―差し込む陽気が肌に触れる―

カーテンから漏れた日の光に、マリアベルが目をつむったまま顔を顰める。

―仄かに香る青葉の匂い―

まどろみの中で心地よい一時を楽しむ。

―僅かに揺すられる感覚―

「マリアベル、起きて。朝だよ」









Trinicore
#1










 バフッという効果音と共に、マリアベルの顔の上にふかふかの枕が押しつけられる。

「む、」

「……」

「むむ、」

「……」

「む、むがー!!!!何すんじゃボケー!!!!!」

パッシーンッ!!!!!とアシュレーの頭をひっぱたくマリアベル。危うく呼吸困難になりかけたためか、ぜーぜーと荒く息をするマリアベル。

「おはよう、マリアベル。目覚めた?」

「……」

大して気にした様子も無く、朗らかに笑いかけてくるアシュレーに、真っ赤になった顔で恨めしそうな視線を向けるマリアベル。その視線をさらっと流して、アシュレーは部屋のカーテンを開いた。

「なんじゃアシュレー、まだ朝は早いじゃろうに」

プクッと頬を膨らませて不満そうにするマリアベルに、アシュレーが苦笑する。

「仕方ないさ。今日は衛兵になる為に試合をすることになってただろ?」

「それは分かっておるのじゃがの、何もこんな朝っぱらからする必要などないと思うのじゃが」

「まあ、試合は他の衛兵の人達も全員参加する必要があるらしいからね、朝のこの時間じゃないと仕事が始まっちゃうらしいし」

そう言って、アシュレーは肩をすくめたのだった。
 まだ眠気が残る頭をすっきりさせる為に軽く頭を振ったマリアベルは、ベッドから起き上がり、軽く伸びをする。

「ん、んん〜……」

「おはよう、マリアベル」

「ん、おはようじゃ」

頷いたマリアベルの前に、お盆に乗せられた朝食が出される。パンに挟んだ肉と、野菜が少々。質素ではあるが、食事を必要としない二人には十分だった。

「む、これはいつ持って来たのじゃ?」

「朝食は、シエスタちゃん……昨日この部屋に案内してくれた子が持ってきてくれたんだ。一応今日は朝が早くて食事がとれる場所が無いけれど、明日からは衛兵の詰め所で朝食をとることになるらしいよ」

そう説明して、アシュレーは「いただきます」と言って、自分の分の朝食に手を付ける。適度に脂の乗った肉が、ジュンワリと口の中で蕩けて、良い味を出してくる。満足げに食事を進めるアシュレーの様子に食欲を促されたのか、マリアベルも「いただきます」と言ってパンを手に取ってかぶりつく。

「ふむ、これはなかなか……」

マリアベルもまた満足げに呟く。嘗てARMSの一員としてヴァレリアシャトーに詰めていた時は、アルテイシアが食事の準備を全て行っていたのだが、何というか……重かった。朝っぱらから濃い味付けの煮物系が出るのがデフォルトで、夕食は実に三日に二回の割合でカレーが出て来た。食事が重かったから兄への愛も重かったのか、兄への愛が重かったから食事も重かったのか……。今となってはそれも懐かしいと言えなくもないかもしれない。あの食事のローテーションは二度と御免だが。
 食事が終わった所で、アシュレーがお盆に二人分の食器を乗せて立ち上がる。

「それじゃあ、僕はこれを返してくるから、それまでに身支度は整えていてくれ」

「了解じゃ」

と、そこまで言った所で、マリアベルの悪戯心がふと鎌首をもたげる。

「のう、アシュレー」

「ん?どうかした?」

「わらわの着替えを覗くで無いぞ?」

薄いピンク色のベビードールを揺らして、上半身を捻って見せ、ニヤニヤとした笑みを浮かべるマリアベル。伸びる白い肢体は、健康的で瑞々しくはある。が、

「……」

「なんじゃその顔はぁっ!?」

「ブフォ!?」

いかんせんボリューム不足だった。どう贔屓目に見ても、ちょっとませた子供が背伸びをしているようにしか見えない。アシュレーにしてみれば、そういう方向には食指が動かなかったようだった。
 「うう〜、今に見ておれ〜!」と恨みがましくアシュレーを一度見上げて、いちご味の歯磨き粉と洗面用具を取り出して、部屋からパタパタと駆け出していった。後に残されたアシュレーは、枕を片手にポリポリと頭を掻くのだった。




     ◆




 身支度が終わった二人がやって来たのは、学院の敷地の入り口付近にある衛兵の詰め所だった。今日この場で、アシュレーとマリアベルは面接を兼ねた模擬戦を行い、合格した場合はこの学院に衛兵として就職することになっている。
 弾丸を全て抜いたシューティングスターの調子を確かめる様に二度三度とグリップを握ったアシュレーが、視線だけで「準備は出来たよ」と合図を送り、それを受けたマリアベルが頷いてドアをノックする。

『どうぞ!』

すると、中から活力のある声がした。二人が入ると、そこには初老ながら全身に覇気を感じる男性が甲冑を着て立っていた。

「失礼します。今日、面接に来ました。アシュレー・ウィンチェスターと」

「マリアベル・アーミティッジじゃ」

名乗った二人に、初老の男性が頷く。

「ああ、よろしく、俺はヘルマン。学院の衛兵隊の隊長を務めている。今日は二人の面接をしてくれとの学院長からの命令があったんだが……」

「あの、何か?」

「なんじゃ?」

二人を見て無言になるヘルマンに、アシュレーとマリアベルの二人が首を傾げる。

「ああ、いや。あまりにも急な事だったので、何か事情があるものだとは思ったんだが、そういう事情のある者をわざわざ学院長が推薦してまで雇う理由が分からなくてな」

「まあ、僕達が訳ありっていうのはその通りですけど」

アシュレーの言葉に、「いや、問題なのはそこじゃない」と言って、ヘルマンは首を横に振った。

「正直な所を言えば、身元がはっきりしている人間の方が有難いのはその通りだが、結局のところ、一番大事なのはこれさ」

そう言って、ヘルマンは腰に差していた直刃の剣の柄頭をカツンと叩いて見せた。

「ここは貴族が集う場所だから給料もいい。売り込みに来るやつらがいない訳じゃないんだが、正規採用以外の時期に来るやつは大抵傭兵の中でも腕に自信の無いやつだ」

「そうなんですか?」

「ああ」

ヘルマンは頷いて見せる。

「傭兵は基本的に正規の採用に引っかからなかった奴だ。基本の所でまず正規採用組に劣っている。無論例外はいるが、そういった例外の奴らは大抵荒事に自分から望んで首を突っ込んだやつらだ。安定していようが、平穏で退屈極まりない警備なんてやりたがらない者が多い。それに、傭兵は場合によっては何日も飲まず食わずでたり、一ヶ月間の強行軍も珍しくない。そんな中では訓練なんて出来はしない」

そう言って、ヘルマンが再びアシュレーに視線を向ける。

「学院長が優秀なメイジであることに俺達も異論は無いが、いかんせん実戦を御離れになって長い。口が上手いだけの三流に騙されたなら、衛兵隊の責任者として追い出さなければと身構えていたんだが……」

ヘルマンが足先から順番にアシュレーを見る。

「どうやら杞憂だったようだ」

そう言って、ヘルマンは苦笑したのだった。

「ただまあ、正確な実力を見るにはやはり模擬戦をしてみる必要がある。それと……」

「ん?なんじゃ?」

チラリとアシュレーの隣のマリアベルに視線を向ける。
 首を傾げたマリアベルに、「ああ、いやすまない」と、僅かに恐れを含んだ声音でヘルマンは謝った。

「あー、ミス・アーミティッジは……」

「だから、なんじゃ?」

「その、学院長が言っていたことは本当なのかい?」

僅かに強張った表情で、ヘルマンがそんなことを尋ねて来た。一方の二人は、その様子に納得して頷く。

「ふむ、それは恐らくこれの事じゃろ?」

そう言って、マリアベルが被っていたゴーグルを外し、帽子を脱いでみせる。
 フサリと揺れる金色の豊かな髪。少々薄暗い中でも、きらきらと光を放つその中から出て来た一対の耳は、その先端が人間とは違い、鋭く尖っていた。

「……」

「なんじゃ、案外意気地の無いやつじゃのぅ」

「……あの、ヘルマンさん?」

現れた耳を見て、冷や汗を流しながら硬直するヘルマンに、マリアベルは生温かい視線を送る。そして、数秒間立って、漸くアシュレーの声に反応したのだった。

「あ!いや、すまない。まさか本当だとは思わなかったのでね」

慌てて言い繕ったヘルマンだったが、僅かに及び腰な様子は変わらなかった。が、こればかりは「そういうものなのだろう」と、文化の違いとして適当な所で諦めるしかない。むしろ、昨日の貴族の子供達よりはコミュニケーションを取れる分問題が無い。

「それじゃあ、ミスタ・ウィンチェスターとミス・アーミティッジは裏の訓練場に来てほしい。そこで、一応の実力を見るからね」

そう言って先を歩くヘルマンに二人はついて行ったのだった。




―詰所裏の訓練場―
 十メイル四方のきれいに均された土地があり、数体の案山子や立て掛けられた木剣や先端が厚い布で覆われた槍の様な物があった。
 その中心にいたのは、年若いまだ衛兵に成り立てと分かる二人の青年だった。両者とも、それなりにしっかりとした体つきと、精悍な風貌をしている。恐らくこれからやって来る新人二人について話していたであろう二人は、訓練場に入って来たヘルマンと、その後ろに続くアシュレー、マリアベルのペアに、気付くとすぐに話を切り上げて歩み寄って来た。

「隊長!その二人が学院長推薦の今度来た新人ですか?」

二人の内、身長が高くどことなく自身を感じさせる青年が、ヘルマンの前に立ってそう尋ねてきた。

「ああ、そうだ。今日から衛兵隊の一員となるミスタ・ウィンチェスターとミス・アーミティッジだ」

「よろしく」

「ふむ、どれ程の付き合いになるかは分からぬが、よろしく頼むの」

そう言って握手を求めたアシュレーに、二人の青年も自己紹介を含めて手を差し出す。

「俺はアッシュ。一応ここの衛兵隊の若手のまとめ役をやっている」

「どうも、俺はナッシュ。今日の二人の試験官だ」

長身の男、アッシュがどことなく自身を感じさせる笑みでアシュレーの手を握り返した。そして、ナッシュと名乗った少し背が低いが、がっしりとした体格の青年が、かがんでマリアベルの手を握った。そして、二人に共通していたのはどことなく胡散臭い物を見る目だった。まあ、これ自体は先程のヘルマンの説明を考えれば無理からぬことだった。しかし、その中に若干挑戦的な雰囲気を感じるのは何故だろうか?

