「あれ?」

 そろそろ頃合いかと思って顔をだしてみれば、バーカウンターにリィンたちの姿がなくユウナは首を傾げる。
 何処に行ったのかと部屋の中を捜していると、カウンターテーブルの奥でゴソゴソと動く人影が目に入る。
 泥棒かと思って身構えるユウナだったが――

「なんだ、アンタか……」
「ん? 誰かと思ったら、団長様の愛人の一人か」
「ユウナよ! ユウナ・クロフォード! というか、愛人じゃないから!?」

 アッシュの言葉を真に受けて、冗談では無いと必死に否定するユウナ。
 そんなユウナの声を無視して、棚に並んだ酒の物色を続けるアッシュ。
 そうして酒の入った瓶をカウンターに並べていくアッシュの様子を、怪訝な顔で眺めながらユウナは尋ねる。

「……何してんのよ?」
「は? 土産だよ。土産。ここに置いてある酒は全部自由に飲んで構わないらしいからな」
「だからって、さすがに持って帰るのはマナー違反でしょうが!?」
「どこで飲もうと俺の勝手だろ。細かい女だな……」
「良くないし、細かくないし! 大体、アンタ未成年でしょうが!?」

 廊下にまで響く二人の声に誘われるように、ラクシャとレイフォンも遅れてやって来る。
 そうして言い争うユウナとアッシュを見て、大凡の事情を察すると間に割って入るラクシャ。

「さすがに(それ)≠持ちだすのは見過ごせません。だから、こちらになさい」

 妥協案としてラクシャが手にしたのは、ノンアルコールのジュースだった。
 さすがに未成年の客を想定しているとは思えないが、お酒の苦手な客向けに用意されているものだろう。
 本当ならこれも持ち帰るのはマナー違反なのだろうが、「まだそれなら……」とユウナも折れる。
 アッシュも渋々と言った様子ではあるが見繕った酒瓶を元に戻して、ラクシャから代わりのジュースを受け取る。

「素直じゃない」
「さすがに相手が悪いからな……」

 喉元に突きつけられたレイピアの鋭さを思い出しながら、ユウナにそう答えるアッシュ。
 未熟なところはあるが、それでも彼は数十名からなる若者のチームを束ねてきた男だ。
 勝てないと分かっている相手に、同じ失敗を繰り返すほど愚かではなかった。 
 それに頭ごなしに否定するのではなく、妥協案を提示されたら引き下がるしかない。
 なんとも言えないやり難さを、アッシュはラクシャに感じていた。

「そう言えば、リィンさんは?」

 ラクシャから受け取ったジュースを鞄に詰めると、さっさと立ち去ろうとするアッシュ。
 だが、そっと部屋から抜け出そうとしたところでレイフォンの声と背中に突き刺さる視線に気付き、足を止める。
 やっぱりこうなったかと溜め息を吐きながら、アッシュはこんな時のために取っておいた切り札を口にする。

「団長様ならマヤと出掛けたぜ。父親に会って欲しいと言われてな」

 アッシュの落とした爆弾に固まる三人。
 その一瞬の隙を突いて、アッシュは逃げるようにその場から走り去るのであった。


  ◆


 下町通りから南へ向かって路地を進むと、少し奥まった場所に古いアパートが建ち並ぶ住宅密集地が見えて来る。
 鉄道の開通と同じくして小劇場やカジノなどを建設するために、嘗てラクウェルでは大規模な区画整理が実施された。
 そのため、多くの労働者を呼び込むために造られたのが、この集合住宅地と言う訳だ。
 そのなかでも一際古い歴史を感じさせる佇まいのアパートに、マヤは父親と二人で暮らしていた。

「なんていうか、随分と風情のある建物だな」
「正直にボロイと言って頂いて構いません。父が無職で生活に余裕がないので、こんなところにしか住めないんです……」

 死んだ母が遺してくれた貯金を少しずつ切り詰めながら生活をしていると聞いて、リィンはなんとなくマヤの抱えている問題を察するも、確認のために尋ねる。

「親父さん、怪我でもしてるのか? それとも病気で伏せってるとか?」
「いえ、ただの酔っ払いです」

 身も蓋もないマヤの物言いに、やっぱりかとリィンは溜め息を溢す。
 なんとなく話の流れやマヤの態度から、そんな予感がしていたからだ。
 本音を言えば、いますぐにでも帰りたい気持ちに駆られながら、リィンは質問を続ける。

