「二人がフランス行きの船に乗ったところまでは足取りが掴めたわ」
「フランス? しかも船? なんでまた?」

 特に理由がない限りは、イタリアへはロンドンから出ている飛行機に乗るのが一番早い。
 ましてや、フランスを経由する意味がわからない。てっきり、リリアナとカレンの二人は飛行機に乗ってイタリアへ向かったものとばかりに思っていた太老は、エリカの思わぬ報告に首を傾げた。

「追っ手を警戒してのことでしょうね。フランスを経由して、鉄道か車でイタリアへ向かうつもりなんだと思うわ」

 なるほど、とエリカの話に納得する太老。
 確かに監視や追っ手の目を欺くためと考えれば、いざと言う時の逃走手段を含め、悪くない選択だ。
 しかし、追っ手を警戒しているということは、二人が自分の意思で逃走を図った何よりの証拠となる。何か理由があるのだろうが、このまま放置すれば面倒なことになるのは予想が付く。エリカもそこを心配しているのだろう。表情がどことなく暗い。
 先走った魔術師が、二人に危害を加えないとも限らないからだ。
 リリアナの実力からして、並の魔術師では相手にならないだろうが、数の暴力は侮れない。

「でも、行き先はわかってるんだろう?」
「二人の目的地がイタリアなのは間違いないわ。でも、それ以上のことは……」

 クラニチャール家が所有する別荘や隠れ家は欧州の各地に点在するが、クラニチャール老が国外に脱出したという話は今のところ流れてきていない。それに足の悪い老人が、交通手段を用いず国外に脱出するのは困難だ。そのため、まだイタリア国内に潜伏しているものと考えられていた。
 そのことから、イタリア国内にある隠れ家の何処かで、リリアナは祖父と落ち合うつもりでいるに違いないとエリカは考えていた。
 問題は場所の特定が難しいことだ。一口にイタリアと言っても捜索範囲は広い。これまで集めた情報を精査しても、捜索地域は十や二十では収まらないだろう。それだけの広範囲を捜索するとなれば、かなりの人員を割く必要がある。時間も相当に掛かることが予想される。

「ようするに細かい位置までは特定できないってことか。まあ、それならなんとか」
「何か手があるのね?」
「ああ、そっちは任せてもらっていい。それより、エリカにはやってもらいたいことがあるんだけど」
「私に? 珍しいわね。太老から、そんなことを言うなんて」

 太老に頼られることが嬉しいのか、エリカはクスリと微笑みを漏らす。

「赤銅黒十字を通じて魔術師に、今から俺が言うことを大至急、広めて欲しい」
「そのくらい出来なくないけど……何をするつもりなの?」
「たまには魔王らしく振る舞おうと思ってな」





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第23話『取り引き』
作者 193






 その日、欧州の魔術界に激震が走った。
 特に肝を冷やしたのは、イタリアの魔術師達だ。
 それは、今や東欧を統べる盟主となったカンピオーネ――正木太老からの勅命。
 赤銅黒十字を通じて発せられた太老の言葉は、瞬く間に欧州全土へと広まっていった。

「あの王様。虫も殺さないような顔して、やることがえげつないな」

 そう言葉を発したのは、ジェンナーロ・ガンツだ。
 赤銅黒十字の面々のなかでも特に太老と親交の深いガンツは、太老のやったことに心底呆れた様子で、それでいて何処か納得した表情を浮かべていた。
 ここはミラノに拠点を構える『赤銅黒十字』の本部ビル。その十階に幹部の面々は集まり、緊急会議を行っていた。
 会議の議題は勿論、発せられたばかりの魔王の勅命についてだ。

「どれだけ温厚に見えても、あの方は魔王だからな……。やられて黙っている性格ではあるまい。当然の結果だ」

 今回の件は、起こるべくして起こったというのが、クラレンスの見解だった。
 バカな魔術師が王の関係者に手を出した時点で、こうなることは必然だったように思える。
 もはや、止められない。それだけは、ここにいる誰もがわかっていた。