「それで、俺とナッシュどっちが彼らの試験を行うんですか?」

アッシュの質問と自信ありげな視線がヘルマンに向けられた事で、アシュレーとマリアベルは納得したように頷いた。
 つまりは、役に立たない衛兵のふるい落としの為だったのだろう。あと、新人に自信をつけさせたりする目的もあったのかもしれない。ついでに、実際に使える人材ならば受け入れることに問題は無かったのだろう。
 二人の青年が訓練所にいた理由を察したアシュレーとマリアベルが互いの顔を見合わせる。一応言ってしまえば、彼らが何故ここまでやる気に満ちあふれているのかは大体想像がつく。衛兵隊の隊長としては学院長の依頼とはいえ無能な人材を受け入れる訳にはいかなかったのだろう。仮にもここは貴族の子弟が暮らす学院なのだ。子供達に何かあれば衛兵ももちろんタダでは済まない。そして、恐らく目の前の二人はその話を既にされていたのだろう。余計な人材を振り落とす気満々でいるのはそのためか……。
 アシュレーの困ったような視線と、マリアベルのジトッとした視線に、笑ってごまかそうとするヘルマン。しかしまぁ、対する青年二人の方がやる気満々である以上仕方のないことだった。ここまで話が進んでしまっている以上、彼らとしてはこのまま隊長が「試験無しで採用」と言ってもどこか納得できない部分が出来るだろう。入隊後、アシュレーやマリアベルの実力を知る機会が出来ればその辺は解消されるだろうが、下手をすればこじれかねない。二人にとってみればあくまで仮の宿ではあるが、快適に過ごせるならばその方がいいことに変わりは無い。余計なしこりを作りたくは無いのだ。
 ぼやく様に空を見上げたマリアベルの様子に苦笑したアシュレーが、背負っていたシューティングスターをヘルマンと二人の衛兵に抜いて見せる。

「えっと、試験を始めるんですよね?」

「ん?あ、ああ」

困ったように反応したヘルマンだったが、マリアベルのウィンクに納得したように頷いた。

「えっと、じゃあどちらが僕の試験官なんですか?」

アシュレーに言われ、少し相談するアッシュとナッシュそして頷くと、アッシュが腰に差していた剣を抜いて訓練場の中心に向かう。

「ミスタ・ウィンチェスターの試験官はアッシュがやります」

「ふむ、ではわらわの相手はお主か」

「ええ、そうなりますね、ミス・アーミティッジ」

そう言って、ナッシュが頷いた。その表情には特に気負いも感じなかったが、同時に警戒も感じなかった。恐らく、マリアベルの年齢で衛兵になると言う以上、メイジであることは予想しているのだろう、そして、この外見から推測できる年齢から、彼女の力量は十分自分でも対処できるものだと考えていると想像できる。

「じゃあ、よろしくお願いします」

訓練場に立ったアシュレーがそう言うと、対面に立ったアッシュも頷いて剣を構える。右腕を肩の程まで引き上げて左手を添えた構え。天に高々と向けられた切っ先から、本人の雰囲気そのものの真直ぐさが窺える。一点、構えは攻撃向きのそれであり、アシュレーに対しての防御はそれほど意識していないのが見て取れる。恐らくは大型の武器を持ったアシュレーに対しての判断なのだろう。パワーで押し切られる可能性はあってもスピードに関しては負ける要素は無いと判断したようだった。
 対するアシュレーの方は、片腕で持ったシューティングスターをだらりと下に下げ、反対側の手を体の前で握りしめる独特の構えをしている。一長一短……と言うにはアシュレーの構えはひどく不格好だ。通常なら、大振りに振り回すくらいしか出来ることは無い。ナッシュもそう判断したらしく、チラリと小馬鹿にしたような表情が顔をのぞかせる。『傭兵崩れの世間知らずが』とでも思ったらしかった。しかし、それを一瞬で引き締めた辺りは流石に新人のリーダーらしく、即座に切り替えてアシュレーに向かって走り込んで来た。
 微動だにしない。若干、体力任せな面は否めないものの、普段からの修練を感じさせる動きだった。
 対するアシュレーは、ダラリと下げたシューティングスターの峰を返し、走り寄って来るアッシュをヒタと見詰める。そして、

「ハァッ!」

「シッ!」

交叉した二人の一撃には明らかな遅速があった。全体を乗せ、懸河の勢いで叩きつけられたアッシュの剣。それに一呼吸遅れて振り抜かれたアシュレーのバイアネットは、マリアベルの目にすら鈍色の光としてしか写らなかった。振り抜いた剣を降ろしながらアシュレーが振り返るのとほぼ同時に、アッシュが訓練場のフィールドから吹っ飛んだのだった。

「ふむ、腕は衰えておらぬようじゃの」

腕を組んで呟いたマリアベルの呟きも耳に入らぬ様子でヘルマンとナッシュがあんぐりと口を開けていた。それも当然と言えば当然だろう。常軌を逸した。そんな表現がピタリと当てはまる驚異的な膂力。その一撃が、傍目から見れば細身の青年、精悍ではあるが優男と言っても差し支えない風貌の青年から繰り出されたのだ。
 マリアベルと未だに固まったままの二人をよそに、アシュレーは剣を背中に刺してアッシュに歩み寄る。

「う……ん……」

「大丈夫ですか?」

そう言って差し出された手のひらを見て、困惑した表情になるアッシュ。

「えっと、俺は……」

キョロキョロと周囲を見回したアッシュは、自分を心配そうに見るナッシュとヘルマンを見て、自身の身に何が起こったのかを把握した。

「俺は、負けたのか……」

呆然と呟いた後、差し出された手を取って、アッシュが立ち上がる。平然を装っているが、その目は悔しさを滲ませていた。
そんな二人から視線を外し、マリアベルは隣に立つヘルマンとナッシュを見やる。二人ともその視線に気付いたのか、直ぐに金髪の少女の方を振り返った。が、その表情は大きな差があった。ヘルマンの方は、アシュレーの実力に冷や汗をかいてはいたが、アシュレーの能力に素直に驚嘆しているようだった。対するナッシュは、その表情を強ばらせ、マリアベルに警戒の視線を送っていた。当然と言えば当然だ。ナッシュにしてみれば、マリアベルとの模擬戦はある種の命懸けなのだ。マリアベルの様な少女が傭兵をやるとなると、メイジである以外に考えられる状況は存在しない。そして、このハルケギニアでメイジというものがどう認識されているか。ナッシュの反応が答えだった。
 銃剣を納刀しながら戻ってきたアシュレーの体をポンと叩いて「ナイスファイトじゃ」と声を掛けて、入れ替わりにフィールドに立つマリアベル。

「では、次はわらわじゃの」

と言って笑いながら、臨戦態勢に入ったのだった。
 緊張した面持ちのナッシュが、マリアベルの前に立つ。胸の正面に腕を出し、両手で剣を握り締める。少々固い構えだが、横へのスライド幅は大きい。まだまだ粗削りな所は見受けられるが、なかなかに見事な防御の構えだった。
 ジッとにらみ合う両者。先程のアシュレーの戦いとは対照的に、ゆっくりとした、ひどく緊張を強いられる時間だった。しかしそれでも、ブランクがあるとはいえ百戦錬磨。ジッと相手を見つめていたマリアベルだったが、ナッシュの中に僅かな隙を感じ取った。
 一定のリズムで動くナッシュのモーションを盗んだマリアベルの動きは早かった。

「!?」

一直線にナッシュの方に駆け出すと、瞬きする間さえ与えずにその懐に潜り込む。一歩遅れて反応したナッシュが、剣の柄頭を打ち下ろしてきたが、そんなことはお構いなしに、マリアベルが地面を蹴る。

「行け!アカ!アオ!」

「「ギギー!」」

アッパー気味に突き上げられた両の拳……に、握られたアカとアオが飛び出す。マリアベルのジャンプと二体の移動スピード。その二つの見事なコンビネーションが……

「ぐはぁ!?」

見事に決まったのだった。




     ◆




 二人の新人衛兵によるアシュレーとマリアベルの入隊試験が無事に終わり、学院内の食堂で二人の歓迎会が開かれていた。尤も、今日は丁度この世界の休日にあたるらしく、衛兵は先程の三人のみの割とささやかなものだったが。
 食堂の準備が出来たということで呼びに来たシエスタに連れられて食堂に向かうと、マルトーと名乗る髭面の料理長が五人を待っていた。

「ようヘルマン、そいつらが学園長直々にご指名の新人か?」

少々荒っぽい言葉使いだったが、嫌味な感じを覚えさせぬ独特の雰囲気の言葉使いだった。

「ああ、ミスタ・アシュレー・ウィンチェスターとミス・マリアベル・アーミティッジだ。二人とも、かなり腕が立つから、俺達衛兵としては有難いことだよ」

「ほー、割と見る目が厳しいお前さんがそこまで言うってことは、そっちの二人は随分とすげぇってことだな」

ふむふむと頷いたマルトーが、アシュレー達の方を向き、太くて毛むくじゃらの手を差し出し、ニカッと笑う。

「俺はマルトー。この学院で料理長をやっている。ま、よろしく頼むぜ!」

「あ、これはどうも。僕はアシュレー・ウィンチェスター。今日からこの学院の衛兵をやることになっています」

「わらわの名はマリアベル・アーミティッジじゃ。以後、覚えておくが良い!」

節くれ立った職人の手を握って、頭を下げるアシュレーと胸を張るマリアベル。対照的ながらも、気負いのないどこか「繋がり」を感じさせる二人の仕草に、マルトーは「仲の良い兄妹だな」と内心で微笑んだ。

「さてと、御二人さんの歓迎会を開きたいってんでヘルマンから言われた料理は準備したんだが、足りなかったら言ってくれ。俺は今日は明日からの下ごしらえで一日中厨房にいるつもりだからよ」

そう言って、奥に引っ込むマルトーを見送る衛兵の集団。その中心にいたヘルマンが「それでは乾杯をしようか」と言ったのを合図に、全員がジョッキを持つ。

「では、我らが学院衛兵隊の新メンバーの加入を祝って……乾杯!」

「「「「乾杯!」」」」

掲げられたジョッキに、皆が杯を打ちつけた。




 宴も酣……とは少し違うが、酔っぱらって顔を真っ赤にした三人をよそに、脇の方でアシュレーとマリアベルはワインを汲みかわしていた。
 もともと、アシュレーはあまり酒を飲む方ではない上に、ナイトブレイザーの因子が体内に内包されるようになってからは酒や薬の類には滅法強くなっていた。また、マリアベルはマリアベルでノーブルレッドの生き残りである。どちらもウワバミ具合では良い勝負だった。

「ぷはぁ……。ほれ、アシュレー返杯じゃ」

都合十杯目のワインを飲み干して、マリアベルが空のジョッキを突き出す。返杯の返杯も既に片手では収まらなくなっていた。

「マ、マリアベル」

「あん?」

「ちょっと飲みすぎじゃないか?まだ昼だぞ?」

「なんじゃなんじゃ、わらわの酒が飲めぬのか?」

「ちょ、絡み酒!?」

座った目で管を巻くマリアベルに、冷や汗をかくアシュレーだったが、どちらともなくその動きを止めた。

「無駄じゃの。酒を飲むたびに思うのじゃが、酔うのがどんなものなのじゃろうか?」

「うーん、僕もそれ程経験があった訳じゃ無かったし……」

生まれた時から酒に強い体だったマリアベルと違い、アシュレーは成人してからナイトブレイザーに覚醒するまでの数年間、一応何度か宴会や祭りに呼ばれたことはあった。ただ、

「あんまりいい思い出じゃないな」

初めて酒宴らしい席に出たのは、自分の成人式の日だったが、まだろくに自身のペースも知らない状態のアシュレーが、ペースを守った飲酒が出来る訳も無く、途中で意識を失って、気が付けば朝だった。そして、同時に襲ってくる激痛と吐き気。まあ、酒の飲み初めのうちの酒宴など、誰もが程度の差こそあれそんなものだったがアシュレーに取ってみればそこらで敬遠する気持ちがあったこともあり、結局最初で最後の酒の席となってしまっていた。

「そんなもんかの……」

アシュレーの言葉に少し残念そうな顔をするマリアベル。その今まで無い僅かに沈んだ様子に、アシュレーは言う言葉を探すが、結局何も言葉が見つからず、困った様な表情になって、自身のジョッキを飲み干したのだった。

