「え? あの……リィンさん、今なんて?」
「アルカンシェルに二億ミラを融資した。〈赤い星座〉による襲撃事件以降、アルカンシェルは休業状態だったそうでな。資金繰りに困っていたらしい」

 アルカンシェルが資金繰りに困っていたという話は、リーシャも初耳だったのだろう。その驚く顔を見ればわかる。
 だが、彼女が知らないのも無理はなかった。経営が悪化したのは、彼女がクロスベルを去った後の話だからだ。
 イリアがリィンを公演に招待したのはリーシャのこともあるが、シャーリィ・オルランドの件を通じて〈暁の旅団〉から融資を引き出せないかと考えたからでもあった。
 再起を賭けて行った特別公演は上々の客入りだったとはいえ、現在のクロスベルは帝国領に併合されたばかりで、以前のように完全に元通りになったとは言い難い状況だ。実際、外国からの観光客が激減している影響で特別公演の売り上げは全盛期の半分も満たしておらず、ディーターが帝国派・共和国派の議員の多くを排除したことで後援者の大半を失い、多額の借金を抱えているアルカンシェルの資金繰りが厳しい状況であることに変わりはなかった。
 満足に賃金も払えず、生活のために劇団を辞めていった団員も少なくないという話をリーシャは聞かされ、複雑な表情を滲ませる。

「まあ、シャーリィは現在うちの団員とはいえ、俺が〈赤い星座〉のやった責任を負う必要はないんだが……」

 とはいえ、現在シャーリィが団員であることは確かだが〈赤い星座〉のやった責任を〈暁の旅団〉が負う理由にはならない。それに〈赤い星座〉が原因の一端を担っていることは確かだが、それは切っ掛けに過ぎないこともわかっていた。クロスベルが独立宣言をして他国との交流が途絶えたことで医療品や食料品などの物資が不足し、現状の生活を維持するのが精一杯で娯楽に目を向ける余裕が市民にはなかったことが理由として大きかったからだ。他にも舞台演出の装置の作製やメンテナンスを依頼していた人形工房のヨルグが姿を消し、加えて看板役者のリーシャが抜けた穴を埋めることが出来なかったことも、アルカンシェルがすぐに公演を再開できなかった原因となっていた。
 自業自得とは言わないが、不運が重なった結果と言える。本来であれば、リィンが責任を負うべき問題ではない。
 それでもリィンがアルカンシェルに融資をすると決めたのは、団にとってもメリットのある話だと考えたからだ。

「アルカンシェルのネームバリューは俺たちにとっても都合が良い」

 猟兵も年中戦いに明け暮れているわけではない。小さな仕事は適度にこなしていても、先のクロスベルでの戦いのような大きな仕事は滅多にあるものではない。戦場にでていない時期の方が長いくらいだ。しかし何もしていないとは言っても、団を維持するには金が掛かる。飛行船や装備品のメンテナンス、訓練や任務に使用する弾薬などの消耗品の補給。団員たちに支払う報酬の他、様々なコストが生じるのは避けて通れない問題だ。
 強力な猟兵団になるほど、そのコストは大きく膨らんでいく。そのため、通常は帝国の貴族や大企業と言った巨大な資本を持つ個人や組織と契約を交わし、資金を提供してもらうことで維持費をカバーしている団が多い。〈暁の旅団〉にとってのクロスベルのような存在と言っていいだろう。実際、リィンもクロスベルが他国からの侵略を受けた際には協力するという条件で、見返りとして依頼報酬とは別に年間で十億ミラを超える契約を交わしていた。
 だが、それに頼り切ってしまえば自由に使える金が足りず、装備の充実を図ることも出来なくなる。場合によっては予算を盾に無理難題を呑まされることもあるだろう。だから資金を調達する手段を独自に設けておくことも、猟兵にとっては重要なスキルの一つになる。〈赤い星座〉が表社会の顔として〈クリムゾン商会〉を経営しているように、〈暁の旅団〉がルバーチェ商会を傘下に収め、ノイエ・ブランを手に入れたのも、そうした資金調達の一環と言ってよかった。
 他にも独自の情報網を構築する狙いがある。戦いにおいて情報≠ニは、時に命運を分ける大きな要素となることをリィンは経験から熟知していた。
 知名度が高く外国から態々舞台を見るためだけに足を運ぶファンも多いアルカンシェルは、そうした情報を得る場としても最適だ。
 リィンがアルカンシェルに融資をすると決めたのも、そうしたメリットを考慮してのことだった。

