「ミュゼ・イーグレットね」
「はい」
「それは、本名か?」

 驚きに目を瞠るミュゼ。
 まさか名乗った直後に、そんな疑問を返されるとは思っていなかったからだ。

「……私のことをご存じだったのですか?」
「いや、初対面だ。ただ、こういう仕事をしてると、なんとなく分かるんだよ。こいつは何か隠してるってな」

 ただの勘で言い当てたと告げるリィンに驚くミュゼ。
 論理的とは言えない。しかし、実際にリィンの言葉が核心を突いているのは確かだった。

「猟兵の勘というものでしょうか?」
「そんなものだ。経験に基づくものだから上手く説明は出来ないがな」
「なるほど……参考になります」

 感心した様子で頷くミュゼ。一方でリィンは「やはり、そちらのタイプ」かと双眸を細める。
 反応を窺い、試していたのはリィンも同じだったからだ。

「では、改めて――」
「いや、別にいい」

 ミュゼが改めて名乗ろうとしたところで、リィンは制止する。

「ですが……」
「名前を聞けば、嫌でも面倒事に巻き込まれる。違うか? そういうのは、ごめんなんでな」

 面倒事はごめんだと拒絶され、複雑な表情を見せるミュゼ。
 ミュゼのようなタイプは言葉巧みに相手を誘導し、自分にとって都合の良い盤面に相手を引き寄せようとする。
 相手の土俵に乗った時点で負けだと言うことを、これまでの経験からリィンは嫌と言うほど理解していた。

「あんな騒ぎを起こしたのは、何か周りには聞かせたくない話があったからだろ?」
「……なんのことでしょうか?」
「嗅いだことのある匂いを漂わせていたからな。暗示の一種だと思うが、友人を巻き込むのはどうかと思うぞ?」

 ミュゼが女生徒たちの意識を誘導するために、香水を使った暗示を使用したことにリィンは気付いていた。
 過去に同じような匂いを身体から漂わせていた一人の魔女を知っているからだ。
 イーグレットという名前。そして、隣の部屋に隠れている護衛と思しき人物。
 更には、あの魔女と顔見知りとなれば、少女の正体など聞かずともある程度の想像は付く。
 あっさりと見破れたことに驚きつつも、ミュゼは納得した表情を見せる。
 リィンの能力を見定めることも、ミュゼの目的の一つだったからだ。

「少し素直になって頂いただけですよ。身体に害はありません」
「そう言う意味ではないんだがな……お前、友達少ないだろ」
「お友達ならたくさんいますよ? これでも生徒会の役員に推薦されるほどに頼られているので」
「外面は良さそうだしな。だが、そういう奴ほど本音を見せないものだ」

 平静を装ってはいるが、ミュゼは内心、少し動揺していた。
 遠回しにではあるが、お前は信用できない。そう拒絶されたと感じたからだ。

「……相談には乗って頂けない。そういうことでしょうか?」
「随分と頭は回るみたいだが、他は年相応みたいだな」

 しかし、そんなミュゼの質問に対して、リィンは呆れた様子で溜め息を交えながら答える。
 リィンはミュゼの能力を高く評価していた。計算高く、読みが鋭い。例えるなら、ギリアスやルーファスと対峙しているかのような錯覚を覚える。
 だが、末恐ろしい逸材だと感じる一方で、年相応の未熟さと危うさも感じ取っていた。
 人間はチェスの駒とは違う。ミュゼは相手の趣味や趣向、性格なども考慮して筋書きを立てているつもりなのだろうが、時に人は感情を優先し、論理的ではない行動を取る生き物だ。だからこそ、こうして自ら姿を見せたのだろうが、足りていないものがミュゼにあることをリィンは見抜いていた。
 猟兵というものを、ミュゼは本当の意味で理解していないと――