「だからと言って、これは何倍返しだ? 五倍や十倍で済まないだろう」

 ガンツが呆れるのは、そこだ。
 獅子が兎を倒すのにも全力をだすようなもの。いや、この場合はもっと質が悪い。
 しかも、太老から赤銅黒十字を通じて出された勅命が、また問題をややこしくしていた。

「『全力でリリアナ・クラニチャール、カレン・ヤンクロフスキの二名を捕らえよ』って、話を聞いた魔術師達は、魔王の怒りを買ったと恐怖で震えてる。イタリアが焦土になるんじゃないかって噂も立ってるくらいだ」

 ガンツが言うように、太老の発した勅命によって魔術師達は、魔王の怒りの矛先が自分達へ向かうことを何より恐れていた。
 例え、そうはならずとも、その怒りの余波は街を――故郷(くに)を焼くかもしれない。しかも、二人を無傷で連れてくるように命じたことが、更に彼等の恐怖を煽っていた。
 青い悪魔の名と所業は、魔術師達の間に恐怖の代名詞として広まっている。その悪魔の飼い主である魔王が、二人を無傷で連れて来いと言ったからには、そう言う意味なのだろうと誰もが思っていた。
 しかし、クラレンスとガンツの考えは違っていた。

「恐らく、この命令の真の目的は、二人を捕らえることではない。背後にいる者を引き摺りだすのが狙いだろう」
「ああ……二人の口から真相が明らかになれば、クラニチャール家は勿論、青銅黒十字とて危ういからな」

 リリアナとカレンの口から真相が明らかになれば、今度こそ青銅黒十字とクラニチャール家は欧州の魔術界から完全に孤立するだろう。
 それは組織の死を意味する。魔王の怒りを買った組織の末路など、哀れなものだ。
 当然、味方をしてくれる魔術師はいないし、下手をすれば同じ魔術師から命を狙われる立場となる。
 そうなってからでは遅い。だからと言ってリリアナとカレンの口を封じれば、魔王の命に背くことになり、今度は国そのものが危険に晒される。最悪、欧州全土に問題が飛び火しかねない。戦って勝てる相手ではないだけに、それは人類にとって最悪の結末だろう。
 いずれにせよ、これで青銅黒十字は終わりだ。成り行きを見守りながら魔術師達は、そう思っていた。

「で、我等が総帥は『七姉妹』の会合に出席して帰って来られない、と」
「当然だろう。青銅黒十字ほどの名門が潰れれば、イタリアだけの問題では済まない。その影響は欧州全土に及ぶ。今回の件への対応もそうだが、後のことを考えると、そちらの方が頭が痛い」

 ここにパオロの姿がないことを揶揄するガンツを、たしなめるクラレンス。ガンツも別に、パオロがここにいないことを責めている訳ではない。『七姉妹』の会合に出席することは、イタリアを代表する魔術結社の総帥として当然の責務だ。
 しかし、こんな時にまで責任を押し付け合い、『青銅黒十字』が潰れた後の取り分を巡って、争っている連中を好きにはなれなかった。

 太老の許しがあったというのもあるが、前の事件で青銅黒十字の責任を深く追及しなかったのは、ヨーロッパ経済への影響を考えてのことでもあった。
 青銅黒十字の表の顔は、イタリアを代表する財団の一つだ。貿易・金融業を営み、欧州各地に支社を持つ大企業でもある。
 魔術結社というのは、古くから世界の裏で暗躍してきた組織だけあって、優れた経済力と政治力を併せ持つ。当然ではあるが、歴史が古く、名のある結社になればなるほど、表の世界に与える影響力も大きくなる。
 そうでなければ、まつろわぬ神の引き起こす災害に対応できないためだ。

