『いろいろと事情がありそうですし、エリィさんには黙って置いてあげます』

 クレアとのやり取りをティオに見られたのは、少し失敗だったとリィンは考える。
 とはいえ、誰彼と構わずに言い触らしたりはしないだろう。
 その程度には、リィンはティオのことを信用していた。
 それに気にならない訳では無いが、クレアのことばかり構ってもいられない。

 双竜橋を出発したアイゼングラーフ号は鉄道憲兵隊に護衛されながら、半日遅れで帝都へと向かっていた。
 護衛と言っても戦車や機甲兵で列車の周りを囲っている訳では無い。
 いざと言う時のための人員を車両内に配備し、飛空艇を先行させて進行ルート周辺を警戒しているくらいだ。
 先のように列車砲などを持ちだされれば、アイゼングラーフ号を守りきるのは難しいだろう。
 だが、恐らくはもう襲撃はないとクレアは見ているようだった。
 そしてリィンも、その点に関してはクレアと同様の考えを持っていた。

(ここからが本番だろうしな)

 列車砲は確かに凄まじい威力を秘めているが、動いているものを精密に射撃するには向かない兵器だ。
 あのまま攻撃を続けていても、アイゼングラーフ号に直撃させられた可能性は低い。
 となれば、先の襲撃は警告や様子見と言った面が強いだろうと、リィンは考えていた。
 なら、むしろ警戒が必要なのは、帝都へ入ってからの方だ。

「……昼間からお酒ですか?」

 食堂車のカウンターでグラスを傾けているリィンを見つけて、少し呆れた口調で声を掛けるリーシャ。
 そして隣の席に腰掛けると、ボトルの横に酒のあてと思しき料理が入った皿を見つけて、リーシャは目を丸くしながら尋ねる。

「これ、もしかしてリィンさんが?」
「ああ、リーシャも食うか?」

 そう言って箸を渡され、勧められるがまま料理を口に運ぶリーシャ。そして、目を瞠る。
 美味しかったというのは勿論理由にあるが、共和国の東方人街で生まれ育ったリーシャにとって懐かしい味だったからだ。

「酒もどうだ?」
「飲みません。仕事に差し支えがないようにお願いしますよ」
「加減は弁えてるさ」
「そんなこと言って、エリィさんとのこと……忘れたとは言わせませんよ?」

 その話を持ちだされると、リィンは反論できなかった。
 エリィとそういう関係になったことを後悔している訳では無いが、さすがに酔った勢いで事に及ぶというのは軽率だったと自覚しているからだ。
 しかし、あれは酒だけが原因ではなかった。
 アリアンロードや巨神との戦いで肉体や精神の疲労が限界に達し、普段は抑えきれている力の副作用が表にでてしまったのだ。
 まさか〈鬼の力〉の破壊衝動があんなカタチで表にでるとは、リィンにとっても予想外のことだった。
 とはいえ、やってしまったことを言い訳するつもりはない。非難を受ける覚悟は出来ていた。

「はあ……」

 余りに堂々としたリィンの態度に追及するのもバカらしくなり、リーシャは溜め息を漏らす。
 そして、もう一口。皿の料理を口に運ぶリーシャ。
 自然と笑みが溢れるのを覚えて、ふとリーシャは疑問に思う。
 リィンの作る料理は、帝国では余り馴染みのない料理が多い。
 器用に箸を使って料理を口に運ぶリィンを見て、リーシャは以前から疑問に思っていたことを尋ねる。

「この料理の味付けといい、リィンさんってお箸も器用に使いますよね? 誰かに教わったのですか?」

 記者会見まで開いたのだ。
 リィンがギリアス・オズボーンの血を分けた子供でルトガーに拾われて育ったことは、誰でも知っている。
 そんな帝国で生まれ育ったリィンが、東方の文化に慣れ親しんでいるのをリーシャは以前から不思議に感じていたのだ。
 リーシャの疑問にどう答えたものかと、リィンは少し逡巡する素振りを見せる。
 だが、特に隠すようなことでもないと考え、リーシャの疑問に素直に答えるリィン。

