嘗てガレリア要塞があった場所には帝国正規軍のなかでも最強の打撃力を誇るとされる第四機甲師団が配備され、仮設の前線基地が設けられていた。
 その基地の責任者こそ、赤毛の二つ名で知られる猛将オーラフ・クレイグ。
 エレボニア帝国正規軍の中将にして、第四機甲師団を率いる師団長だ。
 そしてトールズ士官学院の卒業生にして元VII組の生徒、エリオット・クレイグの父親でもある。

「中将、時間です」

 司令室で静かに時を待つクレイグに、胸元に潜めた懐中時計の針を確認しながら声をかける金髪の将官。
 彼の名はナイトハルト。階級は中佐。
 剛撃の異名を持つ第四機甲師団のエースにして、クルトの兄のミュラー中佐とは同期で若手の双璧と目される男だ。

「やはり、こちらの降伏勧告には応じなかったか」

 本来であれば問答無用で攻撃を仕掛けるところを、クレイグは独自の判断でクロスベル政府に対して都市の明け渡しを通達していた。
 彼自身、政府の命令に納得していないというのもあるが、無益な血は流したくないという思いがあったからだ。
 クロスベルが降伏勧告に応じることはないだろうが、市民を安全な場所に避難させる程度の時間は稼げるはずだ。
 奇襲によって民間人に死傷者がでることを可能な限り避けたいという考えが、クレイグにはあったのだろう。
 それに――

「我が第四機甲師団が敗れるとは思っていないが……」
「団長を始め、隊長格のほとんどがクロスベルを離れているという情報が入っていますが、それでも〈暁の旅団(かれら)〉の力は侮れません」

 厳しい戦いになるでしょう、とクレイグの考えを察しているかのようにナイトハルトは答える。
 本来であればクロスベルの保有する戦力で、帝国軍と事を構えるなど自殺行為でしかない。
 兵士の数もそうだが最新式の戦車を始め、機甲兵を数百機単位で保有する第四機甲師団とでは装備の質が大きく違う。
 クロスベルの警備隊が保有する装備と言えば、精々がガトリング砲を搭載した装甲車と言ったくらいだからだ。
 最近では少しばかり機甲兵も配備されてきているとはいえ、それは帝国軍の払い下げ品でしかない。
 数自体少なく大半が旧式のドラッケンで、最新型の機甲兵や魔煌機兵と互角に渡り合えるほどのものではなかった。
 そんな彼等が強気にでる理由。それは〈暁の旅団〉の存在が大きいと、クレイグたちは考えていた。

 共和国軍の空挺部隊をたったの二機で退けたとされる騎神。それだけでなくリベールのアルセイユ号と並んで世界最速の飛行船と目されるカレイジャスを始め、独自のルートで入手したケストレルやヘクトル弐式などの最新の機甲兵も保有しているという噂もある。
 団長や隊長格のほとんどが街を離れていると言っても、決して油断の出来る戦力ではない。
 それに〈暁の旅団〉は得体の知れない何かがある。
 確証がある訳ではないが、クレイグの直感がクロスベルには手をだすべきではないと告げていた。
 しかし、軍人として上の命令に逆らうことは出来ない。
 だからこそ、少しでも開戦を引き延ばそうとしていたのだが――

「……やむを得ないか。これより作戦を開始する。待機している部隊に出撃の指示を――」
「失礼します!」

 クレイグがナイトハルトに出撃の指示をだそうとした、その時だった。
 ノックもせずに司令室に飛び込んで来る一人の兵士。
 走ってきたのだろうか?
 息を切らせ、随分と慌てた様子の兵士に「何事だ」とナイトハルトが声をかける。

「そ、それが……オルキスタワーから放たれた光がクロスベルへの進路を塞ぐように突如、目の前に現れたとのことです」

 しかも、その光の壁は市内だけでなくクロスベル全土を覆い隠すほどの規模だと兵士は報告する。
 兵士が何を慌てているのかを察して、驚きに目を瞠るクレイグとナイトハルト。
 いまから一年半前のことだが、同様のことがクロスベルで起きていたことを思い出したからだ。
 当時、クロスベルの市長に就任したディーター・クロイスが各国に向けて発した独立宣言。帝国は当然のように反発し、クロスベルに向けて軍を差し向けたが、結果は壊滅的な被害を受けて撤退。頼みの列車砲は通じず、帝国東部の要所であったガレリア要塞は消滅。当時、要塞を任されていた第五機甲師団は再編が困難となるほどのダメージを受けた。
 奇跡的に人的被害は少なかったとはいえ、侵攻作戦に参加した兵士の多くは心に傷を負い、そのトラウマから退役を余儀なくされた者も少なくなかったのだ。
 その時と同様の結界が当時を上回る規模で展開されたなどと聞けば、精鋭で知られる第四機甲師団の兵士と言えど狼狽えるのは無理もない。

