静寂が、アスカたちの心を重く支配していた。
先程まで生きていたはずの(元)人間の残滓である光の粒子が、まだ空気中に淡く漂っている。
アスカは、自らのソウルデヴァイス〈エクセリオン=ハーツ〉の切っ先を見つめた。
仲間を守るために振るった刃。
しかし、その先端には、拭い去ることのできない命の重みがこびりついているようだった。
「……先を、急ぎましょう」
最初に沈黙を破ったのはミツキだった。
彼女の声は努めて冷静だったが、その瞳の奥にはアスカと同じ葛藤の色が揺れていた。
シオは無言でアスカの肩に手を置き、力強く頷く。
ユウキは唇を噛みしめ、悔しさと無力さを滲ませていた。
この一戦は、彼らにとってただの戦闘ではなかった。
それは、自分たちが足を踏み入れた世界の非情さを、その身をもって知るための通過儀礼だったのだ。
重い足取りで先へ進む四人。ユウキが展開した霊子殻が先行し、周囲の索敵を行う。
姉さんを助けたい。その想いだけが、彼の足を前に進めていた。
しばらく進むと、これまでとは比較にならないほど広大な空間に出た。そこは、まるで古代遺跡のような場所だった。
崩れた石柱が乱立し、床には意味不明の幾何学模様が刻まれている。そして、空間の中央には――檻があった。
黒い鉄格子で作られた巨大な檻。その中に、人影が見える。
「姉さん!」
ユウキが叫んだ。
檻の中にいたのは、彼の姉アオイと、怯えて身を寄せ合う孤児院の子供たち、そしてシスターのシズルだった。
「皆さん、無事のようです」
ミツキが安堵の声を上げる。だが、その安堵はすぐに凍りついた。
檻を守るように、無数の怪異が蠢いていたからだ。その数は、先程までの比ではない。
そして、その怪異たちとたった一人で対峙している人影があった。
白いマントを翻し、光り輝く白銀の剣を振るう青年。その顔は深く被ったフードで窺い知ることはできないが、その姿はまさしく聖霊教会の武装騎士そのものだった。
「あれは……刻印騎士!?」
ミツキが驚愕の声を上げる。教会の精鋭が、なぜここに。
フードの男が一体の怪異を斬り伏せ、こちらに気づいたように一瞬動きを止める。
だが、彼が何かを言うよりも早く、事態は動いた。
遺跡の最奥、巨大な玉座のような場所から、禍々しいオーラを放つ一体の魔人がゆっくりと立ち上がったのだ。
その巨躯、歪な翼、そして何よりも、その顔に残る面影――
「こいつは……まさか!」
シオの脳裏に、港湾区でアキヒロと対峙していた大柄な男の姿が浮かび、目の前の魔人と重なる。〈ケイオス〉のリーダーだ。
「カズマはどこだ!?」
シオは怒りと焦燥に駆られ、叫ぶ。
リーダーは、その問いをせせら笑うかのように、金属を擦り合わせたような声で応えた。
「フン、ソンナコトヲ聞イテ、ドウスル? ココデ死ヌ、オ前タチガ!」
魔人化したリーダーが右腕を振り上げると、周囲の石柱が轟音と共に砕け散り、その破片が弾丸のようにアスカたちに襲いかかった。
「ミツキさん!」
「ええ!」
アスカとミツキが同時に障壁を展開し、辛うじて瓦礫の雨を防ぐ。
その隙に、シオとユウキが檻へと駆ける。
「おい、アンタ! 加勢する!」
「……! 来てはダメだ!」
フードの男の制止も聞かず、シオは大剣を振るい、檻に群がる怪異を薙ぎ払う。
ユウキのビットが檻の錠前を解析し、レーザーで焼き切った。
「みんな、今のうちに!」
ユウキが叫ぶ。
アオイが子供たちを促し、檻から脱出しようとする。
だが、それを見逃すほどリーダーは甘くなかった。
「逃ガサン……!」
リーダーの身体がブレ、シオとユウキの目の前から姿を消す。
次の瞬間、彼は逃げ出す子供たちの目の前に立ちはだかっていた。
「しまっ……!」
シオが叫ぶ。間に合わない――!