「それで、お前に聞いておきたいのは、役者に復帰する気はあるのかってことだ」
「……え?」
猟兵(こっち)の仕事を優先してもらうことになるが、それでも構わないとあちらさんの要望でな」
「え……え?」

 突然そんな話をされると思っていなかったリーシャは、驚きと困惑を隠せない様子を見せる。
 未練がないと言えば嘘になるが、〈暁の旅団〉に入ることで猟兵として生きる道を彼女は選んだ。
 あんな別れ方をして、今更アルカンシェルの舞台に立てるとは思ってもいなかったのだ。
 戸惑いを見せるリーシャを見て、リィンは溜め息を交えながら話を続ける。

「別に迷うようなことでもないだろ? どこぞの魔女だって表向きはオペラ歌手として名前を売ってるし、俺だって喫茶店のマスターを過去にはやっていて、現在ではノイエ・ブランのオーナーだ。俺たちだって年中戦っているわけじゃないし、猟兵なんて肩書きは表社会では忌避される。他国に入る時も手続きが面倒だしな。外向きの顔≠ヘ持っておいた方がいい」

 他にもスカーレットは七耀教会のシスターをしていた経験を活かして、復興の手伝いや子供たちに勉強を教えたりしていた。
 戦い以外には役に立ちそうにないヴァルカンやシャーリィも、ソーニャからの依頼で警備隊の訓練を手伝っていたりと、それぞれに自分に出来ることを始めている。
 猟兵だからと他にやりたいことを我慢する必要もなければ、団員を縛るつもりもリィンにはなかった。
 それに外向きの顔を持っておいた方が良いと言うのは本音だ。
 秘密結社の幹部や暗殺者、猟兵なんて肩書きは表社会では役に立たない。それどころか余計な警戒を生むだけで、なんのメリットもない。

「ようは、お前が何をしたいかだ。いい加減、逃げるのはやめて。ちゃんと向き合え」

 望まれていて、やりたい仕事があるのなら我慢することはない。
 自分は暗殺者だから、猟兵団に入ったからと言う理由で、夢を諦める必要もないとリィンは考えていた。
 リーシャが本当に舞台に立ちたいなら、猟兵をやりながらでも出来ないわけではない。
 実際〈黒月〉に雇われてクロスベルに潜伏していた時も二足の草鞋をこなしていたのだから、リーシャなら可能だろう。
 もう正体を隠す必要がないことを考えれば、前よりも堂々とやれる分、周りに遠慮をする必要もない。

「……リィンさん。もしかして、私のために?」

 リィンの意図を感じ取って、リーシャは尋ねる。
 最初はアルカンシェルを取り込むことが〈暁の旅団〉のメリットになるという話に納得した。
 でも、それはアルカンシェルでなくても良い話だ。ルバーチェ商会を傘下に収めた今、二億ミラもの大金を叩いてリスクを冒すこともない。
 赤い星座の一件が関係しているのは確かかもしれないが、先程リィン自身が言っていたように〈暁の旅団〉が責任を負う必要はない。
 だとするなら、リィンがアルカンシェルに融資した理由は一つしかない。リーシャのためだ。

「さっきも言っただろ? 団にとってもメリットのある話だと。それにイリアの相手をするのが面倒だっただけだ」

 そう言って頬を掻きながら顔を背けるリィンを見て、リーシャは確信する。
 団にもメリットがある。イリアの相手が面倒という話に嘘はないだろう。
 でも、アルカンシェルが潰れるようなことになれば、リーシャは負い目を感じるに違いない。
 それにイリアを避けると言うことは、まだアルカンシェルに未練があると言うことだ。
 これまでの話から、リィンにはそこまで見抜かれていたのだとリーシャは思った。だから――

