外伝2『太平洋戦争編』
第十七話


――地球連邦はウィッチ世界を、かつては自らの一部だったティターンズが引っ掻き回しててしまっている償いも兼ねて、多額の資金・
物的援助を行った。その資金を扶桑は太平洋戦争の遂行に使い、連邦からの技術ライセンス取得、東南海大地震からの復興費に回された。




――扶桑 南洋島

「ああ、鉄也さん?久しぶり。そっちはどうです?」

「最近は専ら、百鬼帝国と戦ってるよ。Gカイザーになったら、単騎で突撃も珍しい事じゃ無くなったからな」

「ジュンさんとは?」

「籍を入れたよ。だから、研究所に常駐させてるよ」

――剣鉄也はデザリウム戦役後に炎ジュンと結婚した事を、圭子に電話で報告した。家族を持った事で、以前の刺々しさがなくなりつつあるのか、『憑物が落ちたように』明るい振る舞いを見せる鉄也。乗機がカイザーと肩を並べる『グレートマジンカイザー』へ進化したこともあり、以前のように、甲児と比べられることが無くなったからでもあった。

「百鬼帝国の動きは?」

「デザリウムが降伏した後に行動を起こしたよ。それと奴らは、ドラゴン軍団の集合体というべき『巨大ドラゴン』を動かし、俺達を牽制している。あれが奴らの秘密兵器とは思えんが、注意している所だ。……おっ、すまん。奴らが百鬼ロボを動かしたようで、スクランブルする。切るぞ」

「分かりました。それじゃ、また」

電話を切ると、智子がやって来た。64戦隊に所属になった新兵などを教えていたらしく、汗だくだ。

「今の電話、鉄也さんから?」

「ええ。ジュンさんと結婚したけど、まだまだ落ち着けないってさ」

「あの人も大変ねえ。Gカイザーになったから、大丈夫かなって思ったけど」

「だなぁ。新人達はどう?」

「まぁまぁよ。一時よりは練度が持ち直してるわ。綾香達が向こうに行ってる間、充分に使えるわよ」

「上も焦ってるんだろう。ウィッチは人的資源としては比率が少なすぎる。レアメタルくらいの比率でね。親子で遺伝すると思えば、それまでウィッチが出なかった家に強力な素養を持つ者が現れるようにね」

「ウチも、今は死んじゃった本家の娘さんが素養無かったから、あたしがノーブルウィッチーズに派遣されましたから、流動的なんですよねえ」

「那佳。防空任務のほうはどう?」

「こっちは特に問題なしです、先輩。今日もB公の定時爆撃が新京にあったけど、ADENで落としてやりましたし」

――この時期、ウィッチの携行火器はリヴォルヴァーカノンに代替わりし始めていた。扶桑は、ブリタニアとの同盟の都合上、史実英国が独の『MG213』を独自に発達させたADENを次期主力航空火器に選定、配備を進めていた。大ぶりな風体と重量から、1930年代から飛んでいる『昔気質』のウィッチから、九九式二〇ミリ機銃や一式十二・七粍機関砲に比する重量増や取り回しのしにくさからの不評を買う事も多かったが、B29すら蜂の巣にする大火力は実戦部隊から大好評であり、特に本土防空部隊や、64戦隊などの最前線の精鋭に好まれたという。

「ADENの使い勝手はどう?」

「作動も早いんで、咄嗟の時に便利です。今日は若い奴らを引き連れて戦ったんですが、雲の中でB公と鉢合わせしちゃったんです。それで咄嗟にコックピットに一撃入れましたよ」

「なるほど。しかし運が良いわよ、那佳。敵はそろそろ主力爆撃機をB-36とB-47にし始めたって、諜報活動してもらってるXライダーから電報があったわ。29をカモにできるのはあとちょっとよ」

「もう36ですか?早いなあ。あれってどうでしたっけ?」

「聞いた話だと、搭載量は富嶽以上だけど、速度は600キロ程度と『鈍亀』だって。だけど、爆撃を許したら終わりよ。47は所謂、『ジェット戦略爆撃機のプロトタイプ』だから、能力的には微妙だけどね」

――史実では、B-36後継のコンペが行われ、合計、4機種がエントリーした末に、B-47が採用されている。ティターンズはその点の経緯を知っている故、B-47を最優先で造らせ、52実用化までの場つなぎにするのだろう。

