注意!!
今話では食人等、非常にグロテスクな表現がありますので、そういった描写が苦手な方は閲覧をお控えください。後書きに大体のことはまとめてあります。


 

「あれ?」

 

 

 薄暗い倉庫の中で、外の惨劇も知らずに眠りこける麻帆良学園の生徒たちを巫女たちが運び出している最中、一人が素っ頓狂な声をあげた。

 

 

「どうしたのよ?」

 

 

「いや、これってさ、魔法解除符だよね?」

 

 

 彼女が拾い上げたのは、一枚の符だった。そこに書かれた紋様と術印から、遅効性の魔法効果解除符だと判別した。

 

 

「でも何でこんな所に?誰か使ったのかな?」

 

 

「馬鹿ねぇ、よく考えなさいよ。…あのサックス持ってた子が使ったに決まってるでしょ?」

 

 

「あ、なるほど…。」

 

 

 話題に出して気まずくなってしまったのか、無言で生徒たちを運び出す作業を再開した。何名かが車を取りに戻っているので、彼女たちの車に詰め込み、下山させる考えだ。

 

 

 彼女の考えは合っている。床に落ちていた魔法解除符は、確かに千雨が千草から渡され、目覚めるのに使ったものだ。使い終わり、そのまま捨てていった、そこまでは間違いない。

 

 

 だが、千雨は気付けなかった。自分が使い終わった後のその符に、まだ魔力が残っていたことを。

 巫女は知らない。千雨が眠っていた隣に居たもう一人が居なくなっていることを。

 そして、誰も知らない。今その少女が、本山を囲む森の中で迷っていることを。

 

 

 

 

 

 

#25 少女達の挽歌

 

 

 

 闇に包まれた森を、ヘッドライトが照らす。雨で水気をたっぷり吸った地面を蹴散らし、車体を泥まみれにしながら進んでいく。

 その後ろを。

 

 

「オラァ、待たんかいワレェ!!」

 

 

「逃がさへんぞぉ!!」

 

 

 捕まったら内臓を切り売りしそうな勢いで、鬼の大群が追いかけてきていた。

 

 

「…てっきりさっき全滅させたと思ったんだけどな…。」

 

 

「アレは別に本体やない。存在を間借りしとるだけや。殺せば消滅するが、再召喚することは可能や。本人の魔力が続く限り、な。」

 

 

「とはいえ、あれだけ召喚を駆使して魔力が枯渇しないはずは無いと思うけど。コノエコノカの力を利用しているのかな?」

 

 

 助手席に座るフェイトの疑問に、千草が首肯だけで返す。

 だが、本来先行くはずの術者たちを守るべき鬼たちが、千草たちの後を追っている、というのも妙な話だ。しかし同時に、それに気付かない人間はこの車内に誰一人いない。しばらくして、千雨が口を開く。

 

 

「300メートル前方。待ち構えてる。」

 

 

「やっぱり挟み撃ちか。どうするチグサ?」

 

 

「正面突破。」

 

 

 身も蓋もない千草の命令に、やれやれとばかりにパワーウィンドウを開け、手をかざす。前方で鬼たちの巨体が、道を完全に塞いでいるのが見えてきた。

 

 鬼たちまで後100メートルと迫ったところで、砂塵の竜巻が車を覆い隠した。分厚い風の壁が四方全てを遮り、鬼達を寄せ付けない。無論車前方の視界も遮られることになるが。

 

 

「…少し曲がってる。左に6度くらいずれろ。」

 

 

 このように。千雨の聴覚(ナビゲート)があれば、何の問題も無かった。難なく鬼達の囲みを突破し、突き離していく。目指す湖まで、行く手を阻む者は誰も居ない。

 

 

 ―――――はずだった。

 

 

「っ―――――!!車停めろ天ヶ崎!!周りの砂塵も消せ!!」

 

 

 突如、車内に千雨の怒鳴り声が響く。冷静沈着な殺し屋としての千雨しか見ていなかった調たちは、目を剥くほど驚いている。千草はフェイトに目だけで合図し、その合図を受けたフェイトが、窓から後方に向けて魔法の射手を放つ。連続して爆音が響く中、千草は多少速度を落としたものの、完全に止めることはない。

 

 

「―――何や、湖周りで幹部共が罠張っとるんか?それやったら、ゴリ押しで行けますえ?近衛木乃香がどうでもようなったわけやないやろ?」

 

 

 返答は無い。下らない問いに答える気を失くした、と見た千草だったが、単に今の千雨にそれだけの余裕が無いのだと察するのに時間は要らなかった。

 千雨の頬に一筋の汗が走る。前方の見えない湖を睨みつけ、その奥に広がる情景を、耳から得た情報で脳裏に浮かび上がらせていた。

 完全に状況を把握し、改めて車を止めろと目だけで合図をする。千草も今度はブレーキを踏みこむ。車が完全に止まるのを確認して、ようやく千雨は口を開いた。

 

 

「…この先の湖らしき広場で、月詠が幹部共を皆殺しにしてる。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜咲刹那は、暗い森の中を駆け抜けていた。

 

 

「ハァッ…ハァッ…クソッ…!」

 

 

