「……暇」
椅子に揺られ、天井を見上げながらボソリと呟くモルガ。
「暇、暇、退屈！ ババルン軍でも攻めてこないかしら？」
「縁起でも無いこと言わないでください」
冗談ではないと、アオイはモルガを半目で睨み付ける。
国際会議の場を襲撃されるようなことになれば、ハヴォニワの面目は丸潰れだ。
警備を任されている身としては、これ以上の失点を重ねたくないというのがアオイの心情だった。
というのも、モルガたちは現在トリブル王国から〝太老の護衛〟としてハヴォニワに貸与されている身だ。
そのため、聖地での一件で太老が行方不明となったことは、護衛の役目を負った彼女たちにとって大きな失点となっていた。
勿論、彼女たちだけの責任とは言えないが、本来であれば太老の護衛を優先するところを、モルガの暴走によって『現場の判断』という名目でババルン軍の迎撃に当たったのだ。彼女たちの活躍がなければ生徒達を逃がす時間を稼げなかった可能性が高いことや、そうした事情を汲んだマリアの計らいもあって咎められることはなかったが、命令違反に続くモルガの独断専行。その挙げ句に太老が行方不明となり、契約を果たすことが出来なくなったことは言い逃れの出来ない事実だった。
これに悲鳴を上げたのが、トリブル王国の貴族たちだ。
トリブル王国は現在、ハヴォニワから多くの借款をしている。そんななかで王宮機師の出向を条件に正木商会の支援を受けて、経済の建て直しを図っているところだ。その正木商会が契約違反を理由にトリブル王国から撤退するような話になれば、それだけで王国の経済は傾いてしまう。どのような話し合いがハヴォニワとトリブル王国の間で交わされたのかはわからないが、本来であれば太老が学院を卒業するまでだった話は撤回され、ほぼ無期限の出向に延長されていた。
ようするに、これ以上は庇い切れないと判断したトリブル王国が、モルガたちをハヴォニワに売ったのだ。
他国への無期限の出向。事実上の左遷とも言える決定だった。
だが、
（モルガの能天気さにも呆れたものだけど、あの子たちが喜んでいるのも事実なのよね……）
これを喜んでいる隊員も少なくなかった。
経済的にハヴォニワの傀儡となりつつあるトリブル王国の現状を考えれば、彼女たちの気持ちがアオイにはよくわかる。
ここでの生活は、ハヴォニワの王宮で働いていた頃よりも待遇が良いくらいなのだ。
特に太老の領地――別名『黄金郷』などとも呼ばれている〈西の都〉は、人と物で溢れ返っている。
歴史は古いもののド田舎と言っていいトリブル王国とでは、都市の規模も発展のスピードも雲泥の差があった。
まさに大都会と言っていい。ハヴォニワやシトレイユと言った大国の首都より栄えているのではないかと思うくらいだ。
ここでの生活に慣れてしまえば、元の生活に戻りたいと言う者はいないだろう。
しかし、アオイはそうは行かない。彼女が出向部隊の副隊長に選ばれたのは、モルガの幼馴染みだからという理由だけではない。彼女がトリブル王家に縁のある名家の生まれだからだ。
アオイの祖母は現トリブル王の姉に当たる人物で、いまは亡き祖父は剣士と同じ地球出身の異世界人だ。『シジョウ』の名はその祖父から継承したもので、王位継承権こそ持ってはいないが、彼女が王族に連なる人間であることに違いはない。他の隊員たちのように国を捨てて、ハヴォニワに移り住むなどということは立場的に難しかった。
それに国には家族もいる。特にアオイは歳の離れた〝妹〟のことを大切にしていた。
そのことを考えれば、祖国を捨てられるはずもない。
彼女が今もこうして隊に残っているのは、他にモルガの副官を務められる人材がいないからだった。
現状は首の皮一枚繋がっていると言った状態だ。次に同じようなことがあれば、トリブル王宮は相手がアオイであっても切り捨てるだろう。
もう二度と同じような失態を繰り返されては困ると考え、アオイはモルガに注意をしようとするが、
「え？」
先程まで窓際の席に座っていたモルガの姿が消えいた。
異世界の伝道師 第323話『親の心、子知らず』
作者 193