「ありがとうございます。リィンさん」

 薄らと目尻に涙を溜め、リーシャは深々と頭を下げる。
 この三ヶ月後、アルカンシェルでは『金の太陽、銀の月』という演目が公開されることになる。


  ◆


 街の何処からでも見上げることが出来る巨大な構造物。クロスベルの行政を司るオルキスタワーの中枢に幼い少女の姿があった。
 ウェーブがかった艶やかなブロンドの髪に陶器のように白い肌。小さな顔にスラリと伸びた手足。
 まるで人形のような愛らしさを持つ少女が、慣れた様子でタワーのメインコンピューターに繋がる端末機を操作していた。
 恐らく歳の頃は十歳前後と言ったところだろう。そんな少女に、エリィは声を掛ける。

「ベル。一旦休憩して、お茶にしない?」
「……そうね。頂くわ」

 手を休めると『ベル』と呼ばれた少女は後ろの席に腰掛け、エリィの用意した紅茶と菓子に手を伸ばす。
 そんな少女の姿を見て、優しげな笑みを浮かべるエリィ。一見すると仲の良い姉妹に見えなくもない。

「リィン≠ェ感謝していたわ。例の資料、助かったって」

 リィンのことを『さん』付けで呼ばなくなったエリィに、少女は複雑な感情を抱きながら「そう」と素っ気なく答える。
 エリィが幸せなら祝福したいという気持ちはあるが、素直に喜ぶことも出来ない。この感情が嫉妬からくるものだと言うことは少女もわかっていた。
 リィンに特別な感情を抱いていると言う訳ではない。エリィの好意がリィンに向いていることに苛立っているのだ。
 少女の旧姓はマリアベル・クロイス。現在は『ベル・クラウゼル』と少女は名乗っていた。
 そう、公式には先の事件で死亡されたと発表されているマリアベル本人だ。

 マリアベルは確かにあの日、一度死んだ。だが生き返った。
 正確にはギリアスと同じく、あらかじめ用意してあったホムンクルスの肉体に記憶と精神を移し替えたのだ。
 もっとも準備が不十分で以前と同じ肉体年齢にまで成長されることは叶わず、このような幼い姿になってしまったが、それはそれで周囲の目を騙すには都合が良いとマリアベル――いや、ベルは感じていた。
 まさか死人が蘇った。しかも若返ったとは誰も信じないだろう。
 例え正体を疑われはしても、ディーターの隠し子とでも臭わせておけば、マリアベルと似ていることには説明が付く。
 こんな小さな子供に親の責任を負わせられるはずもなく、リィンの養女となった経緯も勝手に察してくれるだろうと考えてのことだった。

 実際その目論見は上手くいっていた。

 クロスベルはゼムリア大陸でも有数の経済都市だ。その規模は帝国や共和国に次ぐほどで、世界最大の金融資産を誇るIBCを筆頭に多くの企業がクロスベルと密接な関係にある。そのためクロスベルの混乱は他国の経済にも大きな影響を及ぼしており、これ以上の悪化を招かないためにも各国ともにクロスベルには早く復興して欲しい思惑があった。そのためなら多少疑わしい少女がリィンの近くにいたところで、〈暁の旅団〉を敵に回してまで追及するメリットは薄いと考えたのだ。
 それにベルの活躍によって本来であれば半年は掛かると思われていた事件の調査やIBCの再建も、僅か一ヶ月で見通しが立つほどに作業は進んでいた。
 それだけベルが優秀だったと言うこともあるが、事件の黒幕が協力しているのだ。調査が捗るのも当然と言える。
 それに――

「小父様の身柄がクロスベルへ移送されたそうよ。いまノックス拘置所に勾留されているわ」

 エリィの口からディーターの身柄がリベールからクロスベルへ移送されたと聞き、ベルは微かに反応を見せる。
 クロスベルの復興に協力する見返りとして彼女が求めたのは父親の減刑だったからだ。

