2話 力とのズレと認識と



 ざりっ、と音を立てながら、紅い荒野を一つの黒い影が歩いて行く。
 縦に長く、繋がった下部の二つの影が交互に動くそれは人影だった。手に槍の様にも見える長い杖を持ち、黒い髪を風に遊ばせ、上下ともに模様の一つも無い黒い衣服を身に纏った、全身是黒一色と言うしか表現出来ない、闇そのものを固めた様な外見の男。違う色彩と言えば、やや薄い肌の色と黒い髪の間に覗く、焔を結晶とした様な鮮やかな真紅の瞳だけだ。
 彼の名は昴、緋乃宮昴。
 つい先ほど崖下に降り、自身の興味と好奇心が災いして大量の竜と命を賭けた鬼ごっこをし、辛くも逃げのびることに成功した『真言使い』だ。
 彼は何を言う訳でもなく、しかし時折警戒するように周囲に目を巡らせながら、ただ黙々と荒野を真直ぐに進んでいた。進む度、立つ砂煙が風によって流れて行く。

「しかし、見事に何もありませんね……旅人にでもなった様な気分は割と新鮮ではありましたが、こうも何も無いと詰まらないと言いますか」

 先程の様に、竜に追いかけ回されるのはもう勘弁願いたいですが。
 そう言いながらも昴は只管にある方向――北へと歩を進める。太陽の位置から北がどちらかと予想をつけ、かれこれ3時間ほど止まることなく歩き続けていた。本当にこの方向で合っているのだろうか、いやそもそも、あのような現実に居ない筈の生物が存在する此処は果たして地球なのだろうかと若干の不安を抱きながら。

「いえ、どう考えても地球じゃないですよね。地形の方は私の行った事の無い、知らない土地だとすればまだ納得できますけど、あんな生物は噂にすら聞いたことありませんし。もしかしたら伝承や民話等で存在を仄めかしている物かもしれませんが、少なくとも私は知らないし、そんな民話も聞いた事が無い」

 生前に世界中を巡り、調べた、或いは聞いて来た竜が出てくる幾つもの神話や伝承、民話を記憶の淵から引き出し、先程の竜と照らし合わせる。が、部分的にならばともかくとしても、あの竜の特徴と完全に合致する物は一つも無かった。そもそも、一つの頭に目が六つ以上ある竜の話し等聞いた事が無い。
 一応該当しそうな存在はギリシア神話の毒沼のヒュドラや、ヘスペリデスの黄金の林檎の守護者である百の頭を持つ眠らぬ竜ラドン、日本神話の八岐大蛇、カナン伝説の七つの頭のリタン等幾つかあるが、それらは全て多頭竜と呼ばれる複数の頭に二つ一対の目を持っている竜達だ。先の竜の様に、一つの頭部に六つ以上の目と言う存在には該当しない。
 しかし、地球でなければ此処は一体何処なのか。あの神達は自分を一体何処に送り飛ばしたのか。唸りながらも止まらず歩き、あの頭痛がする様な空間での会話を思い出す。
 あの時、彼の存在は何と言っていた?

 ――あなたには、世界のバランスを保つ為に別の世界に渡って貰う。
 ――その世界には、隣接している世界がある。
 ――魔法のあるあの世界で、精々死なない様に頑張るのですね。

「…………魔法?」

 魔法。そう魔法だ。問答無用に飛ばされたが、確かこちらに飛ばされる前の最後の会話で混沌と名乗った女性がそう言っていた。ついでに混沌と秩序、どちらが言ったのかは忘れてしまったが隣接する世界があるとも。
 ……まさか。嫌な予感が加速する。