練兵場では、イザベルとキャイアの手に汗を握る接戦が繰り広げられていた。
大陸でも有数の聖機師に数えられるイザベルと互角の戦いを繰り広げるキャイアに、観戦席から驚きの声が上がる。
いつの間にか、練兵場を取り囲むように観戦席には人集りが出来ていた。
その観戦者たちが皆揃って握り締めている『賭け札』と思しきものを見て、マリアは訝しげな視線をラシャラに向ける。
「ラシャラさん。あなた、まさか……」
「今回は我ではないぞ！？」
「では、それはなんですの？」
ラシャラの手にも他の観戦者と同じ『賭け札』が握られていた。
「我が胴元なら、賭けに参加するはずがなかろう！？」
「まあ、確かにその通りですが……」
では、他に一体誰が――と考えたところで、マリアの頭にゴールドの顔が浮かぶ。
イザベルがここに来ていることは、ゴールドも当然知っているはずだ。
何よりイザベルの性格をよく知っているゴールドが、この状況を予想していなかったとは思えない。
となれば、賭けの胴元が誰かは察しがつく。
「まったく、あの方は……」
今回はさすがにラシャラも自重したようだが、先にゴールドがやっていなければわからない。
そもそもキャイアのことを心配する素振りを見せながらも、しっかりと賭けに参加しているのだから同罪だ。
やはり血は争えないと、マリアは溜め息を吐く。
とはいえ、
（まさか、キャイアさんがここまで腕を上げているなんて……）
正直なところイザベルと互角に戦えるほどキャイアが腕を上げているとは、マリアも思ってはいなかった。
以前のキャイアの実力は、優れた聖機師ではあるものの学生の域をでるほどものではなかったからだ。
太老の作ったメニューをこなし、ユキネからも手解きを受けているという話を耳にしていたが、それでも目を疑うほどの成長速度だ。
ただ才能があるというだけでは片付かない話。血の滲むような努力をした結果なのだろうと、マリアは考える。
「やるわね。正直ここまで腕を上げているなんて思ってもいなかったわ」
感心しているのは、イザベルも同じだった。
軽く叩きのめすつもりでいたのが、予想を遙かに超えてキャイアの腕が上がっていたからだ。
少し素直すぎるところはあるが、剣術の腕はマスタークラスに迫るほど。
どういう鍛え方をしたのかわからないが、反応速度はトップクラスの聖機師をも凌駕している。
恐らく身体能力では、キャイアに勝てないだろうとイザベルは素直に負けを認める。
しかし、
「正木卿に鍛えてもらったのかしら？ あれほどの聖機師は他にいないものね」
キャイアの成長には太老が一枚噛んでいると当たりを付けながらも、イザベルは不敵な笑みを浮かべる。
仮に最強の聖機師に教えを乞うたのだとしても、キャイアに勝ちを譲るつもりはなかったからだ。
「でもね――」
視界から一瞬にしてイザベルの動甲冑が消えたことで、目を瞠るキャイア。
背中に悪寒を感じて咄嗟に横に飛び退くことで回避の動きを見せるも、左手に一撃を受けてしまう。
「昔より強くなっているのは、キャイアちゃん。あなただけじゃないのよ」
◆
「……何が起きておるのじゃ？」
防戦一方のキャイアを見て、疑問に満ちた表情でラシャラは呆然とした声を漏らす。
つい先程までは互角の戦いをしていたはずだ。
いままで、イザベルが手を抜いていたのかと考えるが、
「キャイアの癖や動きが、完全に見切られてる」
「……ユキネ？」
そんなラシャラの考えを否定する声が、後ろから響く。
それはユキネだった。
「どういうことですか？」
「手を抜いていたのではなく、昔のキャイアと今のキャイアの動きを比較して、頭の中のイメージを修正したのだと思います」
マリアの問いに、そう答えるユキネの目は真剣そのものだった。
ユキネにとってイザベルは尊敬する聖機師の一人だ。
それだけに、苛烈な戦いをする一方で実はイザベルが才能を努力で凌駕する技巧派の聖機師だということをユキネはよく知っていた。
ユキネも同じく技に工夫を凝らすタイプであることから、学院の資料に残されていたイザベルの戦い方をよく参考にしていたのだ。