「俺に前世の記憶があるって前に話したのは覚えているか?」
「えっと……はい」

 リィンの問いに曖昧な返事をするリーシャ。
 覚えてはいるが、転生しただの未来のことを知っていたなどと説明されてもピンと来ない。
 理解の範疇を超えていて、余り頭に入っていないと言うのが正直なところだった。

「ようは俺が前世で暮らしていた国が、この世界の東方に近い文化や風習を持っていた。それだけの話だ」

 そんなリーシャの反応に、並行世界だなんだと説明をしても余計に混乱させるだけだと考え、リィンは要点だけを説明する。
 異世界に東方と似た文化を持つ国があると聞いて驚くも、なるほどとリーシャはリィンの話に頷く。
 確かにそれなら帝国で生まれ育ったはずのリィンが、東方の文化に慣れ親しんでいるように見えるのも納得できると考えたからだ。
 それに、リーシャにとってリィンが東方の文化に理解があると言うのは、悪い話ではなかった。

「でも、なんで急にそんなことを……もしかして、ホームシックか?」
「うっ……そう言う訳ではないのですが、微妙に団の雰囲気に馴染めていない気がして……」

 暁の旅団はメンバーの大部分を〈帝国解放戦線〉の残党を吸収するカタチで結成されたことから、帝国の出身者が多い。
 共和国の出身者がゼロとは言わないが、そのなかでも東方人街の生まれはリーシャだけだ。
 東方は独特な文化が根付いていて、他国では余り馴染みのない風習や料理が多い。
 そのため、団の皆とどう接していいのか分からないと言った悩みをリーシャは抱えていた。

「団の皆さんからも微妙に距離を置かれているような気がして……」

 仲の良い団員がいない訳じゃ無いが、声を掛けてくれるのは団の中核を占めるメンバーばかりだ。特に女性が多い。
 自分で決めたこととはいえ、アーティストの活動でカレイジャスを離れていることも多く、それが原因で上手く馴染めないのではないかとリーシャは悩んでいた。
 もしそうなら、アーティスト活動を再開したのは本末転倒と言っていい。
 イリアにも言ったことだが、リーシャは〈暁の旅団〉の一員として団の仕事もきっちりとこなしたいと考えていた。
 そうでなければ、もう一度アルカンシェルの舞台に立つことを後押ししてくれたリィンにも申し訳ないと思っているからだ。
 しかし、そんなリーシャの悩みを聞いたリィンは、呆れた様子で溜め息を吐く。

「それは避けられてるんじゃなくて、単に声をかけ辛いだけだろ」
「……どう違うのですか?」

 同じようなことを言っているようにしか聞こえず、リーシャは言葉の意味をリィンに尋ねる。
 しかしリィンは、そんなことも分からないのかと呆れた表情を見せる。

「どのくらい自分が人気あるのか自覚してないだろ? 劇団アルカンシェルの二大看板の一人。イリア・プラティエの双璧とか言われてるんだぞ?」

 リーシャは〈暁の旅団〉のメンバーであると同時に、劇団アルカンシェルを代表するアーティストの一人でもある。
 謂わば男の団員たちからすれば、憧れのアイドルが目の前にいるようなものだ。
 リーシャの方からならまだしも、自分からは声を掛け辛いというのも理解できる話だ。
 実際リィンはリーシャと一緒にいるところを団員たちに目撃されており、その度に嫉妬の視線を浴びせられていた。

「イリアさんと双璧だなんて……」

 自分にはおこがましいとでも思っているのだろうが、この場合はリーシャがどう思っているのかではなく世間の評価の問題だ。
 リーシャをアルカンシェルを代表するスターの一人だと、世間が認めていることの方が重要だった。
 とはいえ、それをリーシャに言ったところで自覚を促すのは難しいだろうとリィンは考える。

(まあ、だから人気がでたんだろうが……)