「ふふ……」

その様子を見て、どこか嬉しそうに、そしてどこか懐かしそうにマリアベルは微笑んだ。ポカンとするアシュレーだったが、マリアベルの声は思いの外上機嫌だった。

「懐かしいの」

「え?」

マリアベルの漏らした言葉に、アシュレーが首を傾げる。その動作を意に介さずに、ポツリポツリとマリアベルの僅かに湿った唇が言葉を紡ぐ。

「もう随分前になるがの、アーヴィングに勧められて酒をたしんなんだ時期があった……」

「アーヴィングが?」

マリアベルの口から出た嘗ての仲間の名に、アシュレーは意外な名を聞いた気になる。

「うむ、わらわが文通を始めてからしばらくしたあと……確か、オデッサの存在を知った時期からだったかの」

そう言いながら、マリアベルは、ふと、その瞼を閉じる。

―――
――


『一応、我が家にある一番良い物を出したんだが、どうだね?マリアベル』

『苦くて、むせる上に、えぐみもある。こんなものを好む奴の気がしれんわ』

『そうか、手厳しいな』

ぶーたれるマリアベルに苦笑しながら、アーヴィングは自身のグラスを傾けた。

『酒を飲むのは、何も味を楽しむためばかりではない』

『む?』

『苦しいこと、辛いこと、自身を見つめ直したいこと……人はいろいろと壁に突き当たった時、少なからずこれが役に立つ』

『ただ逃げておるだけではないのか?』

身も蓋もない物言いだったが、一面真実ではあったがゆえに、アーヴィングは苦笑の色を濃くする。

『確かに、これは逃げかもしれない。だが、そんなことはこれに口を付けた時に誰もが分かっていることだ』

『……』

『そして、』

半分ほどワインが残ったグラスを一息に傾ける。

『これを飲み干した時に、決意を付けることが出来るかどうかが、その者の意志と器なのではないかとも私は思う』

そう言って、力強くアーヴィングは前を見つめたのだった。


――
―――

思い出した風景は、随分と違った。それ以上に、目の前のアシュレーとアーヴィングは似ても似つかない。それに、それ以上に似通った光景を自分は知っていたはずだ。

(……何時じゃ?)

記憶に問いかけるが、答えは返って来ない。ただ、少し覚えているのは、自身の家。家族や仲間との思いが詰まった場所。そう、あれは……

「マリアベル!!」

「きゃん!?」

突然のことに、マリアベルの肩がピクンッと跳ね上がる。何時の間にやら視界には、自身を心配そうに覗き込むアシュレーの顔があった。

「なななななんじゃ?」

思いっ切りパニクりながら、顔を真っ赤にするマリアベルの額に、そのアシュレーが躊躇なく掌を乗せる。

「ひあ!?」

細身な外見とは裏腹にごつごつとした掌は、肉厚で職人のマルトーのそれよりも一段と力強さを感じさせる。

「熱は無いよな……」

そう、一人呟くアシュレーの前で、マリアベルが茹蛸の様に真っ赤になるのだった。
 銘々、楽しみ方は少し違うものの、それなりに皆が楽しく酒を進めていた所、不意に厨房の扉が開いた。

「ちょっといいかしら?」

「え?」

「む?」

「「「は?」」」

突然入って来た珍客。小柄な体躯にピンク色の長髪をたなびかせたキツイ眼の少女。アシュレーとマリアベルが『ハルケギニア』に来る際にそのゲートを利用してしまうことになった少女だった。

「ちょっと、料理長はいるかしら?」

「あ、少々お待ち下さい、ミス・ヴァリエール」

丁度料理の代えを持ってきていたシエスタが気付き、すぐに厨房の奥に引っ込み、間も無く料理長のマルトーを連れて来た。

「へえ、何でしょうか貴族様」

帽子を脱いで頭を下げるマルトーを特に気にした風も無く、ルイズは用件だけを告げる。

「明日の食事のことだけど」

「へえ、何でございましょう?」

「普段の食事のほかに、もう一つ準備をしておきなさい」

「分かりやした」

頷いたマルトーに、指を一本上げて「但し、」とルイズは続ける。

「パンは一個。古い物で構わないわ。むしろなるべく古い固くなったパンを出しなさい」

「へ、へえ……」

流石にこれには意図を掴めず、いぶかしげな表情になるマルトーだったが、ルイズは構わずに続ける。

「それと、薄いスープを一皿。これを床に置いておくこと。いいわね?」

「……へえ、かしこまりました貴族様」

そう言って、再び頭を下げたマルトー。対するルイズは、特に反応もせずに、一瞬アシュレーとマリアベルに視線を送ったが、すぐに何も言わずに厨房から出ていったのだった。

「一体何だったんだ?」

 ばたんと閉じられたドアを見ながら、マルトーが呟いた。アシュレーやマリアベルの表情も、大体マルトーと一緒だ。何があったのか皆目見当もつかない。少なくとも、ルイズの様な大貴族の子女がわざわざ厨房に来てまで頼む様な料理ではないと言う事だった。

「あ、そういえば」

マルトーの後ろで心配そうに様子を窺っていたシエスタが、何かを思い出したように口を開いた。

「ミス・ヴァリエールが、今日の召喚の儀で平民を召喚したとか」

シエスタの口から出た意外な一言に、アシュレーとマリアベルは顔を見合わせる。

「平民を召喚?」

「しかも今日じゃと?」

二人が召喚されたのは昨日のことであり、その際に『平民が召喚されること』の以上さは、オスマンやコルベールに聞かされていた。だからこそ二人は再召喚を提案したのであり『今回の様な事はもう無いだろう』と考えていた。だからこそ、ルイズの再召喚で、まさか再び人間が召喚されるとは思わなかったのだ。
 ちなみに、アシュレーとマリアベルをルイズが召喚したことについては、マリアベルがエルフだったなどという、更にこの世界では現実性の無い出来ごとに、既に『アレは白昼夢』などと言った感じで、無かったことにされている。このことは『ルイズが再召喚を許可された=使い魔はいなかった』といった考えにも後押しされていた。
 アシュレー達の疑問に、シエスタが「はい」と頷く。どうやら、そのことはここにいる面子の中ではシエスタしか知らなかったことらしく、全員の視線が彼女に集まる。

「今日の朝の再召喚の際に、ミス・ヴァリエールが平民を召喚したという話題で、今学院中持ちきりです。なんでも、昨日の召喚にも失敗したので放校処分になるのではないかなどと」

「じゃが、食事の事を言いに来たということはその心配は無いのじゃろう?」

マリアベルの疑問に、シエスタも頷く。

「はい、その心配だけは無いと思いますが、だとしたら」

「あの食事は一体誰に出されるのじゃろうな?」

マリアベルの言葉に、場に無言が広がる。大体全員が予想出来ていた事だったが、仮にも同じ平民としては(アシュレーとマリアベルは違ったが)、召喚された平民の事を思うと心配せずにいられない。

「なあシエスタ」

「はい?」

「もしそいつが飯が足りなそう、いや、あんなメニューじゃあ足りる訳もねえか。飯の後にでも厨房に呼んでくれや。賄い位なら出せるからな」

「あ、はい、分かりました」

そう言って、シエスタもまた頷いたのだった。




     ◆




 宴会での食事を終えた二人は、早速学院の図書館で情報収集することにした。タイムリミットまでの約一年間。攻略するにしても何にするにしても、とにかく情報が足りない。時間だけならば、この二人ならばある程度何とかなるだろう。最悪、ごり押しでもある程度の事は何とかなるはずだ。が、ごり押しをするにしても、その標的を見つけ出さないことには、どうにもならないのだ。

「ふぅ……」

個別のブースに、アシュレーが両手で抱えられる限界の本を抱えて入る。中では既にマリアベルが椅子に座って待っていた。

「ふむ、まずはそんなもんかの」

本の量や厚さを見ながら、マリアベルが呟き、一番上の赤い本を手に取った。
 その様子を見ながら、アシュレーはどこか懐かしさを感じていた。何せ、図書館などと言うものに入ったこと自体が、実に数百年ぶりの事だったからだ。ARMSが無事に解散された後は、アシュレーはパン屋としての修業に明け暮れる毎日で、それこそ碌に本を読む機会も無かった。マリナの出産や子育ても合わさり、そちらで充足感を得ていたと言えばその通りなのだが。

「……」

 そして、ふと昔の光景を思い出す。まだ、ARMSに所属していた頃のこと、緊急時が平常運転と言うべきARMSに、珍しく定休日らしきものがやって来た。とはいっても半日程度の事だったので、タウンメリアに戻ることも出来ず、せっかくだからということで、普段利用しない図書館をアシュレーが利用していた時の事だった。

『何を読んでるのじゃ?』

普段読まないだけでなく、知識もない本に、若干の悪戦苦闘をしているアシュレーの背中に、不意に圧力がかかった。振り返らなくても分かった、少々時代錯誤な話し方。

『マリアベル……重い』

『何じゃとぉ!?』

のしかかったマリアベルがプンプンと腹立ちを露わにする様子を背に、アシュレーは何となく『これが平和ってことなのかな?』などと、愚にもつかないことを考えていた。ただ、その脇で何故かリルカがどす黒いオーラを背負っていたのだが、今となってはそれが何だったのか、アシュレーには全く分からなくなってしまった。

「アシュレー、どうしたのじゃ?」

「ん?あ、いやちょっと考え事をね」

何となく気まずさを感じて、笑ってごまかすアシュレーに、マリアベルは「ふむ?」と首を傾げたが、まあ、そういうこともあろうかと判断して、自身の手に取った本を開く。アシュレーもまた、それにならって、一番上の金で飾られた本の表紙を開いたのだった。


一時間後


「ダメじゃ、分からんの」

マリアベルが本を投げ出してそう呟いた。隣にいたアシュレーも頭を抱えて若干衰弱しながらも頷いた。
 アシュレーとマリアベルが持った本。それらは全てハルケギニアの文字で綴られていた。この世界に来る前には、キチンと予想はしていた事だったのだが、召喚の儀の際に言語の翻訳が為されてしまったせいもあってかすっかり忘れてしまっていたのだ。
 あまりこう言ったものに増資が深くない自分はともかく、こういったことに明るいマリアベルでも、苦戦するものなのかと少なからず驚きを感じるアシュレーだった。

「しょうがないか。今日は一旦諦めて、明日にでもまずは文字を覚える方法から探そう」

「そうじゃの、今後も読み書きは出来て不自由はせんじゃろ。覚えておいても損は無いかの」

提案に頷いたマリアベルが立ち上がったのを見て、アシュレーも席を立ったのだった。




     ◆




「ファイアボルトじゃ!」

 両手を高々と上げてマリアベルが叫ぶと、ブワッと火の手が上がり、少し煤けた大鍋に一瞬にして火がともる。そして、火が消えたころにはすっかり丁度いい湯加減となった簡易の風呂が出来上がっていた。
 十数分前、図書館での調べに一区切りを付けた所で、アシュレーとマリアベルは風呂があるかの確認に来ていた……が、

―――
――


『……これはなんじゃ?』

目の前の光景に、マリアベルが何かに絶望した様な声を出した。

『えっと、サウナ風呂……じゃないかな?』

そう、二人の視線の先にあったのは、使用人用のサウナ風呂だった。

『これが……風呂か?』

『そうなんじゃない?』

『こ、こんなものが……』

何かに打ちひしがれるように崩れ落ちるマリアベルをよそに、アシュレーは装備を置いて、硝煙の臭いの染みついた手袋をはずす。そして、振り返った所で、マリアベルが奇妙に震えていることに気が付いた。