 目的地はハッキリしている。だが、方角すら定かではない漆黒の森の中で、そこへ一直線に向かうことは困難を極める。月を見て方角を確かめようにも、分厚い雲が空一面を征し、月光に出る幕を与えない。さらに追い打ちをかけるような豪雨が、彼女の体を濡らし、冷やしていく。足場も悪く、すでに何度泥濘に足を取られたかわからないほどだ。

 

 

 だが、彼女に立ち止まるという選択肢は無い。今立ち止まれば、全てが失われてしまうから。

 ここに至るまでの労苦も、流血も、犠牲も、そして何より、守るべき人を、目指した未来を。そのために身命を賭して戦ってきた彼女にとって、その全てを無に帰するようなことは出来ない。その思いが、今の彼女を動かす原動力だった。

 

 

「待っていてください、お嬢様―――――!!」

 

 

 少女は決意に燃え、月の無い空を睨む。

 と、その時だった。

 

 

「何者だっ!!?」

 

 

 刹那が刀を抜き、真横に振り向く。

 確かに今、何者かの気配があった。しかもただの気配ではなく、自分を狙った殺気。

 数週間前の失態を思い出し、一瞬だけ体が震えたが、何とかそれを取り繕って戦闘態勢に入る。

 だが、刀を向けた木の陰から出てきたのは、意外な人物だった。

 

 

「拙者でござるよ、刹那殿。」

 

 

 長瀬楓だった。いつもと変わらぬ穏和な笑みを浮かべながら、刹那に近付いて来る。刹那は溜め息を一つつくと、さっさと背を向けた。

 

 

「…紛らわしい真似をするな、長瀬。私は急いでいるんだ。足を止めさせないでくれ。」

 

 

 余裕を感じさせない口調に、刹那の焦りがありありと表れている。だが楓は意に介した様子など一切無く、刹那に声をかける。

 

 

「まあまあ刹那殿。実はお主に一つ聞きたいことがあってな。探してたんでござるよ。」

 

 

「…あのな、今は緊急事態なんだ。そんなことしてる場合じゃないだろう。お前もお嬢様を助けるのを手伝って―――――」

 

 

「刹那殿。」

 

 

 苛立たしげな刹那の声を遮る楓の声は、どす黒い感情に満ちている。

 その感情の名は、憤怒。

 

 

 

 

 

 

「――――――のどか殿を撃ったのは、お主でござるな?」

 

 

 

 

 

 

 世界が色を失ったかのような静寂。

 楓の表情からは、とうに笑みが消えている。

 

 

「…何のことだ。言いがかりも甚だしい。」

 

 

 刹那は楓に背を向けたまま、冷たい口調で返す。しかし先ほどのような焦りは見られない。刀も抜き身のままだ。

 

 

「拙者も茶々丸殿に言われて初めて気付いたが、今夜の一件は、不自然な点が多過ぎる。」

 

 

 楓は刹那の背中を睨んだまま、静かに語り始めた。

 

 

「今夜の一件は、関西の術者に操られた朝倉殿とカモ殿が、館内を混乱させつつ、ネギ先生の動きを封じ、その隙に木乃香殿を攫う、と見られていたが―――考えてみれば、無駄が多過ぎる。そんなことをせずとも、力づくで奪ってしまえばいい。」

 

 

 刹那は何も言わない。

 

 

「だがもし力に訴えれば、傀儡と化した従業員たちが一斉に敵に回る。同時に、外に居る者達にもそれが伝わる。そうなれば、木乃香殿を攫うなど、到底上手くいくはずも無い。」

 

 

「だが――――もし、館内を走りまわるのが、何の魔力も持たない麻帆良の生徒たちだったら?その場合、従業員たちが異変に気付くことは有り得るか?」

 

 

「あのゲームの本当の目的はそれでござった。主戦力が離れた隙に、従業員に不審を抱かせない形で、館内を混乱させること。全員の目をネギ先生に向けさせ、館内唯一の戦力を翻弄させること。それが最大の狙いでござった。そのために仕組んだゲーム。鬱屈とした気分を抱える全員の興味を惹きつけ、内部が手薄になった隙を狙い、木乃香殿を攫うために。」

 

 

「だが、おかしな点が残る。そもそもあの旅館の周りには、天ヶ崎が張った特製の結界があった。当代一流の術者の作りし結界を破って侵入することなど、普通の術者に敵うか?

 そしてもっと奇怪なのが―――朝倉殿とカモ殿を操ったこと。なるほど、このようなゲームを提案する人間として、彼女たちほどの適任はおるまい。

 

 

 だが―――彼女たちが適任であることを何故知っている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 3−Aがそういったお祭り事に確実に乗ってくることを、それを提案する人間として最適なのが誰であるかを、後でバレても不自然に思われない人間を、見も知らない関西の術者が正確に当てることが出来たのは―――何故でござろうな?」

 

 

「確かに天ヶ崎は、修学旅行に参加する生徒たちの一覧を持っておった。天ヶ崎一味の中に裏切り者が居たそうだが、一人一人の細かい性格、気性が乗っているはずも無い。」

 

 

「となれば―――内部、とりわけ3−Aの人間に詳しい者を疑うのは、…当然といえば当然でござる。」

 

 

 一瞬だけ言い淀んだのは、やはり口にして確かめるのは気が滅入るためだ。

 3−A内部の裏切り者の存在を、電話で状況を聞いたエヴァの推理を茶々丸から教えられた時、思わず憤ったように、信じられない、信じたくない、という思いが、今でも楓の中にはある。