 特に、赤銅黒十字と青銅黒十字は、テンプル騎士団の系譜に連なる伝統ある魔術結社だ。
 その資金力はイタリアを代表する名門『七姉妹』のなかでも群を抜いており、ヨーロッパ経済に与える影響力も大きい。それだけに、一言に潰すと言っても簡単にはいかない事情を彼等は抱えていた。
 とはいえ、国の存亡が掛かっているとなれば、話は別だ。
 魔王の怒りが向けば、国が戦火に焼かれる恐れもある。そうなる前に、青銅黒十字を切り捨てることも視野に入れなくては、取り返しの付かないこととなる。そうした国の運命を左右するかもしれない問題が、現在『七姉妹』の会合で話し合われていた。

「まあ、すべては王次第だがな」

 リリアナとカレンは青銅黒十字に所属する魔女だ。それだけに、魔王の怒りは次に青銅黒十字へ向かうという前提で彼等は話し合いを行っているが、そう単純に行くとクラレンスには思えなかった。
 ただの直感と言ってもいいが、これまで周囲を散々振り回してきた太老が、人間の思うように動いてくれるとは思えない。そんなクラレンスの考えに同意するように、ガンツも首を縦に振った。

「あの王様だしな……絶対に何かやらかすに決まってる」

 無駄とは悟りつつも、その厄介事に自分達が巻き込まれないことを祈る二人だった。


   ◆


 手術室のような部屋で、アリスは手足に枷を嵌められ、ベッドに拘束されていた。
 その脇には、手術用の白衣に身を包んだ太老の姿があった。
 何本ものメスを指に挟み、邪悪な笑みを浮かべる太老。そんな太老の姿に恐怖し、アリスは悲鳴を上げる。

「やめてください、太老様! どうして、こんなことを!?」
「フフフ、抵抗は無駄だ。お前は今日ここで生まれ変わるのだ。我が魔王軍の尖兵としてな!」
「いやああああああっ!」

 これから起こる惨劇を想像して、泣き叫ぶアリス。
 しかし、しっかりと手足を固定されているため、逃げようにも身動きが取れない。
 絶体絶命の危機。もはや、これまでかと思われた、その時――

「お兄ちゃん、アリスお姉ちゃん……。二人で何してるの?」

 助けが現れた。


   ◆


「……改造人間ごっこ?」

 部屋から悲鳴が聞こえたから何事かと思えば、人騒がせなと呆れる桜花。

「いやあ、余りにアリスがノリノリだったから……」
「こういうのは雰囲気が大切だって仰ったのは、太老様じゃありませんか!」

 責任を押しつけあう二人を見て、桜花はどっちもどっちと言った様子で、ため息を吐く。

「それで終わったの? お兄ちゃん」
「ああ、一応な」

 桜花の問いに、親指を立てて答える太老。
 何も遊んでいた訳ではない。ちゃんと、こうしているのには理由があった。

「アリス、身体の調子はどうだ?」
「特に変わった感じはしませんが、体調は凄くいいです」
「まあ、アリスの場合、能力に身体がついて行ってなかっただけだしな」

 桜花の相談を受けて、アリスの治療を行っていたのだ。
 勿論、事前に説明し、生体強化を受けることをアリスが選んだ上でだ。
 生体強化と言っても、太老や桜花のように戦闘用に調整されたものではない。病弱な体質を改善し、能力を自在に操れるようにするための強化だ。
 生体強化を受けていない普通の人間よりは強いかもしれないが、それも並の人間と比較してのこと。
 魔術に長けた実力者が相手となると、アリス程度の身体能力では太刀打ち出来ない。

「運動能力は普通の人間とそう変わらないから、違和感はないと思う。でも、傷の治りは早くなってるし、病気への耐性も上がっている。それに元々備わっていた能力も強化されてるはずだ」
「強化ですか? 特にそんな感じはしませんけど……」

 自分の身体をペタペタと触って確かめるアリス。
 以前より少し呪力が強くなっている気がしなくもないが、それは健康になった今なら誤差と言えるくらいだ。
 どう変わったのか不思議に思い、手頃な術を行使しようとした、その時だった。