『マリアベル?』

『……』

心配になって声を掛けるが、反応が無い心配になったアシュレーが覗きこもうとした瞬間、マリアベルの米神で何かがプチッとキレる音がした。

『ふ、』

『ふ?』

『ふざけるで無いわぁぁぁ!!!』

『うわっ!?』

突如爆発したマリアベルに、驚いて仰け反るアシュレー。対する少女は一切気にせず暴走を開始する。

『アシュレー!風呂を探すぞ!』

『は、はぁ?』

突然の宣言に、目を丸くするアシュレー。対するマリアベルの目は釣り上がったままだ。

『「は、はぁ?」ではないわ!こんなちゃっちい風呂では碌に汗も流せぬわ!』

『でも、風呂はここにしか無いんだろ?』

『甘い!無いのはそうじゃ。じゃがの、こう考えるのじゃ!無ければ作ればよい!とな!!!』

『うーん、そこまでする必要があるのか?』

『当り前じゃ!一日二日なら耐えられる。三日四日も我慢しよう。じゃがの、この先わらわ達は長い旅に出る公算が強いのじゃ。せめて近場に人や街がある所でくらい、ザバーンと思いっ切り風呂に入りたいのじゃ!』

『そういうものかなぁ?』

『そういうものじゃ!大体の、アシュレー』

『うん?』

『一年もこんな風呂に入っておったら、お主は確実に臭う様になるぞ!』

ビシィ!と指を突き付けて放たれた一言に、アシュレーがピシリと固まる。成人男性に『臭う』は禁句だ。

『……に、臭う?マリナ、それはいくらなんでも言いすぎじゃないか?』

急に体育座りになって、虚ろな瞳で何やらぶつぶつ呟きだすアシュレーの首根っこをひっ掴み、無理矢理引き摺りだす。

『そうならぬ為の入浴じゃ!行くぞアシュレー!風呂の為に!』

そう言って、マリアベルは風呂探しの旅に出たのだった。




『と、いう訳で風呂を使わせてほしいのじゃが』

『ひょ!?』

マリアベルがまず最初に特攻を掛けたのは、学院の全権を握る学院長室、オスマンの所だった。

『な、い、いきなりなんじゃ、ミス・アーミティッジ!?』

学院長室で、今まさに使い魔を介してのスカート覗きを敢行しようとしていた所への突撃に、どもるオスマン。しかし、そんなことはお構いなしに、マリアベルは要求を告げる。

『風呂を出せ』

『うん、無理』

二人の会話は二秒と持たなかった。
 ここでようやく大人しくなったマリアベルが、ポンと応接用のソファーに座って、隣にいるアシュレーの手をようやく放す。

『使用人のサウナ風呂なのじゃが、アレどうにかならんかの?一応わらわ達がこの国では平民と言うことは理解しておるが、流石にあんな風呂では碌に汗も流せぬぞ?』

マリアベルの言葉に、真顔になったオスマンも首を傾げる。

『わしらとしては出来るだけ出す物を出さずに穏便に行きたい所じゃ』

『随分あけすけにモノを言うの』

『お主の場合、下手な言い訳は逆効果じゃろうが。むしろ本音で要求を伝えた方がいくらかましじゃ』

オスマンの言葉に、マリアベルは「ほぅ」と感心したように声を漏らした。今まで生きてきた中で、自身よりも年下の存在にそこまで見抜かれたというのはなかなかどうして珍しい経験だった。

『物が無い訳ではないじゃろ?仮にも貴族の子女の集う学院じゃ。大浴場くらいあるはずじゃ』

マリアベルの言葉に、「あるにはあるがの」とオスマンは困ったように言う。

『あの風呂は最後の生徒が出た瞬間に、自動的に湯が全て抜ける様になっておっての、お主らを入らせることは出来んのじゃ』

『隙間の時間を作ることもか?』

『おおよそ無理じゃの。大体、貴族の娘じゃぞ?貴族で女。風呂を我慢する道理は無かろう』

『ふむ』

『ミスタ・ウィンチェスターはもとより、ミス・アーミティッジにしても無理がある。いくら、生徒達が基本的に髪は下ろしたまま入浴するとは言ってもの』

そう、オスマンが締めくくったのを聞いて、マリアベルも諦めたように溜息を吐いた。

『仕方ないの。自分で他の方法を探すのじゃ』

『そうしてくれると有難いのう』

『ふむ、自分で作る分には学園内でも構わないかの?』

『それくらいならば許可しよう』

オスマンの許可に頷くと、アシュレーを促して立ち上がるマリアベル。と、部屋を出ていく段になって、ふと思いついたように口を開く。

『所でオスマン』

『なんじゃ?ミス・アーミティッジ』

『これは素朴な疑問なんじゃが……何故お主は学院の女子生徒の入浴中の髪型なぞ知っておったのじゃ?』

さも不思議と言わんばかりの口調、しかし、その目は明らかにニヤついており、今すぐにでも鼻歌でも歌いだしそうであった。

『さ、さて、何故じゃろうなぁ?』

思いっ切り冷や汗を流して視線を逸らすオスマン。一方、それを見てニヤニヤするマリアベルは、「まあ、そういうことにしておくかの」とだけ言い置いてドアから姿を消すのだった。




『しかし困ったの。魔法で風呂に入ろうにも、肝心の風呂釜が無ければどうにもならんぞ』

顎に手を当てて呟くマリアベル。気が付けば二人は学院の裏までやって来ていた。

『あれ?』

と、そこでアシュレーがある物に気が付いた。

『ねえ、マリアベル』

『ん?どうしたのじゃ?』

『アレって使えないかな?』

『む?』

アシュレーが指差した先。そこにあるのは、学院で使われなくなった古い道具などが固められた山だった。その中にある鈍目ながらも金属独特の光沢を見せる道具。

『おお!ナイスアイディアじゃアシュレー!』

歓喜の声を上げるマリアベル。そして、

『では早速共に湯浴みと行くかの』

『もがー!!!!』

不意打ちでアシュレーのカーディガンを引っ張るマリアベル。二秒と経たずに恩を仇で返されたアシュレーがいたのだった。


――
―――

 そして話は戻る。
 機嫌良さそうに、風呂の準備を終えたマリアベルが嬉々として準備したはいいが、いざ風呂に入る話を振ると、アシュレーがまさかの拒否を起こしたのだ。いや、アシュレーに取ってはそれほどおかしな話ではない。一般的な女性ならば、家族以外の男性の後に風呂を使うのも、使用済みの風呂に入られるのも嫌がるだろうという配慮もあっての行動だった。実際、マリナの家に居候をしていた時期も、アシュレーはマリナが風呂を使った後、必ず他の家族が一度風呂に入ってから、その残り湯を使わせてもらっていた。
 別にそのことに不満も無かったし、アシュレーはアシュレーでどこか気恥かしさもあったため、そのことはすんなりと受け入れられていた。だからこそ、今回の拒否は当然のものだった。
 対するマリアベルは、実はかなり育ちがいいのだ。
 いや、実はと言う程隠されたことでもなく、ノーブルレッドの姫であり、数千年、場合によっては数万年の箱入り(引きこもりとも言う)なので、そこら辺への羞恥心が今一薄く、それよりも、仲間が人前で悪臭を放つなどということが我慢ならなかったのだ。そこには、自身の入った風呂が「どう」使われるかなどという考えは無いし、思いつきもしなかった。
 このように、経験的な違いがあった為に二人の間では齟齬が発生し、アシュレーの脱走とマリアベルの捕獲というちょっとした捕物が、学院の片隅で起きたのだ。
 木に縛りつけられたアシュレーが必死に目を逸らす前で、マリアベルは特に気にした様子も無く、鼻歌を歌いながら服を脱いでいく。その様子は、数万年以上生きたとされるノーブルレッドの威圧感は無く、どちらかといえば、純粋に入浴を楽しみにする少女の様なあどけなさの様な物が見て取れた。

(まったく、マリアベルは相変わらずだな)

マリアベルの手によって異世界の木とのダンスパートナーにさせられた状態のアシュレーは内心で苦笑した。
 そう、実の所アシュレーは傍目から見た程にパニックに陥っている訳ではなかった。昨日の夜は、久しぶりの事で慌てたが、今はそれも無い。といっても、別に女性に反応しないなどという訳ではない。ただ単純に、

(こうして見ると、アルテイシアを思い出すな……)

マリアベルの事を女性として見ていないだけだった。
 アシュレーの感覚は、仕方ないと言えば仕方ない。そもそも、マリアベルは実年齢はともかくとして、外見的な年齢は完全に少女のそれだ。まず第一として、その時点で普通の男性ならば彼女へ食指が動かない。重ねてしまえば、嘗ての一人の少女の父親として、アシュレーに取って彼女の外見の様な年齢の少女というのは庇護の対象であっても、恋愛の対象ではないのだ。
 第二に、アシュレーに取ってマリアベルは何よりも大切な『仲間』だということだ。
 嘗てのカイバーベルトコアとの戦い。その戦いにおいて、異界『カイバーベルト』で戦った7人の仲間達、内二人が帰らなかった。それほどまでに過酷で、そして、悲しい結末。だからこそ、当時の仲間達は固い絆で結ばれ、共に励まし合い、前を向き歩み続けたのだ。そこにある『愛情』は『恋愛』とは違う、強いて言うならば『友愛』が近いのかもしれないが、それよりもさらに濃密で激しく強固な感情。ARMSと退治した敵の幹部の一人の言葉を借りるならば『戦場でつないだ絆は何よりも強い』といったところだろうか。それは、最早『愛情』とも天秤にかけられない程に、アシュレーの中でも重きをなしていた。マリナを愛していなかった訳でも、子供たちを愛していなかった訳でもない。ただ、その『仲間』の誰かと、マリナが天秤に乗ってしまった場合、アシュレーではその解を出すことが出来ないと言うだけの話だった。そんな立ち位置に、マリアベルはいる。いや、既にマリアベルだけになってしまったと言うべきだろうか……
 そして、これは他の6人も知らない、アシュレーとマリアベルだけの記憶。『あの』遺跡で繋いだ約束。災厄と共に闘うと決めた誓い。

―ったく、お主なんぞの力を借りぬとも<剣の聖女>とノーブルレッドであるわらわがいれば、ロードブレイザーなど……―

そう、どこか不安そうに言い放った彼女。

―わらわはひとり、ひとりぼっちだ。だが、ひとりになったとてファルガイアを守りぬくつもりだ―

気丈にも、そう胸を張った彼女。

―僕もファルガイアが大好きなひとりだ。キミはひとりじゃない。いっしょに戦おう……―

差し出された手を

―『いっしょに戦おう』……お主、そう申しておったな。その言葉に偽りはないか?―

射すくめる様にアシュレーの覚悟を見定めようとした。しかし、その瞳にはどこか不安が揺らめいていた。しかしそれでも、彼女は一歩踏み出した。それに応えるアシュレーもまた。

―ならば約束じゃ。次のロードブレイザーの力が再びファルガイアを脅かす時……彼奴の存在そのものをファルガイアから消し去るために、共に戦ってくれるな?―




―それが二人の『記憶』―
―それが二人の『約束』―




頷いたアシュレーに、安堵した様な、それでいてどこか救われた様な、そんな笑みを浮かべたマリアベル。
 『絆』に貴賎は無く、どれも等しく尊いものだなどとは言うが、それでも敢えて言うならば、アシュレーとマリアベルの間には間違いなく特別な『絆』があった。
 それは『戦場での絆』であり、二人きりの『約束』でもある。それが本来どんな意味を持つかは余人には分からないが、少なくともその『絆』がアシュレーの中でマリアベルを何者にも代えがたき『仲間』としていることだけは確かだった。

バッシィーン!!

