軽音部のキセキ
Y.アンコール


 数日後の桜高校、音楽室に一同が集まっていた。
さわ子が校長に頼んだということで、安心した一同の前にお茶とお菓子が置かれた。
メイド姿の菫が笑みを浮かべて、注文をうかがいながら、小忙しく動き回っている。

「で、病院へは行ったんでしょ?」
 梓は憂に問いかけた。
「うん。お医者さまは心の病だって。解離性障害とかって難しいこと言ってたよ。
お姉ちゃんが死んだショックで、心がその現実を受け入れるのを拒否したんだって。
だから心と現実のバランスが崩れて、あたしの心の一部がお姉ちゃんになりきったんだって」
 憂は淡々と話した。
「ふーん、多重人格とかっていうのかあ。で、あたし達が見た幽霊ってのは言ったの?」
「言ったけど、幻覚と幻聴だって。解離性障害にはそういうのがありますってさ」
「なんだよ。それならあたし達もその病気ってことか? うーん、ムギのお菓子、やっぱうめえなあ」
 律がお菓子を口に入れながら、反論した。
「あたしの病気の影響で、集団幻覚を見たんじゃないかって。一種のトランス状態になった可能性があるとか言ってたよ。
音楽のせいかもしれないって。結局、録画の中には何も映ってないし、お姉ちゃんの声も入ってなかったから、証拠はないよね」
「うー、わけわかんねえ」
「あたしもよくわかんないんだけどね。
でも残念なのは、あたし自身はよく覚えてないことなの。お姉ちゃんともっといっぱいお話したかったなあ」
 憂は涙目になる。
「みんなはお姉ちゃんとお話できたのに、どうしてあたしは何にも覚えてないんだろう」
 梓は立ち上がると、憂の頭を抱えた。
「憂、いい子いい子」
 憂は梓を見あげた。
「へへ、一度やってみたかったんだ。唯先輩にはやられてばかりだったから」
「もう、こんなときにしないでよ」
 でも憂の顔には笑顔。
「きっとね、憂に姿を見せるのはまだ早いと思ったんじゃないかな。強いショックを受けると思ったんだよ。
だって、憂はお姉ちゃん娘だったから」
 憂は頷いた。
「あたしがもっとしっかりしたら、お姉ちゃん、来てくれるかなあ」
「うん。きっと来てくれると思うよ。だって、唯先輩だもん」
 二人はにっこりと笑った。
「で、憂はあの演奏、見たの?」
「見たよー。やっぱり、お姉ちゃんの演奏、すごいよねー」
「って、憂じゃん。あれ」
「さわちゃんが録画してただなんて、全然知らなかったよ」
「よかったわよー。あんたたち。もー、ばっちり収録させてもらったから」
「勘弁してくれよ。しかもそれを世界中に配信したってか?」

 公演が終わると、どこからともなく拍手が沸いた。呆然と見つめるメンバーの前で客席が明るくなる。
そこにはいっぱいの観衆がいた。鳴り止まない拍手に、一同は大きくお辞儀をする。最前列にはさわ子や菫、和もいるのが梓には見えた。
(こんなに、みんないたんだ)
 汗を拭き、笑顔を浮かべて、何度もお辞儀を繰り返す。滴る汗、濡れた髪。揺れる乳房――。
(乳房?)
 ようやく梓は周りを見る余裕ができた。そして、メンバー全員が裸体でいることに気が付いた。
「ひ、ひええええーーーー!」
「きゃあーーーーー」
「うわー。あたしら、裸だーーーっ!」
「もう、どうしましょう」
「生きていけない、もう、生きていけない」
 五色の悲鳴が交錯した。

「律ちゃんが無理やり講堂の鍵を貸せなんて言ってくるから、いったい何をするつもりかしらって。
録画の用意しておいて、正解だったわあ。こんなすごい演奏、撮れるなんて思ってなかったわよ。
もー、ばっちり。あたし、ぐっじょぶ。しかも、すごいアクセス数よ。一躍有名ね。あんた達。
”くれいじいじゃぱにいずけいおん”、”せくすぃけいおん”とかいろいろタグついてるわよ」
「聞こえない、聞こえない……」
「もう、それが教師のやることかよ」
 澪と律のぼやきは無視された。

