土産物売り場に、少女たちの賑やかな声が響いていた。
木製の棚には、神山温泉の名物である温泉まんじゅうや、地元の職人が手掛けたであろう木彫りの工芸品が所狭しと並べられている。
「これとか、いいんじゃないかな?」
「うん、悪くないかも」
浴衣姿のワカバとアキラが、小さなキーホルダーを手に取り、楽しそうに言葉を交わしていた。
その時、少し離れた場所から、どこか苛立ちを滲ませた声が二人の名を呼んだ。
「――ワカバ、アキラ」
振り返ると、そこに立っていたのはレイカだった。
いつもより念入りに施されたであろう薄化粧が、湯上りの火照った肌に映えて、二人にはない艶めかしを演出している。
しかし、その表情は不機嫌そのものだった。
「あ、レイカ先輩」
「どうかされたんですか?」
二人が不思議そうに首を傾げると、レイカは大きな溜め息と共に問いかけた。
「リィンを見なかった?」
「いえ、私たちは見ていませんが……」
「一緒じゃなかったんですか?」
ワカバが答え、アキラが聞き返すと、レイカはさらに不満げな表情になる。
てっきり、リィンと二人でいるものとばかりに思っていたからだ。
「途中まで一緒にいたんだけど、お風呂に入っている間にいなくなってて……」
その不満げな言葉と、いつも以上に気合の入った姿に、アキラとワカバは全てを察した。
(ああ、これは……)
もしかしたら勝負下着も身に着けているのかもしれない。
そんな考えが頭を過り、ワカバは一人で顔を赤らめる。
「ワカバ? どうかしたの?」
「い、いえ、なんでもありません! 別にやましいことなんて考えてませんから!」
あまりに分かりやすい反応に、アキラはそっと溜め息を吐くと、仕方ないといった様子で助け船を出した。
「レイカ先輩。ワカバは先輩とリィンさんの関係が気になるみたいです」
「アキラちゃん!?」
だが、それは火に油を注ぐだけの結果に終わった。
フォローになっていないフォローに、ワカバは慌てふためく。
「リィンとの関係? なんで、そんなこと……まさか、ワカバ、あなた……」
レイカの瞳が、疑念の色に揺れる。
まさか、この純真無垢な後輩までもが、リィンの毒牙に……?
そんなレイカの思考を読み取ったワカバは、必死に首を横に振った。
「ち、違うんです! レイカ先輩が思っているようなことじゃなくて、リ、リィンさんのことは――」
その時だった。
三人の背後から、見知った声がかかったのは――
「俺が、どうかしたのか?」
ぴしり、とワカバの動きが止まった。
ゆっくりと、まるで錆びついたブリキ人形のように振り返ると、そこにはコーヒー牛乳の瓶を片手に、不思議そうな顔をしたリィンが立っていた。
次の瞬間、ワカバの顔が茹でダコのように真っ赤に染まり、絶叫が館内に響き渡ったのだった。
◆
旅館の中庭は、伝統的な日本庭園をイメージした作りで、落ち着いた和の雰囲気を醸し出していた。
大きな池には錦鯉が優雅に泳ぎ、水面に映る太陽がきらめいている。
「少しは落ち着いたか?」
「はい……ありがとうございます」
庭園のベンチに一人腰掛けるワカバに、リィンはコーヒー牛乳の瓶を差し出す。
小さな手で受け取り、俯きがちに御礼を口にするワカバ。
それを見て、リィンはアキラとレイカにも同じものを手渡す。
「部屋にいないし、どこにいってたのよ」
「風呂上がりに、旅館の中を散歩してただけだ。なにを怒ってるんだ?」
「別に、なんでもないわよ……」
明らかに「なんでもなくない」レイカの態度に、リィンはやれやれと小さく息を吐くと、彼女の腰をそっと引き寄せた。
「え、ちょ……リィン、顔がちか……」
突然のことに動揺し、レイカの身体が強張る。
リィンの顔が、吐息が触れるほどの距離まで近づき、アキラとワカバも顔を真っ赤にして固まった。
だが、好奇心には勝てなかったのか。
二人の視線は、リィンとレイカに釘付けになっていた。
レイカが、観念したようにゆっくりと目を瞑った、その時だった。
「……危ないところだったな」
「え?」
リィンの呟きに、レイカが目を開けると、彼の右手には小さな虫の姿があった。
まだ生きているらしく、その手の中で必死にもがいている。
それを見て、アキラが物珍しげな表情で尋ねた。
「それって、蜂ですか?」
「ああ、スズメバチみたいだな」
リィンの言葉に、三人の顔から血の気が引く。
しかし、リィンは特に気にした様子もなく、手のひらから小さな金色の炎を立ち上らせた。
蜂は一瞬で灰と化し、風に攫われて消えていく。
何が起きたのか分からず、固まる三人。
「手品みたいなものだ。気にするな」
「いやいや、手から火をだしておいて無理があるでしょ!?」
「マジシャンなら、手から火くらいだすだろう?」
「そういうショーならだすかもしれないけど、こんなところで不自然でしょ!?」
リィンとレイカの漫才のようなやり取りに、それまで落ち込んでいたワカバが、ぷっと噴き出した。
「少しは元気がでたみたいだな」
「はい。……あの、他にも〝手品〟できるんですか?」
「まあな。機会があれば、見せてやる。それより――」
リィンの言葉が途切れ、その視線が鋭く周囲を探り始める。
一分ほど、そうしていただろうか?
