「お初にお目にかかります、正木太老。アレクサンドル・ガスコインの臣、アイスマンと申します」

 ホテルに到着した太老達を待ち構えていたのは、薄手の背広に身を包んだ端整な顔立ちをした三十代半ばの白人男性だった。
 男の名はデニス――通称サー・アイスマン。剛毅にして冷静沈着な気性から、『氷の男(アイスマン)』の二つ名を与えられた魔術師。イギリスで騎士勲章を受けたオランダ人で、アレクの片腕として知られる人物だ。
 苦手なものは飛行機。『飛べないオランダ人』の呼び名を持つほど重度の飛行機恐怖症のため、彼はアレクと違って普段は余り欧州から出ることがない。しかし、その実力は騎士の最高位『聖騎士』の称号を持つ『赤銅黒十字』の総帥パオロ・ブランデッリと並ぶほどとされ、世界有数の騎士として魔術界にその名を馳せていた。
 アレクを除けば、王立工廠のトップに立つ男だ。そんな男が自分達の前に現れた意味を太老は考える。アリスは彼等に抗戦の意志はないと言っていたが、果たしてそれが事実かどうかは相手の出方を見てみないことにはわからない。場合によっては戦闘になることも考え、太老はいざとなったらひかりとアリスを連れて逃げるように視線で桜花に指示を飛ばした。

「そう、警戒をなさらずとも、あなた方と事を構えるつもりはこちらにありません」
「失礼ですけど、その言葉を信じる根拠は? 俺達はロンドンで、あなたの主と争った後ですが?」
「勿論、そのような報告を受けています。しかしカンピオーネである御身と戦って勝てると思うほど、我々は蛮勇ではありません。ましてや、今回のことはアレクの独断。命を懸けるほどの義理もなければ、忠誠心もありませんので」

 酷い物言いだった。とても、主に対する言葉とは思えない。しかしそれだけに、目の前の男がアレクに近しい人物であることはよく理解できた。
 普通は魔王と畏怖される人物に対して、こんな風に明け透けと文句を言える人間はいない。それこそ魔術関係者であれば尚更だ。
 どこか気疲れすら感じ取れる男の言葉に、嘘はないだろうと太老は結論付けた。
 あちらに戦闘の意志はないことはわかった。そうなると気になるのは、態々一人で会いに来た理由だ。

「では、今日はどうしてここに?」
「御身へ挨拶するのであれば、こちらから出向くのが筋かと思いまして。それにアレクから、あなた方を歓待し可能な限り調査に協力をするようにと仰せつかっています」
「……は?」

 とてもではないが信じられない話に、目を点にする太老。
 アレクが何故、自分達を歓待するのかわからない。邪魔をするならともかく協力する?
 まさか、零式とのことで謝罪をし、仲直りをしようという意思表示なのか?
 少なくとも太老の知るアレクの人物像とは異なっていた。





異世界の伝道師外伝/異界の魔王 第30話『魔女王』
作者 193






「絶対にありえませんわ。罠としか思えません」

 はっきりと否定するアリス。少なくともアレクの方から謝罪をして歩み寄ってくることなど、絶対にないと断言する。
 最上階のスイートルーム。宿泊先のホテルの一室で、太老達は今後の方針を相談していた。
 太老は素直にアイスマンの申し出を受け、調査に協力をしてもらってもいいかと考えていた。
 そもそも穏便に話し合いで済ますつもりだったのだ。あちらから歩み寄ってくれているのに、こちらが喧嘩腰になる理由はない。そう言う意味でも、あのアイスマンという男はやり手と思っていいだろう。
 太老の性格を考慮し、先に出向いて協力的な意思を示すことで諍いの芽を潰したのだ。

「だからって喧嘩腰になる理由もないだろう?」
「それはそうですが……」
「でも、お兄ちゃん。アリスお姉ちゃんの言うように、何か企んでいることは間違いないと思うよ。まあ、あの小父ちゃんは利用されてるか、仕方なく付き合っているって感じがするけど」
「サー・アイスマンはそうですわね。あの方はアレクと違って『騎士の中の騎士』と呼べる人物ですし、よからぬ企てをしていると言ったことはないと思いますわ。歓待や協力も、恐らく本心からのもの。アレクの企みを察した上で、そのお詫びの意味もあるのでしょう」
「なら、別にいいんじゃないか?」
「ですが、その裏にアレクがいることは確かですわ。正攻法では勝てないと悟って、何か企てているのでしょう。もしかすると私達に調査をさせて成果を掠め取るつもりなのかも……」

 アリスの心配はもっともだが、だからと言って折角の申し出を断るつもりは太老になかった。
 最初から相手を疑ってかかるのもどうかと思うし、零式のことで負い目もある。
 どちらかというと、やり過ぎてしまったことを謝罪するのは、こちらの方だという考えが太老のなかにはあった。
 それに何かを企んでいたとしても、そう簡単に上手く行くとは思えない。

