ひかりは涙一つ流さず、目の前の恐怖に必死に耐えていた。

(あれがカンピオーネ。あれがお姉ちゃんの言ってた……)

 四年前に姉を連れ去ったカンピオーネ。因縁の相手とも言える魔王に屈服などしたくなかった。
 子供ながらのやせ我慢と言ってしまえばそれまでだが、ひかりにとってそれは譲れない一線だった。

「クラニチャール、少女を部屋へ。あの男を誘い出す大事な餌だ。くれぐれも丁重にな」
「はっ! 畏まりました」





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第16話『裏切り』
作者 193






「肝が冷えたぞ。侯爵に反抗するなど……」
「あれは……」
「勇敢と蛮勇は違う。命が惜しければ慎むことだ」

 厳し言い方だが、リリアナなりにひかりの身を心配してのことだった。

「あの……リリアナさんですよね?」
「私のことを知っているのか?」
「その綺麗な銀髪と、クラニチャールの家名で気付きました。姉がよく話してくれましたから」
「万里谷祐理が?」
「はい。四年前の儀式で囚われの身となった時、同い年の少女のなかで親切にしてくれた人がいるって」
「……礼を言われるようなことはしていない」
「でも、間違えて連れて来られたことに気付いていたのに、黙っていてくれたんですよね? 私のことを考えて……」

 ヴォバンがひかりを殺さないのは、ひかりに利用価値があるからだ。
 もし間違いだと気付けば、旅館の人達のように不要と切り捨てられ、塩の柱に変えられてしまうかもしれない。
 いや、あの侯爵なら躊躇わずそうするだろう。リリアナはそう考えて、ひかりのことをヴォバンに伝えなかったのだ。
 王に仕える騎士としてはあるまじき行為だが、リリアナにはひかりを見捨てるような真似は出来なかった。

「やっぱりリリアナさんは優しいと思います。お姉ちゃんの言っていたように」

 そんなリリアナの行為を、ひかりは好意的に受け止めていた。
 少なくとも自分には味方となってくれる人がいる。こんな絶望的な状況の中でも、ひかりはまだ諦めていなかった。
 リリアナがそうであったように、きっと四年前に姉を助けてくれた王様も優しい人に違いないと、ひかりは思う。
 姉の話に嘘はない。なら、今の自分に出来ることは……姉を信じて待つことだけだ。
 それが、囚われの少女に出来る唯一のことだった。

「……恐くないのか?」
「恐くないって言えば嘘になります。でも、私は信じていますから」
「信じる?」
「お姉ちゃんの話を――お姉ちゃんが話してくれた優しい王様を」

 ひかりの直向きな言葉に、リリアナの心は揺れ動いていた。


   ◆


「エリカ、ここなのか?」
「ええ、裏付けも取ってあるから間違いないわ」
「裏付け?」
「ヴォバン侯爵の騎士が来日しているのよ」

 旅館へ到着した護堂達は、周囲を警戒しながら建物へと近付く。

「……おかしいわね?」

 エリカは怪訝な表情を浮かべる。静かすぎることもそうだが、まったく争った形跡がない。あの様子なら、先に太老達は到着していると考えていたのだ。
 エリカの考えた作戦はこうだ。太老とヴォバンが争っている隙にひかりを助け出し、人質の無事を確認してから太老に協力してヴォバンを倒すというものだ。
 今回に限っては利害が一致していることもあり、協力体制が取れると考えてのことだったのだが――

(まさか、嵌められた!?)