「なるほど」

「先輩、13号型の改装空母の新情報を仕入れて来ました。完成を急ぐために、最初は烈風やスカイレーダーとかのレシプロ基準で作り、後でジェット機対応に改造する選択を一番艦で取るようです」

「レシプロがまだ多数あるからな、妥当な選択だな。二番艦以降は?」

「今日の会議で、二番艦以降の完成を1952年に先延ばしにするそうです。F-8の完全普及を待って、計画を進める方針に決まったそうです」

「堅実な選択になったな。冒険を艦政本部が嫌がったか、用兵側の要望だな」

圭子に報告しにやって来た樫田勇美。諜報部員紛いのこともやらされるようになったためか、スーツ姿だ。

「ご苦労。あなたは今日の夜に邀撃のローテーションが回ってくるはずだから、それまで寝てて」

「了解です」

勇美はナイトウィッチが本業である都合、夜に本領を発揮するため、生活習慣は本来、昼夜逆転である。が、最近はウィッチの全天候化により、昼間でも働いているのだが。

「勇美も寝るわねえ。まだ朝9時よ、圭子」

「あの子は本来、ナイトウィッチだから。さて、ゲッターGの訓練に行って来る。智子、留守番頼む」

「了解」

「さて、シートセッティングゴー!」

圭子はこの時期でも、ゲッターGを愛機の一つにしており、格納庫に確保していた。座っている椅子が移動し、そのままドラゴン号の操縦席となるため、格納庫への移動の必要がない。これがゲッターGで実用化されたりシートセッティングゴー機能だ。今回は圭子単独での訓練なため、ライガーとポセイドンは無人である。

「ゲッターG、発進!」

すぐにドラゴンとなり、操縦訓練に移る。今回は追加武装の一つ『ゲッターマシンガン』である。敷島博士が汎用品として製造したので、ゲッターGも使用可能である。腕の内部に収納状態でしまっておいたゲッターマシンガンが展開され、ゲッターGの右腕に収まる。そして、模擬標的の旧型航空機(自動操縦)をマシンガンで撃ち落としていく。(九九式艦戦と零戦二一型、九六式陸攻など)

「圭子の奴、すっかりゲッターに染まったわね、那佳」

「はい。あれじゃ、そのうち、『死なば諸共よぉ!』とか、『ゲッターの恐ろしさをな〜!』とか言い出しますよ」

「これもゲッター線の効果かしらね。『昔』はガチンコの白兵戦を避けてたんだけど」

智子は改変前の圭子の戦法を思い出す。スナイパーとしての任に徹し、接近戦向けの素質ではなかったため、最終決戦で筋を痛めて銃撃が不可能になるアクシデントが起こっているからだ。改変後はその反省と、ゲッター線に染まったせいか、斧や槍、鎌、ナイフなどの接近戦用武器を好んで使うようになった。また、ゲッター搭乗時はスピンカッターやゲッターレザーを活用する戦法を活用している。それと……。

「ライダーから、『未来世界で伝説的に言い伝えられてる一匹狼な超A級スナイパー』のこと聞いたかもね」

「ああ、デューク東郷」

「地球連邦は時空を超えて、彼に色々依頼しているって噂よ。シャア・アズナブルの複製計画を阻止させたとか、どうたら」

「彼みたいな狙撃手は、冷戦終結後は出ませんでしたからね。だから、地球連邦も彼に頼んだほうが確実としてるんでしょう」

「彼はオールレンジに才能を持っていたというからなあ。圭子先輩が憧れるのも分かるなぁ」

デューク東郷。その名は未来世界の冷戦期から21世紀にかけて、裏世界で暗躍した伝説の狙撃手『G』の表社会での通名である。彼がいつ生誕し、いつ世を去ったのかは、仮面ライダーらさえも正確には掴めていない。わかっているのは、彼らしき人物が少年兵として、戦争末期の大日本帝国陸軍への在籍記録があり、その後に裏世界へ身を投じた事くらいだ。その事から、少なくとも、1922年から1938年までの日本で生まれたと推測されているが、異説に、『彼の父親は2・26事件の首謀者の一人に数えられた青年将校で、事件後に暇乞いに訪れた実家の父親から自分が純粋な日本人ではないことを知らされ、日本を離れることを勧められた。その父親は自宅に放火して自殺。軍はその焼死体がその将校であるとして、事件をうやむやにした。彼はシベリアに渡り、そこでロマノフ王朝の元貴族の娘との間に、子供が生まれた。その子供がデューク東郷ではないか』というもの、『実はロマノフ王朝の血を直接継ぐ日露混血児である』などがあり、それらがまことしやかに囁かれており、実情は不明である。三羽烏もその伝説は聞き及んでおり、彼の事を調べていたりする。圭子が接近戦に傾倒しだした理由もそこにあるのかも知れなかった。