無言で三人が見守る中、しばらくしてリィンは再び口を開いた。
「この一匹だけみたいだな。そうなると、山の方から入ってきたか」
どうして、そんなことが分かるのかは知らないが、スズメバチが他にもいないか探ってくれていたのだと、ワカバとアキラは察する。
さり気ないリィンの気遣いに感動を覚えつつ、アキラは深刻な表情を見せる。
「スズメバチがいるとなると、山に入るのは危険かもしれませんね」
アキラがそう言うと、レイカとワカバは残念そうに肩を落とした。
近くに川があると聞いていたので、そのつもりで水着を用意していたからだ。
誰に――とは口にださないが、披露する機会を失って肩を落とす二人を見て、リィンはこともなげに言った。
「蜂の行動範囲は限られている。まあ、探せばすぐに見つかるだろう」
「そうね。旅館に報告して、駆除を呼んでもらえば――」
「いや、これから始末してくる」
そう言って旅館の裏手に向かおうとするリィンに、レイカは目を丸くし、アキラも固まる。
そして、一番に我に返ったワカバが、慌てて叫んだ。
「ダ、ダメですよ! 危険過ぎます!」
彼女はベンチから立ち上がり、リィンに詰め寄ろうとする。
だが、慣れない草履に足を取られ、前のめりに体勢を崩した。
目の前は、鯉が泳ぐ池。ワカバがギュッと目を瞑った、その時――
ふわりと、身体が宙に浮く。
「大丈夫か?」
恐る恐るワカバは目を開けると、そこにはリィンの顔があった。
半ば、お姫様抱っこのような体勢で、放心するワカバ。
状況を理解するのに、数秒。
自分の体勢に気づくと、ワカバの顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていき、
「ちょっとワカバ!?」
アキラの声が聞こえる中、プシューと漫画のような音を立てて、彼女はそのまま意識を失うのだった。
◆
旅館の裏手は、鬱蒼とした森へと続いていた。
リィンは慣れた足取りで山道を進んでいく。
その少し後ろを、レイカが追いかける。
「別に、付いてこなくてもいいんだぞ?」
「ワカバのことはアキラに任せてきたから大丈夫よ」
「そういうことを言っているんじゃないんだが……」
リィンの呆れた声に、レイカは少しむきになって反論する。
「大丈夫よ。いざとなったらリィンが守ってくれるんでしょ?」
その言葉には、絶対的な信頼が込められていた。
実際、彼女はリィンの実力をよく知っている。蜂の巣くらい、彼なら簡単に駆除できることも分かっていた。
とはいえ、それを何も知らないワカバとアキラに説明することが出来ず、ああ言った態度を取るしかなかったと言う訳だ。
リィンもそのことは分かっているのか、ただ小さく鼻を鳴らした。
「それで、蜂の巣は見つかりそう?」
「この近くだとは思うんだが……これは、鳥居か?」
二人の目の前に、古びた朱色の鳥居が現れた。その奥には、長い石段が伸びている。
リィンは、階段の先をじっと見詰めていた。
レイカは、その横顔を不思議そうに見つめる。
「この先が気になるの? 鳥居があるってことは、この上に神社でもあるのかしら?」
彼女の何気ない一言が、リィンの心に小さな波紋を広げた。
ただの勘に過ぎないが、この先に何かがある。猟兵としての勘が、そう告げていた。
「折角だから、見ていく?」
「そうだな。ちょっとだけ、覗いて見るか」
二人は何かに導かれるように、静まり返った石段へと足を踏み入れるのだった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m