―――死。
根源の渦、Cの世界より現世へと流れ出した無数の塵。
そして無数の塵はやがて、その個体の消滅と共に元の根源の渦にのまれる運命である。
コード保持者という例外を除けば、あらゆる生命体において死は不可避だ。
だが死は決して当人だけの不幸ではない。
残されたものは、大きすぎる喪失に嘆き悲しみ絶望するだろう。
それでも、人は生き続ける。失った命を"時間"という麻薬で誤魔化して。








 合衆国日本の首都である東京。
 その更に中心たる場所に聳え立つ建物。
 旧ブリタニア政庁には相変わらず日本の政治の中心であった。
 中には新たに国会議事堂を建て直そうという声もあるにはあるが、政庁ほどの建造物を新たに建てるとなると、かなりの予算が必要になるので、平時ならまだしも戦時中にそんな金は使えなかった。それにブリタニアの最先端の技術を使って建造された政庁は、プライドさえ無視すれば政治を行うには最高の場所である。日本人ならまだしも、日本人ではないゼロにとっては、そんな日本人としての誇りなどあるはずもない。

『それで大阪にいるナナリーを救出しようと、アースガルズが来たというのは本当かい?』

 通信機の向こうでシュナイゼルが言った。
 ナナリーの居場所が知られたのは完全に予想外だった。 
 これでもアースガルズに所在がばれないよう最大限の警戒はしたつもりだったが、まさかあのイレギュラーズの二人が裏切るとは。彼女達にはアースガルズにいるサンチアとルクレティアを助ける事を条件に自分に従っていたので絶対に裏切ることはないと考えていたのが間違いだった。ナナリーの護衛として着いていたのは聞いていたが、ブリタニアの皇女なんて二人にとっては嫌悪するような存在である筈。そんな二人がナナリー・ヴィ・ブリタニアと身分を越えた親友となること事態が余りにもイレギュラーである。これは見方を変えれば、ナナリーという個人が持つ魅力を読み切れなかった自身の責任か。

「事実だ。ただ救出は失敗したようだがね」

『失敗? 奇妙だね。アースガルズほどの戦力ならば、あそこの守備軍に負けたりはしないと思うのだが?』

「そうだな。守備軍は壊滅状態だよ。あれでも相応の精鋭は用意していたんだが。
しかし守備軍が壊滅しても、当のナナリーが死んでは作戦は失敗だろう」

 ナナリーが死んだ、というのはゼロにとっても予想外だった。
 大阪にアースガルズが来たと聞いたときはナナリーはアースガルズの手に渡ってしまったと考えていたのだが、死にかけのSPがナナリーとアリス、ダルクに発砲するのが映像として残っており、そこからナナリーが死んだという事実が分かった。念の為医者に確認させたので間違いはない。ナナリーが被弾した位置は致命傷。即死でなかったとしても、そう長くは保たないそうだ。

『ナナリーが、死んだのか。
それは悲しいね。彼女には使い道があったというのに』

「そうだな。しかし代わりは用意してある。
ナナリーの喪失は、計画遂行に大した影響はない」

『そうか。
だけどこれでルルーシュが廃人になってくれれば…………いや、これは期待し過ぎか』

「そうでもないさ。
命を賭ける程の、理想や夢に裏切られて、尚も立ち上がれる人間はそういない」

『実体験からかい?』

「そうだな。私とて一度は絶望した。
故に今のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの気持ちは良く分かる」

『……それで、アースガルズのその後の行方は?』

「現在複数の予測針路へ黒の騎士団を向かわせている。
尤も拠点がアイスランドにある、と仮定した上でだが」

『そうか。だけど大丈夫かい。
並みの追手じゃ返り討ちにされるのがオチだよ』

「安心しろ。切り札を送ってある。
私自身が動ければ良いのだが、地盤を固めるのが些か厄介でね。
日本を離れる訳にもいかない」

『苦労するね、お互い』

「ああ。では私はこれからブリテンからの大使との会談に臨まなければならない」

『そうか。では良い夜を』

 通信が切れる。
 静寂。声のない執務室は寂しく沈黙する。
 ゼロは仮面を被りなおすと、執務室を後にした。



「アーニャ、何をしている?」

 静かに外を眺めるアーニャに対してレナードが言った。

「あら、レナードじゃない。貴方こそどうしたの?」

 アーニャには似つかわしくない返事。
 そしてレナードは理解した。
 今のアーニャはアーニャではない。内にいるマリアンヌなのだと。

「失礼。マリアンヌ様、どうなさっているのです?」

「ちょっとねー。意外だったから」

「意外?」

「そう。私は全然理想的な母親のつもりはなかったんだけどねー。
このアーニャ・アールストレイムの肉体に精神が引っ張られた影響かしら。
まさか、この私が……娘の死に涙を流すだなんてね」

「………………」

 アーニャの、いやマリアンヌの目元には涙の痕があった。
 
「マリアンヌ様。私には貴方が理解出来る訳じゃない。
もしかしたら自分の子供を道具としてしか認識していなかったのかもしれません。
だけど、その涙は紛れも無く貴方のモノだと、私は思います」