「……どう言う意味でしょうか?」
「お前が考えているより、もっと世界は単純に出来ていると言うことだ」

 言葉の意味を呑み込めず呆然とするミュゼに背を向け、リィンはエリィの手を引くと、そのまま会議室を後にするのだった。


  ◆


「フラれてしまいましたか……」

 一度目の接触は失敗だったとミュゼは認め、自身に反省を促すように呟く。
 だが、腑に落ちない点がある。まさか、あれほど警戒されるとは思ってもいなかったためだ。
 途中までは思惑通りに進んでいたのだ。しかし、結果は失敗だった。
 リィンの口振りからして、正体を察しているようだったとミュゼは感じていた。
 しかし、アルフィンやエリゼから情報が漏れたとは思えない。
 なら、最初からリィンは知っていた≠ニ考えるのが自然だ。

(少し、甘く見ていたみたいですね……)

 勘と言っていたが、それすらもブラフだったのだろう。カイエン公爵家について、リィンはかなり深いところまで情報を得ていると感じた。
 ただ強いだけでなく、相当に頭の切れる人物だ。何より、こうしたやり取りに慣れているように思えた。
 しかし、それも当然だと気付かされる。リィンはあのギリアス・オズボーンやルーファス・アルバレアを相手に一切譲ることなく、対等に渡り合った人物だ。
 頭脳戦では負けるつもりはないが、経験や駆け引きという面ではリィンの方が上だとミュゼは認めざるを得なかった。

「やはり上手くは行かなかったみたいだな」

 扉を開き、姿を見せる銀髪の女性。
 愉しげな笑みを浮かべるオーレリア・ルグィン≠見て、ミュゼはムッとした表情を見せる。
 だが、そうした反応すらもミュゼの演技≠ナあることに、オーレリアは気付いていた。

「そういうところだ。リィンが遠回しに改めろ≠ニ指摘したのはな」
「……最初から最後まで、演技が見抜かれていたと言うことでしょうか?」

 そう返されると思っていなかったのか、オーレリアは目を丸くする。
 しかし、ミュゼの生い立ちをよく知るオーレリアからすれば、こうしたミュゼの反応は納得の行くものではあった。
 むしろ、初見でミュゼが抱える問題に気付いたリィンにオーレリアは感心する。

「なるほど。やはり、私の目に狂いはなかったと言うことか」
「どういうことでしょうか? 一人で納得されると、少し不快なのですが……」

 一人だけ納得した様子で頷くオーレリアを、訝しげな目で睨み付けるミュゼ。
 しかし、オーレリアは何食わぬ顔でミュゼの視線を受け流し、諭すように答える。

「自分で気付くことだ。私からは何も言えぬ」
「むう……」
「そんな顔をしても無駄だ。演技だとわかっているからな」

 口で語るのは容易い。
 しかし、これは自分で気付かなければ意味のないことだと、オーレリアは感じていた。
 いまのミュゼには難しいことかもしれないが、それもまた試練だろう。
 だが、

「答えはやれぬが、一つだけ助言をやろう」

 ――認められたくば、器を示すことだ。
 そう、ミュゼに告げるのだった。


  ◆


「リィン……さっきのことだけど……」
「ミュゼの正体なら言わなくていいぞ。お目付役の人物から、ある程度の察しはつくしな」
「……え?」

 気配を消して隣の部屋に隠れていたオーレリアに、リィンは最初から気付いていた。
 だからこそ、ミュゼの正体に察しを付け、あの場での言質を取られないように注意を払ったのだ。

「……誰か、他にいたの?」
「オーレリアだ」
「黄金の羅刹!?」

 予想を遙かに超えた大物の名前が飛び出してきたことに、エリィは驚きの声を上げる。
 しかし、そんなエリィの反応を見て、意外そうな顔をするリィン。
 エリィの立場ならオーレリアがクロスベル入りしていることを、とっくに掴んでいると思っていたからだ。

