「リィンさん、よかったらこれも食べてください。ここのキッシュは絶品ですから」

 そう言って運ばれてきた料理を取り皿にとってリィンに手渡すレイフォン。
 リィンの監視役′島案内≠ニ言う話だが、どう見ても恋する乙女の表情だった。
 甲斐甲斐しくリィンの世話を焼くレイフォンを見て、ティオは呆れた様子で呟く。

「……相変わらず手が早い≠ナすね」

 リィンは何も言えずに顔をしかめる。
 否定したいが状況的に否定できる要素もなく、何よりティオの隣で睨み付けてくるユウナの視線が痛かったからだ。
 最初からエリィの件で隔意を抱かれていたとはいえ、これで更にユウナの中のリィンに対する警戒度は上がったと考えて良いだろう。

「それで、話はなんですか?」

 リィンに用件を訊ねるティオ。
 リィンは帝国貴族だけでなく政府からも警戒をされている要注意人物だ。だからこそ、こうして監視が付けられている。
 同じことはティオにも言える。元特務支援課のメンバーは全員が情報局の要注意人物に名前が挙がっていた。
 そのため、余計な詮索を入れられないためにも、学会の日までは出来るだけリィンと会わない方が良いとティオは考えていたのだ。
 なのに突然、リィンからの言伝を預かったレイフォンが学術院の宿舎までやってきて、こうして昼食に誘われたと言う訳だった。

「折角の機会だし、親睦を深めておくのも悪くないと思ってな」
「嘘ですね」

 一番ありえない話をされて、はっきりと嘘だと断言するティオ。
 そこそこ友好的な関係を築けているとは思うが、何の意味もなく一緒に食事を取ったりするような仲ではない。互いに都合が良いから利用し、利用される関係だ。実際、特務支援課のメンバーのなかでもエリィの次にティオがリィンと友好的な関係を築けているのは、その距離感があってこそだ。そのことをティオ自身も理解していた。

「……愛想がないな」
「必要な相手なら考えますが、エリィさんやアリサさん。お隣の彼女にも悪いので」

 チラリとティオに視線を向けられ、レイフォンはよくわかっていない様子で首を傾げる。

「エリィさんとアリサさんと言うのは?」
「……こいつに誑かされた被害者≠諱Bあなたもそうなりたくなかったら、こんな男とは距離を取ることをオススメするわ」

 そんなレイフォンに、隣の男には気を付けろと注意を促すユウナ。
 リィンに対する嫌味も交じっているが、レイフォンを心配してのことでもあった。
 しかし、心配するユウナを余所に、レイフォンは予想外の反応を見せる。

「それって、私にもチャンスがあるってことですよね?」
「――ブッ! なんで、そうなるのよ!?」

 予想の斜め上を行くレイフォンの言葉に、思わず口に含んだ紅茶を噴き出すユウナ。
 普通、こんな話を聞かされれば愛想を尽かすか、怒るかのどちらかだろう。
 なのにリィンには既に恋人がいるとわかっていて、どうして自分にもチャンスがあると考えるのか?
 レイフォンの考えがユウナには理解できなかった。

「リィンさんの立場や皇女殿下との関係を考えれば、本妻以外にも妾がいるのは不思議じゃありませんから」

 クロスベルでは余り一般的ではないかもしれないが、ここはエレボニア帝国の首都だ。
 身分制度のある帝国では貴族が複数の妻や妾を囲うことも少なくなく、一夫多妻も珍しくない。
 そもそも家の繁栄や存続のため、子孫を残すことも貴族に課せられた義務の一つと言えるからだ。
 レイフォンは平民の生まれだが、幼い頃からヴァンダールの道場に通い続け貴族との付き合いもあることから、その辺りの考え方は貴族に近いものを持っていた。
 地位や財力もステータスの一部だ。好きだ嫌いだのと言っていても、結局のところは社会的地位や財力がなければ家族を養うことは出来ない。
 実際、レイフォンの周りにも大店を持つ商人や貴族と結ばれた娘が複数いる。
 権力に任せて無理矢理と言う訳でないのなら、そうした縁談も悪い話ではないというのが帝国に生まれた女性たちの一般的な考えだった。

「あ、私は妻にして欲しいなんて贅沢は言いませんし、愛人の一人に加えて頂ければ十分ですよ?」

 そう言って目を輝かせ、リィンにアピールをするレイフォン。
 これにはついていけないと、ユウナは疲れきった表情で溜め息を吐く。
 しかし、そんなユウナが憧れるエリィも、レイフォンに近い考えを持っていることは確かだった。
 政治家の家に生まれ育っただけに、そうした考えの合理性を理解しているのだろう。
 ただでさえ、この世界では魔獣の被害に遭って少なくない人々が命を落としているのだ。
 国が違えば、事情も異なる。帝国のように階級制度が存在し、魔獣による被害だけでなく人間同士の争いも絶えない国では必要な考えだと言うことだ。