しかし、それだけが理由ではないとユキネは話す。
「強くなってる。シトレイユにいた頃よりもずっと……」
「なんじゃと？」
これに驚き、真っ先に声を上げたのはラシャラだった。
シトレイユに所属していた頃から、イザベルの強さは他の聖機師と比べても突出していたのだ。
聖地の武術大会で優勝した経験もあるフローラに匹敵するほどの実力があると、あの頃から噂されていた。
だとすれば、いまのイザベルは現役当時のフローラよりも強いと言うことになる。
母親の強さをよく知る娘のマリアからしても俄には信じがたい話だった。
しかし、ふと――
「カレンさん、ですか」
カレンの存在が頭を過ぎる。
白銀の聖機人のパイロット。生身での戦闘でも剣士に近い力を持つという彼女と、ゴールドの護衛機師となった頃から付き合いがあるのだとすれば――
勤勉で強くなることに貪欲なイザベルの性格を考えれば、カレンに戦いを挑まないなんてことはないはずだ。
だとすればその頃からイザベルは、遥か格上の実力者と腕を競っていたと言うことになる。
最低でも七年以上。まだユキネとの特訓を初めて三ヶ月しか経っていないキャイアとでは、簡単に埋められないほどの経験の差があると言うことだった。
「あ……」
マリアの口から呆然とした声が漏れる。
あれほど白熱した戦いも、勝敗が決するのは一瞬だった。
袈裟斬りに胴体を一閃され、膝をつくキャイアの動甲冑。
その直後、観戦席からキャイアの健闘を讃えるかのように、溢れんばかりの歓声が練兵場に響くのだった。
◆
「大人気ないわね」
キャイアとの決闘を終え、更衣室に姿を見せたイザベルを、ゴールドはそう言って出迎える。
いつの間にここへと考えるイザベルだったが、すぐに自分の考えを否定する。
こんな〝イベント〟を起こせば、ゴールドが動かないはずがないからだ。
「イザベルに賭け金が集中して、余り儲からなかったから不機嫌なのよ」
なるほど、と部屋の角に控えていたカレンから話を聞いて、納得の様子を見せるイザベル。
ゴールド的にはイザベルに負けて貰った方が、懐が潤って都合が良かったのだろう。
しかしイザベルにも意地がある。まだキャイアに勝ちを譲るつもりはなかった。
「それで、どうするの？ 負けた方が護衛機師を辞めるって賭けをしたんでしょ？」
ゴールドにキャイアのことをどうするのかと尋ねられ、少し複雑な表情を見せるイザベル。
正式な手続きに則った決闘ではない以上、ただの口約束に過ぎないが、ここでキャイアに負けるようならイザベルは現役を退くつもりでいた。
しかし、それをキャイアに強制する権利はイザベルにはない。その資格が自分にないことも彼女は自覚していた。
ただ、キャイアには知っておいて欲しかっただけだ。
自分がどれほど恵まれ、多くの人に愛されているのかを――
「何も？」
だから特に何かをするつもりはなかった。
決めるのはキャイア自身だ。ここで心が折れてしまうようなら、それまでのこと。
さっさと護衛機師など辞めてしまった方がいい。
その方が、このままでいるよりかは周りにとっても良いはずとイザベルは思う。
だが、それでもキャイアがラシャラの護衛機師を辞めないと決めたのなら――
「実の娘に嫌われて、周りに恨まれて、損な役割ね」
イザベルの考えを見抜いて、呆れた様子で肩をすくめながらそう話すゴールド。
しかし、そう言っている本人が、実はラシャラのために国を捨てたということをイザベルは知っていた。
太老が現れたことで随分と予定が狂ってしまったが、元々はババルンの野心に一早く気付き、ゴールドはシトレイユを離れたのだ。
国と娘を悪意ある人々から守るため、将来へ布石を投じるために――
「それはそうと、ゴールド様」
「……何かしら？」
「私とキャイアちゃんをダシに使ったんですから、私たちの取り分は当然あるんですよね？」
ただでさえ儲けが薄いというのに取り分を要求され、ゴールドは頬を引き攣るのだった。
……TO BE CONTINUED
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