――この頃、南洋島全土を戦争の空気が覆い、郊外の街も戦略爆撃機の襲来を受けるようになった。そのため、南洋島から本土へ『疎開』する住民も続出していた。だが、ティターンズはそれを許すような集団ではなく、三菱MC-20旅客機をF8Fが襲撃、乗客全員を海の藻屑としたり、同時に、定期便の山西式四発飛行艇をP-51Hが襲い、命からがらに逃げおおせる事例が続発し、民間航空の要請で、軍が民間機の護衛を行う事にもなった。そのため、軍航空隊はてんやわんやであった。


「はい。飛行64戦隊……。あー、大扶桑航空さんですか?はい。ウチの部隊の人員を護衛に行かせるので、何人かをそちらへ向かわせます」

黒田が電話に出、智子が内線電話で人員を割く。民間航空の要請を受けた設立間もない空軍は実績作りのため、空軍は部隊の手空きの人員を民間機護衛につかせる事を始め、この時期には定期便に付き、6人前後のウィッチを護衛につかせる事が当たり前になっていた。空軍上層部の『点数稼ぎ』とも新聞からは揶揄されているが、史実で海上・空中護衛任務に失敗している事に危機感を持っていた源田実司令は、この任務を全軍規模で推進させ、1947年度中には、旅客機と定期便船の護衛が空軍の主要任務となっていた。

「ふう。民間のご機嫌取りも苦労しますね」

「民間の鶴の一声で軍の予算なんて、いくらでも増減させられるから、親父さんも苦労してるって話よ。民間には恩を売っとかないとね」

民間航空はこの時期、ジェット機化についていけなかった軍のパイロット達の再雇用の受け皿にもなっていた。智子が言及した『恩を売る』とは、軍部を去ったパイロットへ仕事を与えてやっていると増長しつつあった民間航空へ、『安全を確保してやっている』という、恩を売る事で増長を抑える狙いがあった。

「交戦規定も政治屋の気分次第で決められるから、ベトナムの時には苦労するかもよ。世代交代してるだろうし」

「あり得る〜対策を考えとかないと」

この時、64Fで練られた対策は、後のベトナム戦争で実を結び、実質的に64F、47F、50Fのみがベトナム戦争を通して、高比率のキルレシオを維持する要因となるのであった。

「やれやれだわ。前線を知らない政治屋が実権握った後の時代は大変よ?国民のご機嫌取りに軍部を使うから。なんか米軍が陥る苦境を味わいそうな予感がするのよ」

智子のこの予感は後に大的中し、ベトナム戦争では機銃を携行しなくなったウィッチの死亡率が高い水準で記録された。その当時の空軍司令がその責任を押し付けられて更迭され、当時は事務方に退いていた江藤敏子が第4代空軍総司令官に任じられ、空軍の立て直しに追われる事になるが、これは近未来に属する。




――南洋島の青空を飛ぶ『F-104J』と『ドラケン』戦闘機。それは本来ならあと7年近く経たなければ起き得ない光景。従来のレシプロ戦闘機と同時運用される様は、ジェットとレシプロが入れ替わる過渡期を示していた。減勢されつつある紫電改、疾風。その代替で配備され初めている烈風。それらが共同で敵に当たる姿は『空の饗宴』と言えた。その光景は記録映画に取られ、この年のニュース映画に度々、報じられていた。TVの普及し始めで、ニュース映画が衰退し始める1950年代後半までの10年間、国軍関連ニュースで、レシプロとジェットが、共に並んで駐機されている映像が度々流される事になる。







――この太平洋戦争の期間、扶桑皇国は陛下の要請で地球連邦の統制下にあり、事実上、『占領下の日本』に似た状態であった。陛下は何度も起こるクーデター事件で軍部・政府に不信感を抱き、地球連邦に間接統治を依頼した。地球連邦は要請に応え、戦争中限定で扶桑皇国を統制下に置いた。そのため、政府首脳は吉田茂元外相になり、軍部首脳も米内光政の流れを汲む改革派の井上成美となっている。その過程で、外征装備の拡充を阻止された陸軍は大いに不満を漏らした。大陸領土奪還など非現実的な選択であると、吉田茂が漏らしたからだ。実際、陸軍嫌いであった彼だが、大陸領土奪還に必要な兵力の膨大さを知り、その非現実的な統計に、『駄目駄目!』と策定しつつあった陸軍の作戦計画を却下させたのが実際の所。そのため、吉田茂総理は後に、陸軍のご機嫌取りを兼ねて、ウラジオストク周辺への侵攻は認める事になる。その事を吉田茂は「陸軍は金がかかる外征をやりたがる馬鹿」と井上成美大臣に漏らし、彼なりの苦労を忍ばせた。


