第23話





 結局、検討会議の質疑応答は荒れに荒れ、予定時間を大幅に超過してなお、会議としての共通見解を見いだすことができずに、閉会した。小娘が分かりもしないことに口を挟むなと言わんばかりに腕を振り上げながらまくし立てる高級参謀がいる一方で、悠陽が予想していた以上に好意的な意見も多かった。航続距離が不明な母艦級がいる以上、北九州を要塞化しても意味がないかもしれない、という不安は誰しもが抱いているのであろう。駐英武官が、NATO軍内部でもドーヴァー海峡の防衛線を巡って同種の議論が囁かれていると指摘すると、理解を示す将校の数はさらに増えた。要塞化されたドーヴァー海峡沿岸部は、イギリスにとっての生命線であり、イギリスの防衛戦略はこの要塞線に完全に依存していた。それだけに、母艦級が要塞線のはるか地下を進行してロンドンを急襲するかもしれない、という悪夢のような想像は、ヨーロッパの参謀たちを震え上がらせているという。日本の北九州要塞線構想も、ドーヴァー海峡要塞線を手本にしているため、他人事では済まされない。

 できれば、この会議で大方の将官を説得したいところであったが、流石にむりだったか、と悠陽は嘆息する。それでも確かな感触は得られたと思う。顔見知りの斯衛軍の将校たちに挨拶をしながら、会議室を出ようとしていると、脇から「なかなか興味深い報告だった」、と野太い声で話しかけてくる者がいた。振り向くと、やや太めで中背の40代後半の男がこちらを真っ直ぐに見つめていた。
「これは……長田中将閣下」
 と悠陽は一礼する。
 長田鉄一国防相軍務局長。軍政畑の重鎮で、彼の裁可なくしては人事は一切動かず、予算も執行されないと聞く。軍隊とて、官僚機構に過ぎないわけだから、予算執行と人事権を一手に掌握している長田軍務局長の軍内部における発言力は絶大なものがある。おまけに、神長参謀総長と士官学校の同期で仲もよい。たしか、軍大学卒業時の席次は神長が主席、長田が次席だったはずだ。それ以来、神長は作戦畑、長田は軍政畑で出世し、今や二人で陸軍主流派を掌握している。

 その長田は、にこりともせずに、鋭い鷹のような目で悠陽を見下ろしながら、教師が生徒を糺すような口調で、話し始めた。

「帝国軍が大陸防衛を基本方針としつつ積極的に対BETA攻勢を展開すべきだとの貴官の見解は分かった。だが、攻勢に出てどうするというのか。なるほど、北九州の海岸線をどれほど強化しても、あまり効果はないかもしれん。だが、大陸防衛に参加していれば帝国は防衛できるのか。結局、いずれは帝国軍は摩耗して大陸から撤退し、帝国本土も蹂躙されるのではないか。そもそも、攻勢というが、どこまで攻める気だ。ハイヴ攻略にわずかでも成功の可能性があるなら、試してみる価値はあるだろう。だが、これまでのハイヴ攻略はことごとく失敗してきた。また、仮にハイヴ攻略が可能だとして、一個のハイヴを攻略している間に、BETAに新たなハイヴを建設されるようでは、破局は目に見えておる。どうなのだ、煌武院少将」

 悠陽に口を挟ませずに、一気に言い切った。
 さすがの貫禄。決して大きな声ではない。だが、うちに鋭い刃を潜ませていた。悠陽の周囲では、自分が叱責されているわけでもないのに、誰もが萎縮したようにお喋りを中断した。奇妙な沈黙の間が訪れる。
 真鍋国防相が議題を戦術論議に限定したため、会議終了後のタイミングを狙って話しかけてきたのだろう。

 ここが踏ん張りどころだ、と悠陽は気を引き締めた。口ぶりからすると、長田は完全に悠陽に反対というわけでもない。本土防衛も先がないが、ハイヴ攻略が可能だとしても全ハイヴを討滅できるだけの戦力を人類は持っていない。その八方塞がりをきちんと認識しているからこそ、悠陽の主張が唯の小娘のままごとに過ぎないのか、それとも考え抜かれた試案なのか、確かめたいのだろう。

「もちろん、ハイヴを新しい順に虱潰しに攻略するつもりはありません。ボパール・ハイヴなどのいくつかのハイヴを攻略を攻略する予定ですが、これとて真の戦略目的達成のための準備段階にすぎません」