「そう?」

「はい。では私はこれで」

「何処に行くの?」

「ルルーシュの下へ」

「へぇ。あの子、相当に参ってるみたいだから。
気をつけてね」

「ありがとうございます」

 そう言ってレナードは一礼してその場を辞する。
 ただその背に。

「貴方の義母親、なり損ねちゃったわね」

「……そうですね。私も貴女を母と呼んでみたかった。
だけど、それはもう叶わない望み、なんでしょうね」





 完全なる無気力。
 それは今のルルーシュのことを言うんじゃないかとC.C.は思う。
 当然だ。
 この男の行動理由は全てナナリーを中心としていた。
 
 ゼロとしてブリタニアの破壊を目論んだのもナナリーの為に優しい世界を創るため。そこに母の復讐という理由もあるにはあったが、やはり死んだ(と思われていた)マリアンヌよりも生きているナナリーに比重が置かれていたのは間違いないだろう。
 
 そして現在。
 ルルーシュがアースガルズという戦力を率いて戦っているのはナナリーを救出するため。ブリタニアをシュナイゼルの手から奪還しようとしているのは、ナナリーが生きていくのに安全な世界を創るため。そう全ての行動理由においてナナリーが中心にある以上、その中心がなくなればルルーシュの理由は崩壊する。
 生きる理由も、シャルルへの復讐がもはな無い以上、ナナリーの仇が既に死んでいる以上、もはや復讐という燃料をもってしても、ルルーシュは動かない。

(もう、駄目かもしれんな……)

 悲痛そうにC.C.は顔を歪めた。
 今までの長い呪われた人生の中、ルルーシュのように『宝』を失い契約者として終わった例は少なくは無い。これでルルーシュの行動理由が私情ではなく正義からの行動であったならば、正義と言う名の呪縛で無理矢理にでも立ち上がる事が出来たかもしれない。
 
 だがルルーシュにはそれがない。
 ナナリーの為に台頭した男は、そのナナリーを失った事によって終わった。
 もし事此処にいたりルルーシュが立ち上がるという事は、人が生きながらにして生まれ変わる奇跡にも等しい。

 アースガルズは合衆国日本の領海内をもう直ぐ通り過ぎようとしているが、その全体指揮をとっているのはレナードであって、ルルーシュはナナリーが死んでから一度も部屋を出ていない。
 ただひたすらに、ソファに座って呆然としているだけ。余りにも認めたくない出来事に遭遇した場合、人はその現実から逃げようとする。嘗てのエリア11で蔓延したリフレインのような麻薬も、人々が辛い現実から幸福だった過去へと逃避したいからこそイレヴン達の間で流通したのだ。
 もし此処にリフレインがあったならば、ルルーシュは恐らくそれを使い過去へと逃げてしまうだろう。そうなれば、本当にルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという男の存在は崩壊する。

 C.C.が静かに冷蔵庫を開き飲み物を出そうとすると、扉がノックされた。
 どうやら誰が来たようだ。

「陛下、私です」

 この声は、どうやらレナード・エニアグラム。
 あの男が来たようだ。

「ルルーシュ」

「――――――――――」

 どうするか、と訊ねてみるがルルーシュは答えない。
 仕方ない。後で出直させるか。

「入れ」

 C.C.が断ろうとする前に、黙り込んでいたルルーシュが口を開いた。
 ルルーシュの許可が出ると扉が開きレナードが入室する。
 が、その格好は何時もとは違っていた。纏っていたナイトオブワンの証たる純白のマントは肩には無く、手に持っている。

「…………何の用だ?」

「これをお返ししようと」

 そう言ってルルーシュに差し出したのは白いマント。
 これを皇帝に返すということは即ち。

「此度の失敗……それ等は全て私の責任です。
もし命が所望でしたならば如何様にも処分を」

 それは違う。
 C.C.もマーリンの戦闘データは見たが、あれはどう悪意的に見てもレナードの責任ではない。
 レナードはルルーシュから与えられた命令を忠実に実行し、結果として間に合わなかっただけだ。
 結果論で言えば確かにレナードは失敗したかもしれないが、他の誰がやったとしても結果は同じだっただろう。あの枢木スザクだろうとマリアンヌだろうと…………。
 
 もし本当に誰かに対して責任を追及するというのならば、この作戦を決定したルルーシュに責任がある。とはいってもまさかルルーシュが責任をとって皇帝を辞める訳にはいかないし、それ以前にあれは誰にも予測不可能なイレギュラーによって起こった悲劇だ。謂わば流れ弾に当たって死んでしまったのと同じ。責任など追及しても意味などはない。
 
 だがそれはあくまで感情を無視した考えだ。
 人の感情を理屈で制御出来る人間は少ない。
 それは恐らくルルーシュも、いや、ルルーシュだからこそ感情を制御出来ないのかもしれない。なにせルルーシュが世界を変えようとした動機が、そもそも個人的感情に因るものなのだから。

