ある日の夕暮れ。
 幾つかの結界が張られている校長室の中には穏やかな空気が流れており、椅子に座っている校長自身お茶を飲みながら穏やかな雰囲気を楽しんでいた。

 そんな一時も束の間、誰かが校長室の扉を勢いよく開けて入り込んできた。その気配を察していた校長はその者──ドネット──の表情を見て僅かに眉を寄せた。

「校長!」
「なんじゃ」

 見るからに焦りの表情を浮かべている。
 校長が身を委ねていた静寂は一瞬で破られ、次に校長室を覆ったのは殺伐とした空気だった。

「それが、二人の生徒が何らかの理由で倒れ、うなされているようなんです!」
「……それでどうしたのじゃ?それだけであればお主が慌ててここに駆け込んで来る理由にはならんはずじゃが」

 多くの才ある子供たちが集まる魔法学校では、今ドネットが話したような内容の問題が起きることは多々あることだった。
 時には子供たちが喧嘩をして魔法を使用するなんてことがあったり、はたはま魔法書庫に入り込む不届きものが間違って禁書と指定されているものに手をつけて倒れ、そのまま息を引き取る……なんてことも極稀に起きることだった。
 それ故、ネイルの秘書として何年も勤めているドネットがこんなにも慌てることは珍しいことでもあり、それがまたネイルにしてみれば違和感以外の何物でもなかった。

「そ、それが……」
「どうせ後になっても儂の耳に届くんじゃ。はっきり申しなさい」
「その、現場にはネギ・スプリングフィールド君が居合わせていたようなのです」
「何っ!?」

 ネイルの言葉に幾分か落ち着いたドネットだったが、今度はネイルが慌てる番となった。今ネギの身に何かがあれば、こうして学校に通うこともできなくなるのではないだろうかという疑念がよぎる。
 そうなったのはお前のせいだと喚きたてる元老院の幻影がはっきりと目に見えた。

「それで、何があったのじゃ!」
「い、いえ……この件に関しましてネギ君は一切何も関わっていないように思われているようなのですが……どうも違和感を感じるとランドイッヒ博士が仰っているんです」
「ランドイッヒ博士が?」

 ランドイッヒ博士。
 このメルディアナ魔法学校において在籍している教師の中において『メルディアナの三賢』と呼ばれている者たちがいる。その三人の中の一人がランドイッヒ博士であるが、そんな彼が得意としている分野は支援系統の魔法であった。

「えぇ。あの方によりますと、今回倒れた生徒たちは幻術魔法に掛かっているそうで……その魔法がかなり精密であり、尚且つ高度な部類に入るもので、この学校に在籍している魔法教師ですら同じものを再現できるかどうかという程のものだそうです」

 そんな博士の進言だからこそ、信じられないと思ってしまった。しかし、その疑問は博士自身に向けられたものではなく、別のもの……そう、例えば元老院などだ。

「あの博士がそう言ったのか?」
「はい」
「……もし、その話が何者かの手によって為されたものであるとすれば、一大事やもしれん」

 ネイルの額に一筋の汗が流れた。

(もし仮に、何者かがここに侵入したのであれば、それは恐らくあの子を簡単に襲撃できると警告しているものであろう。じゃがそうとすれば、何故その者はすぐにあの子に手を出さなかったのか……)

「……分からぬ」

 今までの経験、蓄えてきた知識を総動員してもこれだという確信を持つことができなかった。

「は?」
「儂の目で実際に確かめるとしよう。倒れた生徒たちのもとに儂を案内してくれ」
「分りました。では私についてきてください」
「うむ」

 ただ、今のネイルにできることは生徒たちの安全を祈ることと、ネギの身の心配をすることだけだった。



 ◇ ◇ ◇



 時はまだこの事件が起きる前まで遡る。
 休みを終えて登校してきた生徒たちが集まり帰省中に起きた出来事や話題で花咲かせている頃、ネギは一人校舎の中を散策していた。
 特にすることが無かったのが一番の理由だが、前に多大なお節介をしてあげたエドワードさんが血眼になっていたのを見かけ、ちょっとだけ罪悪感を感じ、また『育毛剤DX』をプレゼントしておこうと職員室に向かっていたのだった。

「……!」
「…………」

「ん?」

 意気揚々と職員室に向かっている最中、どこからか話し声が聞こえてきた。ネギが歩いているのは確かに校舎の中ではあるが、生徒が集うような教室などがある校舎ではなく離れの方にいたため、本来聞こえてくるはずのない音が偶然聞こえてきたため、ネギの関心はそちらの方に向かっていた。

(どうせエドワードさんをからかうだけだし……行ってみるか)

 ネギによる暇つぶしによって一人の尊い犠牲者が出ることがなくなったと喜ぶべきだろう。……おめでとう、エドワード!