 ましてやそれが、仲間だと、味方だと、信じて疑わなかった相手なら。

 

 

「…思いだしてみれば、おかしなことだらけでござった。

 千雨殿が清水寺でお主を見かけた際、何をしていたのかが説明が付かない。妨害を認めたなら、助けてくれてもよかったはず。

 あの月詠と交戦し、拙者たちの所に問題なく駆け付けられるというのもおかしい。あの狂獣に、防戦しか出来ぬお主が太刀打ち出来るはずが無い。

 拙者たちに木乃香殿の現状を伝えなかったのも、ネギ先生たちとの繋ぎをしなかったのも妙だ。少なくともお主は、全ての状況を詳細に把握していたはずなのに、それらの情報を何一つ伝えなかった。

 警察ですら訝しんでいたようでござるよ。結構な至近距離で、普通なら間違いなく胴体に当てられるにも関わらず、悉く銃弾が外れていると。まるで、素人が撃ったようだと。

 そして何より、天ヶ崎からの情報が決め手でござった。お主は関西の長の命で、今回の修学旅行を陰から見張っておったそうだな?だが天ヶ崎曰く、関西の長は少なくとも2週間前には殺されていると。ではお主が―――――」

 

 

 

 

 

 

「もういいよ。長瀬。」

 

 

 

 

 

 

 刹那の声が、楓の一縷の望みを完全に断ち切った。

 振り向いた刹那は、全てを諦めたような笑みを浮かべている。刀は相変わらず抜き身のままだが、柄を握る刹那の身ごと錆び付いてしまっているかのように見えた。

 

 

「その通りだよ、長瀬。私が、宮崎を撃った。

 …宮崎が銃を落とした時は、僥倖だと思ったんだけどな。最初は斬り捨てるつもりだったけど、銃なら持ち逃げすれば証拠が残らないし。やはり使い慣れない道具を使うべきじゃないな。」

 

 

 そう言って、懐から取り出したそれを地面に捨てる。間違いなく、のどかが持っていた拳銃だった。

 苦笑混じりに自分の失態を語る刹那に、楓は拳を強く握りしめる。

 

 

「…何故、こんなことをした。」

 

 

「何故って?そりゃあ宮崎は邪魔だったからな。戦闘力は無いけど根性は人一倍ありそうだし、力に訴えなきゃ止まらないだろう。事実、彼女は事態を知ってすぐ動き出した。消音結界を張ったり、ルートを見越して人払いをかけたり、余計な苦労をさせられたよ。そもそもさ、今夜の計画は私が建てたものだったんだ。都合良く長谷川も、天ヶ崎も居なくなったから、後は絡繰たちさえ居なくなれば好機だと―――――」

 

 

「誰がそんな事を聞いている!!何故お主は裏切った!?木乃香殿の護衛であり、親友であるお主が!!」

 

 

 饒舌に語る刹那に、楓の怒りはあっさりと臨界点を超えた。事実であってほしくなかった、自分やエヴァの勘違いであってほしかった、そんな儚い願いを嘲笑うかのような刹那の態度に、本気で怒っていた。

 だが、対する刹那は、まるで害虫を見るかのような冷たい視線で憤る楓を見つめていた。

 

 

「護衛だから、だよ。私は誰より、お嬢様のことを考えている。そのためなら、例え級友だろうと問題無く裏切れるさ。」

 

 

「何―――?」

 

 

 怒りを浮かべたまま不審気な目を向ける楓に、刹那は見下すような笑みを浮かべる。

 

 

「お嬢様は、その身に莫大な魔力を秘めている。それこそ、強大な封印を施された鬼神を容易く復活させてしまう程にな。それ故に、小さい頃から付け狙われていた。それを陰ながら守ってきたのが、私であり、詠春様であったわけさ。」

 

 

千草から聞いた話ばかりなので、さほど驚きはしないが、楓はそんな様子を億尾にも出さず、黙って刹那の話を聞く。

 

 

「今回の計画では、鬼神の力を爆発的に増大させる召喚を行う。非常に特殊な方法で、とんでもなく大量の魔力が必要だ。そのためには、お嬢様の魔力を一滴残らず使い果たさなければならない。そしてその実行後には、お嬢様は二度と魔力の行使が出来なくなる。」

 

 

 そこで言葉を切った刹那は、いかにも満足気な顔を浮かべていた。

 

 

「そう、お嬢様をずっと苦しめていた、莫大な潜在的魔力。これが潰えれば、お嬢様を狙う輩は居なくなる!最早お嬢様が危険な目に遭うことも無い!私はお嬢様の護衛だ。その身の安全を、誰よりも考えなければならない立場だ。だからこそ、お嬢様の未来のために、この計画に加わったのさ!」

 

 

 未だ激しい雨音に、刹那の哄笑が加わる。雨が地面に落ちる低音と、少女の甲高い笑い声のアンサンブルは、果たして、楓には感情を逆撫でする不快な音でしかなかった。

 

 

「…なるほど?お主は木乃香殿の護衛をするのが疲れたから、木乃香殿が嫌いになったから、このような蛮行に加わるに至ったのか。…醜いな、刹那殿。お嬢様のためと語り、拙者の忠告を無視して千雨殿に突っかかって行った時の方が、よっぽど格好良かったでござるよ?」