「で、ムギはどうなったんだ?」
「もう、あれからは唯ちゃんの幻も声も聞くことはなくなってしまいました。
うれしいけど、今思うとちょっと寂しいです」
 紬はしんみりと話した。
「和はムギの親父さん、止めてくれたんだろ?」
 カップを手にした和が頷いた。
「ええ。桜高校に侵入する直前だったけど、なんとか押さえ込んだわ。
で、公演が終わってからでもいいでしょって妥協して、一緒に聞くことにしたの」
「それで、最前列に座ってたわけかあ」
「で、ムギは親父さんからは怒られたってか?」
 紬は律に微笑んだ。
「実は、勘当されちゃいました」
「ふうん」
 聞き流した律がようやく意味するところに気がついた。
「っておい! それ、大変なことじゃないか!」
「もうちょっと大変らしく言えよ!」
「ご、ごめんなさい。父があの公演を見て、あんなふしだらなことをするのは娘ではないって言って、縁を切られてしまいました。
もう、家にはいられないから、独立してやっていかないと」
「うわー、どうすんだよ。仕事、あるのか?」
「系列のCDショップを一つ、下さるって。それに――」
「それに?」
「当面の生活費用だとか、仕事に使うお金とかで5億円ほどくださるって」
「ご、ごおく?」
「くれ、その1%でいいから、くれ!」
「無茶いうな!」
 律の頭に澪の拳が入った。

「菫ちゃんは? 琴吹家に残るのか?」
「いいえ。監視不行き届きであたしもやっぱりクビです。
だんな様の前では虚勢を張りましたけど、独りぼっちになると思ったら、寂しくて泣けてきて。
お姉さまにそう言ったら、一緒に生活しましょうって言って頂けたので。これからは二人でやっていきます」
「えー、何かそれ、誰かがたくらんだみたいだよー」
「うふ。そうかもー」
 紬は微笑んだ。
「律先輩は? 運送会社、続けるんですか?」
「あー、クビになった」
 まるで他人事のような発言に、一同は驚いた。澪を除いて。
「会社の車、私用に使ったって。まあ、その前から菫のチクリで会社からは目、つけられてたみたいだし。
あの仕事、おもしろかったのになあ。まあ、仕方ないけど」
「で、どうするんですか? これから」
「さわちゃん先生に、なんとか教職につけるように頼み込んだ」
「まったく、律ちゃんは無茶言うから。簡単にできるわけないじゃない」
「なんか、コネとか裏口とかあるんだろ? さわちゃんがなれたぐらいだから」
「でたらめ言わないでよ。ちゃんと採用試験に受かったんだから。わかったから、ちゃんと指導してあげるから。
この一年、しっかりと頑張りなさいよ」
「ふえーい」
 気のなさそうな返事にみんなは笑った。
「澪先輩は? 律先輩が止めたのなら、澪先輩一人で仕事するの?」
「それは無理。だから仕事はやめる」
 全員が澪の顔を見た。
「それで相談なんだが、梓。一緒に音楽、やらないか?」
「え?」
 梓は澪の突然の提案に驚いた。その顔に澪は笑った。
「別に梓だけ特別にってわけじゃない。それは後で言うつもりなんだが」
「動画サイトだと、澪ちゃん、人気一番だもんね。”miomioは俺の嫁”とかっていっぱいあがってるんだって。
なんだか、以前よりすらっとしてよくなったとか」
「む、昔の話はいいっ!」
 真っ赤になって、さわ子の話を澪がさえぎった。
「あたしはプロを目指したのは、今から思うとどうだったのかなって思ってる。
だって、『放課後ティータイム』はアマチュアバンドだもん。勘違いしてプロを目指して、精いっぱい背伸びしたのが、失敗だったんだ。
今はもう、動画投稿とかダウンロードとか、音楽を売ることだって、一本道じゃない。
なら、あくまでアマチュアにこだわった路線でいってもいいのかなって思ってるだけど」
 梓の話に、澪は頷いた。
「梓と作りたいのは、『放課後ティータイム』なんだ。まだまだ、これからも迷ったり悩んだりすることがいっぱいあると思う。
それはあたしだけじゃなくて、みんなそうなんだ。
 そのときに、音楽したりお茶したりできる場所があれば、きっといいと思う。
悩み事相談したり、グチ言ったりするだけでも。そんな場所を作りたいんだ。まずは梓と。そしてやりたいという人、みんなと」
「憂だって、ギターが怖くなくなったら、くればいいよ。一緒にやろう」
 梓の誘いに憂もにっこり微笑んだ。
「純も居場所があればいいかもね」

「そういえば、シブタクさんはどうしたの?」
「就職、探しに行ってる。責任が発生したって」
「やっぱり真面目で頼りになって。梓ちゃんがうらやましいなあ」
「憂。あたしたちの出会い、話したよね?」
 梓は小声で言った。
「うん。危うく二人の作り話に騙されるところだった。素敵な二人がそんな出会い、するはずないもん」
 無邪気な笑顔の憂に、梓は頭を抱えた。 