 長田の鷹のような眼差しを真っ向から受け止めながら、悠陽は言葉で切り結ぶ。なぜボパール・ハイヴ、と問う声が耳に入る。やや怪訝そうな周囲の様子などに、一々反応する必要はない。
 大事なのは、長田軍務局長ただ一人。
 彼さえ説得できれば、帝国軍が動く。

「戦術機甲部隊によるハイヴ攻略が可能であることを世に示した後は、主要国を糾合して、国連主導で攻略戦を行います。目標は、カシュガル。オリジナル・ハイヴを攻略します」

 フェイズ3のハイヴ攻略実績すらないのに、オリジナル・ハイヴなど攻めきれるわけがない、という呟き。それに賛同する声が波紋となって会議室に行き渡り、一時の静寂を崩す。

 そのざわめきを完璧に無視した悠陽は、ふっと視線を緩めて、むっつりと黙ったままの長田に言葉を投げかける。
「まずは、ボパール・ハイヴを攻略させて、私の言が夢物語ではないことを証明してご覧にいれます」
「今までハイヴ攻略の試みはことごとく失敗してきた。その失敗と失われた人命を見てなお、次は成功すると貴官は言うのか」
「今まで失敗してきたのだからこそ、次で成功させればよいのです、閣下。このままでは、何をしても人類は滅びるのですから」
「ボパール・ハイヴ攻略作戦を実行すれば、作戦の成否にかかわらず一個軍が丸ごと壊滅するかもしれない。そうと知っての発言か」

 かすかな微笑みを浮かべながら、悠陽は天気について話すかのような何気なさで言葉を紡ぐ。
「はい。損害やリスクはきちんと算定いたしました。何しろ、私もハイヴ内に突入するのですから」
 どよめきが空間を支配する。
「英雄願望も結構だが、身のほどを弁えたほうがよいのではないか、少将。」

 眉を顰め、語気を強めながら、長田は叱責する。無謀な新米の目を覚まさせようとする先任のように。あるいは、次期将軍を諭す教育係のように。

 この指摘に、悠陽は虚をつかれた。
 厳しく指弾されたからではもちろんない。

――英雄願望。
 それは、はるかな昔に持っていたかもしれない、悲しいほどに報われない欲求。何とかなるかもしれない、いや、何とかしてみせる、と思いながらどうにもならなかった記憶が心に像を結ぶ。結局、自分と変わらぬ年頃の若者が特攻していくのを見守るしかなかった戦場の煙が脳を燻る。彼らが彼女の名を今際に叫ぶ、その声がこびりついて離れない。あの世界で英雄になれたのは、ハイヴ内で一人、また一人と散っていた少女たち、そして彼女らを看取りながら一人生き残った少年。そして、彼らをハイヴ内に送り届けるために死んでいった幾百万の魂だけ。

 もしも英雄願望に身を浸して夢を見ていられたら、どれほど幸福だっただろう、と悠陽は思わずにいられない。たとえそれが一夜の夢であったとしても。

 だが、悠陽が否応なく体験することになった現実は、夢を見続けることを許さなかった。現実は激しい痛みを伴って押し寄せて、少女に悪夢しかもたらさなかった。

 余人には窺い知ることのできない深みを瞳に湛えながら、万感の想いを込めて悠陽は答える。
「ご心配には及びません、閣下。英雄は……彼らの生はどうしようもなく苦難に溢れていて、憧れるにはあまりにも哀しみに満ちています」

 悠陽の声に何かを感じたのか、長田は口を開こうとして、躊躇うように閉じる。
 白熱電球は足を止めて立ちすくむ将校たちを照らして、複雑な陰影を作り出す。動くものがいないなか、影はかすかにゆらめく。

 しばらく悠陽の年に似合わぬ表情を凝視したのち、長田は何を言いたいのか理解できないとばかりに首を振った。無理もない。悠陽の言は、他者を納得させるにはあまりにも不親切で、独り言に近いものだった。

「閣下には帝国軍の大陸派遣に賛同していただけませんか」

 長田の真意はどこにあるのだろう。悠陽はこの有力者の胸の内を探ろうとする。長田ほどに自分の手の内を明かさない口のかたい男から、情報を引き出すのが容易ではないことは分かっている。けれども、長田を説得するにしても、現時点で彼がどのような見解を持っているのか知らなければ、どうしようもない。