「ベル。小父様と話をしたいなら――」

 面会できるように手配するとエリィが言おうとしたところで、ベルは首を横に振る。

「いまの私はマリアベル・クロイスではなく、ただのベルよ」

 その一言から、ベルの強い意志をエリィは感じ取る。その言葉の通り、彼女はディーターと会うつもりはないのだろう。
 でも驚きはなかった。元よりベルなら、そう言うであろうと予感はあったからだ。
 マリアベルやディーターのしたことは到底許されることではない。だが、その考えは理解の出来ないものではなかった。
 少なくともクロスベルの現状を憂うディーターの言葉に嘘はなく、そんな父親を最後に冷たく突き放すような真似をしたのは、マリアベルの優しさであったとエリィは気付いていたからだ。
 零の至宝が完成したことでクロイス家の悲願は果たされ、リィンが力に覚醒したことで彼女の目的は達せられている。
 リィンの手で殺されることになっても構わないと思っていたに違いない。最初から、すべての罪を被って死ぬつもりだったのだろう。
 しかし、そんなベルの決心を踏み止まらせたのは、他ならないリィンだった。
 自分のやった責任くらいは自分で取れ、とリィンに言われれば、ベルとしても嫌とは言えなかった。それが今の状況だ。

「エリィ、あなたはどうなの?」

 ベルは自分のことは自業自得だと思っている。しかしエリィは違う。
 あれだけ固い絆で結ばれていた特務支援課のメンバーも大半がバラバラの道を歩むことになり、結果的にクロスベルは大国の脅威から守られたことになるが、代わりにエリィは多くの義務と責任を背負わせられることになった。
 自ら望んだこととはいえ、エリィが一番の貧乏くじを引いたと言ってもいいだろう。

「幸せよ。少なくとも愛されている≠チて実感できるから」

 だが、そんな予想もしなかったエリィの答えに、ベルは呆気に取られた表情を見せる。
 エリィがリィンに何を望んだのか? そのあらましをベルも知っていた。
 こんなエリィを見るのは、ベルも初めてだった。
 少なくとも幸せ≠セという言葉に嘘はないだろう。それはエリィの表情を見ればわかる。

(もしかして、惚気られた?)

 ベルのなかで、なんとも言えないムカムカとした感情が再び湧き上がってくる。
 エリィなりの冗談。心配を掛けまいとしてくれていることは察することが出来たが、それ以上にリィンに対する好意も見え隠れしていたからだ。
 こんなにもエリィに想われていると言うのに、リィンはどうかと言うと他の女性との噂が絶えない。そして好意を寄せている女性たちへの対応も、曖昧なまま言葉を濁していると言う話だ。
 一番でなくてもいいとエリィは言ったそうだが、エリィのことを大切に思っているベルがそんな中途半端な態度で納得できるはずもない。

「やっぱり、あの男とは一度きっちりと白黒をつけるべきですわね……」
「え? ちょっとベル……?」

 黒いオーラを全身から放ちながら不穏なことを口にするベルに、エリィは戸惑いを隠せない様子を見せる。

「ベル、何処へ行く気!?」
「離しなさい、エリィ! あの女誑しには一言いってやらないと!」

 どこからともなく取り出した杖を掲げ、転位魔術でリィンのところへ向かおうとするベルの腕を掴み、エリィは必死に思い止まらせる。
 でも――

「エリィ。あなたがそんなのだから……って、何を笑っていますの?」

 この騒がしい日常がエリィは嫌ではなかった。
 得るものも多かったが、失ったものも大きい。しかし、エリィは後悔をしていなかった。
 皆それぞれの道を歩み始めている。寂しくないと言えば嘘になるが、悩み抜いた末に自分でだした答えだ。
 嬉しいことも悲しいことも辛いことも、大切な人たちと分かち合える喜びがここにはある。

 ――愛してください。

 その言葉は好きな人に愛されたいというエリィの想いと、大切な人たちにも幸せになって欲しいという願いが込められていた。



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