 イリアは確かに凄いアーティストだが、あの性格だ。苦手としている者も少なくない。
 一方でリーシャは少し引っ込み思案なところはあるが、イリアとは対照的に物静かで人当たりが良く、男受けのする性格をしている。アクロバティックな演技を軽々とこなす身のこなしも世間の注目を浴びた理由の一つにあるのだろうが、人気を後押ししたのはリーシャの性格にあるとリィンは見ていた。
 それに最近のリーシャは、以前にも増して感情がこもった良い演技をしている。

「俺はリーシャの演技好きだぞ。イリアに劣っているとは思わない」
「……え?」

 まさか、リィンに演技のことを褒められると思っていなかったのか? 目を丸くして驚くリーシャ。
 頬を紅く染めて顔を伏せるリーシャに、そう言えばとロゼがいないことに気付いてリィンは尋ねる。

「ロゼは一緒じゃなかったのか?」
「あ、はい……生徒の皆さんと一緒にいます。いろいろとありましたから、たぶんロゼさんで不安を紛らわせているのかと」

 微妙に言葉を選びながら説明するリーシャの話を聞き、いまローゼリアがどういう目に遭っているのかをリィンは察する。
 だが、同情するつもりはなかった。近くにいた女生徒に助けを求め、何も知らない子供の振りをして兵士を困らせ、事情聴取を免れたことを知っているからだ。自業自得と言って良いだろう。
 それにリーシャの言うように、ローゼリアの相手をすることで少しでも気が紛れるのであれば悪い話ではない。
 一度も実戦など経験したことのない箱入りのお嬢様が、一歩間違えれば命を落としていたかもしれない事件に巻き込まれたのだ。まだ不安を抱えている生徒も少なくないはずだ。
 こうした心のケアは、クレアたちのような軍人には難しい。それはリィンやリーシャにも言えることだ。
 そういう意味では、ローゼリアは役に立っていると言える。いや、ローゼリアにしか出来ない役割だった。
 それを見越して子供の振りをしたのであれば、ローゼリアに対する評価も変わるのだが――

(まあ、それはないな)

 百パーセントありえないとリィンは断言する。
 今頃は子供扱いされて内心不満を垂れながらも、渋々と言った表情で生徒たちの相手をしている光景が目に浮かぶようだった。

「また襲撃があると思いますか?」

 考えごとをしていると、突然そんなことをリーシャに尋ねられ、目を瞬かせるリィン。
 しかし、覚悟を伴ったプロの顔を覗かせるリーシャを見て、リィンは察する。
 ターゲットだけでなく不特定多数の人間を巻き添えにしたテロ紛いの犯行に憤りを感じているのだと――
 恐らくは〈銀〉の名を継承したリーシャにとって、今回の襲撃を企てた犯人は譲れない一線を越えたのだろう。

「あるとすれば、帝都に入ってからだろうな。オーレリアには何か考えがあるみたいだが……」

 第一機甲師団の演習地を借りて行なう予定となっているオーレリアとの立ち合い。
 リィンとしては余り気乗りしないが、ここまでお膳立てされては戦いを回避するのは難しいと覚悟を決めていた。
 それに団の看板を背負う以上、リィンも舐められる訳にはいかない理由があった。
 帝国や共和国がクロスベルに一定の配慮をしているのは、リィンの力を警戒しているからに他ならない。
 なのに戦わずして逃げたなんて風評が立てば、面倒な連中を引き寄せることは目に見えているからだ。
 以前、ヴィクターと手合わせした時とは状況が異なる。やると決めたからには全力で勝ちに行くつもりでリィンはいた。
 問題は、その結果がもたらす影響の方だ。

(……待てよ? どうせ、面倒なことになるのなら)

 ふと、何かに気付いた様子でリィンは逡巡する。
 オーレリアとの模擬戦を上手く利用すれば、幾つかの懸念は解決できるのではないかと思い至ったからだ。
 どうせ面倒なことになるのなら、そのなかで最大限の成果を上げるのがリィンのやり方だ。

「……リィンさん、また何か悪巧みをしてません?」
「悪巧みと言うか、上手くやればヴァルカンの負担を軽減できるかもしれないと思ってな」

 そう言って危険を臭わせくるリィンに、リーシャはそこはかとなく不安を覚えるのだった。



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