 長田は、苦々しげに眉を顰めて見せた後に、不快感を表に出しながら、口を開いた。
「帝国を守るためには、大陸に出兵するより他に手はあるまい」

 渋々とではあるが、悠陽の主張を認めたと言える。国防省の重鎮で、予算・兵員問題のみならず人事に絶大な影響力を持つ長田が、だ。きっと、本当は大陸派遣には反対なのだろうが、北九州の海岸線で帝国を防衛できないと判断したのだろう。悠陽は、ほっと一息つこうとした。
 
 だが、できない。
 どうしようもなく違和感がつきまう。長田はどうしてこうも苦々しげなのだろうか。長田も本当は帝国沿岸での防衛を望んでいたから、という当たり前の理屈には、なぜか説得力がないように感じられた。そもそも、軍政畑の長田が、参謀本部で統一見解が打ち出されていないうちから、帝国軍の戦略についてこうもはっきりと人前で語るのはおかしくはないだろうか。長田は非常に慎重な人物として有名だったはずだ。大陸出兵に賛同する長田の真意は国防戦略とは別のところにあるのではないか、という気がしてならない。根拠はない。だが、長田は全く別の思惑があって大陸出兵に同意したという想像は、悠陽の内に確固として根を下ろしていた。

「長田局長の仰るとおりだ。海岸線の要塞でBETAの本土上陸を防ぐなどというのは、消極的に過ぎる。大陸に出兵して、BETAのこれ以上の東進を防ぐべきだ。栄えある帝国軍戦術機甲軍団の力を以てすれば、BETAなど恐れるに足りぬ。人海戦術か核による焦土戦術しか知らぬ蒙昧な支那人どもに、洗練された戦術機戦闘の何たるかを教えてやろうではないか」

 まるで空気を読めずに話に割って入る者が一人。そちらを振り向けば、見たこともない中年の将官が、人種差別意識丸出しで声を張り上げる。
 同調する声が部屋のあちこちから聞こえる。

 これが帝国軍の上級幹部の実態なのか、度しがたい。根拠なき幻想を抱く高級将校たちに対する怒りが、悠陽の胸の中で急速に膨れあがってくる。味方の中国軍を無能と侮り、彼らが相手にしているBETAを見くびり、50年近くにわたり戦闘経験のない帝国軍の実力を誇大視する。貴様らは戦史から一体何を学んできたのだ、と一喝したくなる。敵を与し易いと侮って準備不足のまま戦端を開き、大敗を喫した例の何と多いことか。

「我らには、御剣が開発した新技術、新戦術機がある。斯衛の最新鋭機は、F-15に対して圧倒的な優越性を誇ると言うではないか。帝国の技術力は今やアメリカ以上だ。古い米ソの戦術機が苦戦するBETAなど、帝国の敵ではない。現に、ここにおられる煌武院様は北欧でBETAを軽く蹴散らしておられたではないか。これこそ、BETAが帝国の敵ではない何よりの証拠だ」

 太り気味の少将位の男が、悠陽のほうを見ながら、追従するように演説をぶつ。

 これで、悠陽に阿っているつもりなのだから、笑わせる。この声に賛同する声が先ほどよりも多いという事実が、悠陽を一層苛立たせる。悠陽の戦果や御剣の技術革新が、彼らの増長を強めていることが、やるせない。華々しい戦果が敗北と紙一重のものであったことをまるで理解していない。このような暗愚な俗物どもが、帝国軍の中枢にいるのか。憤懣を視線に込めて、悠陽は周囲を見回す。


 幸いにも、BETAを見下した発言に浮かれた表情をしているものは、それほど多くはなかった。大半の者は懐疑的な表情をするか、目に拒絶の色を浮かべている。騒いでいるグループにはっきりと侮蔑的な眼差しを向ける者も少なくない。今日報告した駐在武官たちなどは、特にそうだ。

 怒りと焦りが綯い交ぜになった頭が冷えてくると、悠陽は、不自然なまでに感情的な反応をした自分に戸惑いを覚えた。果たして自分は、ここまで強く他人を暗愚だ俗物だと見下すような人間だっただろうか。単に自分に余裕がなくて苛立っていただけだろうとは思う。だが、借り物の感情に引きずられたのではないか、というもやもやとした思いは晴れそうになかった。