「取り敢えず協力はしてもらう。でも、あちらが何を企んでいるかはっきりしない以上は、こちらも手の内を明かさない。それでいいか?」
「はい。ですが、十分に注意をなさってください」

 しつこく念を押すアリス。それほどにアレクを警戒していた。
 少しでも心を許したり大丈夫だと油断をしていると、その足元をすくって来るのがアレクサンドル・ガスコインという男だ。
 どれだけ疑って掛かっても足りない。アリスにとってアレクとは、そういう男であった。


   ◆


 太老達が王立工廠に出向いたのは、『最後の王』に関する資料を調べるためだ。
 アリスが重症を負うことになった六年前の事件。そしてアレクが賢人議会や魔術結社から持ち去った文献や資料を検証するために王立工廠の協力が必要だった。
 零式が過去に王立工廠から盗み出した物に関しては、既にデータ化が済んでいる。勿論そんな風に零式が集めたものだと太老は知らなかったわけだが、そのことがなければ日本に『最後の王』が封印されているという結論まで行き着くことはなかった。たった四年でここまで調べることが出来たのは、アレクが必要な物を一箇所に集めてくれていたからだ。
 アレクは自身の探究心を満たすためなら強引な手口も厭わない色々と問題の多い男だが、情報収集能力に関してはバカに出来ない男だった。
 実際、あのタイミングでアリスの屋敷を訪れたのには、何か理由があると考えた方がいい。恐らく何かしらの情報を掴み、その確認のためにアリス邸を訪れた。そう考えるのが自然だった。

 一日目はホテルで過ごした太老達は二日目の朝、車で迎えに来たアイスマンの案内で王立工廠の拠点へと赴き、そこで手分けして目的の資料を漁っていた。
 世界的にも有名な大英博物館ほどではないにせよ、所狭しと置かれた美術品や文献の多くはどれも貴重なものばかり。しかも、その多くが魔術的に価値のあるものなので取り扱いが難しい。中には呪われた品物もあり、そうした物は魔術品の扱いに慣れたアリスや恵那によって分別され、ひかりはそのサポートに徹していた。
 太老は桜花や零式と協力をして、アレクが蒐集した文献などの資料を片っ端からデータに入力していく。そんななかアリスが一冊のファイルを見つけた。

「ありましたわ。これがディオゲネス・クラブのメンバーにだけ公開されているレポートです」
「ディオゲネス・クラブ?」
「賢人議会でも限られたメンバーにしか公開されていない機密事項ですわ」
「そんなものがなんで王立工廠(ここ)に……」

 王立工廠と賢人議会は険悪の仲と言わないまでも、表向きは対立関係にある。
 その賢人議会のレポートが何故こんなところにあるのかと、太老が疑問を挟むのは当然のことだった。
 そんな太老の質問に少し困った様子で答えるアリス。

「色々とあるのです。対立することもあれば協力することもある。それに議会もアレクの被害に悩まされていますし……」
「ああ、噂の『拝借書』か」
「ええ、よくご存じで。自分の物も他人の物も区別の付かない人ですから困ったものです」

 心底呆れた様子で、ため息を漏らすアリス。
 勿論、本当に盗まれて困る。知られては困る情報は念入りに隠しているが、アレクサンドル・ガスコインは目的のためなら自身の行いを正当化し、躊躇いなく他人の持ち物を盗み出す。時には交渉の場を設けることもあるが、カンピオーネ相手に拒否権などあるはずもない。本人は借りているだけとしているが、そうして強奪された物が返ってきたことはなかった。
 王立工廠が誇るコレクション。ここにある魔術品や文献の多くも、アレクが無断で拝借してきたものだ。
 それなりの知識を持った魔術師が見れば卒倒するようなものが、ここには無造作に収められていた。

「でも、賢人議会にも同じ資料があるのなら、そっちを先に見せてくれてもよかったんじゃ……」
「そんなことをしたら、ミス・エリクソンに捕まってしまいますわ!」

 勿論、グリニッジにある賢人議会の本部に行けば、同じ資料はある。しかし、そんなことをすれば折角パトリシア・エリクソンの目を盗んで屋敷から抜け出してきたのに、また連れ戻されてしまうのがオチだ。『青い悪魔』とその主であるカンピオーネから国や組織を守るため、無理矢理協力をさせられているという体裁がアリスには必要だった。
 言ってみれば、魔王に捧げられた生け贄――人身御供だ。
 勿論アリスの企みなどエリクソンにはお見通しだ。それだけに彼女にだけは捕まるわけにはいかなかった。
 アリスの本音を聞いて、太老も「ああ、うん」と投げ遣りな言葉を返す。
 そんなことだとはわかっていたが、噂のプリンセスは色々と残念なお姫様だった。

「アリスお姉ちゃんって、そういうところお兄ちゃんに似てるよね」
「桜花ちゃん。それ、凄く失礼なことを言ってるって気付いてる?」
「あの……太老様? それは私の台詞だと思うのですけど……」

