「瀬戸様、大変です!」

 樹雷の伝統的な着物を纏った女性の声が響く。
 彼女の名は正木水子(みずね)。神木家に仕える瀬戸の女官の一人で、立木林檎の部下だ。
 そして、ここは『樹雷の鬼姫』こと神木瀬戸樹雷の船――第二世代艦『水鏡』の居住区画だった。
 正確には、船の亜空間に固定された人工惑星。その上に設けられたリゾート施設だ。

「騒々しいわね」

 皆で温泉に浸かって野次馬――もとい太老たちの活躍を見守っていたのだ。
 ようやく盛り上がってきたところで水を差され、不機嫌さを隠そうともしない瀬戸に一同は苦笑する。
 瀬戸に睨まれて一瞬怯んだ様子を見せるも、どうにかその場に踏み止まる水子。
 ここで役目も果たさずに逃げたことが後で水穂や林檎に知られると、もっと面倒なことになると理解しているからだ。
 それだけに――

「皆々様、ご歓談のところ申し訳ありません」

 深々と頭を下げ、まずは非礼を詫びるところから入る水子。
 この場にいる顔ぶれが顔ぶれだけに幾ら緊急の用向きがあるとはいえ、礼を失する訳にはいかないと考えてのことだ。

「それで、何があったの? ……って、尋ねるまでもないわね」

 水子の様子から何を慌てているのかを察して、溜め息を漏らす瀬戸。
 皇家の樹とマスターは精神的なリンクで繋がっているため、互いに感情の機微には敏感だ。
 水鏡の精神状態は、当然マスターである瀬戸も把握していた。
 そこから導き出される答えは一つしかない。

「また、天樹が暴走したのね?」
「……はい」

 天樹の暴走。それは太老が剣士よりも先に異世界へ送られる切っ掛けともなった事件。
 それも恐らく、ここ最近多発していた小規模なものではなく、二年前と同じ規模の暴走が起きているのだと瀬戸は察する。
 水子が慌てるのも当然だ。まさに樹雷の――いや、銀河の一大事と言っても良いだろう。
 こうした事態になることを恐れて、太老を異世界に隔離したと言うのも理由の一つにあるのだから――
 しかし、

「そんなに慌てなくとも、何度も同じ失敗を繰り返したりはしないわよ。市場に直結したネットワークは天樹から独立させてあるし、ライフラインも〈皇家の樹〉に依存しすぎない方向でエネルギーの多様化を進めてあるわ。予算の都合もあるし、経理部にも資料が回っていたでしょ?」
「え? ああ、そう言えば、そんなものを見たような見てないような……」

 取り繕うのを忘れて思わず素の反応を見せる水子に、瀬戸は呆れながら説明する。
 同じ失敗を何度も繰り返すほど、瀬戸は愚かではない。
 そもそもの話あれだけの被害をだした事件に、なんの対策を講じていないはずがないのだ。

「……しっかりして頂戴。なんのために林檎ちゃんを行かせたと思っているのよ」

 対策が取れていなければ、さすがに瀬戸も水穂に続いて林檎まで太老のもとへ行かせたりはしない。
 打てる手は打った。林檎がいなくても問題ないと考えたからこそ、桜花と共に行かせたのだ。
 それに対策を講じてあるとは言っても、出来ることなら早期に問題を解決し、事態の収拾に取りかかれるのが好ましいことに変わりはなかった。
 そう言う意味でも水穂と林檎の二人は瀬戸が打てる手のなかで、これ以上ない人選でもあったのだろう。
 元より太老が引き起こす騒動の後始末を当事者とすることで、瀬戸は二人に押しつけるつもりでいたのだ。
 しかし、

「うーん……林檎ちゃんですか」
「何か問題があるの?」
「太老くんのことになると暴走しがちなところがあるので……ほら、西南くんの時だって」

 完全に外行きのモードから素に戻っている様子で、直属の上司のことを『ちゃん』付けで呼ぶ水子。
 しかし、そんな水子の態度に誰もツッコミを入れる者はいない。
 太老と西南――二人のことをよく知る者たちの脳裏に同じ考えが過ぎっていたからだ。
 立木林檎と柾木水穂は確かに自他共に認める有能な人間だ。
 瀬戸でさえ、それぞれが得意とする分野において敵わないと認める才覚の持ち主だ。
 だが、そんな彼女たちにも欠点と言えるものがあった。

「水穂様も純情というか好きな人には尽くすタイプみたいなので、太老くんのためだったら頑張り過ぎちゃう気がするんですよね」

 幾ら有能だと言っても、組織から離れてしまえば一人の人間だ。
 あの二人がどう動こうとも、想定の範囲を超えることはないと考えていた。
 しかし、仮に二人が手を組めば――『混ぜるな危険』という言葉が頭を過る。
 そうだ。水子の言うように、山田西南という前例があったではないか。
 そこに考えが至らなかったことを、いまになって瀬戸は気付かされるのであった。