「ううっ……なんで、こんな奴がモテるのよ」

 納得の行かない表情を浮かべながらもレイフォンの考えを否定しないのは、ユウナも本当のところは理解しているのだろう。
 実際、クロスベルも帝国や共和国の文化の影響を色濃く受けており、そうした考え方が主流ではないものの非難を浴びるほどのことではなかった。
 仮に受け入れ難いものであれば、今頃リィンは非難の的になっているはずだ。
 むしろ、エリィとアルフィンとの関係を知りながらリィンに接近する機会を窺っている女性もいるというのだから、この世界の女性は強かだった。

「……さっきの話だが、顔を繋いでもらいたい人物がいる」
「私にですか?」

 レイフォンの告白を軽くスルーして、本題に入るリィン。
 一方でティオは妙なお願いをされ、首を傾げる。
 ここはクロスベルではなく帝都だ。むしろ、リィンの方が顔見知りが多いくらいだろう。
 ヴァンダール家に厄介になっているなら、そちらから紹介してもらうと言う手もある。
 しかし、そうしないということは紹介して欲しい相手は帝国の人間ではなく――

「エプスタイン財団の関係者ですか?」
「ああ」

 やはりそういうことかと、ティオはリィンの話に納得する。
 明日、開かれる帝国学術院の学会は各国から名のある研究者・技術者を招いて開かれるものだ。
 ティオ以外にも招待状を受け取っているエプスタイン財団の技術者は大勢いる。
 恐らくは、その招待客のなかにリィンの捜している人物がいるのだろうとティオは察する。

「私の知り合いなら話は早いのですが、名前を教えてもらえますか?」
「ヨナ・セイクリッド」
「……え?」

 まさか、その名がリィンの口から出て来るとは思っていなかったのか?
 ティオは驚きと共に戸惑いを見せる。

「……ヨナがきているのですか?」
「ああ、保護者同伴でな。オリエに確認を取ってもらったから間違いない」

 オリエという名前に心当たりがある様子で、ティオは納得の表情を見せる。
 ヴァンダールは学術院で開かれる学会の警備も任されている。その関係上、招待客のリストも当然把握していた。
 リィンがヨナにどんな用事があるのかは分からない。
 しかし、レイフォンがここにいると言うことは、ヴァンダールもこの件に一枚噛んでいると言うことだ。

「わかりました。ですが、私も同席するのが条件です」
「構わない。お前にも関係のある話だしな」
「……そこはかとなく不安ですが、まあいいでしょう」

 自分にも関係のある話を聞かされて、なんとなくティオは不安を感じる。
 この場でヨナの名前をだしたということは、当然ヨナが過去にしてきたことや彼の能力も把握していると考えたからだ。
 その上でヨナや自分を必要とすることなど、ティオには一つしか思い浮かばなかった。

「……言って置きますが、犯罪には手を貸しませんよ?」
「バレなきゃ犯罪じゃないって言うだろ?」
「ヨナみたいなことを言わないでください」

 ロイドが聞けば頭を抱えそうなことを平然と口にするリィンに、ティオは呆れる。
 しかし、同時にヨナとは気が合いそうだと思った。
 ヨナも過去に得意のハッキング技術を駆使して、犯罪すれすれの『情報屋』紛いのことを行なっていたからだ。
 いまになって、リィンとヨナを会わせると約束したのは間違いだったのではないかとティオは思い始める。

「どうしても嫌だと言うのなら別に構わない。他にあてはあるしな。でも、いいのか?」
「……何がですか?」
「ロイドがこのことを知ったら、どうするかと思ってな」

 ロイドはあれで大胆なところがある。
 間違いなく監視の意味も込めて、リィンの話に乗るだろうとティオには予測できた。

「そうやって、エリィ先輩も悪の道に引き込んだのね!」
「俺はただ仕事の話をしているだけだ。部外者は引っ込んでろ」
「ぐっ……そんな風に睨まれても怖くないんだからッ!」

 ティオ先輩は自分が守ると言った勢いで、リィンに食って掛かるユウナ。
 しかし、

「一度は約束したことですしね。わかりました。協力します」
「ティオ先輩!?」

 あっさりとティオに裏切られ、ユウナは悲鳴に似た声を上げる。
 そんなユウナの反応にも慣れた様子で対応するティオ。

「ユウナさん。これは逆に言えば、チャンスかもしれませんよ?」
「……チャンスですか?」
「はい。ユウナさんは帝国の現状を自分の目で確かめたいと思って、今回の旅についてきたんですよね?」
「えっと、はい、まあ……」
「なら、今回の件は良い判断材料になると思うのです。それに上手く行けば、帝国の弱味≠握ることも出来ます」
「あ、なるほど!」

 結果的にクロスベルのためになると説得されて、ユウナは態度を一変させる。
 恐らくはロイドやエリィの役に立てると考えたのだろう。

「乗せるのが上手いな」
「嘘は言ってませんから。帝国政府との交渉材料は幾つあっても困りませんし」

 そのつもりでリィンが仕事を振ってきたと言うことに、ティオは最初から気付いていた。
 互いにメリットがなければ、リィンがこんな話を態々持ち掛けてくることはないと考えたからだ。
 まあ、実際にはオリヴァルトへの意趣返しも兼ねているのだが、そこまではティオも知らない。