 太老達を囮にするつもりでいたのが、自分達が囮にされたのだとエリカは状況を理解する。

「護堂、祐理! 気を付けて!」

 しかし、気付くのが遅すぎた。三人の周りに無数の人影が現れる。
 古めかしい中世の甲冑や衣装に身を包んだ騎士や魔女達。青白い顔に瞳孔は開き、生気を微塵も感じさせない姿はまるで死人(ゾンビ)のようだ。

「エリカさん、これは……」
「死せる従僕……ヴォバン侯爵の権能よ」

 ヴォバンに殺された者達は、その魂を牢獄に囚われる。死した者達を亡者へと化生させる権能(チカラ)。それが『死せる従僕の檻』だ。
 死と生命を司るエジプトの神オシリスより簒奪したその権能を使い、ヴォバンは嘗て自分に挑み散っていった者達の魂を牢獄に繋ぎ止め、支配下に置いていた。
 彼等は王に仕える駒。冥府より甦えりし古の戦士達だ。

「護堂、祐理を連れて下がりなさい!」
「下がれって言われても……うわっ!」

 エリカは自分達の不利を悟り、護堂と祐理を下がらせる。
 多勢に無勢。死んで判断力が落ちている所為か、動きに柔軟性がないとはいえ、生前は名のある騎士や魔女だった者達だ。
 エリカが幾ら強いとはいえ、これだけの数の敵を相手にするのは厳しかった。
 それでも――

「クオレ・ディ・レオーネ!」

 やるしかないとエリカは覚悟を決める。獅子の魔剣を呼び出し、紅と黒(ロッソネロ)≠フ軍衣に身を包み、死せる従僕へと戦いを挑む。
 囮にされたということは、太老達の狙いは人質の救出にあるとエリカは察する。アリアンナの治療の代価がこれだとしたら、高い買い物をさせられたものだと愚痴の一つも溢したくなるが、それは後回しにするしかなかった。
 少なくとも人質の方は心配せずとも、あの二人がどうにかしてくれるだろうと期待する。なら、自分達のやるべきことは――目の前の敵を倒し、少しでもヴォバンの注意を惹きつけることだ。
 エリカは状況に対応すべく思考を切り替えた。

「作戦変更よ! 護堂、出来る限り敵の注意を惹きつけるわ!」
「こっちが囮になるってことか?」
「ええ、あなたは権能を温存しておいて。恐らくこの先には――」

 側面から炎、正面から剣閃。同時に魔女と二人の騎士に攻められ、思わずエリカは後退する。
 古の魔女――それに、エリカと同じ大騎士に相当する実力の騎士達だ。
 勝てないことはないが、護堂や祐理を守りながら立ち回るほどの余裕はエリカにはなかった。

「万里谷、危ない――ぐっ!」
「草薙さん!」

 祐理を庇った護堂の肩を僅かに騎士の剣先が掠める。即座に追撃を仕掛ける死せる従僕。
 やられる――と思った瞬間、鋼の剣が騎士を背後から貫く。エリカの獅子の魔剣だ。

「鋼の獅子よ、汝に指名を授ける。七振りの太刀となり、囚われの王を守護せよ!」

 それは銀の魔剣を獅子へと化身させる言霊。投擲された獅子の魔剣が砕け散り、七体の獅子へと変貌した。
 護堂と祐理を守るように、死せる従僕の前に立ち塞がる鋼の獅子達。
 すかさず、エリカは代わりの剣を召喚の魔術で呼び出す。魔剣に比べれば劣る無銘の剣だが、それでもないよりはマシだ。

「護堂、後ろに下がって!」
「だけど、このままじゃ……っ!」
「ダメよ、力は温存しておきなさい。まだ侯爵がこの奥にはいるのよ? 祐理の妹を助けるんでしょう?」

 エリカの言うとおりだが、このままではジリ貧だ。ここを突破しない限り、ヴォバンのところには辿り着けない。
 祐理を庇いながら、護堂は考える。敵の数は三十ほどだが相手の実力も高く、エリカ一人で相手をするのは厳しい状況だ。
 それに表の守りを固めている騎士だけでこの数だ。まだ奥にいると思って間違いないだろう。エリカの言うように、ヴォバンもまだ残っている。
 とはいえ、ウルスラグナの化身は集団戦に向いていないものが多い。それに、すべての化身には発動条件が設けられていて、こうした人間の域を出ない中途半端な力の相手が一番やり難かった。
 周囲への被害を考えている場合じゃない。どうする? 『白馬』いや『猪』を使うか?
 と護堂が考えた、その時。

 ――ゾクリッ!