 

 

 その瞬間、刹那の哄笑が止んだ。否、表情が消え、動きが完全に止まり、俯いたまま黙った。

 楓が訝しむのもつかの間、刹那が俯いたまま口を開いた。

 

 

「…長谷川。ああ…そうだ。アイツの…アイツのせいだ。アイツが、何もかも悪いんだ。」

 

 

 雨に掻き消されそうな刹那の独白は、楓にとってとても聞き逃せる台詞では無かった。

 

 

「…どういう事でござるか?」

 

 

 内心の怒りを表に出さないようにしながら、楓が問いかける。

 だが、問いかけるや否や、刹那が刀を振るった。爆発のような斬撃が、泥も雨も弾き飛ばし、楓が立っていた場所の少し左の地面を抉り去る。

 斬撃を避けた楓は、左側に少し離れた所に降り立つ。再度楓の怒りが臨界点を超え、怒りのままに怒鳴りつけようとするが、それよりも速く刹那が叫んだ。

 

 

「アイツがっ…!アイツが悪いんだっ!!私は、私は悪くないっ!!」

 

 

 涙交じりの声。ひょっとしたら本当に泣いているのかもしれない。

 

 

「私はもう刀を握れない!刀を持つ手が震えて、握っていられない!嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だっ!!死にたくない、死にたくない、殺されたくない!怖い、怖いんだ!刀を持つ度に、自分が殺される場面が脳裏をよぎるんだ、冷たくなって、血を流してっ…!」

 

 

 見れば、すでに刀は地面に横たわっている。楓を殺そうとした一撃が、本当に限界だったのだろう。

 なおも刹那の慟哭は続く。

 

 

「私はっ!お嬢様の護衛だっ!!お嬢様を、身を呈して守らなくちゃいけないんだ!!でも、でももう無理だ、無理なんだ!!戦うことを、死ぬ事を恐れるような護衛なんて、護衛じゃない!!だったら私の、私の存在意義は一体何だ!?護衛として、命を捨てる覚悟を失った今の私に、こんな無様な私に、一体何の意味があるというんだ!?」

 

 

 血を吐くような叫び。だがそれを聞く楓の心の中で、えも言われぬ不快な感情がどんどん増していく。

 

 

「そうだ、私は護衛だ、お嬢様の護衛で在り続けなければならないんだ!!それしかないんだ、私にはそれしかないんだ!!私の生きる理由は、私がお嬢様の傍に居る理由は、それだけなんだ!!」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、楓の中で、がちんと歯車が噛み合うような納得感が駆け巡った。同時に、血が沸き立つような怒りを覚える。

 

 

「お嬢様と居るのが疲れただと!?お嬢様のことが嫌いになったかだと!?そんなわけないだろう!!私は誰よりもお嬢様の身を案じている!!お嬢様のことを大切に思っている!!お嬢様の最も近くに居るべき存在は、私をおいて他に居ない!!だから――――」

 

 

 

 

 

 

「―――だから、守る必要を無くしてしまおう(・・・・・・・・・・・・・)、と?」

 

 

 

 

 

 

 限界だった。

 腸が煮えくりかえり、それでいて頭の中は極点よりも冷え切っている。これまでの人生の中で感じたことの無い、憎悪と呼んだ方が近いような、荒れ狂う怒り。

 これ以上話を聞くのも不愉快とばかりに、楓は苦無を両手に構える。あの喉を掻き切ってやりたい、という衝動を、何とか抑えながら。

 

 

 そんな楓の激噴を知ってか知らずか、刹那の懺悔(ひとりよがり)は加速していく。

 

 

「だから言っているだろう、守る必要を減らすことなんかじゃない、狙われる理由そのものを消すことだ!莫大な魔力など、お嬢様を蝕む害悪でしかないと、ようやく理解した!だから、その大本を断ち切ることで、お嬢様を永遠に守ろうとしているんだ!これが護衛の本分で無くて何だと言うんだ!?」

 

 

 狂ったように刹那は叫ぶ。否、本当に狂ってしまっている、少なくとも楓はそう考えていた。

 

 

「私はっ!!お嬢様の護衛だ!!誰よりもお嬢様の身を案じ、誰よりもこの務めに誇りを持っている!!たかが刀を持てなくなったくらいで、死ぬのが怖くなったくらいで、逃げ出すわけにはいかないんだ!!私は最期まで、護衛としての本分を全うしてみせる!!お嬢様のために命をかける!!そのためなら何でもするさ!!例え長に牙を向けようと、級友に銃を向けようと、お嬢様さえ無事ならばそれで―――――」

 

 

 

 

 

 

「―――――もういい。黙れ。」

 

 

 

 

 

 

 楓の静かな、地獄の業火を抱えたような響きが、二人の間に満ち、広がる。刹那は口を閉ざし、楓を真正面から見据えた。

 

 年頃の少女には似合わない、濁った瞳。

 

 こんな眼をしていたのか、と楓は心中で嘆く。もしあの日、自分が力づくで千雨に突っかかるのを止めていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。崖を踏み外す最後の一歩を押し留めなかった自分に、責が無いとは思えない。

 

 

 ――――――――だが。

 

 