異世界の伝道師 第374話『最強タッグ』
作者 193






「やっぱり、私たちの予想≠オた通りの結果になったわね」
「はい。二年前と同じ状況ですね」

 山賊ギルドの旗艦ダイ・ダルマーで密会をする二つの人影があった。柾木水穂と立木林檎の二人だ。
 船穂と龍皇の協力を得て、林檎の船〈穂野火〉を通じて送られてきている情報から二人は樹雷の状況を正確に掴んでいた。
 やっていることは、瀬戸のしていることと同じだ。
 あちらが〈皇家の樹〉のネットワークを使って、こちらの世界を監視していることは水穂と林檎も気付いていた。
 だから逆に、瀬戸の計画を利用することを思いついたのだ。
 幾ら瀬戸の勘が鋭いと言っても、少しずつ二年≠熨Oから準備されていたことを見抜けというのは難しいだろう。
 しかも相手は『鬼姫の金庫番』と恐れられる経理部の長だ。水穂にしても、瀬戸のやり口は嫌と言うほど熟知している。
 それだけに二人が手を組めば、瀬戸の狙いを予測するのは難しいことではなかったのだ。

「でも、本当によかったの?」
「はい。いまのままでは、あちらの世界へ帰っても太老様に自由はありませんから」

 瀬戸や鷲羽が太老のためを考えて、太老を異世界へ隔離したことは理解している。
 あのまま樹雷に太老が残っていれば、世二我と樹雷。更にはアイライを加えた三つ巴の争奪戦が繰り広げられていたことは目に見えていたからだ。
 実のところ、それほどに世界は太老の重要性に気付いてしまった。
 アイライの信者からは『神の子』と称され、世二我も組織の改革に一役買った太老の実績を高く評価している。
 しかも二年前のあの事件によって、零式が〈皇家の船〉と同等以上の力を持つことが世に知れ渡ってしまった。
 邪な考えを抱く者が現れても不思議な話ではない。だからこそ、鷲羽と瀬戸は太老をあちらの世界から遠ざけたのだろう。
 太老を異世界に隔離している間に九羅密家やアカデミーと連携して、それぞれの組織に巣くう不穏分子を洗い出すつもりでいたのだ。

 しかし、組織の改革というのは一朝一夕に叶うものではない。最低でも十年のスパンを見ていたはずだ。
 だが、もう遅い。その猶予は太老が再び力を覚醒させたことで、なくなってしまった。
 これまではどうにか誤魔化せていたが、これで天樹の異変は世界に伝わるはずだ。
 二年前の事件の詳細を知る者であれば、天樹の異変と太老を結びつけて考える者は少なくないだろう。
 そうなったら、今度こそ誰にも止められない。
 ようやく沈静化を見せかけていた太老を巡る騒動が、再び加熱することは確実と言えた。

「林檎ちゃんの心配するように、あちらの世界へ帰っても心休まる日々は送れそうにないわね」

 むしろ、今以上に多忙な毎日を送ることになるだろう。平穏を望む太老の願いからは遠のくことになる。
 まあ、それも自業自得。運命と言ってしまえばそれまでなのだが、太老に多大な恩義を感じている林檎のことだ。
 太老を狙っている者たちがいると分かっていて、太老の平穏な生活が脅かされると分かっていて、黙っていられるはずもなかった。
 そして何れはこのような未来が訪れることを、二年も前から彼女は予見していたのだ。
 だからこそ、備えていた。密かに、それこそ瀬戸や鷲羽にも悟られないように――
 水穂までもが異世界に飛ばされたことは想定外だったが、いま考えると、それも林檎にとって都合が良かった。
 水穂であれば必ず自分と同じ考えへ至り、未来のために布石を打ってくれているはずだと信じていたからだ。
 そして、その考えは間違いではなかった。これならば、計画を十年は前倒しに出来ると林檎は考える。

「樹雷、世二我、アイライ。どの勢力にも太老様を任せることなど出来ません」
「ええ。なら、造るしかないわよね」

 太老の望みを叶えるには、どこかの勢力に属していては叶わない。
 これまで通り地球に隠れ住むと言った方法も残されてはいるが、それも遥照の生存が発表されるまでの時間稼ぎにしかならない。
 そう考えた水穂と林檎は、太老が安心して暮らせる太老のための国≠造ろうと考えたのだ。
 フローラに連合を発足させ、太老を盟主とすることでハヴォニワから独立した国を興させる方向へと水穂が導いたのも――
 表向きはアイライからの移住希望者を受け入れるための手立てとして、太老に領宙を与える案を林檎が船穂に進言したのも――

「表向きは樹雷の庇護下に入ることになるけど、そこは『正木』の人間であることを考えると仕方がないとして、独立した国として認められるだけの条件は満たしてあるのよね?」
「はい。太老様を次期樹雷皇とするのであれば、いまから経験を積ませておくのが最良ではないかと、船穂様に相談をさせて頂きました」

 すべては太老のためだった。
 樹雷皇家を代表する四家には、軍事と政治において独立した権限が認められている。
 神木家が所有する艦隊もその一つだ。
 それらと同等の権利を有する領宙が、太老に与えられると言うことだった。
 ここ十年ほどで、樹雷からの独立を果たした嘗てのバルタと同じだ。
 太老のためであれば自分たちの国の皇妃すらも利用しようと画策する林檎に、水穂は苦笑する。
 とはいえ、