 ◇ ◇ ◇



「やめてください!」
「うるさい!お前は黙ってろ」
「キャッ!?」

(……あれ?俺はとんでもない場面に突き当たったのかな?)

 今ネギが隠れている場所からは二人の女子と二人の男子しか見えないが、全員がネギよりも年上に見える。まぁ、成績優秀……もあるが、ネギがMM元老院の魔の手に掛かることを恐れた校長の手によって飛び級することになるし、まだ6歳だからほとんどの生徒は皆年上になるんだが。……取り敢えずネギは静観して様子を伺うことにした。

「こんなことをして、私のお父様が黙っていると思ってますの!?」
「うるさい!俺はお前の許婚なんだ!だから俺がお前に何をしたって構わないだろ!?」

(わぁお……子供の理論と言いますか、ただの馬鹿だな)

 あまり相手にしたくないタイプの人間だった。ああいう子供は大体が親に甘やかされているし、甘やかしている親の威光もただならないほどの物だ。許婚って単語からも、二人はどっかのご令嬢とご子息であろうことは簡単に読み取れるんだが……では、その取り巻きはどのような人間だろうか。

「お、お嬢様……」
「ふん」

 ……なんとなく分かった。
 女の子の方はお嬢様の付き人かなんかで、片方の男はしょーもないサブキャラB程度の存在だな。となると、問題は令嬢子息の御二方はどこの家の出身なのかってところだな。
 助けるに入るにしても、一応俺は面倒な『英雄の息子』って肩書きを持ってるわけだし……ことによっては俺にまで火の粉が降りかかってくるかもしれん。でもなぁ、あのブロンドの髪の女の子、どっかで見たことあるんだよなぁ……

「そこまで言うのでしたら、エーデルフェルト家の次期当主としてあなたのお相手をさせてもらいますわ!」

(エーデル……フェルト?)

 確か、俺が生前好きで見ていたアニメのゲームにキャラとして出ていたような気がするんだが……そうだ、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトだ!……Fate/stay nightのキャラじゃねぇか!この世界はどうなってやがんだ!しかもエーデルフェルト家はフィンランドの名門貴族だったはずだし、魔法を学ぶにしたって家に講師を招いて教育することだってできるだろうに。
 いや、そもそもこの世界に冬木市とか存在してんのかなぁ……聖杯戦争とか死亡フラグ盛りだくさんのルートに乗る気はないぞ。

「ふ、ふふふ……男の俺に敵うと思うなよ!
 光の精霊17柱、集い来たりて敵を射て。『魔法の射手・連弾・光の17矢』!」
「なっ!
 火の精霊15柱、集い来たりて敵を射て。『魔法の射手・連弾・火の15矢』!」

(魔法の威力とか魔力の運用とかに性別は関係あらへんがな……嗚呼、馬鹿だったんだな。取り敢えず、魔力の乱れによる煙とかが起きてるうちになんかしとくか……『──────』)



 『魔法の射手』同士のぶつかり合いにより吹き荒れる魔力の奔流。魔法によって具現化された火は確かに熱を帯びており、対する光も鋭い輝きを以って周囲を照らしていた。魔法を撃ち合った二人の間には煙が巻き上がっており、互いの視界を奪っていた。

「どうだ、これが俺の実力だ!」

 しっかりと相手を確かめる前に自分の持っている力を高らかに誇る。人に対して魔法を使ったという事実が彼を興奮させているのか、彼の両頬は薄らと赤く染まっていた。
 そして次第に開けてくる視界。彼の頭の中には、泣いて許しを請うルヴィアゼリッタの姿だけが描かれていた。しかし、その考えは否定されるとともに、目に映った光景によって彼の思考は凍ってしまう。

「あ゛……あぁ……」
「痛い……痛いよ………」

 真っ赤な血の海に沈む二人の姿。綺麗だった服はともにぼろぼろに破れ、ルヴィアに至っては腹部に大きな穴が開いていた。

「う、嘘だ……」

 辛うじてまだ息があるといった状態の二人。だが、今から誰か大人を呼んだところで間に合うかどうかも分らないし、何より、こんな大怪我を負わせてしまうことになるとは思ってもなかった彼に、この場で最善と成り得る手段を考えることなどできようもなかった。

「う゛ぁ……た、すけ……」
「う、うわあああぁぁぁぁ!?」

 両手で顔を覆う。目の前が真っ暗になっていくような感じと、自分が今どこに立っているのか、しっかりと地面に足をつけて立っているのかといった感覚が次第にあやふやになっていく。
 今になって自分がどんな事をしてしまったのかを理解し始め、そして体が震えだし、ガチガチと歯が音を奏で始める。

(そんな……お、おれは、俺は、悪くない。そうだ、俺は悪くないんだ!こんなことをしたのは俺じゃなくて違う奴だったって言えば良いんだ!)