「その親父さんを、俺にどうしろと? 海にでも放り込んでくればいいのか?」
「少しは酔いが覚めるかもしれませんから、良い方法かもしれませんね」

 軽い冗談のつもりで言ったのだが笑顔でそんな返しをされて、リィンは心の底から困った反応を見せる。
 仮にも父親に対して娘が見せる態度ではないが、マヤが怒る気持ちも理解できなくはなかったからだ。
 ただ、関係が冷え切っているように見えて、少なくともマヤの方には迷いがあるように見えた。
 本当にどうでも良いと思っているのであれば、こんな風に怒ったりはしないだろうし、リィンを父親に会わせようとはしないだろう。

「言っておくが、俺は医者でもカウンセラーでもない。親父さんを立ち直らせるようなことは出来ないぞ?」
「分かっています。リィンさんは何も言わず、私の傍にいてくれるだけで十分ですから」

 微妙に嫌な予感しかしないが、仕方がないと腹を括るリィン。
 大人を頼れとけしかけた手前、今更後に引くことも出来なかった。
 それに――

(マヤの狙撃の腕。もしあれが、父親譲りの才能だとしたら)

 マヤの父親は名のある狙撃手だった可能性が高い。
 リィンがマヤの我が儘を聞き、彼女の父親に会ってみる気になった最大の理由はそこにあった。

「少し、ここで待っていてください」

 玄関まで到着したところで、リィンにそう言って一人で先に部屋の中へと入っていくマヤ。
 ガタガタと激しい物音が聞こえ、一分ほど怒鳴り合うような男女の声が聞こえてきたかと思うと、何者かの気配が近付いてくるのをリィンは察知する。
 厄介事が迫っていることを察して面倒臭そうに頭を掻くと、扉の陰に身を隠すように半歩後ろに下がるリィン。
 そして、

「誰だ! マヤを誑かした男ってのは!?」

 玄関から飛び出してきた男の腕を掴み、そのまま床に押さえつける。
 床に押さえつけられた衝撃で呻き声を上げ、肺から息を吐く四十後半と思しき中年の男。
 名を尋ねるまでもなく、目の前の男が何者かを察するのは難しいことではなかった。

「これが、さっき話してた父親か?」
「……はい」

 男の後を追って現れたマヤに、そう確認を取るリィン。
 予想はしていたが、やっぱりこれかと呆れた様子で溜め息を漏らす。
 まだ日が暮れていない言うのに、男の身体からはプンプンと酒の臭いが漂っていたからだ。

「誰が父だ! お前みたいな男に『父』と呼ばれる筋合いはないわ!」
「ちょっとは落ち着け」
「ぐはッ!」

 問答無用で男の首筋に手刀を叩き付けるリィン。
 恥ずかしそうに頬を染めて俯くマヤを見て、この世界には親バカしかいないと言うことをリィンは改めて実感するのであった。


  ◆


「マヤの父親のジョゼフだ」
「毎日、仕事にも行かず家で飲んだくれている父親を持った覚えなどありませんが?」

 娘に容赦のない言葉を浴びせられ、ぐうの音も出ない様子で唸るジョゼフ。
 そんな彼からは、いまも酒の臭いが漂っている。つい先程まで一杯やっていたのは明らかだった。
 マヤが冷たい視線を向けるのも無理はないと思いつつも、取り敢えずリィンも名乗り返す。

「名前くらいは聞いたことがあるだろうが、リィン・クラウゼルだ。〈暁の旅団〉の団長をしている」
「――リィン・クラウゼル!? まさか……!」

 リィンの名を聞いた瞬間、驚きを隠せない様子で目を瞠るジョゼフ。
 部屋の隅に積まれた新聞紙の中から一冊の新聞を手に取ると、何度も確認をするようにリィンの顔をマジマジと見る。
 そして、

「はい?」

 その場にいる誰もが思いもしなかった行動に彼はでた。
 リィンの口から、微かに戸惑いを含んだ声が漏れる。
 無理もない。ただ名乗っただけで、ジョゼフに土下座をされたのだ。

「……何をしているのですか?」

 床に額を擦りつけ、頭を下げる父親をマヤは睨み付ける。
 リィンの名前を聞いただけで、まさかこんなにも卑屈な態度にでるとは考えてもいなかったからだ。
 蔑むような目で父親を見下ろすマヤの横で、どこかジョゼフの様子がおかしいことに気付き、ふと思ったことを尋ねるリィン。

「アンタ、俺と会ったことがあるのか?」

 リィンにそう問われて、床に額を付けたままビクリと肩を震わせるジョゼフ。
 暁の旅団やリィンの名前を知っているとしても、幾らなんでもこの反応はおかしすぎる。
 恐怖に震えていると言うよりは、まるで許しを請う姿にリィンの目には見えてならなかった。