 アリスと同類扱いされたくないのか、嫌そうな顔を浮かべる太老。そんな太老に、アリスは当然の如く文句を言う。
 しかし仕事が嫌で『バカンスだ』と喜んでいた太老と、同じく役目を放り出して家出中のアリスは、桜花の指摘通り似通った部分を持っていた。

「ようするに働きたくない。自由を満喫したいってことでしょ。お兄ちゃんも、こっちに来る前は『バカンスだ!』って言ってたじゃない」
「あ、知ってる。それってニートって言うんだよね!」
「恵那姉様、それは少し違うかと……。でも、姫様。やっぱり連絡は入れた方がいいと思います。そういう家出みたいな真似はよくないですよ」

 ひかりにまで諭されて、少し気まずそうな表情を浮かべるアリス。

「お父様、良いことを思いつきました! ニート姫! きっと売れます!」
「ニート姫か。うん、いいんじゃないか?」
「全然よくありませんわ!」

 ニート姫。そんな二つ名が広まったら、アリスの築き上げてきたイメージは台無しだ。
 全力で否定するアリス。当然そんな二つ名を受け入れられるはずもなかった。
 そんな混沌とした状況に目もくれず、一人離れた場所で黙々とアテナは読書に耽っていた。

「無聊だ」

 本のタイトルは『Arthurian Legend』。有名なアーサー王の物語であった。


   ◆


「グィネヴィア?」
「はい。アレクの仇敵、そして私にとっても因縁のある御方です」

 アイスマンの厚意で王立工廠に宿泊することになった太老達は、アリスから六年前の事件について詳細な説明を受けていた。
 聖杯を巡る争いの末、まつろわぬ神として顕現したアーサー王。アリスはアレクと協力して辛くもアーサー王の封印に成功するも、その時に負った傷と無茶が原因で身体を壊し、寿命を大きく削ることになった。もっとも、零式から分けてもらった秘薬で今はこの通り出歩けるまでに快復したのだが――
 この事件を引き起こしたとされる人物が、グィネヴィア。魔女達の女王と呼ばれる神祖だった。

「魔女王ね。で、その人も『最後の王』を捜してると」
「詳しい理由はわかりません。ですが、その通りです。そして、彼女はアーサー王を甦らせた」

 グィネヴィアは『最後の王』をアーサー王だと考え、その復活を目論んだ。

「でも、違ってたんだよな?」
「はい。アーサー王は『最後の王』ではありませんでした」

 しかし、結果はアリスの語った通り。復活したアーサー王は『最後の王』ではなかった。
 このことを当時予想していたのはアレクだけ。グィネヴィアは涙を流して悔しがったそうだ。
 その時その場にいたアリスも、『ほら見たことか』と言ったアレクのドヤ顔は忘れられないとか。

「それというのもアーサー王の物語自体、『最後の王』を甦らせるためにグィネヴィア様が仕組んだことだったみたいです。十二世紀に登場した詩人クレティアン・ド・トロワ。現在のアーサー王伝説に強く影響を与えた人物ですが、初代グィネヴィア様との癒着が疑われています」

 最後の王を招来するために用意された依り代。それがアーサー王の伝説だった。
 しかし十二世紀の末、初代グィネヴィアはカンピオーネの手によって殺害され、計画は半ばで頓挫してしまう。今のグィネヴィアは数百年の時を経て転生した二代目だ。その空白の数百年の間にアーサー王の物語は編纂を繰り返し、神格にも影響を与えてしまったのだろう。その結果が六年前の事件だ。
 それだけの歳月を掛けて実行してきた計画が水泡に帰したのだ。グィネヴィアのショックは相当なものだっただろう。

「六年前に起こった事件の全容は以上です。太老様は『最後の王』について、私より詳しいのではありませんか?」
「ああ、うん。ぶっちゃけ『最後の王』が何なのか予想は付いてる」
「……教えてはもらえないのでしょうね」
「ごめん。でもま、責任は持つと約束するよ」

 実はアリスが太老をイギリスに招いたのも、この『最後の王』に関することが理由でもあった。
 まつろわぬ神の恐ろしさをよく知る身としては、『この世の最後に現れる』とされる王の復活は出来る限り阻止したいところだが、太老を止められるとアリスは思っていない。だから被害を最小限に食い止めるため、少しでも早く情報を得るために太老の傍に居ることを選んだのだ。

「まあ、いいでしょう。ですが、くれぐれも注意をなさってください。きっとグィネヴィア様は近いうちに接触してきます。その目的は恐らく――」

 くれぐれもと念を押し、太老に注意を促すアリス。
 しかしこれがフラグになるとは、この時の彼女は知る由もなかった。


   ◆


「おはようございます……って、グィネヴィア様っ!? 何故あなたがここに!」

 次の日の朝、食堂に足を運んだアリスの目に飛び込んできたのは、太老達と仲良く食事をする金髪の幼女。
 ――魔女王、グィネヴィアの姿だった。





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