―ただ、まあ―

「っ〜〜!?」

―その『約束』が噛み合うには―

「今、ものすごく失礼なことを考えんかったか?」

―もう少しだけ、時間がかかりそうだった。―




 夜、寝室で今日の出来事を思い出しながら、ぼんやりと空を眺めるアシュレー。室内に唯一ある調度品とも言える簡素な机の上には、図書館より持って来た分厚めの本が数冊乗っかっている。
 視線を室内に落とすと、隣のベッドではマリアベルがクマのぬいぐるみを枕代わりにして、スヤスヤと寝息を立てていた。

―僕は、逃げたのかな?―

そんな『仲間』の寝顔を見つめながら、アシュレーは埒もないことを考えた。
 世界を救ってから十数年。アシュレーはとある事情によって、一人タウンメリアを離れた。別に誰が悪かった訳でもない。だが、その事情はアシュレーに取っても、その周囲に取ってもおおよそ許容できる限界を超えていたと言ってもいい。だから町を去った。
 正直に言えば、アシュレーも辛かった。タウンメリアを離れたくは無かった。だが……それもまた仕方のない事だった。
 タウンメリアを離れた後のアシュレーは、当ても無く荒野を彷徨った。嘗ての『仲間』と会うことも無く。
 いや、会うことも無くというよりは自分から会おうとしなかったのだ。『記憶』の眩しさに、『別離』の悲しさに、耐えられる自信が無かった。
 『星』のガーディアンリグドブライトの誘いは、ある意味渡りに船だったのかもしれない。辛く、苦しい一人旅。その先には何も無く、その後には何も無い。そんな一人旅から解放されたそんな瞬間だった。
 ふと見ると、何時の間にやらマリアベルの布団が蹴り飛ばされて、ネグリジェから乳白色の白い肌と、小さなおへそが覗いていた。
 苦笑して、布団を掛けてやるアシュレー。
 彼は今、確かに『幸福』を感じていた。




     ◆




「「ガラガラガラ……ペッ」」

 翌朝のトリステイン魔法学院。使用人棟の裏にある、井戸の近くで、アシュレーとマリアベルは並んで口を濯いでいた。
 アシュレーの方は、伊達にパン屋の店主をやっていた訳ではなく、早朝ではあるが、その視線ははっきりとしている。対するマリアベルはというと、元々が夜行性のイモータル。しかも、数日前まで非情に不規則な生活を送っていたこともあり、意識は定まらず、未だに眠気眼を擦っている。
 井戸水で寝癖を整えるアシュレーと片手でクマのぬいぐるみを持ったままコシコシと目を擦るマリアベル。見かねたアシュレーが絞ったタオルで顔を拭いてやると、「うー、あー」と、言葉にならない呻き声を上げて、漸く意識が覚醒したようだった。

「おはよう、マリアベル」

「みう、おはようじゃアシュレー」

 身だしなみを整えて、改めて向かい合う二人。机の上から本をどけて、食堂から運んで来たパンとスープ、余り物の魚料理と、サラダを二人分並べていく。
 ハルケギニアに二人が来て二日目。何ともなしに、朝食は二人きりで取る流れになっているが、二人ともこの時間をこの上なく心地よく感じていた。その証拠に、ナイフとフォークで器用に魚の身と骨を選り分けていくアシュレーと、パンにバターを塗ってその部分を千切るマリアベルの口元には薄く出はあるが、機嫌がよさそうな笑みが浮かんでいる。

「してアシュレー。今日の予定はどうなっておるかの?」

「午前中は見回りがあったから、詰所に行くことになってるね。午後からは何も無いらしいから、図書館に行こうか?字は読めなかったけど、地図があったはずだし」

「うむ、それはそうするべきじゃの」

アシュレーの意見に、同意するように頷いたマリアベル。そして、二人は食事を進める。何ともなしに、無言が広がったが、決して居心地の悪い物ではなかった。どちらかといえば、ほんのりと心地よい、心がぽかぽかと温まる様な、そんな二人だけの時間だった……。
 朝食を終えた二人が詰所に行くと、ヘルマンから、見回りのローテーションについて聞かされた。差し出された日割り表が読めなかったことから、ヘルマンから字を少しだけ教えてもらえたのは、二人に取って僥倖だった。そして現在、

「むー、なかなか釣れんのぅ」

「まだ針を入れて5分も経ってないよ?我慢我慢」

二人は学院の裏にある池で釣りをしている所だった。
 ヘルマンから渡された時間割には、アシュレーとマリアベルの分担が書かれてはいたものの、明らかにローテーションに無理矢理組み込んだ感じのするもので、無駄も多く、割り振られた場所もひどかった。
 ローテーションはアシュレーとマリアベルの二人。これは他の隊員への配慮だろう。そして、割り振られた場所も、他の隊員とは決して重なることの無い、学院の裏という場所だった。しかも範囲は池一つ分。通常ならば、ここでアシュレー達に失態を犯させて、責任を取らせる形で自分達に有利なカードを揃えるのだろうが、エルフと思われているマリアベルを前に、貴族の子弟を預かるオスマンは、そんな選択肢は選ばなかった。但し、学院裏の池は、学院長室の窓から丁度見渡せる場所にあったが。
 さて、組まれたローテーションを、釣りという時間つぶしで終えた二人は、昼食をとるために、釣り具をまとめていると、そこに一人の少女が走って来た。

「あれ?」

「む?」

首を傾げたアシュレーと、いぶかしげな声を出すマリアベル。視線の先に現れた少女、黒いショートヘアーの使用人服には見覚えがあった。二人も、複数回会ったことのある彼女は、メイドのシエスタだった。
 ギュッと目を瞑って走って来たシエスタは、倒れ込むように地面に手を着くと、肩で荒く息を吐きながら、ぽろぽろと大粒の涙を零し始めた。
 突然の出来事に呆気に取られたものの、チラリと視線を交わしたアシュレーとマリアベルは、互いに頷いてシエスタの方へと歩み寄った。

「確か、シエスタじゃったの。どうかしたのか?」

「え?」

マリアベルに声を掛けられて、漸く自分の前にアシュレーとマリアベルがいることに気が付いた彼女は、一瞬目を見開いた後、慌てて立ち上がっる。

「す、すみません。見苦しい所をお見せして」

そう言って頭を下げたシエスタに、「気にしなくてもいいよ。そんなことより」とアシュレーが口を開く。

「何があったんだい?そんな顔をして」

「え?あ……」

今更ながらに、涙で濡れた自身の顔に気が付いたシエスタが、ごしごしとエプロンで顔を拭う。その様子を黙って見ていたアシュレーとマリアベルは、彼女が何とか呼吸を整えるのを待って、改めて質問した。

「それで、一体何があったんだい?」

「わらわ達に話してみんか?荒事であれば十分に力になれるぞ?」

心配そうに自信を覗きこんでくるアシュレーと、自信ありげな様子のマリアベルに、少し彼らのことを心配して口ごもったシエスタだったが、やがて決心すると、何があったかを話し始めた。
 ポツリポツリと語られるシエスタからの説明に、アシュレーの表情が強張っていく。と糊に立つマリアベルの表情も厳しい物だった。
 説明の中で分かったことは、どうやら、ルイズに召喚された使い魔が、自分達と同じく人間であるらしく、シエスタに八つ当たりをした貴族に、決闘を吹っかけられて受けてしまったとのことだ。
 シエスタの話が終わるのとほぼ同時に、アシュレーはその場から駆け出していた。向かう先はヴェストリ広場。使い魔である平民と、貴族との決闘という名の処刑の舞台だった。




 貴族とは一体何なのだろうか?
 この問いに答えることは、容易なようでいて非常に難しい。何故ならば、その定義は各人によって、大きく異なるからだ。もし仮に、ハルケギニアに於いて、平民に貴族の定義を尋ねれば、十中八九、恨みつらみの籠った非難の声が聞けるだろう。だが、貴族にその定義を聞けば、「始祖ブリミルに連なる高貴な血筋」、あるいは、「魔法を使える者」等といった答えが返って来ることが多いだろう。ある少女などは「魔法を使える者を貴族というのでは無く敵に後ろを見せない者を貴族という」と定義したが、その少女は魔法が使えなくとも貴族に成り得るゲルマニアという国を心底蔑視していた。つまり、貴族などという物への定義はその時の状況気分次第でコロコロ変わる物と言ってよかった。法律で明記されていることであっても、皮肉気にそれを切り捨てる者も多いだろう。ただ、少なくとも「諸事情により一定の権利を有する者」という大まかな定義には否はそうないだろう。
 アシュレーに取っての貴族とは、嘗ての仲間、アーヴィングでありアルテイシアである。マリアベルの場合はそれよりも大きな部分をアナスタシアという昔の盟友が占めるだろう。故に、二人ともハルケギニアの平民による「貴族差別」には、若干懐疑的な所がある。だがそれでも、

「マリアベル!」

傷だらけになった少年を、

「うむ!」

優越感に浸りきった眼差しで見下すことを、

「スカイツイスターじゃ!!!!」

正義と断じることは無かった。




 突然巨大なつむじ風が襲ったヴェストリ広場は、にわかに騒然となる。混乱した生徒の何人かや、使い魔達が騒ぐ中、アシュレーは持ち前のスピードを生かして、平民の少年、ヒラガ・サイトの確保を行う。

「大丈夫かい?シッカリするんだ」

「う、あ、あんたは?」

「今は立たないで。楽にしてるんだ。マリアベルがすぐに片づけるから」

そう言って、立ち上がろうとする少年を押し留めたアシュレー。少年の方は一瞬複雑そうな表情をしたが、体力か緊張の糸が切れたのか、そのまま崩れ落ちる少年。アシュレーが彼を担ぎ上げた先では、マリアベルが髪を掻き上げる様な仕草をする。そして、それを見た金髪の少年の顔色が途端に青ざめ、やがて二言三言言い置くと、足早にヴェストリ広場を後にしたのだった。




 学院の医務室を、青い髪の青年と金色の髪の少女が後にする。
 あの後、意識を失った黒い髪の少年をアシュレーが医務室に運びこむのとほぼ同時に、どうやらその少年の主人となったらしい、昨日のミス・ヴァリエールと呼ばれていた桃色の髪の少女が駆け込んで来た。少年に泣き縋る少女など、あまり見るものでもないので、二人はなるべく音をたてないように医務室を出た。
 二人が廊下を歩いていると、前方からシエスタが駆け足でやって来た。

「あ!アシュレーさんにマリアベルさん!」

「む?おお、シエスタか」

いち早く気付いたマリアベルが、思い出したように少年の事を告げる。

「あの小童ならば、今は医務室で寝ておるぞ。所々負傷してはおるが、命に別条は無いそうじゃ」

「そ、そうですか……よかった〜〜〜〜」

ホッと胸をなでおろすシエスタ。そして、思い出したようにハッとなると、慌てて二人に頭を下げた。

「あの、ありがとうございます!」

「へ?」

「む?」

一瞬、何の事だか分からないと言う表情になったアシュレーとマリアベルの二人だったが、続いたシエスタの言葉に理解する。

「サイトさんを助けてくれて、本当にありがとうございます」

「ふむ」

頷いたマリアベル。

「ま、気にせんでもいいぞ。実際大したことはしておらんからの」

「いえ!それでは私の気が済みません」

顔を上げたシエスタが、きっぱりとした口調で言い切った。

「何かないでしょうか?私に出来ることなら何でもします!」

その言葉に、少し考え込むマリアベル。と、隣にいたアシュレーがふと思い至った様にポンッと手を打つ。

(そうだ、マリアベル)

(む?何かいい案でも思いついたのかの?)