 長田のほうを見やれば、いっそう眉をしかめて、不快げな表情をしている。
 長田がなぜ悠陽が英雄願望に流されていると批判したのか、悠陽には理解できるような気がした。悠陽も浮かれた将校たちと同じだ、と長田は判断したのではないだろうか。小娘が自らの戦果に舞い上がって、身の程知らずに戦場を求めている、そう思われたのかもしれなかった。
 同時に、長田の黒い瞳には、苛立ち、不快感に加えて、決意の光がはっきりと現れているように、悠陽には感じられた。だが、決意といっても、一体何を決意したのだろうか、と悠陽は自問する。帝国軍を大陸に派遣する決意だろうか。その想像は間違っていないが、全体像を明らかにしてもいない、そういう気がする。

 見間違いだろうかと思って、再度長田に視線を戻そうとしたとき、
「失礼する」
 声にはっきりと不快感を込めて、長田は大股に立ち去った。

 浮かれた者たちも、長田の声に潜む苛立ちに気づいたのか、当惑したように口を噤み、一人また一人と散っていった。
 会議は、気まずい余韻を残しながら、終わった。




 悠陽が参謀本部の建物を出ると、すでに陽はとっぷりと暮れていた。悠陽の左右には、真耶と真那が控えている。車止めの前で、ヘッドライトを煌々と照らしながら迎えの車が滑り込んでくるのを見るとはなしに見ていると、微かに人の気配がする。誰だろう、と悠陽が振り向くよりも早く、気配は悠陽の前に流れるように進み出る。
 目の前に、いきなり、にゅっと手が突き出された。驚いて見ると、どうやら缶詰のようだ。こんな馬鹿げた真似をするのは誰だ、と半ば予期しつつも、改めて前を見れば、鎧衣が相変わらずの格好でたっていた。

「お久しぶりです、悠陽様。スウェーデンは如何でしたか。そうそう。スウェーデンといえば、シュールストレミングが絶品と評判。おそらく、悠陽様は食されたことがないかと思い、私めがソ連よりはるばる調達して参りました。ちなみに、シュールストレミングとは、殺菌しないで塩漬けのニシンを缶詰にして発酵させたもので、世界一香り高い食品と各国のグルメを唸らせている一品です。なんと、帝国最高の食材、くさやよりも6倍は美味しいとか。食べて一週間は香水要らずとの評判、是非とも試してみてください」

 その説明を聞いてなお、缶詰を手に取ろうとする女性がいるのだろうか、と悠陽は嘆息する。相変わらず、土産を選ぶセンスがひどい。

 やや大げさにため息をつきながら、
「鎧衣、その不快な缶詰を早々にしまいなさい」
 と言ったところで、鎧衣の発言に引っかかりを覚える。

「今、ソ連に行ってきた、と言いましたか、鎧衣」
「はい。正確には、アラスカの北限です。あまり知られておりませんが、シュールストレミングは、スウェーデン以外でも作られております。工程に若干の違いがあるとかないとか。さ、どうぞ」

 黒塗りのリムジンが悠陽の前で停車し、運転手がすぐさま後部座席の扉を開ける。

「車内で話を詳しく聞きます。乗りなさい」
 缶詰を持つ手を突き出す鎧衣を完璧に無視して、そう告げるや、悠陽は車に乗り込んだ。気配を感じて、リムジンの向かいの座席を見やれば、すでに鎧衣が寛いだようにして座っていた。相変わらず、得体がしれない。
 真耶が悠陽の左隣に腰を下ろすと、扉が閉まる。リムジンは緩やかに加速しはじめた。

 リムジンの低い走行音を聞きながら、悠陽は鎧衣に語りかける。
「鎧衣、さきほどの話の続きですが、ソ連で何をしてきたのです」
 等間隔で並ぶ街路灯の脇を通り過ぎるたびに、薄暗い車内に光が差し込む。人工の光に照らし出された鎧衣の顔は、思いの外、真剣な顔をしていた。

「アラスカで第三の計画を探っておりましたところ、計画によって生み出された一人の少女についての情報を入手しました。拍子抜けするほど簡単に、その子に会えたわけなんですが、ついでにクリュチコフKGB議長にもお会いする運びとなりまして……」

 呆れたように、悠陽は額に手を当てる。詰まるところ、鎧衣はKGBの仕掛けた罠にはまったということになる。おまけに、普通ならばそこで終わってしまうところなのに、鎧衣はどうしたわけか、KGB議長に面会したという。
「クリュチコフ議長によれば、コルニエンコ書記長が是非とも、御剣財閥次期総帥と会談したいとのことで、書記長直筆の招待状を預かって参りました」