『…ウチ、何かせっちゃん怒らせるようなことしたんかなぁ…。ウチはただ、昔みたいに喋りたいだけやのに…。』

 

 

『ホンマに、ホンマにありがとう!ウチ頑張る!絶対に、絶対にまた、せっちゃんと仲良うなってみせるから!』

 

 

 つい数時間前に聞いたばかりの、木乃香の涙が、笑顔が、蘇る。誰よりも親友のことを想い、誰よりも親友との触れ合いを願った少女の、嘘偽りない親愛の念。

 

 

「…木乃香殿がどれほどお主を想っていたか、どれほど辛い思いをしていたか、お主には理解できまい。護衛だか何だか知らぬが、誰より木乃香殿を傷つけておったのがお主自身だと、気づくことは無かったのか?」

 

 

 刹那は何も返さない。だがその視線と表情は、何を馬鹿なことを、と切り捨てていることを如実に語っていた。

楓の詰問は、刹那の心には全く届かなかったようだ。それを察し、楓は覚悟を決めた。

 

 

「ああ、よく分かったでござるよ、桜咲刹那。お主は護衛だの、親友だの、そんな大層なものじゃない。自分の弱さを直視することも出来ない、あまつさえそれを他人に擦り付ける、継ぎ接ぎだらけの弱虫。もっと言ってしまえば―――屑でござる。」

 

 

「……何だと?」

 

 

 刹那の顔が強張り、刀を握る手に力がこもる。

 

 

「お主は千雨殿に打ち負かされ、刀を握れなくなった。その時点で、刀を捨てれば良かったのだ。だのに護衛などという下らん立ち位置に固執して、自分自身から目を背けた。そしてお主はあろうことか―――その言い訳を、木乃香殿に求めた。

お主は言ったな?誰よりも木乃香殿のことを考えていると。誰よりも理解していると。そのお主が、木乃香殿の父君を亡き者とし、木乃香殿を邪な者達の手に委ねることを、本当に木乃香殿のためと考えたというのか?木乃香殿がそれで喜ぶとでも?その過程でのどか殿を、罪無き無辜の民を傷つけることが?馬鹿げている。そんなこと木乃香殿が喜ぶはずが無かろう。それすら分かっておらぬのなら、お主は拙者以上の馬鹿であり、正真正銘の人でなしだ。

要するにお主は、木乃香殿を守るという大義名分の下、自分を取り繕おうとした。木乃香殿を傷つけることを容認して、己の弱さを隠そうとした。これを醜いと言わずして何と言う?」

 

 

 心からの軽蔑と、憐れみと、怒りをこめて、静かな口調で刹那を罵倒し続けていく。楓とて、2年間同じ教室で学び合った友と、こんな形で向き合いたくはなかった。だが最早、一片たりとも同情の余地は無い。

 

 

「理解?誇り?笑わせるな。今のお主が誰より護衛という務めを侮辱しているのが分からぬか?誰より木乃香殿を悲しませ、その想いを踏み躙っていることが分からぬというのか?お主はお主自身のことしか見えておらん。お主自身の見栄と、地に堕ちた誇りを、掬い上げるために戦っている。違うか?

 ―――ふざけるなよ桜咲刹那。貴様の下らない独善のために、どれだけの血が流れたと思っている?流れなくてよい血まで流れ、幾人もの命が奪われ、その上貴様は級友を手にかけた。木乃香殿だけでなく、2年以上付き添った級友達をも裏切り、貴様には何ら恥じ入る所は無いでござるか?」

 

 

「っ―――――うるさい、うるさいうるさいうるさいっ!!お前が何と言おうと、私はお嬢様の護衛だ!!悪くない、そうだ、私は悪くないんだ!悪いのは宮崎だ!!宮崎が首を突っ込まなければ、こんなことにはならなかった!!ならなかったのに!!私は悪くない、悪くない悪くない悪くない、悪くないんだ!!」

 

 

 必死に楓の言葉を否定する様子は、無理矢理な自己肯定以外の何物でもない。彼女なりに罪悪感を感じていたのは間違いないだろう。痛々しささえ感じる刹那の姿は、暗闇に戸惑う幼子を想起させた。

 

 

「お前に、お前に何が分かる!?そうだ、お前達さえ居なければ、こんなことにはならなかった、ならなかったはずなのに!!私はお嬢様の傍に居たい、それだけなのに、何で邪魔をする!?今まで何にも関わろうとしなかったくせに!邪魔するな邪魔するな邪魔するなっ!!私は間違ってない、間違ってない!!お嬢様の近くに居たいと思うことの何が悪い!!お前達さえ、お前達さえ居なければ―――――!!」

 

 

 そう嘆き(さけび)ながら、懐から1枚の符を取り出した。素早く苦無を投擲しようと構える楓だが、その手はすぐに止まる。

 取り出された符を、刹那は口に含んでいた。咳き込みながらも咀嚼し、飲み込む。そして荒い息を吐きながら、刀を構え、戦意に満ちた淀んだ瞳を楓に向けた。

 

 

「お前達さえ、お前達さえ居なければ、私は、私はっ…!お前達が居なければ、居なければ、居なケれバ、イナケレバ―――――――――!!」

 

 

 変化はすぐに、そして顕著に表れた。口に出す言葉が震え、目が血走り、全身に莫大な気が満ちていく。正気を保っているとは言い難い有様に、楓の我慢も限界を超えた。

 

 

「…狂戦士化、という所でござるか。戦うことが出来なくなったお主の苦肉の策がそれか。そんな無様を晒してなお、お主は護衛などという幻像に固執するか…!

