4話 友と向かうは最古の国か



 昴が黒飛竜にノワールと名を付け、「共に在る」と言う契約を交わしてからさらに一年と十ヶ月の時が流れた。昼夜問わず真言の制御訓練に明け暮れていたおかげか、広範囲の地形や環境を変えながらも昴はほぼ全てを完全に制御できる様になっていた。

『地に満つる水は流れ、渦を巻く。柱の如く、梯子の如く、逆巻き、天へと昇るだろう』

 オアシスの水面に立ち、昴は真言を紡ぐ。その言に応え、ザ……と音を立てながら波打ち、水は彼の周囲に三重螺旋を作りながら空へと昇って行く。その様子を、近場の岩山からノワールがじっと見ている。その目には、螺旋を描きながら天に昇り、次第に広がって行く水の渦が映っている。

『天にて水は水珠(みたま)となりて、八尺瓊(やさかに)に連なり、揺れ、揺らめく玉響(たまゆら)となす。其の音は静寂の調べなるかな、鈴が如く鳴り渡る』

 静かに、目を閉じ言葉を連ねる。それに合わせ、水は上空で水球となり、無数に増え紅く染まり、振動し鈴の様な澄んだ音を奏で始めた。リリン……、リリン……とオアシスに涼やかな音が鳴り渡る。
 昴を中心として、緋色の水球が無数に宙に舞う。それは水ではなく、宝石の様にも見えた。

 目を開ける。同時に、刺さる様に鋭い陽の光に目を細めながら、ゆっくりと瞼を上げる。
 彼の周囲には三つの水の螺旋の他に、未だ音を奏で続ける無数の紅い珠が浮かんでいた。その数、視界に収めるものだけでおよそ50。それらはどんどんと増えており、日光を反射し、キラキラと輝いている。
 自分で引き起こした、何処か幻想的な光景に一つ溜息を吐く。それは感嘆の溜息ではなく、成功したことへの安堵のそれだ。

「これで23度目の成功ですか……もう完全に制御出来ていると見ても大丈夫でしょうかね」

 自分の周囲を衛星の様にゆっくりと廻りながら浮かんでいる水球を見て、そう呟く。
 この世界に現れ、失敗続きで幾度も傷を負っていた時から早七ヶ月。既に真言はほぼ完全に制御出来ているとはいえ、やはり不安は在ったのだろう。
 だが、その不安ももう消えた。昴の顔に笑みが浮かぶ。
 それを確認したか、岩山からノワールが飛んできた。彼はグライダーの様に滑空して、しかし昴に突進せずに一つ羽ばたき、オアシスの岸辺に降り立った。羽ばたいた風圧で水面に波紋が立つ。
 その波紋を見て昴はノワールの方を向く。彼は翼を折り畳み、唸り声を上げている。その様子は威嚇ではなく、何かを問うている様にも見えた。

「ええ、長かったですが、ようやく完全に制御できるようになりました。これで制御訓練はお終いです。もう暴発したり、想像以上の規模で発動する事は無いでしょう」

 唸るノワールに対し、水の上に立ち、周囲に紅い水球を無数に浮かばせたまま、確信を持った声で昴はそう言う。水球の音はまだ鳴り続けていたが、それで声が消されると言う事は無かった。
 しかしノワールは疑わしそうな目で水球を見てさらに唸った。その様子は、本当に制御出来ているのか? と問うている様に感じる。

「む、信じていませんね? ならば証拠を見せましょう。『水珠は集い、連なり槍と成す』」

 そんな彼に微笑ましそうな目と苦笑を向け、昴は真言を紡いだ。それは最初から制御出来ていたと言っても良い槍を創り出す真言だったが、今回紡いだそれは少し違った。
 彼がその言を放つと同時に水の螺旋が消え、周囲に浮いていた水球が一箇所に集まりその形や質感を変え始めた。陽の光を反射して煌いていた鮮やかな緋色は冷たい黒銀色に、柔らかそうな質感は金属の様に硬質に、形状は球形から細長い棒の様に。
 元が水とは思えない、長さ2mはあろうかと言う装飾のない細身の槍が昴の前に浮いていた。それを利き手である左手に取り、感触を確かめるように二、三度振る。堅い感触が返って来た。