――扶桑本土 国会議事堂

「井上さん。陸軍の馬鹿はどうにかならんのです?戦争中というのに、大陸領土奪還を声高に叫ぶなど」

「奴らは40年前の事変の幻想を追ってるだけです。戦線の要望通りに戦車や装甲車を与えておけばよいでしょうな。騎兵用にオートバイも添えて。後は補給などの整備です。これに注力させた方が良いでしょう」

井上は陸軍装備について、吉田茂にアドバイスした。井上は実力的に、今時大戦を経験しなければ『扶桑陸軍は近代陸軍となり得ない』と見ており、国防大臣として、史実ドイツ及び、アメリカを手本にしての近代化を目指していた。特に兵站関連研究が立ち遅れていた故、最優先事項で研究させた。その結果、兵站部門の地位が一気に重要視された。兵の大規模なリストラと新規募集が交錯し、その過程で輜重兵科は輸送科、需品科に分割・再編され、史実陸自同様の体制へ移行した他、『道路がない?なら新規に作れ!』とばかりのインフラ整備力を与えられ、『自動車を効率的に駆使するために人工的に道路を建設改修する!』という観念を徹底的に教育された。その結果、扶桑軍のインフラ整備力は10年かけて、兵站組織の水準をリベリオン軍並の高さへ飛躍させるのであった。また、機械化の名目で、陸軍歩兵師団の削減と戦車師団と機械化師団の増設が重視された。また、連邦軍の活動も同時に拡大され、扶桑領土を二個航空部隊(可変MS、VFなど)が哨戒するようになったという。また、吉田はこの時、陸軍参謀総長の今村均大将に『なんなら陸軍なぞ解体してリベリオン陸軍を雇うのも考えねばならんかもな?今村さん』と言い、今村も『うちはボロですから。陸自以降の向こうの軍隊をベースの組織にいっその事、改変しましょう』と言い、陸軍の上層部の大半と改革派の意識の違いが際立った。



――また、吉田は実際に、同年に任官される、陸軍士官学校第62期生の陸士卒業記念の訓示で、『君達は陸軍士官の任官中、度重なるクーデター事件があった件もあり、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、軍隊生活を終わるかもしれない。恐らく、非難とか、叱咤ばかりの一生かもしれない。それは御苦労だと思う。しかし、空軍や海軍と違い、陸軍が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、現在のように、外国や怪異から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や扶桑は幸せなのだ。どうか耐えてもらいたい』と訓示し、陸軍長老を憤慨させたが、それは的を射ていた。62期以後の陸軍士官らは新カリキュラムの効果もあり、それまでの陸軍士官らと考え方が明確に異なり、史実陸自〜国防陸軍の軍人に近い性質になっていったとの記録が残されている。それを示す実際の例に、太平洋戦争中に国会に要求された軍事予算の比率は空海軍が陸軍よりも大きく、軍内の序列が海=空>陸となった事がはっきりと示されていた。




――後日、訓示に怒った、とある陸軍長老の一人で、貴族院議員となっていた元・大将が国会で吉田首相を追求したが、それを想定していた彼は華麗に『お前らがクーデター止められなかったから言わざるを得なかったのだが、なにか?』と切り返し、吉田に図星を突かれ、同じく黒田家当主につき、貴族院議員となっている黒田が、『首相の仰る通りですよ。首相閣下は陰者たれ、と言いましたが、陸軍軍人としての誇りを持つなとは、ついぞ、一言も言っておりませんが?』と毅然と返し、若年ながら、名家当主として、国を担う責務を果たしていると拍手喝采となったとか。更に後日、内閣書記官長(官房長官への改変直前の出来事だった)の林譲治により、『内閣としては、陸軍に扶桑という舞台を陰から支える黒子であって欲しい、ただ、その仕事は無駄と思われるだろうが誇りを持ってあたって欲しい、という意見の一致を得ています』と、談話が出され、国民からの『軍をないがしろにした!』という不満は収まったという。



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