 ―――見損なった、否、見下げ果てたぞ桜咲刹那。今の貴様の醜悪極まりないその姿、友として、最早見るに耐えん――――!!」

 

 

 パキンと、楓の口の中で、噛みしめていた歯が欠ける音がした。

 

 

 戦友(ちさめ)を貶められ。

 級友(このか)を侮辱され。

 同友(のどか)を殺されかけた。

 

 

 最初から刹那を許す気など無かった。それでも、怒りを堪えて刹那の言葉を聞くことにした。

 だが、刹那の口にする暴言の数々は、楓の怒りを憎しみに変貌させてなお余る物だった。

 

 

 事ここに至り、楓は刹那討伐を名乗り出た自分の英断を、心の中で褒め称えていた。千雨が今の刹那に出会えば、怒りと憎しみにその身を委ね、跡形も無くなるまで殺し尽くしていただろう。

 刹那がいくら堕ちたりといえど、千雨に級友殺しをさせるわけにはいかない。それは千雨自身を、そして最大の理解者(のどか)の想いを汚す行為だ。

 

 

 だからこそ――――彼女たちの分まで。この茶番劇で傷ついた全ての人の分まで。

 自分が、コイツを殴らなければいけない。

 こんなやつでも、死ねば皆悲しむ。誰よりも、近衛木乃香が悲しむ。

 

 

 だが。

 死なない限りは、何をしても許されるはず―――――!

 

 

「オマエタチ、サエ…!オマエタチ、サエ…!!」

 

 

 壊れたCDのように繰り返される恨み節。見失ってしまった想いと己自身。

 桜咲刹那という、凛々しき過去に別れを告げ、目の前の醜悪な獣に静かなる激情をぶつける。

 

 

 

 

「長谷川・エヴァンジェリン同盟が一人、長瀬楓―――――推して参る。」

 

 

 

 

 

 

 

 

side 千雨

 

 ――――ぴちゃっ。ざあざあ。

 

 

 

 暗い森の中。数十メートル後ろからは、取り残してきた天ヶ崎たちの戦闘音が聞こえてくる。数メートル先の視界も効かないこの闇の中に、雨音が非常に五月蠅く響く。

 

 

 

 ―――ぴちゃり。ずるずる。ざあざあ。ずるっ。

 

 

 

 おそらく天ヶ崎たちの戦闘は、数分もしないうちに終わるだろう。私たちを追いまわしていた鬼たちの召喚主は、間違いなくこの先の湖に居た(・・)人間だろうし、そうであった(・・・)以上、長く保たないことは魔法に疎い私でも分かる。

 

 

 

 ―――びちゃっ。ざざあ。ぐちゃ、ぐちゃ。

 

 

 

 …きっともう、楓は桜咲と出遭っているだろう。本当なら、私が引導を渡してやりたかった。でもきっと、もし会ったら、私は自分の感情(さつい)を抑えきれないだろう。私の誓いも、のどかの想いも、全て脳裏から消し去って。

 

 

 

 ―――じゅるっ。ざわざわ。ざばっ。ぐしゃっ。ざわざわ。

 

 

 

 すでに雨は止み、風も無い。だが木々はざわめく。聖域の守護者が、招からざる訪問者を脅すように。群れ為す捕食者が、憐れな獲物をいたぶるように。

 

 

 

 ―――ぱきっ。ざざざざ。ぶちっ。くちゃくちゃ。べちゃっ。

 

 

 

 地面はたっぷりと雨を吸い込み、歩く度に跳ね上がり、私の靴下を汚していく。その内靴底を破って浸食して来そうだ。漂う空気も湿気を多く含み、肌にまとわりつくような不快感を与えてくる。

 

 

 

 ――――めき。ばりっ。ぐしゃぐしゃ。がつがつ。ぐちゃ。

 

 

 

 

 

 

 ――――がつがつがつがつがつがつがつがつがつがつがつがつがつがつがつがつ―――――!

 

 

 

 

 

 

 濃過ぎる血臭。

 骨の砕ける音。

 肉が千切れる響き。

 シャワーのような水音。

 何かを啜る旋律。

 何か柔らかい物が、水たまりに落ちて潰れる断末魔(メロディ)

 

 

 

 ―――ぐちゃぐちゃ。ばり。めりめり。ぶちっ。びちゃ。ぱき。めりっ。ぐしゃ。がつがつ。ちゅるっ。じゅるるるる。ごくん。ぴちゃ。ぐしゃっ。くちゃくちゃ。ぶちぶち。ぼきっ。むしゃむしゃむしゃ。ぐちゅ。ぐしゃあっ。ぐちゃぐちゃ。ずるずる。ぐちゃ。ごくん。

 

 

 

 吐き気を催すような交響曲(シンフォニー)が、木々の切れ目から覗く。その奥、湖上に立つ舞台の上に近衛が寝かされているが、今はそんな物全く視界に入らない。

 

 