 あまりにも淡々と告げられたため、悠陽は一瞬、鎧衣の発言に潜む事の重大性を認識し損ねた。

「書記長が飾り物の少将にすぎない私をソ連に招待するというのですか」
 なんとも唐突な、と悠陽は呆然とつぶやいた。
「共産党書記長が商談のために西側のビジネスマンと会談することもあると聞きます。御剣がソ連の対外貿易省と取引があることを考えれば、それほど奇異なことではありますまい」

 相変わらず淡々と、本人ですらまるで信じてない空言をよくもまあ言えるものだ、と悠陽は鎧衣を睨めつける。普通の商談ならば、ソ連対外貿易省経由で御剣本社に持ち込めば済む話だ。10歳にもならない女児を引っ張り出す必要はどこにもない。ましてや、オルタネイティヴ3について探っている帝国情報省のスパイを伝言役になどしないだろう。たとえKGBが、御剣の技術革新の裏に悠陽がいると掴んだにしろ、悠陽の周囲を買収するなり、スパイを送り込むなり、裏取引をするなり、手はいくらでもある。

 悠陽に睨まれた鎧衣は、軽く肩をすくめると、話を続けた。
「どうやら、書記長は第三計画が失敗した場合の方針について考えておられるようですな。第三計画が失敗した場合、ソ連共産党内部で書記長の権威に傷がつく恐れがあります。もし、計画失敗後に現指導部が善後策を提示できないとなったら、政治局内の政治闘争が再燃するかもしれません」

 それはそうだろうが、そのことが招待状とどういう関係があるのか、と問おうとして、悠陽ははっとする。
「……そういうことですか」
「はい。第三計画失敗後に、米国の有力な一派が推す第五計画が正式に採択された場合、米国がG弾を独占し、ソ連は一発も保有しないという事態が生じかねません。第五計画によって米国に主導権を完全に譲り渡すことも業腹ならば、米国がG弾を占有するというのでは、超大国ソ連の国防戦略および面子が大きく損なわれる、そんな懸念をする者も少なくないようです」

「現在の技術力を持ってすれば、ICBMを撃ち落とすことはそう難しくない。つまり、戦略核が持つMAD、すなわち相互確証破壊の原則はすでに失われている。それに対して、G弾はひとたび発射されると、重光線級でも撃ち落とす事が出来ない。言い換えれば、米国はソ連に対して、戦略面で圧倒的な優位に立つことになる。したがって、ソ連としては対米外交上どうしてもG弾開発が必要で、第五計画によってG弾占有権を米国に握られるのを何としても阻止したい、と」
 冷え冷えとした口調で、口元に冷淡な笑みを湛えながら、悠陽はつぶやく。

 街路灯の光が、車内を瞬間的に照らしては後方に流れ去る。悠陽が浮かべた表情を見て、おお怖い、などと平然と嘯きながら、鎧衣は話を続ける。

「最近、帝国は米国に対して自立の動きを強めておりましたからな。書記長は、ポスト第三をめぐる水面下での帝国の動きを見て、米国と帝国を切り離すことができるかもしれない、と考えているのでしょう」

「幾重にも張り巡らされた日米関係の網を見てもなお、そのような考えに至るとは……」

「勝算がないことはない、と考えたのでしょう。第三計画が失敗した場合、第四計画を推す帝国としては、安保理で協力者を必要とするはずです。ソ連は、アジア・アフリカに多くの友好国を持ちます。これは、国連では無視できない。さらに、KGBは悠陽様がスワラージ作戦に介入しようとして動いておられることを掴んでいるようです。ハイヴ攻略用に開発した新型OS習熟のために、作戦の開始を遅らせようとして、インドなどと水面下で交渉していることも、把握していると見ていいでしょう。BETAに攻められて青息吐息のインドとしては、一刻も早くボパール・ハイヴを攻めたい。したがって、インドや東南アジア諸国に作戦延期を納得させるのは容易ではない。ソ連はインドの同盟国で太いパイプがありますから、ソ連が間に入れば作戦延期の説得もそれだけやりやすくなる。おまけに、スワラージ作戦の主役は、第三計画を主導するソ連の特殊情報部隊ですから、スワラージ作戦延期への同意を餌に悠陽様を釣ることができるかもしれない、彼らはそう読んでいるのでしょう」