その絶体絶命の窮地を救ったのは、アスカの一閃だった。
「あなたの相手は、私よ!」
リーダーの振り下ろした爪を、アスカのレイピアが寸前で受け止める。
凄まじい衝撃にアスカの腕が軋む。
自我を持つ魔人。その力は、先程の相手とは比較にならない。
「ホウ……ナカナカノ腕前ダナ。ダガ、ソレデ終ワリダ」
リーダーの身体から、さらに濃密なオーラが噴き出す。
アスカは押し負け、後方へと吹き飛ばされた。
体勢を立て直した彼女は、覚悟を決める。
先程の一戦で霊力は大きく消耗している。だが、やるしかない。
「これで決める……アイシクルノヴァ!」
彼女が持つ技の中で最大級の氷結技。
ありったけの霊力を込めたレイピアの切っ先から、絶対零度の冷気が放たれる。
魔人リーダーの全身が瞬く間に分厚い氷に覆われ、巨大な氷像と化した。
「やったか……!?」
ユウキが希望の声を上げる。だが、アスカは油断していなかった。
ミシミシ、と氷に亀裂が走る音が響く。
「グ……オオオオオッ!」
魔人が咆哮と共に、内側から氷を爆散させる。
霊力を消耗しきったアスカに、その破片を防ぐ術はなかった。
だが、その彼女を庇うようにシオが前に出る。
大剣で氷の破片を弾き飛ばすが、がら空きになった胴体に魔人の爪が深々と突き刺さった。
「シオくん!」
「ぐっ……は……ははっ、これで……おあいこだな……柊……」
口から血を流しながらも、シオは不敵に笑う。彼が稼いだ、ほんの数秒。
アスカの瞳に、決意の光が宿った。
「ミツキさん!」
「ええ、分かっています!」
ミツキの杖から放たれた光の鎖が、シオを貫いたままの魔人の腕を拘束する。
アスカは最後の力を振り絞り、リーダーの心臓目掛けてレイピアを突き立てた。
だが、魔人の肉体は鋼のように硬く、切っ先は皮膚を破れない。
「モラッタ!」
リーダーのもう一方の爪が、無慈悲にアスカの頭上へと振り下ろされる。
その光景に、シオの思考が沸騰した。
――アスカが死ぬ。
その認識が、彼の内に眠る最後の枷を破壊した。
「うおおおおおおおおおおっ!」
シオの身体から、これまでとは比較にならないほどの闘気が爆発する。
それはシズナとの特訓で叩き込まれた、生命を燃やす覚悟の力。
――ウォーク・ライ。本来、一流の猟兵のみが扱えるとされる戦技だ。
彼は魔人の喉元に、一直線に跳んだ。
振り下ろされる爪よりも速く、シオの大剣がリーダーの首に深々と突き刺さる。
「ガ……ア……!?」
魔人が驚愕に目を見開く。
シオはそのまま、血飛沫を顔面に浴びながら雄叫びを上げ、リーダーの巨体を壁際まで押し込んでいく。
壁に叩きつけられた衝撃で、城全体が揺れる。
シオは止まらない。大剣をさらに深く突き刺し、そのまま一気に咽喉を掻き切った。
噴き出す光の奔流。リーダーは断末魔の叫びを上げることもなく、塵となって消えていった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
シオは、その場に膝をついた。全身の力が抜け、肩で大きく息をする。
しばらくの間、彼はただ呆然と、自分の手を見つめていた。
やがて、我に返ったように立ち上がると、アスカのもとへ歩み寄る。
「……大丈夫だったか?」
「助かったわ。それより……あなたこそ、大丈夫なの?」
アスカの問いに、シオは一瞬だけ表情を歪ませたが、すぐに無理やりの笑みを作った。
「ああ…………大丈夫だ。このくらい」
そう言って差し出された彼の手は、白くなるほど強く、固く握り締められていた。
残りの怪異を掃討し、子供たちとアオイの無事を確認した後、アスカはゆっくりとフードの男に向き直った。
そして、レイピアの切っ先を静かに男へと向けた。
「さて、と……どうして、あなたがここにいるのか説明してもらえる? 小日向純くん」
アスカの瞳には、クラスメイトに向ける親愛の色はなかった。
ただ、ネメシスの執行者として、聖霊教会の刻印騎士を問い詰める、冷徹な光だけが宿っていた。
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