「責任、だと…………? ふざけるなっ!」

 ルルーシュが立ち上がり、レナードを殴った。
 簡単に避けられたであろうレナードは静かにそれを受けた。

「レナード……! お前一人が死んだ事くらいでナナリーを! ナナリーが……!
ああ、お前一人が死んでナナリーが生き返るなら幾らでも殺してやるさっ!
今直ぐにでも俺の手でブッ殺してやる!」 

「…………ルルーシュ」

「出て行け、レナード。
俺に顔を見せるな」

「………………イエス、ユア・マジェスティ」

 一言、そう言うとレナードは黙って退室していった。
 後にはルルーシュとC.C.だけが残される。

「俺は馬鹿だな」

 ルルーシュが自嘲的に言った。

「ルルーシュ」

「悲しんでいるのはあいつも同じなのに、俺はあいつだけを責めている。
本当に、救いようがない」

「…………少し、休んだらどうだ。
お前、あれから一睡もしていないだろう」

「…………なぁC.C.
俺が今、何を考えているか分かるか?」

「――――――――――」

「ラグナレクの接続。あれを実行すればナナリーにもう一度会えるかもしれない。
そんな馬鹿な事を必死に考えているんだよ」

 C.C.はこんな時にも無感動な顔を浮かべたままルルーシュに向かって両手を伸ばす。
 その黒髪を自分の胸へ抱きかかえた。

「契約したろう。お前の側にいると。私だけは」

「…………魔女め。こんな時にだけ優しくなったつもりか」

「そうとも。私はC.C.だからな」





 アースガルズのブリッジでは、ルルーシュの代わりにレナードが全体の指揮を執っていた。
 曲者が集うアースガルズの面々を巧みに統制するのは流石といえたが、異常なのはレナード本人だとモニカ・クルシェフスキーは思った。

「日本の領海外まで、後どれほどだ?」

「もう直ぐです」

「そうか。ではそのままに」

 レナードが指示を与える。それに他の者が従う。
 だがモニカが異常だと思うのはレナードが何時もと変わらない事だった。
 ルルーシュは勿論、あのスザクも、ナナリーと交友があったというアーニャもそれなりにショックで平静を失っているというのに、レナードにだけはその様子が欠片もない。
 
――――――――ナイトオブワンには実力だけではなく、世界を見渡す視野の広さ、部下を思いやる優しさ、主君へ尽くす忠誠心、時に肉親すら切り捨てる非情さが必要だ。

 嘗て自らの主君が残した遺言を思い出す。
 レナードには肉親すら切り捨てる非情さがあると言うが、漸くその言葉が実感を持ってモニカの心の中に入ってきた。

 自分では、そこまで非情にはなれないだろう。
 少なくとも、想い人が自らの前で死んだのだ。それから一週間も経っていないというのに、レナードは動揺など欠片も見せてはいなかった。
 自分なら、無理だろう。

「レナード閣下! 前方に黒の騎士団の艦船多数!」

「なんだとっ!?」

 その言葉にレナードだけじゃなくモニカや他の者達にも緊張が奔る。
 確かにアースガルズの戦力は頭一つ飛びぬけているが、ナナリー救出のために、それなりの物資を消耗している。ヴィンセントやガレスなどはそれなりの数を消耗したし、なによりも指揮官であり主君であるルルーシュは部屋から一向に出てきていないのだ。

「艦を停止しTASの出力を最大にしろ。
ブレイズルミナスは発動するなよ。敵に気付かれる。
それと念の為、通信妨害の準備をしておけ」

「イエス、マイ・ロード」

 アースガルズに潜水能力があって良かった。
 これにTASが合わされば見付かることは先ずないだろう。
 幸い敵側もこちらには気付いていないようだし。だが戦場では常に最悪の場合を想定しろ、とは言ったものでそう易々とはいかなかった。

「閣下、敵浮遊航空艦停止しました」

「通信妨害を」

 素早くレナードが指示を与えた。
 最悪の事態が起きてしまったのだ。"停止"したと言う事は敵にはこちらの反応を見つけることが出来たということ。ならばその段階に到って尚も海中に潜っていたら敵に援軍が次々にやって来て袋叩きにあるのがオチだ。ましてや全速力で此処から逃げるというのも論外。こちらの位置が大まかにとはいえ敵側に察せられている以上、そのまま追って来られてしまえば、こちらの拠点がばれる。 
 だからこそレナードが、アースガルズが採るべき選択は唯一つ。

「海面浮上後、敵に攻撃を仕掛ける。
通信妨害はどの程度まで保つ?」

「一時間は確実かと」

「では一時間で全ての決着をつける」

「イエス、マイ・ロード!」

「しかしどうやらTASは既に絶対のステルス性は持ってないようだ。
いやいや、技術の進歩というのは末恐ろしい」

 自分も専用機(フローレンス)のもとへ向かわなければ。
 ナナリー殿下を救出できず、こんな所であっさり死んだとあれば末代までの恥だ。
 ラウンズとしても、騎士としても此処では死ねない。
 私はもう一度レナードの背中を見ると格納庫へと走った。



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