(うん。ほら、図書館の)

(ああ。成程、それはいい案じゃの)

アシュレーの耳打ちに、マリアベルも納得したように頷いた。

「それではシエスタ。折り入って頼みがあるのじゃが」

「はい、なんでしょうか?」

「では頼みなのじゃが、わらわ達に字を教えてはもらえぬかの?」

「はい?」

マリアベルの言葉に、シエスタが意外そうに小首を傾げてクエスチョンマークを浮かべる。

「どうしたのじゃ?そんなにわらわ達の頼みは意外かの?」

「あ、いえ、そんなことは無いです。ただ、御二人とも家名を名乗っていましたから」

「こちらの世界では珍しいことなのかの?」

「はい。家名があるということは、その方が貴族に連なる方であるという事ですから」

頷いたシエスタに、アシュレー達も納得する。

「まあ、その辺の事情は置いておいての、どうじゃろう。わらわ達の頼みを聞いてもらえるかの?」

「はい、任せてくださいっ!」




     ◆




 それから、数日の間にアシュレーとマリアベルのハルケギニアでの一応の日常が定まった。
 まず、早朝起床すると、身だしなみを整えて食事を済ませる。その後は二人きりで軽めのトレーニングをし(普通の衛兵では二人の動きについてこれない)、見回りを行う。昼になれば昼食をとり、その後はシエスタによる文字と文法の授業。それが終われば午後の見回りがあり、夕食と入浴。そして書物の読み解きを行った後に床に入る。
 割と几帳面なアシュレーと、自身に習慣は無かったものの綺麗好きなマリアベルによって、それなりに清潔な毎日を送っていた。

(良いモノじゃな……)

ベッドの上で、ネグリジェ姿のマリアベルが足をぶらぶらさせながら、内心でそう呟いた。ハルケギニアに来てまだ数日。しかし、その数日でここ数百年感じたことの無い充足感をマリアベルは味わっていた。
 自身を戦いの中で生きる者などという気は無い。日常を甘受しつつも心の奥底で非日常を望んだりもしない。だが、この『非日常』が無ければ、アシュレーと自分が出会う可能性もまた、有り得ないものであったことは理解出来た。
 ふと隣を見ればARMS時代からの『仲間』、アシュレーがいる。ただそれだけの事実が、妙にうれしかった。
 真剣な表情でページを捲るアシュレーだったが、そのスピードは実はマリアベルよりも遅い。普段からあまり本を読んだりといった習慣が無かったアシュレーは、こういったことが苦手なのだ。何となく昔のことを思い出して、クスリと笑ったマリアベル。と、丁度明日に迫った最初の給料日と休日の事を思い出して、マリアベルはあることを思いついた。

「のう、アシュレー」

声を掛けられたアシュレーが何の気なしに顔を上げた。それが、今の二人の日常だった。




     ◆




―虚無の日―
 『ハルケギニア』にやってきて最初の休日。二人はマリアベルの提案により、王都トリスタニアへと向かっている所だった。パッカラパッカラ音を立てながら道を進む馬に揺られ、気持ち良さそうに目を細めるマリアベル。流れる空気は清涼で、肺に満たせば空すら飛べそうであった。そのマリアベルを、後ろから回した手で落ちないように支えながら手綱を握るアシュレー。彼もまた、今日の外出に結構な好奇心を感じていた。

「ふむ、ここが王都トリスタニアか。なかなかに賑やかな所じゃの」

ぴょんっとアシュレーの腕の中から飛び降りたマリアベルが、そう感想を漏らす。流石に王都というだけはあって人も多く、学院の様な子供の騒がしさとはまた違った趣の喧騒が巻き起こっている。

「今日の予定は……」

トリスタニアに来る前に字の練習がてら準備したメモをアシュレーが開く。

「まず、宝石類の換金。全部じゃなくて少しだけね」

「うむ、ちゃんと持っておるぞ」

両手に乗せた二三個の宝石を見せるマリアベル。

「次に物価の相場の確認」

「デートじゃな」

「遊ばないでくれマリアベル」

ニヤリと笑った吸血鬼の少女に、頭を押さえるアシュレー。この場合遊ぶというのは「アシュレーと」ではなく「アシュレーで」が正しい。そして、

「で、最後のこの『お楽しみ?』って何?」

「見ての通りのお楽しみじゃが?」

ジトッとした目で見るアシュレーに、マリアベルは視線を逸らしながら口笛を吹く。あからさまに怪しい行動だったのだが、グダグダしていては何も始まらないし、こう見えてマリアベルは案外良識はあるので、それほど深刻なことにはならないだろうと考えてアシュレーはため息一つ、マリアベルを促して街へと入って行った。




――後悔した

「頼む!止めてくれ、マリアベル!」

「ええい、黙れ黙れ!往生際が悪いぞアシュレー・ウィンチェスター!!」

 往来のど真ん中で、アホな寸劇を行う二人。周囲の視線も徐々に増え、その好奇の視線が侮蔑へと変わらないのは、引っ張る側と引っ張られる側がちぐはぐだからだろうか?唯一の救いといえば唯一の救いなのだが、その程度で救われるなら拒否などはなからしない。
 アシュレーがここまで忌避する物とは一体何か?それは、

「何で僕がマリアベルの下着を選ばなくちゃいけないんだ!?」

まあ、そういう事だった。
 ランジェリーショップの前にあったパン屋のレンガの壁に素手で穴を開けて縋り付くアシュレーと、そのベルトを掴んで思いっきり引っ張るマリアベル。周囲から見ればコミカルな一幕だが、アシュレーにしてみれば男性としての尊厳に掛けても潜りたくない門だ。が、そんなアシュレーの願いもマリアベルには届かなかった。

「むぅ、このままでは埒が開かん。アカ!アオ!」

マリアベルが叫ぶのとほぼ同時に、バックの中から赤と青の金属の塊が飛び出す。そして、

「がはっ!?」

一切の手加減無くアシュレーの頭を直撃した。

「では行くぞ♪」

白目を剥いて気絶するアシュレーを担ぎ上げて店内に向かうマリアベルとそれに続くアカ&アオ。周囲の観客は、その一連の鮮やかな動きに「おおぉ〜」とどよめいて、誰ともなしに拍手を送るのだった。


―入口を抜けると、そこは異空間だった―


 アシュレーはそんな感想を抱いた。暖色から寒色、色合いの濃淡まで。様々な女性用下着が所狭しと飾られている。そして、その品々を物色する女性達。中には身形の良い一目で貴族と分かる女性達もいるが、何かしら威張り散らした様子も無く、明らかに一般客である平民の女性と下着を見せ合いながら熱心になにやら話し込んでいた。そして、そのほとんどがアシュレーが店内に入るのとほぼ同時に、一斉にその視線を向ける。大抵の視線は好奇か非難の物であったが、隣でアシュレーを握り締める少女を見て、やや納得したように頷く女性達。非難の視線を向けていた者達もアシュレーを引っ張るマリアベルの機嫌の良さを見て、「仕方ない」と肩をすくめてアシュレーを見逃す。中には、明らかにそちらの商売をしていると一目で分かる、かなり過激な下着の前に立っている女性達が別の意味での好奇の視線をアシュレーに向けていた。アシュレーは、本人は意識してはいないが、それなりにモテる。といっても、外見云々ではなく、穏やかそうな風貌と優しげなオーラから手を出してもおよそ無害と判断出来る為である。実際のところ、中身はそれほど単純な優しさのみの人間ではないのだが。外見に関しても、大凡及第点以上はいっているので、上手く引っ掻ければ仲間内でそれなりに自慢出来るのかもしれなかった。ただまあ、そういった女性達がアシュレーをからかおうとしなかったのは、一重に隣にいるマリアベルが理由だろう。いくら、男を引っ掛けるためとはいえ、隣で自分達よりもはるかに小さい少女が楽しそうにしている以上、ここで声を掛けるのは淑女としてルール違反だった。
 鼻歌を歌いながら、店内をまずざっと見回すマリアベル。その隣で真っ赤になって居心地悪そうにするアシュレーだったが、そんなことはお構いなしに、気に入ったタイプの下着を二三見つくろって試着室に向かう。

「ちょっと待っておれ」

そう言って颯爽と中に飛び込んでしまったマリアベルに引かれる様にアシュレーの物言いたげな手が持ち上がるが、掴む物も無くやがてフワフワと下へ落ちてしまう。

「……はぁぁぁ」

盛大に溜息をついて、アシュレーはがっくりと項垂れるのだった。
 本当の所を言えば、アシュレーは女性の下着を選ぶこと自体は初めての経験ではない。それも当然と言えば当然で、外見や身形は十九歳のままの彼だが、実年齢は数百歳で既婚者であったこともあるのだ。まだ、タウンメリアにいたころに、何度となくマリナの下着を選ばされたこともあった。内何度かは「アシュレーが脱がせること」を想定した物もあった。なので、実の所女性の下着を選ぶという点だけならばアシュレーはそれほど気負う必要は無かった。問題は、マリアベルの外見である。何度も言うが、マリアベルの外見は少女のそれである。流石にアシュレーと親子と見られることは無いが、かと言って恋人と見られることもないだろう。せいぜい兄妹や親戚がいい所だ。では、そんな関係と思われているアシュレーが、マリナやアルテイシアの様な大人の女性が着用する下着を、マリアベルの様な少女に勧めた場合、周囲からは一体どのような目で見られることになるだろうか?アシュレーが頭を抱えるのはそこだった。マリアベルが自発的に大人しめの下着を選んでくれるならばまだいい。が、相手は数千年を生きたイモータル。美的センスなどは大人の女性のそれだ。そして、普段何気なく隠されてはいるものの、彼女自身も自分の子供の外見を気にしている所があるらしく、子供扱いをされることを嫌う傾向にある。もしこの二点が合わさった場合どうなるだろうか?

「待たせたの、アシュレー」

答えは見ての通りだった。
 試着室のカーテンを開いて出て来たマリアベルの姿に、アシュレーがポカンと口を開ける。そんなアシュレーの前で「ふふん♪」と気取った様子で腰を捻るマリアベル。その出で立ちは、想像通りであって想像の範囲外。
 キャミソールまではまだいい。本来ならアウトな程布地が透けてはいるが、この店の商品の中ではまだましな方だ。が、ボトムはどこをどう間違ったのか、大人でも着用する人間は限られるGストリングであった。
 プリッと形の良い臀部を向けながら片目を瞑って見せるマリアベルの前でアシュレーはただただ呆然と立ち尽くした。「ふむ、わらわの美しさに悩殺されてしまったかの♪」などとマリアベルは言っているが、アシュレーの頭の中にあるのはただただ自身が犯罪者にならない方法だけだった。しかし、そんなアシュレーの内心を知ってか知らずか、マリアベルの公開処刑は続いて行く。

「これはどうじゃ?」

「次はこれじゃ」

「ふむ、こんなのもあるの♪」

……




 アシュレーが我に返った時には、既に昼も回って随分と経っていた。意識はあったはずなのだが記憶がおぼろげなアシュレーをよそに、マリアベルは機嫌良さそうに買ったばかりの下着類の入った紙袋を抱えている。
 と、通りを歩いている二人の横を、大量の紙束を抱えた少年が走り抜けていった。

「号外!号外!『土くれ』のフーケがまた現れたよ!」

少年の後に空を舞った紙束の一つをアシュレーが掴んで開いてみる。

「何が書いてあるのじゃ?」

号外を手に取ったアシュレーを見上げて尋ねるマリアベルに「ちょっと待って」と言って、新聞を音読する。

「えっと、『土くれ』のフーケ再度現る。ジュール・ド・モット伯別邸……」

新聞の内容に、マリアベルが腕を組んで「ふむ」と呟く。

「『土くれ』のフーケは確か、」

「ああ。シエスタが昨日言っていた」

何かを思い出す様に首を傾げるマリアベルに、アシュレーが同意するように頷く。
 数日前、アシュレーとマリアベルがいつもの様に井戸場で身だしなみを整えようとしていると、籠一杯の洗濯物を持ったシエスタがやって来た。

『あ、おはようシエスタ』

『おお。おはようじゃシエスタ』

先日の黒髪の少年の件もあってか、二人とメイドは大分顔馴染みになっていた。

『おはようございます。アシュレーさん、マリアベルさん』

そう言って、にっこりと笑うシエスタに、何となくアシュレーとマリアベルの顔もほころぶ。

『珍しいの。普段は食堂の方で給仕をしておったじゃろ?』

マリアベルがそう言って首を傾げる。活気があって気立てのよいシエスタは、食堂を預かる料理長のマルトーのお気に入りだ。学院に来てまだそれほど長い訳ではないらしいが、貴族の対面に立つ仕事を任されている辺り、かなり信用されていると言っていい。その彼女が洗濯に回っているのはどういうことだろうか?