 護堂の背筋に冷たい悪寒が走る。
 それは予知に近い予感。カンピオーネの超感覚が、間近に迫る危険を訴えていた。
 何かが来る。目の前の騎士達よりも遥かに強大な力を持った何かが――

「エリカ!」
「――っ!」

 護堂の声に反応して横へ飛び退き、敵から距離を取るエリカ。
 ポツポツと肌を差す雨の雫に気付き、場を包み込む異様な気配の濃さにエリカは息を呑む。
 灰色の雨雲が空を覆い尽くし、先程まで止んでいた雨が激しい雷雨となって地面に降り注ぐ。
 エリカが先程まで立っていた場所。そこに嵐を伴って現れたのは、銀色の髪をした長身の老人だった。

「――ひっ!?」

 老人の姿を見た瞬間、祐理は声にならない悲鳴を上げる。
 忘れるはずもない。それは四年前に祐理を連れ去った東欧の魔王――サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンだった。

「あんたが、ヴォバンか……」
「私はキミを招いた覚えはないのだがね」

 エメラルドの瞳が興味深そうに護堂の姿を射貫く。
 予想していた来客とは違うが、護堂がカンピオーネであると気付き、老人は愉悦の笑みを浮かべる。

「我が名は名乗らずとも知っていようが、私はキミを知らぬ。まずは名乗り給え、少年」
「草薙護堂だ。万里谷の妹を返してもらいにきた」


   ◆


 ピクリと眉を動かすヴォバン。
 祐理の妹を連れ去った記憶など、ヴォバンにはなかったからだ。
 しかし、すぐに護堂が誰のことを言っているのか、ヴォバンは気付く。

「妹だと? そう言えば、あの少女も妙なことを言っていたな。姉がどうのと……」
「あんたが連れて行ったのは、ここにいる万里谷の妹だ」

 護堂に言われ祐理の顔を見て、得心が行った様子で頷くヴォバン。

「なるほど……そういうことか。私は獲物を釣るつもりで餌を間違えたのだな」

 太老ではなく護堂がここに現れたわけをヴォバンはようやく理解した。
 背格好と秘めた呪力の大きさから、ひかりがそうだと思い込んだわけだが、祐理の顔を見てヴォバンは四年前のことを思い出す。
 儀式のために集めた少女のなかでも、一際高い資質を見せたのが万里谷祐理だった。それだけにヴォバンは彼女のことを覚えていたのだ。
 太老が現れなければ、祐理を使って再び神の招来を試みるつもりだっただけに、ヴォバンはこの数奇な巡り合わせに運命を感じずにはいられなかった。

「勘違いだってわかったんだ。万里谷の妹を返してくれ」

 護堂の言うとおりに少女を解放したところで、ヴォバンにはなんの得もない。しかし、このまま捕らえておいたところで当初の目的は果たせそうにない。
 それに同じカンピオーネとはいえ、まだ成って一年と経っていない若輩の王だ。ここまできた勇気は認めるが、そんな男が自分の求める獲物たりえるのか、ヴォバンは判断に迷っていた。

「どうした? ふむ……」

 音もなく現れた魔女の報告に、ヴォバンは愉快そうに微笑んだ。
 それはリリアナが見張りの騎士を斬り捨て、ひかりを連れて逃走したという報告だった。

「くくっ、はははっ! 面白い。つくづく面白いものだ」

 心の底から楽しそうに、ヴォバンは歓喜の声を上げる。
 獲物を間違え、騎士に裏切られ、何一つヴォバンの思うように進展していない。しかし、老人はその状況を寧ろ楽しんでいた。
 老王は退屈凌ぎだとばかりに、若き王に話を持ち掛ける。

「いいだろう、少年。その勇気に免じて、ゲームをしようではないか」
「……ゲームだって?」
「そう、ゲームだ。先程、我が従僕からクラニチャールが少女を連れて逃走したと報告が入った」
「リリィが!?」