「あたしからはね」
 気を取り直した梓はいたずらっぽい笑い顔でみんなに話しかけた。
「父親のシブタクはヘタなミュージシャン崩れ。あたしは挫折したギタリスト。
でも、その血を受け継いだのなら、きっとこの子もミュージシャンを目指すと思うんだ。
もし、生まれた子が女の子だったら、名前、もう決めているんだ」
 全員の顔に笑いが浮かんだ。
「わかった」
「わかっちゃったわ」
「全員で言おうか。せーの」
「『唯』!!」
「ああ、出遅れた」
 ひとしきりの笑い声。
「梓ちゃん、ありがとう。きっとお姉ちゃん、喜んでる」
「でも、妹は作らないから。姉に尽くすだけが趣味だなんて、気持ち悪い」
「梓ちゃん、ひっどーい!」
 言葉とは裏腹の笑顔。
「あたしも言いたい。澪先輩に負けないぐらい、あたしもけいおんが好きだって。『放課後ティータイム』が大好きだって」

「ちょっと待ったー! あたしにも言いたいことがある」
 突然、律が叫んだ。
「憂ちゃんは解離性障害、梓は依存症だ。ムギだって神経症で百合だし。澪は引きこもり。正常なのはあたしだけ。それはいい。許せる。
なんていったって、才色兼備、美人で優しく、優雅でさっぱり気質の律ちゃんだ。
 だけど、どういうことなんだ? 離婚したかもしんないけど、憂ちゃんとムギは結婚を経験した。
ムギは子供まで作った。菫はムギのお相手だし。梓だって、できちゃってるじゃないか。
唯は――この秘密は地獄まで持っていく約束だった。澪ですら、不倫できたんだぞ」
「澪ですら、ってなんだ。すらって?」
「いやー、言われっぱなしでくやしかったから、ここで言い返そうかと。
 とにかく! なんで、あたしには何の男っ気もないんだ。おかしーし」
「ふふふ、田井中さん。よく気が付いたわね」
「げ、さわちゃん先生かよ」
「あなたも、鉄の処女路線まっしぐらね。私とお・な・じ」
「い、いやだー! そりゃ確かに澪と男作るのはフォーティーとかって言っちゃったけど、鉄の処女路線は絶対にいやだー!」
「あら、そんなに嫌わなくてもいいじゃない。悟りの境地が開けるわよ」
「こ、こうなったら、聡が相手でもいいかな」
「ちょ、ちょっと、弟じゃない! エロ同人誌でもあるまいし、おかしいわよ!」
「いや、おかしくねーしー。おいしいし」
 律はよだれをぬぐった。
「どう思う? 梓ちゃん」
「お姉ちゃんが相手だなんて、聡くん、嫌がると思うけどなあ」
「あたしは? 熟女が相手だなんて、好いと思わない? もう、手取り足取りリードしちゃうわよ」
「ババアはいやだって言いそう」
 梓の言葉にさわ子は泣き出した。
「律ちゃん」
「さわちゃん」
「あたしたちはくじけないわよー!」
「おお!」
 息が合う二人に、みなは呆れ顔。
「なによ、この寸劇」
「いつものことだから気にしないことです」

 部室はすっかり雑談の坩堝と化していた。在日米軍にいるとかいう和に驚きの声を上げる澪や律、
紬や菫の運んでくるお茶のいい香り。懐かしく、心地よい雰囲気。
 梓は高校の時のように、さんざめく周囲を快く感じた。
(先輩。あたし、やっと自分の場所に戻ってきた気がします)
 そう思うだけで、心からの笑みがこぼれた。

 梓は自分を見つめる憂の視線に気がついた。頬を軽く赤らめている。
「ね、梓ちゃん。もし、時間ができたら、また、二人で楽しもう」
「へ? う、憂。何のこと?」梓の顔も赤くなった。
「もう、とぼけちゃって。昔、お姉ちゃんの部屋で二人で楽しんだよね。忘れてないでしょ」
「ちょ、ちょっと。で、で、でもあたしにはシブタクがいるから」
「あ、シブタクさんが一緒でもいいよ。三人ならもっと楽しいかも」
 憂の表情が呆けた。
「ええ? 憂、変なこと言わないでよ」
「うふ、私も混ぜてもらってもいいかしら。菫、とっても上手に悦ばせてくれるのよ」
「お姉ちゃん、恥ずかしいです。でもご命令なら、なんでもしますから」
 憂と梓のエロトークに紬と菫も仲間入り。
「えー、あたし、仲間はずれはやだ。一緒に楽しむ」
「永遠の処女脱退だ! あたしにもシブタク回してくれ!」
 とうとう、全員が加わった。
「ちょ、ちょっと! 何、勝手なこと言ってるんですか! シブタクの精○はあたしんですーっ!」
 梓が髪を逆立てた。空気が凍りつく。音楽室に入り込む風が、いつの間にか淫らに匂った。 
「ちぇ。ケチ」
 さわ子が呟いた。


おしまい。



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