 真っ赤な晩餐。食べる者も、食べられる者も、一様に赤い。

 そこに居るのはただ一人。見るもおぞましい料理(フルコース)を貪り喰らう、悪食極まる料理人兼美食家が居るだけだ。

 彼女は、息つくこと暇さえ惜しいと言わんばかりに、次から次へと自分の料理を食べている。両脇に突き立てられた剣は、食卓に並び立つ給仕さながらだ。

 

 

 がつがつ。がつがつ。

 何かを食べる音が、殺意に満ちた私の意識を逆に漂白させる。あまりにも異界染みた光景に、自分の理性を再確認してしまった。一撃必殺の奇襲で片付けようとしていた私の目論見は、眼前の食卓に呆然としてしまったことで、あえなく瓦解した。

 

 

 ―――と。

 食べる音が、止まった。

 食べかけの料理が傍らに捨てられ、べちゃっという嫌な擬音と共に潰れた。

 

 

 こちらに振り向く。

 鼻から下は、一分の隙もなく真っ赤に染まっていた。言うまでもなく、返り血だ。食紅の海に浸かった後のように、全身を赤に染め上げ、滴らせながら、にっこりと満面の笑みを浮かべた。

 

 

「―――――あ、お母さん!」

 

 

 本当に。心から嬉しそうに。血塗れの少女―――月詠は、そう笑いかけてきた。

 

 その笑顔だけ切り取れば、年相応の可愛い少女に見えなくもない。周りがゾンビゲームもかくやという、血と人肉と臓物の海になっていなければ。

 まず間違いなく、今回の誘拐騒動の主犯―――転覆と反抗を図った、協会幹部たちの成れの果てだろう。誰一人として、まともに人型を保ってはいない。

 

 天ヶ崎は言っていた。月詠の背に刻まれている式化術印は、本人の抵抗力次第でどうにかなる代物だと。だが月詠は、抵抗意志など持ち合わせていない。ローリスクハイリターンだ。これほど効率の良い人材はほとんどあるまい。

 

 ―――だが昨夜。彼女は初めて反抗の意を示した。

 思えば当然のことだ。月詠ほどの人間が本気で抗おうと思えば、術式など何の拘束(しばり)にもならない。昨夜命令に初めて抗った時点で、式化術印など無用の長物に成り下がっていたのである。

 それに気付かず月詠を呼び出した彼らは、あえなく月詠の餌となった。

 

 月詠が暴走し始めたのは、私と出会ったことが切っ掛けだ。だとすれば私は、例え間接的であれ、主犯を討ち斃したことになるのだろうか。

 

 

「…よう。」

 

 

 容赦無く衝撃波をぶちこみたいが、すでにここは月詠の間合いだ。衝撃波を当てようが銃弾を撃ち込もうが、コイツのスペックなら確実に一撃は耐え、そして私にお返しの一撃を見舞うだろう。その一撃で、私は確実に死ぬ。

 ならばあえて後手に回り、仕留める。かなり綱渡りな作戦だが、多分これが最も勝率が高い。

 

 

「…ねえお母さん。」

 

 

 だが、私の思考は月詠の声に遮られた。子供が母親に物を尋ねるような響き。巫山戯ているわけでなく、本気で私を母親と思いこんでいる彼女。だが、一体この状況下で何を問おうというのか。

 

 

「…ご飯、美味しくないの。」

 

 

「は?」

 

 

「ご飯がね…。美味しくないの。食べられないの。」

 

 

 意外と言えば意外、正常と言えば正常。こちらの常識の境界が揺さぶられるような、気持ち悪い感覚。

 だがこの感覚こそが、彼女の生きている世界なのだと、唐突に理解した。

 

 

「今までね、ご飯は残さず食べてたよ。すっごく美味しかったよ。だけどね、昨日お母さんに会った後食べたご飯、すっごく不味かったの。その後もいっぱい食べたけど、みんな美味しくなかった。食べられなくて、吐いちゃった。…ゴメンナサイ。」

 

 

 心のこもった謝罪。あまりにも歪な、その在り方。

 これを狂気と評するのは的外れだ。この子は狂ってなどいない。外れている(・・・・・)だけだ。外れたまま、正しく回っている。

 

 

 ―――そして、私の知る限り。

 あの殺人集団に属していた連中は皆、こういう性質のヤツばかりが揃っていた。

 

 

「…お腹すいた。」

 

 

 静かな駄々(つぶやき)が、月詠の口から漏れる。

 

 

「お腹すいたよぅ…。何にも美味しくない…。こんな不味い物、食べてられない…。

 …やっぱり、駄目なんだよね。お母さん言ってたもん。愛が無くちゃご飯は美味しくならないよ、って。」

 

 

 不意に、月詠の口許が釣り上がる。先ほど浮かべていた優しい笑顔とは完全に別物の、怖気を駆り立てるような満面の笑み。

 サックスを構える。今私は、前世も含めて十指に入る死線に直面している。ぞわっと粟立つ背筋を、気合いだけで持ち直す。

 

 

「愛があれば、ご飯は美味しいんだよね。お父さんも、沢山私を愛してくれた。だから美味しかった(・・・・・・・・・)。」

 

 

 人を殺すことでしか、己を食い繋げない少女。人として大切な何かを、ごっそりと取りこぼしたその姿。

 

 

「お母さんも昨日、すっごく私を愛してくれてたもんね。」

 

 