 エリカはヴォバンから、リリアナが侯爵を裏切ったと聞いて驚く。
 確かに気の進まないことだろうが、騎士であることを何よりも重んじるリリアナが、自分の意思でヴォバンを裏切るなど考えていなかったからだ。
 いや、騎士だからか――とエリカは考える。囚われたのが他の誰かだったらリリアナは渋々ヴォバンに従ったかもしれないが、相手は子供だ。何より四年前の儀式に参加し、その惨状を目の当たりにしているリリアナが子供を犠牲に出来るとは考え難い。ひかりに、四年前の自分の姿を重ねたのかもしれない――とエリカは思った。

「ルールは簡単だ。私は今から追っ手を街に放つ。私を倒すか、朝まで少女を守り切れば貴様の勝ちだ」

 ひかりの命をゲームの駒にされ、護堂は怒りを顕にする。
 そんな護堂の反応を楽しげに眺めるヴォバン。そう、これはあくまで余興だ。
 ヴォバンにとって護堂の相手をすることは、太老との再戦を前にした暇潰しに過ぎなかった。

「さて、どうするかね? どちらにせよ、私のやるべきことは変わらない。貴様を殺し、逃げた少女と裏切り者に罰を与える。その後でゆっくりと計画をやり直し、あの男との戦いを楽しめばいいだけのことだ」

 ひかりを返すつもりも、ここで逃がすつもりもないのだと護堂は理解した。
 それにヴォバンの言っていることは無茶苦茶だ。他の人間のことなんて微塵も気に掛けていない。自身の享楽を満たすためならなんでもやる。そんなヴォバンの態度に護堂はいい加減、我慢の限界が来ていた。
 どちらにせよ、やるしかない。なら――護堂は覚悟を決める。

「もう、御託はたくさんだ。あんたをぶっ飛ばして、万里谷の妹を助ける。それで全部終わりだ」
「面白い。私を倒すとは大きく出たものだな、小僧。では、ゲームを始めようか!」

 話を終えると同時に死せる従僕達が、護堂へと迫る。
 出し惜しみをしていたら()られる。そう考えた護堂はエリカに指示を飛ばす。

「エリカ、万里谷を頼む!」
「護堂!?」
「主は仰せられた、咎人に裁きを下せと――」

 護堂が口にするのは聖句。神の力が宿った言霊。
 護堂の言霊に呼応するように空間が裂け、そこから黒く巨大な体躯が姿を現す。

(いのしし)――っ!」

 エリカは戦慄する。彼女の足下に現れた黒い影は徐々に大きくなり、その巨大な体躯が影の中から姿を現す。
 あらゆるものを薙ぎ払う『猪』の力。徐々に地面から浮かび上がってくる巨大な『猪』の背に、エリカ達は振り落とされないようにしがみつく。
 護堂達を背に乗せた黒い獣は獰猛な雄叫びを上げ、周囲にいた騎士達を吹き飛ばした。

「振り落とされるなよ!」
「きゃあっ! く、草薙さん! こ、これって……」
「無茶しすぎよ! でも、それでこそ私の護堂だわ!」

 護堂の言葉にエリカは祐理を抱き寄せ、振り落とされないよう猪の体毛をしっかりと掴む。
 護堂も何も考えずに『猪』を呼んだわけではない。まずは、ひかりの無事を確認するのが先だ。そのためには全員無事に、ここを離れる必要がある。
 それにこれだけ目立てば、ひかりとリリアナ――それに、どこかで見ている太老や桜花の目にも留まるはずだと考えての行動だった。
 怒りにまかせて啖呵は切ったものの、冷静にヴォバンと自身の力の差を護堂は見極めていた。
 まともにやって勝てないなら――まともに相手をしなければいいだけのことだ。

「むうっ!?」

 予想だにしない護堂の奇襲にヴォバンは瞠目する。
 漆黒の獣は走る。ヴォバンとその従僕達を呑み込み、あらゆる障害を薙ぎ払いながら――





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