 魔法。その言葉を聞いて普通の人がまず頭に思い浮かべるのは、木で出来た長い杖を持ち、黒いローブを纏ったいかにもと言う風貌の老人が呪文を紡いで炎や風を起こしたり、傷を僅かな時間で癒したり、魔法陣と呼ばれる複雑怪奇な紋様を敷いて悪魔等を召喚したりするものか、皺苦茶の老婆が奇怪な笑い声を上げながら煮えたぎる極彩色の鍋をかき回している図だろう。それを使う者は魔女、或いは魔法使い等と呼ばれ、しかし自分が元々いた世界では使える者の居ない、空想の技術だった。
 欧州に住んでいる友人に「魔女」を継承した女性が居たが、彼女が使うのはゲームや漫画などに出てくるような超常のそれではなく、薬草の効果を知り尽くし、組み合わせでその効力を高め、軟膏などの形で患者に処方する医師の様なそれだった。
 そもそも「魔女」とは本来、村に居る医者か占い師、或いは賢者と総称される知恵者達の事だった。それが時代の王や宗教等により悪魔との関わりや様々な害悪を押し付けられ、在り方を捻じ曲げられ他者に害悪を与える存在とされたのが今によく伝わる、邪悪な存在としての「魔女」だ。
 本来の魔女とは星を読んで季節を語り、野に存在する草花の効果を知り、それを調合して効果のある軟膏を作ったり、占いで可能性のある未来を提示したりする存在。人々に害を為す事の無い彼等彼女等は「白魔女」と呼ばれていたが、超常の力など無い、ただ知識や知恵が一般人よりも深く、多くある人間だった。当然、魔力を用いて何かを為す事など出来ない存在だった。

 しかし、調和は何と言っていた? 確かあの女神は、自分を送る世界は漫画の世界だと言っていなかったか?
 自分がした事のあるゲームや、読んだ事のある漫画は殆ど無いと言っても良いが、それでもゲームやマンガの世界なら現実に有り得ないモノがあったとしても可笑しくない。
 例えば魔法。
 例えば摩訶不思議な道具類。
 例えば異界。
 そして例えば――精霊や魔獣。
 何故かは知らないが、架空伝奇物やファンタジーが舞台の漫画・ゲームでは魔獣とかそう言う存在が定番である。先程のあの竜も、その魔獣の一種と考えれば酷く納得がいく。
 おそらく、いや十中八九、自分が現在いるこの世界は地球ではなく、二神が言った「隣接する世界」なのだろう。つまり「異界」だ。
 神話や伝説に出てくる、人の世界から半歩以上外れた世界。そこでは妖精や精霊族の他、様々な人間以外の生命が息づいていると聞く。当然、亜人や竜なども、だ。

「……どうやら、思った以上に危険な世界の様ですね。此処は」

 額から汗が流れる感覚がする。何故かそれは、冷や汗だとすぐに分かった。
 自分が元居た世界の現実では有り得ない攻撃魔法や回復魔法、危険極まりない魔法具等、この世界が元はマンガなのだとしたら有り得ない事も無い。しかも混沌は「精々死なない様に気をつけろ」と言っていた。それはつまり、この世界に争いがあると言う事。それが魔法を使った物なのか、近代兵器を用いた物なのか、はたまたその両方を組み合わせた物なのかは分からないが、争いがあると言う事は確かだろう。たとえ争いでないとしても、それに近い何かがあるのは確実だ。

 この世界は既に自分にとっては空想・架空ではなく現実だ。傷を受ける事もあるだろうし、病気になる事もあるだろう。争いがあるなら、もしかしたらそれに巻き込まれて死んでしまう可能性もある。
 自分は未だ二十代前半。暇さえあれば新しいレシピを研究したり、歴史調査や遺跡巡り等をしていた為に女っ気も無く、他の人よりも枯れた青春を送っていたかもしれないが、まだ若い身空である。既に一度死んでしまった身とはいえ、そう何度も何度も死ぬのは御免だ。
 幸い、今の自分には貰い物とは言え『真言』と言う極めて強力な力がある。武術なども修めてはいるが、魔法と言う超常の力があると言うのならそれだけで渡り歩くのは難しいだろう。
 しかし身に宿したこの力も、完全に制御出来ているかと聞かれれば否と返さざるを得ない。先程の使用で上手く行ったのは、おそらく火事場の馬鹿力的な何かだろう。大体、ほんの一、二度の使用で完全に制御できるようになる訳が無いのだ。

 気付けば、いつの間にか足は止まっていた。
 今のままで人里に行っても良いかもしれないが、制御出来ていない真言が何かの拍子に暴走する可能性もある。
 言葉を発動の引き金にする為、何も喋らなければそんな事は無いかもしれないが、別に声を失っている訳でもないのにずっと何も喋らずにいる事は出来ない。

 ――今のままでは、危険だ。
 そう思い、昴は人里に向かう事をやめ、まずこの力を完全に制御できるようにする事を決めた。今のままでは、何気ない一言で人を殺してしまう可能性があるからである。
 幸いと言って良いのかどうなのか、周囲は草一本すら見えない荒れ果てた荒野のみ。生命の波動は、先程命をかけた追いかけっこをした竜の物が離れた場所に有るだけだ。
 此処なら、真言の制御の為に練習しても、誰にも迷惑をかける事は無いだろう……多分、おそらく、きっと。
 下手をすれば周囲の地形がかなり変わってしまう可能性もあるが、無暗矢鱈に命を奪うよりはずっとましであると思いたい。
 全てを現実とするこの力は、最強の呪文というのも頷ける。いや、これは最強を通り越して、最凶にすらなりかねない。