「はい、槍の完成です。どうですか?」

 何処か得意げにそう言って、昴は水から変化した槍を水面に立てた。それは沈まず、まるで地面に刺さるかのように水面に突き立った。
 しかしそれを見てもノワールは納得した様子を見せず、寧ろさらに胡乱気な目を向けていた。その目はこう問いかけていた。「いつもやっている槍の創造と一体何が違うのか」と。

「む、確かに槍の創造はいつもやっていますけど、これは創造ではなく変換です! 似ていますけど創造とは違うのです!」

 水から金属を生成するのは創造ではなく変換だ、と言って昴はノワールに注意する。しかしノワールはそんな事はどうでもよさそうに、溜息を吐くように鼻息を吐く。彼にとっては創造だろうが変換だろうがどちらでもいいのだろう、その様子は若干だが、呆れているようにも感じた。
 至極どうでもよさそうな様子を見せるノワールに若干だが不満そうな顔を昴は向ける。ノワールにはどうでもよくても彼にとっては重要な事らしい。しかし言っても無駄なのだろうと思ったか、彼は突き立てた槍を引き抜き、水面を地面の様に歩いてノワールが待つ岸に向かう。その足取りは危なげなく、慣れていることが窺える。

「さて、真言も完全に制御できるようになりましたし、ここで為すべきはもうなくなりました。どこか違う場所に行きましょう。ノワール、貴方の背に乗せてくれますか?」

 沈むことなく水面を渡り切り、岸に辿り着いた昴はノワールの鼻先を撫でつつそう聞く。それにノワールは「仕方ない奴だ」とでも言うように短く唸り一つ息を吐き、彼が乗りやすいように体を低くした。
 それに昴は短く礼を言い、左翼の付け根部分に手をかけ、槍が刺さらないよう注意しながらノワールの背に乗った。それを確認し、ノワールは体を起こし唸る。

「何処に行くのか、ですか? そうですね、何処、と言われてもこの世界の地理のことを私は欠片も知らないと言っても過言ではありませんから……。ふむ、取り敢えず、北に向かって飛んでください」

 意外と手触りの良い滑らかな黒い甲殻を撫でながら、昴はノワールの唸りにそう返す。今更だがこの男、竜の言葉が分かっているようだ。
 その言葉を聞き、ノワールは翼を広げて二、三度強く羽ばたき、空へと飛び上がった。

『波の如く風は流れる。時に強く荒々しく、時に柔らかく緩やかに』

 ノワールが飛び上るとほぼ同時に、昴は真言を発動する。紡いだそれはただ風を起こすだけの物で、別段攻性能力は持ち合わせない物だ。その風に乗り、ノワールはオアシスの周囲を旋回するように上昇していき、ある程度の高さまで昇ると進路を北と思われる方向に向け、飛び出した。それなりの速度で飛んでいるのだろう、景色が結構なスピードで後方に流れて行く。

「少々肌寒いですが、風が気持ちいいですね」

 竜の背に乗り風を感じ、その風に髪と服を靡かせながらそう言う昴。しかし言葉の割に、其処まで寒くはなさそうだ。

「ところでノワール、少々聞きたい事があるのですが、良いでしょうか?」

 風圧にやや目を細めながらそう問う昴。その言葉にノワールは一度唸り、眼だけを彼に向ける。

「この世界に遺跡とか遺構とか、そう言う物は結構あるのでしょうか? もしあるのでしたら是非とも行ってみたいのですが」

 何処か弾んだ声で昴はノワールに聞く。その様子は興味対象を目の前にした子供の様にも見える。
 しかしノワールはそんな昴に呆れた様な、疲れた様な視線と唸りを向けた。その目はこう言っていた。「そんな事、私が知るか」と。

「むう、知りませんか。残念です……ああ、でしたら町や村が何処に有るか知っていたら其処に向かってください。この世界の情報や地図などを仕入れたいので。出来るだけ大きな街がいいですね」

 そう言い、注文を付け加える昴にノワールはやれやれと言った感じで小さく首を振る。しかし若干進行方向を変えてくれた辺り、要望には応えてくれたらしい。なんだかんだで人の良い竜である。