「私が言うのもなんだけど、余りやり過ぎてはダメよ? 太老くんだって、林檎ちゃんに傷ついては欲しくないだろうし」

 騙されたからと言って船穂は逆上したりはしないだろうが、なかにはそういう相手もいる。
 そうした輩に林檎が傷つけられるとは思わないが、何事にも絶対と言うことはない。
 仮に林檎が傷つけば、太老は黙っていないだろう。
 結果的に守ると誓った相手に守られ、傷つけることになってしまっては本末転倒だ。
 ハイエナ部隊の長と言われるだけあって、目的のためにやり過ぎてしまう傾向が林檎にはある。
 水穂の助言は、それを心配してのことだった。

「……はい。すべて片付いたら、船穂様にはお詫びに向かうつもりです」
「この程度のことで怒るような方ではないけどね」

 ――それが本当に太老殿のためになるのであれば、と笑って許してしまうような方だと水穂は船穂の性格をよく知っていた。
 それに樹雷皇となるかどうかは太老の意思次第だが、領宙経営の経験が役立つことは間違いない。
 太老を説得し、その気にさせることが出来るかどうかは自分の手腕次第だと船穂なら考えるだろう。
 そうでなければ、樹雷の皇妃は務まらないと言うことだ。
 それに船穂は元々樹雷の人間と言う訳ではなく地球人だ。彼女が現樹雷皇、阿主沙と一緒になるまでには様々な苦労があった。
 辺境の――恒星間移動技術すら持たない惑星出身の彼女が皇妃となることを、快く思わない者は少なく無かったと言うことだ。
 そんな苦難をはね除け、自身の力を周囲に認めさせることで、樹雷の第一皇妃となったのが柾木船穂樹雷であった。
 林檎の思惑など、とっくに気付いているだろうと水穂は考える。その上で、林檎からの提案に乗ったのだろうと――

「ある意味で船穂様は瀬戸様以上に怖い御方よ。あの方が本気になったら誰も逆らえないわ。夫の――樹雷皇、阿主沙様でもね」
「心得ています。敢えて、私の話に乗って頂けたのだと言うことも……」
「なら、いいわ。まあ、太老くんの意思を無視するようなことはなさらないだろうし、機嫌を損ねなければ船穂様ほど心強い味方はいないしね」

 少なくとも船穂は太老の味方だと、水穂と林檎は確信していた。
 そうでなければ以前、紆余曲折があって太老が設立した財団の管理なんて面倒な仕事を、自ら率先して引き受けたりはしないだろう。
 余談ではあるが、財団の資金には主に太老が海賊討伐で得た報奨金や、哲学士として得たパテントの一部が使われている。元々、個人では使いきれないほどの金額が財団にはあったのだが、この二年で減るどころか更に財団の資金力は強化されていた。それに一役買ったのが林檎だ。
 財団の目的は、孤児の救済と人材の育成だ。
 いまや樹雷だけでなく、アカデミーの学生を対象とした給付型奨学金制度を設けるまでに活動範囲を広げていた。
 まだ始まったばかりではあるが試みが上手く行けば、幼い頃から高度な教育を施された優秀な人材が育つことは間違いない。所謂、青田買いだ。
 更に言えば、船穂が長年支援してきた孤児院で育った子供たちは義理堅く、結束力が強いのが特徴だ。
 恐らく船穂の考えとしては、彼等を太老の下で働き、助けとなる人材へと育てたい思惑があるのだろう。
 ひいてはそれが、国のためになると考えての行動であることは疑いようがなかった。
 そうであるのなら、少なくとも船穂が太老の敵となることはない。むしろ、最強の後ろ盾となる存在だ。

「瀬戸様だけなら、まだどうにか対処のしようもあるのですが……」
「鷲羽様も一緒だと、船穂様を味方につけるくらいしないと勝負にならないでしょうしね」

 だからこそ、是が非でも船穂とは協力体制を築いておきたい。
 欲を言えば、鷲羽への抑えとして地球の柾木家にも協力を仰ぎたいと水穂と林檎は考えていた。
 瀬戸の扱いには慣れている二人でも、さすがに鷲羽が相手では分が悪いと悟っているからだ。
 そのための対策は着々と進んでいる。林檎がこちらの世界へきた時点で、既に『ハイエナ部隊』の異名を持つ女官たちが動き始めているからだ。
 瀬戸の眼を欺くには丁度良いと考え、水子には敢えて計画の内容を教えなかったのだろう。

「これ以上、太老くんを――あの方々の玩具≠ノはさせないわ」
「はい。力を合わせて、太老様を御守りしましょう」

 互いの覚悟を確かめ合うように、固く握手を交わす水穂と林檎。
 これが後に太老の大奥(ハーレム)≠取り仕切ることにもなる最強タッグ、誕生の瞬間であった。




 ……TO BE CONTINUED



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