「とにかく、まずは完全にこの力をモノにしませんと。今のままでは、想像以上の規模で発動しかねません」

 おそらく、いや確実に能力と自分の意識の間には何らかのズレがあるだろう。それを矯正しなければ、まともな発動は難しいと思う。
 貰い物とはいえ、自分の物になった力で迷惑をかける訳にはいかない。食料も無く、完全に制御できるようになるまでどれだけの時間がかかるか分からないが、空腹に関しては『しばらく食事をとる必要はない』と真言を使えばどうにかなるとは思う。下手をすれば、一生空腹を感じる事は無くなるかも知れないが、その時は再度真言で戻してやればいいだろう。
 幸いにしてもう一人の真言使い、『火鱗のワーム』フレイモルドを討ち倒した『真言の騎士』ラスダムナックの様に真言を使い続けても妖精の呪いで死ぬ事は無い様に感じる。
 止まっている足はそのままに、昴は二度ほど深呼吸して精神を落ち着かせる。まずは練習として、火でも起こすとしよう
 眼前の空間をキッと睨み、言葉を紡ぐ。

『火が出ます』

 イメージするのは、焚き火程度のそう大きくない火だ。川で魚を釣り上げた時等によく起こしていた、温かな炎。
 しかし直後、爆音と同時に直径約20m、高さ約30mの巨大な火柱が何の予兆も無く発生。巻き込まれた昴の絶叫が荒野に響き渡った。

 ■

「ず……、ズレがあるだろうとは思っていましたが、よもや、ここまで……」

 体の所々から煙を立てて、微妙に焦げた感じで荒野に倒れている昴が息も絶え絶えにそう呟く。彼の周囲には大小無数の水溜りがあり、彼自身もまるでバケツの水を頭から被ったようにぐっしょりと濡れていた。火柱に巻き込まれて火達磨になりそうになった瞬間、咄嗟に水を発生させたらその水が間欠泉の様に足元から吹き上げてきたためだ。もちろん結構な衝撃付きで。
 おかげで地面から吹き飛ばされ、落下の際に衝撃を和らげようと発生させた風に吹き飛ばされて再びダメージを負ってしまった。焦げているため分かり辛いが、結構な傷がある。

「ひ、一先ず体を癒しませんと……『我が身は癒え、傷も痛みも苦しみも、全ては夢幻と消える』」

 ボロボロの状態で癒しの真言を紡ぐ。すると彼の体にあった傷や焦げた場所は次第に無くなっていき、元のきれいな肌に戻っていった。
 が――

「ん……? 何やら体が熱を持ったような……って、熱い! そして痒い!」

 確かに痛みも苦しみもなくなったが、傷は癒えるときに熱を持つものである。それが同時に痒みを引き起こし、倒れている昴に襲い掛かった。イメージとしては、数十匹の蚊に纏わりつかれて血を吸われているというところか。あまりの痒さに昴は痒いと感じている部分を掻こうとするが、疲労までは回復していないので動くことさえままならない。
 成功したかに思えた癒しの真言。だがやはりと言うべきか、それにもズレはあったようで、癒えたはずなのに熱と痒みで悶え苦しむという奇妙な結果となった。
 そして約10分後、苦しみから解放された彼は立ち上がり「諦めない。絶対に、完全に制御してみせる」と誰に言うでもなく口に出し、イメージを纏めて真言を紡いだ。

『風が吹きます』

 直後、轟音と同時に暴風が吹き荒れ、再度昴の絶叫が響き渡った。

 この時より暫くの間、荒野の一部に突然巨大な火柱が立ったり、氷河が出現したり、森が生まれたり、果ては流星群が降り注いだりと原因不明の異常現象が頻繁に発生することになる。
 遠くからだが偶然それを目の当たりにした旅人に報告された研究者たちが何事かと思い、調べに来ることになる。しかし、それらの現象がどういう理由で発生するのか一切突き止められず、結局原因不明のままで終わってしまう事になるのだが、それを知る者は現在、誰も居ない。
 無論、原因である昴も知ることはない。



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