 優雅に、しかし結構な速度で空を飛び、昴を乗せたノワールは北を目指す。飛び始めてからどれほど時間が経っているのか、既に空は暗く染まり始めている。遠くに太陽が沈み、夜の訪れを告げようとしていた。沈む陽光で、地平線は鮮やかな蒼に染まっている。

「蒼い夕焼け、ですか……。まさか、地球ですら無かったとは思いませんでしたね」

 蒼い、海を思わせる夕焼けを見ながら、昴は静かにそう零す。
 彼が今まで見て来た夕焼けは、燃え盛る炎の様な橙色或いは紅、茜色等、その全てが赤系統の色合いだった。それは地球の大気によって、赤系以外の色が吸収され見えにくくなるからだ。
 しかし今見ている夕焼けの色は、蒼。今まで見て来た、どんな夕焼けにも見られない鮮やかな蒼だ。稀に、一瞬だけ翠に光る夕陽を見た事があったが、この夕陽の様に何処までも鮮やかな蒼ではない。
 様々な事を調べ、蒼い夕焼けがあるのは自分の知識では唯一つのみ。

「まさか、火星とは……予想外と言いますか、何と言いますか。異界は異界でも、よもや別の星の異界とは思いもしませんでしたね。……しかしここまで鮮やかとは」

 実に美しい。と、そう呟く。
 知識では知っていたが、初めて実物を目にした昴はその光景に見惚れる。ネットに乗っていた写真を見たことで蒼い夕焼けの事は知っていたが、ここまで鮮やかで美しいものとは思わなかったのだろう。
 その様子に、ノワールが怪訝な物を見る目を向けた。

「ああ、そう言えば貴方はこちらの生まれでしたか。私は此処とは別の場所で生まれましたから、この様な蒼い夕焼けは初めてなのです」

 この世界出身で蒼い夕陽を見慣れているだろうノワールと違い、自分は紅い夕陽の世界出身なので初めて見るのだと説明する。それを聞いて、ノワールは若干だが驚いている様だった。蒼い夕陽が普通の彼からすれば、紅い夕陽など信じられないのだろう。
 その様な会話をしているうちに、夕陽は完全に沈み、空は夜の闇に染まった。空気の汚れが少ないのか、小さな二つの月……ここが火星なら、おそらく衛星のフォボスとダイモスだろう……が満天の星と共に宝石の様に煌びやかに輝いている。
 しかし、こんな時間では店などは開いていないだろう。酒場などは開いているかもしれないが、其処に自分の望む情報等があるとは思えない。

「ところでノワール。目指しているのは何と言う名前の場所なのですか?」

 星と月の照らす闇夜を飛びながら、昴はノワールにそう問いかける。それに対し、ノワールは前を向いたまま短く唸り返答する。

「オスティア、ですか? はて、欧州の遺跡で同じ様な名前の物があった気がしますが……どのような街なのですか?」

 遺跡巡りなどで世界中を回っていた事もある昴は色々な街や村に行った事もある。
 名前しか知らない場所、名前すら知らない場所。様々な場所で様々な物を見つけ、新たな友人を作っていた彼にとって、訪れた事の無い場所とは遺跡で無くても十分興味の対象となる。

「……え? 人間が話していたのを聞いただけでどんな街かは知らない? そうですか……」

 しかし聞いた相手は竜、それも人々に恐れられ「闇飛竜」等と呼ばれ、討伐対象とされていた竜族だ。人間の言葉を話す事こそ出来ないものの、理解する高い知能を持つ彼が自ら好んで敵地に乗り込む事はしないだろう。
 情報を得られず、昴は残念そうにそう呟いて進行方向を向いた。

「おや?」

 そんな声を漏らし、昴は目を細めて遠くを見る。宵闇でとても見にくいが、月や星の光があるので完全に見えないと言う訳ではない。
 ……何かが一瞬、しかし何度も光った。

「はて、一体何の光でしょうか?」

 首を傾げ、疑問に思う。おそらくあの光の場所に人間が居るのだろうが、一体何の光なのか。見た感じ電気の光には見えず、何の規則性も感じられないのでモールス信号でもなさそうだ。

「ふむ、興味が湧きますね。ノワール、先程一瞬ですが光った方向に向かって……おや、もう向かっているのですか。それは失礼を」

 先の光に興味を引かれたらしい昴がそう言い、ノワールは彼を乗せて光の方向へと向かった。



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