『実は今日、選択の当番だった子が風邪をひいてしまして』

そう言いながら、立てかけてあった盥に水を満たして洗濯板を立てかけるシエスタ。と、ふと思い出したようにシエスタが『そう言えば、』と口を開く。

『アシュレーさんとマリアベルさんは『土くれ』のフーケって知ってますか?』

『『土くれ』?聞いたこと無いの』

『うん。初めて聞いたけど』

揃って首を横に振るアシュレーとマリアベルに、シエスタが少し声をひそめて説明する。

『実は、ここ数カ月で物凄く有名になった盗賊なんですけどね。土の魔法を使って盗みを働く盗賊なんですよ』

『それが『土くれ』の由来かの?』

『それもあるかもしれませんが、盗んだ後に必ず『土くれ』で犯行を書き置いて行くことからそう呼ばれる様になったらしいです』

神妙な顔で話すシエスタに、アシュレーは何となく言いたいことを察した。

『もしかしたら、この学院にも来るかもしれないって思うのかい?』

『はい』

アシュレーの質問に、シエスタは首を縦に振る。

『ふむ、心当たりがあるのかの?』

『心当たりって程のものじゃないですけど。ここって貴族の方がとても多いじゃないですか。それに、宝物庫だってあるんですよ?』

『なるほど。狙わぬ理由を探す方が難しいか……』

腕を組んで唸るマリアベルに、シエスタは強く頷く。

『ええ、そうです。みんなそれを心配してちょっとナイーブになっちゃっていて』

そう言って困った顔をするシエスタ。流石に朝から彼女にこんな顔をさせておくのもあれなので、アシュレーが話題を変える。

『そう言えば、この間の決闘をしていた、サイト君だっけ?元気になったの?』

『あ、はい!もうすっかり!』

アシュレーの質問に、シエスタはパッと表情を明るくして嬉しそうに頷く。

『今は、もうミス・ヴァリエールの手伝いをしているとか』

『ふむ』

頷くマリアベルをよそに、シエスタの声が急に底冷えする物になる。

『ふふ、ふふふ。ずるいですよね。サイトさんは私の為に戦ってくれたんですよ?だったら私が看病するのが筋じゃないですか。なのに、『邪魔だから出て行って!』なんて。一体何様のつもりなんでしょうね、あのピンクヘッドは……』

うふふふふ、と笑うシエスタを見なかったことにした二人は、『そ、それじゃあ』『う、うむ』と言い置いて足早に水場から逃げ出したのだった。
 号外を見つめながら、マリアベルが首を傾げる。

「のう、アシュレー」

「ん?どうかした?」

「今気が付いたのじゃが」

そう言って、マリアベルが今までのフーケの犯行場所を書いた地図の部分を指し示す。

「フーケの犯行場所じゃが、一貫していると思わんか?」

「うん?」

マリアベルはそんな事を云ったが、アシュレーには良く分からない。首を傾げるアシュレーから、新聞を受け取り、ポケットから筆記用具を一つ取りだす。

「トリステインでのフーケの最初の犯行現場はここ。次がここじゃな」

そう言いながら、次々と丸を書き込んでいく。一見乱雑で、無造作に犯行現場が選ばれたようにしか見えない。が、

「で、最後にこうなるの」

そう言って、マリアベルがぐるりと大きく今までの犯行場所の全てを円で囲んだ時、アシュレーがハッとなった。
 そう、今まで行われて来たフーケの犯行現場を全て囲んでみると、綺麗な同心円状になっていたのだ。

「マリアベル。これは……」

「見た所、この世界は交通機関はあまり発達していないようじゃからの。僅か数か月で何度も犯行を起こそうとすれば、拠点が必要になる」

「そして、拠点からはあまり離れられない……か」

アシュレーの呟きに、マリアベルが頷く。

「尤も、恐らくこれ以上の絞り込みは不可能じゃろうな。顔はおろか、性別すら分からないのじゃからの。そして、」

最後に一か所、×で印をつけるマリアベル。

「どうやら、シエスタの言っていたこともあながち外れではないかもしれんの」

地図上の同心円の内側の×印。そこにははっきりと『トリステイン魔法学院』と書かれていた。




―それが、今日あった出来事。そして、アシュレーとマリアベルはその予感めいた物が的中してしまったことを、学院に戻って来るのとほぼ同時に知るのだった―




     ◆




「ヘルマンさん!」

 アシュレーとマリアベルの二人が衛兵の詰所に駆け込むと、丁度ヘルマンが衛兵隊の前で黒板に何やら書き込んでいる所だった。部屋にいる衛兵は全員が真剣な表情を浮かべており、ここ数日で顔馴染みとなった者達も一様に顔を強張らせている。
 中に入って来たアシュレーとマリアベルに気が付いたヘルマンは「全員そろったみたいだな」と言って、話を始めた。

「先ず、端的に言ってしまうが、学院に『土くれ』のフーケが入った」

ヘルマンの言葉に、数人が息をのみ、他の者達も神妙な顔をして話を聞いている。

「時刻は××時。数名の生徒が宝物庫のある塔で何やら賭けをやっていた際に、魔法の流れ弾で当にヒビが入ったとの報告を受けている。どうやら『土くれ』のフーケはそのヒビを利用して塔の壁を破壊したらしい。巨大ゴーレムで穴を開けると、まんまと」

「ちょっといいですか?」

ヘルマンが一区切り話し終えた所で、アシュレーが手を上げる。

「なんだね?ミスタ・ウィンチェスター」

「宝物庫は確か夜間の見張りがいたはずですよね?」

ヘルマンから渡されたローテーションには確かにそう書いてあった。アシュレーの質問に、ヘルマンが頷く。

「確かに、見張りがいることにはなっていた。が、実際のところ、魔法の使える貴族がここまでたくさんいる様な所にわざわざ盗みに入る者等いないだろうとまともに見張りをしている教師など一人もいなかったのが現状だったな」

ヘルマンの答えに、衛兵たちの間では若干呆れた空気が広がる。ただまあ、それは仕方のないことなのかもしれなかった。衛兵たちは学院の安全を預かることが仕事だが、教師は生徒を指導することが本分であって、見張りはおまけでしかない。

「しかし、それは妙ではないかの?」

ぽつりと呟いたマリアベルの声がやけにはっきりと室内に響いた。数名が訝しげな表情で振り返る中、ヘルマンが「何が妙なのかね?」とマリアベルに尋ねる。

「『土くれ』のフーケの行動に関して疑問があったのじゃ」

「疑問」

「うむ」

マリアベルが頷く。

「いくらピンキリとはいえ、教師クラスのトライアングルのメイジに足止めに徹されれば、他の教師がやって来るまでの時間は稼がれてしまうじゃろ?そうなればいくら手練とはいえ、たった一人で学院中の教師を相手取ることは無理というモノじゃ」

「ふむ。確かにそうだ」

ヘルマンが頷いたのを確認して、マリアベルは続ける。

「で、あるにも関わらずじゃ、今回『土くれ』はまるで教師が宝物庫にいないことを知っていたかのように、躊躇無く巨大ゴーレムで穴を開けるなどという派手な方法で盗みを行った」

周囲の衛兵達が、確かに、と頷いてヒソヒソと話し始める。全員が、マリアベルの言葉の意味を理解するまで数秒とかからなかった。

「それはつまり、学院内部に犯人がいる可能性があるということかい?ミス・アーミティッジ」

「その可能性は否定できんということじゃ……」

マリアベルの言葉に、ヒソヒソ声が一段と大きくなる。肩を寄せてなにやら話し込む集団の中で、アシュレーはふとあることが思い浮かんで、挙手をする。

「ミスタ・ウィンチェスター」

ヘルマンに名指しされたアシュレーが、立ち上がってその疑問を口にする。

「あの、『土くれ』のフーケが学院に侵入した痕跡はあったのですか?」

アシュレーの疑問に、ヘルマンが妙な事を聞かれたと首を傾げる。

「そんなモノ沢山あるだろう。土くれの書き置きだけでなく、穴の開いた塔もだ」

「いえ、それはフーケの侵入した痕跡ではありません」

アシュレーが、ヘルマンの言葉を否定する。

「僕が知りたいのは、フーケが侵入した後に出来た痕跡ではなく、フーケが学院に侵入する際に出来た痕跡は無いかということなんですが」

アシュレーの疑問に、ヘルマンは少し考え込む様な仕草をして、やがて考えをまとめたらしく、顔を上げる。

「よし、それではこれから各自捜査に移ってもらう。フーケは、場合によっては学院関係者の可能性がある。皆、その可能性を考慮して操作にあたってくれ」

「「「「「はっ!」」」」」

衛兵達が一斉に立ち上がると、乱れの無い動作で部屋を出て行った。
 後に残ったヘルマンとアシュレー、そしてマリアベルは、顔を見合わせて頷くと、すぐに校舎、学院長室へ向かうのだった。




 学院長室の扉を開けようとした所で丁度出て来た秘書の女性を避けて、三人は学院長室へ入る。すると、そこでは丁度、『土くれ』のフーケ捕縛の為に数名の生徒が杖を掲げた所だった。その中には、アシュレー達が『ハルケギニア』侵入の為に使ってしまった少女、ルイズの姿もあった。
 ヘルマン達が入室すると、そこにいた教師達が不審げな表情を浮かべる。中には、腹立たしげにヘルマンを見る者もいたが、睨まれた本人は気にせずに、オスマンに先程の件を伝える。それを聞いたオスマンは大きく溜息を吐いた。周囲にいた教師達など、半狂乱で「証拠はあるのか!?」と叫んでいる者もいる。と、アシュレーが「そう言えば」と口を開く。

「さっきの女性はどうしたんですか?」

アシュレーと同じ疑問をマリアベルとヘルマンも抱いたらしかったが、教師達は気にした様子が無い。

「おお、ミスロングビルはの、『土くれ』のフーケの居場所を突き止めてくれて今帰って来たところでの、丁度、捕縛隊を結成した所なのじゃが。向かう先が少々遠いらしくての、馬車を用意しに行ったのじゃ」

オスマンの答えに数名の教師が頷いて、「衛兵ごときが出しゃばりおって」と小声で呟いたりもしている。が、そこではルマンは再度首を捻ることになる。

「あの、お言葉ですが学院長」

「まだ、何かあるのかの?」

「ええ。昨晩のことなのですが」

「うむ」

「私は誰か学院の方が馬を使ったという報告は受けていないのですが」

「ひょ?」

ヘルマンの言葉に、素っ頓狂な声を上げるオスマン。
 学院の私有財産である馬の管理は、力仕事でもあり、それを場合によっては使用することになるため、衛兵に任せられていた。

「偶然ではないのかね?もしくはまだ報告をしていないだけでは」

「もしも、学院の馬に何かありましたら、平民である私達ではとてもではありませんが弁償出来ません。他の衛兵もそれは分かっているので可能性は限りなく低いでしょう」

室内に沈黙が下りたが、男性教師の一人が「しかし」と反論を口にする。

「確か彼女は土のラインだったはずだ。とてもではないが巨大なゴーレムを作ることなど無理だろう」

その教師の言葉に、数名の『土』の魔法の教師が同意するように頷く。

「しかし、ならばどうやって先程の秘書はフーケの居場所を突き止めたのじゃ?」

「何でも、昨日の騒ぎを聞きつけて、こっそり着いて行ったそうじゃ。恐らく『フライ』の魔法でも使ったのじゃろう」

マリアベルの疑問にオスマンが答え、やはり周囲の教師が頷く。今度は先ほどよりも確とした理由な上に、秘書の無実の決定的な証拠とも言えるものなので、先ほどよりも多くの教師が同意した。