「今、何する気だった?」
「え? そこのベッドを念力で動かそうとしただけですよ?」
「トレーニングルームでやれ。ここでやったら大惨事になる」
「え? はい?」

 太老に止められて、その意味がわからず首を傾げるアリス。
 しかし、その意味を、彼女はこの数分後に思い知ることになる。


   ◆


「どうだった?」

 トレーニングルームから出て来た放心状態のアリスを、出迎えたのは太老だった。
 どう言葉にしていいのかわからない感情を、そのまま太老にぶつけるアリス。

「ただ、凄かったとしか……あれは、どういうことですか!?」

 アリスが戸惑うのも無理はない。彼女の使用した念力は、ベッドを持ち上げると言った小さな力ではなく、身の丈の五倍以上あるような大岩を軽々と持ち上げてしまうほどの力を有していた。
 念力でこれだ。得意とする精神系の力を使えば、街中の人間の意思を煽動することすら可能かもしれないと考えると――アリスは身震いした。
 カンピオーネには通用しないだろうが、それでも人間には十分過ぎる脅威だ。

「アリスに受けてもらったのは、生体強化のなかでも特殊な奴でな。脳の情報処理速度を強化、肉体と魂の親和性を高めることで力の効率化を図る。人間の持つ先天的な能力を、俺達は一纏めに『超能力』と呼んでるんだけど、そうした力が暴走しないように最適化するための技術なんだよ」
「あの……太老様? 既に暴走気味なんですけど……」

 正直、想像を大きく超えた力に、アリスは戸惑いを覚えていた。
 これが、自分が元々持っていた力だと説明されても、今一つピンと来ない。

「慣れれば制御できるようになる。前より、ずっと扱いやすくなるはずだ」

 そうは言われても、もう何から驚いていいのかわからないと言ったところだ。
 正直、話の内容の半分も、アリスは理解していなかった。それはエリカも同じだろう。
 魔術側の人間である彼女達からすれば、太老の使っている技術は魔法のようにしか見えない。

「思った以上に、高い潜在能力を秘めてたみたいだな。適性Sランクってところか」
「それって、どの程度凄いのかよくわからないのですが……」
「坊主頭にマッチョのバグマっておっさんが知り合いにいるんだけど、その人と同程度の能力かな」
「……それは素直に喜んでいいのでしょうか?」

 何処の誰とも知らないおっさんと比較され、アリスは複雑な表情を浮かべる。
 過去、鷲羽に喧嘩を売ったばかりに能力を封じられ、肉弾戦でも完膚なきまでに叩きのめられたGP隊員。それがバグマだった。
 余り凄そうに思えないだろうが、相手が悪かっただけでGPのなかで上位に位置する実力者だ。
 とはいえ、坊主頭にマッチョのおっさんと比較されて、素直に喜ぶ乙女はいない。それはアリスも同じだった。
 そんなアリスに、何かを思い出したかのように太老は話を振る。

「そうだ。アリス、頼みたいことがあるんだけど」
「はい? まあ、私に出来ることなら仰ってください。余り無茶なお願いをされると困りますが……」

 余りに不自然な話の流れ。
 どうにも胡散臭い気配を感じ、太老から距離を取ろうとアリスは後ずさる。
 しかし――

「大丈夫。そんなに難しいことじゃないから。ほら、前にアリス、占いが得意だって言ってただろう?」
「はあ……それが、どうかしました?」

 ガッシリと手首を掴まれ、アリスは逃げ場を失っていた。
 魔王からは逃げられない――そんな言葉がアリスの脳裏を過ぎる。

「ちょっと占って欲しいことがあるんだけど」

 この世に上手い話はない。どんなことにも相応の対価は必要。
 身体の治療のため、魔王と取り引きしたことを、今になって後悔するアリスだった。





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