「なんだ? 知らなかったのか?」
「アストライア女学院がクロスベルを訪問することは事前に通知を受けていたわ。でも、まさか……」

 そのなかにオーレリアが含まれていることを、エリィは聞かされていなかったと話す。
 アストライア女学院がクロスベル入りしたのは、昨晩のことだった。
 予定より二週間も早い到着に対応が遅れ、エリィも報告を受け、ミシュラムの視察を繰り上げて帰ってきたばかりだと説明する。

「対応が後手に回っているとはいえ、杜撰だな。ホテルの宿泊名簿を確認しなかったのか?」
「それが……」

 政府専用の寝台列車でクロスベル入りしたため、ホテルなどは使わず街外れの資材置き場に陣取り、列車で寝泊まりをしているとエリィは答える。

「なるほど、考えたな」

 随分と復興作業は進んでいると言っても、住居や宿泊施設などは現在も不足している。
 二週間も予定を前倒ししてクロスベル入りしたのなら、宿泊するホテルの手配にも難儀するだろう。
 それを解決するために列車をホテル代わりに使うと言うのは、悪くないアイデアだとリィンは感心した。
 リィンたちも実際、空港の一角を借り、カレイジャスを拠点代わりに使用しているからだ。
 それに、他にもメリットはある。
 経済特区として自治が認められていると言っても、帝国政府の専用列車にクロスベル政府が臨検に入る訳にもいかないだろうからだ。
 エリィが詳しい情報を得られなかったのも無理はない。

「手口から考えて、協力者はオリヴァルトと言ったところか」

 政府の専用列車を手配できるような人物など限られている。
 ほぼ間違いなくオリヴァルトが一枚噛んでいると、リィンは推察する。
 クロスベルへの嫌がらせと言うよりは、なんからの思惑に巻き込みたいという意志が見え隠れしているように感じたからだ。
 内戦の時から、まったくと言って良いほど手口が変わっていないと、リィンは内心呆れていた。

「……リィンはオリヴァルト殿下が黒幕だと思っているの?」
「黒幕と言うよりは、協力者の一人と言ったところだろう」

 エリィの立場を考えれば気を遣うのは理解できなくないが、リィンは今更オリヴァルトを敬う気にはなれなかった。
 むしろ、面倒事ばかりを持ってくる厄介者としか思えない。なし崩し的に巻き込もうとするところが気に食わなかった。
 リィンがアルフィンの依頼は受けながらも、オリヴァルトを遠ざける理由はそこにある。
 しかも本人はまったく悪びれた様子もなく、本気で理解しているかも怪しいのだから距離を取るのも当然だった。

「もしかして、彼女の相談を受けなかったのも?」

 リィンは何も答えず、肩をすくめる。だが、その反応だけでエリィには十分だった。
 リィンと出会った頃の自分を思い出し、リィンがミュゼを拒絶した理由を察したからだ。

「言って置くが……」
「ええ、私からは何も言うつもりはないわ」

 同じような経験があるだけに、出来ればミュゼの力になってあげたいとエリィは思う。
 しかし、自分で気付かなければ意味のないことだと、エリィも理解していた。
 そうでなければ、リィンは絶対に手を貸さないとわかっているからだ。
 とはいえ、ミュゼに協力するしないに関わらず、今後の対応は考えなければならない。
 何もするつもりがないのであれば、リィンも急いで帰ってきたりはしなかったはずだ。

「ノーザンブリア≠フ件、どうするつもりなの?」

 故にエリィは尋ねる。
 暁の旅団の団長として、猟兵王の名を継ぐ者として、リィンはどうするつもりなのかと――

「団の考えはともかく、俺個人としてはこのままにして置くつもりはない」

 ミュゼの件を抜きにしても静観するつもりはないと、はっきりとリィンは答える。
 自分一人ならともかく団を動かす以上、相応のメリットがなければ動けないのは確かだ。
 しかし、

「大佐≠ノは借りがある。親父の受けた恩は、息子の俺が返さないとな」

 恩には恩を、仇には仇を、受けた借りは必ず返す。
 それが猟兵の――リィン・クラウゼルの流儀だった。



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