「白々しいことを……。帝国の協力を必要としているのは、彼らとて同じでしょう。我々がハイヴ攻略に参加すれば、それだけ第三計画の直属部隊を頭脳級に近づけることができるかもしれない。それは、彼らからすれば、第三計画の成功率を上げることになる。御剣の技術を利用して米国に対する優位を確保したいという計算もあるでしょう。第四計画は、第三計画をベースにしたものですから、第三計画が失敗に終わったとしても、計画データ引き渡しを取引材料に第四計画に対して一定の発言力を有することができるかもしれない。帝国主義国と同盟を結ぶことに対するマルクス・レーニン主義的な反発は、アメリカからアラスカを租借するときにクリアした。彼らからすれば、帝国に接近してもデメリットはない」

「どちらが相手をより必要としているか。外交とは詰まるところ、そこですな」

 したり顔でそう説く鎧衣を、悠陽はいっそう強く睨めつけた。悠陽が何としてもオルタネイティヴ5の動きを封じ込めようとしている、ということを理解した上での発言だと分かるだけに、腹立たしい。実際のところ、ソ連が強力になれば、その分だけ帝国の北辺防衛も楽になる。さらに、対ソ接近というカードをアメリカとの交渉でちらつかせれば、日本に無茶な要求をしては日本をソ連側に追いやりかねないとアメリカ側に認識させられるかもしれない。そうなれば、対米交渉上、一定の交渉力を得ることになる。ソ連の国内政策に対する義憤をなだめて、個人的な良心に目を瞑れば、ソ連との取引はそう悪いものではない。あくまでも、対米関係を決定的に悪化させない範囲に限定すれば、の話であるが。

「クリュチコフKGB議長は、悠陽様との連絡役として、同年代の少女を送ってよこすそうです。同じ年頃の少女ならば、友人ということで誤魔化せるだろうから、と。確か、ソ連の駐日外交官の子女ということで、すでに帝都に着いていたかと。あるいは、今晩あたり、悠陽様のもとを訪ねてくるかもしれませんな」

 あまりに急な話に絶句している悠陽を尻目に、鎧衣は変なイントネーションで続ける。
「その少女は、非常に優秀だそうですよ。そう、非常に」

 悠陽は二の句が継げなかった。オルタネイティヴ3を探っていた鎧衣がKGB議長に会って連れ帰った「非常に優秀」な少女。それがどんな謂われを持つ者なのか、問い返すまでもない。後に、夕乎が散々脅してやっと一人確保するこになることを思えば、気前がよいとも言えるのかもしれない。自分に相談せずに勝手なことをと思うが、考えてみれば、まだ一介の斯衛軍将官にすぎぬ悠陽に一々お伺いを立てる義務は、鎧衣にはない。おまけに、鎧衣は、帝国にとって有益だと判断すれば、政威大将軍や首相に知らせずに動き回るような有能すぎる情報員だ。

「行き成り今晩来ると言われましても、こちらには何の準備もありませんよ、鎧衣」

 悠陽がせめてもの苦言を呈しても、鎧衣は飄々としている。
「ああ、その少女ですがね、何でも姉妹たちのなかでは不出来なようでして、保護者からは捨てられそうだったところを、何とか今回の任務にありついたそうです。いやはや、子どもを捨てるなどと、ひどい事もある者ですな」

 この鎧衣の発言に、悠陽は眉を顰める。それはつまり、潜入中にプロジェクション能力もリーディング能力も乏しい研究所の少女に出くわして、鎧衣なりにその子を救おうとした、ということなのだろうか。もしかしたら、その子に自分の娘を重ね合わせたのかもしれない。もちろん、悠陽にとって、そして帝国にとって害にはならないと判断してのことであろう。こういう点では、鎧衣の判断は当てになる。

「一介の情報省の課長が、よくもまあそこまで独断専行できますね」
 せめてもの皮肉を込めて悠陽がつぶやくと、
「日頃の行いがいいせいか、上司からこの問題については完全に一任されまして」
 という反応が返ってくる。

 一体、どう上司に報告したのか、と問おうとしたところで、リムジンは停車した。煌武院邸に到着したようだった。
 今晩は忙しくなる。客を迎える準備をさせなければ。そう思って、悠陽はリムジンから立ち上がった。

 腰にかすかな鈍痛を感じて、悠陽は柳眉をしかめた。そういえば、今朝も腰に痛みを感じた。たぶん、いわゆる成長痛だろう、と思う。過去にも似たような痛みを感じたことがあった。ただ、今回は少し早い気がする。ひどく痛むわけでもないし、成長が早いのはむしろ好ましいことだ。そう思いながら、真耶、真那に加えて鎧衣を引き連れて、悠陽は玄関に向かって歩みはじめた。



 晩秋の満月が帝都を照らし出していた。



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