「そうだ。一ついいですか?」
「……なんだ?」

 ティオの質問を警戒するリィン。
 話の流れからして、嫌な予感を覚えたからだ。

「オリエさんと言うのは、ヴァンダールの〈風御前〉のことですよね?」

 今度は人妻≠ノ手を出したんですか?
 とティオに尋ねられ、リィンは勘弁してくれと肩を落としながら溜め息を溢すのだった。


  ◆


「リィン・クラウゼルと手を組むことを決めた? ……本気ですか?」
「はい。少なくとも信頼に値する方だと判断しました」

 リィンの協力を得られないかと画策していたことは確かだ。
 しかし、まさか一晩で事態がここまで動くと思っていなかったミュラーはオリエの話に驚く。
 何より、リィンがクルトと和解しただけでなく、僅か一晩でオリエの信頼を勝ち取ったことに驚いていた。

「手が早いとは聞いていたが、まさか母上を誑し込むとは……」
「そうなったら、リィンさんはミュラーさんの義理の父親ということになりますね」
「冗談でも止してください」

 さすがに洒落になっていないと、ミュラーはオリエに反論する。
 一回りほど年下のリィンを義理とはいえ、父上と呼ぶ状況など想像もしたくなかったからだ。

「大丈夫です。あの人を裏切るような真似をするつもりはありませんから」
「その言葉を聞いて安心しました」

 ほっと安堵の息を吐くミュラー。それだけは本当に嫌だったのだろう。
 実際には、リィンと一緒になればオリエはヴァンダールの名を捨てることになる。
 ミュラーがリィンのことを父上と呼ぶことはないのだが、母と慕ってきた女性が他の男と一緒になって複雑な感情を抱かない息子はいない。
 しかも、その相手が知り合いともなれば、尚更だ。

「それで、彼はなんと?」
「マテウスを殺すことになるかもしれない。それでもいいのなら、と」
「……了承したのですか?」
「ヴァンダールの名を汚すことを、あの人も望んではいないでしょうから……」

 それがオリエにとっても苦渋の決断であることは、ミュラーにも察することが出来た。
 出来ることならミュラーもマテウスには正気に戻って、バラッド候に協力するのを止めて欲しいと思っている。
 しかし薄々と、それが叶わない可能性の方が高いことも理解していた。
 最悪の場合、マテウスを殺害するという選択肢も候補に入るだろう。
 その時は自分の手で、そんな風にもミュラーは考えていたのだ。

「あなたが責任を感じる必要はありません。すべての咎は私にあります。こうなる前に止められなかった私に……」

 妻である自分が真っ先にマテウスの変化に気付くべきだった。
 どんな些細なことでもいい。何か気付いていれば、事が起きる前に止めることも出来たのではないかとオリエはずっと自分を責めていた。
 しかし、今更それを言っても仕方のないことだ。
 マテウスには無事に帰ってきて欲しいと今でも思っているが、ヴァンダール流を存続させることが最優先だ。
 バラッド候は現在、オリヴァルトと対立している。そんな彼に付き従うと言うことは、オリヴァルトと事を構えると言うことだ。最悪の場合、アルノール皇家に剣を向けることになるかもしれない。そうなったら、これまでヴァンダールが築き上げてきた信用は地に落ちる。皇家の守護者としての責務を果たすことは出来なくなるだろう。そうなる前にマテウスを止める必要があるとオリエは考えていた。
 だからこそ、正気に戻せないのであれば殺すしかないというリィンの主張も理解できるのだ。

「これを宰相閣下に渡して頂けますか?」
「手紙ですか?」
「それを渡せば、あの方なら察してくれるはずです」
「……わかりました」

 オリエから手紙を受け取ると、ミュラーは部屋を後にする。オリヴァルトのもとへ向かったのだろう。
 そして、ミュラーが立ち去ったのを確認して、部屋の壁に飾ってある二本の宝剣に手を伸ばすオリエ。
 オリエは感触を確かめるように、軽く手に取った剣を振る。それは現役時代に彼女が使っていた双剣だった。
 現役を退いて久しいとはいえ、鍛練は一日も欠かしていない。
 ヴァンダールの風御前と呼ばれ、戦場で恐れられたその腕は少しも鈍ってはいなかった。

「ミュラーさん、ごめんなさい。私は一つだけ、あなたに嘘を吐きました」

 確かにリィンは『マテウスを殺すことになるかもしれない』と言った。
 しかし、オリエはリィンにマテウスを殺させるつもりはなかった。
 勿論、ミュラーやクルトにも父親殺しの罪を背負わせるつもりはない。
 マテウスの妻となった時から、武門の家に嫁いだ者として覚悟を決めていたのだ。
 妻としての最後の役目。他に手がない時は――

「あの人は私が……」

 それが、オリエがリィンと交わした約束≠セった。



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