「……直接、会ったことはない。だが……」

 リィンの質問に顔を青くして、唇を震わせながら答えるジョゼフ。
 その反応で、ようやくマヤも父親の様子がおかしいことに気付く。
 猟兵になることを父親に報告するために、マヤは一度家に戻ることを決めたのだ。
 リィンを連れてきたのは話に説得力を持たせるためと、自分が抱えている問題をリィンに知っておいて欲しかったからだった。
 これでもダメなようなら完全に父親を見限るつもりでいたのだが、この反応はマヤにとっても予想外だった。

「十三年前まで、私はアランドール准将の下で働いていた」
「アランドール? まさか、レクターの……」

 無言で頷くジョゼフを見て、リィンは自分の機運に驚く。
 まさか、こんなカタチでレクターの過去を知る人物と出会うことになるとは思ってもいなかったからだ。

「まてよ? 十三年前と言ったか? まさか……」

 十三年前までアランドール准将の下で働いていた、とジョゼフは言ったのだ。
 ということは、彼が軍を辞めたのは十三年前と言うことになる。
 十三年前と聞いて、リィンの頭に真っ先に浮かぶのは百日戦役。
 そして――

「そうだ。ハーメルの悲劇を企てた主戦派にして貴族派の将官。それがアランドール准将だ」

 予想もしなかった父親の告白にマヤは絶句するのであった。


  ◆


「なるほど。アンタが軍を辞めた理由は、そういうことか」

 ジョゼフの告白を聞き、ようやく合点が行ったと言う顔を見せるリィン。レクターについても、ずっと疑問に思っていたことが解消された気分だった。
 一方で、冷静にジョゼフから聞いた話を受け止めているリィンとは違い、マヤはそれどころではなかった。
 ハーメルの悲劇。ユーゲント三世の告白によって明らかとなった事件のあらましは、当然マヤも知っていたからだ。
 新聞やラジオを通してではあるが、リィンがハーメルの遺児であることも当然知っていた。
 だからこそ、その事件に父親が関わっていたと言うことを、簡単に受け止めることが出来ないのだろう。

「この場でキミに殺されても文句は言えない。私が犯した罪は決して赦されるものではないのだから……」

 そう言って、首を差し出すように頭を下げるジョゼフを見下ろし、リィンは微かに殺気を纏いながら尋ねる。

「ハーメルの村を襲撃した実行犯は全員処分されて生き残りはいないとの話だ。話の流れから察するに、アンタがやったのか?」
「……そうだ。金の受け渡し場所で猟兵たちを待ち伏せ、准将の指示で我々が殲滅した」

 予想していたこととはいえ、やはりそういうことかとリィンは納得する。

(さてと、どうしたものか)

 正直に言えば、ここでこんな話を聞けるとは思っていなかっただけに、リィンからすると思わぬ収穫だった。
 猟兵崩れに関しては、金に目が眩んでハーメルの村を襲い、口封じに殺されたのは自業自得としか言いようがない。レクターの父親に関しても因果応報だ。ハーメルの悲劇に関わった主戦派の貴族は軒並み処刑されていることから、恐らく生きてはいないのだろう。
 ジョゼフに対しては、特にこれと言って思うところはない。罪がないとは言わないが、軍人として上の命令に従っただけの人間を責めるつもりなどリィンにはなかった。
 とはいえ、それで本人が納得するかは別の問題だろう。この姿を見れば、十三年もの間、後悔を引き摺って生きてきたことがよく分かる。
 本人の望むように殺してやるのが救いなのかもしれないと考えるが、

「もう一つ聞きたい。アンタに軍を辞めるように勧めたのは、アランドール准将か?」
「そうだが……」

 ジョゼフの答えを聞いて、リィンは確信する。
 罪の意識に苛まれてかは分からないが、せめて自分に従った部下だけでも助けようとしたのだろう。
 なら、これも巡り逢わせかと考え、リィンはジョゼフに一つの提案をする。

「俺の下で働く気はないか?」
「な、何を……」
「罪滅ぼしがしたいんだろ? なら、その機会を与えてやるって言ってるんだ。死んで楽になろうってのは、少し考えが甘いんじゃないか?」

 思いもしなかったリィンの誘いに、戸惑いを見せるジョゼフ。
 そして、

「後悔するのは自由だが、ちょっとは娘に父親≠轤オいところを見せてやれ」

 リィンの思惑を察して、泣き崩れるように床に蹲るジョゼフ。
 嗚咽を漏らす父親に掛ける言葉が見つからず、マヤはその場に立ち尽くすのであった。



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