静寂の中で、アスカの構えるレイピアの切っ先だけが、鋭い光を放っていた。
その切っ先が向けられた先で、フードの男――小日向純は、ゆっくりと息を吐いた。
「……いつから気付いていたんだい?」
その声は、アスカが知るクラスメイトの穏やかなものだった。
だが、今はどこか諦念と、隠しきれない疲労が滲んでいる。
「最初から疑っていたわ」
アスカの声は、氷のように冷たかった。
「確信したのは、あなたが姿を消してからだけどね。家庭の事情で転校するには、タイミングが良すぎた。それに、伊吹くんですら時坂くんの様子がおかしいことに気付いていたのに、あなたは彼を心配するどころか、まるで気付いていないかのように話をすることを避けていた。普通の友人なら、ありえないことよ」
その言葉に、ジュンは苦笑するしかなかった。
それだけ偽装が完璧だったということの裏返しでもある。
だが、友情まで偽りだったと断じられているようで、彼の胸に小さな痛みが走った。
アスカが一歩踏み出し、さらに剣呑な気配を放った、その時だった。
「待ってください!」
シスターのシズルが、ジュンを庇うように両腕を広げて二人の間に立った。
その瞳は、涙で潤んでいたが、強い意志の光を宿していた。
「この方は……ジュン様は、私たちを守ってくださいました! あの恐ろしい怪物から、たった一人で……!」
シズルの言葉に、アスカは眉をひそめる。
ミツキも、シオも、ユウキも、息を呑んで成り行きを見守っていた。
ジュンはヨアヒムの罠にかかり、このパンデモニウムに囚われた。
だが、彼の力なら、ここから脱出することも出来ただろう。しかし、そうしなかった。
自分と同じように囚われた孤児院の子供たちとシスターを発見し、怪異の群れから、たった一人で彼らを守り続けていたからだ。
「私たちが助かったのは、この方のおかげです。どうか……どうか、剣を収めてください」
深々と頭を下げるシズルを見て、アスカはレイピアを下ろした。
だが、疑問が消えたわけではない。
「……どういうつもりなの?」
アスカの問いに、ジュンは静かに答えた。
「ヨアヒム・ギュンター。彼は〈外法狩り〉に認定された」
その言葉に、ミツキがハッとしたように顔を上げた。
「……教会は、ヨアヒム司祭を切り捨てたのですね」
ミツキの鋭い指摘に、ジュンは無言で頷いた。
そして、事情を話し始める。
教会の上層部の指示で動いていたこと。リィンたちを監視する過程で、ヨアヒムの研究――グノーシスの存在を突き止めたことを。
報告を受けた上層部は、即座にヨアヒムを「外法」と認定し、ジュンにその処分を命じた。
その説明に、ユウキが鋭い視線でジュンに詰め寄った。
「教会の所為で、姉さんまで危険な目に遭ったってことか!?」
「……面目ない。僕の力不足が、この事態を招いた。弁解のしようもない」
ジュンはユウキの怒りを真っ直ぐに受け止めた。
ヨアヒムも教会の人間である以上、彼の怒りはもっともだと理解しているからだ。
第三者から見れば、これは教会内のいざこざにしか映らないだろう。
だからこそ、言い訳をせず、ユウキの罵声を受け入れる。
その潔い態度に、ユウキは毒気を抜かれたように言葉を詰まらせる。
「……チッ。姉さんを助けたのがアンタじゃなきゃ、一発殴ってたところだ。今回は、貸しにしといてやるよ」
素直になれないユウキの言葉に、ジュンは微かに笑みを浮かべた。
ここで自分たちが争うのは、ヨアヒムを利するだけで得策ではないとユウキも理解しているのだろう。
その時だった。
「お嬢様! ご無事でしたか!」
後方から、凛とした女性の声が響いた。
一同が振り返ると、そこには黒いスーツに身を包み、サングラスで顔を隠した集団――ゾディアックの実行部隊〈アングレカム〉が駆けつけていた。その先頭に立つのはミツキの秘書、雪村京香だ。
そして、その後に続くのは、全身を黒の強化スーツで固め、顔の見えないヘルメットを被った兵士たち。
国防軍の対零号特戦部隊だ。
「キョウカさん! それに――」
アスカが声を上げる。
その時、タスクフォース・ゼロの一人が、ゆっくりとヘルメットを取って顔を見せた。
佐伯吾郎だ。苦笑しながら、アスカに手を振る。
「無事で何よりだ、柊。だが、感傷に浸るのは後だ」
ゴロウとキョウカは、シスターとアオイ。それに疲労困憊の子供たちを見渡すと、一瞬で状況を把握し、部下に適切な指示をだす。
「医療班! 人質のバイタルチェックを急げ! 負傷者は最優先で保護!」
「第二分隊は周囲の怪異を掃討! 第三分隊は安全な撤退ルートを確保しろ! 急げ!」
キョウカがアングレカムに冷静な指示を飛ばす。
ゴロウもまた、隊員に的確な命令を下し、組織的な動きで周囲の安全を確保していく。
それを見て、後のことは彼等に任せておけば問題ないと判断したミツキが、ジュンに問いかける。
「他に囚われている方はいませんでしたか?」
「それは……」
ミツキの問いにジュンが答えにくそうに言い淀んだ、その時だった。
「なあ、こっちにも扉があるぜ」
ユウキが、遺跡の奥にひっそりと佇む、禍々しい装飾が施された鉄の扉を指さした。
彼の霊子殻が、その扉から微弱な生体反応を感知したのだ。
まだ隠れている人がいるのかもしれない。そう思って、ドアノブに手を掛ける。
「ダメだ!」
ジュンの絶叫が響いた。だが、遅かった。
ギィィ、と軋む音を立てて扉が開く。
そして、部屋の中を見たユウキの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「え……」
彼の口から、空気が漏れるような音だけが響く。
次の瞬間、ユウキはその場に膝から崩れ落ち、胃の中身を激しく床にぶちまけた。
「ユウくん!」
アオイが悲鳴を上げて駆け寄ろうとするが、ミツキがその腕を掴んで強く制した。
「見てはダメです!」
ミツキは首を横に振り、自らも顔を背ける。
アスカとシオが、覚悟を決めてユウキに駆け寄り、部屋の中を覗き込んだ。
「「――ッ!!」」
二人もまた、言葉を失った。
そこに広がっていたのは、地獄だった。
部屋の壁には、無数の枷。そこには、息絶えた子供たちの亡骸が、まるで標本のように吊るされていた。
その身体はグノーシスの度重なる投与によって、無惨にも異形へと変貌し、人の尊厳など欠片も残されていなかった。
床には〈BLAZE〉や〈ケイオス〉のジャケットを着たまま、同じように変わり果てた姿で息絶えている若者たちの死体も転がっていた。
それは、ヨアヒム・ギュンターという男の狂気が凝縮された、神さえも目を背けるであろう冒涜的な光景だった。
この城の本当の恐怖を、彼らはまだ、ほんの入り口しか見ていなかったのだ。
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