幾ら英雄と持て囃されようと、エースパイロットだなんだと騒がれようとハンス・ミュラーが連合軍に所属する軍人であるということに変わりはない。そして軍人という職業は上層部から命令されれば、どれだけ嫌でも首を縦に振らなければいけないのだ。特に戦時中は平時では許される自由もない。
 ヤキンの悪魔、ハンス・ミュラーに連合軍上層部から下された辞令は次のものだった。

『パナマ基地所属、地球連合軍第四十七独立軍アークエンジェル艦長、ハンス・ミュラー大佐は明後日マスドライバーにて宇宙へと上がるべし』

 要は地球から宇宙へ上がれという命令だ。一時的な配属場所は月の地球軍本部だが本当のところはどうだか分からない。
 しかしMSのデータを収集するための実験部隊という役割はダガーが量産体制に入った今失われているといっていい。
 謂わばミュラーの部隊は最新鋭の戦艦と優秀なパイロットを多数備えている独立部隊でしかないわけだ。
 これまでは収集したデータを失わない為、生存率10パーセントとかいう最前線も最前線の激戦区には送られずに済んでいたがこれからはそうでもないということである。
 ハンス・ミュラーという英雄を連合上層部が邪魔に思い始めて来たら、英雄に相応しい死を演出するためにそういうことになる可能性は無きにしも非ずなのでミュラーとしては心配だ。
 ただ今回の事例はご丁寧に次の仕事場所が月本部だと指定されているのでそうではないだろう。

「……アラスカの本当の顛末は兎も角としてさ。取り敢えずザフト地上軍の半数を削ったけど、相手はあのザフトだ。そう簡単に振り上げた手を引っ込めるとも思えないんだけどね」

 フラガ少佐はしきりに頷きながら発言した。
 アラスカ基地の顛末についてはミュラーにも緘口令がしかれた為、一部の人間にしか話していない。
 部下であるアークエンジェル搭乗員でこの事を話したのはイアン、フラガ少佐、ラミアス少佐、キャリー、そしてミュラーに近い位置にいるナインと副官のルーラくらいだ。

「少佐の意見は正しいでしょう。ザフトの評議会議長パトリックは強硬派の親玉です。地上軍を失ったとはいえザフト宇宙軍は健在です。寧ろ追い詰められてこれまで以上の気迫で戦いを仕掛けてくると私は考えます」

 二人は別に連合とザフトの戦争の行く末なんていう大それた戦略を夢想しているのではない。二人が考えるのはもっと間近のことだ。
 少し考えれば分かることだ。
 独断で攻撃目標を変更したオペレーション・スピットブレイク。ザラ議長からすれば議員生命をかけたと言っても過言ではないほどのギャンブル。
 それに最悪の形で失敗してしまった今、ザラ議長は非常に危うい立場にたたされている。
 このまま失策を続ければ議長の地位を失ってしまう程に。
 議長の地位を失わない為にはどうすればいいか? 平時ならまだしも、戦時中で政治家の支持率を手っ取り早くあげることなど一つだ。
 戦争に勝つ。戦いに勝つ。
 勝利という栄光が過去の失敗を洗い流し、自らの地盤を立て直す切欠になる。パトリック・ザラもそう考えているだろう。
 そんなパトリックが攻めるべき地球連合の施設といえば――――もはやパナマ以外に有り得ない。
 ヘブンズベースに移された地球軍本部を攻めるという手もないわけでもないが、一度アラスカに攻め込んで失敗している以上、議会の承認を得る事は難しいだろう。そして独断で攻撃目標を変更するなんて無茶も出来ない。
 大西洋連邦首都ワシントンに大攻勢をかけるというのは現実的ではない。成功すれば一発逆転の一手となりうるが、そもそも成功する確率がゼロに等しい。大西洋連邦の制空権は完全に大西洋連邦のものな上、制宙権も握っているので、まず制宇権を確保する戦いをしなければならない。それに勝ったとしても待ち受けているのは精鋭と名高き首都防衛部隊だ。補給もなにもない部隊では全滅するだけだ。

「……だから、パナマしかないんだ。オペレーション・スピットブレイクの表向きの目標だったパナマ。ここを落とせば連合は宇宙への道をたたれて、逆にザフトには時間ができる。
 連合が地球に閉じ込めている間に戦力を整えられるし、オペレーション・ウロボロスの完成は崩れかけているザラ議長の政権を修復する一手としては申し分ない」

 ここで問題となるのはパナマ防衛のための要となるであろうミュラーの部隊を、どうしてこのタイミングで宇宙に上げるか、だ。
 
「我々がいなくても守りきれると判断したのではないでしょうか」

 ラミアス少佐が現実的な意見を述べる。
 ミュラーも自分が普通の軍人ならそうも考えたのだが、流石にミュラーも既に自分が連合にとって普通の軍人ではないことは自覚していた。