 だらり、と。

 月詠の口から大量の涎が、誰の物とも知れぬ血と共に溢れだす。

 

 

「―――お母さんはきっと、すっごく美味しいんだよね。」

 

 

 それが、開戦の合図。

 突進する月詠に、遠慮なく衝撃波をぶち込む。

 大型のダンプカーに轢かれたような勢いで後方に吹き飛んだ月詠は、血と臓物の海を蹴散らし、ぎらぎらと熱のこもり過ぎる視線と満面の笑みで私を見つめる。

 

 

 ―――――殺す。

 今の私にあるのは、その一念のみ。

 銃を真正面に構え、嗤う月詠の眉間に向けて、引き金を――――――

 

 

 

Side out

 

 

 

 

 

 

「どうしよ…完璧に迷った…。」

 

 

 所変わって、やはり暗い森の中。

 神楽坂明日菜は、迷っていた。

 

 

「あーもう…。ネギがいきなり飛び出してくから悪いのよ…。すごいスピードで飛んでいくから、見失っちゃったじゃない…。そもそも木乃香が何処に居るかも分からないし、来た道とか覚えてないし…。」

 

 

 ぶつくさと、ここには居ない担任教師兼同居人への愚痴を連ねている。雨に降られ、体は芯から冷え切り、一寸先も見えないなど、悪い状況は積み重なり続けていた。

とはいえ、立ち止まっているわけにもいかない。せめてこの森を抜けなければ、木乃香の下へ辿り着くことすら叶わないのだ。雨も静まってきたことだし、ずっとまっすぐ歩いていれば何とかなるかな、とポジティブに考えつつ、軽く自分の頬を叩いて歩き出した。

 

 

 だが、最初の一歩を踏み出した瞬間、彼女の足はぴたりと止まった。

 今、後ろから何か音がしたような。

 おそるおそる振り向くが、暗くて何も見えない。だが、ビチャビチャと、誰かが泥の上を歩くような音が、一歩、また一歩と近づいてきていた。

 

 

「だっ、誰よ!?言っとくけど、こっちには武器があるわよ!?」

 

 

 恐怖と緊張にたえかねた明日菜が、見えない闇に向かって叫ぶ。武器というのは嘘であり、もし襲い掛かられた時は一目散に逃げることしか出来ない。

 しかし、これが功を奏した。

 

 

「その声…神楽坂さんですか?」

 

 

 闇の向こうから聞こえてきた声に、明日菜の体の震えが止まる。それは非常に聞き慣れた、クラスメイトの声。近づく音は大きくなり、やがて木々の間から、見慣れた顔が姿を現した。

 

 

 

 

「綾瀬さんじゃない!?何でこんなトコに居るのよ!?」

 

 

「…それはこちらの台詞でもあるのですが…。神楽坂さんこそ何故?というか、ココはどこですか?」

 

 

 

 

 魔法(ちから)に触れたばかりの少女と、暴力(ちから)を知らぬ少女。

 夜は加速する。

 

 

 

 

 

 

 


(後書き)

 第26話。以前「刹那の鬱は速めに解決させる」と言ったな?アレは嘘だ(爆)回。しっかし今回15禁にしてる割には、登場人物が軒並み15歳以下なのはどうしたもんか。まぁバトロワもそうだったし別にいいか。

 

 てなわけで、自分でも考えててどうなんだろうと思った問題作です。刹那裏切り&食人描写。音だけのマイルドな表現にしたつもりではあるんですが。15禁にはしてますけど、読まなきゃ刹那の辺りの意味が分からなくなるもんなぁ。

 

 まずは刹那について。最初っから敵でした。プロットの時点で刹那には悪役になってもらうことになってました。楓と木乃香の会話を挟んだのは今回のためでした。怪しさプンプンだったので、途中で勘付く人が居たと思います。こんな事言っても信じてもらえないでしょうけど、刹那が嫌いなわけじゃないんですよ?

 

 今回の刹那の「自分のために大切な誰かを裏切る」という在り方は、TRIGUNのカイトを参照してます。彼も明日の日銭のため、自分が生きるために、父親の想いを裏切って盗賊を招き入れてましたが、刹那も似たような感じです。もっとも、理由としては刹那の方がより自己中と言えますが。千雨との接触がきっかけとなって、自分の過去と現在と未来の在り方が全否定された気分に陥り、あんな状態になってたところで、協会幹部たちに唆されました。

 

 いずれにしても、小太郎に続いての原作キャラ改悪2人目。本当に申し訳ありません。これ以降は無い…無い…と思いたい、です。

 

 そして、多少不自然な形になってしまいました、明日菜と夕映の邂逅。やっぱり前回入れておけばよかったかなぁ、と今頃反省しております。ちなみに目覚めたタイミングがタイミングでしたので、夕映は倉庫内外の、千雨が拵えた死体を目撃しています。それが何をもたらすのかは、また今後。

 

 今回のサブタイは桑田佳祐のシングル曲『明日晴れるかな』のカップリング曲、「男達の挽歌」です。昔何かのCMに使われてたような気がするんですけど、何だったですかね?というか前回の感想で、男たちの挽歌とチラッと書かれてる方がいらっしゃって、心の中でドキッとしていました(笑)

 

 次回からは戦闘回。まずは刹那VS楓です。それではまた次回!

 

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