第2話



 二人が意識を取り戻したのは、それからまるまる一昼夜たってからのことであった。
 産声すら上げず、ぴくりとも動かない赤子を見て、医師も両親も大層心配したが、どれほど検査しても異常は見当たらなかった。

 さて、意識を回復した二人が認識したのは、言ってしまえばお互いが異世界人だということであった。

――それにしても、信じられません。BETAのいない世界など。しかも、BETAがいないのに人類同士で相争い、挙句の果てにはコロニーを落として無辜の民を死に至らしめるなどと……。しかも、その理由が地球の重力に囚われているから、などという曖昧で理解しがたいものだとは……。
 そう呟いて絶句する悠陽。BETAが存在しないという夢のような世界にあってさえ、人類は平和に過ごすことができないのか、と半ば絶望のような想いに囚われてしまっている。

――お前とて、私の最期を見たのならば分かるであろう。宇宙に進出した人類は、地球の重力から解き放たれて進化しようとしていた。だが……同時に、どうしようもなく地球の重力に引かれていた。肉体という枷から解放されてはじめて気づいたことだが、理念と情念の矛盾に引き裂かれた果ての暴走が、コロニー落としであったのかもしれぬ。
 静かに、そして自嘲気味に呟くハマーン。

 しばし自らの過去を振り返っていたハマーンであったが、一度肉体を喪ったからであろうか、今や未来となってしまった自らの生前の行動について、然したる感慨も覚えなかった。
結局、過去がどうであれ、一度死ぬことによってそれと訣別した以上、問うべきは現状であり、今後どうすべきかであった。

――私の過去はいいとして、お前はどうしたいのだ、悠陽。三度目の生というが、此度はどうしたいのだ。かつてのお前には力が、そして覚悟が足りなかったというが、今回は何を目指してどう動こうというのか。所詮、私はこの世界では異物。お前に寄生して存在しているに過ぎない。決めるのはお前だ。

――それは……。
 ハマーンのあまりにも鋭利な指摘に、悠陽は答える術を持たない。

 勿論、今度こそ日本を、妹の冥夜を、人々を救いたいという思いはある。だが、同時に、自分のようにただ祭り上げられているだけの存在では、何をするにも絶望的に力が足りていない。
当面の目標としては、BETAの日本侵出を食い止める、そして香月博士のオルタネイティブ4を最大限支援して、いずれあ号標的を落とす。
 だが……どうやれば前回よりもうまくやれるのか、まるで見当がつかない。
 悠陽は、自らの想いと現実の狭間でもがき、消耗していた。

――もし本気で人類を救おうと思っているのならば、懊悩している暇などないぞ、悠陽。

 悠陽のいつ終わるとも知れぬ思考を中断させたのは、ハマーンの一言であった。

――傀儡であろうが、お飾りであろうが、お前には信望と権威がある。そこに、私が力を貸せば、戦闘であろうが、陰謀であろうが、統治であろうが、旧世紀の遺物どもに遅れをとりはせぬ。

 そう傲然とのたまうハマーン様。

 そこには、一軍の将帥として、自ら陣頭にあって大軍を率い、闘い抜いた希代の英雄の貫禄があった。
 死地にある兵をして、彼女の名を叫びながら自爆せしめるだけの、圧倒的なカリスマが、紅い光があった。
 自らの名を叫びながら散り行く者たちの最期を悟りながら、なおも「持ち駒が一つ減った」と静かにつぶやけるだけの傲慢が、覚悟が、そこにはあった。

――わたくしを助けてくださるのですか、ハマーン?
 ハマーンの圧倒的な気に当てられ、固まっていた悠陽が、呆然としながらつぶやく。

――地球の重力を憎んでいた貴女からすれば、地球を脱出しようとするオルタネイティヴ5のほうが好ましいのではないかと考えておりましたが……。
――言った筈だぞ、悠陽。所詮重力は、肉体があるからこそ捕らわれるもの。純粋な思念としてお前の中に寄生している今の私にとって、重力など最早然したる意味を持たない。

 それに、とハマーンは続ける。自分だけ地球を脱出して生き延びようとする意地汚い俗物どもと私を一緒にするな、と。
 そう。ハマーンが何よりも許せなかったのは、指導者という地位にありながら、自分たちだけ助かろうとするオルタネイティヴ5派幹部たちの低俗な欲望であった。
 G弾によってBETAを殲滅するという戦略方針自体は、まだしも理解できるものであった。戦略的に有効であるかどうかはともかくとして。
 しかし、オルタネイティヴ5派のうちの地球離脱派。彼らの腐った性根は、地球連邦の高官どもの腐敗を思い起こさせ、とてもハマーンにとって許せるものではなかった。

――だがな、悠陽。ひとたび目標を定めたら、私はあらゆる手を尽くして勝利を奪い取る。敢えて問おう、煌武院悠陽。お前に、日本防衛のために、オルタネイティブ4成功のために、全てを賭ける覚悟があるか。
 自らの刃によって流れた鮮血の海を見てもなお、傲然と前に進むだけの気概があるか、と。

 煌武院悠陽は思う。かつての二度の生において、彼女には、何よりも力が足りていなかった。しかし、何よりも足りていなかったのは、少しでも気を抜けば呑まれてしまうかのような気概、覚悟ではなかったか、と。そして、この気概こそ、横浜の女狐、極東の魔女などと呼ばれた香月夕乎のそれに相通じるものがあるのではないか、と。

 万感の想いを込めて、かつては足りていなかった静かな覚悟を胸に、彼女は誓う。
――私、煌武院悠陽は、身命を賭して、日本を守り抜き、BETAを殲滅し、以って帝国再興の礎を築きます。

 言葉にしてしまえば、あまりにも陳腐。だが、そもそも言葉とは、陳腐化する定めを負ったもの。そして、どれほど陳腐であろうと、そこに込められた想いによって、如何様にも変わりうるもの。

 わずか一人の未来からの亡霊以外、誰にも知られることのなかった、この陳腐な宣誓をもって、後に日本帝国中興の祖と呼ばれる煌武院悠陽の三度目にして最後の生が始まった。



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