「………厄介払いかもしれない」

 ミュラーはオペレーション・スピットブレイクの顛末に対して明らかに不満を爆発していた。
 それがどこからか連合軍上層部の耳に届いたとしたら、

「私がアラスカ基地についてとやかく言って回らない様に一先ず宇宙へ追放したか…………」

 もしくは。アラスカ基地の作戦に批判的な者達を纏め上げ、一つの派閥とする前に地球圏から追い出したか、だ。
 ミュラーには派閥など作る気は毛頭なければ権力争いにも興味はない。
 しかしこういうのはえてして当人がどう思うかではなく、他人がどう考えるかが重要となってくる。

「結局は政治というやつだよ」

 軍事と政治。どれだけ切り離そうにも、この二つが完全に分離することはない。
 それはきっと連合もザフトもかわらないのだろう。嫌な共通点を見つけてしまった、とミュラーは憂鬱になった。




 一度は逃れた運命の濁流。しかし一度は逃れたとはいえ二度目が同じようになるとは限らない。
 最初の波をどうにか防げても、次の波がより大規模のものであれば築き上げた堤防も意味をなさなくなるかもしれない。
 キラが体験しているのは正にそれだ。

「――――――すまないな」

 キラの目の前ではいつかの課長が頭を下げている。
 単なる平のキラに課長である彼が頭を下げるなど尋常ではない。逆に言えば尋常でないことが起きてしまったと言う証左でもあった。

「……いいんです。どうせこんなことになるような気はしてましたし、あなたが悪いわけじゃありませんから」

 キラは達観したように、否、諦めたように薄く笑う。
 オペレーション・スピットブレイクの失敗でザフトは地上の半分の人員を失った。それが与える波紋はザフト地上軍だけではない。このプラントでもかなりの波紋を呼んでいる。
 この作戦の失敗を契機に力を失いつつあったクライン派が力を取戻し、逆にザラ派が勢いを失いつつある。
 連日のようにパトリックやエザリアなどのザラ派とシーゲル・クラインやカナーバなどのクライン派がTV画面に出ては激論をかわしていることからも、作戦失敗が与えた影響が巨大なものだったことが分かるというものだ。
 今まであったものが消える、特に人間がいなくなるというのは書類上の数字だけで済むものではない。
 ザフト地上軍に家族や友人がいた者などの泣き声が街を歩けば聞こえて来るし、軍施設に近付けば軍人たちが怒鳴っているのも分かる。
 そして地上軍半数の損失を受け評議会はある決定をした。
 地上軍の損害を埋める為、宇宙軍の一部を地上に降ろすというのである。それにはプラントの首都防衛隊も含まれる。
 血のバレンタインの悲劇で核ミサイルアレルギーとなっているプラント市民の声もあり、首都防衛隊にはかなりの戦力が常時配備されていた。それが一部とはいえ引き抜かれるのは開戦以来初めてのことだ。

(その結果が……僕か)

 首都防衛部隊を引き抜くとなれば、当然ながら防衛低下を懸念する声が高まる。
 それに対して評議会が提案した代案というのが、MSパイロットの素養が高い者に短期集中教育を施し、一時的にザフトに協力させるというものだ。
 お茶を濁しているが、要するに引き抜かれた防衛隊の穴を民間人を徴兵してやらせるというわけだ。
 身体能力も平均的コーディネーターより高く、連合のMSを扱った経験から作業用MSの操縦も断トツに上手かったキラはいの一番に目をつけられた。
 以前にもキラをザフトに引き抜くという話はあったが、あの時は誘いであり強制でなかったので断ることもできた。だが今回のは誘いではなく強制である。
 キラがクライン家やザラ家のような金持ちなら断ることもできたのかもしれないが、プラントにきたばかりのキラにそんなものはなかった。
 アークエンジェルにいた頃に知り合ったラクスやアスラン伝手で面識のあるザラ議長に頼み込む、という選択肢がなかったわけではない。
 だが自分のように特に何もしていないような人間が彼等の手を煩わせるべきではないという良心もあったので出来なかった。
 それにこうして頭を下げているのは課長だけで、同僚のほぼ全員が拍手をしてキラのザフト入りを喜び歓迎しているのである。
 彼等の名誉の為に云うと、彼等は別にキラを嫌っているわけではない。単にザフトに入隊されることが栄誉なことだと信じているだけだ。
 だがもしキラが駄々をこね、入隊を拒もうとすれば彼等の拍手が冷たい目にかわることは疑いようがない。

「分かりました。それじゃ僕は、自分の荷物を整理しますね」

「本当に、すまんな……。私のような老人がデスクでぬくぬくとしていながら、君のような若者を……」

「課長はまだ若いですよ」

「そうかね?」

「今まで、ありがとうございました」

 努めて笑顔で挨拶をしたが、精神的にはかなり参っていた。
 首都防衛隊だから戦う事はない。だから人を殺す事もないから大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら廊下を歩く。
 宇宙に満ちた怨念が聞こえるような気がした。



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