 そして両手を顔からどけ、何かを叫ぼうと息を吸い込み──目の前の光景に、思考が追いつかなかった。

「ここ、は……どこだ?」

 目に見えるものは、今自分が立っている足元と、いつの間にか立っていた終わりが見えない階段だった。わけが分からなかった。
 いつ自分がこの場所に来たのか。
 どうして自分はこんなところに立っているのか。
 どうして、自分の体が動かない(・・・・)のか。

「うわっ!か、体が勝手に動いてる!?」

 誰かに操られているかのように動く両足は、彼の意思には関係なくただ只管上へ上へと昇っていく。どうにか動くのは頭だけ。しかし、どんなに叫ぼうが、どんなに喚こうが、肉体は階段を昇っていく。そんな中、微かに何かが聞こえてきた。

「……、……、……」
「な、なんだ!?」

 うまく聞き取ることはできなかった。ホントに微かにしか聞こえないそれは、しかし、階段を昇って行くたびに音は意味を為して聞こえてくるようになってきた。

「人殺し、人殺し、人殺し」
「ひ、ひいいぃぃぃ!!」

 いくら周りを見渡そうが見えるのは黒一色。しかし、耳だけは老若男女様々な声が重なって聞こえてくる。助けを呼ぼうとしていた彼は、その単語が聞こえてきた瞬間に耳を塞ぎたい思いに駆られていた。

 が、遂に彼の眼が、階段の最高点であろう場所を見据えた。

(やっと、やっとこれが終わる……)

 安心しきった。心の奥底から彼はこの状況の終焉を望んでいた。いつから、どれだけ階段を昇って来たのか、その間に何度人殺しと叫ばれ罵られてきたのか……それが漸く終わる。
 安堵の気持ちが彼を包み込んでいた──頂上の、頭の大きさぐらいに輪を為した縄が垂れ下がっているのを見るまでは。

「死刑!死刑!死刑!」
「いやだ、やめ……や、止まれ、止まってくれ!お願いだから止まってくれ!!」

 されど、足は止まらない。一切速度は変わらず、階段を昇っていくだけであった。
 再び彼の歯は不快な音をたて始める。
 一歩……また一歩と、確実に彼に"死"が近付いてきていた。

「死刑死刑死刑死刑死刑死刑!!」
「うぁ、ぁあぁああぁ……」

 そして彼は絞首台へと足をかける。
 "死にたくない"……そんな気持ちだけが彼の心を占めていたが、そんな彼に、真っ暗闇の中から一本の腕が差し出された。

「この腕に掴まるんだ」
「ま、さか……!」

 その声に聞き覚えがあった。あの時、一緒にいた自分の友達だった。

 "あいつが助けに来てくれたんだ!"

 歓喜の渦が彼の中に沸き起こった。もう駄目だと諦めかけていた彼のもとに救いの手が差し伸べられたんだから、その手を掴まないわけにはいかなかった。

「う、動いた……!」

 あれだけ動かそうとしても動かなかった自分の腕が、漸く自分の意思で動かすことができた。
 "助かった"……その気持ちに逆らうことなく手を伸ばし、友人の腕をがっしりと掴んだ。

 途端、勢いよく引っ張られ、頭が縄の輪の中心を通り抜けた。何時の間にか階段が消えてなくなっていた。そして、肉体は重力に従い下へ下へと落ちていこうとする。

「がぁ、あっ、が……」

 "首が締まる、息ができない"
 "助かったはずじゃ"
 声にならない呻きが、空気と共に口から出ていく。息ができず、酸素を取り組むことのできない体が悲鳴をあげる。次第に意識が遠退いていく感じがする。

 と、完全に意識がなくなる前に、自分が掴んでいた友人の腕が、次第に暗闇から姿を露にしてきていた。そこに居たのは、彼が友人だと思っていた人物の、変わり果てた成れの果てだった。
 肌は爛れ、骨は折れ、口は三日月の様に裂かれていて、目は剥かれて無くなっていた。

「…………ッ!?」

 彼が驚きと恐怖に目を見開いていると、ゆっくりと、友人の手が延びてきた。
 ゆっくりと……ゆっくりと……
 そして、その手が止まったのは、彼の右目のすぐ前だった。
 とうに限界を超え、意識が薄れていくなか、最後に彼はこんな言葉を耳にした。




 ──ねぇ……その目、頂戴──




 ……

 ……………

 意識が覚醒する。
 ぼやけていた思考がクリアになり、平衡感覚が戻ってくる。と同時に、自分がしっかりと何かに立っているという感覚も足から伝わってきた。

「うん……ここ、は?」

 瞼を上げた。目に飛び込んできた景色は、真っ黒だった。しばし、呆然とした。理解できずに、ただただ呆然と目の前に焦点を合わせていた。



 ──次は、心臓が欲しいな──



 耳元にそんな声が聞こえてきて、また、足が階段を昇り始めていた。



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