「中佐はどう思う?」
「間違いなく彼等≠フ仕業でしょう」

 ナイトハルトの口からも自分が予想していた答えが返ってきて、やはりかとクレイグは深い溜め息を漏らす。
 当時クロスベルの独立に大きく寄与したとされる零の巫女に関する情報は、帝国軍も当然掴んでいた。
 そして、その巫女と思しき少女とそっくりの姿をした少女が、リィンの傍にいると言うことも――
 クロスベルに敵意や害意のある者の侵入を阻む結界など、現代の科学力で再現できるものではない。
 となれば、そこには未知の力――女神の至宝が関わっていると考えるのが自然だ。

「……結界だけだと思うか?」
「そう思いたいところですが、最悪の事態も想定された方がよいかと」

 迂闊に攻め入れば、第五機甲師団のように為す術もなく壊滅させられる可能性があることをナイトハルトは示唆する。
 結界だけであればいいが、結社の神機のような隠し球≠ェないとは言い切れないからだ。
 いや、こんなものを用意していた以上、何もないと考えるのは甘過ぎる。
 その点は、クレイグもナイトハルトと同じ考えだった。

「やはり、迂闊に動くべきではないか」
「……よろしいのですか?」

 一先ず様子を見るというのは悪い案ではない。
 しかし、政府からは速やかにクロスベルを占領せよとの命令が下っているのだ。
 これ以上の時間の浪費は、命令違反と受け取られかねない。
 後にクレイグ中将の責任問題に発展する可能性すらある状況だった。

「そもそも攻めようにも、あの結界をどうにかしないことには進軍すらままならぬだろう」

 確かに、とナイトハルトもクレイグの言葉に一理あることを認める。
 攻めようにも結界が邪魔でクロスベルへ近付くことすら出来ないのであれば、進軍のしようがない。
 街を守るためと言うのも理由にあるのだろうが恐らくは兵たちの動揺を誘い、侵攻を躊躇させるのが狙いなのだろう。
 しかし、そうと分かっていても慎重にならざるを得ない。
 士気が落ちている状況で闇雲に攻めれば、それこそ相手の思う壺だ。共和国軍の二の舞となりかねない。
 クレイグはそう考えたのだろう。

「…………」
「中将? まだ何か、気になることでも?」

 悪戯に犠牲者を増やすつもりはない。政府の方針に背くことになっても、クレイグは自身の考えを曲げるつもりはなかった。
 しかし、そんなクレイグの性格は第四機甲師団にクロスベルの制圧を命じた者たちも理解しているはずだ。
 そもそもの話、第四機甲師団が帝国東部の守護を任されていたとはいえ、それだけではクロスベルへの侵攻を任された理由としては弱い。
 もっと自分たちに従順で命令に忠実な他の師団や、戦果を欲している貴族の私兵に任せるという手もあったはずなのだ。

「中佐。すぐに装備を調えて、前線へ赴いて欲しい。もしかすると我々は罠に嵌められたのやもしれぬ」


  ◆


「さすがは赤毛のクレイグが率いる第四機甲師団ですわね」

 帝国軍の侵攻を阻むために準備した結界とはいえ、これだけで帝国が諦めて退散するとは考えていなかった。
 だからこそ、第二、第三の策も考えていたのだ。
 しかし、まったく誘いに乗ってくる様子のない帝国軍の動きにベルは感心していた。
 赤毛のクレイグ。用兵に長けた優れた指揮官という噂は聞いていたが、噂以上だと納得する。

「まあ、攻めて来ないなら、それはそれで良いのですけど」

 一応、スカーレットたちも待機させているが、帝国軍を壊滅させる気など最初からベルの方にはなかった。
 クロスベルを守ることが目的であって、帝国と戦争をすることが目的ではないからだ。
 争わずに済むのであれば、それに越したことはない。
 とはいえ――