「え?でも、土のメイジの人はフライのような呪文は苦手なはずですよね。『土』のラインの人が、巨大なゴーレムのスピードに追いつける様なフライを扱うことなんて出来るんですか?」

アシュレーが、最近読んだ本の知識を引っ張り出して疑問を口にする。

「しかも、夜に出て今頃になって帰って来るほどの距離を……の」

マリアベルの、止めとも言える言葉に、改めて沈黙が下りる。まだ犯人である確証は得られた訳ではない。証拠もまだ十分とはいえない。しかし、

「止むを得ん。ミス・ロングビルには事情聴取を行う。良いの?」

その言葉に、そこにいた全員が頷いた。




     ◆




 夜。
 あの後、秘書の取り調べが行われたが、最初の方はしらを切っていたものの、徐々に返答に窮するようになっていき、色仕掛けをしようにも、強盗の際の当直だった、今回の件で首に成りかけた女性教師を筆頭に女性職員によって取り調べは続き、最後は実力行使に出ようとした所を、その場にいた教師陣全員によって捕縛されることと相成った。彼女のミスは無事に盗み出した物を、そのまま好事家に売り飛ばさずに、値を吊り上げるために使用方法を確認しようとしたことだろう。それが無ければ、少なくとも捕まることは無かった。
 さて、そんなこんなで無事に『土くれ』のフーケの捕獲に成功したため、当初中止される予定であった『フリッグの舞踏会』が無事開催され、今まさに佳境を迎えようとしている。尤も、今回の件もあったため、未だ気は抜けないと衛兵達は舞踏会の間中常日頃より一層厳しい警戒態勢を敷くこととなり、一応とはいえ衛兵隊に所属するアシュレーとマリアベルの二人もまた、時間外の見張りに勤しんでいる所だった。

「ふむ、良い月じゃの」

二人がいるのは、初めてこの『ハルケギニア』に降り立った場所。トリステイン魔法学院の広場だった。
 その中心に立つ二人。二人がいる場所はすっかり魔法陣は消えてしまっているものの、その中心であった場所で、二つの月を見上げていた。
 フーケが捕えられたため、厳戒態勢を敷く等といつ通達はあったものの、実の所熱心に見張りをやっている衛兵はあまりいなかった。そもそも、今回の様な『土くれ』のフーケが特殊なケースなのであって、本来トリステイン魔法学院は非常に安全な場所と言ってよかった。その為、「一度あったのならば二度目もあるかもしれない」と考える者よりも「一人目が掴まったのなら次はいないだろう」と考える者の方が圧倒的に多かった。
 アシュレーとマリアベルの二人は、別に油断した訳でもないが、妙に気張る必要もないだろうと、リラックスした体勢で見張り兼月見を楽しんでいる。

「あ、そうじゃ」

マリアベルが、思い出したようにカバンを探り、中から一本のボトルを取り出す。

「それ、どうしたんだい?」

アシュレーの疑問に、「むほほほほ」といやらしい笑みを浮かべてボトルに頬擦りをするマリアベル。

「いやなに、今日は舞踏会というからの。無事開催で来た功労者でもあるわらわ達も何かしら報いられることがあってしかるべきじゃろ?」

そう言って笑う。マリアベルをアシュレーがジトッとした目で見る。

「盗んで来たってこと?」

「人聞きの悪い事を云うで無い。正当な報酬を態々渡す手間を省いてやっただけじゃ」

そう言って楽しそうに鼻歌を歌うマリアベルにアシュレーは苦笑しながら「ま、そういうことにしとこっか」と呟いて、その隣に腰掛ける。

「うむうむ、人間もノーブルレッドも、素直が一番じゃぞ」

そう言って、マリアベルはボトルのコルク栓を軽く口でくわえると、ボトルを引っ張ってその栓を引き抜いた。
 キュポンと音を立てて揺れるビンは、マリアベルがコルク栓をポケットにしまうのとほぼ同時に、その芳醇な香りを際立たせる。

「さて、それでは乾杯でもするかの」

一つしかないボトルを掲げて、マリアベルが謡う様に呟く。先程の粗野とも取れる動作と今の様なお嬢様然とした仕草の両方が無理無く同居し、ちぐはぐさを感じさせない独特の雰囲気がマリアベルにはあるとアシュレーは感じていた。

「何に対して?」

「ふむ、わらわとアシュレーの再会にでどうじゃ?」

「あはは、そうだね。そういえば、それの乾杯はしてなかったね」

楽しげに笑うアシュレー。対するマリアベルも、アシュレーの笑顔に機嫌良さそうに頷いた。

「では、わらわとアシュレーの再会を祝して」

「「乾杯」」

一本のボトルを二人で持って、月に掲げる様にして乾杯をする二人。それを降ろすと、まず、マリアベルが唇を付け、その血の様な液体を口にする。コクリコクリと嚥下する都度に小さく蠢くその白い喉が、どことなく清純でありながら蠱惑的な淫靡さを浮かべている。

「ふむ、いいワインじゃの。ほれアシュレー、返杯じゃ」

そう言って渡されたボトルを受け取り口を付けると、仄かに甘い香りが口いっぱいに広がった。
 独特の深い味わいに、思わず舌鼓を打つアシュレー。その様子をじっと見ていたマリアベルが、僅かに逡巡した様子であったが、何かを決心したように口を開いた。

「のう、アシュレー」

「ん?どうしたんだマリアベル?」

マリアベルの様子に気が付かないのか、アシュレーはどことなくくつろいだ様子で、マリアベルを見る。しかし、意を決した様子のマリアベルはお構いなしにその次を続けた。

「少し前から聞きたいことがあったのじゃが」

「うん」

「その……




何故、お主はタウンメリアを出たのじゃ?」




周囲に痛い沈黙が広がる。マリアベルは一瞬、聞くべきではなかったかと思ったが、これだけは、聞かずには居られなかった。聞かなければいけなかった。
 マリアベルにとって『仲間』というものがどれ程大切なものなのかは最早言うまでもない。だからこそ、アシュレーが『マリナ』というものを手放した理由だけは聞いておかなければいけなかった。自身もまた、ある理由で外界との繋がりを断った身だ。原因を思い付きもすれば、その苦しさも理解できる。だからこそ、アシュレーや他の仲間達には自分と同じような真似はして欲しくないとも思っていた。おせっかいで身勝手な事ではあるが、マリアベルにとっての偽らざる本音だった。
 少し、長めの沈黙が下りた。その間、マリアベルは表情の無いアシュレーの横顔を瞬き一つせずにじっと見つめていた。やがて、一口ボトルに口を付けると、アシュレーが静かに口を開いた。

「無理がね……来ちゃったんだ」

「無理?」

「うん。無理」

頷いたアシュレーが、スッとマリアベルを見つめる。

「タウンメリアに戻った後、僕は漸く戦いから解放されて、幸せな日々を送っていた」

「……」

「アーヴィングとアルテイシアさんの一周忌で子供を連れていった時のこと覚えてる?」

「うむ、お主の幸せそうな顔を今でもよく覚えておる」

「うん、僕もあの時は幸せだった……」

そう言って、懐かしむ様に笑うアシュレー。

「子供達の成長を見守る毎日も、とっても楽しかった。その前みたいにファルガイアを飛び回る様な毎日はもう無くなったけど、そこには確かに平和と僕の日常があった」

「トニー達とも、仲良くやっておったのじゃろう?」

「うん」

マリアベルの口から出た少年の名前。嘗て少年ARMSを名乗ったやんちゃ坊主達も、あの戦いで一回りも二回りも大きくなった。

「あまり変化は無い日常だった。でも、だからこそこの平和はずっと続くんだって……そう思っていた」

「でも、」とアシュレーが続ける。

「変化が無かったのは、僕だけだったんだ」

「……」

アシュレーの悲痛な表情に、マリアベルがハッとなる。そうだ、自分もまた、何度もソレを味わって来た。

「一年二年は、気付く様な変化じゃなかった。三年四年も……だけど、結婚したある時期から、マリナがひどく苛立ったような日があるようになってね」

「……」

「はじめは、何か心配ごとでもあるのかもしれないと思っていたんだ。子供達も大きくなるにつれて、親としていろいろと考えなくちゃいけないことも増えたしね」

「……」

「でも、ソレが何日も続いて、とうとう僕自身気がかりになっていたこともあって聞いちゃったんだ」

「……何と?」

マリアベルの言葉に、アシュレーは皮肉気に口元をゆがめる。

「『どうしたんだ、マリナ。何があったのか言ってくれ』ってね」

アシュレーはその時のことを思い出したかのように、大きく溜息を吐いた。

「その後はもう、喧嘩とも言えない喧嘩だったよ。泣き叫ぶ様に周囲の物を叩き割る彼女を、必死に宥めたけど……どうにもならなかった」

「……」

「マリナが感じていたのは焦りだったんだ。年々年をとっていく自分と、何時までも若いままの姿の僕」

「……」

「最初は気のせいだと思っていたらしい。そして次に僕の方がよく体を動かす体って考えて、進んで仕事をするようになった」

「……」

「でも、段々ね、誤魔化せなくなって来た。むしろマリナはよく辛抱してくれたんだと思うよ。あの戦いの中で、僕が凡そ人ではない身体になったことも覚えていたからね」

「……」

「今思えば、女性としてのプライドの様なものもあったのかもしれないね。僕はマリナの事をずっと、『綺麗』だと思っていた。でも、彼女は成長を続けていっても、僕はずっと今の姿のままだ。いずれ彼女と大きな『ずれ』が生まれることになる」

「……」

「それから僕は、身辺の整理を始めた。全てを知ってしまった以上、もうこれ以上マリナを苦しませる訳にはいかなかった」

「……」

「物置きの奥に置いてあった、マントを虫干して、数年ぶりにアームの手入れをした」

「……」

「すっかり準備が整った所で気になったのは、子供達の事だった」

「これでも父親だからね」とアシュレーは力無く呟いた。

「それからの毎日も、殆ど変化の無いものだった。渡り鳥をして、賞金を稼いだら送金して……その繰り返しでさ」

「……」

「時間が経つのも、季節が変わるのも忘れてモンスターや盗賊を狩った。……現実を、見たくなかったから。だから、ブラッドやリルカ、ティムやカノン、それにマリアベルとも会わなかった」

「……」

「アガートラームは、未来を司るガーディアンの一部。その因子が残った僕は、未来を生きる力を得た。僕自身の時間の停止という方法で……ね」

「……」

最後は殆ど泣きそうな表情になりながら、アシュレーは続ける。

「リグドブライトが僕の前にやって来た時、本当に久しぶりに、自分が誰だったかを思い出した様な気がしたんだ。それで、マリアベルの事を聞いて……」

そこまで言って、グイッとボトルを呷るアシュレー。対するマリアベルは、何も言うことが出来なかった。同じ不老不死の先達として何か言うべきなのだろうが、不老不死の先達であるからこそ、彼女は自分がアシュレーに投げかける言葉を一切持っていないことを良く知っていた。

「……」

「……」

沈黙の中で、スッと動いたマリアベルが静かにその小さな身体をアシュレーへと預ける。悲しみという冷たい感情とは相反するかのように、マリアベルはアシュレーから強い熱を感じた。

「アシュレー」

「……」

「わらわは、ノーブルレッドじゃ……」

「……」

「それだけは……忘れるでない」

それだけ言って、マリアベルはボトルを抜き取ると、最後に残ったワインを一気に飲み干した。その味は、最初のワインとは同じ物とは思えない程苦く感じられた。



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