「少しばかり予定が狂いますわね。どうしましょうか」

 壊滅させるつもりはないが、それでもクロスベルに二度とちょっかいをかけようとは思えなくなる程度に力を誇示するつもりでいたのだ。
 しかし、そのためにこちらから仕掛ける訳にもいかない。
 あくまで攻撃を仕掛けられたから反撃したという口実が、いまのクロスベルには必要だった。
 だからこそ、先に帝国軍の方から攻撃を仕掛けて欲しかったのだが、敵の指揮官が有能すぎると言うのも面倒なものだとベルは溜め息を吐く。

『ベル。なんか東の空からでかいのが近付いてきてるけど、どうする?』

 どうしたものかと悩んでいるところに、オルキスタワーの屋上に待機させていたイオから通信が入る。
 直ぐ様、イオの示す方角にカメラを向け、接近する影の正体を探るベル。
 そして、クロスベルから凡そ三百セルジュ(三十キロメートル)の位置を飛行する物体を捉える。
 それは結社の神機だった。しかも、αからγまでの三体が揃っている。
 恐らくは第四機甲師団が役に立たなかった時のことを考慮し、アルベリヒが準備していたものだろう。
 クロスベルに張られた結界をこじ開けることで、強引にでも戦端を開くのが狙いだと考えられる。
 しかし、敵の増援の出現で危機的状況であるにも関わらず――

「これは使えますわね」

 ベルは都合が良いとばかりに、ニヤリと笑みを浮かべるのであった。


  ◆


「何をしている! 出撃の命令は下りていないぞ! 早く止めろ!」

 同じ頃、山道に展開された第四機甲師団の前線部隊で混乱が生じていた。
 この作戦の前に突然部隊に配備された魔煌機兵が、誰も乗っていないというのに勝手に起動を始めたのだ。

「ダメです! 外部からの命令を受け付けません!」
「くッ! どうなっている!?」

 勝手に部隊を離れ、タングラム門へと向かおうとする魔煌機兵を呆然と眺める兵士たち。
 そこに巨大な盾と片手剣を装備した一体の機甲兵が突然現れ、魔煌機兵を押し留める。
 紺碧のシュピーゲル。ナイトハルト中佐の愛機だ。
 そして――

『何をぼーっとしている! すぐにすべての魔煌機兵を破壊しろ』
「ナイトハルト中佐!? で、ですが――」
『これは中将の命令でもある。手遅れになる前に急げ!』
「了解しました!」

 兵士たちに檄を飛ばし、暴走した魔煌機兵の破壊を命じる。
 このまま魔煌機兵がクロスベルに攻撃を仕掛けるような真似をすれば、それが開戦の合図となりかねない。
 いや、最初からそのつもりで魔煌機兵が配備されたのだろうとナイトハルトは推察する。

(中将の懸念が当たってしまったか……。ミュラーは何をしている)

 これで政府の中枢の深いところにまで〈黒の工房〉が入り込んでいることが確定した。
 もしかすると、既に皇帝までもが操り人形と化している可能性すら浮上してきたと言える。
 そうなるとナイトハルトが一番気になるのは、ミュラーの動向だった。
 オリヴァルトの護衛から外され、第七機甲師団へ復帰したとの情報も入っているが、その後の動きが掴めていない。
 少なくとも政府の言いなりとなって大人しくしているような男でないことは、同期のナイトハルトが一番よく分かっていた。

(いずれにせよ、いまクロスベルとの戦端を開くのは連中の思う壺だ)

 何事もなくクロスベルを占領できたのあれば、それはそれでよし。
 仮に第四機甲師団が壊滅したとしても扱いに困る邪魔な連中が消えるだけだ。
 いや、第四機甲師団の壊滅とクレイグ中将の死さえも、政治に利用するつもりでいるのだろう。
 となれば、いま自分たちに出来ることは可能な限り開戦を引き延ばし、機会を待つことだとナイトハルトは考える。

「ナイトハルト中佐! 空を見てください!」
『今度はなんだ!?』

 暴走した魔煌機兵を足止めしながら、シュピーゲルの操縦席から空を見上げるナイトハルト。
 そして、唖然とした表情で目を瞠る。
 オルキスタワーより放たれた光によって白みを帯びた空に浮かび上がる巨大な影。
 それは――

『ど、ドラゴン!?』

 黄金の角を持つ赤竜であった。



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